ENJOIMENT in ANTIQUE BOOKS - VIII
マルグリット 著、シェリエルアール

『 七日物語 (エプタメロン)

Marguerite de Navarre + Chéri Hérouard :
" Heptaméron des Nouvelles "
Edition illustrée, 1932, Javal et Bourdeaux, Paris
Tome 1, relié en basane ocre, 16 Compositions au Pochoir


神谷武夫

BACK      NEXT


 前回の『青い鳥』に続いて、今回も建築書ではなく、フランスの「挿絵本」を採りあげます。ただし『青い鳥』とは、あらゆる意味で対照的な「挿絵本」です。まず本の大きさが、『青い鳥』が小型の「八つ折り本(オクターヴォ)」であるのに対して、その2倍もある「四つ折り本(クワルト)」であること、次に『青い鳥』の「仮綴じ本」に対して、今回はフル・レザーの「革製本」であること、そして内容が、童話風の『青い鳥』に対して、かなりきわどい艶笑譚が並ぶこと、何よりも、挿絵が同じポシュワール技法であっても、内容を反映して、前回のアンドレ・マルチの清楚で愛らしい『青い鳥』に対して、今回はむしろエロティックで妖艶なものであること、などです。

 その本と言うのは、16世紀のナヴァール王妃・マルグリット(1492 -1549)が書いた『七日物語(エプタメロン)』です。マルグリットというのは、フランス文学史上に名を残す閨秀作家で、その代表作とされるのが『エプタメロン』です。フランスの女流作家と言えば、19世紀以後にはスタール夫人、ジョルジュ・サンド、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、フランスワーズ・サガンと、いろいろ思い浮かびますが、それ以前となると、このマルグリット・ド・ヴァルワただ一人でしょうか。もちろん職業作家というわけではなく、逆に王家の生まれで、フランスワ 1世の姉にあたり、フランス・ルネサンス文芸の庇護者であり、宗教改革を支持したことでも知られています。当時有数の知識人であり、スペインのナヴァール王と再婚したことから、通常、マルグリット・ド・ナヴァール(ナヴァール王妃マルグリット)と呼ばれます。

 幾多の抒情詩や宗教劇を書きましたが、晩年は、イタリアのボッカッチョ(1313 -75)による短編小説集『デカメロン』(1348 -53)を愛好するあまり、その物語集の枠組みを借用して、自ら新しい「デカメロン」の執筆を意図しました。『デカメロン』というのは、10人の人物がトスカナ地方のある教会堂に集まって、10日間、毎日一人一話ずつ面白い物語を話してきかせるので、10話×10日間で、全百話の物語集になるという構成です。「デカメロン」というのは10日の意で、これを『十日物語』と訳します。

  
『エプタメロン』 革製本と、仮綴じ本の 表紙

 マルグリットは、当時フランス語に翻訳されたばかりの『デカメロン』を読んで惚れ込み、ナヴァール地方で見聞きした物語をこの枠組みに当てはめて、新しい十日物語を書くことにしたのです。大雨で行く手を阻まれた旅人たちが、ある修道院に滞在し、橋が架かるまでの 10日間に、お互いに面白い物語をして、100の物語集にするという構想です。ところが彼女は、1542年に書き始めたものの、これを完成させることなく、1549年に世を去ったので、残された物語は、7日間の70話と、8日目の2話のみでした。

 そこで、1559年にクロード・グリジュがこれを編纂して出版した折り、『エプタメロン』という題名をつけたのです。「エプタメロン」というのは7日の意なのでこれを『七日物語』と訳しますが、しかしボッカッチョの本を『十日物語』というよりは『デカメロン』と呼ぶことが多いように、これも『エプタメロン』と呼ばれることのほうが多いようです。
ただこの本が最初に出版された時には “HISTOIRS DES AMANT FORTUNÉZ”(「幸運な恋人たちの物語集」)というものでした。マルグリットの死の9年後の 1858年、ピエール・ボエスチュオーが編纂して、この題名をつけたのですが、(「幸運だったり不運だったりする恋人たちの物語集」と題するエディションもあるらしい)、これは甚だ不完全なもので、72話のうち 67話しか収録せず、物語の順序を変えたり、原文に手を入れたり したものであったようです。

