THE TRANSLATION OF CULTURES

 
文化の翻訳
― 伊東忠太の失敗 ―

神谷武夫

ヨーロッパ建築序説

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I

 先頃私は2冊の本を翻訳、上梓した。1冊はアンリ・スチールランの『イスラムの建築文化』(原書房)であり、もう1冊はジョン・ブルックスの『楽園のデザイン、イスラムの庭園文化』(鹿島出版会)であるが、それらの本の内容が本論のテーマではない。ここで話題にするのは、これらの翻訳体験を通して感じた、「建築」をめぐる言葉の訳し方の問題、ひいては「文化の翻訳」ということの困難さについてである。

 別の言い方をすると、私が翻訳した『イスラムの建築文化』の原題は " Architecture de l' Islam " であるから、その訳は「イスラムの建築」、あるいは もっと簡単に「イスラム建築」とすれば良さそうに見えるのに、あえて『イスラムの建築文化』としたことの理由である。

 さて外国語の書物を翻訳するには、さまざまの辞典のお世話になる。まず第一に必要なのは、当然ながら外国語の辞典である。『イスラムの建築文化』はフランス語で書かれているので、手元には大小いくつかの仏和辞典と和仏辞典を置き、中でも白水社の『仏和大辞典』には大いにお世話になった。次いで必要とするのは日本語に関する辞典であって、各種の国語辞典や漢和辞典のほか、訳語を探す上では角川書店の『類語新辞典』が大いに役に立った。広く言葉や概念の意味を確かめるには、平凡社の『百科事典』、それに ラルースのフランス語の百科事典も欠かせない。

 以上の一般的な辞典の他に、西洋史辞典、東洋史辞典、世界史年表、人名辞典、地名辞典、哲学辞典、宗教辞典、その他さまざまの専門辞典のお世話になるが、最も重要なのは、その本のテーマに関する辞典、つまり《イスラム》と《建築》に関する辞典である。前者に関しては、幸い数年前に平凡社から『イスラム辞典』が出版されていた。これは 我が国のイスラム関係の学者たちが 総力をあげて編纂、執筆したもので、現在の日本における イスラム学の水準を示すものである。それまで学者によって ばらばらだった用語法や表記法も、これによって統一されつつある。もしも この辞典と『仏和大辞典』とがなかったなら、私の翻訳は 途中で挫折していたかもしれない と思えるほどである。

 さて後者の《建築》であるが、よく知られているように、わが国の建築界の総力をあげた(と宣伝文句にある)『建築大辞典』が、彰国社から出版されている。さぞかし この辞典が役に立っただろう、と思われるかもしれない。しかし、実のところ、『イスラムの建築文化』を翻訳する上で、この辞典はほとんど役に立たなかった。

 おかしいではないか、建築の本を翻訳するのに『建築大辞典』が役に立たない ということがあるものか、と思われるかもしれない。しかし、これは事実なのである。 この本の翻訳中に、建築関係の言葉を調べる時に私が利用したのは、むしろ 新潮社の『世界美術辞典』であった。建築の書物を翻訳するに際して、建築の言葉を調べるのに、『建築大辞典』よりも『世界美術辞典』の方が役に立つ、という事実の内に、『建築』という言葉をめぐる我が国の特殊事情が かいま見えるのである。それが どのような特殊事情であるかを、以下に考察してゆきたい。



II

 まず最初に、簡単な英作文の問題を 出題させていただきたい。今、桂離宮と 法隆寺と 伊勢神宮とを話題にしているとしよう。そこで、

「これら三つの建築は とても美しい。」

という文章を 英語にしてみていただきたいのである。何だこれは、まるで中学一年生向きの英作文ではないか、と思われるかもしれない。構文としては確かにその通りなのであるが、これを正しく英語にする日本人はあまり多くないのである。おそらく大多数の人は、

These three architectures are very beautiful.

と訳すのではないだろうか。「建築」は Architecture だから、「これら三つの建築」は These three Architectures だと思われやすい。けれど、これは誤りである。 正しい訳は、たとえば 次のようになる。

These three buildings are very beautiful.

どうしても Architecture という単語を使いたければ、

These three pieces of architecture are very beautiful.

あるいは、

These three works of architecture are very beautiful.

