● この HPの「インドのユネスコ世界遺産」のサイトには、ユネスコに登録されたインドの文化遺産のうち、すべての 建築遺産 を紹介していましたが、新規に登録されたものは、ムンバイの 「チャトラパティ・シヴァージー駅舎」 でストップしていました。実は 2007年にデリー城が登録されたときに、それを書き始めたのですが、単に城だけでなくデリーの都市の歴史まで書こうとしたら、それを調べることに時間を費やしてしまい、途中まで書いたところで中断してしまいました。いったん中断すると、なかなか再開できないもので、ずっと そのままになってしまいました。何とかしなければいけないと、やっと腰をあげて、今回 最後まで書きあげました。 ここをクリック すると、「インドのユネスコ世界遺産」 の 『 デリー城(レッド・フォート)』 のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /12/ 01) ●● フェイスブック に、インド建築とイスラーム建築の「フェイスブック・ページ」をもっています。どちらにも 「写真アルバム」 があり、それぞれ週に一枚、建築写真を載せています。フェイスブックでは これをストックしてくれるので、過去にアップした写真を イスラムは 国別のアルバムで、インドは テーマ別のアルバムで、見ることができます(写真だけで、解説はありませんが。)現在は、『イスラム建築』は「チュニジアの建築」を、『インド建築』は「仏教建築」を、延々と続けています。
フェイスブックに アカウント登録をしている方は、それぞれのページの一番上にある「いいね」ボタン を 押すと、毎週一枚ずつ、新しい写真が届くことになります。HPの『神谷武夫とインドの建築』や『世界のイスラーム建築』のトップページの「いいね」ボタンを押しても同じです。 (2014 /12/ 15)
● 「古書の愉しみ」の第25回 「私家版『イスラーム建築』」に書いたように、『イスラーム建築』の印刷のために買った エプソンのプリンター において、インクに関するエプソンの 悪徳商法 のために、ひどい目にあいました。買ったインクの半分が、印刷に使われずに「 廃インク吸収パッド」に捨てられて、どんどん新しいインク・カートリッジを買わされるのです。(限定 100部を印刷するために、全部で 50万円インクを買ったうち、半分の 25万円分は、ドブに捨てたられたことになります。廃インク吸収パッドが 何と10回も満杯になり、その都度 未吸収のものに交換したのです。)そのために、本の頒価も高くなってしまいました。 100冊の印刷が終わった8月初旬以降は、このプリンターをほとんど使っていませんが、それまでは 「廃インク吸収パッド」の交換をするたびに、インクを印刷に使わずに捨てる理由を説明するようエプソンに求め続けました。しかし エプソンの社員は誰一人としてそれを説明せず(できず)、現在調査中であるとか 問い合わせ中であるとか言い逃れをして、現在に至るまで、一切の説明をしていません(金もうけのために、消費者をだましてインクを捨てさせ、新しいインクを ジャンジャン買わせるためだ、などとは白状できず、さりとて、もっともらしい嘘の説明を でっちあげることもできないわけです)。 私に問い詰められた一人一人の社員は、心の中では これが 会社の悪事 だと知っても、会社を告発することはできず、会社をかばうために 自分の良心を犠牲にして、嘘をつき続ける わけです。これが会社への「忠」であり、封建時代のサムライの立場と似たようなものであって、これが「武士道」の倫理の成れの果てかと思うと、何とも やりきれません。 エプソンの対応のいくつかは「私家版『イスラーム建築』」のページに載せましたが、大岩根 という社員は、「廃インク吸収パッド」を2〜3回交換した頃に電話をしてきて、自分がこの件の責任者だから、損害を弁償するなり何なり、自分が責任をもって解決する、と大見得をきっておきながら、上司に一喝されるや、結局何もせずに、説明責任からも逃げ回っていました。 こちらは 100部の印刷がすべて終わって、「廃インク吸収パッド」の交換をすることもなくなり、エプソンの下請けの修理員も来なくなったので、もう 何も言わずにいました。
すると1週間ばかりたった頃に、エプソンの代理人たる「国広総合法律事務所」の中村という 弁護士 から郵便がきて、私からの苦情で エプソンの担当者(大岩根)が「深刻な精神的打撃を被っている」ので、私からエプソンへは一切 直接連絡をしないよう、「本件に関して通知、連絡、申し出等がある場合には、当職らに対し書面をもって行うように」 と言ってきました。そして、「本件に関しましては、現在、通知人(エプソン)において 解析作業 を進めているところであり、解析作業が得られた時点で、貴殿宛に 書面にて回答いたしますので、今暫くお待ちいただきたい」と書いていますが、この通知が来たのは8月1日です。
●●● エプソンの代理人たる 国広綜合法律事務所の 中村弁護士 から 10月22日に、2回目の郵便がきました。 エプソンによる 「調査報告書」 と称する2枚の紙を送ってきたのです。 「新渡戸稲造の『武士道』 」のページに書いたように、エプソンが一向に「解析作業」の結果の「書面」を送ってきていないということを知って、それでは 弁護士が 嘘をついたことになるので、急遽 エプソンに書かせて、弁護士サイドから送ってきたわけです。ところが その内容たるや、私のエプソン・プリンターと同程度の使い方をエプソン社内でしてみたら、確かに たくさんのインクが「廃インク・パッド」に捨てられることを確認したので、私のものは故障ではなく正常だ、というのです。当たり前じゃないか。 そのように 悪事をはたらくよう 設計されているのだから。 なぜ インクの半分も、印刷に使わずに 無駄に捨てるのか、という 最初からの問いには まったく答えない(答えられない)わけです。これが、5ヵ月も 費やした「解析作業」の結果だとは、滑稽 というほかは ありません。 説明責任 も果たさずに こんなものを送ってくるとは、日本の弁護士も 地に堕ちたものです。(正義と人権を守るという 弁護士のプロフェッション は どこに行ったのか?)