 その後フランス語の完全版が幾度となく出版されてきましたが、ここに紹介する版のように、タイトルは "Eptameron des Nouvelles" (エプタメロン・デ・ヌヴェル)です。「ヌヴェル」 (Nouvelle) というのは英語の「ニュース」(知らせ、便り、転じて 報道)と同じ言葉ですが、フランスでは また、長編小説を「ロマン」(Roman)、中・短編小説を「ヌヴェル」と言います(短編小説は「コント」(Conte) とも言います)。
 内容が『デカメロン』と同じように、ほとんどが艶笑譚で、当時の修道院の僧たちの堕落ぶりなどを滑稽に描く、風刺に富んだものだったので、これにエロティックな絵を加えた「挿絵本」も 何種も作られました。その中で最も名高いのが、今回のシェリ・エルアールによる挿絵本です。これは 1932年にパリの ジャヴァル・エ・ブルドー社から、全4巻で出版されました。

  
『エプタメロン』 の 種々の扉と 本文ページ

 何度も触れたように、フランスでは基本的に、新刊本は仮綴じ本として出版され、それを買った人がそれぞれ 製本(ルリュール)工房に持って行って、自分好みの革製本をさせる、というのが原則となっていました。実際には、革製本はたいへんに費用がかかるので、それほど裕福でない読書人は、革製本をせずに、三方折り返しの柔らかい紙表紙の 版元製本のままで所有している人も多かったことでしょう。
 前回の『青い鳥』は まさに それで、いわゆる「ブロシェ」のままの仮綴じ本(日本での、いわゆる「フランス装」)でしたが、今回採りあげる『エプタメロン』は、革による自家製本、それも「ハーフ・レザー」や「クォーター・レザー」ではなく、「フル・レザー」(フランス語では「プラン・キュイール」)、つまり表表紙、背表紙、裏表紙のすべてが 一続きの革による製本です。しかも 本の大きさが、『青い鳥』は「八つ折り本」なのに対して、こちらは「四つ折り本」で2倍の差があるので、見た目の本の貫録は、前回とは大違いです。
 「四つ折り本(クワルト)」というのは、紙の全紙を二つ折りにし、さらに二つ折りにして、一折りを8ページにします。約 25 × 20cmとなるので、今で言う A4判を やや小さめにした大きさとなります。「八つ折り本(オクターヴォ)」は、これを さらに二つ折りにするので 一折りは 16ページとなり、大きさは約 22 × 15cmとなり、ほぼ現在の A5判にあたります。これが現在でもフランスの大方の文学書の標準サイズです。ただ 挿絵本の場合には 本文用紙が やや厚手になるので、8ページで一折りにする場合もあります。

  
『エプタメロン』の ポシュワール挿絵

 さて、仮綴じ本を革製本するには、まず 綴じ糸(はずしやすく2段のみが普通)を切って本をバラバラにし、天金をつけるために上部だけカットして切り揃えます。これを4段の糸かがりをして綴じ、天金をほどこし、革表紙に綴じつけます。背の上下には「花切れ」を付けて、背表紙の革を曲げて かぶせるようにします。
 背には、かなり大きな出っぱりの4段のバンドが付けられています。本来はここに背綴じ紐があり、そこにかがり糸を巻きつけて綴じたので、自然にバンドができたのですが、現在では、これは単なるクラシックな飾りとして、バンドがつけられます。バンドの合間にはデザインされた型押しがあり、本のタイトルは金の箔押しで打ち込まれています。
 フル・レザーの場合には表紙にも意匠が凝らされるのが普通で、今回のものは 表表紙も裏表紙も深い型押しによって、この本のためにデザインされた図柄が、革の「浮彫り」のようにプレスされています。中央には裸女が二人いて、周囲には鳥と唐草模様が刻まれた、かなり派手なものです。

 もともとの仮綴じ本の時の紙表紙は完全に保存されて、表表紙は本の最初に、裏表紙と背は本の最後のほうに紙を足して綴じこまれています。それなりにデザインされた表紙ですから、革製本するからといって 捨ててしまうのは勿体ないわけです。
 革の表紙は厚く、意匠が凝らされていて、いかにも愛書家による自家製本という印象を与えますが、しかしこの装幀は、実は私の所有するものの他に、多数の同一装幀の本があることが、古書カタログなどでわかります。この表紙の凝った型押しのプレートは、わずか1冊のためにのみ 作られたわけではないでしょう。
 推測ですが、版元のジャヴァル・エ・ブルドー社は、発売に当たって、同じデザインの革製本の希望者を募ったのではないでしょうか。部数がまとまれば それだけ安くなりますので、(全4巻ともなればなおさら)再製本の出費を抑えるために、ある程度の数の愛書家がこれを注文して買ったのでしょう。もちろん、他人と同じ装幀の本を持つのがいやな愛書家は、自分のためだけに、たった1部の革製本をしたことでしょうが。

