ANTIQUE BOOKS on ARCHITECTURE - VI
ジェイムズファーガスン

『 歴史的探究 』(建築美の原理)

James Fergusson :
" An Historical Inquiry into the True Principles "
Volume I, 1849, Longman, Brown, and Green, London.


神谷武夫

『芸術、とりわけ建築美に関する正しい原理への歴史的探究 』


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 前回、最初に書かれた「世界建築史」の候補として、エドワード・オーガスタス・フリーマンの本を取り上げましたが、『フリーマン建築史』は、インド建築とアラビア建築を少々扱っているというだけで、全体が有機的な「世界建築史」の記述になっているとは、とても言えません。前回書いたとおり、「世界建築史」としては、いまだ萌芽期の書物であったと言わざるをえません。
実は、その『フリーマン建築史』が出版されたのと同じ 1849年に、ジェイムズ・ファーガスンは『歴史的探究』という全3巻の構想からなる大著の第1巻を、ロングマン社から出版していました。 今から 162年前のことです。
 この本はファーガスンの三部作(『世界建築史』、『インドと東方の建築史』、『近世様式の建築史』)および、それらの前身となる『図説・建築ハンドブック』など、彼のほとんどの本よりも大型の 29cm× 19.5cm、つまり、現代でいう A4判に近いサイズの本です。これが どのような書物であるかについては、「ジェイムズ・ファーガスンとインド建築」に多少書きましたので、まずその部分を 以下に転載しておきましょう。

『歴史的探究』 版元製本の 初版, 1849

 ファーガスンが最初に書いた 本格的な理論書は、1849年の『芸術、とりわけ建築美に関する 正しい原理への歴史的探究(An Historical Inquiry Into the True Principles of Beauty in Art, More Especially With Reference to Architecture)』という長い題名の本である (以下、本稿では『歴史的探究』と略すことにする)。
 ここに注目すべきは「正しい原理(True Principles)」という言葉が使われていることであって、これは オーガスタス・ウェルビー・ピュージン(Augustus Welby Northmore Pugin, 1812-52)からの影響であった。

 19世紀初頭、イギリスの建築界は それまで支配的であった新古典主義(新しい建物を 古代ギリシア・ローマの建築様式に基づいて設計する傾向)に異議を唱える 建築家や理論家が現れた。ピュージンはその代表で、キリスト教建築の正しい姿はゴチック様式にあり、異教世界のギリシア・ローマの古典様式は ふさわしくないと主張した。
 尖頭アーチを基本とするゴチック建築は、その複雑な造形的表現も 構造的合理性に基づいており、すべての装飾は それを妨げずに存在しているがゆえに価値があり、それが建築の「正しい原理」であるのだという。
 彼が 1841年に出版した『キリスト教建築の正しい原理(The True Principles of Pointed or Christian Architecture)』は、19世紀のイギリスを中心とする ゴチック・リバイバルの理論的支柱となった書物であった。ファーガスンは この考えに強く共感し、その「正しい原理」という言葉を借りるのである。

 ピュージンや ジョージ・ギルバート・スコット(後にボンベイ大学の講堂と図書館を設計する)など リバイバリストたちは、新しい聖堂をゴチック様式で設計し、「中世賛美」の潮流を イギリスの建築界に広めた。
 しかしファーガスンは、ゴチック様式を高く評価しながらも それを絶対とは考えなかったし、またその様式で現代建築を設計すべきだとも考えなかった。

『歴史的探究』 扉ページと石版画の口絵

 ファーガスンは ピュージンと同じようにゴチック様式を高く評価したが、しかし中世とは 社会システムも人々の心情も まったく異なった現代(ファーガスンの 19世紀)において、新しい建物に過去の様式を用いるのは誤りだ と考えた。そしてまた ゴチック様式以外にも世界各地にさまざまな様式があり、それらは その時代と社会の要求に最も合致した様式であるがゆえに美しく、価値があるのだと判断した。その正当性をこそ「正しい原理」と呼んだのである。
 インド建築で出発しながら 世界中の建築を学び、様式分類とその特質を探究するうちに、彼にはそうした建築観が生まれ、それを体系立てて理論的な著作を世に問おうと考えた。それが上記の『歴史的探究』である。
 けれども、世の大勢に逆らった 独自の建築思想を表明した本を 商業的に出版してくれるところはなかったので、自費出版で ロングマン出版社から上梓することにした。これは 全3巻の構想の第1巻であったが、果せるかな、わずか 4冊しか売れなかったので 彼は続刊を断念し、これは未完の書物となった。ファーガスン 41歳の時である。

