この「古書の愉しみ」のシリーズは 第1回から第6回まで、今から 100年以上前に(時には 150年以上前に)出版された「インド建築史」や「世界建築史」の古書を 採りあげてきました。多数の木口木版による図版の入った建築書というのは、たとえ じっくり読まずとも、見ているだけでも楽しいものです。まして それがモロッコ革で製本された書物ともなれば、「古書の愉しみ」を満喫することになります。
けれども、これら建築史の書物というのは、かなり 硬質な印象がありますので、今回は 息抜きに、もっと柔らかい「挿絵本」を採りあげることにしました。モーリス・メーテルリンク(1862-1949)が書いた 有名な戯曲『青い鳥』です。
『青い鳥』 を開いたところ
おそらく誰でも 子供時代に読んだり聞いたりしたことのある、チルチルとミチルの兄妹が 青い鳥を求めて夢の中をさまよう 舞台劇です。ベルギー生まれのメーテルリンク(仏語読みは メーテルランク)は 詩人でもありましたが、その本領は 劇作家であり、『青い鳥』も 1908年にモスクワ芸術座で初演された 劇文学です。そのストーリーだけを単純化して 子供向きの絵本にしたものが 世界各国でたくさん出版されてきましたので、グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』などと共に 童話として扱われることが多いでしょう。しかし 今回紹介するのは 子供向けの童話絵本ではなく、大人向けの 戯曲としての『青い鳥』全編に 挿絵画家の アンドレ・エドワール・マルチ(1882 -1974)が 細密画(ミニアチュール)の挿絵を描いた、フランス語の「挿絵本」です。
『青い鳥』 の表紙
「絵本」と「挿絵本」とは どう違うのかというと、絵本は あくまでも子供向けの本なので、大判の絵の脇に 単純な文章を大きな字で添える という体裁をとりますが、挿絵本というのは 大人向けの普通の文字列の中に 細密画が挿入されていて、絵と活字とが混然一体となって、一個の書物芸術となっているような本を言います。
ヨーロッパでは 19世紀後半から 20世紀前半に、いわゆる「愛書家」たちによって「美しい本」が求められました。その源流を訪ねれば、中世に修道院で制作された 手写本に行き着きます。それらは聖書を初めとする宗教書でしたが、単に古文書を筆写するだけでなく、次第に 細密画を加え、革で製本した 一個の美術品、書物芸術となったのです。アイルランドの『ケルズの書』(800頃)や フランスの『ベリー公の いとも豪華なる時祷書』(1480頃)などは 特に豪華な写本として 称賛されています。
『青い鳥』 挿絵のあるページ・1
15世紀に 活版印刷術が発明されて以来、書物は 修道士や貴族のためのものから 次第に一般大衆へと広まっていきましたが、量産されるにつれて 粗悪な本も多くなっていきました。本に限らず、すべての生活用品が 産業革命以後の機械生産によって粗悪化、醜悪化したことに対する改革運動として「アーツ・アンド・クラフツ運動」が、手仕事に基づく 生活空間の美化を目ざしました。
なかでも ウィリアム・モリス(1834 -96)は 自らケルムスコット・プレスという出版社を起こして、中世の写本芸術に匹敵するような「美しい本」の製作に乗り出しました。ヨーロッパの裕福な愛書家たちはまた、いくつもの「愛書家協会」を結成して、みずから、金に糸目をつけずに、絵と 活字本文とが一体化した「美しい本」を刊行したりしました(もちろん、会員向けの限定出版でしたが)。
そうした「愛書趣味」は 次第に一般大衆にまで 広まっていきましたから、出版社もまた その期待に応えるべく、子供向けの絵本とは違った、大人の愛書家向けの「挿絵本」を 多く出版することになったので、それにつれて、優れた挿絵画家も 多数誕生しました。その一人が、今回のアンドレ・E・マルチです(活躍したのは 20世紀ですから、挿絵本の 後期の人と言えるでしょうが)。
『青い鳥』第3場の中の挿絵、6.6cm× 9.4cm、A・マルチのポシュワール
挿絵本は英語で言えば イラストレイテッド・ブックですから、図版(イラスト)の入った本は すべて「挿絵本」になるわけで、その意味では、この「古書の愉しみ」シリーズで採りあげてきた ジェイムズ・ファーガスンの本などは すべてそうなのですが、しかし普通、そうした図版入りの専門書を「挿絵本」とは 言いません。挿絵本というのは、通常、文芸書に、単なる添え物としてではなく、本文の著作と 同等、もしくは それ以上の価値のある細密画を挿入して、全体として 一つの書物芸術を目指したような本のことを言います。
ケルムスコット・プレスが出した『チョーサー著作集』(1896年、バーン・ジョーンズ挿絵)や、「百人愛書家協会」によるユイスマンの『さかしま』(1903年、オーギュスト・ルペール挿絵)などは 挿絵本の最高傑作といってよく、それらの古書価格は、私などには まったく手の届かない 高額のものになっています。
