『 建築講話 』 |
神谷武夫
革装本『建築講話』上下2巻と図版編, 1863 -72年
今回採りあげる古書は、ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク(Eugène Emmanuel Vilollet-le-Duc, 1814 -79)の『建築講話』(Entretiens sur l'Architecture)全3巻で、シャグラン革装の、格調の高い、いかにもヨーロッパの古典といった趣の本です。ヴィオレ・ル・デュクは 19世紀フランスの、ゴチック建築を主とする 修復建築家として有名ですが、建築史家、建築理論家、通常の建築家でもありました。 ヴィオレ・ル・デュクの名は 学生時代から知っていましたが、当時は 彼の訳書も評伝も なかったので、深く知ることはありませんでした。初めて彼の名に親しんだのは、フランスのブルゴーニュ地方のロマネスクを見て歩いた折、私の好きなヴェズレーの ラ・マドレーヌ聖堂を訪れて、かつて 殆んど崩壊寸前だったこの聖堂を、1840年代に修復したのが 彼だと知った時からです。
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『建築講話』上・下巻の 扉の挿絵(木口木版)
このHPの中の『ジェイムズ・ファーガスンとインド建築』に書いたように、19世紀初頭から ヨーロッパの建築界では、当時支配的だった「新古典主義」に反旗を翻して、ゴチック・リヴァイバル運動が台頭しました。その先頭に立っていたのが、ヴィオレ・ル・デュクよりも2歳上の イギリスの建築家、オーガスタス・ウェルビー・ピュージン(1812 -52)で、彼は「キリスト教建築の正しい姿はゴチック様式にあり、異教世界のギリシア・ローマの古典様式はふさわしくない」と主張しました。
しかし、先駆的な修復建築家としての彼の仕事は、後の時代から見れば 数々の誤謬や過度の復原があり、「犯罪的修復者」とまで言われて 非難されてもきました。(彼の修復活動の功罪については、羽生修二著『ヴィオレ・ル・デュク、歴史再生のラショナリスト』1992、鹿島出版会SD選書 に詳しい。)それでも ヴィオレ・ル・デュクの名は 一般の人にまで遍く知れわたりましたので、これほど毀誉褒貶(きよ ほうへん)の激しい修復建築家も珍しい、と言えます。 ![]()
ライトが ヴィオレ・ル・デュクの『建築講話』に、それほど心酔していたとは 知りませんでしたが、ボザールの流れをくむ アメリカの建築界と対立して、独自の行動をし続けたライトにとって、その半世紀前の ヴィオレ・ル・デュクの生き方と信念は、大いに共感できるものであったでしょう。(英訳版は、"Discourses on Architecture", 1875, Boston)
フランスの ロマネスクの旅をしていた私は、岩山と渾然一体となった ル・ピュイのカテドラルに驚嘆しましたが、そこには売店があって、宗教や美術の本を 多く並べていました。そこに『建築講話』の手ごろな版を見つけたので、ヴィオレ・ル・デュクの評伝とともに購入したのでした。
![]() ![]() 『建築講話』復刻版(1巻本)ペ-パ-バック版の表紙 1986, A. Morel その『建築講話』は 合本の復刻版(Edition Integral: Tome 1+2)で、ペーパー・バックながら 1,000ページ近くもある大冊でした。てっきり 縮刷版と思っていたのですが、後に、これは原寸大のファクシミリで、ただ周囲の余白を大きく切り詰めたので 小型の判型になったのだと知りました。「図版集」だけは 50% 縮小で、巻末に 両面印刷で編入されています。印刷は鮮明ですから、内容を知るためだけなら、この本で何の不足もありません。もちろん私の語学力では、こんな大冊を読み通せるはずもなく、折にふれて パラパラと拾い読みをしたり、図版を見たりする程度のものでした。 ある年、某大学の非常勤講師として「インド建築史」を講じました。全 11回の講義で インド建築の古代から近代までを駆け抜けるというものでした。毎週、講義の準備に えらく時間をとられましたが、仏教石窟寺院の回は とりわけ難渋しました。もうインドの石窟寺院など 研究し尽くされているだろうと思っていましたので、インド建築史の本を 5〜6冊 ざっと目を通せばよいだろうと思っていたのに、木造建築の模写とされてきた 仏教チャイティヤ窟のファサードが、何故あのような不思議な形になったのか、またチャイティヤ窟の内部が 何故アーチ状の輪垂木(わだるき)を連続させたような ヴォールト天井となったのか、ということは 全く説明されていないのだ ということが わかりました。自分でも 懸命に推理しましたが 答えが出ず、とうとう その部分の講義は 曖昧なままに終りました。
