ENJOIMENT in ANTIQUE BOOKS - XXVIII
杉本鉞子 著

『 武士の娘 』

Etsu Inagaki Sugimoto :
" A DAUGHTER of the SAMURAI "
Doubleday Page, New York, 1925

神谷武夫

杉本鉞子『 武士の娘』
杉本鉞子「武士の娘」1934年版

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 前回の「古書の愉しみ」に 新渡戸稲造の『武士道』について書いたあとで、その昔 読んだ、杉本鉞子(えつこ)の『武士の娘』を思い出しました。当時の「筑摩叢書」の、大岩美代による美しい訳で読みましたが(1980年)、大変に面白かったので、後に 挿絵入りの英文初版を アメリカの古書店から購入しました(2007年)。ざっと見たあと、読む暇がなくて 書架に仕舞ったままになっていたのを、今回 引っぱり出して 読み初めたら、日本人にとっては 読みやすい英語なので、全編を通読しました。日本ではあまり知られていないけれど、とても良い本なので、ここでは 今から 80年前に出版された 1934年版の 装幀や挿絵について、簡単に紹介します。

 著者の 杉本鉞子(すぎもと えつこ 1873-1950)は、明治6年に 越後長岡藩の 元・筆頭家老の娘として生まれ(樋口一葉と ひとつ違い)、1898年(明治31)から1927年(昭和2)まで、途中7年間の帰国時を除いて アメリカで暮らし、1920年から7年間、コロンビア大学の公開講座で 日本語と日本文化を講じました。1925年(大正14)に英文で出版した 自伝『武士の娘』はベストセラーとなり(通算8万部も売れたという)、フランス語など7か国語に翻訳されました。最初に日本語に翻訳出版されたのは、ずっと後の 1943年(昭和18)、戦時中のことで、東京の長崎書店からです(大岩美代訳)。

『武士の娘』
長崎書店版『武士の娘』の表紙と扉

 英文名の稲垣は旧姓、杉本は結婚してからの姓、名前の「鉞(エツ)」というのは「まさかり」の意で、武士の娘として、まさかりのように毅然と生きていくようにと、名付けられたといいます。彼女は 岡倉覚三と同じように、すべての著作(4冊)を 英文で出版しました。

 まずタイトルですが、最初の著作『 A DAUGHTER OF THE SAMURAI(武士の娘)』の、表紙には書いてありませんが、扉には、次のような 副題がついています。

How a daughter of feudal Japan, living hundreds of years in one generation, became a modern American
( 如何にして封建日本の娘が、一身にして二世を経るが如くにして、
 近代的米婦人となりしか )

 つまり、封建時代が終わったばかりの日本と、近代民主主義の米国との間の、 数世紀(数世代)ほどもあるべき懸隔を、半生で駆け抜けた女性というわけですね。まさに福沢諭吉が言ったように 「一身にして二生を経るが如し」です。しかし鉞子は、米国女性になりきったわけではありません。その心には常に 日本の「武士の娘」としての矜持があり、米国生活中、大学で教壇に立つ時も、ずっと和服で通しました。
 『武士の娘』は、クリストファー・モーリーの勧めで 稲垣鉞子が英語で書いた半生記で、雑誌『ASIA(アジア)』に連載されたあと、今から 90年ほども前の 1925年(大正14年)に、ニューヨークの大手出版社、ダブルデイ・ペイジ社(Doubleday, Page & Company, New York)から 単行本として出版されました。半生記といっても、偉人の回顧録ではなく、市井の一女性の回想の記です。しかし 当時としては特異な人生を歩んだ日本女性の、それも英語で書かれた半生記です。

『 武士の娘』   杉本鉞子『 武士の娘』

杉本鉞子『武士の娘』のジャケット
これは、今からちょうど80年前の1934年(昭和9年)版だが、
第何刷りになるのかは不明。ニューヨークの ダブルデイ・ドーラン社刊
(初刷り時の ダブルデイ・ペイジから 社名が変わった)