今回採りあげる フランスの挿絵画家、アンドレ・E・マルチは(マルティと書く人もいますが、フランス語の Marty なので、私は発音どおり マルチと表記します。「ティルティルと ミティル」ではなく、「チルチルと ミチル」と書くように)。 挿絵本の後期の人であり、長命で 多数の挿絵本を残しましたから、その清楚な画風を好むコレクターも 多くいますが、まだ私にも 手が出しやすい というわけです。
『青い鳥』挿絵のあるページ・2
さて 前にも書きましたが、19世紀の愛書家は 印刷本を購入しても、それを 製本(ルリュール)工房に持って行って、自分好みの、あるいは 自分の書斎の伝統に則った革製本をする人が多かったので(といっても、世の中全体からいえば 少数の富裕層だったでしょうが)、出版社もまた それを前提にして、本を、現在のような 厚表紙のハードカヴァーではなく、仮綴本(かりとじぼん)として出版するのが常でした。これは現在のペーパーバックとは違います。おそらく、本来は表紙なしの本体に 軽いジャケットをかけただけのものだったのでしょうが、次第に もう少し表紙らしくして、ソフト・カバーといった感じの本にしていきました。
特にフランスでは 一つのスタイルができあがって、本体は 三方の小口をアンカットとし、これを2段だけの「かがり糸」で綴じ、薄手の紙で 背のみ糊づけした表紙をつけ、表紙の三方を 見返し側に折り返す(少しでも丈夫にするために)という方式が 確立しました。購入した人は 表紙を取り外し、小口をカットして 天金をほどこし、革で製本する、ということになります。古書カタログでは、製本し直したものを Livre Relié(ルリエ、製本された本)、仮綴じ本を Livre Broché (ブロシェ、仮綴じの本)と記載します。
「フランス装」、仮綴じ本の表紙
しかし 書物が大衆化するにつれ(あるいは、本を買う中産階級の増加につれ)、仮綴じ本を購入した人の中で、革製本をする人の比率は 下がっていったようです。したがって 仮綴じ本のまま所有する人が 増えていきましたので、出版社側も、そのままでも 愛書家の所有欲を満足させるように、仮綴じの表紙にも 絵を入れるようになり、また、傷みやすい柔らかい紙の表紙を パラフィン紙で包んで保護したりすることも 多くなっていきました。そうなると、革で再製本する人も、このオリジナルの表紙を保存して、再製本の中に 綴じこむようになります。
カバーに使う パラフィン紙というのは、半透明の薄紙で、昔は日本でも 岩波文庫を初めとする多くの文庫や新書に、ジャケットとしてよく使われていました(現在のような、カラフルに印刷されたジャケットではなく)。製法の違うグラシン紙と 見かけ上は区別がつかないので、実際は どちらなのか わかりませんが、フランスの仮綴じ本は 表紙の三方が内側に折り返してありますので、この通りにパラフィン紙でジャケットをかけるのは、結構面倒な手作業だったはずです(パラフィン紙でくるんだ上に、さらに これを函に入れる場合さえあります)。
この フランスの仮綴じ本の伝統は、第二次大戦後は すたれてゆき、三方を裁ち落とす ペーパーバックが主流となってゆきました。今では ハードカヴァー以外は、ほとんどすべて ペーパーバックです。フランス語では ペーパーバックも ブロシェと呼びますが、古書目録で Couverture Remplié(折り返し表紙)と書いてあるのが、古い、手の込んだ ブロシェです。
『青い鳥』挿絵のあるページ・3
しかし 戦前の日本人には、こうしたフランスの仮綴じ本のスタイルが、却って瀟洒(しょうしゃ)なものに映ったようです。買った本を再製本する(まして革製本をする)などという伝統のなかった日本で、この仮綴じ本の方式が 一つの完成した製本様式のように受け取られたのも 無理はありません。そこで、この方式が「フランス装」と呼ばれ、フランス文学の翻訳本だけでなく、日本の新刊書でも 珍重されました。フランスの文学書を多く出版していた白水社は、特に この「フランス装」を好んだようです。
その一番の欠点は、背表紙が傷みやすいこと でしょうか(また、コーティングしていないので、焼けやすくもありました)。「フランス装」という、日本独特の命名もまた 人を惹きつけるのでしょうか、今ではハードカバーよりも 却って手のかかるフランス装の新刊書が、たまに出版されます。また、なぜか展覧会の図録(カタログ)に使われることもよくあり、私の蔵書のなかでは、国立西洋美術館の『ウィリアム・ブレイク展』や、町田国際版画美術館の『挿絵本の世界展』などがそうです。どちらも パラフィン紙のジャケットが かけられています。
今回採りあげた『青い鳥』も、革製本していない 仮綴じ本(日本でいう「フランス装」)のままの本です。もちろん 天金はなく、三方の小口がアンカットだったので、最初に読んだ人がペーパーナイフで切った 不揃いな小口をしています。背表紙が やや傷んでいるものの、中身はきれいです。本の巻末には 番号がついていて、これは 5044番ですが、1945年に 5000部以上も刷ったのだろうかと、少々疑問に思います(総部数は書いてありません)。504番の間違いではないでしょうか。