  
『エプタメロン』の ポシュワール挿絵

 本文用紙は、かなり厚手の、アルシュのヴェラム紙です。「アルシュ」というのは、1492年にフランスのロレーヌ地方の アルシュ工場で生まれたので、今でもその呼び名で使われていますが、日本の和紙にも似た きめの細かい上質紙で、水彩画用の紙としては、昔も今も最高級紙とされています。発色がよいので、挿絵本にはよく用いられます。一方、「ヴェラム」というのは、本来は仔牛や仔羊の革(羊皮紙)ですが、それに似せて作られた発色のよい上質紙をもヴェラムと言うようになりました。
 挿絵本で用いられる最高の紙は、日本の局紙(帝国紙とも言いますが、造幣局で作った紙幣用の紙)であって、フランスの挿絵本では、最初の小部数がこれに印刷され、あとの多くはヴェラム紙に刷られるのが普通でした(本の値段に差があります)。特にポシュワールの挿絵には、発色のよいヴェラム紙が好まれました。

 本文の活字は大き目で、ゆったり配されています。前回の『青い鳥』では、マルチの挿絵は本文の中に割り込むようにして、絵と活字が一体化して各ページを作っていましたが、今回の本は、それとは対照的に、活字と組み合わされた挿絵はなく、絵はすべて1ページ大で、本文とは切り離されて独立に挿入され、それぞれグラシン紙が絵の保護用に、前面に綴じこまれています。絵の裏には、何も印刷されていません。
 全4巻のうち、私が所有しているのは第1巻のみですが、ここには 16枚の絵が挿入されているので、全巻を通すと 64枚ということになります。ポシュワールによる大型の版画が 64枚というのは、かなりの分量です。アンドレ・マルチとは違ったスタイルの細密画で、細部までよく描きこまれ、今から 80年前の本だというのに、発色も実によろしい。
 挿絵本の絵は原画を画家が描きますが、日本の浮世絵版画でも、彫り師と刷り師の腕によって仕上がりの差が大きくつくように、ポシュワール化する職人の腕によって、大きな差ができます。今回の『エプタメロン』は、シェリ・エルアールの原画をポシュワール化した ダニエル・ジャコメ工房の冴えた技術によって、素晴らしい細密画になっています。

  
『エプタメロン』のポシュワール挿絵

 シェリ・エルアール(1881-1961)は、20世紀前半に活躍したフランスの挿絵画家で、雑誌『ラ・ヴィ・パリジェンヌ』の常連挿絵で名高く、特にエロティックな挿絵に才を発揮しました。この『エプタメロン』には最適の画家と見なされて、挿絵を依頼されたのでしょう。

 全般的に言って、「挿絵本」には、こうしたエロティックな挿絵が多く見られます。そうした題材の文学作品の代表はピエール・ルイスの『ビリチスの歌』や『アフロディテ』であって、ジョルジュ・バルビエを初め、多くの画家による挿絵本が出版されました。
 おそらく、愛書家というのは ほとんどが男性であって、女性の愛書家というのは めったに いない、ということが その原因かもしれません。単に読むだけなら挿絵本の必要はないわけで、わざわざ高価な挿絵本を購入する男性の愛書家にとっては、エロテイシズム豊かな挿絵本のほうが魅力的であったのでしょう。
 まあ、革で製本した豪華な本で、エロティックな挿絵のはいった艶笑譚を読む というのも、ぜいたくな「古書の愉しみ」だと言えます。

( 2011 /11/ 01 )


< 本の仕様 >
 "Héptaméron des Nouvelles" 挿絵本、パリ、ジャヴァル・エ・ブルドー社、1932年。
  全4巻の内、第1巻、1,540部のうち、1264番。(文字本の初版は 1558年)
  26cmH x 20cmW x 4.3cmD、1.8kg、iii + 239ページ、天金、フランス語。
  自家装幀による、羊のなめし革装 (プラン・キュイール)、黄土色、金文字箔押しと模様空押し。
  アルシュのヴェラム紙、ポシュワールによる彩色図版(ページ大)16点。



BACK     NEXT

© TAKEO KAMIYA 禁無断転載
メールはこちらへ kamiya@t.email.ne.jp