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お知らせ・神谷武夫
2010~2014
神谷武夫

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インドのユネスコ世界遺産 「 デリー城 」

お知らせ・神谷武夫

● この HPの「インドのユネスコ世界遺産」のサイトには、ユネスコに登録されたインドの文化遺産のうち、すべての 建築遺産 を紹介していましたが、新規に登録されたものは、ムンバイの 「チャトラパティ・シヴァージー駅舎」 でストップしていました。実は 2007年にデリー城が登録されたときに、それを書き始めたのですが、単に城だけでなくデリーの都市の歴史まで書こうとしたら、それを調べることに時間を費やしてしまい、途中まで書いたところで中断してしまいました。いったん中断すると、なかなか再開できないもので、ずっと そのままになってしまいました。何とかしなければいけないと、やっと腰をあげて、今回 最後まで書きあげました。 ここをクリック すると、「インドのユネスコ世界遺産」 の 『 デリー城(レッド・フォート)』 のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。   (2014/12/01)



フェイスブック

●● フェイスブック に、インド建築とイスラーム建築の「フェイスブック・ページ」をもっています。どちらにも 「写真アルバム」 があり、それぞれ週に一枚、建築写真を載せています。フェイスブックでは これをストックしてくれるので、過去にアップした写真を イスラムは 国別のアルバムで、インドは テーマ別のアルバムで、見ることができます(写真だけで、解説はありませんが。)現在は、『イスラム建築』は「チュニジアの建築」を、『インド建築』は「仏教建築」を、延々と続けています。

     ●「INDIAN ARCHITECTUREインド建築」の写真アルバム・ページ

     ●「ISLAMIC ARCHITECTUREイスラム建築」の写真アルバム・ページ

フェイスブックに アカウント登録をしている方は、それぞれのページの一番上にある「いいね」ボタン を 押すと、毎週一枚ずつ、新しい写真が届くことになります。HPの『神谷武夫とインドの建築』や『世界のイスラーム建築』のトップページの「いいね」ボタンを押しても同じです。  (2014/12/15)

エプソンプリンターと、その 弁護士

デリー城

● 「古書の愉しみ」の第25回 「私家版『イスラーム建築』」に書いたように、『イスラーム建築』の印刷のために買った エプソンプリンター において、インクに関するエプソンの 悪徳商法 のために、ひどい目にあいました。買ったインクの半分が、印刷に使われずに「 廃インク吸収パッド」に捨てられて、どんどん新しいインク・カートリッジを買わされるのです。(限定 100部を印刷するために、全部で 50万円インクを買ったうち、半分の 25万円分は、ドブに捨てたられたことになります。廃インク吸収パッドが 何と10回も満杯になり、その都度 未吸収のものに交換したのです。)そのために、本の頒価も高くなってしまいました。

 100冊の印刷が終わった8月初旬以降は、このプリンターをほとんど使っていませんが、それまでは 「廃インク吸収パッド」の交換をするたびに、インクを印刷に使わずに捨てる理由を説明するようエプソンに求め続けました。しかし エプソンの社員は誰一人としてそれを説明せず(できず)、現在調査中であるとか 問い合わせ中であるとか言い逃れをして、現在に至るまで、一切の説明をしていません(金もうけのために、消費者をだましてインクを捨てさせ、新しいインクを ジャンジャン買わせるためだ、などとは白状できず、さりとて、もっともらしい嘘の説明を でっちあげることもできないわけです)。

 私に問い詰められた一人一人の社員は、心の中では これが 会社の悪事 だと知っても、会社を告発することはできず、会社をかばうために 自分の良心を犠牲にして、嘘をつき続ける わけです。これが会社への「忠」であり、封建時代のサムライの立場と似たようなものであって、これが「武士道」の倫理の成れの果てかと思うと、何とも やりきれません。

 エプソンの対応のいくつかは「私家版『イスラーム建築』」のページに載せましたが、大岩根 という社員は、「廃インク吸収パッド」を2〜3回交換した頃に電話をしてきて、自分がこの件の責任者だから、損害を弁償するなり何なり、自分が責任をもって解決する、と大見得をきっておきながら、上司に一喝されるや、結局何もせずに、説明責任からも逃げ回っていました。 こちらは 100部の印刷がすべて終わって、「廃インク吸収パッド」の交換をすることもなくなり、エプソンの下請けの修理員も来なくなったので、もう 何も言わずにいました。

 すると1週間ばかりたった頃に、エプソンの代理人たる「国広総合法律事務所」の中村という 弁護士 から郵便がきて、私からの苦情で エプソンの担当者(大岩根)が「深刻な精神的打撃を被っている」ので、私からエプソンへは一切 直接連絡をしないよう、「本件に関して通知、連絡、申し出等がある場合には、当職らに対し書面をもって行うように」 と言ってきました。そして、「本件に関しましては、現在、通知人(エプソン)において 解析作業 を進めているところであり、解析作業が得られた時点で、貴殿宛に 書面にて回答いたしますので、今暫くお待ちいただきたい」と書いていますが、この通知が来たのは8月1日です。
 それから2ヵ月以上、書面どころか、ウンともスーとも言ってきません(そもそも、解析することなど 何もありません)。 それ以前の2ヵ月も合わせて 4か月もの間、いったい なぜインクの半分も無駄に捨てるのか、というユーザー(消費者)の問いかけに 一切答えないまま、担当者は回答要求に応じられずに ノイローゼになっている、というわけです。 これが「武士道」の現代版たる「会社人間道」だと思うと、ほとほと 愛想が尽きます。    (2014/11/01)



エプソン

●●● エプソンの代理人たる 国広綜合法律事務所中村弁護士 から 10月22日に、2回目の郵便がきました。 エプソンによる 「調査報告書」 と称する2枚の紙を送ってきたのです。 「新渡戸稲造の『武士道』 」のページに書いたように、エプソンが一向に「解析作業」の結果の「書面」を送ってきていないということを知って、それでは 弁護士が 嘘をついたことになるので、急遽 エプソンに書かせて、弁護士サイドから送ってきたわけです。ところが その内容たるや、私のエプソン・プリンターと同程度の使い方をエプソン社内でしてみたら、確かに たくさんのインクが「廃インク・パッド」に捨てられることを確認したので、私のものは故障ではなく正常だ、というのです。当たり前じゃないか。 そのように 悪事をはたらくよう 設計されているのだから。 なぜ インクの半分も、印刷に使わずに 無駄に捨てるのか、という 最初からの問いには まったく答えない(答えられない)わけです。これが、5ヵ月も 費やした「解析作業」の結果だとは、滑稽 というほかは ありません。 説明責任 も果たさずに こんなものを送ってくるとは、日本の弁護士も 地に堕ちたものです。(正義と人権を守るという 弁護士のプロフェッション は どこに行ったのか?)    (2014/11/01)

古書の愉しみ 27. 杉本鉞子 の『 武士の娘 』

『 武士の娘
』

● 前回の「古書の愉しみ」に 新渡戸稲造の『武士道』について書いたあと、その昔 読んだ、杉本鉞子(すぎもと えつこ)の『武士の娘』を思い出しました。当時の「筑摩叢書」の大岩美代訳で読みましたが、大変に面白かったので、後に 挿絵入りの英文初版をアメリカの古書店から購入しました。ざっと見たあと 書架に仕舞ったままになっていたのを、今回 引っぱり出して読み初めたら、日本人にとっては読みやすい英語なので、全編を通読しました。今から 80年前に出版された この本の 装幀や挿絵について、「古書の愉しみ」の第 28回として、簡単に紹介しましたので、興味のある方は、ここをクリック して ご覧ください。    (2014/11/01)

古書の愉しみ 26. 新渡戸稲造 の『 武士道 』

『 武士道 』

● 前回の「古書の愉しみ」は 岡倉覚三の、『茶の本』をはじめとする英文三部作を紹介しましたが、明治の日本人で、英語の著作を外国で出版した人といえば、誰しも、岡倉覚三と並んで 内村鑑三と 新渡戸稲造を思い浮かべることでしょう。今回は、岡倉の本より わずかに早く出版された、新渡戸稲造の、有名な『武士道』を採りあげます。岡倉の英文三部作の初版を入手したあと、新渡戸の 『武士道』 も架蔵したくなって調べたら、英文の初版は『東洋の理想』よりも3年早い 1900年(明治33)に フィラデルフィアのビーズ&リドル社から出版されたのですが、これは入手困難で、ほとんど古書市場にも出ません。それでも折にふれてチェックしていると、米国版の直後に、日本の出版社の 裳華房 (しょうかぼう) が 原出版社から版権を買いとったらしく、英文のままで 同年のうちに国内出版しています。そして、わりと保存のよいものがアメリカの古書店にあることを知り、これを入手しました。ここをクリック すると、「新渡戸稲造の 『武士道』」 のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。    (2014/10/03)

私家版 『イスラーム建築』の 増刷

イスラーム建築

私家版『イスラーム建築』は、印刷(コピー)するのにたいへん時間がかかりますので、前の 50冊を製本に出したあとも、ずっと印刷を続けていました。8月初旬に 次の 50冊分の増刷ができましたので、それに折りをいれて 製本に出し、末日に やっと出来あがりました。これで、私家版『イスラーム建築』は、全部で 100部の 限定出版 ということになりました(これ以上 増刷することはありません)。その内の 90冊が頒布用です。ご希望の方は、私家版『イスラーム建築』のページをご覧の上、メールで神谷までご連絡ください。   (2014/09/01)

古書の愉しみ 26. 岡倉覚三 の『茶の本

茶の本

● 「古書の愉しみ」の第 26回は、岡倉覚三の『茶の本』を採り上げました。岡倉覚三は、「天心」の雅号で知られていますが、本の著者名は、本名の「覚三」です。 彼の生前の著書は全部で 3冊ですが(『東洋の理想』、『日本の覚醒』、『茶の本』)すべて英語で書かれ、今から100年ほど前に イギリスやアメリカで出版されました。ずっと後になって 日本語に翻訳され、特に『茶の本』は、今では 10種類以上の翻訳が 出版されています。 私のところには 英文の初版本 が 3冊ともありますので、それらがどんな造本と装幀で出版されたのかを、詳しく紹介します。 ここをクリック すると、「岡倉覚三の『茶の本』」 のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。   (2014/09/01)



原発ホワイトアウト

● 遅ればせながら、若杉冽(わかすぎ れつ)の 『原発ホワイトアウト』(講談社、2013)を読み終わりました。これは 原子力発電所の再稼働 をテーマにした小説ですが、建設マフィアに並ぶ 電力マフィアの実態と行動を 実にリアルに描いていて、非常に興味深く読めました。 おりしも原子力規制委員会は 9月10日に、九州電力の川内(せんだい)原発が新規制基準を満たしているとする「審査書」を出しました。日本は再び、悪夢の道を突き進むのか。 この小説は、全国民の必読書と思います。  「著者、若杉冽氏が明かす“モンスターシステム”とは」   (2014/09/11)



お寺の収支報告書

● 続いて、橋本英樹(埼玉県熊谷市の見性院住職)の『お寺の収支報告書』(祥伝社 2014)を読みました。私はインド建築やイスラーム建築など、宗教と深く関係する歴史的建築文化を研究してきましたが、それにつけても、日本仏教の堕落ぶりに、本当に情けない思いをしてきました。その昔読んだ 岩波新書『仏陀を背負いて街頭へ』の妹尾義郎以後、日本仏教を改革しようとする人が 全く現れない らしいことに 絶望していましたが、この本を読んで、現代的で合理的、かつ 本当の仏教をめざして活動する 橋本英樹 師の豪快な記述と主張に 深い感銘を受けました。もしかすると、まだ日本仏教にも未来があるのかもしれないと、思わされます。願わくは、橋本さんのあとを追いかける若い仏教者が 続々と現れることを。 Amazon 『お寺の収支報告書』   (2014/09/12)



聖者たちの食卓

● 北インドのパンジャーブ州に、シク教 の聖地、アムリトサル の都があります。そこには大きな池 アムリト・サーガル(甘露の池)があり、その中央に浮かぶように ハリ・マンディル(神の寺院)が建っています。日本の金閣寺のように金箔で覆われているので、俗に ゴールデン・テンプル(黄金寺院)と呼ばれています。ここには巡礼者のための無料の食堂があり、ボランティアの信者たちが、毎日 10万人分の食事を作って提供しています。これを見て感動したベルギー人 フィリップ・ウィチェスと ヴァレリー・ベルトー夫妻が ドキュメンタリー映画『聖者たちの食卓』を作り、2年前の東京国際映画祭では ドキュメンタリー部門のグランプリを受賞しました。これを 小映画館ながら、渋谷の アップリンク で 9月27日から、商業上映することになりました。(その後、全国各地で。)映画には説明が ほとんどなく、ゴールデン・テンプルや調理風景などの映像が 坦々と写し出されているばかりなので、9月28日(日)の 1時の回の上映のあと、2時5分から 30分ばかり、私が寺院建築の説明をし、質問にも応じることになりました。
   映画 『聖者たちの食卓』 公式サイト    (2014/09/19)

私家版 『 イスラーム建築 その魅力と特質 』

イスラーム建築

● 「古書の愉しみ」の第 25回は、私の第7冊目の本、第 21回で採りあげた『イスラーム建築、その魅力と特質』を、再び採り上げます。というのは、何度も書いているとおり、これはマフィアの圧力によって 全ての出版社が出版拒否をして「幻の本」となってしまいましたが、たった一部だけ ゲラ刷りが残りましたので、これを両面コピー(印刷)して 手製本することによって、ついに 私家版『イスラーム建築』として、典雅な布装本の 実際の書物にすることが できたからです。全部で 50冊作りましたので、保存用の 10冊を除いた 40冊を、御希望の方に 実費(1万円)でお頒けすることにしました。 ここをクリック すると、「私家版 『イスラーム建築、その魅力と特質』 」 のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。    (2014/07/06)

アンリ・スチールランの 『イスラムの建築文化』

イスラムの建築文化

● 「古書の愉しみ」の第 24回は、私が最初に出した本、アンリ・スチールラン著、神谷武夫訳の 『イスラムの建築文化』 を採りあげます。『イスラムの建築文化』の初版が原書房から出版されたのは、今から 27年前の 1987年 11月ですから、それほどの古書ではないのですが、原書房はその 2年 3ヵか月後の 1990年 2月に増刷し、その半年後に普及版を出した後は まったく増刷していませんので、これもまた 今では入手困難な「稀覯書」になってしまいました。そこで、本の内容と造本を、この『古書の愉しみ』の第 24回として 紹介しておこうと思います。 ここをクリック すると、「アンリ・スチールランの『イスラムの建築文化』」のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。    (2014/06/01)