![]() その挫折感が その後 頭から離れず、常に頭の片隅で考え続けていたわけですが、その夏、ふと ヴィオレ・ル・デュクの『建築講話』を 本棚から取り出して パラパラと見ていた時、その巻末図版集の最初の絵に、目が釘付けになってしまったのです。このHPにも載せている『リュキア建築紀行』の「参考文献」のページに書いたように:
ここから、トルコのリュキア建築の調査に赴くことになり、「リュキア建築紀行」、実は『インドの仏教石窟寺院への リュキア石窟墓の影響』( Lycian Influence on Indian Cave Temples )という論を 書くことになったのでした。 そういうわけで、『建築講話』は 私にとって思い出深い本となりましたが、この復刻版の合本は、内容的には 何の問題もないとはいえ、余白を大きく裁ち落し、ペーパー・バックとしたその造本は、あまりにも 貧相に見えてきました。そこで、この記念すべき著作を、何とか(今から ちょうど150年前の)1863年に出版された オリジナルの形で(できれば革装の立派な製本で)手に入れたいものと 思うようになり、そう思い続けていると 実際に手に入るもので、オリジナルの初版(フランスらしく「仮綴じ本(ブロシェ)」で出版されました)を 豪華なシャグラン革装にした本を、27.5cm × 36cmという大型版画の図版集(ATLAS)と共に 我が家に招来することができました。
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シャグラン(Chagrin、英語では シャグリーン)というのは「粒起なめし革」とか、エイの皮、さめ皮、などと 辞書には出ています。製本に用いられるのは たぶん山羊革で、同じ山羊革のモロッコ革よりは 多少廉価なのか、ヨーロッパの古書には多く用いられています。モロッコ革のような 自由曲線的な「シボ」ではなく、小さな粒々が 浮き立っているような表面をしていて、色も染め付けやすいようです。それでも どんな革を用いるにせよ、革は赤茶色に染めるのが一番 たやすく、かつ長持ちするのか、おそらく革装本の半数以上が赤茶色をしています。
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個人所有で、陽のあたらない書庫に置いておけば、革装本は150年近くをけみしても、ほとんど劣化しません。天金を ほどこしていることもあり、汚れも あまりつきません。ただ、黄色い染み(英語でいう Foxing )は 避けがたく、古い本であればあるほど、黄ジミの箇所数は多く、また濃くなります。その原因というのは、今いち よくわからず、その除去の仕方も わかりません(ある種の化学薬品で薄くなる可能性はありますが、紙を傷める可能性もあります)。 以上、書いたのは あくまでも黄ジミ(Foxing)であって、昆虫のシミ(Bookworm)では ありません。昆虫の場合は「シミ」に「紙魚」という漢字を当てるように、体長数ミリの 銀色をした虫(Silverfish)で、これが 紙を食べるのです。まるで 錐(きり)で穴をあけたように、本の厚みを貫通して侵食していきます。昔 インドで買った古書には、そうした穴だらけの本が よくありました。一度だけ、そうした穴の中に 生きた紙魚を見たことがあります。被害の拡大を防ぐために、そうした本の穴部分には 殺虫剤をスプレーしましたが、それは 本の紙をも傷めることでしょう。 もちろん 今回の『建築講話』には、そんな穴はありません。黄ジミだけです。150年の古書ですから、これは やむを得ないとあきらめて、なるべく通気性のよい本棚に置いて、シミの増大を防ぐようにするほか ないでしょう(湿度も関係するように思いますので)。
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さて 本の内容ですが、ヴィオレ・ル・デュクの第一の著作は “Dictionnaire Raisonné de l’Architecture Française du XIe au XVIe Siecle” で、通常 単に『中世建築事典』と訳されています。これは 1854年に第1巻が出てから 1868年に最終巻の 第 10巻が出るまで 14年をかけた大著作で、彼の修復体験に基づいて、フランス中世の建築の諸項目について 百科辞書風に順次解説し 論じたものです。それに対して、第2番目に重要な著作とされる『建築講話』は、彼の建築論を展開したもの と言ってよいでしょう。
![]() ![]() 天小口と 背表紙の最上部
といった考えは、ライトの自然=建築観に きわめて近いようです。ライトが『建築講話』に惚れ込んだのも わかるような気がします。 (飯田訳は、第1巻、1986、中央公論美術出版、その後 下巻の翻訳が出ないのは 何故だろうか?)
