ANTIQUE BOOKS on ARCHITECTURE - XVI
ヴィオレ・ル・デュク 著
『 建築講話 』
Eugène Viollet-le-Duc:
"Entretiens sur l'Architecture"
1863 -72, A.Morel et Cie Éditeurs, Paris, 3 tomes

神谷武夫
『建築講話』
革装本『建築講話』上下2 巻と図版編

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 今回採りあげる古書は、ウジェーヌ・エマニエル・ヴィオレ・ル・デュク(Eugène Emmanuel Vilollet-le-Duc, 1814-79)の『建築講話』(Entretiens sur l'Architecture)全3巻で、シャグラン革装の、格調の高い、いかにもヨーロッパの古典といった趣の本です。ヴィオレ・ル・デュクは 19世紀フランスの、ゴチック建築を主とする修復建築家として有名ですが、建築史家、建築理論家、通常の建築家でもありました。
 私の建築史研究の中心人物は、この「古書の愉しみ」で何度も採りあげてきた、イギリスのジェイムズ・ファーガソン(1808-86)ですが、ヴィオレ・ル・デュクはファーガソンの 6年あとに生まれ、7年さきに 65歳で世を去りましたから、まったく同時代の人です。

 ヴィオレ・ル・デュクの名は学生時代から知っていましたが、当時は 彼の訳書も評伝も なかったので、深く知ることはありませんでした。初めて彼の名に親しんだのは、フランスのブルゴーニュ地方のロマネスクを見て歩いた折、私の好きなヴェズレーの ラ・マドレーヌ聖堂を訪れて、かつて 殆んど崩壊寸前だったこの聖堂を、1840年代に修復したのが 彼だと知った時からです。

『建築講話』

『建築講話』上・下巻の 扉の挿絵(小口木版)
中世の建築家になぞらえて ヴィオレ・ル・デュクを描いたのであろうか。

 このHPの中の『ジェイムズ・ファーガソンとインド建築』に書いたように、19世紀初頭から ヨーロッパの建築界では、当時支配的だった「新古典主義」に反旗を翻して、ゴチック・リヴァイバル運動が台頭しました。その先頭に立っていたのが、ヴィオレ・ル・デュクよりも2歳上の イギリスの建築家、オーガスタス・ウェルビー・ピュージン(1812-52)で、彼は「キリスト教建築の正しい姿はゴチック様式にあり、異教世界のギリシア・ローマの古典様式はふさわしくない」と主張しました。
 ヴィオレ・ル・デュクも その流れにいたわけですが、彼は若い時からヴェズレー、パリのノートル・ダム、カルカソンヌの城塞、トゥールーズのサン・セルナン聖堂など、数々のフランス中世建築の修復を手がけ、その経験に基づいて、彼の建築論を形成していきました。その根幹は、ゴチック建築の構造合理性の認識にあり、当時のアカデミーの牙城である エコル・デ・ボザール(パリ美術学校)の古典主義と 鋭く対立しました。

 しかし、先駆的な修復建築家としての彼の仕事は、後の時代から見れば 数々の誤謬や過度の復原があり、「犯罪的修復者」とまで言われて 非難されてもきました。(彼の修復活動の功罪については、羽生修二著『ヴィオレ・ル・デュク、歴史再生のラショナリスト』1922、鹿島出版会SD選書 に詳しい。)それでも ヴィオレ・ル・デュクの名は一般の人にまで遍く知れわたりましたので、これほど毀誉褒貶の激しい修復建築家も珍しい、と言えます。

『建築講話』
ヴィオレ・ル・デュク『建築講話』上巻を開いたところ(鋼版画と p.301)

 前回の「古書の愉しみ」で ライトの作品集について書いたおりに、大久保美春さんの『フランク・ロイド・ライト』(2008、ミネルヴァ書房)を読んだら、次のような挿話がありました。

 「建築家になったライトの次男が『わが父フランク・ロイド・ライト』の中で興味深い話を紹介している。父は 彼が建築家になることを勧めなかったが、次男は どうしても建築の勉強がしたかった。そこで 1913年、ウィーンの近代建築の父といわれる オットー・ワグナーに 弟子入りさせてくれと手紙を書いた。来いという返事が来たので 父にウィーン行きの旅費をせがむと、それより自分の事務所に来いという。どうやって建築を勉強すればよいか と尋ねると、仕事を通してだという。数日後、父はヴィオレ・ル・デュクの『建築講話』2巻を 大事そうに抱えて部屋に入って来た。あちこちで探して ついにニューヨークの本屋で見つけたという。そして この2冊の中に、建築について重要なことは 全て書かれている と言った。」

