今回の「古書の愉しみ」は、そのタイトルにふさわしい、ヨーロッパの長い 造本芸術 (Relieur, Bookbinding) の歴史上にある、2冊の美しい ハーフ・レザーの古書を採りあげます。本は、近代フランスの詩人を代表する二人、ポール・ヴェルレーヌ (1844-1895) と アルチュール・ランボー (1854-1891) の詩集です。前者は、19世紀の「典型的なデカダンスの詩人」と評されたりする ヴェルレーヌの最も名高い詩集『叡智』で(『知恵』とも訳されます)、獄舎で回心してカトリック教徒となった詩人の、透明な心境を詠ったものです。入獄の原因となったのは、若いランボーとの同性愛、逃避行、そして発砲事件でした。 そのランボーの散文詩集としては『地獄の一季節』と『イリュミナシオン』の2冊がありますが、それ以外の彼の韻文詩作品のすべてという意味で『全詩編』と題されているのが、後者です。2冊とも 偶然ながら、今から約 90年前の、同じ 1925年に出版された古書ですが、それよりも ずっと後になって モロッコ革で製本された、まるで新品のように きれいな書物です。
『叡智』と『全詩編』を開いたところ
ポール・ヴェルレーヌ 『叡智』 第3部、第6歌
Le ciel est, par-dessus le toit, |
空は屋根の向こうに |
Si bleu, si calme! |
いとも青く、いとも静かで! |
Un arbre, par-dessus le toit |
椰子の樹は屋根の向こうに |
Berce sa palme. |
風に葉をなびかせて |
. |
La cloche, dans le ciel qu’on voit |
空に見える鐘楼は |
Doucement tinte. |
柔らかに鐘の音を立て、 |
Un oiseau sur l’arbre qu’on voit |
樹の上に見える鳥は |
Chante sa plainte. |
か弱く鳴き歌って。 |
. |
Mon Dieu, mon Dieu, la vie est là |
神よ、神よ、生はそこに、 |
Simple et tranquille. |
単純に、平穏にある。 |
Cette paisible rumeur-là |
その平和なざわめきが |
Vient de la ville |
町から流れくる。 |
. |
―― Qu’as-tu fait, ô toi que voilà |
―― どうしたのか、おお そこで |
Pleurant sans cesse, |
たえず 涙をこぼしているお前よ |
Dis, qu’as-tu fait, toi que voilà, |
言え、そこにいるお前よ |
De ta jeunesse? |
自分の青春を お前はどうしたのか?
|
ポール・ヴェルレーヌ『叡智』の表紙
そこで、まず、ヴェルレーヌの 最も人口に膾炙した詩編のひとつ「空は屋根の向こうに」を、上に掲げてみました。ヴェルレーヌの詩というのは、実に平易な言葉で 単純に平明に書かれていますが、そこに韻が踏まれていることによって耳に快く、口ずさみやすく、日本でいえば北原白秋の詩のように、人々に愛されるのでしょう。特にこの詩は、フランス語の初心者でも いくつかの語を辞書に当たるだけで、素直に読めます。「難解な現代詩」のような趣は まったくありません。
4行から成るスタンザが 4つ並んで、16行詩となっています。3つのスタンザには、窓から見える(聞こえる)平和な風景が穏やかに描写されていて (スタンザからスタンザへと 脚韻が踏まれているのも よく解り)、のんびりした抒情詩だなと思わせます。ところが最後の第4のスタンザで不意に、自分の青春を お前はどうしたのか? と問い詰められて、ハッと胸を突かれます。その構成が 実にみごとです。ちょうど「世界のイスラーム建築」のサイトの「イスファハーンの シャイフ・ロトフォッラー・モスク」で見た、建築的な「劇的構成」を 詩にしたような印象です。
ポール・ヴェルレーヌ『叡智』の本扉
でも この詩を読んで、これと似たような詩的体験をしたことがある と思う人がいるのではないでしょうか。私もそうです。あの中原中也の詩集『山羊の歌』の中の「帰郷」という詩です。
中原中也 『山羊の歌』 より 「帰郷」
柱も庭も乾いてゐる |
今日は好い天気だ |
椽(たるき)の下では蜘蛛の巣が |
心細そうに揺れている |
. |
山では枯木も息を吐く |
あゝ今日は好い天気だ |
路傍(みちばた)の草影が |
あどけない愁(かなしみ)をする |
. |
これが私の故里だ |
さやかに風も吹いてゐる |
心置きなく泣かれよと |
年増婦(としま)の低い声もする |
. |
あゝ おまえはなにをしてきたのだと ・・・・・・ |
吹き来る風が私に云ふ |
これは最後のスタンザが2行なので 14行詩になり、「ソネット」というわけです。ソネットと言えば、立原道造は そのほとんどの詩を 4行+ 4行+ 3行+ 3行のソネット形式で書きました。それほどに 詩の「形」にこだわったのは、彼が建築家であったからではないか と思いますが、中也の『山羊の歌』には ソネットもあれば 16行詩、その他もあり、あまり 形 を意識しなかったようです。