つまり " Architecture " という単語は、Peace(平和)とか、Music(音楽)と同じように 抽象名詞であるから、複数形をとらない。したがって 物理的な「建物」をさしているときには Three Buildings であるし、「建築作品」という意味では Three pieces of Architecture、または Three works of Architecture として、Architecture 自身は あくまでも単数形で用いる。(「多くの建築作品例」を指す場合にも、Many Architectures ではなく、Much Architecture である。 )

 こうしたことは、海外に留学したり 現地の事務所勤めをしたことのある建築家でさえも、しばしば間違える点である。 要するに、英語の『アーキテクチュア』やフランス語の『アルシテクチュール』と 日本語の『建築』とは、イコールではないのである。

 では " Architecture " という単語は 決して複数形をとらないかというと、複数形をとることもある。それはどのような場合かというと、たとえば今、イスラム建築と 仏教建築と キリスト教建築とを話題にしているとする。この時には、These three Architectures と書くことが可能である。この場合の Architectures は、タージ・マハル廟とか ノートルダム大聖堂とか 法隆寺といった、個々の建物を さしているのではない。イスラム圈の数々の建物をつらぬく 建築の原理や文化、芸術をさして Islamic Architecture(イスラム建築)と呼び、同様に Buddhist Architecture(仏教建築)、 Christian Architecture(キリスト教建築)と合わせて、 Three Architectures と言っているのである。

 これで『アーキテクチュア』と『建築』との違いが、だいぶ見えてきた。日本語の『建築』という言葉は『アーキテクチュア』という意味にも用いられるが、一般的には むしろ「ビルディング」の意味で、あるいは動詞の「コンストラクト」(建設する)の意味で用いられている。にもかかわらず、英語の "Architecture" の訳語は『建築』ということに なっているので、われわれが英作文を行うときには、つい Architecture をも「建物」の意味に使ってしまいがちなのである。

 では、『アーキテクチュア』と『建築』との このような違いは なぜ生じたのであろうか。『建築』という言葉は、「古語辞典」を引いても そこに載っていないことから解るように、古くから日本にあった言葉ではない。江戸時代末期から明治時代の初めに 新しく作られた言葉である。

 わが国が それまでの鎖国を解いて、西洋の文物を受け入れ始めたときに、時の指導者や学者たちが 最も頭を悩ませたのは、それまでの日本には無かった概念を輸入するときの、訳語の問題では なかったろうか。それは 単に言葉の問題であるばかりでなく、言葉をとおして、文化の制度を輸入する ということだったからである。手持ちの和語や漢語を むりやり当てはめるだけでは とても対応しきれずに、しばしば 新しい言葉を造語する必要にも かられた。言ってみれば、これは単なる「言葉の翻訳」を越えた、「文化の翻訳」という問題でもあった。

 「哲学」にしろ「科学」にしろ「芸術」にしろ、いずれも西洋文化を翻訳するために 明治時代に造語された言葉である。「社会」はおろか、「恋愛」とか「彼女」までも その当時の造語であると聞いたら、意外に思われるであろうか。

 医学用語にせよ、法律用語にせよ、西洋文化を翻訳することによって、学問にも 実業にも困らないだけの用語体系を築きあげてきた。 建築用語も そのはずであったのだが、文化の翻訳の過程には さまざまな困難がつきまとう。訳語だけが新しく造語されても、その実質が伴わない場合には、原語と訳語とのあいだに ズレが生じてしまうからである。

 『アーキテクチュア』と『建築』の場合が そうであった。『アーキテクチュア』が 文化、芸術上の概念であるのに対して、『建築』は 物理的、工学的な意味を持たされてしまった。そのために、わが『建築大辞典』は「アーキテクチュア」についての大辞典ではなく、「建設工学」についての大辞典となってしまったのである。私の翻訳した "Architecture de l' Islam" は、イスラムの「ビルディング・サイエンス」についての書物ではなく、イスラムの「アーキテクチュア」についての書物であるので、翻訳のうえで、『建築大辞典』よりも むしろ『世界美術辞典』の方が役に立つ、ということが起きるのである。

 日本語では、『建築』という言葉は「土木」という言葉と組合わされて、「土木建築」とか「土建業者」などという使われ方をする。「土木」という言葉もまた、「シヴィル・エンジニアリング」の訳語としては 問題が多いのであるが、それは ひとまずおく。ここでは 建築が土木と組み合わせられて、「ビルディング」や「コンストラクション」という意味あいで世の中に用いられていることを 再認しておこう。