(2014 /11/ 01)
● 前回の「古書の愉しみ」に 新渡戸稲造の『武士道』について書いたあと、その昔 読んだ、杉本鉞子(すぎもと えつこ)の『武士の娘』を思い出しました。当時の「筑摩叢書」の大岩美代訳で読みましたが、大変に面白かったので、後に 挿絵入りの英文初版をアメリカの古書店から購入しました。ざっと見たあと 書架に仕舞ったままになっていたのを、今回 引っぱり出して読み初めたら、日本人にとっては読みやすい英語なので、全編を通読しました。今から 80年前に出版された この本の 装幀や挿絵について、「古書の愉しみ」の第 28回として、簡単に紹介しましたので、興味のある方は、ここをクリック して ご覧ください。
(2014 /11/ 01)
● 前回の「古書の愉しみ」は 岡倉覚三の、『茶の本』をはじめとする英文三部作を紹介しましたが、明治の日本人で、英語の著作を外国で出版した人といえば、誰しも、岡倉覚三と並んで 内村鑑三と 新渡戸稲造を思い浮かべることでしょう。今回は、岡倉の本より わずかに早く出版された、新渡戸稲造の、有名な『武士道』を採りあげます。岡倉の英文三部作の初版を入手したあと、新渡戸の 『武士道』 も架蔵したくなって調べたら、英文の初版は『東洋の理想』よりも3年早い 1900年(明治33)に フィラデルフィアのビーズ&リドル社から出版されたのですが、これは入手困難で、ほとんど古書市場にも出ません。それでも折にふれてチェックしていると、米国版の直後に、日本の出版社の 裳華房 (しょうかぼう) が 原出版社から版権を買いとったらしく、英文のままで 同年のうちに国内出版しています。そして、わりと保存のよいものがアメリカの古書店にあることを知り、これを入手しました。ここをクリック すると、「新渡戸稲造の 『武士道』」 のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /10/ 03)
● 私家版『イスラーム建築』は、印刷(コピー)するのにたいへん時間がかかりますので、前の 50冊を製本に出したあとも、ずっと印刷を続けていました。8月初旬に 次の 50冊分の増刷ができましたので、それに折りをいれて 製本に出し、末日に やっと出来あがりました。これで、私家版『イスラーム建築』は、全部で 100部の 限定出版 ということになりました(これ以上 増刷することはありません)。その内の 90冊が頒布用です。ご希望の方は、私家版『イスラーム建築』のページをご覧の上、メールで神谷までご連絡ください。 (2014 /09/ 01)
● 「古書の愉しみ」の第 26回は、岡倉覚三の『茶の本』を採り上げました。岡倉覚三は、「天心」の雅号で知られていますが、本の著者名は、本名の「覚三」です。 彼の生前の著書は全部で 3冊ですが(『東洋の理想』、『日本の覚醒』、『茶の本』)すべて英語で書かれ、今から100年ほど前に イギリスやアメリカで出版されました。ずっと後になって 日本語に翻訳され、特に『茶の本』は、今では 10種類以上の翻訳が 出版されています。 私のところには 英文の初版本 が 3冊ともありますので、それらがどんな造本と装幀で出版されたのかを、詳しく紹介します。 ここをクリック すると、「岡倉覚三の『茶の本』」 のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /09/ 01)
● 遅ればせながら、若杉冽(わかすぎ れつ)の 『原発ホワイトアウト』(講談社、2013)を読み終わりました。これは 原子力発電所の再稼働 をテーマにした小説ですが、建設マフィアに並ぶ 電力マフィアの実態と行動を 実にリアルに描いていて、非常に興味深く読めました。 おりしも原子力規制委員会は 9月10日に、九州電力の川内(せんだい)原発が新規制基準を満たしているとする「審査書」を出しました。日本は再び、悪夢の道を突き進むのか。 この小説は、全国民の必読書と思います。
「著者、若杉冽氏が明かす“モンスターシステム”とは」 (2014 /09/ 11)
● 続いて、橋本英樹(埼玉県熊谷市の見性院住職)の『お寺の収支報告書』(祥伝社 2014)を読みました。私はインド建築やイスラーム建築など、宗教と深く関係する歴史的建築文化を研究してきましたが、それにつけても、日本仏教の堕落ぶりに、本当に情けない思いをしてきました。その昔読んだ 岩波新書『仏陀を背負いて街頭へ』の妹尾義郎以後、日本仏教を改革しようとする人が 全く現れない らしいことに 絶望していましたが、この本を読んで、現代的で合理的、かつ 本当の仏教をめざして活動する 橋本英樹 師の豪快な記述と主張に 深い感銘を受けました。もしかすると、まだ日本仏教にも未来があるのかもしれないと、思わされます。願わくは、橋本さんのあとを追いかける若い仏教者が 続々と現れることを。 Amazon 『お寺の収支報告書』 (2014 /09/ 12)
● 北インドのパンジャーブ州に、シク教 の聖地、アムリトサル の都があります。そこには大きな池 アムリト・サーガル(甘露の池)があり、その中央に浮かぶように ハリ・マンディル(神の寺院)が建っています。日本の金閣寺のように金箔で覆われているので、俗に ゴールデン・テンプル(黄金寺院)と呼ばれています。ここには巡礼者のための無料の食堂があり、ボランティアの信者たちが、毎日 10万人分の食事を作って提供しています。これを見て感動したベルギー人 フィリップ・ウィチェスと ヴァレリー・ベルトー夫妻が ドキュメンタリー映画『聖者たちの食卓』を作り、2年前の東京国際映画祭では ドキュメンタリー部門のグランプリを受賞しました。これを 小映画館ながら、渋谷の アップリンク で 9月27日から、商業上映することになりました。(その後、全国各地で。)映画には説明が ほとんどなく、ゴールデン・テンプルや調理風景などの映像が 坦々と写し出されているばかりなので、9月28日(日)の 1時の回の上映のあと、2時5分から 30分ばかり、私が寺院建築の説明をし、質問にも応じることになりました。
● 「古書の愉しみ」の第 25回は、私の第7冊目の本、第 21回で採りあげた『イスラーム建築、その魅力と特質』を、再び採り上げます。というのは、何度も書いているとおり、これはマフィアの圧力によって 全ての出版社が出版拒否をして「幻の本」となってしまいましたが、たった一部だけ ゲラ刷りが残りましたので、これを両面コピー(印刷)して 手製本することによって、ついに 私家版『イスラーム建築』として、典雅な布装本の 実際の書物にすることが できたからです。全部で 50冊作りましたので、保存用の 10冊を除いた 40冊を、御希望の方に 実費(1万円)でお頒けすることにしました。 ここをクリック すると、「私家版 『イスラーム建築、その魅力と特質』 」 のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /07/ 06)
● 「古書の愉しみ」の第 24回は、私が最初に出した本、アンリ・スチールラン著、神谷武夫訳の 『イスラムの建築文化』 を採りあげます。『イスラムの建築文化』の初版が原書房から出版されたのは、今から 27年前の 1987年 11月ですから、それほどの古書ではないのですが、原書房はその 2年 3ヵか月後の 1990年 2月に増刷し、その半年後に普及版を出した後は まったく増刷していませんので、これもまた 今では入手困難な「稀覯書」になってしまいました。そこで、本の内容と造本を、この『古書の愉しみ』の第 24回として 紹介しておこうと思います。 ここをクリック すると、「アンリ・スチールランの『イスラムの建築文化』」のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /06/ 01)
● 書棚の引き出しの中味を整理していたら、今から 23年も前に『建設通信新聞』の神子さんに慫慂されて書いた、「アジアの建築」という記事のコピーが出てきました。そういえば、この随想は HPに載せたことがなかったな、と思いながら読み返してみると、まだ 『インド建築案内』 も書いていなかった頃のもので、将来の 出版に対する夢 のようなことを、しかし正論として書いているので、現在とは やや状況が違い、いささか古すぎるという気がしないでもないですが、今月は これを再録することにしました。ここをクリック すると、「アジアの建築」 のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /05/ 01)