23年前の論説(随想)「 アジア建築 」

建通新聞

● 書棚の引き出しの中味を整理していたら、今から 23年も前に『建設通信新聞』の神子さんに慫慂されて書いた、「アジアの建築」という記事のコピーが出てきました。そういえば、この随想は HPに載せたことがなかったな、と思いながら読み返してみると、まだ 『インド建築案内』 も書いていなかった頃のもので、将来の 出版に対する夢 のようなことを、しかし正論として書いているので、現在とは やや状況が違い、いささか古すぎるという気がしないでもないですが、今月は これを再録することにしました。ここをクリック すると、「アジアの建築」 のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。    (2014/05/01)

ギュスターヴ・ル・ボンの 『 インド文明 』

インドの文明

● 「古書の愉しみ」 の第 23回は、今から 130年近く前に出版された豪華本、ギュスターヴ・ル・ボンの『インドの文明』を採りあげます。フランス人のギュスターヴ・ル・ボンは不思議な人で、著作家としての出発時に図版のたくさん入った『アラブ人の文明』や『インドの文明』を出しているのに、その後は『群集心理』で代表されるような 社会心理学の本を多く書き、インド文化やイスラーム文化とは ほとんど縁がありませんでした。『インドの文明』は、イギリスのインド政府考古調査局による報告書を別にすれば、19世紀におけるインド関係の出版物の中では、最も豪華な本です。 ここをクリック すると、「ギュスターヴ・ル・ボンの『インドの文明』」のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。    (2014/04/01)

ヴェルレーヌの『 叡智 』と ランボーの『 全詩編

ヴェルレーヌ

● 「古書の愉しみ」の第 22回は、そのタイトルにふさわしい、ヨーロッパの長い造本芸術 (Relieur, Bookbinding) の歴史上にある、2冊の美しい ハーフ・レザー の古書を採りあげます。本は、近代フランスの詩人を代表する二人、ポール・ヴェルレーヌ (1844-1895) とアルチュール・ランボー (1854-1891) の詩集です。前者は、19世紀の「典型的なデカダンスの詩人」と評されたりする ヴェルレーヌの最も名高い詩集『叡智』で(『知恵』とも訳されます)、獄舎で回心してカトリック教徒となった詩人の、透明な心境を詠ったものです。入獄の原因となったのは、若いランボーとの同性愛、逃避行、そして発砲事件でした。そのランボーの散文詩集としては『地獄の一季節』と『イリュミナシオン』の 2冊がありますが、それ以外の彼の韻文詩作品のすべてという意味で『全詩編』と題されているのが、後者です。 2冊とも 偶然ながら、今から約 90年前の 1925年に出版された古書ですが、それよりも ずっと後になって モロッコ革で製本された、まるで新品のように きれいな書物です。要するに私は、稀書・珍品・初版本のコレクターというのではなく、「美しい本」を求める「愛書家」だということです。 ここをクリック すると、「ヴェルレーヌの『 叡智 』と ランボーの『 全詩編 』」のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。    (2014/03/02)

『 イスラーム建築 その魅力と特質 』

イスラーム建築

● 「 『イスラーム建築 』の本は、あいかわらず出版されていません。と言うより、どこの出版社も マフィアの要請に応えて、私の本の出版を拒否していますので、この『イスラーム建築』の出版は、ほとんど 絶望的になりました。」と この「お知らせ欄」に書いたのは、1年半前のことです。その本来の出版元の彰国社で『イスラーム建築』の編集を担当した三宅氏は 数年前に退職していますが(三宅氏は取締役でしたから、定年があったわけでもないでしょうが)、かつて どうしても出さなかった色校のゲラ刷りを(印刷会社から彰国社へは 3部提出されていました)、処分してしまう前に 一部だけ 引き渡してくれました。その後、あとの2部は 会社が破棄してしまったそうなので、今では これだけが、『イスラーム建築』という本の印刷内容を伝える、唯一の「形見」となってしまいました。で、最近になって、もう(どこの出版社も言論の自由、出版の自由を守ろうとしない)堕落した この国で、この本が出版される可能性はないのですから、この 唯一残されたゲラ刷りを全部スキャンして、HP上で公開しておくのも、日本の建築界と出版界の腐敗を記録しておく 一つの手段かなと思い至りました。それを、やや奇妙な話ながら、「古書の愉しみ」のページに載せることにしたのです。といっても、すべてを読めるように できるわけではありません。ただ、全ページのレイアウトを示して、そのヴィジュアルな内容を見てもらい、こういう、日本人に縁遠かった イスラーム文化を理解する上で有用な、イスラーム建築 の概説書が出版されないことが いかに理不尽なことかを知ってもらえるでしょう。ここをクリック すると、『 イスラーム建築 その魅力と特質』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。    (2014/02/01)

謹賀新年 2014

アルメニアの建築

● 昨年の 「謹賀新年 2013」で、「アルメニアの建築」のサイトを立ち上げたこと、昨年中に(1年ぐらいかけて)アルメニア共和国内の各地の聖堂、修道院建築の大部分を検索できるようにするつもりであることを書きました。そして、その予告どおり、第1章の ヴァガルシャパト と、第 2〜6章の アルメニア北部、西部、中部、南部、そして ナゴルノ・カラバフに章分けして、アルメニア本土の ほとんどすべての歴史的聖堂建築 および遺跡を、各県の詳細な地図とともにアップロードしました。
 スキャンした写真の数は、第1章が 24枚、第2章が 131枚、第3章が 169枚、第4章が 150枚、第5章が 99枚、第6章が 27枚ですから、合計で ちょうど 600枚 となりました。私が今までに出版した本では、『インド建築案内』の写真が 1,800枚と、すさまじい分量でしたが、大型写真集の『インドの建築』は 435枚、小型本の『インド古寺案内(インドの宗教建築)』が 156枚ですから、600枚というのが、いかに大量のものであるかということがわかります。しかも その全ての写真が、クリックすると大きく拡大されるのですから、これは 単行本 2〜3冊分に匹敵すると言えましょう。これほど大きな容量のホームページというのは、めったに無いと思います。
 ただし1年間に、これらの写真を選んでスキャンするのと、それらをプロットした各県の詳細な地図を作製して アップロードするのが精一杯で、それぞれのヴァンク(修道院)についての解説を じっくり書くには至りませんでした。それは将来、資料を読み込みながら、時間をかけて書いていくほかありません。ではありますが、アルメニアを旅行しようという人には、現在のサイト上の地図と写真が 十分に役立つことと思います。(実際、このサイトを利用して、アルメニアの建築行脚をした方からメールが来ています。)

ドキュメント

そういうわけで、アルメニアの建築を紹介するサイトとして、次にやるべきは、周辺国グルジア、トルコ、イラン)におけるアルメニア聖堂の写真をスキャンして、地図とともにアップロードすることでしょう。特別な支障が起きないかぎり、今年1年をかけて、それをやり遂げたいと思っています。アルメニア建築に関心をもつ人は、インドやイスラームに比べて、ずっと少人数でしょうが、私の言う 「建築の原型」としてのアルメニア聖堂を記録しておくことは、是非とも必要なことと考えます。今回、海外の人のために、英語版のサイト も作りました。

 さて、『アルメニアの建築』のサイトの 当初の予定としては、『神谷武夫とインドの建築』、『世界のイスラーム建築』におけるのと同じような、詳細な「文献目録」を作成するつもりでしたが、そこまでの需要は あまりなさそうなので、むしろ アルメニア建築についての代表的な本を順に採りあげて、詳しく紹介するほうが良いのではないかと思うに至りました。そこで、第1回として、最もヴィジュアルで 見るに楽しく、しかも豊富な実測図が載っていて 学術的にも大きな価値のある『アルメニア建築ドキュメント』(ミラノ工科大学建築学部 + アルメニア共和国科学アカデミー編)のシリーズを採りあげることにしました。アルメニア建築に深い興味を抱いた方は、このシリーズの本を1冊でも多く買いそろえることをお勧めします。ここをクリック すると、『アルメニア建築ドキュメント』のサイトに とびます。 (2014/01/01)

『 シトー会の美術 』 総論の訳文

シトー会

● 前回の「古書の愉しみ」で『シトー会の美術』を採りあげましたが、 1978年にこの本を購入してから、ひと通り翻訳をしました。ところが、まだ これを推敲する前に、次第に『イスラムの建築文化』の翻訳にシフトしてしまいましたので、翻訳草稿は机の中に仕舞われたままに なってしまいました。今後も 私の本は マフィアの圧力で出版されませんので、この機会に アンセルム・ディミエ による総論部分だけを、今回の 「古書の愉しみ」で公開することにしました。ここをクリック すると、『 シトー会の美術 (翻訳)』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。    (2013/12/01)

ゾディアック叢書の 『 シトー会の美術 』

シトー会

● 前回の「古書の愉しみ」で『堀辰雄全集』 を採りあげた折に、江川書房版の『聖家族』に代表される「純粋造本」が、建築でいえば シトー会の修道院 にあたると書きました。時々私が シトー会の建築に触れるわりには、それが実際にどんなものかを詳しくは書いていませんので、「古書の愉しみ」の第 19回は、それほど古い本ではありませんが、ロマネスクの美術と建築の一大シリーズ、「ゾディアック叢書」の中の『シトー会の美術 』、フランス編と ヨーロッパ編の 2冊を採りあげることにしました。フランス編の初版が出版されたのは 1962年ですから、前回の『堀辰雄全集』の 4年後のことです。今から半世紀前になりますから、その後の、カラー写真満載の大型本に比べれば 確かに 古めかしい古書ですが、シトー会の修道院建築を紹介した本としては、今でも最も優れたものと言うことができ、私の愛蔵書です。 ここをクリック すると、『 シトー会の美術 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。    (2013/11/01)

古書の愉しみ 18. 『 堀辰雄 全集 』

堀辰雄全集

● スタジオ・ジブリの『 風立ちぬ』が、宮崎駿 監督の 最後の 長編アニメーション映画になってしまいそうだ ということが 話題になっています。DVDになったら買おうと思っていたので、まだ 私は見ていませんが、これは 戦前の同時代を生きた、ゼロ戦の設計者の 堀越二郎 と、「風立ちぬ」を書いた小説家の 堀辰雄 とを 重ね合わせてモデルとしたストーリーだそうです。 これに事寄せて、「古書の愉しみ」の第 18回は、『 堀辰雄全集 』 を採りあげました。 建築書ではありませんが、私が今までに手に取った和書の中で、最も美しい造本・装幀の本です。ここをクリック すると、今から半世紀以上前の 1958年に出版された 新潮社版『 堀辰雄全集 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。    (2013/10/01)

トマス・リックマンの 『 英国建築様式判別するみ 』

建築講話

● 「古書の愉しみ」の第 17回は、今から 200年近く前の 1817年に最初に出版された、トマス・リックマンの『 英国建築様式を判別する試み 』で、その 1825年の第3版、仔牛革装の やや 派手な製本の書です。オーガスタス・ウェルビー・ピュージンの『キリスト教建築の正しい原理』と並んで、イギリスの ゴチック・リヴァイヴァル の牽引役となった トマス・リックマンの この本は、ジェイムズ・ファーガソンが建築史研究を始めた当時、最も影響を受けた書物で、リックマンにならって、インドの建築、そして世界の建築の様式分類をしていきました。 ここをクリック すると、『英国建築様式を判別する試み 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。    (2013/09/01)

古書の愉しみ 16. ヴィオレ・ル・デュクの 『 建築講話 』

建築講話

● 「古書の愉しみ」の第 16回は、全3巻の革装本です。フランスのゴチック建築の修復建築家であった ヴィオレ・ル・デュクの『 建築講話 』です。復刻版は何度か出版されていますが、オリジナルは 上巻と図版集が 今から ちょうど 150年前の 1863年に、下巻は その9年後の 1872年に出版されました。修復の体験とその理論化については彼の主著『中世建築事典』全 10巻が ありますので、これは ヴィオレ・ル・デュクの建築論 と見ることができます。鋼版画と 小口木版の図版がたくさん入った 魅力的な本です。 ここをクリック すると、『 建築講話 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。    (2013/08/01)

「 ハッサン・ファティ 仕事 」

ハッサン・ファティ

● この 2年あまり、「アラブの春」と呼ばれた 中東の政治・社会情勢が、今も揺れ続けています。チュニジアで始まった 市民による異議申し立ては エジプト、リビア、アルジェリアから、現在はトルコにおよんで イスタンブルやアンカラで首相退陣要求デモが続いていますが、イランでは選挙によって、平和裏に穏健派のロウハニ氏が 新大統領に選ばれました。その中東における近代建築というのは、日本ではまったく知られていませんが、ハッサン・ファティ(1900-89)という エジプトの建築家が 大きな役割を果たしました。現在 再び騒然としているエジプトの情勢にちなんで、『世界のイスラーム建築』のサイトの「イスラーム建築入門」の章に、「ハッサン・ファティの仕事」というページを付け加えました。これは、中東に劣らず腐敗した日本の、マフィアの圧力のもとで、すべての出版社が 足並みそろえて 出版拒否している 拙著『イスラーム建築』の 第5章、「イスラーム建築と現代」の中の一部分です。 小さな紹介記事ですが、ここをクリック すると、「ハッサン・ファティの仕事」のページに とびますので、興味のある方は ご覧ください。    (2013/07/01)

ウェンディンゲン版 『 フランク・ロイド・ライト作品集 』

フランク・ロイド・ライト

● 「古書の愉しみ」の第 15回は、前回と同じように古書の復刻版です。今は稀覯本となっている、ウェンディンゲン版と ヴァスムート版の『 フランク・ロイド・ライト作品集 』です。オリジナルのヴァスムート版は今から 100年ほど前の 1910年にベルリンで出版されました。ウェンデインゲン版は今から 88年前の 1925年にオランダで出版されました。ライトの 初期の作品集である ヴァスムート版の図版の多くを描いたのは、マリオン・マホニー・グリフィンという、長くライトの助手を勤めた女性建築家でした。 ここから、前回のジェシー・マリオン・キングの挿絵本との ひそかな関連をあぶりだします。 ここをクリック すると、『 フランク・ロイド・ライト作品集 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。    (2013/06/01)

ジェシー・M・キング の 『 幸福な七日間 』

幸福な七日間

● しばらくぶりに、「古書の愉しみ」のページに、新しい1冊を加えました。建築書ではなく、挿絵本です。以前に取り上げた挿絵本は いずれもフランスの本でしたが、今回は イギリスの挿絵画家、ジェシー・マリオン・キング による『 幸福な七日間 (セヴン・ハピイ・デイズ) です。
「古書」 といっても、最初に出版されたのは、今から ちょうど 100年前の 1913年ですが、ここに紹介するのは その 80年後に出版された 復刻版です。 なぜ 復刻版を? と お思いの方は、ここをクリック すると、『 幸福な七日間 』のページに とびますので、詳細をご覧ください。    (2013/05/01)