 一方 英語では、 "Architecture" が おもに組合わされる相手は "Art" であって、 "Art and Architecture" という句には ひんぱんに お目にかかる。絵画や彫刻などの美術と建築とを くくる言葉だから、これは「美術、建築」と訳すよりも「造形芸術」という訳語が適当かもしれない。



III

 このように『アーキテクチュア』という言葉が 芸術上の(抽象的な)概念であることが見えてくると、ここから もう一つの誤解が生まれてくる。それは、芸術的でない建物が「ビルディング」で、芸術的な建物を「アーキテクチュア」と呼ぶんだ という考えである。「アーキテクチュア」が芸術上の概念ではあっても、物理的な 「建物」 を指す言葉ではない、ということは なかなか理解されにくい。どうしても 日本語の『建築』という言葉の意味に引きずられて、『アーキテクチュア』という言葉の意味をも 誤解してしまうからである。

 たとえば、彰国社から出ている『建築概論』(新訂版)をひもとくと、近江栄氏が その総論で、「建築とは何か」を 手際よく解説しているのだが、しかし その中の次のような文章は、その誤解の一例である。(15ページ)

「今世紀の 最も優れたイギリスの建築歴史学者の 1人であり、近代建築の展開過程で 多くの示唆を残したニクラウス・ペヴスナーは、アーキテクチュア ( Architecture ) と ビルディング ( Building ) について、すぐれた分類を示している。」

近江氏は こう書いているが、ぺヴスナーは アーキテクチュアとビルディングとを《分類》したり してはいない。そもそも この二つの概念は、分類されるような関係には ないのである。では、ここで 近江氏が引用している『ヨーロッパ建築序説』の冒頭の序論を検討してみよう。(N.ペヴスナー著、小林文次・山口廣・竹本碧訳、彰国社)

「自転車小屋も 建物(ビルディング)であり、リンカーン大聖堂(カセドラル)も 一つの建築(アーキテクチュア)である。人が中にはいれる大きさの閉じた空間は、ほとんど 建物 といってよいが、建築という語は、美的な魅力を与えるべく設計された建物のみをさしていう。」

これを読むと、ペヴスナーは《分類》をしているように見える。美的な建物が 「建築」 であって、美的でない空間は 単なる 「建物」 である、と。ペヴスナーが 本当にそのようなことを言っているかどうか、原文をみてみよう ("An Outline of European Architecture") 。

"A bicycle shed is a building ; Lincoln Cathedral is a piece of architecture. Nearly everything that encloses space on a scale sufficient for a human being to move in is a building ; the term architecture applies only to buildings designed with a view to aesthetic appeal."

ここでは「アーキテクチュア」という概念が 美的な建物に 適用される (Apply to) と言っているのであって、物理的な実体としての美的な建物のことを そう呼んでいるわけではない。この文章を、私ならば 次のように訳すだろう。

「自転車小屋は単なる建物であるが、リンカーン大聖堂は一つの建築作品である。人が中にはいれるほどの空間を囲いとるものは、ほとんど何でも建物(ビルディング)であるが、建築(アーキテクチュア)という術語は、美的な魅力を与えるべく設計された建物においてしか用いられない。」

翻訳者の小林氏も、引用者の近江氏も、『アーキテクチュア』という 文化、芸術上の抽象的概念を、物理的な「ビルディング」の意味で用いられる『建築』という日本語とイコールで結んでいるために、

「自転車小屋 建物(ビルディング)であり、リンカーン大聖堂 一つの建築(アーキテクチュア)である。」

というような文章に違和感を抱かないのであろう。これを音楽に当てはめれば、

「時報のサイレン 音響(サウンド)であり、バッハのチェロソナタ 一つの音楽(ミュージック)である。」

とでもいうことになる。これだったら 誰でも、次のように言うべきだと 思うことだろう。

「時報のサイレンは 単なる音響にすぎないが、バッハのチェロソナタは 一つの音楽作品である。」

と。 そして ペヴスナーもまた、そう言っているのである。

「耳の鼓膜に感知されるほどの振動波は、ほとんど何でも音響(サウンド)であるが、音楽(ミュージック)という述語は、美的な魅力を与えるべく作曲された音響においてしか用いられない。」