● 「古書の愉しみ」 の第 23回は、今から 130年近く前に出版された豪華本、ギュスターヴ・ル・ボンの『インドの文明』を採りあげます。フランス人のギュスターヴ・ル・ボンは不思議な人で、著作家としての出発時に図版のたくさん入った『アラブ人の文明』や『インドの文明』を出しているのに、その後は『群集心理』で代表されるような 社会心理学の本を多く書き、インド文化やイスラーム文化とは ほとんど縁がありませんでした。『インドの文明』は、イギリスのインド政府考古調査局による報告書を別にすれば、19世紀におけるインド関係の出版物の中では、最も豪華な本です。 ここをクリック すると、「ギュスターヴ・ル・ボンの『インドの文明』」のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /04/ 01)
● 「古書の愉しみ」の第 22回は、そのタイトルにふさわしい、ヨーロッパの長い造本芸術 (Relieur, Bookbinding) の歴史上にある、2冊の美しい ハーフ・レザー の古書を採りあげます。本は、近代フランスの詩人を代表する二人、ポール・ヴェルレーヌ (1844-1895) とアルチュール・ランボー (1854-1891) の詩集です。前者は、19世紀の「典型的なデカダンスの詩人」と評されたりする ヴェルレーヌの最も名高い詩集『叡智』で(『知恵』とも訳されます)、獄舎で回心してカトリック教徒となった詩人の、透明な心境を詠ったものです。入獄の原因となったのは、若いランボーとの同性愛、逃避行、そして発砲事件でした。そのランボーの散文詩集としては『地獄の一季節』と『イリュミナシオン』の 2冊がありますが、それ以外の彼の韻文詩作品のすべてという意味で『全詩編』と題されているのが、後者です。 2冊とも 偶然ながら、今から約 90年前の 1925年に出版された古書ですが、それよりも ずっと後になって モロッコ革で製本された、まるで新品のように きれいな書物です。要するに私は、稀書・珍品・初版本のコレクターというのではなく、「美しい本」を求める「愛書家」だということです。 ここをクリック すると、「ヴェルレーヌの『 叡智 』と ランボーの『 全詩編 』」のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /03/ 02)
● 「 『イスラーム建築 』の本は、あいかわらず出版されていません。と言うより、どこの出版社も マフィアの要請に応えて、私の本の出版を拒否していますので、この『イスラーム建築』の出版は、ほとんど 絶望的になりました。」と この「お知らせ欄」に書いたのは、1年半前のことです。その本来の出版元の彰国社で『イスラーム建築』の編集を担当した三宅氏は 数年前に退職していますが(三宅氏は取締役でしたから、定年があったわけでもないでしょうが)、かつて どうしても出さなかった色校のゲラ刷りを(印刷会社から彰国社へは 3部提出されていました)、処分してしまう前に 一部だけ 引き渡してくれました。その後、あとの2部は 会社が破棄してしまったそうなので、今では これだけが、『イスラーム建築』という本の印刷内容を伝える、唯一の「形見」となってしまいました。で、最近になって、もう(どこの出版社も言論の自由、出版の自由を守ろうとしない)堕落した この国で、この本が出版される可能性はないのですから、この 唯一残されたゲラ刷りを全部スキャンして、HP上で公開しておくのも、日本の建築界と出版界の腐敗を記録しておく 一つの手段かなと思い至りました。それを、やや奇妙な話ながら、「古書の愉しみ」のページに載せることにしたのです。といっても、すべてを読めるように できるわけではありません。ただ、全ページのレイアウトを示して、そのヴィジュアルな内容を見てもらい、こういう、日本人に縁遠かった イスラーム文化を理解する上で有用な、イスラーム建築 の概説書が出版されないことが いかに理不尽なことかを知ってもらえるでしょう。ここをクリック すると、『 イスラーム建築 その魅力と特質』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2014 /02/ 01)
● 昨年の 「謹賀新年 2013」で、「アルメニアの建築
そういうわけで、アルメニアの建築を紹介するサイトとして、次にやるべきは、周辺国(グルジア、トルコ、イラン)におけるアルメニア聖堂の写真をスキャンして、地図とともにアップロードすることでしょう。特別な支障が起きないかぎり、今年1年をかけて、それをやり遂げたいと思っています。アルメニア建築に関心をもつ人は、インドやイスラームに比べて、ずっと少人数でしょうが、私の言う 「建築の原型」としてのアルメニア聖堂を記録しておくことは、是非とも必要なことと考えます。今回、海外の人のために、英語版のサイト も作りました。
さて、『アルメニアの建築』のサイトの 当初の予定としては、『神谷武夫とインドの建築』、『世界のイスラーム建築』におけるのと同じような、詳細な「文献目録」を作成するつもりでしたが、そこまでの需要は あまりなさそうなので、むしろ アルメニア建築についての代表的な本を順に採りあげて、詳しく紹介するほうが良いのではないかと思うに至りました。そこで、第1回として、最もヴィジュアルで 見るに楽しく、しかも豊富な実測図が載っていて 学術的にも大きな価値のある『アルメニア建築ドキュメント』(ミラノ工科大学建築学部 + アルメニア共和国科学アカデミー編)のシリーズを採りあげることにしました。アルメニア建築に深い興味を抱いた方は、このシリーズの本を1冊でも多く買いそろえることをお勧めします。ここをクリック すると、『アルメニア建築ドキュメント』のサイトに とびます。 (2014 /01/ 01)
● 前回の「古書の愉しみ」で『シトー会の美術』を採りあげましたが、 1978年にこの本を購入してから、ひと通り翻訳をしました。ところが、まだ これを推敲する前に、次第に『イスラムの建築文化』の翻訳にシフトしてしまいましたので、翻訳草稿は机の中に仕舞われたままに なってしまいました。今後も 私の本は マフィアの圧力で出版されませんので、この機会に アンセルム・ディミエ による総論部分だけを、今回の 「古書の愉しみ」で公開することにしました。ここをクリック すると、『 シトー会の美術 (翻訳)』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2013 /12/ 01)
● 前回の「古書の愉しみ」で『堀辰雄全集』 を採りあげた折に、江川書房版の『聖家族』に代表される「純粋造本」が、建築でいえば シトー会の修道院 にあたると書きました。時々私が シトー会の建築に触れるわりには、それが実際にどんなものかを詳しくは書いていませんので、「古書の愉しみ」の第 19回は、それほど古い本ではありませんが、ロマネスクの美術と建築の一大シリーズ、「ゾディアック叢書」の中の『シトー会の美術 』、フランス編と ヨーロッパ編の 2冊を採りあげることにしました。フランス編の初版が出版されたのは 1962年ですから、前回の『堀辰雄全集』の 4年後のことです。今から半世紀前になりますから、その後の、カラー写真満載の大型本に比べれば 確かに 古めかしい古書ですが、シトー会の修道院建築を紹介した本としては、今でも最も優れたものと言うことができ、私の愛蔵書です。 ここをクリック すると、『 シトー会の美術 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2013 /11/ 01)
● スタジオ・ジブリの『 風立ちぬ』が、宮崎駿 監督の 最後の 長編アニメーション映画になってしまいそうだ ということが 話題になっています。DVDになったら買おうと思っていたので、まだ 私は見ていませんが、これは 戦前の同時代を生きた、ゼロ戦の設計者の 堀越二郎 と、「風立ちぬ」を書いた小説家の 堀辰雄 とを 重ね合わせてモデルとしたストーリーだそうです。 これに事寄せて、「古書の愉しみ」の第 18回は、『 堀辰雄全集 』 を採りあげました。 建築書ではありませんが、私が今までに手に取った和書の中で、最も美しい造本・装幀の本です。ここをクリック すると、今から半世紀以上前の 1958年に出版された 新潮社版『 堀辰雄全集 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2013 /10/ 01)