 この 1934年版のジャケットは、岡倉覚三や新渡戸稲造のころの、店頭用の簡易な 保護用(かつ 価格表示用の)ダスト・ジャケットとは違い、現代のもののように、人目を引くための ヴィジュアルでカラフルなジャケットになりました。鏑木清方 門下の日本画家、石井滴水(いしい てきすい 1882-1945) が、ジャケット画と 挿絵9点を描いています。(おそらく、日本的な 縦書きタイトル文字を含む装幀も、石井によるのでしょう。)

 1934年版の冒頭ページに 鉞子は、TO MY READERS(読者へ)として、次のように書いています。(筆者訳)

 『武士の娘』 の読者の方々から いただいた数々のご親切なお便りに、心から感謝いたしております。多くの方々が 表紙のデザインに関心をお寄せになったことは、とりわけ嬉しう存じます。と言いますのも、この絵は 古来の日本人の心に、言葉なしでも 雄弁に語りかけるのでございます。
 桜の花は、萎(しお)れることが ございません。まだ新鮮で香り高いうちに 散ってしまうからです。それゆえ 昔から桜花は、長生きして老いるよりも、若く力に満ちている内に 潔(いさぎよ)く死ぬ、サムライ精神の象徴と されてまいりました。
 春になると 日本の娘たちは、その かぐわしい花びらを集めて 花輪にする遊びに熱中いたします。散り落ちた花びらを拾い集めて、あえかな花の輪を結ぼうとしている表紙の娘は、サムライ精神の切れはしを拾い集めて、ひとつの物語を紡ごうとしている 幼いエツ坊の表象です。
 彼女がそうするのは 身にすぎたこととしても、近年、サムライの思い出の花びらは 散り足が速く、疾く 失われつつあります。それらが、過ぎし世の暗闇に 永久(とわ)に消えうせてしまうのかと思うと、心が痛むのでございます。

と、武士道精神への 哀惜の情を綴っています。しかし この文が書かれた対象の、読者が見た 初版の表紙絵は、次のようなものでした。

杉本鉞子『武士の娘』

英文『武士の娘』初版(1925年)ジャケットの モノクロ写真 (from a website)
少女が、いくぶん佝僂病(せむし)のように見えてしまう。

 この初版の表紙絵の成立経過について、内田義雄氏は『 鉞子(えつこ)』(2013 講談社) の 187ページに、次のように書いています。

『武士の娘』の「初稿の本が鉞子の元へ届いた。本のおもてのカバーの絵を見た鉞子は言葉を失った。カバーの絵は、武士の心を象徴する桜の木から散った花びらを拾って糸にゆわえている少女(武士の娘)の姿を描いたものであったが、その少女はなんと支那服を着ていたのである。アメリカ有数の出版社といっても、日本への認識はその程度だったのである。絵心のあった二女 千代野が徹夜して、支那服の少女を日本の着物姿の少女に描き直して、出版社へ送り 変更を求めた。」

 その結果が、上のモノクロ写真の 初版ジャケットであったようです。服装は日本式に直りましたが、絵自体は、あまり上手とは言えません。
 しかし この本が良く売れたからでしょう、出版社は費用を出して、これを日本人の画家、石井滴水に依頼して描き直してもらい、第何刷りからか、新しいジャケットに変更しています。同時に、初刷りには無かった挿絵も依頼して、より美麗な版にしました。私の所有する 1934年版が、それです。(第何版とは書いてありませんから、本文には手を加えず、初版のままだったのでしょう。)

杉本鉞子『 武士の娘』
美しい「武士の娘」となった、石井滴水の 表紙絵


 本の内容は 杉本鉞子の、今から一世紀前の日本女性としては いくぶん数奇な半生記ですが、多少フィクションの部分もあり、ノンフィクションと小説の中間と言えます。章題で示すと、(前半が少女時代で、後半が米国生活時代です)

第1章  越路の冬 第17章  第一印象
第2章  縮れ毛 第18章  風習のちがい
第3章  寒稽古 第19章  思うこと
第4章  旧と新 第20章  となりびと
第5章  落葉 第21章  新しい経験
第6章  お正月 第22章  異郷の花
第7章  父の苦衷 第23章  千代
第8章  二つの冒険 第24章  再び日本へ
第9章  盂蘭盆 第25章  東京の家
第10章  酉の日 第26章  困ったこと
第11章  初旅 第27章  お祖母さま
第12章  旅に学ぶ 第28章  無縁仏
第13章  外国人 第29章  日本の婦道
第14章  学課 第30章  姉の家で
第15章  受洗 第31章  死蔵の宝
第16章  渡米 第32章  黒船