 ライトが ヴィオレ・ル・デュクの『建築講話』に、それほど心酔していたとは 知りませんでしたが、ボーザールの流れをくむ アメリカの建築界と対立して、独自の行動をし続けたライトにとって、その半世紀前の ヴィオレ・ル・デュクの生き方と信念は、大いに共感できるものであったでしょう。(英訳版は、"Discourses on Architecture", 1875, Boston)

 フランスのロマネスクの旅をしていた私は、岩山と渾然一体となったル・ピュイのカテドラルに驚嘆しましたが、そこには売店があって、宗教や美術の本を多く並べていました。そこに『建築講話』の手ごろな版を見つけたので、ヴィオレ・ル・デュクの評伝とともに購入したのでした。
 因みに、そのあと カテドラルの素晴らしいクロイスターで 日本の美術史家、尾崎彰宏氏夫妻(当時アムステルダムに住んでいて、フランスを旅行中だった)と出会い、翌日は夫妻の車に乗せてもらって、イスワール、サン・サチュルナン、サン・ネクテール、オルシヴァルと、感動的なオーヴェルニュ・ロマネスクを見てまわることができました。一番タクシー代がかかることを覚悟していた所をタダで回ることができたのは、大助かりでした。もう 25年も前のことです。

建築講話  建築講話
『建築講話』復刻版(1巻本)ペ-パ-バック版の表紙 1986, A. Morel

 その『建築講話』は合本の復刻版(Edition Integral: Tome 1+2)で、ペーパー・バックながら 1,000ページ近くもある大冊でした。てっきり縮刷版と思っていたのですが、後に、これは原寸大のファクシミリで、ただ周囲の余白を大きく切り詰めたので小型の判型になったのだと知りました。「図版集」だけは 50%縮小で、巻末に両面印刷で編入されています。印刷は鮮明ですから、内容を知るためだけなら、この本で何の不足もありません。もちろん私の語学力では、こんな大冊を読み通せるはずもなく、折にふれてパラパラと拾い読みをしたり、図版を見たりする程度のものでした。

 ある年、某大学の非常勤講師として「インド建築史」を講じました。全 11回の講義でインド建築の古代から近代までを駆け抜けるというものでした。毎週、講義の準備にえらく時間をとられましたが、仏教石窟寺院の回は とりわけ難渋しました。もうインドの石窟寺院など 研究し尽くされているだろうと思っていましたので、インド建築史の本を 5〜6冊 ざっと目を通せばよいだろうと思っていたのに、木造建築の模写とされてきた 仏教チャイティヤ窟のファサードが、何故あのような不思議な形になったのか、またチャイティヤ窟の内部が 何故アーチ状の輪垂木(わだるき)を連続させたような ヴォールト天井となったのか、ということは 全く説明されていないのだ ということが わかりました。自分でも懸命に推理しましたが 答えが出ず、とうとう その部分の講義は 曖昧なままに終りました。

建築講話
『建築講話』図版編 の中の鋼版画、リュキアの石棺

 その挫折感が その後 頭から離れず、常に頭の片隅で考え続けていたわけですが、その夏、ふとヴィオレ・ル・デュクの『建築講話』を 本棚から取り出して パラパラと見ていた時、その巻末図版集の最初の絵に、目が釘付けになってしまったのです。このHPにも載せている『リュキア建築紀行』の「参考文献」のページに書いたように:

 「私がリュキア建築に出会った直接のきっかけは、実はファーガソンではなく、19世紀フランスの建築家であり ゴチック建築の理論家にして修復建築家でもあった ヴィオレ・ル・デュクが、大英博物館のパーヤヴァ石棺を描いた一枚の絵であった。 昔、フランスのロマネスク建築を見てまわっていたときに買った ヴィオレ・ル・デュクの "Entretiens sur l'Architecture"(1863)という本の復刻版で、後にその前半部分が『建築講話』という訳書になったが、その巻末図版集の最初に この絵が載っていた。昔 何度も見たときには何も気がつかなかったのに、インドのチャイティヤ窟の形態の謎に悩まされていたときに、ふとこの本を手にしてその図版を再見するや、我が目を疑ったのである。これは 仏教チャイティヤ窟ではないか、と。」