● 「古書の愉しみ」の第 17回は、今から 200年近く前の 1817年に最初に出版された、トマス・リックマンの『 英国建築様式を判別する試み 』で、その 1825年の第3版、仔牛革装の やや 派手な製本の書です。オーガスタス・ウェルビー・ピュージンの『キリスト教建築の正しい原理』と並んで、イギリスの ゴチック・リヴァイヴァル の牽引役となった トマス・リックマンの この本は、ジェイムズ・ファーガスンが建築史研究を始めた当時、最も影響を受けた書物で、リックマンにならって、インドの建築、そして世界の建築の様式分類をしていきました。 ここをクリック すると、『英国建築様式を判別する試み 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2013 /09/ 01)
● 「古書の愉しみ」の第 16回は、全3巻の革装本です。フランスのゴチック建築の修復建築家であった ヴィオレ・ル・デュクの『 建築講話 』です。復刻版は何度か出版されていますが、オリジナルは 上巻と図版集が 今から ちょうど 150年前の 1863年に、下巻は その9年後の 1872年に出版されました。修復の体験とその理論化については彼の主著『中世建築事典』全 10巻が
ありますので、これは ヴィオレ・ル・デュクの建築論 と見ることができます。鋼版画と 木口木版の図版がたくさん入った 魅力的な本です。 ここをクリック すると、『 建築講話 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2013 /08/ 01)
● この 2年あまり、「アラブの春」と呼ばれた 中東の政治・社会情勢が、今も揺れ続けています。チュニジアで始まった 市民による異議申し立ては エジプト、リビア、アルジェリアから、現在はトルコにおよんで イスタンブルやアンカラで首相退陣要求デモが続いていますが、イランでは選挙によって、平和裏に穏健派のロウハニ氏が 新大統領に選ばれました。その中東における近代建築というのは、日本ではまったく知られていませんが、ハッサン・ファティ(1900-89)という エジプトの建築家が 大きな役割を果たしました。現在 再び騒然としているエジプトの情勢にちなんで、『世界のイスラーム建築』のサイトの「イスラーム建築入門」の章に、「ハッサン・ファティの仕事」というページを付け加えました。これは、中東に劣らず腐敗した日本の、マフィアの圧力のもとで、すべての出版社が 足並みそろえて 出版拒否している 拙著『イスラーム建築』の 第5章、「イスラーム建築と現代」の中の一部分です。 小さな紹介記事ですが、ここをクリック すると、「ハッサン・ファティの仕事」のページに とびますので、興味のある方は ご覧ください。 (2013 /07/ 01)
● 「古書の愉しみ」の第 15回は、前回と同じように古書の復刻版です。今は稀覯本となっている、ウェンディンゲン版と ヴァスムート版の『 フランク・ロイド・ライト作品集 』です。オリジナルのヴァスムート版は今から 100年ほど前の 1910年にベルリンで出版されました。ウェンデインゲン版は今から 88年前の 1925年にオランダで出版されました。ライトの 初期の作品集である ヴァスムート版の図版の多くを描いたのは、マリオン・マホニー・グリフィンという、長くライトの助手を勤めた女性建築家でした。 ここから、前回のジェシー・マリオン・キングの挿絵本との ひそかな関連をあぶりだします。 ここをクリック すると、『 フランク・ロイド・ライト作品集 』のページに とびますので、興味のある方はご覧ください。 (2013 /06/ 01)
● しばらくぶりに、「古書の愉しみ」のページに、新しい1冊を加えました。建築書ではなく、挿絵本です。以前に取り上げた挿絵本は いずれもフランスの本でしたが、今回は イギリスの挿絵画家、ジェシー・マリオン・キング による『 幸福な七日間 』 (セヴン・ハピイ・デイズ) です。
● 日本建築学会の編集で岩波書店から1993年に出版された『建築学用語辞典』という本があります。しかし 全く利用したことがなかったので、いったい どんな辞典だろうかと、1999年の第2版を図書館から借りてきて調べてみたら、これは、『建築大辞典』であるよりも 、建設工学(ビルディング・サイエンス)についての 用語辞典であることがわかりました。どうして 日本では そういうことになるか については、「文化の翻訳―伊東忠太の失敗」に詳しく書いたので、ここで 繰り返すことは しません。ただ、この辞典の ほんの わずかの項目を引いてみただけで、これが 日本の「建築学の英知を結集して 編纂された」辞典かと、目を疑ってしまったので、そのことだけを 書き留めておくことにします。興味のある方は、ここをクリック して、ご覧ください。 (2013 /04/ 01)
● 今まで、イスラーム建築に関する記事で、モスクのタイプに 「アラブ型」、「ペルシア型」、「トルコ型」、「インド型」という名称を使ってきましたが、それらについて詳しく記述したページがないので、消化不良の感じを抱いている方も いると思います。そこで、『世界のイスラーム建築』のサイトの「イスラーム建築入門」の章に、「モスクの分類と典型」というページを付け加えました。これは、すべての出版社が 足並みそろえて 出版拒否している『イスラーム建築』の 第2章 「イスラームの礼拝空間」の中の一部分です。モスクはどのように分類することができるのか ということと、その典型と見なされる 四つの型(タイプ)について、詳しく解説しています。 ここをクリック すると 「モスクの分類と典型」 のページに とびますので、興味のある方は ご覧ください。 (2013 /03/ 01)
● 昨年の秋に、東ヨーロッパの ブルガリア に行ってきました。今までほとんど紹介されることのなかった 東欧のイスラーム建築 の代表として、ブルガリアのイスラーム建築を訪ねて撮影してくるためでした。 ブルガリアは のんびりした国で、非常に物価が安く、まるで「おとぎの国」のようなところでした。 東欧は、長くオスマン帝国に支配されていた時代に無数のモスクやマドラサ、ハンマームやテッケが建てられましたが、19世紀末にオスマン朝が衰退してから東欧の大部分はキリスト教圏にもどり、イスラーム建築の大半は放棄されたり、破壊されたり、他の用途に転用されたりしてしまいましたから、一級品が残っているわけではなく、大きな建築的感動というもののない旅でしたが、東欧のイスラーム建築とは、どんなものかということは良くわかりました。すなわち、ミニチュア版の「オスマン建築」だということです。
● このサイト『神谷武夫とインドの建築』を 最初にインターネットに載せたのは、1997年の 10月ですから、もう 15年も続けていることになります。日本人が建築を学び、あるいは研究するといえば、明治以来、それは もっぱら ヨーロッパと アメリカの建築であったことに反発し、アジアの建築、なかんずく インドの建築を研究してきましたので、インターネット上でも、それを できるだけ詳しく、ヴィジュアルに紹介しようと 思い立ったのです。私が始めた頃には、まだ 充実したホームページというものが 少なかったので、私のHPには ずいぶん多くのアクセスがありました(といっても、インターネット人口自体も 少なかったのですが)。累計で、このサイトへのアクセス数は、30万を超えています。 一方、インドとも イスラームとも ちがう、もう一つの建築分野に、若いときから関心を払ってきました。それは、ロマネスク建築 です。私が最も深く感動した建築のジャンルは、実は ロマネスク建築だったのです。しかし、これは ヨーロッパ建築であり、その研究は「西洋建築史」において、ゴチック建築や バロック建築と並んで、多数の人々によって行われてきましたので、あえて私は 深い研究はせずにいました。ところが、このロマネスク建築と非常に親近性のある アルメニア建築 に引き込まれ、これは日本では ほとんど知られていず、しかも アルメニア本土がソ連邦の一員であったことから、現地の取材や研究も むずかしかったのです。それが、ソ連の崩壊によって、また その直後の、ナゴルノ・カラバフをめぐる アルメニアと隣国アゼルヴァイジャンとの戦争が休戦になって、初めてアルメニアに 自由に取材旅行に行けるようになりました。