メーテルリンクの『青い鳥』については、今さら 解説することもないでしょうが、クリスマス・イヴに 木こりの子供 チルチルとミチルの兄妹が 夢を見ます。妖女ベリリウンヌが現れて、娘の病気を治すために 青い鳥をさがして連れてきてほしい と頼みます。そこで2人は夢の中で「思い出の国」や「夜の宮殿」、「墓地」、「幸福の国」、「未来の国」などの1年にわたる旅をして、結局は青い鳥を手に入れられないままに 家に帰ると、青い鳥は初めから彼らの部屋にいました。しかし隣家の少女に あげると、少女の病気は 治るものの、青い鳥は どこかへ飛び立っていってしまう、というものです。
この夢幻劇に、アンドレ・E・マルチは 実に清楚で美しい挿絵を 26点も描いて、魅力的な挿絵本としました。1ページ大の絵は フロンティスピスの1点だけで、あとは全部、本文活字と組み合わせられています。つまり、それぞれの絵を 独立させようとするのではなく、活字の本文と一体化した「書物芸術」にしようとした意図が わかります(A・マルチの挿絵本の特色です)。『青い鳥』は、マルチが手がけた挿絵本の 代表作と見なされています。
『青い鳥 挿絵のあるページ・4
さて、もう一つ重要なのは、フランスの こうした挿絵本に用いられている 挿絵の技法です。これは版画の一種で、ポシュワール(Pochoir)と言います。日本ではポショワールという表記が一般的ですが、これはフランス語の誤った発音です(ちょうど画家のルヌワール(Renoir)をルノアールと表記するように。OI の発音は「ォア」や「ォワ」ではなく、「ゥワ」です)。
前回採りあげた ファーガスンの『歴史的探究』には、銅版画(エッチング)と、石版画(リトグラフ)と、木口木版画(ウッドカット)の 3種の図版が用いられていることを 書きましたが、フランスでは、もうひとつの版画技法である ポシュワールが 19世紀末から急速に流行し、20世紀初めに ジャン・ソデ による技術的完成によって、ポシュワールによる彩色図版が 隆盛をきわめたのです。英語ではステンシル(Stencil)になりますが、イギリスには ポシュワールの挿絵本が ほとんどありません。
これは、一色ごとに金属の型板を作り、切り抜かれた部分を 職人が 刷毛あるいはスプレーで彩色して色を重ねるという、たいへんに手の込んだ方式です。そのかわり 手彩色ですから、実に発色がよく、写真製版のカラー図版など 比べものになりません。つまり この本には、オリジナルの版画が 26点も 組み込まれているわけです。フランスの最も有名なアールデコの挿絵画家、ジョルジュ・バルビエの挿絵本も、ほとんどが ポシュワールの技法で作られました。
『青い鳥』は それほど長編でもないので、文字本だけなら 安価に入手できますが(日本でも 数種の文庫本が出ています)、こうしたポシュワールによる挿絵本は、仮綴じ本であっても、はるかに高価になり、まして これを革製本するというのは、裕福な愛書家でなければ、あまり しなかったことでしょう。まあ 日本人であれば、革製本でなくとも、「フランス装」の挿絵本でも 十分に満足のできる、今から 66年前の古書 ということになります(この「古書の愉しみ」シリーズで紹介してきた本にくらべると、ずいぶんと愛らしい小型本ですが)。
『青い鳥』第7場の挿絵、6.8cm×9.4cm、A・マルチのポシュワール
ここには、挿絵のあるページを すべてスキャンして 載せておきますので(もちろん、挿絵のない文字だけのページのほうが ずっと多いですが)、フランスの挿絵本とは いかなるものか ということを理解し、もし惚れ込んだ向きは、この魅力的な本の実物を 手に入れてください。
『青い鳥』 はフランス語では 「ル・ワゾ・ブル」 ですが、英語では 「ザ・ブルー・バード」 で、アンドレ・マルチよりもずっと早く、ケイリー・ロビンスンの手になる 少し大型の、英訳版の挿絵本が、1911年に ロンドンとニューヨークで出版されています(これもなかなか 魅力的な挿絵本ですが、挿絵は ポシュワールではなく、水彩画の写真製版です)。
なお、フランスの挿絵本については 荒俣宏氏や鹿島茂氏が多くの本を書いていますが、気谷誠(きたに まこと)氏の 次の2冊も おすすめです(3年前に、54歳の若さで亡くなりました)。
・ 『愛書家のベル・エポック』 1993年、図書出版社、ビブリオフィル叢書
・ 『西洋挿絵見聞録(製本・挿絵・蔵書票)』 2009年、アーツ アンド クラフツ
( 2011 /10/ 01 )
< 本の仕様 >
"L' OISEAU BLEU" 挿絵本、1945年、パリ、エディション・ダール・ H・ピアッツァ社
(文字本の初版は 1909年、シャルパンチエ・エ・ファスケル社)
20cmH x 14cmW x 2cmD、350g、176ページ、フランス語
総部数不明だが、5044番の番号がふられている。ブロシェ(仮綴じ本、フランス装)
ポシュワールによる彩色図版 (小カットを除いて)25点。
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