岩波書店の 『 建築学用語辞典 』

建築学用語辞典

● 日本建築学会の編集で岩波書店から1993年に出版された『建築学用語辞典』という本があります。しかし 全く利用したことがなかったので、いったい どんな辞典だろうかと、1999年の第2版を図書館から借りてきて調べてみたら、これは、『建築大辞典』であるよりも 、建設工学(ビルディング・サイエンス)についての 用語辞典であることがわかりました。どうして 日本では そういうことになるか については、「文化の翻訳―伊東忠太の失敗」に詳しく書いたので、ここで 繰り返すことは しません。ただ、この辞典の ほんの わずかの項目を引いてみただけで、これが 日本の「建築学の英知を結集して 編纂された」辞典かと、目を疑ってしまったので、そのことだけを 書き留めておくことにします。興味のある方は、ここをクリック して、ご覧ください。    (2013/04/01)

「 モスクの 分類と典型 」

真珠モスク

● 今まで、イスラーム建築に関する記事で、モスクのタイプに 「アラブ型」、「ペルシア型」、「トルコ型」、「インド型」という名称を使ってきましたが、それらについて詳しく記述したページがないので、消化不良の感じを抱いている方も いると思います。そこで、『世界のイスラーム建築』のサイトの「イスラーム建築入門」の章に、「モスクの分類と典型」というページを付け加えました。これは、すべての出版社が 足並みそろえて 出版拒否している『イスラーム建築』の 第2章 「イスラームの礼拝空間」の中の一部分です。モスクはどのように分類することができるのか ということと、その典型と見なされる 四つの型(タイプ)について、詳しく解説しています。 ここをクリック すると 「モスクの分類と典型」 のページに とびますので、興味のある方は ご覧ください。    (2013/03/01)

「 東欧のイスラーム建築 」

東欧のイスラーム

● 昨年の秋に、東ヨーロッパの ブルガリア に行ってきました。今までほとんど紹介されることのなかった 東欧のイスラーム建築 の代表として、ブルガリアのイスラーム建築を訪ねて撮影してくるためでした。 ブルガリアは のんびりした国で、非常に物価が安く、まるで「おとぎの国」のようなところでした。 東欧は、長くオスマン帝国に支配されていた時代に無数のモスクやマドラサ、ハンマームやテッケが建てられましたが、19世紀末にオスマン朝が衰退してから東欧の大部分はキリスト教圏にもどり、イスラーム建築の大半は放棄されたり、破壊されたり、他の用途に転用されたりしてしまいましたから、一級品が残っているわけではなく、大きな建築的感動というもののない旅でしたが、東欧のイスラーム建築とは、どんなものかということは良くわかりました。すなわち、ミニチュア版の「オスマン建築」だということです。
 今回、やっとそれらを整理して、『世界のイスラーム建築』 のサイトで紹介することになりました。 ここをクリック すると、『東欧のイスラーム建築』 のページに とびますので、興味のある方は、ご覧ください。   (2013/02/01)

謹賀新年 2013

アルメニアの建築

● このサイト『神谷武夫とインドの建築』を 最初にインターネットに載せたのは、1997年の 10月ですから、もう 15年も続けていることになります。日本人が建築を学び、あるいは研究するといえば、明治以来、それは もっぱら ヨーロッパと アメリカの建築であったことに反発し、アジアの建築、なかんずく インドの建築を研究してきましたので、インターネット上でも、それを できるだけ詳しく、ヴィジュアルに紹介しようと 思い立ったのです。私が始めた頃には、まだ 充実したホームページというものが 少なかったので、私のHPには ずいぶん多くのアクセスがありました(といっても、インターネット人口自体も 少なかったのですが)。累計で、このサイトへのアクセス数は、30万を超えています。
 その後、インド建築研究が一区切りついて、次第に イスラーム建築の研究に 軸足が移りました。そのためにイスラーム関係のページが増えてゆき、サイト全体の規模(容量)が大きくなりすぎましたので、2009年の 4月に、インド関係のページとイスラーム関係のページとを分離して、『世界のイスラーム建築』というサイトを新設しました。現在までの、そのサイトへのアクセス数は3万 3,000ぐらいです。
 その分割よりも ずっと早く、2003年に、『アレクサンドル・ゲルツェンと ロシアの風景』というエッセイを書き、これを 小さいながら 独立したサイトとして立ち上げていました。しかしこれは、一度書いたあとは ほとんど書き加えることがなかったので、アクセス数は 2万ぐらいで頭打ちとなりました。

 一方、インドとも イスラームとも ちがう、もう一つの建築分野に、若いときから関心を払ってきました。それは、ロマネスク建築 です。私が最も深く感動した建築のジャンルは、実は ロマネスク建築だったのです。しかし、これは ヨーロッパ建築であり、その研究は「西洋建築史」において、ゴチック建築や バロック建築と並んで、多数の人々によって行われてきましたので、あえて私は 深い研究はせずにいました。ところが、このロマネスク建築と非常に親近性のある アルメニア建築 に引き込まれ、これは日本では ほとんど知られていず、しかも アルメニア本土がソ連邦の一員であったことから、現地の取材や研究も むずかしかったのです。それが、ソ連の崩壊によって、また その直後の、ナゴルノ・カラバフをめぐる アルメニアと隣国アゼルヴァイジャンとの戦争が休戦になって、初めてアルメニアに 自由に取材旅行に行けるようになりました。

聖堂模型

 アルメニアに すっかり惚れ込んでしまった私は、2004年、2007年、そして2008年の3回、それぞれ3週間ずつ滞在して、アルメニアの ヴァンク(修道院)を訪ねまわり、撮影を してきました。そして、これをまとめて本を出版することを意図したのですが、何度も言うとおり、マフィアの圧力によって、すべての出版社が私の本を出すまいとしていますので、これは不可能となりました。そこで、インターネット上に発表しようと思ったのですが、イスラームとインドに ほとんどの時間を取られ、買い集めたアルメニア建築の書物を じっくりと読む時間もとれず、「お知らせ」欄で予告したきり、いつまでたっても纏まりません。
 けれども、そうして ずるずると引き延ばしていたのでは、せっかくの 私が作成した資料も 埋もれたままになってしまいますので、私の 全てのウェブサイトが閉じられないうちに、あまり欲張らないで、できる範囲のことを纏めて 公開しておこうと思い立ちました。そこで、2008年に「仮に」という形で、120枚の写真をスキャンして作った「アルメニアの建築・写真ギャラリー」のページを大幅に拡大して、本格的なアルメニア建築のサイトとする ことにしました。
 それには、「アレクサンドル・ゲルツェンとロシアの風景」を『神谷武夫とインドの建築』の中の1ページとして納め、ゲルツェンのサイトとして使っていたアドレスを、新設の『アルメニアの建築』のサイトとします。写真ギャラリーの時には ひとつのページとしていたものを、アルメニア北部、西部、中部、南部、それにナゴルノ・カラバフの5つのページに分割し、すべてのヴァンクを網羅すると共に、写真の数も倍増させようというものです。

 ある地域の建築を研究する 第一歩というのは、その地域の どこに どんな建物があるのかを明らかにし、記録することです。それがあってこそ、相互の比較研究ができ、他の地域の建築との違いも明らかにでき、また建築史を構成するための 基礎資料ともなるからです。拙著インド建築案内も、HP『世界のイスラーム建築』のサイトの中の 「中国のイスラーム建築」も、そうした意図のもとに 纏めたものです。これらを基にして、若い人たちが インドの建築やイスラーム建築の研究を 発展させてくれることを 大いに期待するものです。
 今回は『アルメニアの建築』のサイト作りのために 膨大な時間を費やして しまいましたので、写真資料自体の増大までには 至りませんでしたが、これから1年ぐらいかけて、アルメニア各地の聖堂、修道院の大部分を 検索できるようにする予定です。 ここをクリック すると、『アルメニアの建築』のサイトに とびます。   (2013/01/01)

< 設計業者 > とは 何か

「原術へ」

● 月遅れの建築雑誌を パラパラとめくっていたら、『新建築』の10月号に、横河健(横河設計工房)が設計した 「ドナルド・マクドナルド・ハウス・東大」という、奇妙な題名ながら、爽やかな建築作品が 目につきました。 東大病院で手術を受ける難病患者や長期入院患者の 家族のための宿泊施設を、企業メセナによって建てた施設ですが、ここで取り上げるのは、その優れた設計内容ではなく、建築家としての 横河氏の「愚痴」についてです。設計者の横河氏は その作品説明の中で、次のように書いています。(太字引用者)

「残念だったのは、この建物の開所式・竣工式である。建築の竣工式であるにも かかわらず建築のケの字もなければ、施設の説明も させて貰えない という有様、最後になって感謝状贈呈・・・・・・と 建築の中身と関係なく、全くの業者扱い が普通なのだろうか?」
 「ここ数年、安藤忠雄さん、伊藤豊雄さん はじめ 世界的に活躍される建築家の功績もあって、日本の国内でも 建築家と設計業者の違い が 社会的に認知されてきたのではないか? と思っていた 矢先のことである。」

 たいていの建築家は この文章を読んで うなずき、同感の意を示すことでしょう。しかし一般の人が これを読んでも、あまりよく わからないのではないでしょうか。 横河氏は「建築」という言葉を、おおむね「建物」の意で用いているのですから、「建築の竣工式であるにもかかわらず 建築のケの字もなければ」というのが 何を言わんとしているのか、一般の人には 理解しがたいと思います。
 日本語の「建築」という語が、英語のアーキテクチュアであるよりは、ビルディング(建物)や コンストラクション(建設)の意で用いられることの経緯と問題点については、拙論文「文化の翻訳―伊東忠太の失敗」に詳しく書き、この HPにも載せてありますので、それをお読みいただければ、よくわかると思います。

 今回取りあげるのは、むしろ後半の文にある「建築家と 設計業者の違い」ということ についてです。この問題についても 何度となく書いてきましたので(『原術へ』の「解題」 や、「何をプロフェスするのか」「あいまいな日本の建築家」)簡単に書きます。 このフレーズで 横河氏が 何を言わんとしているのかというと、自分は建築家であって、設計業者ではない。 それゆえに、この建物の竣工式における「全くの業者扱い」は 心外である、ということでしょう。
 それでは、横河氏は、「設計業者」という言葉で 何を意味させているのでしょうか? ゼネコンや工務店の設計部に所属する 設計技術者のことを 言っているのでしょうか? ゼネコンの設計部は 公共建築を設計することが許されませんし、そこに勤務する設計技術者は 建築家協会に加入することができません。 彼らは 営利企業としての建設会社のために働いているのだから「設計業者」であるが、そうでない自分は建築家であって、彼らとは違う。にもかかわらず、自分が「業者扱い」されるのは不愉快だ、ということを言っているのでしょうか?
 では、「業者」とは 何なのでしょう? 文字通りの広い意味は、何かの仕事を なりわいとする人を 業者と呼ぶのでしょうが、それでは ほとんどすべての人が業者なのですから、「業者扱い」などという言葉は 生まれるべくもありません。 一般的に、業者というのは 社会通念上、「営利業者」を意味します (政治家や官僚、大学教授などを 業者とは呼びません)。 官庁でも、設計事務所の内部でも、「業者」という言葉を用いる時には、「営利業者」を意味させています。 つまり、利潤の追求が至上命題である「会社」、とりわけ「株式会社」のことを 業者と呼ぶのです。
 建築家(アーキテクト)は 医師や弁護士と同じように、公共に奉仕する職業であるのですから、これらの仕事に従事する人々の組織は、本来「株式会社」には なじみません (悪徳弁護士や算術医がいるにせよ)。 株式会社の社長である弁護士など、ありえません。

では、横河氏は どうなのでしょうか? インターネットで 横河氏を検索すると、株式会社・横河設計工房代表取締役 とあります。つまり、営利企業としての 株式会社の社長であるのですから、まぎれもなく「設計業者」です。設計業者であるのに「業者扱い」に苦情を言う というのは、矛盾しています。もちろん、利潤追求を最大目的としていたのでは、横河氏のような 質の高い設計活動を続けることはできません。そこでは 多分に、利益を犠牲にしてでも、人々のために 質の高い建物を設計しようとする プロフェッション意識に突き動かされている はずです(若い所員の安月給による 経済的犠牲もあることでしょうが)。
 しかしながら 社会的には、株式会社である以上、営利業者と見なされるのであって、それを 心外だと言うのは、単なる「愚痴」にすぎません。 建物の竣工式において 主催者側は、出席者が、その仕事に関わった 株式会社群であるなら、それらの評価・待遇は、株式会社としての 規模の大きさ、資本金の多寡、年間の売上高、企業としての知名度の高さ などで 決定せざるをえません。 ちっぽけな「設計業者」が、資本金 数十億とか 数百億円のゼネコンよりも はるかに 格下 と見なされてしまうのは、当然のことです(単なる 業者なのですから)。

 以前にも こうした待遇に「愚痴」を言っていた建築家がいたな、と調べてみたら、それは きわめて尊敬すべき建築家の 坂 茂氏でした。『新建築』の 2010年7月号に、国際コンペで選ばれて実現させた、フランスの ポンピドー・センター・メス という美術館を載せた折に 坂氏が書いた解説文においてです。 氏は、

「オープニング・セレモニーで、サルコジ大統領と 除幕式を行い、このような 素晴らしいチャンスを与えてくれた フランスの国歌を聞いた時、思わず涙がこぼれた。それと同時に、日本では このようなチャンスもなく、以前 JR 田沢湖駅を設計した時、オープニング・セレモニーにも 招待されなかった 悔しい思い出 を 思い出してしまった。」

と書いています。これが意味しているのは、フランスでは 建築家の事務所は 株式会社などではありえないし、したがって 世の中から「業者扱い」は されていず、弁護士や医師のような プロフェッション として、また 作曲家や映画監督のような 芸術家 として、認知されていることです。
 こうした彼我の差に「愚痴」を言うのは自由ですが、世の中から高く評価される建築家になった人たちは、後世の日本の建築家のためにも、設計事務所が 業者であることをやめるように 尽力すべきです。世界の被災地の復興というような 社会貢献を続ける 坂氏のような建築家でさえも、インターネットで調べると、自分の事務所(坂茂建築設計)を 株式会社にして、営利企業であると 宣言してしまって いるのです。日本建築家協会の会員建築家が所属する 設計事務所の大半が株式会社である というような、世界の どこにもない 堕落した形態をとっている限り、日本の設計事務所は、ゼネコンや工務店と 社会的には何ら差異はないし、ちっぽけな「業者扱い」を され続けることでしょう (へたすれば、ゼネコンの手先だ ぐらいに思われています)。

 建築家のプロフェッションの確立のために 最大の寄与をした 前川国男氏でさえも、戦後まもなく 建築士法が成立した時に、単なる税法上の実利から(税理士に勧められて)、前川国男建築設計事務所を 株式会社として、事務所登録 してしまいました(「伊東忠太の失敗」と並ぶ、「前川国男の失敗」と言うべきです)。そこから巣立った 錚々たる建築家たちは、古巣が そうであったのだから、独立時に何の疑問もなく、新しく設立する自分の事務所を 株式会社にしてしまいました。そこから巣立った建築家たちも・・・・ 以下同様で、しかも 現在の日本建築家協会は、さらに それを (設計事務所の株式会社化を)推し進めてきたのですから、「業者扱い」や「設計入札」に、苦情を言うことなど できません。
 こうした 悪循環を断ち切るためには、まず 主だった建築家たちが、設計事務所は 営利企業ではない と「プロフェス」して、株式会社であることを やめるべきです。 「愚痴」を言っているだけでは、何も変わりません。というより、情況は ますます悪化していくのです。今に 日本から、「建築家(アーキテクト) 」が、いなくなってしまう のでは ないでしょうか。    (2012/12/01)