アルメニアに すっかり惚れ込んでしまった私は、2004年、2007年、そして2008年の3回、それぞれ3週間ずつ滞在して、アルメニアの ヴァンク(修道院)を訪ねまわり、撮影を してきました。そして、これをまとめて本を出版することを意図したのですが、何度も言うとおり、マフィアの圧力によって、すべての出版社が私の本を出すまいとしていますので、これは不可能となりました。そこで、インターネット上に発表しようと思ったのですが、イスラームとインドに ほとんどの時間を取られ、買い集めたアルメニア建築の書物を じっくりと読む時間もとれず、「お知らせ」欄で予告したきり、いつまでたっても纏まりません。
ある地域の建築を研究する 第一歩というのは、その地域の どこに どんな建物があるのかを明らかにし、記録することです。それがあってこそ、相互の比較研究ができ、他の地域の建築との違いも明らかにでき、また建築史を構成するための 基礎資料ともなるからです。拙著『インド建築案内 』も、HP『世界のイスラーム建築』のサイトの中の 「中国のイスラーム建築」も、そうした意図のもとに 纏めたものです。これらを基にして、若い人たちが インドの建築やイスラーム建築の研究を 発展させてくれることを 大いに期待するものです。
● 月遅れの建築雑誌を パラパラとめくっていたら、『新建築』の10月号に、横河健(横河設計工房)が設計した 「ドナルド・マクドナルド・ハウス・東大」という、奇妙な題名ながら、爽やかな建築作品が 目につきました。 東大病院で手術を受ける難病患者や長期入院患者の 家族のための宿泊施設を、企業メセナによって建てた施設ですが、ここで取り上げるのは、その優れた設計内容ではなく、建築家としての 横河氏の「愚痴」についてです。設計者の横河氏は その作品説明の中で、次のように書いています。(太字引用者)
たいていの建築家は この文章を読んで うなずき、同感の意を示すことでしょう。しかし一般の人が これを読んでも、あまりよく わからないのではないでしょうか。 横河氏は「建築」という言葉を、おおむね「建物」の意で用いているのですから、「建築の竣工式であるにもかかわらず 建築のケの字もなければ」というのが 何を言わんとしているのか、一般の人には 理解しがたいと思います。
今回取りあげるのは、むしろ後半の文にある「建築家と 設計業者の違い」ということ についてです。この問題についても 何度となく書いてきましたので(『原術へ』の「解題」 や、「何をプロフェスするのか」、「あいまいな日本の建築家」)簡単に書きます。 このフレーズで 横河氏が 何を言わんとしているのかというと、自分は建築家であって、設計業者ではない。 それゆえに、この建物の竣工式における「全くの業者扱い」は 心外である、ということでしょう。
では、横河氏は どうなのでしょうか? インターネットで 横河氏を検索すると、株式会社・横河設計工房 の 代表取締役 とあります。つまり、営利企業としての 株式会社の社長であるのですから、まぎれもなく「設計業者」です。設計業者であるのに「業者扱い」に苦情を言う というのは、矛盾しています。もちろん、利潤追求を最大目的としていたのでは、横河氏のような 質の高い設計活動を続けることはできません。そこでは 多分に、利益を犠牲にしてでも、人々のために 質の高い建物を設計しようとする プロフェッション意識に突き動かされている はずです(若い所員の安月給による 経済的犠牲もあることでしょうが)。
以前にも こうした待遇に「愚痴」を言っていた建築家がいたな、と調べてみたら、それは きわめて尊敬すべき建築家の 坂 茂氏でした。『新建築』の 2010年7月号に、国際コンペで選ばれて実現させた、フランスの ポンピドー・センター・メス という美術館を載せた折に 坂氏が書いた解説文においてです。 氏は、
と書いています。これが意味しているのは、フランスでは 建築家の事務所は 株式会社などではありえないし、したがって 世の中から「業者扱い」は されていず、弁護士や医師のような プロフェッション として、また 作曲家や映画監督のような 芸術家 として、認知されていることです。
建築家のプロフェッションの確立のために 最大の寄与をした 前川国男氏でさえも、戦後まもなく 建築士法が成立した時に、単なる税法上の実利から(税理士に勧められて)、前川国男建築設計事務所を 株式会社として、事務所登録 してしまいました(「伊東忠太の失敗」と並ぶ、「前川国男の失敗」と言うべきです)。そこから巣立った 錚々たる建築家たちは、古巣が そうであったのだから、独立時に何の疑問もなく、新しく設立する自分の事務所を 株式会社にしてしまいました。そこから巣立った建築家たちも・・・・ 以下同様で、しかも 現在の日本建築家協会は、さらに それを (設計事務所の株式会社化を)推し進めてきたのですから、「業者扱い」や「設計入札」に、苦情を言うことなど できません。
● 9月から10月にかけて、ブルガリアとトルコに行っていましたので、先月は新しい記事を載せられませんでした。ブルガリア に行ったのは、今まで あまり情報のなかった、東欧のイスラーム建築の調査・撮影のためです。現在、写真を整理中ですが、そのうちに「ブルガリアのイスラーム建築」の報告が できると思いますので、乞う、ご期待。
● 『世界のイスラーム建築』のサイト中の「中国のイスラーム建築」は、知られざる中国の 清真寺(モスク)を 日本で初めて、総合的に紹介するものですが、全部で 86ページにもわたる 長大なものとなりました。 全体を3部構成とし(南部、西部、北部)、さらに それぞれを 前後のパートに分けたにも関わらず(あるいは、そのゆえに)ある地のモスクを探すのに、各章を えんえんとスクロールしなければ なりませんでした。
● 先月(7月2日)、東京都 現代美術館の 学芸担当課長と称する、長谷川裕子さん という人から、次のようなメールが届きました。
ところが、週の前半どころか、後半になっても 一向に電話がなく、メールが来るでもないので、もしかすると 誰かの「いたずらメール」だったのかとも思い、7月13日に、もらったメールが付いたままの、次のような 返信メールを送ってみました。
もし 誰かの「いたずらメール」だったとすれば 当然、そんなメールを 自分は出した覚えはない、自分のメール・アドレスから何から知っている 身近な者の「いたずら」のようだから 調べてみる、とでもいった返事が来るだろう と思っていました。 ところが、何の返事もありません。 でも 考えてみれば、誰かが こんな「いたずらメール」を 私に出しても、何の益もないことです。わたしの返信メールは きちんと届いている ようですから、やはり これは「いたずらメール」などではなく、本人が、東京都 現代美術館の 担当課長 として、私にメールを よこしたのでしょう。
● 『イスラーム建築 』の本は、あいかわらず出版されていません。 と言うより、どこの出版社も マフィアの要請に応えて、私の本の出版を拒否していますので、この『イスラーム建築』の出版は、ほとんど 絶望的になりました。マフィアを恐れて(あるいは マフィアと つるんで)、言論や出版の自由を守ろうともしない 日本の出版界を見るにつけ、(また、その姿勢に同調している新聞社や放送局の姿を見るにつけ)、多くの日本人が非難している中国や北朝鮮や、その他の全体主義的国家による 人権や言論の弾圧 と なんら変わらない この国の状況を見、この国の将来を考える時、暗澹たる気持に ならざるをえません。(東京大学 までマフィアの支配下にあるのですから、新聞やテレビの報道も マフィアの圧力で歪められていることは 自明の理です。)
「アンコール王朝の建築」の下の方に、シェムリアプ市の 風雨橋 の写真を載せ、「中国南部の 三江近辺の少数民族、トン族の 風雨橋 に倣ったものだろう」と書きましたが、何のことやら わからなかった方が 多かったかもしれません。 そこで、「世界建築ギャラリー」のページに、「建築作品」というべき 中国南部のトン族の「風雨橋」を 紹介しておくことに しました。ここをクリック すると、「中国南部の風雨橋」のページに とびますので、興味のある方は ご覧ください。