と。そして、作曲された個々の音響は、"A piece of Music" (一つの音楽作品、楽曲)と呼ぶのである(一つの建築作品 を "A piece of Architecture" と呼ぶのと同じように)。これは「音響」と「音楽」とを《分類》しているのではない。時報のサイレンも、優れた作曲家が作曲すれば、それは音楽作品であるし、どんな音楽作品も 物理的にみれば、それは音響であるにすぎない。(優れた建築家が設計すれば、自転車小屋も建築作品となりうるが、リンカーン大聖堂も 物理的にみれば、単なる建物である。)

 もっと入り組んだ誤解の例として、磯崎新氏の「《建築》という形式」(1990年 『新建築』 誌 連載)という論文を とり上げてみよう。9月号の 222ページには 次のような文章が見られる。 (太字引用者)

「一般的に建築は 単なる有用物の域を超えた 構築物 と認められ、西欧においては、単なる建物との区別が 明確になされていた。」

ここでは、『建築』が「単なる有用物の域を超えた構築物」と定義されている。言いかえれば、単に実用のために建てられた建物と区別された、「芸術的な建物」ということであろう。これは 上に説明した例と同じく、『建築』を、限定詞つきではあるが、やはり物理的な「建物」と とらえているのである。こうした誤解だけでない 氏の複雑なところは、「建物」と「建築」の区別のほかに、さらに カッコつきの《建築》という 独特な言葉を使っているところである。カッコつきの《建築》というのは、一月号の論文では、

「折りに触れて用いた『大文字の建築』( Architecture with initial A )と 同義のつもりなのだが」

という。しかし この論文を読んでいくと、氏のいう カッコつきの《建築》とは、結局は「建築の芸術性」、あるいは「建築を芸術たらしめるべく 建物に込められた設計者の思想や方法」を意味していることが解る。それは すなわち『アーキテクチュア』ということではないのか。もしも この一月号の磯崎氏の論文を英訳するとしたら、「建築」という語の ほとんどは building と訳し、《建築》は architecture と訳せば足りるであろう。

 磯崎氏が「大文字の建築」とか、カッコつきの《建築》とかいう言葉を持ち出すのは、「建築」(アーキテクチュア)が、芸術的という限定がつくにせよ、物理的な「建物」、「構築物」のことである、という理解に立っているからに ほかならない。 建物に関する芸術性、文化的内容、込められた思想、等を指し示すためには、「大文字の」とか「カッコつきの」とか言わざるをえない と考えてしまうからである。けれど、『アーキテクチュア』とは「建物」ではない。 建物にこめられた「芸術性」や「思想」、「方法」こそが、『アーキテクチュア』という言葉の意味なのである。結局 磯崎氏も、日本語の『建築』という言葉に惑わされて、不必要な「大文字の」とか「カッコつきの」とかいうような 限定詞を作ってしまったのであろう。同論文の中の、次のような文章もまた そうである。(太字引用者)

「建築家として、具体的な 建築 を構想している自分と、建築そのもの を対象として 思考している自分とがあって...」

前者の『建築』が「ビルディング」を指し、後者の『建築そのもの』が「アーキテクチュア」を指しているのは、言うまでもない。

 小林氏や近江氏、磯崎氏のような、建築に通暁した優れた方々でも こうした誤解をしてしまうというのは、日本語の『建築』という言葉が いかに問題の多い訳語であるか ということを示している。まして一般の人々が、「建築」や「建築家」について さまざまな誤解をしてしまうのは、無理もないことである。(人々にとっては、「初めに言葉ありき」なのであるから。 )



IV

 『アーキテクチュア』は、明治の初めには 主に「造家学」と訳されていた。それに異議を唱えて『建築』という訳語を確立したのが、大建築家であり、優れた建築史家でもあった伊東忠太である、ということは よく知られている。多くの場合、それは彼の名誉として語られるのであるが、ここでは、それを 彼の大いなる失敗であった、と言わねばならない。それを詳しくみる前にまず、『アーキテクチュア』という言葉が 本来どんな意味であるのかを確かめておこう。

 アリストテレスの『形而上学』第5巻は「哲学用語辞典」となっていて、その第1章では「アルケー」という言葉が解説されている。アルケーとは、《ものごとの始まり、原理、始動因 》のことである。 (『形而上学』、岩波文庫、上巻)