 ここから、トルコのリュキア建築の調査に赴くことになり、「リュキア建築紀行」、実は『インドの仏教石窟寺院へのリュキア石窟墓の影響』( Lycian Influence on Indian Cave Temples )という論を書くことになったのでした。

 そういうわけで、『建築講話』は 私にとって思い出深い本となりましたが、この復刻版の合本は、内容的には何の問題もないとはいえ、余白を大きく裁ち落し、ペーパー・バックとしたその造本は、あまりにも貧相に見えてきました。そこで、この記念すべき著作を、何とか(今からちょうど150年前の)1963年に出版されたオリジナルの形で(できれば革装の立派な製本で)手に入れたいものと思うようになり、そう思い続けていると実際に手に入るもので、オリジナルの初版(フランスらしく「仮綴じ本(ブロシェ)」で出版されました)を豪華なシャグラン革装にした本を、27.5cm × 36cmという大型版画の図版集(ATLAS)と共に我が家に招来することができました。

建築講話
ヴィオレ・ル・デュク『建築講話』の表紙

 シャグラン(Chagrin、英語ではシャグリーン)というのは「粒起なめし革」とか、エイの皮、さめ皮、などと辞書には出ています。製本に用いられるのは たぶん山羊革で、同じ山羊革のモロッコ革よりは多少廉価なのか、ヨーロッパの古書には多く用いられています。モロッコ革のような自由曲線的な「シボ」ではなく、小さな粒々が浮き立っているような表面をしていて、色も染め付けやすいようです。それでも どんな革を用いるにせよ、革は赤茶色に染めるのが一番たやすく、かつ長持ちするのか、おそらく革装本の半数以上が赤茶色をしています。
 この本もそうで、金文字の箔押しはよく似合います。背には5本のバンドが付けてありますが、大袈裟ではない、浅いバンドです。そにに金線が入れてあるので、やや華やかな印象を与えます。表紙の平は革と同系色のマーブル紙です。革との境にも金線を入れていれば、もっとピリッとしたデザインになったでしょう。天小口は、もちろん天金(てんきん)となっています。出版は上巻と図版編が 1863年で、下巻はその9年後の 1872年です。これを購入した人は、3巻そろってから製本(ルリュール)工房に出したのでしょう。

『建築講話』
ヴィオレ・ル・デュク『建築講話』上巻の内容

 個人所有で、陽のあたらない書庫に置いておけば、革装本は150年近くをけみしても、ほとんど劣化しません。天金をほどこしていることもあり、汚れもあまりつきません。ただ、黄色い染み(英語でいう Foxing )は避けがたく、古い本であればあるほど、黄ジミの箇所数は多く、また濃くなります。その原因というのは、今いち よくわからず、その除去の仕方も わかりません(ある種の化学薬品で薄くなる可能性はありますが、紙を傷める可能性もあります)。
 ただ 私の蔵書を見ているところ、文字だけのページにはシミが少ないように思います。つまり、印刷や製本の機械だけが触れた部分ということです。これに対して図版、特に版画にはシミが多く見受けられます。これは、刷り師や 製本に組み込む工員、さらには出版後 それを見て触る人など、人間の手が加わる度合が高く、そのぶん 手の脂が付き、これが長い間に 微生物を繁殖させるのではないかと想像しています。

 以上、書いたのは、あくまでも黄ジミ(Foxing)であって、昆虫のシミ(Bookworm)ではありません。昆虫の場合は「シミ」に「紙魚」という漢字を当てるように、体長数ミリの 銀色をした虫(Silverfish)で、これが紙を食べるのです。まるで錐(きり)で穴をあけたように、本の厚みを貫通して侵食していきます。昔 インドで買った古書には、そうした穴だらけの本が よくありました。一度だけ、そうした穴の中に生きた紙魚を見たことがあります。被害の拡大を防ぐために、そうした本の穴部分には殺虫剤をスプレーしましたが、それは本の紙をも傷めることでしょう。 もちろん 今回の『建築講話』には、そんな穴はありません。黄ジミだけです。150年の古書ですから、これはやむを得ないとあきらめて、なるべく通気性のよい本棚に置いて、シミの増大を防ぐようにするほかないでしょう(湿度も関係するように思いますので)。