● 『 インド建築案内 』が、なんと 絶版 になります。この本は、1996年の秋に TOTO出版から、初版1万部で 出版されました。多くの新聞や雑誌で紹介されたこともあって、大評判となり、たちまち 売り切れに近くなりましたので、翌年の春には 第2刷りとして 5,000部が 増刷されました。インド全域の建築作品を 古代から現代まで網羅して カラー写真とともに紹介した本というのは、インドにも 無かったので、2002年に英訳されて、英語版 ("The Guide to the Architecture of the Indian Subcontinent") 1万部が、インドで出版されました。さらに 2003年には、日本で 第3刷りが 4,000部 増刷されました。日本で 建築書が1万部以上売れるというのは 異例なことで、今までに TOTO出版が出した本の中では、第4位の 売れ行き だそうです。 < 古書についての参考事項 > : 初刷り (1996) は「無線綴じ」なので、へビーな使い方をすると、本のページが バラバラに なってきます。でも、インドに よく旅行する方で、旅行の都度、この本の 必要な部分のみを バラして持っていく という人には、初版の方が 却って便利だと言う方も います。第2刷り (1997) から「糸綴じ」になりましたので、相当 乱暴な使用にも耐えます(バラバラに なりません)。第3刷り (2003) には、小口に、辞典のように、州ごとの「見出し」が付いていますので、旅行だけでなく、研究などにも便利です。 古書を購入するときには、巻末の 奥付けで、刷り数(発行年度)を お確かめください。
● 2月に カンボジア に行ってきました。アンコール・ワットを はじめとする アンコール文明の建築と遺跡を撮影するためです。意外に思う方もいるでしょうが、私が アンコールの建築 を訪れたのは、今回が最初です。かつて何度も行こうとしながら 紛争に妨げられて行けず、近年は イスラーム圏を主としていたために、インド圏とは やや縁が薄くなっていたからです。やっと腰を上げて シェム・リアプに行ってみたら、戦火とは はるかに遠く、今では そこは 楽園のようなところでした。 簡単な報告として、「アンコール建築・写真ギャラリー(アンコール王朝の建築)」を作りましたので、興味のある方は、ここをクリック して ご覧ください。 (2012 /03/ 01)
● 今年もまた、昨年と同じ挨拶で事足りますので、ほとんど そのまま 再録します。
● 「古書の愉しみ」の第9回は 建築の古書に戻って、ジョン・ラスキン(1819-1900)の名高い 「建築の七灯」です。ラスキンは美術評論家として出発し、「近世画家論」や「ヴェネツィアの石」を書いて、若くして有名になり、その後も多くの本を出版しました。次第に社会思想家となり、明治時代の日本では、むしろその方面でよく知られていました。「建築の七灯」は彼の最初の完結した本であり、何度も繰り返し重版された建築書です。 ここをクリック すると、今から 100年前に出版された「建築の七灯」のページに とびますので、興味のある方は お読みください。 (2011 /12/ 01)
● 「古書の愉しみ」の第8回は、前回に続いて フランスの 「挿絵本」を採りあげます。建築書ではありません。 ただし前回の「青い鳥」とは、さまざまな意味で対照的な「七日物語(エプタメロン)」です。15世紀、フランス王家に生まれて、スペインのナヴァーレ王と再婚したことから ナヴァーレ王妃・マルグリット と呼ばれる、当時有数の知識人であった閨秀作家が書いた 艶笑譚集です。 これに 20世紀のフランスの挿絵画家・シェリ・エルアールが、ポシュワールによるエロティックな挿絵を描いて、魅力的な本にしました。ここをクリック すると、「エプタメロン」のページに とびますので、お読みください。 (2011 /11/ 01)
●● 今から18年前に、ジョージ・ミシェル の『ヒンドゥ教の建築』を翻訳して、鹿島出版から出版しました。(当時は発音を間違えて、ジョージ・ミッチェルと書いてしまいましたが。)彼はその後も 精力的に本を書き、共著を含めれば 数十冊の本を出版しています。世界で最も活躍するインド建築史家と言えるでしょう。そのジョージが、友人のアメリカ人の建築史家、ジョン・フリッツとともに来日し、先週、私の事務所を訪ねてくれました。彼が今書いているのは、イスラーム時代のインドの ヒンドゥ教やジャイナ教の寺院建築の本で、今まで誰も手をつけていなかったテーマだと言っていました。
● 「古書の愉しみ」のページは、今まで6回にわたってジェイムズ・ファーガスンの本をはじめ、硬い建築史の本ばかりを採りあげてきました。そこで、しばらく建築の専門書を離れて、純然たる「古書の愉しみ」にふけろうと思います。まず採りあげるのは、メーテルリンクの『青い鳥』です。おそらく誰でもが知っている、チルチルとミチルの兄妹が 青い鳥を求めて夢の世界を旅する という物語です。 あまりにも有名なこの話は、子供向けの「絵本」として世界中で無数に出版されてきましたが、今回採りあげるのは 子供向けの「絵本」ではなく、大人向けの「挿絵本」です。「絵本」とはちがう「挿絵本」とは何か。それを、すべての図版ページとともに紹介します。 ここをクリック すると、「青い鳥」のページに とびます。 (2011 /10/ 01)
● 「古書の愉しみ」の第6回は、またまた ジェイムズ・ファーガスンの本です。前回紹介した『フリーマン建築史』と同年の 1849年に出版された『芸術、とりわけ建築美に関する 正しい原理への歴史的探究(An Historical Inquiry into the True Principles of Beauty in Art, more Especially with Reference to Architecture)』です。 最初に「世界建築史」を書いたのは誰だろうか、という問いに対する、私なりの回答編というわけです。 ここをクリック すると、そのページに とびます。 (2011 /08/ 20)
● 「古書の愉しみ」の第5回は、ファーガスンの『世界建築史』よりも もっと早く書かれた「世界建築史」です。後にイギリスを代表する歴史家となる エドワード・オーガスタス・フリーマン が、弱冠 24歳で書いた、『建築史』 なので、ここでは第3回の『フレッチャー建築史』にならって、『フリーマン建築史』と呼ぶことにします。 ここをクリック すると、そのページに とびます。 (2011 /07/ 10)
● 『イスラーム建築 』の本は、あいかわらず出版されていません。 大震災のあと、「日本は ひとつ」というような標語が だいぶ流れましたが、日本の建築界は ひとつどころか、ますますマフィアに分断・支配されていて、人々は 人間的な言葉ひとつ 発することができなくなっています。『イスラーム建築』の、出版契約さえ無視して 出版拒否をしている 彰国社 ばかりでなく、マフィアを恐れて(あるいはマフィアとつるんでいて)、言論や出版の自由を守ろうともしない 日本のすべての出版社も、私の本を 出そうとはしません。
●● 春、ゴールデンウィークも終わって、大震災や原発の被害が一段落とは とても言えませんが、大学は やや遅れて新学期が始まりました。 新しい気持ちで 建築を学ぼうとしている「建築科」や「建築学科」の学生諸君には、このHPの中の、「原術へ」 のページの「解題」を ぜひ読んでほしい。そして「文化の翻訳」、「何をプロフェスするのか」、「あいまいな日本の建築家」を読んで、「アーキテクチュア」とか「アーキテクト」の意味を知ってほしい。そして これらについて、友人と議論してほしい、と願っています。
● 「古書の愉しみ」の第3回は、ファーガスンの『世界建築史』と覇を競った、『フレッチャー建築史』です。フレッチャーの死後も改定を重ねて、現在 第 20版が出ていますが、ここでは 古書としての第5版と、その邦訳版を採りあげます。ここをクリック すると、フレッチャーのページに とびます。 (2011 /04/ 24)
● 「古書の愉しみ」の第2回は、前回と同じく ジェイムズ・ファーガソンの本で、『インドと東方の建築史』と並ぶ主著の『世界建築史』す。まだ東アジアや中南米が不十分だったとはいえ、ひとつの著作の中に 世界中の建築が大量の図版とともに詳解された、最初の建築史の書物です。
「ファーガソン」の表記は、世間の足並みにそろえ、2019年9月に「ファーガスン」に変更しました。 (2019 /09/ 01)