 この『歴史的探究』に注目してくれたのは、老舗(しにせ)の出版社の社主、偶然にも ファーガスンと同年齢の、三代目ジョン・マリーであった。彼は一般書から学術書まで 幅広い出版活動をした人であるが、世界の建築資料を探究、収集していたファーガスンに、それを地理的順序で書き直すことを勧めた。
 ファーガスンも 高踏的な理論的著作では世に受け入れられないことを悟り、ジョン・マリーの勧めに従って 世界中の建築を、インドから始めてヨーロッパに至るまで、「もっとポピュラーな」筆致で詳説した。これがファーガスン 47歳における画期的な著作、1855年の『 図説・建築ハンドブック 』上下2巻である。

 以上の記述は、ファーガスンの『 歴史的探究 』を、彼の「建築論」の書として紹介したものです。というのも、こうした彼の建築論は この第1巻の「序章」に書かれているのですが、ページ数からいうと、全体の3割以上の 170ページにもわたります。彼の構想では、第3巻の「終章」がその後編をなすもので、約 200ページになるだろうと「前書き」で予告しています。そして、合計 370ページにおよぶ「建築論」こそが この書物の「本文」なのであって、他はその例証である、とまで書いています。ここから、この『歴史的探究』は、もっぱら彼の建築論の書と見なされて論じられることが多いのです。

木口木版の図版)

 では、その序章と終章以外の部分、第2、第3巻がそれぞれ第1巻と同じページ数であるとするなら、全部で約 1200ページにおよぶ部分には、何が書かれているのか(また、書くつもりであったのか)というと、実は、これが「世界建築史」だったのです。つまりファーガスンは、世界の建築の歴史を調べていくにつれて独自の建築理論を構築していったわけで、それを書物にまとめるためには、「世界建築史」と「建築論」がセットでなければ ならなかったのです。
 この第1巻では 170ページにわたる序章の次が、”HISTORY OF ARCHITECTURE AND THE ARTS” というタイトルのもと、その第1部(Part I)が記述されます。その第1章はエジプトで 83ページ、第2章は西アジアで 66ページ、第3章はギリシアで 108ページ、第4章はエトルリアで 35ページ、第5章は古代ローマで 40ページ、となっています。

銅版画の図版

 では、未刊となった第2巻、第3巻はどのような構想だったかというと、第 2部(Part II)では、第1章が東アジア(仏教建築と ヒンドゥ建築のインドを中心として、アフガニスタン、セイロン、ビルマ、チベット、さらにはジャワ島と中国まで含む)として100ページ。第2章はイスラム建築で 100ページ、第3章はビザンティン美術で 50〜60ページ、第4章はロマネスクとゴチックで(スペインとスカンジナビアを含み)約 200ページ。最後にドルイドやメキシコなど、その他の地域を扱う。
 第 3部(Part III)は、モンキー・スタイルの建築、すなわち 近世ヨーロッパの建築で、これに 300ページを充てるつもりだったようです。(何とファーガスンは、ルネサンス以後のヨーロッパ建築を「猿まね様式」と呼んだのです。)

 こう見てくれば、これらは後の『世界建築史』と『近世様式の建築史』の構想そのものであるということがわかります。つまり、不完全な『フリーマン建築史』と違って、この『歴史的探究』は、完全な「世界建築史」が意図された書物だったのです。インド建築でスタートしたファーガスンは、次第に世界中の建築の歴史を調べ、そこから一つの建築論を導き出し、それを証するために資料収集をし続けて、生涯にわたって 20冊を超える建築史の書物を執筆したのです。
 そして、後の『図説・建築ハンドブック』や『世界建築史』ほどではないにしても、図版のない『フリーマン建築史』とは違って、ここには多くの図版が挿入されて、建築史の本らしいビジュアルな書物になっています。
 これが第1巻だけの出版に終って、第2、第3巻が未刊となってしまったのは まことに残念なことですが、世界で最初の「世界建築史」の書は、ファーガスンの『歴史的探究』であったと言うことができるでしょう。(少なくとも、それが意図された書物であり、当時それを構想することができたのは、ファーガスン一人であったと言えます。)