『建築講話』
ヴィオレ・ル・デュ 『建築講話』下巻の内容

 さて 本の内容ですが、ヴィオレ・ル・デュクの第一の著作は “Dictionnaire Raisonné de l’Architecture Française du XIe au XVIe Siecle” で、通常 単に『中世建築事典』と訳されています。これは 1854年に第1巻が出てから 1868年に最終巻の第 10巻が出るまで 14年をかけた大著作で、彼の修復体験に基づいて、フランス中世の建築の諸項目について百科辞書風に順次解説し論じたものです。それに対して、第2番目に重要な著作とされる『建築講話』は、彼の建築論を展開したものと言ってよいでしょう。
 彼はボザールと対立していたものの、1863年の学校改革で、ボザールの美学・美術史の教授になりました。ところが保守的な教員や学生の反発や妨害から、彼は講義を続けられなくなり、同年中に辞職してしまいました。そこで、講義のために準備したであろう要綱をもとに、これを増補して全 20回の紙上講義のように編纂したのが、この『建築講話』上下2巻です。
 上巻で 10講、下巻で 10講の、合計 20講から成り、各講の初めにその内容を示す 短い句がついているので、これを見れば、全体がどんなことを論じているかわかります。それを以下に示しておきましょう:

『建築講話』       『建築講話』
天小口と 背表紙の最上部



上巻 読者へ
第1講
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野蛮とは何か。芸術とは何か。芸術は一民族の文明の状態に規定されるだろうか。芸術の発展に最適な社会的諸条件とは何だろうか。
第2講 古代の建設活動 ーーーー ギリシア時代の建築芸術の概要。
第3講 ギリシア時代とローマ時代の建築芸術の比較 ---- 相違とその原因。
第4講 ローマ時代の建築について。
第5講
. 
建築を探究する諸方法について。ローマ時代のバシリカについて。古代の民間建築について。
第6講
. 
古代建築の衰退期について。様式と設計について。ビザンティン建築の起源について。キリスト教化して以来の西欧建築について。
第7講 中世の西欧建築の原理について。
第8講
. 
建築の退廃の原因について。建築設計に関する若干の原理について。西欧、とりわけフランスの、ルネサンスについて。
第9講 建築家に必須な諸原理と知識について。
第10講 19世紀の建築について。方法について。
. 
下巻 第11講 建物の建造法について。組積造。
第12講 建物の建造法について。組積造(続き)
第13講 建物の建造法について。現場の組織、建設の現状、現代的な方法の採用。
第14講 建築教育について。
第15講 建物内外の装飾に関する一般的考察。
第16講 記念像の彫像術について。
第17講 民間の建築について。
第18講 民間の建築について(続き)
第19講 民間の建築について。田舎の別荘。
第20講
. 
ヨーロッパ建築の現状について。フランスの建築家が置かれた状況について。設計競技について。入札方式について。経理と現場監理について。
結語



 これらを見れば、全体の構成があまり体系的ではない、ということがわかります。レクチュールではなく、まさに Entretiens (アントルチャン、講話集)です。つまり一回、一回、ある程度のテーマを決めながら、あとは縦横無尽に自分の知識と体験と、建築のあるべき姿を語っていったようです。こうした方法がライトの著作とよく似ており、また第6講の中の

 「自然が生み出すものの中には、常に風格がある。というのは、きわめて多様だが自然の産物はすべてそれぞれ風格を持つ。それは これらのものが 本質的に合理的な法則により交配し成長し、自己保存を図っているからである。花は その各部分が機能に適する形をとることによって、その機能を強調するように作られているので、私たちは一輪の花から何物も除去できない。」(飯田喜四郎訳)

 といった考えは、ライトの自然=建築観にきわめて近いようです。ライトが『建築講話』に惚れ込んだのもわかるような気がします。 (飯田訳は、第1巻、1986、中央公論美術出版、その後 下巻の翻訳が出ないのは 何故だろうか?)