● 中東が、今 大きく揺れています。チュニジアで始まった 市民による 政治的異議申し立ては、エジプトやイエメン、そして湾岸諸国に広まり、さらに リビアとアルジェリアを揺すぶっています。 エジプトでは、ついに 市民による民主化革命が成就し、2月11日に ムバラク政権が倒れました。乾杯です。 ところが それから 30年間、ムバラクは政権に居座り続けました。ひとつの政権が 10年も続けば 腐敗するのは当然です。まして 30年ともなれば どんなことになるか。30年前には、トルコとエジプトは 似たような印象の国でした。つまり、典型的な後進国で、貧しさが目につき、すべてが うまく機能していない という印象でした。 ところが それから 30年の間に トルコは着実に発展し、今では欧州連合(EU)の一員になろうとしています。停滞するエジプトとの差は 歴然としてしまい、カイロの街の 相変わらずの汚さと対比的な、現在のトルコの街々の 日本並みの清潔さには 驚くばかりです。その差は、ムバラクによる 政権維持のための圧制と、自由への抑圧が もたらした結果でしょう。今、エジプトの人々はムバラクを倒して、あの 33年前と同じ 熱気と祝祭気分に包まれているに ちがいありません。 今回の市民革命の中心地となったのは カイロのタハリール広場ですが、ここから ヒルトン・ホテルとエジプト博物館に囲まれた 広大なオープン・スペースが、タハリール広場に含めて呼ばれることが多く、33年前には、それは巨大なバス・ターミナルとなっていました。ある日、ここからバスで 南の郊外に行きましたが、帰ってくる時 バスに乗りかけて、念のため、このバスはタハリール広場に行きますねと、運転手に尋ねました。ところが彼は 私が何を言っているのか わからず、私が 何度 タハリール・スクエアと言っても通じず、まわりの乗客も 困惑と恐怖の表情を浮かべるばかりです。
そのうちに一人の乗客が、あ、もしかすると この人は、タハリール広場のことを言っているのではないか、と言うと、人々は、そうだ タハリールだ、タハリールだ と口々に言って、一斉に安堵の胸をなでおろし、明るい顔をとりもどしました。で、私も安心して乗り込むと、笑顔の乗客が、「あんた、タハリールじゃないよ、タハリールだよ」と言うのですが、私には、その違いが 全く わかりません。まあ、外国を旅していると、こういうことは よくある笑い話です。
その 心優しく 温和なエジプトの民衆が、市民革命を起こすとは! 実に大きな驚きでした。一方、私の住む日本では、羊のように おとなしい日本人が、マフィアの横暴に何の抵抗もせず、むしろ その手先になったり、その おこぼれに あずかって生きているような姿は、見るに耐えません。こうした中東のイスラーム国の、紛争ではない、平和な文化としての『イスラーム建築』の本を書いても、出版社は マフィアの圧力によって、出版契約も無視して、出版拒否を続ける ありさまです。
● 長年 インドやイスラームの建築を研究していると、新刊書ばかりでなく、多くの古書を蒐集してしまうことになります。インド建築史やイスラーム建築史が研究され始めたのは19世紀半ばなので、200年以上前の本というのはありませんが、100年前、150年前に出版された本というのは 珍しくありません。19世紀には現在のような写真製版がなかったので、中の図版は銅版画や石版画、木版画でなされました。 表紙が革装の美しい本もあり、単に読むだけではない、古美術品のような趣も呈します。
● 今年もまた、昨年と同じ挨拶で始まります。 『イスラーム建築 』 の本は、彰国社が4年にわたって出版拒否をしていますので、いまだに出版されていません。建築界は相変わらず腐りきったままで、沈滞ムードにあるのは、経済の停滞からくる ばかりではありません。東大は村松伸 准教授(生産技術研究所)の無法行為を容認したままですので、私が彼から依頼されて書いた「ジェイムズ・ファーガスンとインド建築」を収録する『建築史家たちのアジア「発見」』も、原稿を渡してから9年半になりますが、いまだに出版されていません(風響社)。
● 前に、アルメニアの歌手 を断続的に紹介していましたが、長い中断のあと、久しぶりに新しい CDを紹介します。今回は 歌手というよりは器楽のグループで、ベルギーの アラックス(ARAX)という名のグループで、アルメニア人の男4人、女1人の編成です。チェロやフルートやギターなど 西洋楽器を用いますが、中心になるのは、ヴァルダン・ホヴァニシアンによる ドゥドゥク という、アルメニアの民族楽器です。オーボエに似た木管の縦笛で、実に繊細で 哀愁に満ちた音色を奏でます。私は昔 ブロックフレーテ(リコーダー)で バッハなどのバロック音楽を吹いていましたので、アルメニアに行った時に試みてみましたが、ドゥドゥクは 音を出すのが はるかにむずかしく、買ってくるのを あきらめました。
●● 映画芸術の愛好家なら、パラジャーノフ の名作、『ざくろの色』という映画を ご存知でしょう。DVDが売切れとなって、中古 DVD市場では えらく高い値段がついていましたが、このたび、やっと新版が デジタル・リマスター版として発売され、入手しやすくなりました。
そうした彼の美術家としての作品集としては、フランスで行われた彼の展覧会の 図録 がありますが、実物が見られる 彼の私設美術館 が、アルメニアの首都 イェレヴァン にあることは、あまり知られていません。それは、彼が世を去った翌年の 1991年に 自宅を改装して、彼の作品のみを展示する美術館としたものです。2階建ての小さな美術館ですが、所狭しと飾られた、それら 自由奔放な興味深い作品群を見ていると、時のたつのを忘れます。上に、サイト上の展示をしましたので、各写真をクリックして ご覧ください。(『アルメニアの建築』のサイトの、「アルメニア雑纂」 のページに移設しました。 (2011 /01/ 01)
● 9年ぶりに パキスタン に行ってきました。短期間の旅でしたが、ラホールのイスラーム建築や、インダス文明の遺跡を 撮影し直してきました。インドの経済的躍進と比べて、パキスタンは対テロ戦争や政情不安、そして この夏の大洪水による災害もあって、経済的には沈滞しています。古建築もスモッグに覆われて悲しげでしたが、簡単な報告を、9年前の「 パキスタン建築紀行」に、続編として付け加えました。ここをクリック して お読みください。 ( 2010 /12/ 01 )
● 新潮社の改訂版『新潮世界美術辞典』の項目による「インド・イスラーム建築史」は、前回の「ムガル時代」に引き続いて、「その他の項目」および「イスラーム以後のインド建築」の項目 を加えて 完結しました。写真は全部で 110点あまりを、新規に スキャンしたことになります。
● 今年の冬、新潮社の『新潮世界美術辞典』の改訂稿を執筆していました。 この辞典が出版されたのは 1985年のことですから、もう 25年も前のことです。世界的に見ても優れた美術辞典だと思いますが、25年間 まったく改訂をしていなかったので、少々内容が古くなってしまいました。特にイスラーム美術やコロニアル美術の項は、当時は十分な扱いを受けていません。私は インドのイスラームと その後の建築の項の改訂を担当しました。
● 夏 たけなわですが、『イスラーム建築 』 の本は、あいかわらず出版されていません。どうぞ、出版社(彰国社)に強く抗議してください。
● 関西の建築関連団体に「日本建築協会」というのがあります。大正 6年に「関西建築協会」として設立された、90年の歴史をもつ老舗団体です。 当初は 関西の建築家を大同団結しようとする組織でしたが、次第に 広く建築・建設関係のゆるい団体となったようです。その機関誌『建築と社会』の 7月号が、「建築と石」という特集をしています。執筆者は、長尾重武、三宅理一、神谷武夫、渡辺明次、倉片俊輔、竹内良雄、新見隆、黒田龍二の諸氏です。
● 毎月1日か2日に、この「お知らせ」欄に 新しい記事を載せるようにしていますが、しばらく スペインに行っていたために、今月の初めには 書くことができませんでした。ポアされたわけでは ありません。22年ぶりに訪れたスペインは、その後 オリンピックや万博を経て高度経済成長を遂げ、EUに統合されて、ずいぶんと様変わりしました。当時は 物価の安い旅行者天国で、ひなびた町や村を 存分に旅することができましたが、今はそういうわけにいきません。それに 観光客の激増で規制が厳しくなり、有名なところは 写真を撮るのも むづかしくなっています。撮影禁止、三脚使用禁止、常時閉鎖、曜日や時間による入場制限、バスの本数減、タクシー代の高騰 等々で、持っていったフィルムの三分の一は 使わずじまいでした。