聖ソフィア大聖堂キブラ

聖ソフィア大聖堂

● 9月から10月にかけて、ブルガリアとトルコに行っていましたので、先月は新しい記事を載せられませんでした。ブルガリア に行ったのは、今まで あまり情報のなかった、東欧のイスラーム建築の調査・撮影のためです。現在、写真を整理中ですが、そのうちに「ブルガリアのイスラーム建築」の報告が できると思いますので、乞う、ご期待。
 トルコ は、主に 落穂ひろいの旅 でしたが、他にいくつかの目的もありました。というのは、イスタンブルにはビザンティン建築の最高傑作で、オスマン・トルコのモスク建築に決定的な影響を与えた、聖ソフィア大聖堂 があります。 私が初めて訪れたのは、今から 35年前の 1977年のことです。3年後の 1980年にも聖堂を訪れたのですが、冬の寒さで風邪をひいたり、カメラが故障したりで、満足できる写真が撮れませんでした。そこで 2000年にリュキア建築の調査に出かけた折に、撮影し直そうとしましたが、修復工事 のために、内部に巨大な足場が架かっていて、内部空間の全体像を撮影することが できませんでした。 その後も 3回訪れる機会があったのですが、修復工事は延々と続き、少しずつ移動して架け直される足場のために、相変わらず撮影できません。
 工事は(単に修復だけでなく、調査・研究でもあったのでしょう)何と 17年もの長きにわたりましたが、一昨年になって やっと 一応 終了して、足場がすべて撤去された という情報を得ました。そこで、ブルガリアから陸路でトルコにわたり、あの偉大な内部空間を、今度こそ 撮影することができました。これを、以前に撮った外観写真と合わせて、「世界建築ギャラリー」 の1ページとして 紹介しておくことにしました。ただ、書いている途中で、聖堂がモスクに転換されたときの キブラ(マッカの方向)について 不思議なことに気がつきましたので、後半は その問題の記述に 切り替えることになりましたが。ここをクリック すると、「聖ソフィア大聖堂と キブラ」のページに とびますので、興味のある方は ご覧ください。    (2012/11/01)

中国イスラーム建築」の 索引

瀋陽の南清真寺

● 『世界のイスラーム建築』のサイト中の「中国のイスラーム建築」は、知られざる中国の 清真寺(モスク)を 日本で初めて、総合的に紹介するものですが、全部で 86ページにもわたる 長大なものとなりました。 全体を3部構成とし(南部、西部、北部)、さらに それぞれを 前後のパートに分けたにも関わらず(あるいは、そのゆえに)ある地のモスクを探すのに、各章を えんえんとスクロールしなければ なりませんでした。
 その労を軽減するために、今回、目次の下に「地名索引」をつけました。本サイトで解説されている すべての中国のモスクの 所在地名を一覧しながら、どの章にあろうと、探す都市名をクリックすると そのページに飛びますので、めざすモスクを 簡単に見つけられます。それによって 探索のためのスクロールの労が省けるので、各章を前後のパートに分けるのをやめて、長い章にするとともに、中国内地とは異なった「新疆ウイグル自治区」を独立させて、全 4部構成に 再編成しました。 その配列順序も、北から南へ、そして西へ、新疆へという具合に、地理的に認識しやすい順序としています。(ただし、Mozilla Firefox を ウェブ・ブラウザにしている場合は、「索引」から各地へのリンクが働きませんが。)
 ここをクリック すると、「中国のイスラーム建築」のページに とびますので、興味のある方は ご覧ください。 ただし、総論としての「中国の 伊斯蘭教建築(清真寺)の 特質」の章を書き上げるには、まだ時間がかかりそうです。    (2012/11/10)


東京都 現代美術館と、長谷川 裕子という 学芸担当課長

東京都現代美術館

● 先月(7月2日)、東京都現代美術館の 学芸担当課長と称する、長谷川裕子さんという人から、次のようなメールが届きました。

神谷様
突然メイルを送る失礼をお許しください。
私は東京都現代美術館でチーフキュレーターをしている長谷川と申します。
来年の3月13日にエミレーツのシャルジャで開催される展覧会(ビエンナーレ)のキュレーターをつとめておりますが、テーマがイスラムの中庭で、これをメタファーとして、地中海からアフリカ、南アメリカ、インド、中国までの中庭文化を調べたいと考えております。
ご多忙とは存じますが一度お時間をいただけますと幸いです。
今週の前半にお電話さしあげたく存じます。
長谷川 拝

長谷川祐子
東京都現代美術館 学芸担当課長
135-0022 東京都江東区三好4-1-1

ところが、週の前半どころか、後半になっても 一向に電話がなく、メールが来るでもないので、もしかすると 誰かの「いたずらメール」だったのかとも思い、7月13日に、もらったメールが付いたままの、次のような返信メールを送ってみました。

たちの悪い いたずらメールを 寄越す奴も いるもんですね。

もし誰かの「いたずらメール」だったとすれば 当然、そんなメールを自分は出した覚えはない、自分のメール・アドレスから何から知っている 身近な者の「いたずら」のようだから 調べてみる、とでもいった返事が来るだろう と思っていました。 ところが、何の返事もありません。でも 考えてみれば、誰かが こんな「いたずらメール」を私に出しても、何の益もないことです。わたしの返信メールは きちんと届いているようですから、やはり これは「いたずらメール」などではなく、本人が、東京都現代美術館の 担当課長 として、私にメールを よこしたのでしょう。
それが、突然の方針変更で「お時間をいただく」のを やめたのであれば、その旨を 電話なり メールなりで伝えて、不用意なメールを出したことを謝れば いいことです。 それを、何の連絡もよこさないばかりか、こちらの返信メールにさえも答えずに 知らん顔をしているのだとすれば、なんと無礼な話でしょうか。東京都現代美術館 というのは、いつも、そういう仕事のやり方を しているのでしょうか。あるいは単に、この 長谷川祐子 という人が、そういう 傲慢な性格 だということなのでしょうか。
しかし、それらもまた、考えにくいことです。(これは 私設の、名も知れぬ小美術館ではなく、東京都 が 設立・運営している大規模な 公立美術館 です。)とすれば、(実は、これは 最初から考えても いたことですが、)「マフィアの圧力」なのかもしれません。この HPの中の 「原術へ」のページの 「解題」 の一番下のほうに (「終わりに」として)Mホームの例を書きましたが、私のところに原稿依頼なり 講演依頼なりがあると、電話やメールの盗聴をしているマフィアは、たちまち その 妨害工作 をします。何らかのルートを通じて、その依頼主の組織に圧力をかけるのです。 圧力をかけられた 出版社なり団体は、その後 連絡をよこさなくなったりして、その依頼を反故にしようとします。圧力は、たいてい 担当者にではなく、組織の上層部(社長なり 館長なりに)かかり、担当者は、わけもわからず その命令に従わねばならないので、真面目な人であれば、良心の呵責を抱くことになります。
それが、ある程度名の通った組織や会社であれば、私に問いただされると、その公表をおそれて、見え透いた嘘をついて言い訳をしながら、最初の依頼を やむなく、ある程度 実行することになることが多いですが。
今回は、仕事を依頼されたわけではありませんが、担当者が 私に会いにくれば、その延長上で、何らかの仕事を依頼することになるでしょうから、当初から 圧力が かかったのかもしれません。神谷とは 関係を持つな と。
結局、都民の税金で養われる公務員が、都民(私)を愚弄する形となりました。  (2012/08/01)

古書の愉しみ 12. 『 インド政府考古調査局 報告書 』

『グジャラート地方のイスラーム建築』

● 「古書の愉しみ」の 第12回は、150年の伝統をもつ インド政府考古調査局の、19世紀末に出版された調査報告書です。その報告書を 全部数えれば 数百冊にのぼるでしょうが、その最も代表的な「ニュー・インペリアル・シリーズ」の中の1冊、インド考古調査局の 第2代長官、ジェイムズ・バージェスによる『グジャラート地方のイスラーム建築』を採りあげます。たくさんの 実測図と写真図版をアレンジした 大型本です。興味のある方は、ここをクリック して ご覧ください。    (2012/07/01)

カイロの 「 バルクーク廟+修道場 複合体 」

バルクーク廟

● 『イスラーム建築 』の本は、あいかわらず出版されていません。 と言うより、どこの出版社も マフィアの要請に応えて、私の本の出版を拒否していますので、この『イスラーム建築』の出版は、ほとんど 絶望的になりました。マフィアを恐れて(あるいは マフィアと つるんで)、言論や出版の自由を守ろうともしない 日本の出版界を見るにつけ、(また、その姿勢に同調している新聞社や放送局の姿を見るにつけ)、多くの日本人が非難している中国や北朝鮮や、その他の全体主義的国家による 人権や言論の弾圧 と なんら変わらない この国の状況を見、この国の将来を考える時、暗澹たる気持に ならざるをえません。(東京大学 までマフィアの支配下にあるのですから、新聞やテレビの報道も マフィアの圧力で歪められていることは 自明の理です。)
そこで 今回は、『イスラーム建築』の第1章「イスラーム建築の名作」の中から、カイロの 「バルクーク廟+修道場 複合体(エジプト) を、『世界のイスラーム建築』のサイトの 同名ページに載せました。 と 言いながら 実は、この未刊本の第1章から、デモンストレーションとして ひとつずつ 名作をこのサイトに転載してきて、ついに今回が 最後の作品になりました。本の第1章で扱った 21の名作は、このサイトで、すべて見られることになりました。この最終回の イスラーム建築の名作に興味のある方は、ここをクリック してください。これに合わせて、<モスクにおける礼拝の形式> も 掲載しています。   (2012/06/01)

程陽の風雨橋

「アンコール王朝の建築」の下の方に、シェムリアプ市の 風雨橋 の写真を載せ、「中国南部の 三江近辺の少数民族、トン族の 風雨橋 に倣ったものだろう」と書きましたが、何のことやら わからなかった方が 多かったかもしれません。 そこで、「世界建築ギャラリー」のページに、「建築作品」というべき 中国南部のトン族の「風雨橋」を 紹介しておくことに しました。ここをクリック すると、「中国南部の風雨橋」のページに とびますので、興味のある方は ご覧ください。

インド建築案内 』が 絶版にされる

インド建築案内が、なんと 絶版 になります。この本は、1996年の秋に TOTO出版から、初版1万部で 出版されました。多くの新聞や雑誌で紹介されたこともあって、大評判となり、たちまち 売り切れに近くなりましたので、翌年の春には 第2刷りとして 5,000部が 増刷されました。インド全域の建築作品を 古代から現代まで網羅して カラー写真とともに紹介した本というのは、インドにも 無かったので、2002年に英訳されて、英語版 ("The Guide to the Architecture of the Indian Subcontinent") 1万部が、インドで出版されました。さらに 2003年には、日本で 第3刷りが 4,000部 増刷されました。日本で 建築書が1万部以上売れるというのは 異例なことで、今までに TOTO出版が出した本の中では、第4位の 売れ行き だそうです。
 今でも、ある程度 コンスタントに売れているのですが、TOTO出版は、この4月に 在庫がなくなるまで 私には 何の連絡もせず、こちらから、もう増刷の時期ではないかと 問い合わせましたら、もう 増刷しない、絶版にする、と言うのです(次の版では 「文献案内」リストの改訂をする という約束までしていたのに)。
 現在 インドの文化に興味を もちつつある方、これから 大学の建築学科に入学する 若い方、すでに持っているが、傷んでいるので 新しい本を もう1冊 買っておこうと思っていた方、もう 今後は、『インド建築案内』は 古本でしか 入手できなく なります。アジアの建築の 基本資料となる本で あるだけに、絶版は、本当に残念なことです。
 大きな書店では、まだ 店頭在庫のある店も ありますので、購入予定の方は、今のうちに お買い求めになることを お勧めします。 (将来、この本の 古書価格は、かなり 高くなってしまう ことでしょう。)
 また、この本の続編ともいうべき拙著、『イスラーム建築 』を、彰国社が 出版拒否を続けているので、TOTO出版で 出してもらえないかと 何度か頼みましたが、その都度 断られて しまいました。これも(マフィアを怖れる)社長の命令でしょうが、TOTO もまた いろいろ 事情を かかえて いるのでしょう。    (2012/05/01)

 < 古書についての参考事項 > : 初刷り (1996) は「無線綴じ」なので、へビーな使い方をすると、本のページが バラバラに なってきます。でも、インドに よく旅行する方で、旅行の都度、この本の 必要な部分のみを バラして持っていく という人には、初版の方が 却って便利だと言う方も います。第2刷り (1997) から「糸綴じ」になりましたので、相当 乱暴な使用にも耐えます(バラバラに なりません)。第3刷り (2003) には、小口に、辞典のように、州ごとの「見出し」が付いていますので、旅行だけでなく、研究などにも便利です。 古書を購入するときには、巻末の 奥付けで、刷り数(発行年度)を お確かめください。


●● 英語版については、時々、インドから メールが 来ます。 この 7月25日には、日本在住のインド人らしい、タニヤ・チャトゥルヴェディ・ヴェガド さん という方から、次のようなメールを もらいました。

Dear Kamiya san,
Just writing in to let you know that your book on architecture in the Indian subcontinent is wonderful!
I loved it through college, and when i taught history of architecture to my students, they loved it too.
When my husband wanted to come to Japan, the first association to this country was your name.
I completely agree with you on the fact that Indian architecture isn't as well-documented (in drawings) as western architecture is.
Your book, along with books by Henri Stierlin were very useful for us.
Best regards,
Tanya Chaturvedi Vegad.