「事物のアルケーというは....(五)動かされるものどもが そのように動かされ、転化するものどもが そのように転化するのは 或る者の意志によってであるとき、この或る者が またアルケーと呼ばれる。 ...諸々の技術(テクネー)においても、ことに 建築関係の諸技術を指図する 建築家(アルキテクトーン)の術が、アルキテクトニケーと呼ばれるのは そのためである。」

この「アルキテクトニケー・テクネー」(諸芸を統轄する原理)が、ラテン語の「アルキテクトゥーラ」を経て、フランス語の「アルシテクチュール」や、英語の「アーキテクチュア」その他の 語源となっているのである。

    伊東忠太

 伊東忠太は、「『アーキテクチュ−ル』の本義を論じて 其の訳字を選定し 我が造家学会の改名を望む」という有名な論文において、次のように書いている。(『 伊東忠太建築文献 』第6巻、龍吟社、1937 より、現代仮名づかいとする )

「『アーキテクチュ−ル』の語原は ギリシャに在り、正しくは大匠道と訳すべく、高等芸術と訳すも可なり。しかれども ギリシャ人は自らこの語を用いしことあらず、ローマ人 これをもって宮殿、寺院等を設計築造するの芸術に命名せしより、伝えて今日に至り、その本邦に伝来するや、あるいは これを訳して建築術といい 建築学といい、もしくは造家学というに至り、ついに これを攻究するの 造家学会を現出するに至りたり。」

この書き出しをもって、彼は「造家学会」を「建築学会」と改名するよう主張し、3年後に それは実現する運びとなった。その論旨は こうである。『アーキテクチュール』が一科の美術であるか、あるいは一科の工学であるかは様々に議論されているが、自分としては、『アーキテクチュール』は 世のいわゆる Fine Art に属すべきものにして、Industrial Art に属すべきものではないと思う。また『アーキテクチュール』の訳語についても二通りあり、「一はこれを造家学といい、我が帝国大学これを唱う。一はこれを建築術といい、美術家の一派これに従う」。しかし、「『アーキテクチュール』の本義は 単に「家屋を築造するの術」にはないのだから、 「造家学会」という名前は まずい。 ではどうするか。

「『アーキテクチュ−ル』の語は、これを我が国語に翻訳すること あたわざるも、強いてこれを付会すれば、則ち これを建築術と訳するの 尤も近きに如くはなし。」

 こうして『建築』という言葉が前面に押し出されたのであるが、これは彼の造語ではない。この論文が書かれた明治 27年までに 広く流布していた言葉であった。では、伊東忠太は『建築』という言葉を、本当に適切な訳語と考えていたのであろうか。実は同論文の中に、彼は次のように書いているのである。

(訳語として)「しからば 建築 の文字は如何、その意義の茫漠たるがために、これを造家の字に比すれば 却って妥当に近きものあり。しかれども『アーキテクチュール』の文字に 初めより 建築 なる意味を有せず、かつ往々にして土木と相衝突し、相混同するの嫌いなきあたわず、橋梁におけるが如きはその例なり。建築 の文字は 未だ適当なる訳字にはあらざるなり。」

彼は『建築』という訳語(訳字)を、適切とは考えていなかったのである。

 彼が正しい訳語と考えたのは、この論文の冒頭にある「大匠道」、ないし「高等芸術」であった。その字義の妥当さは、先ほどのアリストテレスの解説で明らかであろう。にもかかわらず、彼は『建築』という訳語で妥協してしまったのである。「建てる、築く」という意味の『建築』なる語は、「コンストラクション」の訳語ではありえても、『アーキテクチュア』とイコールで結べるわけもなかったのだが、しかし「造家」なり「建築」なりの言葉が広く用いられている以上、それらをひっくりかえして「大匠道」というような新たな造語を世の中に認めさせるのは難しい、と考えたのであろう。少なくとも「造家」よりはましな(と思われた)『建築』という訳語で妥協してしまったのである。

 これは、伊東忠太の大いなる失敗であった。その後の「建築」をめぐる言葉の混乱ばかりでなく、世の中の「建築」にたいする理解にとっても、「建築家」の仕事にたいする理解にとっても、それは大きな障害になったのである。