ポール・ヴェルレーヌ『叡智』の内容
この「帰郷」は、ヴェルレーヌの上記の詩とは 最終スタンザの行数が2行ちがうだけで、歌われている構成は まったく同じようです。田舎の(故郷の)のどかな風景を3つのスタンザで のんびり歌い、最終スタンザになって 不意に、「あゝ おまえは何をしてきたのだ」と自分に、あるいは読者に問いかけます。人間だれでも(若くても 老いても)過去の人生に悔いをもっているでしょうから、この詩を初めて読めば、胸を突かれるにちがいありません。
中原中也はランボーの詩集を翻訳し、語学的には 誤訳のようなところが多くあるにせよ、その詩心の表現としては 他のフランス文学者よりも優れていると見なされて、中也訳の『ランボオ詩集』は 今でも岩波文庫の定番となっています。当然 中也はヴェルレーヌも読んだでしょうから、上記の「空は屋根の向こうに」に胸を突かれ、その内容と「劇的構成」を 自分の詩に応用してみたのでしょう。
ヴェルレーヌがスケッチした、アルチュール・ランボー (1872年 6月)
(プレイヤード版 "Album Verlaine", 1981, Gallimard より)
上のヴェルレーヌの詩は 私が訳してみたのですが(韻を踏んでいます)、実は 最終スタンザは私の訳ではなく、昔読んで 覚えこんでしまった訳詩を、そのまま嵌め込んでいます。 若い頃、本を読んで気に入ったフレーズがあると、それをカードに書き写して ポケットにいれ、何度も読み返しては だいたい覚えてしまう という習慣がありました。そのようにして このスタンザがすっかり頭に刻まれてしまったので、他の訳には どうしても違和感を覚えてしまいます。
では、この部分は 誰の訳かというと、堀口大学の訳でもなく、上田敏の訳でもなく、神谷美恵子(1914-79)の『生きがいについて』においてだったのです(みすず書房 1972年版の 30ページ)。彼女はスイスで育った時期もあり、仏語に堪能だったので、ヴェルレーヌも 仏語で読んだことでしょう。引用する時も、ほかの人の訳を 参照しなかったようです。この本で その詩句に「胸を突かれた」私は、きっと それをきっかけに、ヴェルレーヌの詩集を読んだのだと思います。
人間が生きがいを失ったり 取り戻したりするというのは どういうことなのかを、古今東西の文学、哲学を通じて探った『生きがいについて』は、実に感銘深い書物で、それ以来、毎年1冊ぐらい出版される 彼女の本を読むのが習慣になりました(存命中でしたから、まだ全集としての『著作集』が出ていない時代でした)。神谷美恵子さんが このヴェルレーヌの詩句を その本に引用したのは、次の文脈においてです。
「もし過去の生活が まったく意味のないもの、失敗したものと感じられれば、その無意味感は 人をうちのめしてしまい、現在の生をも 無意味に感じさせてしまう。その痛烈な なげきは ヴェルレーヌが獄舎の窓から むこうにみえる平和な空の色と街の屋根を眺めて歌った詩に にじみ出ている。」
こうしてヴェルレーヌの この詩が獄中で作られたことを知るわけですが、先述のとおり、この平易な詩は、そうした状況を何も知らなくとも、素直に易しく読める詩です。文学作品や音楽作品を、作者(作曲家)の人生と重ね合わせて解説することが多すぎるのは困ったものだ という気もしていますが、しかしヴェルレーヌの生涯というのは 小説よりも小説的、演劇よりも演劇的というか、その栄光も悲惨も常軌を逸しています。新潮文庫の『ヴェルレーヌ詩集』には 訳者の堀口大学が実に巧みにヴェルレーヌの生涯と詩業を解説していて見事ですし、長いものでは アンリ・トロワイヤの『ヴェルレーヌ伝』(沓掛良彦・中島淑恵訳、2006、水声社) が 小説のように読ませます。とりわけ 10歳も年下のアルチュール・ランボーとの交情 および、天国と地獄の入り混じったような共同生活には 言葉を失います。
アルチュール・ランボー『全詩編』の表紙
ついには ヴェルレーヌから去ろうとするランボーを 拳銃で撃って負傷させ、犯罪者として2年間収監の 有罪判決を受けます。この獄中で ヴェルレーヌは宗教的回心を遂げ、敬虔なカトリック信者となり、模範囚として 刑期が半年軽減されます。この獄中および、1875年に 30歳で出所してから数年間に書き溜めて 1881年に出版したのが、詩集『叡智』です。
汚辱にまみれた 過去の詩人の本を出版してくれるところはなく、やっとヴィクトル・パルメが経営するカトリック出版社 から 自費出版で出しました。部数はわずか 500部でした。費用は、たぶん母の援助だったのでしょう、本の最初のページには、母への献辞があります。
A LA MÉMOIRE DE MA MÈRE P. V. (わが母の思い出に ポール・ヴェルレーヌ)
しかし この詩集は、ほとんど何の反響も呼ばず(数か月のあいだに、わずか8部しか売れませんでした)、ヴェルレーヌは 過去の化石として、無視されたのでした。