『建築講話』
ヴィオレ・ル・デュク『建築講話』図版編の内容-1

 各巻にはそれぞれ 100点あまりの小口木版の挿図があって だいぶヴィジュアルな本になっているのは、ファーガソンの本と似ています。しかしヴィオレ・ル・デュクは 別に大判の版画による図版集もつくりました。これらは銅版画(エッチング)かと思いましたが、どうやらスチール板を用いた鋼版画のようです。この「古書の愉しみ」シリーズの第4回、ファーガソンの『図説・建築ハンドブック』の回に書いたように、当時の小口木版の技術は相当に進んでいましたから、本の図版を見て、それが銅版画であるのか鋼版画であるのか、はたまた木版画であるのかを言い当てるのは困難です。ただ文字と一緒に印刷するには木版画でなければならないので、上下2巻の中の、両面印刷のページの挿図は、すべて小口木版(Woodcut)であると言えます。しかし本巻の中にも片面印刷の、ページ大の図版が上巻に 14枚、下巻に1枚あり、これらは一応、大型図版集と同じ鋼版画ということにしておきましたが、もしかすると木版画かもしれません。

 別巻の大型図版編は「アトラス(ATLS)」と題され、36枚のオリジナル版画から成りますが、その内カラーの3枚は石版画(クロモ・リトグラフ)です。本巻の図版もそうですが、こうした大型図版でさえ、絵画作品としての版画ではなく、あくまでも本文の説明用に作成されました。36枚の内、半分の 18枚は上巻用であり、あとの半分は下巻用なので、それぞれ上巻(1863)、下巻(1872)と一緒に出版されたものと思われます。綴じてない、ポートフォリオだったようで、この本の購入者が、本巻を革製本する際に、図版集も一冊にまとめて、革製本したのでしょう。

『建築講話』
ヴィオレ・ル・デュク『建築講話』図版編の内容-2

 内容にもどりますと、ギリシア・ローマ建築を模倣する、当時の古典主義をヴィオレ・ル・デュクが非難し、建築をそうした既存の形式に押し込めるのではなく、建物の用途に忠実であるべきこと、構造的合理性に基づいて設計すべきことを説いたのは、ファーガソンの著作とよく似ていたように思えます。(ただしヴィオレ・ル・デュクは自説にもかかわらず、過去のゴチック様式で新しい建物を設計しましたが、ファーガソンはそうしたリバイバリストのやり方には賛同しませんでした)。

 ヴィオレ・ル・デュクは第6講で「スタイル」(フランス語では スチル)という語を独特に定義していますが、それを飯田喜四郎氏は苦心して通常の意味の「様式」と、彼に独特な意味の「風格」という語に訳し分けています。

 「私の言う風格(スタイル)とは芸術作品を時代ごとに分類する手段としての様式(スタイル)ではなく、各時代のすべての芸術に固有の風格(スタイル)のことである。・・・・ ・ 芸術家が単純で正しい理念を持つ時、彼はその作品に固有の風格を与えられるのだが、現在の私たちはこのような理念と無縁になっている。・・・・・風格はひとつの原理の正しく誠実な表現の中だけにあり、一定不変のひとつの形態の中にあるのではない。原理に基づかぬものは存在しないので、すべてのものの内に風格がありうる。・・・・・古代民族にあっては、その精神ないし想像力はほぼ大自然のように働くので、芸術家の精神は風格のある作品だけを生み出す。」

「一定不変のひとつの形態」とは、ギリシア、ローマを模倣する古典主義などを指していますが、こうした主張は、ファーガソンの言う「正しい原理(True Principles)」、「本質的ないし真実の芸術」、「自然にふさわしい品位と装飾」を追求すべきであって、学校で習った過去の様式で設計すべきではない、という建築論と、ほとんど重なるように思えます。
 図版説明のところに書いたように、ヴィオレ・ル・デュクはファーガソンの『図説・建築ハンドブック』を読んでおり、そこから図版を引き写していますし、ファーガソンは『世界建築史』(1865)上巻の 529ページの註で、ヴィオレ・ル・デュクの『中世建築事典』の図版を 素晴らしい と賞賛しています。どうも二人の間には、相互影響関係があったように思えます。

( 2013/ 08/ 01 )



< 本の仕様 >
"ENTRETIENS SUR L'ARCHITECTURE" by Eugène Viollet-le-Duc パリ、A・モレル社
 上巻(Tome 1)1863年、27cm x 17.5cm x 3.7cm、491ページ、鋼版画の図版 14枚挿入
 下巻(Tome 2)1867年、27cm x 17.5cm x 3.0cm、450ページ、鋼版画の図版1枚挿入
  木口木版の挿図は 上巻に 102点、下巻に 92点。 フランス語
 図版編(ATLAS)1863年、27.5cm x 36cm x 1.8cm 大型鋼版画 33枚と、石版画3枚
 すべてシャグラン革製本(ハーフ・レザー)、濃赤茶色、天金、3冊合わせた重量:4kg



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