古書の愉しみ 11. ピエール・ロチ『 アンコール詣で 』

『アンコール詣で』

● 2月に カンボジア に行ってきて、先月は「世界建築ギャラリー」の中に「アンコール王朝の建築」のページをつくりましたので、「古書の愉しみ」の 第 11回は それに関連させて、カンボジアのアンコール、とりわけ アンコール・ワットに関する本を 採りあげました。 一度に3冊も紹介しますが、メインは フランスの挿絵本で、ピエール・ロチの『アンコール詣で』です。興味のある方は、ここをクリック して ご覧ください。



●● 春4月、学校は新学期です。そこで 昨年と同じことを、以下に また 転載しようと思います。
新しい気持ちで 建築を学ぼうとしている「建築科」や「建築学科」の学生諸君には、この HPの中の、「原術へ」のページの「解題」を ぜひ読んでほしい。そして「文化の翻訳」、「何をプロフェスするのか」、「あいまいな日本の建築家」 を読んで、「アーキテクチュア」とか「アーキテクト」の意味を知ってほしい。そして これらについて、友人と議論してほしい、と 願っています。    (2012/04/01)

アンコール建築・写真ギャラリー

アンコール・ワット

● 2月に カンボジア に行ってきました。アンコール・ワットを はじめとする アンコール文明の建築と遺跡を撮影するためです。意外に思う方もいるでしょうが、私が アンコールの建築 を訪れたのは、今回が最初です。かつて何度も行こうとしながら 紛争に妨げられて行けず、近年は イスラーム圏を主としていたために、インド圏とは やや縁が薄くなっていたからです。やっと腰を上げて シェム・リアプに行ってみたら、戦火とは はるかに遠く、今では そこは 楽園のようなところでした。 簡単な報告として、「アンコール建築・写真ギャラリー(アンコール王朝の建築)」を作りましたので、興味のある方は、ここをクリック して ご覧ください。    (2012/03/01)

古書の愉しみ 10. A・ガイェの『 アラブ美術 』

『アラブ美術』

●  「古書の愉しみ」の第 10回は イスラーム建築関係の古書として、アルベール・ガイェ(1856-1916)が書いた「アラブ美術」と「ペルシア美術」 を採りあげます。 ガイェはイスラーム建築史家というわけではありませんが、19世紀に書かれたイスラーム建築関係の本というのが乏しい中で、「美術教育叢書」の一環として、かろうじて 19世紀末に これら2冊を書き上げました。ジェイムズ・ファーガソンらの インド建築研究にくらべると、だいぶ遅れをとったと言わざるをえません。 ここをクリック すると、今から 120年あまり前に出版された 「アラブ美術」 と 「ペルシア美術」 のページに とびますので、興味のある方は お読みください。   (2012/02/02)

謹賀新年 2012

ハージュ橋

● 今年もまた、昨年と同じ挨拶で事足りますので、ほとんど そのまま 再録します。
イスラーム建築 』の本は、彰国社が5年にわたって出版拒否をしてきましたので、いまだに出版されていません。建築界は相変わらず腐りきったままで、沈滞ムードにあるのは、経済の停滞からくる ばかりではありません。東大は 村松伸准教授(生産技術研究所)の無法行為を容認したままですので、私が彼から依頼されて書いた「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」を収録する『建築史家たちのアジア「発見」』も、原稿を渡してから 10年半になりますが、いまだに出版されていません(風響社)。
● 彰国社は、「ビジュアル版・建築入門」(編集代表・布野修司)の 第1、2巻も出版しません。私が 編集部からの依頼で執筆した「エローラーのカイラーサ寺院」(藤森照信 編集担当の第 1巻に収載)と、「ヒンドゥ建築」(中川武 編集担当の第 2巻に収載)との原稿を渡してから、もう 11年になります。これらすべてが 出版契約無視、どんなに催促されようと非難されようと、マフィアの命令である以上、出版社は 平然と出版拒否を続けるのです。また、私が翻訳した、イスラーム建築史の最良の本『イスラムの建築文化』も再版されず、新潮社は『新潮世界美術辞典』 の 改訂版の出版を 取りやめたそうです。どこの出版社もマフィアの要請に応えてスクラムを組み、神谷の本は決して出さないと決めているので、この大政翼賛会の下、言論弾圧は徹底しています。建築界の人間は皆、マフィアを恐れて 沈黙するのみです。(この国には、21世紀になってもなお、正気を保った人間はいないのでしょうか。)
 そういうわけで、日本における イスラーム建築への一般の理解は、諸外国にくらべて 遅れるばかりですが、今月は、『世界のイスラーム建築』のサイトに、『イスラーム建築』の第1章「イスラーム建築の名作」の中から、「ザーヤンデ川の橋(イスファハーン)」を転載することにしました。イランのイスファハーンの都を東西に流れるザーヤンデ川には、市の北部と南部を結んで幾多の橋が架かり、建築的な美しさを誇っています。ここをクリック すると、そのページに とびますので、興味のある方は お読みください。   (2012/01/01)


古書の愉しみ 9. ラスキン『 建築の七灯 』

『建築の七灯』

● 「古書の愉しみ」の第9回は 建築の古書に戻って、ジョン・ラスキン(1819-1900)の名高い 「建築の七灯」です。ラスキンは美術評論家として出発し、「近世画家論」や「ヴェネツィアの石」を書いて、若くして有名になり、その後も多くの本を出版しました。次第に社会思想家となり、明治時代の日本では、むしろその方面でよく知られていました。「建築の七灯」は彼の最初の完結した本であり、何度も繰り返し重版された建築書です。 ここをクリック すると、今から 100年前に出版された「建築の七灯」のページに とびますので、興味のある方は お読みください。   (2011/12/01)



『チャリング・クロス街 84番地』

●● ところで、『チャリング・クロス街 84番地 』という本を御存知でしょうか。「書物を愛する人のための本」という副題のついた、書簡体小説です(ヘレーン・ハンフ著、江藤淳訳、中公文庫)。第2次大戦後の 1949年、ニューヨークに住む脚本家のヘレーンが、新聞の広告で見つけたロンドンの古書店・マークス社に宛てて、古書を注文する手紙を書きます。誠実な対応をした古書店と、以来 20年にわたる文通が続くことになります。そのマークス古書店の住所が、「チャリング・クロス街 84番地」というわけです。(シャーロック・ホームズの「ベーカー街 221番地」を思い出させますが、古書店が立ち並んだチャーリング・クロス街というのは、日本で言えば 神田神保町 ということになるでしょうか)。
 この実話の、実際にやりとりをした 往復書簡集 が 1970年にアメリカで出版されると、何の劇的な筋立てもない この小説が ベストセラーとなり、舞台で上演され、さらに 1986年に 同名の 映画 にもなりました(日本未公開)。アン・バンクロフトがヘレーンを、アンソニー・ホプキンスが マークス古書店の古参店員を演じています。地味な内容ですが、本も映画も、心に沁みる、静かな感銘を与えてくれます。本の好きな人には、DVD か、どちらかを 読む(見る)ことを お勧めします。(アマゾンで買えます)

古書の愉しみ 8. マルグリット『 七日物語 (エプタメロン)

『エプタメロン』

● 「古書の愉しみ」の第8回は、前回に続いて フランスの 「挿絵本」を採りあげます。建築書ではありません。 ただし前回の「青い鳥」とは、さまざまな意味で対照的な「七日物語(エプタメロン)」です。15世紀、フランス王家に生まれて、スペインのナヴァーレ王と再婚したことから ナヴァーレ王妃・マルグリット と呼ばれる、当時有数の知識人であった閨秀作家が書いた 艶笑譚集です。 これに 20世紀のフランスの挿絵画家・シェリ・エルアールが、ポシュワールによるエロティックな挿絵を描いて、魅力的な本にしました。ここをクリック すると、「エプタメロン」のページに とびますので、お読みください。   (2011/11/01)


ヒンドゥ教の建築

●● 今から18年前に、ジョージ・ミシェル の『ヒンドゥ教の建築』を翻訳して、鹿島出版から出版しました。(当時は発音を間違えて、ジョージ・ミッチェルと書いてしまいましたが。)彼はその後も 精力的に本を書き、共著を含めれば 数十冊の本を出版しています。世界で最も活躍するインド建築史家と言えるでしょう。そのジョージが、友人のアメリカ人の建築史家、ジョン・フリッツとともに来日し、先週、私の事務所を訪ねてくれました。彼が今書いているのは、イスラーム時代のインドの ヒンドゥ教やジャイナ教の寺院建築の本で、今まで誰も手をつけていなかったテーマだと言っていました。
一方日本では、私の本がマフィアの妨害で出版されないこと、日本の建築界は本当にひどい状態になっていること、などを説明すると、たいへん驚いていました。イギリスやアメリカの建築界に、次第に話が伝わっていくことでしょう。

古書の愉しみ 7. メーテルリンク『 青い鳥 』

『青い鳥』

● 「古書の愉しみ」のページは、今まで6回にわたってジェイムズ・ファーガソンの本をはじめ、硬い建築史の本ばかりを採りあげてきました。そこで、しばらく建築の専門書を離れて、純然たる「古書の愉しみ」にふけろうと思います。まず採りあげるのは、メーテルリンクの『青い鳥』です。おそらく誰でもが知っている、チルチルとミチルの兄妹が 青い鳥を求めて夢の世界を旅する という物語です。 あまりにも有名なこの話は、子供向けの「絵本」として世界中で無数に出版されてきましたが、今回採りあげるのは 子供向けの「絵本」ではなく、大人向けの「挿絵本」です。「絵本」とはちがう「挿絵本」とは何か。それを、すべての図版ページとともに紹介します。 ここをクリック すると、「青い鳥」のページに とびます。   (2011/10/01)

古書の愉しみ 6. ファーガソン『 歴史的探究 』

『歴史的探究』

● 「古書の愉しみ」の第6回は、またまた ジェイムズ・ファーガソンの本です。前回紹介した『フリーマン建築史』と同年の 1849年に出版された『芸術、とりわけ建築美に関する 正しい原理への歴史的探究(An Historical Inquiry into the True Principles of Beauty in Art, more Especially with Reference to Architecture)』です。 最初に「世界建築史」を書いたのは誰だろうか、という問いに対する、私なりの回答編というわけです。 ここをクリック すると、そのページに とびます。   (2011/08/20)

古書の愉しみ 5. 『フリーマン建築史 』

フリーマン建築史

● 「古書の愉しみ」の第5回は、ファーガソンの『世界建築史』よりも もっと早く書かれた「世界建築史」です。後にイギリスを代表する歴史家となる エドワード・オーガスタス・フリーマン が、弱冠 24歳で書いた、『建築史』 なので、ここでは第3回の『フレッチャー建築史』にならって、『フリーマン建築史』と呼ぶことにします。 ここをクリック すると、そのページに とびます。   (2011/07/10)

ブハラの 「 サーマーン朝の廟 」

ブハラ

● 『イスラーム建築 』の本は、あいかわらず出版されていません。 大震災のあと、「日本は ひとつ」というような標語が だいぶ流れましたが、日本の建築界は ひとつどころか、ますますマフィアに分断・支配されていて、人々は 人間的な言葉ひとつ 発することができなくなっています。『イスラーム建築』の、出版契約さえ無視して 出版拒否をしている 彰国社 ばかりでなく、マフィアを恐れて(あるいはマフィアとつるんでいて)、言論や出版の自由を守ろうともしない 日本のすべての出版社も、私の本を 出そうとはしません。
さらに、多くの友人にも裏切られました。(よくまあ、あんな生き方ができるものだ とも思います)。でも、そうした人たちは、その後 たいした仕事をしなくなってしまいました。 心に 後ろめたさたが残る生き方をしていると、(もっと大袈裟に言えば、悪魔に 魂を売り渡してしまうと)、その言説にも 作品にも、筋の通った主張が できなくなってしまうのでしょう。 (サラリーマンで、そういう生き方に耐え切れずに、会社を辞めていく人も、時には いますが)。
そこで 今回は、『イスラーム建築』 の第1章「イスラーム建築の名作」の中から、「ブハラのサーマーン朝の廟」(ウズベキスタン)を、『世界のイスラーム建築』のサイトの 同名ページに載せました。 この 10世紀初めの廟は小品ながら、以後の中央アジアからインドにかけて 大発展する廟建築の先駆となった、重要な建物です。お読みになりたい方は ここをクリック してください。   (2011/05/15)



●● 春、ゴールデンウィークも終わって、大震災や原発の被害が一段落とは とても言えませんが、大学は やや遅れて新学期が始まりました。 新しい気持ちで 建築を学ぼうとしている「建築科」や「建築学科」の学生諸君には、このHPの中の、「原術へ」 のページの「解題」を ぜひ読んでほしい。そして「文化の翻訳」、「何をプロフェスするのか」、「あいまいな日本の建築家」を読んで、「アーキテクチュア」とか「アーキテクト」の意味を知ってほしい。そして これらについて、友人と議論してほしい、と願っています。

古書の愉しみ 3. 『 フレッチャー建築史 』

『フレッチャー建築史』

● 「古書の愉しみ」の第3回は、ファーガソンの『世界建築史』と覇を競った、『フレッチャー建築史』です。フレッチャーの死後も改定を重ねて、現在 第 20版が出ていますが、ここでは 古書としての第5版と、その邦訳版を採りあげます。ここをクリック すると、フレッチャーのページに とびます。   (2011/04/24)

古書の愉しみ 2.  ファーガソンの『 世界建築史 』

『世界建築史』

● 「古書の愉しみ」の第2回は、前回と同じく ジェイムズ・ファーガソンの本で、『インドと東方の建築史』と並ぶ主著の『世界建築史』す。まだ東アジアや中南米が不十分だったとはいえ、ひとつの著作の中に 世界中の建築が大量の図版とともに詳解された、最初の建築史の書物です。
 ファーガソンの発音は、正しくはファーガスンですが、日本における慣例で(たぶん綴りが -son なので)、ファーガソンと書くことになっています。シンプスンが シンプソンと書かれるのと同様です。しかしながら、かつてジェームズと綴られたのが、今ではジェイムズと正しく書かれるようになったように、スンというのが日本人にとって発音しにくいわけではないので、今に ファーガスンと表記されるように なるかもしれませんが、今のところ 私の本とHPでは、慣用に従って ファーガソンと表記することにしています。ここをクリック すると そのページに とびます。   (2011/03/01)

中東の市民革命エジプト

タハリール広場

● 中東が、今 大きく揺れています。チュニジアで始まった 市民による 政治的異議申し立ては、エジプトやイエメン、そして湾岸諸国に広まり、さらに リビアとアルジェリアを揺すぶっています。 エジプトでは、ついに 市民による民主化革命が成就し、2月11日に ムバラク政権が倒れました。乾杯です。
 私が 初めてエジプトに行ったのは 1977年末から 78年始めにかけてですから、もう 33年前のことです。 当時 エジプトの大統領だったサダトが、中東和平のために 歴史的なエルサレム訪問をした直後だったので、カイロ市民をはじめ エジプト人は、誰もが興奮ぎみの明るい顔で それを祝い、外国人の私にも 誰かれとなく「サダトの行動を どう思う?」と問いかけては、素晴らしいでしょうと、誇らしい 祝祭気分になっているようでした。
 4回にわたる中東戦争で国は疲弊し、人々が厭戦気分に満ちていたところに、やっと 平和への希望を与えられたからです。サダトは イスラエルのベギン首相とともに ノーベル平和賞を受賞しましたが、しかしイスラエルとの和解は、逆にパレスチナへの裏切りとも見なされ、3年後の 1981年に暗殺されてしまいました。 この時、副大統領からの繰上げで大統領になったのが、ムバラクです。 サダト政権末期は 国民から離反し、ひどい状態だったので、ムバラクならば もっと良くなるのではないか、と 期待もされました。