 ただ、一つ伊東忠太の弁護をしておくなら、彼は『アーキテクチュール』の訳語として、本当は「建築」ではなく「建築術」の語を選んだのである。もしそのとおりの訳語が普及していれば(「美術」や「芸術」のように)、『アーキテクチュア』が物理的な「建物」を指すというような誤解は、生まれにくかったことだろう。

 さて私は 拙訳書の題名を『イスラムの建築文化』としたのだが、逆に「建築文化」という言葉は、英語では何と言うのだろうか。文字どおりに訳せば " Architectural Culture " というところだろうが、しかし英語の本を読んでいてこんな言葉に出会うことは まずない。フランス語で " Culture Architecturale " という言葉に出会わないのと同様である。それは何故かというと、そのような言い方は必要でない、『アーキテクチュア』という言葉は 初めから「建物に関する芸術、文化」という意味を含んでいるのだから、「建築文化」の訳語は " Architecture " の一語で十分なのである。

 ここで 思い出していただきたいのは、ブルーノ・タウトの 有名な 『建築芸術論』(1948、岩波書店)という本である。 この題名は、野田俊彦の『建築非芸術論』(1914、『建築雑誌』)との類似によって、「建築は 芸術である」ことを論じた書物であると 誤解されやすい。しかしヨーロッパ人であるタウトにとって、建築が芸術であるのは自明の理であるのだから、そんなことをわざわざ証明しようとしたのではなく、「建築とは どのような芸術であるのか」ということを探求した書物なのである。「建築とは 釣合の芸術である」と。

建築芸術論

 そもそも この本の原題は "Architekturlehre"(建築論)である。にもかかわらず、訳者の篠田英雄氏は これを『建築芸術論』と訳した。日本では『建築』という言葉が 物理的な「建物」や、工学的な「建設」と同義に用いられていることを考えるなら、この本は「建設工学」に関する論考ではないのだから、『建築論』よりも『建築芸術論』と訳すべきだ と判断したのである。

 私が "Architecture de l' Islam" を『イスラムの建築文化』と訳したのも それと全く同じであって、「芸術」と「文化」の どちらに力点がおかれているかによって、『アーキテクチュア』を「建築芸術」と訳したり、「建築文化」と訳したりするのである。しかし それも題名ぐらいならよいが、たえず「建築芸術」とか「建築文化」とか訳しているわけにはいかない。通常は どうしても簡単に『建築』と訳してしまう。あとは「建物」とか「建設」という意味では決して『建築』という語を使わないようにするほかはない。

 ところが、こんな小細工では とても太刀打ちできない大きな障害がある。それは『建築基準法』である。この法律では言葉の定義がなされていて、第2条、第 13項に『建築』という言葉の定義として、

「建築物を新築し、増築し、改築し、又は移転することをいう。」

と書いてある。これが 国家の定めた、『建築』という言葉の定義である。これに従って 世の中では、建築、新築、改築、増築、建築業、建築屋、建築会社、建築資金、建築確認、建築面積、違反建築、耐火建築、建築解体業、というような一連の言葉の用法が定着しているのだから、『建築』という言葉が『アーキテクチュア』ではなく、「ビルディング」や「コンストラクション」という意味で理解されてしまうのは当然のことである。

 同様にして、『建築家』という言葉も 正しく理解されるわけがない。その文字通りの意味が「アーキテクト」であるよりは「ビルダー」なのだから。おまけに「建築士」との区別など一般の人には理解しがたく、最近では建物の設計をする人全体をさして「設計士」なる言葉が流布し、自ら そう名乗る人たちも出てきているくらいである。「建築」や「建築家」をめぐる言葉の混乱は、拡大する一途のようにみえる。

 では『アーキテクチュア』にたいする訳語として『建築』の語がまずいのであれば、どのような訳語が望ましいのであろうか。伊東忠太は『大匠道』という造語をしていながら、自らそれを放棄してしまった。また「哲学」その他の多くの造語をなした西周(にし あまね)は 、『美妙学説』(美学のこと)(明治10年)の中で『工匠術』という語を用いているのだが、「工匠」とは大工や職人をさす言葉であるからうまくないだろう。(伊東忠太の『大匠道』というのは、この点をふまえての造語であったと思われる。)