スペインは 日本よりも はるかに大きな国土面積をもっていますが、経済や人口の面では 日本よりも小国です。それにもかかわらず、旅行者の目には 日本よりも むしろ豊かに見えます。 それは 町々が美しいからです。ヨーロッパに比べて、日本の都市は醜いと、誰もが そう思うでしょう。 そうなった原因のひとつ、それも大きなひとつは、日本に建築家の制度が確立しなかったからです。建築教育(建設教育ではない)が 工学部で 工学教育の片手間に行われ、建築家は「設計技師」あるいは「ビルダー」としてしか 社会から認識されず、工務店や建設会社が設計部をもち、設計部員が社会への貢献よりは 会社の利益のために働き、「建築」という言葉が「アーキテクチュア」ではなく「ビルディング」や「コンストラクション」の意味に定義され、設計事務所は営利企業の株式会社となり、建築書(工学書ではない)が 書店の理工学書売り場に置かれるために一般の人の目にふれず、そもそも 私の書いた建築書は マフィアの妨害によって 出版さえも妨害され、建築界の人間は 誰もがマフィアを恐れて押し黙ったままという、こんな国で 美しい都市が造られるはずも ありません。
●● 私の書いた本『イスラーム建築』は、奥付の 著者略歴欄に 私のホームページのアドレスや住所を載せようと しているから、という 誰にも信じられない理由で、出版社の彰国社が 出版契約も守らずに、出版拒否したままで3年以上が経過しています。 私は非暴力主義者ですから、テロに訴えることはなく、ただ HP 上で、言論によって 世の中に訴えています。で、今回も その第1章「イスラーム建築の名作」から、イスファハーンの「王のモスク」(イスラーム革命によって王制が倒されてからは「イマームのモスク」と呼ばれている)の項を この HP に載せて、本の内容を 皆さんに判断していただきたいと思います。お読みになりたい方は ここをクリック してください。
●● ヨーロッパを旅していると、美術館や修道院が所蔵する 古写本の細密画を見て、写真では十分に伝わらない その美しさに魅了されます。そうした細密画が 最も発展したのは、イスラーム世界だといえましょう。細密画というのは 独立した絵画作品として描かれることもありますが、本来は 本の挿絵として生まれたものです。偶像崇拝が禁止されていることから、モスクやマドラサなど、公的施設、とりわけ宗教建築においては まったく絵画(壁画)がありませんので、絵画は、裕福な人が私室でプライベートに楽しむ 写本の挿絵として描かれました。
●●● 「ジャイナ教の建築」の中の「『カルパ・スートラ』の写本」の章は、気軽に書き始めたものの、正確を期すために、所蔵する多くの本を読みながら書いているうちに どんどん長くなり、時間が足りなくなりで、いまだに完成せず、未定稿のまま載せてあります(申し訳ない)。『カルパ・スートラ』という聖典名については、初めて耳にする方が多かったことでしょう。インドに何度か行かれた方は、どこかの美術館で 目にされているはずですが、『カルパ・スートラ』という名前を知らなければ、あまり記憶に残らなかったかもしれません。で、そうした方、あるいは ジャイナ教に興味のある方に、本を紹介しておきます。
もっと、見ても楽しい『カルパ・スートラ』が 1977年にインドで出版されていたらしく、4年前に新版が出たのを 今年になって初めて知り、取り寄せました。インドにしては きれいな造りの上製本で、プラークリット語の原文と ヒンディー語訳、英語訳が対訳で載せられていて、そこに、ムンバイの プリンス・オヴ・ウェールズ博物館所蔵の 16世紀の古写本『カルパ・スートラ』からの、細密画の複製 36点が貼り込んであります。この複製が 日本の美術印刷並みであれば 申し分ない本になったのですが、残念ながら 少々 写真製版と印刷のレベルが低いのが難点です。
●●●● ヨーロッパにおける 細密画入り写本の伝統を受け継いでいるのは、文学者と画家の組み合わせによる、近代の「挿絵本」です。オーブリー・ビアズリーの絵で飾られた ワイルドの『サロメ』や、ウィリアム・モリスのケルムスコット本で バーン・ジョーンズが挿絵を描いた『チョーサー作品集』は、19世紀末の最高傑作に数えられます。しかし それらは いずれもモノクロの絵であって、カラーの挿絵が普及するのは アール・デコ(1925年に展覧会)の時代です。それを代表するのが、日本の浮世絵版画の影響を強く受けたフランスの画家、ジョルジュ・バルビエ (1882-1932) です。彼は ファッション画で名をなしましたが、私は むしろ彼の挿絵本に魅了されます。ゲランの 『散文詩』、ピエール・ルイスの『ビリチスの歌』、ラクロの『危険な関係』、アンリ・ド・レニエの『ラ・ドゥーブル・メートレス』など、約 30冊の挿絵本を制作しました。これらは一種の「写本」と言うこともでき、いずれも 半ば手製なので、小部数の出版でした。
● 昨年の春に、アンドレア・マルコロンゴという イタリアの修復建築家からメールがきて、ラーナクプルのアーディナータ寺院 の実測をして、精巧なCAD図面にまとめたという。その主要なものを 論文とともに送ってくれたのを見て、図面の美しさに感銘を受けました。そこで、もし彼が希望するなら、私のホームページの中の「ジャイナ教の建築」のページに、それを紹介するスペースを提供する と申し出たところ、彼は喜んで、ぜひそうしたいとのことでした。ところが、またしても マフィアから圧力がかかり(彼らは すべての私の電話を盗聴し、メールを盗み見ています)、彼は図面も英訳論文も送ってこず、音信を絶ってしまいました。(こういうことが しばしば起こ
るので、こちらは馴れっこになっていて 驚きませんが。)
●● 月遅れの建築雑誌をパラパラとめくっていたら、『新建築』2月号の巻頭エッセイに、建築家の仙田満氏が「創造性を喚起する社会へ」という文を書いているのが目につきました。仙田氏は 日本建築家協会や 日本建築学界の会長も務めた方です。
「私たち建築家 および建築関係者は 日本を「創造性を喚起するシステムを持つ国」 に変えるべく、粘り強く発言し続けていかねばならない」と、本当に そう思っているなら、まず 株式会社であることを やめるべきです。建築家を設計料の 入札で選ぶ(つまり、最も設計の手を抜く、と表明する設計事務所を選ぶ)という、世界のどこにもない、日本だけの堕落したシステムは、大多数の設計事務所が株式会社であるという、世界のどこにもない 堕落したシステムに 対応しているのです。
どうぞ、何でも ご意見をお寄せください。メールはこちらまで kamiya@t.email.ne.jp
● 今月もまた 『イスラーム建築 』の第1章「イスラーム建築の名作」 の中から、「エルサレムの 岩のドーム」 (イスラエル) を、『世界のイスラーム建築』のサイトの 同名ページに載せることにしました。これは、イスラームが誕生してから、最初に建てられた本格的なイスラーム建築です。しかしモスクではなく、キリスト教の殉教者廟にならった 円堂(ロトンダ)で、太古からエルサレムの神殿の丘(モリアの丘)にあった「岩」の上に、ドーム屋根を架けたものです。その岩というのは、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教ともに先祖と認めるアブラハム(イブラーヒーム)が 息子イサクを神への犠牲として捧げようとした岩であり、また『クルアーン』の中で 預言者ムハンマドが「夜の旅」をして、そこから天へ昇天したという伝説の岩です。私が訪れたのは、もう 24年も前のことですが、当時も今も パレスチナは紛争地で、安定した平和は訪れません。こういう世界は、いったい いつまで続くのでしょうか? ここをクリック すると、「岩のドーム」のページにとびます。 ( 2010 /03/ 01 )
● 出版拒否が続いている間に、当の出版社から、火事場泥棒のようにして 本を出す人がいるのには 驚きました。
● 21世紀も 早や10年目にはいりましたが、今年もまた 昨年と同じ挨拶で始まります。『イスラーム建築 』の本は、彰国社が3年にわたって出版拒否をしていますので、いまだに出版されていません。長年続いた自民党政権が民主党政権に変わりましたが、建築界には変化がなく、腐りきったままです。東大は村松伸准教授の無法行為を容認したままですので、私が彼から依頼されて書いた「ジェイムズ・ファーガスンとインド建築」を収録する『建築史家たちのアジア「発見」』も、原稿を渡してから8年以上になりますが、いまだに出版されていません(風響社)。 ●● TBSテレビで 毎週 日曜日に放映されている『 THE 世界遺産 』のシリーズ番組で、11月に「タージ・マハルとアーグラ城」の監修をしましたが、続けて インドの「コナーラクの太陽神寺院」の監修をしています。この HPのトップ・ページの写真としても使っている、スーリヤ寺院です。「ユネスコ世界遺産」の中の コナーラクのページは こちら を ご覧ください。TVの放映は、今月、1月 24日の夕方6時です。 (2010/01/10)
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