(第24章の「再び日本へ」は、当時の関係者のプライバシーへの配慮か、翻訳されていません。
 したがって、それ以後の章番号は、訳書とは 順ぐりに ずれています。)

杉本鉞子『武士の娘』
杉本鉞子『武士の娘』の表紙と 全挿絵


 杉本鉞子の英文著作(と その生活)を さまざまに助けたのは、杉本夫妻が住んだ、大統領を出すことになるウィルソン家の当主の姪にあたる フローレンス・ミルズ・ウィルソン (Florence Mills Wilson, 1856-1932) でした。フローレンスがいなければ、『武士の娘』は書かれなかったことでしょう。英文チェックという意味では、ちょうど 岡倉覚三の 『東洋の理想』 における ニヴェディタ(マーガレット・ノーブル)や、新渡戸稲造の 『武士道』 における アンナ・C・ハーツホーンにあたりますが、同性で生涯の友となった仲としては(フローレンスと鉞子の関係は)、アンナ・C・ハーツホーンと 津田梅子(女子英学塾、のちの津田塾大学の創始者)の関係に近いと言えます。『武士の娘』の訳者の 大岩美代 (1914-98) は、偶然ながら 『生きがいについて』の著者の 神谷美恵子と(今から ちょうど 100年前の)同年生まれで、ともに、その津田英学塾で学びました。そして フローレンスといい、アンナといい、発展途上国の女性に尽くしてくれた、明治時代のアメリカ女性のピューリタニズムには、日本の武士道と重なりあうものを感じます。また 鉞子の娘・千代野の夫の清岡暎一(1902-97)は 福沢諭吉の孫で、『 福翁自伝 』を英訳出版した人です。


『武士の娘』    『武士の娘』

左:「筑摩叢書」版の『武士の娘』1967、現在は「ちくま文庫」で出ている。
右:学生時代に読んだ、ルース・ベネディクト著『 菊と刀、日本文化の型 』
(社会思想社, 現代教養文庫, 定訳版, 1967) 現在は、この 長谷川松治訳の
「講談社 学術文庫」版をはじめ、何種類かの翻訳が 文庫本で出ている。
ルース・ベネディクト女史は、コロンビア大学で 杉本鉞子と同時期に
教鞭をとっていたこともあるようで、日本研究の名著『 菊と刀 』の
第12章「子供は学ぶ」では、たびたび『武士の娘』から引用している。

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『 武士の娘 』 のストーリーについては、ここには 書きません。
日本の地方都市の武家の家で少女時代を過ごし、成年してアメリカに渡った、
明治の日本女性を主人公とする 実に興味深く美しい 小説のように読めますので、
まだ ご存じなかった方には、お勧めの本です(英文でも、翻訳でも)。
すでに読んだ方には、最近出版された、次の本も お勧めです。
内田義雄 著『鉞子(えつこ)』(世界を魅了した「武士の娘」の生涯)2013年 講談社

( 2014 /11/ 01 )




< 本の仕様 >
 杉本 鉞子 Etsu Inagaki Sugimoto: 『 武士の娘 』 "A DAUGHTER OF THE SAMURAI"
  How a Daughter of Feudal Japan, Living Hundreds of Years in One Generation,
  Became a Modern American (如何にして封建日本の娘が、一世で幾百年分を
  生きるごとくにして、近代的米人となりしか)
 Doubleday, Page & Company, New York, 1925 (大正14)
  筆者所有は 1934年版(昭和9)Doubleday, Doran & Company, New York
  ニューヨーク、ダブルデイ・ドーラン社(ダブルディ・ペイジ社から 1927年に社名変更)
 21cm x 14.5cm x 3.5cm、石井滴水による 彩色表紙絵の他に、2色刷り挿絵9点挿入
 黄色 布製本、ジャケット付、314ページ、重量:550g



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