 『アーキテクチュア』がアリストテレスのいう「諸芸の原理」であるのなら、私ならば『原術』と訳したことだろう。『建築』という訳語に慣れすぎているので、『原術』などという言葉は奇妙に感じられもしようし、「芸術」や「幻術」とまぎらわしいと思われもしよう。しかし原語の意味自体は かなり正しく伝えているし、物理的な「建物」と取り違えることは ありえない。

 そしてまた『原術』ならば、建物の原理ばかりでなく、造船の原理 ( Naval Architecture) や、造園の原理 ( Landscape Architecture) 、そしてコンピュータの原理をも『アーキテクチュア』と呼ぶことに 納得が行くのである。



V

 以上に考察したような 我が国の現状において、我々の取りうる道筋は三つある。

 その一は、現状肯定である。『建築』という言葉が、今まで通りに「ビルディング」や「コンストラクション」の意味で使われるままにしておく。たとえ我が国における「建築」をめぐる言葉や制度が 欧米とちがっていようと、日本には日本の独自な制度があればよいのだ、という考え方である。『アーキテクチュア』や『アーキテクト』といった概念や、それにまつわる制度は ヨーロッパの文化であるにすぎないのだから、その「直訳文化」を 日本に無理強いする必要はない、という考えであり、建築家のあり方も「建築士法」も、今のままでよしとする態度である。

 第二の道筋は、西洋で確立された「建築文化」を 我が国にも正しく定着させるために、『アーキテクチュア』の訳語を、新たに、もっと正確なものに定め直そうとする道である。たとえば それを、先に提示した『原術』という訳語に定め直すとすれば、『建築』という言葉は 第一の道筋と同じように「ビルディング」や「コンストラクション」の意味のままにしておき、その代わりに、建築家は建築家と名乗るのをやめて『原術家』と名乗るのである。日本建築家協会は「日本原術家協会」と改称し、大学の歴史学の講座名は「西洋原術史」や「日本原術史」と変更する。拙訳書の『イスラムの建築文化』も、『イスラムの原術文化』、あるいは単に『イスラム原術』と題名を改める。

 そしてすべての報道機関に通告をして、現在の『建築』という言葉を 文化的、芸術的な意味において用いる場合は、これ以後 必ず『原術』と書いてもらうように依頼しなければならない。また すべての英和辞典その他の " Architecture " の訳語を『原術』と直してもらい、国語辞典その他には 新たに『原術』という項目を設けてもらわねばならない。そのようにしてこそ、「アーキテクチュア」という文化の翻訳が 正しくなされるのだ、と考える態度である。

 第三の道筋は、『建築』や『建築家』という言葉が『アーキテクチュア』や『アーキテクト』の訳語として、せっかく ここまで定着してきたのを手放すのは忍びないから、逆に そのような意味ではない使い方を排除していこう とする行き方である。『建築』という言葉は、『アーキテクチュア』の意味以外には 決して用いない。「ビルディング」を指すときには、必ず「建物」か「建造物」という言葉を用いる。(「建築物」という言葉もよくない。「建築主」は「建設主」の方がよい。)

 また『建築』に「する」をつけて動詞化した場合も、それは「建てる」、「建設する」を意味させてはならない。『 建築(アーキテクチュア)する 』とは、「設計行為を行う」とか、「建築の文化、芸術について思索する」という意味でなければならない。さらに、こうした言葉使いを定着させるためには、報道機関ばかりでなく、広く諸機関に改名の申し入れをして、受け入れてもらう必要がある。

 まず「日本建築学会」は「日本建設学会」と改称してもらう。各大学の「工学部建築学科」は「工学部建設学科」 に、「建築会社」は「建設会社」に、「建築業協会」は「建設業協会」に改めてもらう。出版関係では、彰国社の『建築大辞典』は『建設大辞典』に、『建築学大系』は『建設学大系』に、雑誌の『建築技術』や『建築知識』はそれぞれ『建設技術』や『建設知識』に名称変更してもらわねばならない。

 そして何よりも、『建築基準法』を『建設基準法』と改め、第二条の「用語の定義」をすっかり改訂してもらわなければ 意味がない。「一級建築士」は「一級建設士」と名前をつけ変えて、『建築家』とは はっきり異なった資格とする。したがって、「一級建設士」の英訳は " First class Architect " ではなく、" First class Builder " である。『建築士法』を『建設士法』と改めると同時に、新たに『建築家法』を制定すべきことは 言うまでもない。