 ところが それから 30年間、ムバラクは政権に居座り続けました。ひとつの政権が 10年も続けば 腐敗するのは当然です。まして 30年ともなれば どんなことになるか。30年前には、トルコとエジプトは 似たような印象の国でした。つまり、典型的な後進国で、貧しさが目につき、すべてが うまく機能していない という印象でした。 ところが それから 30年の間に トルコは着実に発展し、今では欧州連合(EU)の一員になろうとしています。停滞するエジプトとの差は 歴然としてしまい、カイロの街の 相変わらずの汚さと対比的な、現在のトルコの街々の 日本並みの清潔さには 驚くばかりです。その差は、ムバラクによる 政権維持のための圧制と、自由への抑圧が もたらした結果でしょう。今、エジプトの人々はムバラクを倒して、あの 33年前と同じ 熱気と祝祭気分に包まれているに ちがいありません。

 今回の市民革命の中心地となったのは カイロのタハリール広場ですが、ここから ヒルトン・ホテルとエジプト博物館に囲まれた 広大なオープン・スペースが、タハリール広場に含めて呼ばれることが多く、33年前には、それは巨大なバス・ターミナルとなっていました。ある日、ここからバスで 南の郊外に行きましたが、帰ってくる時 バスに乗りかけて、念のため、このバスはタハリール広場に行きますねと、運転手に尋ねました。ところが彼は 私が何を言っているのか わからず、私が 何度 タハリール・スクエアと言っても通じず、まわりの乗客も 困惑と恐怖の表情を浮かべるばかりです。

 そのうちに一人の乗客が、あ、もしかすると この人は、タハリール広場のことを言っているのではないか、と言うと、人々は、そうだ タハリールだ、タハリールだ と口々に言って、一斉に安堵の胸をなでおろし、明るい顔をとりもどしました。で、私も安心して乗り込むと、笑顔の乗客が、「あんた、タハリールじゃないよ、タハリールだよ」と言うのですが、私には、その違いが 全く わかりません。まあ、外国を旅していると、こういうことは よくある笑い話です。
 で、終点のタハリール広場で バスを降りて歩いていくと、一人の若者が追いかけてきて、私に英語で話しかけてきました。同じバスに乗っていたらしく、「さっきは、不快な思いをさせてしまって、たいへん申し訳ありませんでした。皆、悪気があったわけでは ないのです。ただ 外国人の発音に慣れないもので、あんなことを してしまったのです。本当に すみませんでした」と言って、しきりに謝るのです。私は 思わず笑ってしまいましたが、外国で こんなことは よくあるとはいえ、その私の失敗を 自分たちの罪のように考えて、現地の人が謝りに来た というのは、後にも先にも この時だけです。エジプト人というのは、何と心優しい、良い人たちなんだろう、と思ったものです。

 その 心優しく 温和なエジプトの民衆が、市民革命を起こすとは! 実に大きな驚きでした。一方、私の住む日本では、羊のように おとなしい日本人が、マフィアの横暴に何の抵抗もせず、むしろ その手先になったり、その おこぼれに あずかって生きているような姿は、見るに耐えません。こうした中東のイスラーム国の、紛争ではない、平和な文化としての『イスラーム建築』の本を書いても、出版社は マフィアの圧力によって、出版契約も無視して、出版拒否を続ける ありさまです。
 現在はリビアで、市民革命が成就寸前です。その動きは、さらに中東全体に広がりそうです。そうした民主革命の成功のあとにも、大いなる困難が待ち受けているでしょうが、先人の言ったように、「未来の世代に属する人たちが、人間の生活から、すべての悪、すべての抑圧、すべての暴力を拭い去り、そして そのすべてを享受するように」と、願わずには いられません。    (2011/03/10)

古書の愉しみ 1. 『インドと東方の建築史』

『 インドと東方の建築史 』

● 長年 インドやイスラームの建築を研究していると、新刊書ばかりでなく、多くの古書を蒐集してしまうことになります。インド建築史やイスラーム建築史が研究され始めたのは19世紀半ばなので、200年以上前の本というのはありませんが、100年前、150年前に出版された本というのは 珍しくありません。19世紀には現在のような写真製版がなかったので、中の図版は銅版画や石版画、木版画でなされました。 表紙が革装の美しい本もあり、単に読むだけではない、古美術品のような趣も呈します。
 一般に 古書の話は文学書に傾きがちですが、このサイトでは、インドやイスラームの建築書を シリーズで紹介していくことにしました。本の内容もさることながら、ヴィジュアルな造本や装幀についても 詳しく扱おうと思います。世の中は、紙の本からディジタル本へと移行する動きが活発ですが、図版のたくさん入った本には、ディジタル本にはない、「もの」としての紙の本の魅力があります。それらを所有することは、愛書家にとっての 無上の喜びでしょう。「古書の愉しみ」と題する所以です。
 とりあげる古書は、インド建築史を最初に体系化した ジェイムズ・ファーガソンを研究してきた関係上、彼の著書を多く所蔵していますので、当分は 彼の本が中心になります。 そこで 当然のことながら、第1回は ファーガソンの『インドと東方の建築史』です。 ここをクリック すると そのページに とびますので、今から 100年以上も前に出版された古書をご覧ください。   (2011/02/01)

謹賀新年 2011

レギスターン広場

● 今年もまた、昨年と同じ挨拶で始まります。 『イスラーム建築 』 の本は、彰国社が4年にわたって出版拒否をしていますので、いまだに出版されていません。建築界は相変わらず腐りきったままで、沈滞ムードにあるのは、経済の停滞からくる ばかりではありません。東大は村松伸 准教授(生産技術研究所)の無法行為を容認したままですので、私が彼から依頼されて書いた「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」を収録する『建築史家たちのアジア「発見」』も、原稿を渡してから9年半になりますが、いまだに出版されていません(風響社)。
 彰国社は、「ビジュアル版・建築入門」(編集代表・布野修司)の第 1、2巻も出版しません。私が 編集部からの依頼で執筆した「エローラーのカイラーサ寺院」(藤森照信 編集担当の第1巻に収載)と、「ヒンドゥ建築」(中川武 編集担当の第2巻に収載)との原稿を渡してから、もう 10年になります。これらすべてが 出版契約無視、どんなに催促されようと非難されようと、マフィアの命令である以上、出版社は 平然と出版拒否を続けるのです。また、私が翻訳した、イスラーム建築史の最良の本『イスラムの建築文化』も再版されず、どこの出版社もマフィアの要請に応えてスクラムを組み、神谷の本は決して出さないと決めているので、この大政翼賛会の下、言論弾圧は徹底しています。建築界の人間は皆、マフィアを恐れて 沈黙するのみです。
 そういうわけで、日本における イスラーム建築への一般の理解は、諸外国にくらべて遅れるばかりですが、今月は、『世界のイスラーム建築』のサイトに、『イスラーム建築』の第1章「イスラーム建築の名作」の中から、「サマルカンドのレギスターン広場複合体」を転載することにしました。サマルカンドは ブハラ、ヒヴァと並んで、中央アジアで 最もイスラームの建築遺産の多い街で、レギスターン広場の写真は、誰でも一度は見たことがあるでしょう。 ここをクリック すると、そのページに とびます。   (2011/01/01)

アルメニアの音楽 など

アラックス

● 前に、アルメニアの歌手 を断続的に紹介していましたが、長い中断のあと、久しぶりに新しい CDを紹介します。今回は 歌手というよりは器楽のグループで、ベルギーの アラックス(ARAX)という名のグループで、アルメニア人の男4人、女1人の編成です。チェロやフルートやギターなど 西洋楽器を用いますが、中心になるのは、ヴァルダン・ホヴァニシアンによる ドゥドゥク という、アルメニアの民族楽器です。オーボエに似た木管の縦笛で、実に繊細で 哀愁に満ちた音色を奏でます。私は昔 ブロックフレーテ(リコーダー)で バッハなどのバロック音楽を吹いていましたので、アルメニアに行った時に試みてみましたが、ドゥドゥクは 音を出すのが はるかにむずかしく、買ってくるのを あきらめました。
 アラックスのホームページは こちら です。この「クロッシング」(CROSSING)と題するアルバムには 12曲が収められていて、その内2曲に、ローラ・ウォーターズという女性歌手が加わっています。 この2曲は 実に しっとりと心にしみいる、泣けるほどに美しい曲です。この CDは CD BABY という ウェブ・ショップで 安く買うことができます(CDでも、ダウンロードでも)。アマゾン でも 買えるようになりました。 アルバムの中の 2曲 "Ashxaroums" と "Khnki tsar" は、ユーチューブで聴くことができますので、試みてください(どちらも、歌のない曲ですが)。

● アルメニア音楽に のめりこんでから6年。毎晩 寝る前には アルメニアの歌を聴くのが習慣となって、今も続いています。CDは 70枚ほども溜まりました。 その中で、私にとっての ベストの歌手と曲を あげると、次のようになります(ただし、女性歌手だけですが)。[ ] はアルバム名で、トップの3人は、2曲ずつです。
     ■ ロズィ・アルメン (Sar Tarter と、Hove)[Rosy Armen]
     ■ ヘギーネ (Gisherain Yert と、Iriknamut)[Heghine]
     ■ リリット・カラペティアン (Legenda o Tebe と、Bud's so Mnoy)[Shala la la]
     ■ アラクシア・ヴァルデレシアン (Tou im Sroum est)[Veradardz]
     ■ エレメント (Sareri Hovin Mernem)[Yev o Phe]
     ■ エミー (Mi Pah)[Emmy]
     ■ ザヒル・ババヤン (Cilicia)[The Road to ...]
     ■ アラクシヤ・カラペティヤン (Huso Argast)[With my Voice]
     ■ クリスティーヌ・ペペリヤン (Kgnam)[About Me]
     ■ フーシェレ (Yeraz)[Provenance]
 何度も書きましたが、アルメニア人は悲劇の民族なので、その苦難の歴史を反映して、多くの歌の根底には 深い悲しみが流れているように思えます。これらの歌を、一枚の音楽 CDにまとめてみました(昔はテープで編集したものですが、今は パソコンで簡単に音楽 CDが作れるようになりました。 便利になったものです)。これらの歌のはいった 元の CDアルバムの多くは、今では入手困難になっていますので、これを是非聴きたいという方は、メールで ご連絡ください。CDのコピーを お送りします。



ざくろの色

●● 映画芸術の愛好家なら、パラジャーノフ の名作、『ざくろの色』という映画を ご存知でしょう。DVDが売切れとなって、中古 DVD市場では えらく高い値段がついていましたが、このたび、やっと新版が デジタル・リマスター版として発売され、入手しやすくなりました。
 映画監督の セルゲイ・パラジャーノフというのは ロシア風の名ですが、本来の名を サルキス・パラジャニアンという、アルメニア人です(アルメニア人の姓は、アンを語尾とすることが多い)。18世紀のアルメニアの詩人、サヤト・ノヴァの生涯を描いた この映画は、演劇的であるよりは 絵画的な映画として、そのきわめて美しい画面構成によって世界中から賞賛された、映画史上に残る傑作です。
 しかし、その超現実的ともいえる象徴的な手法は、あまりにも前衛的であるとして ソ連の保守層には理解されず、映画は上映禁止とされ、危険思想の持ち主として 政府から激しい弾圧を受け、投獄されること3回に及びました。映画制作の機会を奪われ、生涯に4本の映画しか完成させることができなかったといいます。
 それは タルコフスキーと似た境涯であり、また 今回 ノーベル平和賞を受賞しながら、投獄されたまま、その授賞式にも出席できなかった 中国の人権活動家、劉暁波(リウ・シアオポー)氏とも 共通する 悲運の人生です。私のHP『アレクサンドル・ゲルツェンとロシアの風景』に、もう一つの風景として書くべき人でした。

 そうした彼の美術家としての作品集としては、フランスで行われた彼の展覧会の 図録 がありますが、実物が見られる 彼の私設美術館 が、アルメニアの首都 イェレヴァン にあることは、あまり知られていません。それは、彼が世を去った翌年の 1991年に 自宅を改装して、彼の作品のみを展示する美術館としたものです。2階建ての小さな美術館ですが、所狭しと飾られた、それら 自由奔放な興味深い作品群を見ていると、時のたつのを忘れます。上に、サイト上の展示をしましたので、各写真をクリックして ご覧ください。(『アルメニアの建築』のサイトの、「アルメニア雑纂」 のページに移設しました。 (2013/01/01)

続・パキスタン建築紀行 」と、モスクの形

バードシャーヒ・モスク

● 9年ぶりに パキスタン に行ってきました。短期間の旅でしたが、ラホールのイスラーム建築や、インダス文明の遺跡を 撮影し直してきました。インドの経済的躍進と比べて、パキスタンは対テロ戦争や政情不安、そして この夏の大洪水による災害もあって、経済的には沈滞しています。古建築もスモッグに覆われて悲しげでしたが、簡単な報告を、9年前の「 パキスタン建築紀行」に、続編として付け加えました。ここをクリック して お読みください。    (2010/12/01)

「 インド・イスラーム建築史 」の完結

ラージプート

● 新潮社の改訂版『新潮世界美術辞典』の項目による「インド・イスラーム建築史」は、前回の「ムガル時代」に引き続いて、「その他の項目」および「イスラーム以後のインド建築」の項目 を加えて 完結しました。写真は全部で 110点あまりを、新規に スキャンしたことになります。
 また、ページのトップに「索引」として表をつけ、どの項目にもワン・クリックで飛べるようにし、さらに 解説文中の項目名からも ワン・クリックで すぐさま その説明を読めるようにしました。まさに リンクの網による「ウェブ辞典」といった体裁になりました。 (ただし、Mozilla Firefox を ウェブ・ブラウザにしている場合は、「索引」から各項目へのリンクが働きませんが。) ここをクリック すると、そのページにとびます。『新潮世界美術辞典』の改訂版は、来年出版の予定ということです。   (2010/11/01)


アウン・サン・スーチー

●● ミャンマー(ビルマ)では 非暴力民主化運動の指導者である アウン・サン・スーチー さんが、1991年に ノーベル平和賞 を受賞しながら、1989年以来、一時的に解放されたことはあるものの、軍事政権によって拘禁され続けています。 夫である英国人 マイケル・アリス氏が 1999年にガンで死去した時も、氏の入国要請を軍政は認めず、スーチーさんは 一旦 出国すると 再び国に戻ることができなくなることを予想して、ついに再会することができなかったといいます。国際世論がいくら軍政を非難しても、スーチーさんの 自宅軟禁 は解かれず、ひたすら忍の一字を余儀なくされています。
 しかし日本でも、マフィアによる言論弾圧出版妨害 が続いていて、メールや電話の盗聴は日常茶飯事、建築界の人間は マフィアが恐くて 口もきけず、出版社や新聞社、放送局や大学までが マフィアと つるんでいるのですから、中国やビルマの情況と たいした違いは ありませんが。   (2010/11/21)