ところが、その翌年の 1882年の半ばに 再びパリに住むようになると、若い世代の詩人たちに再発見され、偉大なる詩人として、熱狂的な支持を受けるようになるのです。『叡智』は 1889年には、レオン・ヴァニエ書房から 1,000部 再版され、何度も重版されました。1911年には、後述のランボー『全詩編』と同じく ジョルジュ・クレ書房から 「大作家」(Les Maitres du Livre)叢書の1冊として 出版されます。名声は高まるばかりで、次々と詩集を出版しましたが、その質は落ちていき、駄作だらけだったとさえ評されています。
私の所有するのは 今から 90年ほど前の 1925年に パリのエディシォン・ダール・エドゥアール・ペルタン社から出たもので、きわめて上質で腰の強い 和紙のような(たぶんアルシュ紙)に印刷されています。「挿絵本」とも呼べるもので、詩集全体が3部に分かれていますが、各部の最初に モーリス・ド・ランベールの2色刷りの木版画が綴じこまれ、また 各部の最初の詩の上には 小挿絵(キュ・ド・ランプ)が1色の木版画で刷られ、各詩の末尾には 小カットが添えられています。しかし 内容が ヴェルレーヌの回心した宗教心が歌われているので、挿絵もまた キリストやマリアを描いていて、まるで宗教書のようです。(最後の目次の上の キュ・ド・ランプだけが、パリのセーヌ河の橋と ノートルダム大聖堂を描いた風景画です。)
アルチュール・ランボー『全詩編』の扉
アルチュール・ランボーは 天才的、革命的詩人として、初めはヴェルレーヌの庇護を受けましたが、次第にヴェルレーヌに君臨するようになります。ヴェルレーヌが囚人となっていた 1973年に、19歳で 20世紀詩の最大の問題作『地獄の一季節』を書いて出版するも、当時はほとんど反響を生まなかったと言います。もう1冊の散文詩集『イリュミナシオン』は、彼の生前には 本としては出版されませんでした。彼自身は そうした世界に愛想を尽かしてか、もはや文学への興味を失ってか、21歳で詩を書くことをやめてしまい、30代で貿易商として中東に暮らしましたが、1891年に 37歳の若さで、癌で世を去りました。(中原中也はもっと若く、30歳で病没しましたが、生涯 詩を書き続けました。)
アルチュール・ランボー『全詩編』の内容
ランボーは 疾風のように現れ、疾風のように去った詩人でしたが、その死後、詩人としての評価は 破竹の勢いで上り、世界中で出版された彼の詩集は 数限りありません。それに比べると ヴェルレーヌは、今では あまり読まれなくなっているのかもしれません。
ランボーは2冊の散文詩集のほかに、63編の韻文詩編を書いています。この韻文詩を全部集めた本が『全詩編』です。最初に出版されたのは ランボーの死後、1895年にランボーの妹のイザベル・ランボーの同意のもと、パリのレオン・ヴァニエ書房からでした。ヴァニエ書房は ヴェルレーヌの詩集も何冊か出している出版社で、この『全詩編』には ヴェルレーヌが序文を書いています(この翌年、彼は肺炎で世を去りますが)。
私の所有しているのは、偶然にも ヴェルレーヌの本と同じ 1925年に、パリのジョルジュ・クレ書房から「大作家」(Les Maitres du Livre)叢書の1冊として出版されたものです。ジョルジュ・クレ書房は 1313年から 1925年にかけて存続した出版社で、「大作家」叢書は 手ごろな価格で買える純文学叢書として人気があったらしく、このランボーの『全詩編』が 第 120冊目と書いてあります。1961部印刷した内の 第 1069番の番号入りです。
『叡智』と『全詩編』の上部
私は 詩の世界に、それほど深く没入したことはなく、この二人の詩人も、そう深く読み込んだわけではないのですが、ただ「愛書家」として、美しい革装本で 彼らの詩集を手元に置いておきたいものだと思い、古書店を探して、望みどおりに手に入れたのが、今回紹介した2冊です。
( 2014 /03/ 02 )
< 本の仕様 >
ポール・ヴェルレーヌ Paul Verlaine: 『叡智』 "SAGESSE"
Éditiond’Art Édouard Pelletan, R. Helleu et R. Sergent, Éditeurs, Paris, 1925
パリ、エディシォン・ダール・エドゥアール・ペルタン社、1925年版
21cm x 16cm x 2cm、152ページ、鋼版画 1枚、2色刷り木版画3枚挿入
モロッコ革製本(ハーフ・レザー)、濃紺色、天金、平と見返しはマーブル紙、重量:600g
アルチュール・ランボー Arthur Rimbaud: 『全詩編』 "POÉSIES COMPLÈTES"
Les Éditions G. Crès & Cie, Paris, 1925
パリ、エディシォン・ジョルジュ・クレ社、1925年版
19cm x 13.5cm x 2cm、232ページ、鋼版画の図版 1枚挿入
モロッコ革製本(ハーフ・レザー)、焦茶色、天金、平はマーブル紙、重量:450g
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