 これら三つの道筋のいずれも、採用するのは難しく思われるかもしれない。けれども そのどれかを選ぶ以外に道はない。 第一の道筋が一番安易である。しかしそれは 建築家協会の求める方向とは一致しないであろう。第二の道筋は 最も正攻法であるとはいえ、新たな訳語の選定および確立には、いくたの困難が伴うことだろう。第三の道筋は、一見妥当に見えながら、実は現実社会の抵抗が より大きいのではないだろうか。そしてまた、仮にそれが ある程度うまくいったとしても、『アーキテクチュア』の訳語を、「建てる、築く」という漢字からなる『建築』としたままでは、伊東忠太の失敗は そのあとも なお 尾をひくように思われるのである。



《 補遺 》

 「アーキテクチュア」という言葉の意味は、次のような例文を見る時に、より はっきりするであろう。建築史家のジョージ・ミシェルが、ペマヤンツェの僧院について解説している文章である。 (George Michell : The Penguin Guide to the Monuments of India, vol.1, p.249、下線引用者)

"The complex consists of a main prayer hall surrounded by a school, a kitchen and residences. The architecture of the buildings is typical of the eastern Himalayas, with painted masonry walls overhung by steeply gabled roofs; the doorways and windows are surrounded by brightly coloured bands."

下線部分を訳すのに、現在普通に用いられている用語法を もってすれば、

「これらの建築の建築は、東部ヒマラヤ地方に典型的なものである。」

ということになるが、これでは何のことやらわからない。これに対して、次のような訳文ならば、その意味が はっきりするであろう。

「これらの建物の原術は、東部ヒマラヤ地方に典型的なものである。」

つまり architecture というのは、物理的な建物をさす言葉ではなく、建物に込められた方法や表現をさしているのである。このような場合に現代の日本語では、

「これらの建物のデザインは、...」

と言うところであろうが、「原術」(アーキテクチュア)というのは 単に形や様式ということではなく、その文化の総体を意味している。

 またフランスの大革命時代の建築家、ブレに 次のような言葉がある。("Les Architectes de la Liberté" p.11、下線引用者)

"C'est cette production de l'esprit, c'est cette création, qui constitue l'architecture, que nous pouvons, en consequence, définir l'art de produire et de porter à la perfection tout édifice quelconque."

この文の下線部分を 単独の文章として訳せば、次のようになる。まず普通の用語法では、

「建築とは、どんな建築であれ、それを生成させ、完全に仕上げる芸術である、と定義することができる。」

これを 「原術」 という言葉を用いて訳せば、

「原術とは、どんな建物であれ、それを生成させ、完全に仕上げる芸術である、と定義することができる。」

つまり、物理的な存在としての「建物」(エディフィス)に内在する芸術、方法が「原術」(アルシテクチュール)なのである。

 一方、現代の日本語における「建築」という言葉の意味を示すものとして、新聞の投書欄における、ある建築家の文章を掲げる。 (朝日新聞、1991年 3月6日朝刊、太字引用者)

建築業界 では、設計が終わっても施工者が決まらず、..(中略)..税金対策で 建築する ことが多いからだ。しかも、地価に比べて相対的に 建築費用 を安く感じ、コストに鈍感になっている。このような実需とはいえないブームに乗り、建築費 も高騰してしまった。業者が利潤を上げやすい工事へ走るのは責められないが、平均コストの上昇で、零細な 建築主 の小ビルや住宅にしわ寄せが出はじめている。高騰した地価に 建築費 が連動してしまったのだ。不要不急の 建築を控える 以外、自営手段はあるまいが、地価と 建築費 の高騰というダブルパンチで、..(後略)。」

短い文章の中に、「建築」という言葉が 全部で8ヵ所 出てくる。ところが これらは全て「建設」という意味で使われていて、「アーキテクチュア」の意味で用いられているところは1ヵ所もない。投書の主は日本建築家協会会員の建築家である。建築家自身が「建築」という言葉を このように用いているのだから、一般の人が「建築」を アーキテクチュアの意味に理解するわけがないのである。


執筆 :1990年 10月〜1991年 1月
初出 :デルファイ研究所刊『at』誌、1992年 11月号(懸賞論文・優秀賞)
再録 : INAX 刊『燎(かがりび)』第 22号、1994年 6月


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マハーヴィーラ
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