 さて、私の所有する『歴史的探究』は オリジナルの版元装幀で、革装ではなく、布装本です。前述のように大型本で、約 550ページもありますから、なかなかのヴォリュームです。装幀の印象は、前々回紹介した『図説・建築ハンドブック』の 初版の版元装幀と、よく似ています(出版社はちがいますが)。背表紙には金文字と図案の箔押しがありますが、表紙は焦げ茶色の布表紙に枠飾りの空押しがあるだけで、まったく派手さがなく、むしろ、ややグルーミーな印象です。しかし内部には多種の図版があるので、楽しめます。

 この歴史書を、ジョン・マリーの勧めを受け入れて地理的順序で書き直した『図説・建築ハンドブック』では、すべての図版を木口木版に統一して、上下巻あわせて 800点以上もの図版を入れた 画期的な本となりますが、この『歴史的探究』は、まだ図版制作の過渡期の書物で、銅版画(エッチング)と石版画(リトグラフ)と木版画(ウッドカット)を共存させています。


フロンティスピース(クロモ・リトグラフ、15cm×22cm)
フィラエ島のフィラエ神殿、エジプト

 まず 扉の向かいのフロンティスピース(口絵)は、ナポレオンによる『エジプト誌』の図版をもとにしたものですが、エジプトのフィラエ神殿を描いた彩色石版画なので、本全体に華やかな印象を もたらしました。これはフランシス・アランデイル(1807-53)の原画を 当時隆盛だったマイケルとニコラス(兄弟?)・ハンハートのリトグラフ工房の制作になるもので、彼らが得意とした三色刷りの クロモ・リトグラフです。この書が出版された2年後の 1851年がロンドンで開催された第1回万博の年で、クロモ・リトグラフの最盛期でしたが、多色刷り石版画を挿入するのは当然高価なので、このフロンティスピース1点だけでした。

 書物に挿入する図版としては、石版画が盛んになる以前は、銅版画が一般的でした。この『歴史的探究』にも5点の腐食銅版画(エッチング)が挿入されていて、その内2点は、2ページ見開きの大型版画です(27cm×36cm、エジプト、テーベの カルナック大神殿 と、ギザのピラミッドの内部構成図)、1ページ大の銅版画は、ペルセポリスの平面図、フィガリアのアポロ神殿、そしてローマのコロセウムの3点です。

 ロングマン社から出したとはいえ、ほとんど ファーガスンの自費出版でしたから、これだけの豪華本を出すのは、かなりの出費だったことでしょう。インドでの事業をやめてロンドンに居を構え、研究三昧の生活を送り、こうした本を全3巻で自費出版するというのですから、インドでのインディゴ農園で、いかに大きな財を成したかがわかります。そして、未完に終ったとはいえ、この本はファーガスンの建築史研究 および建築論の原点というべき書物だと言えます。

ところで、この本の題名ですが、背表紙に箔押しされている短いタイトルは "The Principle of Beauty in Art" であり、本文の扉のタイトルは "An Historical Inquiry into the True Principles of Beauty in Art, more Especially with Reference to Architecture"(芸術、とりわけ建築美に関する 正しい原理への歴史的探究)ですから、略タイトルとしては、『 歴史的探究 』ではなく、『 建築美の原理 』としてもよかったのですが、今回は「世界建築史」に焦点を当てているので、『 歴史的探究 』のほうを採った次第です。

( 2011 /08/ 20 )


< 本の仕様 >
"An Historical Inquiry Into the True Principles of Beauty in Art, More Especially with Reference to Atchitecture" 『 歴史的探究 』(建築美の原理)  ジェイムズ・ファーガスン著
        ロンドン、ロングマン・ブラウン・アンド・グリーン社
   第 1巻 1849年、29cmH x 19.5cmW x4cmD、1600g、xvi + 537ページ
        彩色石版画(クロモ・リトグラフ)の口絵 (フロンティスピース)1点、
        腐食銅版画の図版7ページ(内、見開き2点)、 木口木版の図版 98点、
        版元装幀による布装本、焦茶色、アンカット本



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