![]() 各巻には それぞれ 100点あまりの 木口木版の挿図があって だいぶ ヴィジュアルな本になっているのは、ファーガスンの本と似ています。しかしヴィオレ・ル・デュクは 別に大判の版画による図版集もつくりました。これらは銅版画(エッチング)かと思いましたが、どうやらスチール板を用いた 鋼版画のようです。この「古書の愉しみ」シリーズの第4回、ファーガスンの『図説・建築ハンドブック』の回に書いたように、当時の木口木版(ウッドカット)の技術は 相当に進んでいましたから、本の図版を見て、それが銅版画であるのか 鋼版画であるのか、はたまた木版画であるのかを言い当てるのは困難です。ただ文字と一緒に印刷するには 木版画でなければならないので、上下2巻の中の、両面印刷のページの挿図は、すべて木口木版(Woodcut)であると言えます。しかし本巻の中にも片面印刷の、ページ大の図版が上巻に 14枚、下巻に1枚あり、これらは一応、大型図版集と同じ鋼版画ということにしておきましたが、もしかすると木版画かもしれません。 別巻の大型図版編は「アトラス(ATLS)」と題され、36枚のオリジナル版画から成りますが、その内カラーの3枚は石版画(クロモ・リトグラフ)です。本巻の図版もそうですが、こうした大型図版でさえ、絵画作品としての版画ではなく、あくまでも本文の説明用に作成されました。36枚の内、半分の 18枚は上巻用であり、あとの半分は下巻用なので、それぞれ上巻(1863)、下巻(1872)と一緒に出版されたものと思われます。綴じてない、ポートフォリオだったようで、この本の購入者が、本巻を革製本する際に、図版集も一冊にまとめて、革製本したのでしょう。
![]() 内容にもどりますと、ギリシア・ローマ建築を模倣する、当時の古典主義を ヴィオレ・ル・デュクが非難し、建築を そうした既存の形式に押し込めるのではなく、建物の用途に忠実であるべきこと、構造的合理性に基づいて 設計すべきことを説いたのは、ファーガスンの著作と よく似ていたように思えます。(ただしヴィオレ・ル・デュクは 自説にもかかわらず、過去のゴチック様式で 新しい建物を設計しましたが、ファーガスンは そうしたリバイバリストのやり方には 賛同しませんでした)。 ヴィオレ・ル・デュクは第6講で「スタイル」(フランス語では スチル)という語を 独特に定義していますが、それを飯田喜四郎氏は 苦心して 通常の意味の「様式」と、彼に独特な意味の「風格」という語に 訳し分けています。
「一定不変のひとつの形態」とは、ギリシア、ローマを模倣する 古典主義などを指していますが、こうした主張は、ファーガスンの言う「正しい原理(True Principles) 」、「本質的ないし真実の芸術」、「自然にふさわしい品位と装飾」を追求すべきであって、学校で習った過去の様式で 設計すべきではない、という建築論と、ほとんど重なるように思えます。 ( 2013 /08/ 01 )
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