「 娘義太夫 」と 神代初美

星と輝き

●「娘義太夫」というのを ご存知でしょうか。女、それも若い娘が語る義太夫、また その語り手を 娘義太夫 あるいは女義と言います。義太夫というのは、太棹の三味線を伴奏とする音楽の一ジャンルですが、「歌」ではなく、主として人形芝居の「語り」として発展しました。(西洋の芸能には「歌」しかありませんが、イスラーム世界では、「歌」のほかに「語り物芸」がありました。)
 室町時代に「牛若丸と浄瑠璃姫の恋物語」が大流行したので、いつしか そうした語り物全体が 浄瑠璃 と呼ばれるようになりました。近世になって次々と生まれた流派に、清元、常磐津、新内などがあるものの、最も人気を得たのは、近松門左衛門の台本を 竹本義太夫 が語った調子なので 義太夫節と呼ばれる流派です。 大阪の人形浄瑠璃である「文楽」は、今も昔も 義太夫節で語られます。
 舞台で義太夫を語るのは、昔のシェークスピア劇や、現在に至る歌舞伎の俳優の場合と同じく、歴史的な禁制があって、男性のみと されてきました。 それが明治になってある程度自由化され、人形芝居からは独立した形の「素浄瑠璃(すじょうるり )」として、女性も舞台で「語る」ようになり、それを「女浄瑠璃」とか「娘義太夫」と呼びました(現在では、年齢に関係なく「女流義太夫」と言います)。

 最近、『星と輝き 花と咲き』(松井今朝子著、講談社刊)という小説が出、それは明治 20年に 竹本彩之助(あやのすけ )という 娘浄瑠璃の大スターが誕生し、かつてのビートルズや美空ひばりのような 熱狂的な支持を受けたのですが、その 23才で引退するまでを描いた小説だと聞いて、すぐに手が出て 読みました。 2〜3年前にも、文楽の太夫になるべく修行する若者を描いた 『仏果を得ず』(三浦しおん著、双葉社刊)という小説が出たときにも、すぐ読みました。
 どちらも軽い読み物ですが、どうして こういう本に手が出るかというと、私は かつて長いこと 文楽ファンだったからです。それは学生時代に始まり、竹本越路太夫(四代目 1914 -2002)のファンとなり、三宅坂の国立劇場で文楽公演がある時には いつも越路太夫の語りを聴きに行きました。で、1989年に越路太夫が引退すると、次第に足が遠のき(人形師の出遣いが やたらと多くなったことも 原因の一つですが)、近年は ほとんど文楽を見に行っていません。それでも 越路太夫の語りを録音したCDを、時おり聴くことがあります。

● 一方、私は一度だけ、娘義太夫を聴いたことがあります。今を去ること 40年、国立劇場の民俗芸能公演シリーズで、日本の民俗劇と人形芝居の系譜、「淡路の人形芝居」の公演においてです。淡路島における人形浄瑠璃は 大阪の文楽のもとになった とも言われ、現在に至るまで 人形芝居が盛んで上演しています。島における伝統芸能ゆえの人不足からか、淡路では 女性も舞台にあがります。その観劇時の日記を さがしてみましたら、当日のことが 次のように書いてありました。

 「国立劇場へ 淡路の人形芝居を見に行く。民族芸能とは言うものの、あまりの うまさに、文楽を見ているような気になる。第1幕の、中国を舞台にした荒唐無稽な物語は(玉藻前曦袂 たまものまえ あさひのたもと)人形も大きく、動きも派手で たいへん面白い。高齢者ばかりで 滅亡の寸前と言われているのに、若い太夫や人形師が出ていたのは、よそからの応援だろうか。
 第2幕は日本に舞台を移し、新派悲劇的に泣かせる場だが、この時 床に出てきた太夫が 若い女性だったので、これは まずい、と思った。ところが 始まってみると素晴らしく、声もよく訓練されていて、言葉も聴き取りやすく、たいへんな熱演である。 歳は 20代前半でもあろうか、神代 初美という娘浄瑠璃師に、僕は すっかり心を奪われてしまった。義太夫と謡曲は男でなければ駄目だ という僕の偏見をすっかり崩してしまった。彼女の 凛々しい 語り口に、僕の眼は 人形の動きよりも 彼女の方に向けられることが多かった。
 最後の段で、三味線にまわった時の、周囲から自分を隔離させるような様子の彼女の姿は、何か貴いものに思われてならなかった。夏目漱石の『三四郎』には、当時の大学生が 娘義太夫に熱中するありさまが描かれているが、その心情が、今日 はじめて解った。」

(この時の 神代初美の義太夫の録音があったら、もう一度聴きたいものです。)

娘義太夫

● 娘義太夫の 明治から現代までを、徹底的に資料をあたって書かれた本に『娘義太夫』(水野悠子著、中公新書)があります。小説のあとで これを読むと、なかなか面白い。「知られざる芸能史」、「スキャンダルと文化のあいだ」と、二つも副題がついていて、実に懇切に 女流義太夫の盛衰が描かれ、最終章では 日本近代における女性問題の一端ととらえて論じています。ただ、娘義太夫がずっと演じられてきた 淡路の人形芝居について 何も触れていないのは、少々腑に落ちませんが。
 「娘義太夫って、何だろう?」と思われる方、これらの本の一読を お勧めします。そして、東京の国立劇場、大阪の国立文楽劇場、淡路島の人形芝居を ぜひ見に行ってください。私にとって義太夫は、素浄瑠璃よりも、あくまでも演劇としての人形芝居の「語り」であるからです。 (2010/10/01)

辞典項目による「 インド・イスラーム建築史 」

新潮美術辞典

● 今年の冬、新潮社の『新潮世界美術辞典』の改訂稿を執筆していました。 この辞典が出版されたのは 1985年のことですから、もう 25年も前のことです。世界的に見ても優れた美術辞典だと思いますが、25年間 まったく改訂をしていなかったので、少々内容が古くなってしまいました。特にイスラーム美術やコロニアル美術の項は、当時は十分な扱いを受けていません。私は インドのイスラームと その後の建築の項の改訂を担当しました。
 その辞典項目を時代順に並べると、簡潔な「インド・イスラーム建築史」となることに気がつきました。今回 出版社の了解を得て、多くの写真を加えながら ここに掲載することとしました。項目相互の つながりを 重視して執筆しましたが、もともと一つの論文でもないので、少々不連続な流れは ご寛容を。 『新潮世界美術辞典』の改訂版は、来年出版の予定ということです。ここをクリック すると、そのページにとびます。
 インドのイスラーム建築の歴史は、デリーに イスラーム政権が誕生して以後、ムガル朝成立までの 各地の スルタン朝下における、300年にわたる「中世後期」と、ムガル朝がインドの大部分を支配した、やはり 300年にわたる「近世」とに二分されます。今回は 前者に含まれる項目をアップしますので、直線的な歴史の流れであるよりは、並列的な各地の 地方様式 ということになります。ムガル建築ばかりが取り上げられがちな インド・イスラーム建築においては、初心者には 少々物珍しく感じられる内容かもしれません。 この続きの近世ムガル朝時代の項目は、来月 アップする予定です。  (2010/09/01)

スルタンハヌキャラヴァンサライ(隊商宿)

スルタンハヌ

● 夏 たけなわですが、『イスラーム建築 』 の本は、あいかわらず出版されていません。どうぞ、出版社(彰国社)に強く抗議してください。
 今月は その第1章 「イスラーム建築の名作」 の中から、トルコの スルタンハヌにある「キャラヴァンサライ」を、『世界のイスラーム建築』のサイトの同名ページに載せます。 キャラヴァンサライ(隊商宿)というのは、鉄道ができる以前の街道に設けられていた、交易のための隊商の宿泊施設で、イスラーム世界で最も発展しました。特に オスマントルコ時代に アナトリア地方に多く建設され、その地理的位置が 情報活動上でも重要なものは、スルタンによって 国営施設としてつくられました。その場合には名前も スルタンハーン(王立隊商宿)と名づけられます(キャラバンサライ は、トルコ語では ケルヴァンサラユ あるいは(むしろ)ハーンと呼ばれました)。スルタンによるもので 特に名高いものは二つあり、ひとつは コンヤ〜アクサライ間の街道、もうひとつは カイセリ〜スィワス間の街道にあり、今回紹介するのは、アクサライの近くの スルタンハーンです。お読みになりたい方は ここをクリック してください。   (2010/08/05)

『 建築と社会 』7月号の 「インドの石 」

バラーバル丘の石窟寺院

● 関西の建築関連団体に「日本建築協会」というのがあります。大正 6年に「関西建築協会」として設立された、90年の歴史をもつ老舗団体です。 当初は 関西の建築家を大同団結しようとする組織でしたが、次第に 広く建築・建設関係のゆるい団体となったようです。その機関誌『建築と社会』の 7月号が、「建築と石」という特集をしています。執筆者は、長尾重武、三宅理一、神谷武夫、渡辺明次、倉片俊輔、竹内良雄、新見隆、黒田龍二の諸氏です。
私は「インドの石」と題して、インド最初の石窟寺院であるバラーバル丘の石窟寺院と、タージ・マハル廟などの白大理石のドーム屋根について書きました。お読みになりたい方は ここをクリック してください。  (2010/07/11)

スペインイスファハーン

ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ

● 毎月1日か2日に、この「お知らせ」欄に 新しい記事を載せるようにしていますが、しばらく スペインに行っていたために、今月の初めには 書くことができませんでした。ポアされたわけでは ありません。22年ぶりに訪れたスペインは、その後 オリンピックや万博を経て高度経済成長を遂げ、EUに統合されて、ずいぶんと様変わりしました。当時は 物価の安い旅行者天国で、ひなびた町や村を 存分に旅することができましたが、今はそういうわけにいきません。それに 観光客の激増で規制が厳しくなり、有名なところは 写真を撮るのも むづかしくなっています。撮影禁止、三脚使用禁止、常時閉鎖、曜日や時間による入場制限、バスの本数減、タクシー代の高騰 等々で、持っていったフィルムの三分の一は 使わずじまいでした。
 今回の旅行の目的は、スペインのイスラーム史跡を しらみつぶしに探訪して 撮影することでしたが、そのルート上にある ロマネスク建築も若干再訪しました。ところがロマネスクの修道院や聖堂は 大都市から離れたところにあることが多く、訪ねるのが 大変に困難な状況となっているので、今では 若者がロマネスク行脚をするのも むずかしく、ロマネスクの素晴らしさに 目覚めることもないでしょう。思えば、私は 世界の どの国へも 一番良い頃に旅をしたようです。もちろん当時も大変でしたが、ゾディアック叢書で調べたロマネスク建築を スペイン、フランス、イタリアと存分に見て回って、大きな感動を得たものでした。現在の 混雑をきわめるアルバンブラ宮殿でさえ、25年前には 三脚を使って撮影できたし、入場料も安いものでした。

 スペインは 日本よりも はるかに大きな国土面積をもっていますが、経済や人口の面では 日本よりも小国です。それにもかかわらず、旅行者の目には 日本よりも むしろ豊かに見えます。 それは 町々が美しいからです。ヨーロッパに比べて、日本の都市は醜いと、誰もが そう思うでしょう。 そうなった原因のひとつ、それも大きなひとつは、日本に建築家の制度が確立しなかったからです。建築教育(建設教育ではない)が 工学部で 工学教育の片手間に行われ、建築家は「設計技師」あるいは「ビルダー」としてしか 社会から認識されず、工務店や建設会社が設計部をもち、設計部員が社会への貢献よりは 会社の利益のために働き、「建築」という言葉が「アーキテクチュア」ではなく「ビルディング」や「コンストラクション」の意味に定義され、設計事務所は営利企業の株式会社となり、建築書(工学書ではない)が 書店の理工学書売り場に置かれるために一般の人の目にふれず、そもそも 私の書いた建築書は マフィアの妨害によって 出版さえも妨害され、建築界の人間は 誰もがマフィアを恐れて押し黙ったままという、こんな国で 美しい都市が造られるはずも ありません。
 日本の建築界(建設界ではない)は、じきに 韓国や中国やインドに追い抜かれるばかりでなく、早晩 崩壊するのではないでしょうか。近年の建築雑誌を見ていても、その流れは明らかです。そして 私が最も危惧するのは、このマフィアが支配する建築界の構図が 次第に世界に輸出され、将来、世界から 建築家が いなくなってしまうのではないか、ということです。
 スペインを旅行中に、日本の首相は 鳩山由紀夫氏から 菅直人氏に変わっていました。小沢一郎氏も退陣して、民主党が 当初の期待にそった クリーンな政党になり、国民への目線を堅持することになりそうなのは、喜ばしいことです。この閉塞した日本の社会も いよいよ変わっていくかもしれない という期待を、いくらかでも持たせてくれます。それに比べて、日本の建築界には 一向に改革の動きが現れず、マフィアの支配に黙したまま 自滅の道を たどろうとしているのは、情けない限り と言うべきでしょう。  (2010/06/16)



イスファハーンの王のモスク

●● 私の書いた本『イスラーム建築』は、奥付の 著者略歴欄に 私のホームページのアドレスや住所を載せようと しているから、という 誰にも信じられない理由で、出版社の彰国社が 出版契約も守らずに、出版拒否したままで3年以上が経過しています。 私は非暴力主義者ですから、テロに訴えることはなく、ただ HP 上で、言論によって 世の中に訴えています。で、今回も その第1章「イスラーム建築の名作」から、イスファハーンの「王のモスク」(イスラーム革命によって王制が倒されてからは「イマームのモスク」と呼ばれている)の項を この HP に載せて、本の内容を 皆さんに判断していただきたいと思います。お読みになりたい方は ここをクリック してください。

最近から (細密画入り写本)

古書の来歴

● この小説、ジェラルディン・ブルックスの『古書の来歴』についての記事は、「古書の愉しみ」のテリトリーに 小さな紹介記事として載せました。 ここをクリックして、ご覧ください。



ISLAMIC ART

●● ヨーロッパを旅していると、美術館や修道院が所蔵する 古写本の細密画を見て、写真では十分に伝わらない その美しさに魅了されます。そうした細密画が 最も発展したのは、イスラーム世界だといえましょう。細密画というのは 独立した絵画作品として描かれることもありますが、本来は 本の挿絵として生まれたものです。偶像崇拝が禁止されていることから、モスクやマドラサなど、公的施設、とりわけ宗教建築においては まったく絵画(壁画)がありませんので、絵画は、裕福な人が私室でプライベートに楽しむ 写本の挿絵として描かれました。
 最も盛んだったのはペルシア (イラン) と インドだったと言えます。日本では、そうしたイスラームのミニアチュールに接する機会がないので、あまり知られていません。で、その魅力を知るには、欧米で出版された良い画集を見ることです。 向こうでは沢山の本が出版されていますが、初心者への入門書の決定版 とでもいうべき豪華本が、2年前に出版されました。『イスラーム美術の名作』という本で、イスラームの建築と美術の権威、オレッグ・グラバールが執筆しています。36cm×28cmという大型本に、目の覚めるような すばらしいカラー印刷で 各地方の名作が掲載されています。なかでも、中世アラブの語り物として名高い『マカーマート』につけられた、アル・ワシティの作と伝えられる 13世紀の細密画が 19点も載っているのは圧巻です。(「騙しの長老アブー・ザイド行状記」というべきピカレスク小説の本文の訳は、平凡社・東洋文庫『マカーマート』全3巻に、堀内勝氏の名訳と注で出版されています。)
 この本は、イスラームの細密画とは どんなものか知りたいという方に、最もお勧めです。 本はアマゾンでも買えますが、安く買うには 古書店を さがすことです。私は新品を、送料とも 4,300円で買いました。
MASTERPIECES OF ISLAMIC ART, The Decorated Page from the 8th to the 17th Century : Oleg Grabar, English ed. 2009, Prestel Verlag, Munich, London, New York.



カルパ・スートラ表紙

●●● 「ジャイナ教の建築」の中の「『カルパ・スートラ』の写本」の章は、気軽に書き始めたものの、正確を期すために、所蔵する多くの本を読みながら書いているうちに どんどん長くなり、時間が足りなくなりで、いまだに完成せず、未定稿のまま載せてあります(申し訳ない)。『カルパ・スートラ』という聖典名については、初めて耳にする方が多かったことでしょう。インドに何度か行かれた方は、どこかの美術館で 目にされているはずですが、『カルパ・スートラ』という名前を知らなければ、あまり記憶に残らなかったかもしれません。で、そうした方、あるいは ジャイナ教に興味のある方に、本を紹介しておきます。
 残念ながら『カルパ・スートラ』あるいは ジャイナ教の細密画について、上記のイスラームのミニアチュールの本のような 見ごたえのある美術書というのは、インドでも欧米でも出版されていません。経典としての『カルパ・スートラ』の訳本は、日本では 今から 90年も前に 鈴木重信氏が翻訳して、『耆那教聖典』の中に「聖行経」の題名で、他の聖典とともに収められています。これは改造社が「世界聖典全集」という大規模な出版をしたので 可能になったことです。今でも古書店で入手可能です。英訳本は、K.C. ラルワニ訳 " KALPA SUTRA OF BHADRABAHU SVAMI" が通常 用いられていて、多少の図版が入っています。

カルパ・スートラ

もっと、見ても楽しい『カルパ・スートラ』が 1977年にインドで出版されていたらしく、4年前に新版が出たのを 今年になって初めて知り、取り寄せました。インドにしては きれいな造りの上製本で、プラークリット語の原文と ヒンディー語訳、英語訳が対訳で載せられていて、そこに、ムンバイの プリンス・オヴ・ウェールズ博物館所蔵の 16世紀の古写本『カルパ・スートラ』からの、細密画の複製 36点が貼り込んであります。この複製が 日本の美術印刷並みであれば 申し分ない本になったのですが、残念ながら 少々 写真製版と印刷のレベルが低いのが難点です。
 とはいえ、『カルパ・スートラ』の本を1冊持っていたい、という方には お勧めです。本の大きさは 27 x 14.5cmという横長の本で、古写本のように、ページを下から上に めくっていきます。私は古書店で、送料とも 3,100円で買ったのですが、しかし今 調べてみると、4年前の本だというのに、アマゾンその他、現在はインターネット上で この本を扱っているサイトは無いようです。入手希望の方は、インドに行った時に さがしてみてください。現地なら 1,500円 くらいで買えるでしょう。
KALPASUTRA : Mahopadhyaya Vinayasagar (ed. and tr. to Hindi), Mukund Lath (tr. to English), Chandramani Singh (on Paintings), 3rd ed. 2006, Prakrit Bharati Academy, 440pp.



バルビエ表紙

●●●● ヨーロッパにおける 細密画入り写本の伝統を受け継いでいるのは、文学者と画家の組み合わせによる、近代の「挿絵本」です。オーブリー・ビアズリーの絵で飾られた ワイルドの『サロメ』や、ウィリアム・モリスのケルムスコット本で バーン・ジョーンズが挿絵を描いた『チョーサー作品集』は、19世紀末の最高傑作に数えられます。しかし それらは いずれもモノクロの絵であって、カラーの挿絵が普及するのは アール・デコ(1925年に展覧会)の時代です。それを代表するのが、日本の浮世絵版画の影響を強く受けたフランスの画家、ジョルジュ・バルビエ (1882-1932) です。彼は ファッション画で名をなしましたが、私は むしろ彼の挿絵本に魅了されます。ゲランの 『散文詩』、ピエール・ルイスの『ビリチスの歌』、ラクロの『危険な関係』、アンリ・ド・レニエの『ラ・ドゥーブル・メートレス』など、約 30冊の挿絵本を制作しました。これらは一種の「写本」と言うこともでき、いずれも 半ば手製なので、小部数の出版でした。
 荒俣宏氏や鹿島茂氏は、こうした 19世紀末から 20世紀初めのフランスの挿絵画家たちを 著書で紹介していますが、その最高の画家であると 誰もが認めるバルビエについて、あまり詳しくは書いていません。その原因は、バルビエに関する評伝や研究書が 1冊も出版されていなかったからです。挿絵画家やファッション画家は 二流の芸術家と見なされていたのでしょう。近年 彼らの再評価が進み、特にバルビエは 2008年から 2009年にかけて、イタリアの ヴェネチア市立美術館で回顧展が行われ、その記念に出版されたのが、この本です。バルビエについての 最初のまとまった本で、『ジョルジュ・バルビエ、アール・デコの誕生』と題され、10人の研究者が執筆し、多くの作品がカラーで掲載されています。優雅で、ちょっとエロティックな現代の「細密画」の作品集として、お勧めです。アマゾンは こちら をご覧ください。古書店をさがすと、もっと安く買えます。     (2010/05/01)
GEORGE BARBIER, The Birth of Art Deco : Barbara Martorelli (ed.), 2009, Marsilio, Musei Civici Veneziani, 28 x 21cm-176pp.

『 カルパ・スートラ 』の写本と、 < 株式会社 >

カルパ・スートラ

● 昨年の春に、アンドレア・マルコロンゴという イタリアの修復建築家からメールがきて、ラーナクプルのアーディナータ寺院 の実測をして、精巧なCAD図面にまとめたという。その主要なものを 論文とともに送ってくれたのを見て、図面の美しさに感銘を受けました。そこで、もし彼が希望するなら、私のホームページの中の「ジャイナ教の建築」のページに、それを紹介するスペースを提供する と申し出たところ、彼は喜んで、ぜひそうしたいとのことでした。ところが、またしても マフィアから圧力がかかり(彼らは すべての私の電話を盗聴し、メールを盗み見ています)、彼は図面も英訳論文も送ってこず、音信を絶ってしまいました。(こういうことが しばしば起こ るので、こちらは馴れっこになっていて 驚きませんが。)
 そこで、「ジャイナ教の建築」の付録として せっかく用意したスペースは、私が所蔵する『カルパ・スートラ』の写本の紹介に充てることとしました。『カルパ・スートラ』というのは ジャイナ教の聖典で、マハーヴィーラを はじめとする ティールタンカラの伝記を描いたものです。写本には しばしば細密画(ミニアチュール)が描かれていて、インドの絵画史において 重要な役割を果たしました。 インドを旅行していると、各地の美術館で 時々目にするものですが、日本では まずお目にかかることがないものです。
 解説を3月中に書き終えるつもりでいましたが、例によって、書き始めると次第に長くなってしまい(「ジャイナ教の建築」の中で、一番長い章となってしまいました)、時間足らずで まだ未定稿ですが、ここをクリック すると、そのページに とびます。   (2010/04/02)



●● 月遅れの建築雑誌をパラパラとめくっていたら、『新建築』2月号の巻頭エッセイに、建築家の仙田満氏が「創造性を喚起する社会へ」という文を書いているのが目につきました。仙田氏は 日本建築家協会や 日本建築学界の会長も務めた方です。
 建設省をはじめとして、公共建築の設計者(設計事務所)を選ぶのに、設計料の入札で決めていることを嘆いていますが、では、本当に それを なくしたいと思っているのでしょうか。日本では 驚くべきことに、大多数の設計事務所が 株式会社 の形態をとっています(有限会社でも同じことです)。 これは 建築家が、自分の事務所が 営利企業であることを宣言していることになります。こんな国は、日本以外に 世界のどこにもありません。
 設計事務所の人は 工事会社やメーカーを「業者」と呼びますが、官庁では、営利企業のことを「業者」と呼んでいます。そうであれば 株式会社の設計事務所も「営利業者」の扱いになるわけですから、そうした「設計業者」を選定するのに、最低価格で入札をする「会社」を選ぶことに、矛盾はありません。
 病院(医院)や 法律(弁護士)事務所は 株式会社となることはできませんから、「業者」とは呼ばれません。それらは、金儲けを目的とする業務であってはならないからです(そういう、公共に奉仕する業務を、本来は「プロフェッション」と呼びます)。したがって、これらを選定するのに、価格競争の「入札」など しません。また、画家や音楽家のような 芸術家もそうです。彼らは「業者」ではないのですから、価格競争ではなく、その仕事にふさわしい 才能をもった人が選ばれます。
 建築家が、株式会社の社長をやっていながら、弁護士や作曲家の場合と同じように 建築家を選んでほしい というのは、筋が通りません。仙田氏の事務所も、株式会社なのでは ないでしょうか。

 「私たち建築家 および建築関係者は 日本を「創造性を喚起するシステムを持つ国」 に変えるべく、粘り強く発言し続けていかねばならない」と、本当に そう思っているなら、まず 株式会社であることを やめるべきです。建築家を設計料の 入札で選ぶ(つまり、最も設計の手を抜く、と表明する設計事務所を選ぶ)という、世界のどこにもない、日本だけの堕落したシステムは、大多数の設計事務所が株式会社であるという、世界のどこにもない 堕落したシステムに 対応しているのです。
 春、4月となって、大学も 新学期が始まりました。新しい気持ちで 建築を学ぼうとしている「建築科」や「建築学科」の学生諸君は、このHPの中の、「原術へ」のページの「解題」を ぜひ読んでほしい。そして「文化の翻訳」、「何をプロフェスするのか」、「あいまいな日本の建築家」を読んで、「アーキテクチュア」とか「アーキテクト」の意味を知ってほしい。そして これらについて、友人と議論してほしい、と願っています。

 どうぞ、何でも ご意見をお寄せください。メールはこちらまで kamiya@t.email.ne.jp

「 エルサレム岩のドーム 」

岩のドーム

● 今月もまた 『イスラーム建築 』の第1章「イスラーム建築の名作」 の中から、「エルサレムの 岩のドーム (イスラエル) を、『世界のイスラーム建築』のサイトの 同名ページに載せることにしました。これは、イスラームが誕生してから、最初に建てられた本格的なイスラーム建築です。しかしモスクではなく、キリスト教の殉教者廟にならった 円堂(ロトンダ)で、太古からエルサレムの神殿の丘(モリアの丘)にあった「岩」の上に、ドーム屋根を架けたものです。その岩というのは、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教ともに先祖と認めるアブラハム(イブラーヒーム)が 息子イサクを神への犠牲として捧げようとした岩であり、また『クルアーン』の中で 預言者ムハンマドが「夜の旅」をして、そこから天へ昇天したという伝説の岩です。私が訪れたのは、もう 24年も前のことですが、当時も今も パレスチナは紛争地で、安定した平和は訪れません。こういう世界は、いったい いつまで続くのでしょうか? ここをクリック すると、「岩のドーム」のページにとびます。   (2010/03/01)

● 出版拒否が続いている間に、当の出版社から、火事場泥棒のようにして 本を出す人がいるのには 驚きました。

「 イブン・トゥールーン・モスク 」

カイロ

● 『イスラーム建築 』の本は、あいかわらず出版されていません。 そこで 今月も その第1章「イスラーム建築の名作」の中から、「イブン・トゥールーン・モスク (カイロ) を、『世界のイスラーム建築』のサイトの同名ページに載せました。エジプトのイスラーム建築というのは、ほとんどが首都のカイロにあり、その数は膨大です。その中で 現存最古のモスクが イブン・トゥールーン・モスクです。また、「マリのイスラーム建築」で、ジェンネの大モスクのプランの もととなったと書いた、アラブ型の列柱ホール・モスクです。 日本の平安時代初期にあたる 9世紀のレンガ造のモスクですが、すっかり修復されて、今も礼拝に使われています。お読みになりたい方は ここをクリック してください。いつか 時間ができたら、「カイロのイスラーム建築」というページを 作りたいと思っています。  (2010/02/01)

謹賀新年 2010

カイラワーン

● 21世紀も 早や10年目にはいりましたが、今年もまた 昨年と同じ挨拶で始まります。『イスラーム建築 』の本は、彰国社が3年にわたって出版拒否をしていますので、いまだに出版されていません。長年続いた自民党政権が民主党政権に変わりましたが、建築界には変化がなく、腐りきったままです。東大は村松伸准教授の無法行為を容認したままですので、私が彼から依頼されて書いた「ジェイムズ・ファーガソンとインド建築」を収録する『建築史家たちのアジア「発見」』も、原稿を渡してから8年以上になりますが、いまだに出版されていません(風響社)。
 また、私が翻訳した、イスラーム建築史の最良の本『イスラムの建築文化』は、長いこと絶版になっているために入手困難で、古書店で 10万円もの値段がついています。 そこで、需要にこたえるべく、もっとサイズを小さくした廉価版を出版してほしいと、鹿島出版会に 4年前から頼んでありますが、一向に実現しません。 建築界の人間は皆、マフィアを恐れて沈黙しています。 実は、建築界だけでは ないのです。マフィアの圧力は日本の あらゆる分野に及んでいますので、一般書の出版社でさえも 手出しができないのです。 北朝鮮の全体主義を非難できるような国では ありません。
 そういうわけで、日本におけるイスラーム建築への一般の理解は、諸外国にくらべて遅れるばかりですが、今月は、『世界のイスラーム建築』のサイトに、『イスラーム建築』 の第1章 「イスラーム建築の名作」の中から、「カイラワーンの大モスク」を転載することにしました。カイラワーンはチュニジアの京都ともいうべく、建築遺産の多い古都で、私の好きな町です。その中でも 大モスク(シディ・ウクバ・モスク)は、イスラーム初期の重要なモスクです。 ここをクリック すると、そのページに とびます。   (2010/01/01)



コナーラク

●● TBSテレビで 毎週 日曜日に放映されている『 THE 世界遺産 』のシリーズ番組で、11月に「タージ・マハルとアーグラ城」の監修をしましたが、続けて インドの「コナーラクの太陽神寺院」の監修をしています。この HPのトップ・ページの写真としても使っている、スーリヤ寺院です。「ユネスコ世界遺産」の中の コナーラクのページは こちら を ご覧ください。TVの放映は、今月、1月 24日の夕方6時です。   (2010/01/10)


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