『 世界建築史 』 |
神谷武夫
『世界建築史』2巻本の初版, 1865 と 2巻本の第3版, 1893
前回の『インドと東方の建築史』と並ぶ ジェイムズ・ファーガスン(1808-1886)の主著は、『世界建築史』です。というよりも、本来、前者は この『世界建築史』の一部だったのです。このサイトの「ジェイムズ・ファーガスンとインド建築」に書いたように、インド建築の研究で出発したファーガスンは、次第にその領域を他の文明にまで拡げていきました。おそらくは、足で歩き回って調べたインド建築を、次第に他の文明の建築と比較したくなり、ついには その範囲を全世界にまで 拡大してしまったのでしょう。 そして 1867年に、30年にわたる探求の成果を 集大成した『世界建築史』は、上下2巻あわせて 1,450ページという大著になりました。しかも、そこに挿入された木版(ウッドカット)によるドローイングが 1,180点にも達する驚異的な本です。ファーガスン自身、この著作を「全世界の建築の歴史を叙述する 最初の試み」と書いていますが、デイヴィッド・ワトキンは『建築史学の興隆』のなかで、この著作を「英語で書かれた 最初の本格的な世界建築史」と書いています。 といっても、インドとヨーロッパ以外は、すべてを直接に探訪するわけにもいきませんので、ロンドンに居ながら 資料を収集したのでした。しかし 19世紀半ば、ヨーロッパ以外の国のことは まだ十分な情報が得られる時代では ありませんから、世界建築史の本を書くとしても、どうしても ヨーロッパ中心とならざるを得ません。全体を3部に分けて、第1部「古代建築(Ancient Architecture)」、第2部「キリスト教建築(Christian Architecture)」、第3部「異教の建築(Pagan Architecture)」としましたが、分量的には、ヨーロッパ建築を扱う第2部が 全体の 50%、古代建築(すなわち エジプト、ギリシア、エトルリア)が 20%、そして異教の建築(すなわち 非キリスト教世界で、イスラーム(当時は サラセンと呼ばれました)、ペルシア、インド、そして わずかですが 東アジアと中南米)が 30%でした。
『世界建築史』 初版本の 革製本 ヨーロッパの比率が大きいとはいえ、これだけ世界中の建築を網羅して、まだ写真製版のなかった時代、集めえた資料を木口木版画にして 1,200点近くの図面、ドローイングとして挿入したのですから、視覚的に理解できる建築史書として、建築家ばかりでなく、一般の読書人にまで広く受け入れられ、版を重ねました。
第3部の中では インド部分の占める比率が(インド・イスラーム を含めて)64%でしたから、その 270ページ分は かなり詳しく、当時の建築史家で ファーガスン以外に インド建築をこれだけ詳しく知っている人はいませんでした。つまり「最初の本格的な世界建築史」を書くことのできる人は、ファーガスン ただ一人 だったわけです。 そうなると『世界建築史』は、インドと東方部分を そのままにしておくわけにいかないので、この部分を削除して、ヨーロッパ部分に多少手を入れ、全体の配列も やや変更して、1874年に第2版として出版しました。したがって 初版と第2版とは、内容的には あまり違いがなく、インドと東方部分がなくなった分、かえってページ数も(1270ページに)図版数も(1015点に)減少した版になりました。私は、この版は もっていません。 『世界建築史』は、前回の『インドと東方の建築史』と まったく同じ大きさと体裁の本で、同じ ジョン・マリー社から出版されました。2巻あわせた厚みは 10.5センチにもなり、重さは 2.7キロもあります。私が所蔵しているのは 自家製本なので、ジョン・マリーによる 版元装幀が どんなものだったのかは わかりません。
初版の本文ページ (上巻と下巻) イギリスの本は フランスと違って、紙表紙の仮綴じ本ではなく 布装本ですが、フランスと同じように 愛書家は、布装本を購入したあとに 装幀(ルリュール)工房に出して、自家装幀をします。私の所蔵本を購入したのは、本の見返しに貼ってあった蔵書票(エクスリブリス)から、貴族位をもった、聖マイケル・聖ジョージ上級勲爵士の将軍、ヘンリー・オーガスタス・スミス氏であると わかりました。
本の出版は 上巻が 1865年、下巻は翌年のはずだったのが1年遅れて、1867年のことでした。おそら くスミス氏は 下巻が出てから2冊を買い求め、製本に出したのでしょう。つまり、今から約 140年前の革装本というわけです。 本の上部には 天金をほどこし、2色の糸を織った花切れを付けています。本の見返しには マーブル紙(日本の墨流しのような技法によって、着色の水紋模様を写しとった丈夫な紙)を用いています。
この革装幀がされてから 140年。その間、モロッコ革の端部が あちこち擦れてきましたが、それと同時に、本の持ち主も変遷しました。本の見返しに もう一つ、小さな名前シールが貼ってあります。ロンドンのアメリカ大使館、ランドレス・M・ハリスンと ありますから、最初の ヘンリー・オーガスタス・スミス氏が世を去ったあとに、その蔵書整理で ロンドンの古書店に出て、これをアメリカ大使館員が購入したのでしょう。ロンドン勤務の終了後に ハリスン氏はアメリカに持ち帰り、それが ずっと後に また古書店に出て、カリフォルニアの古書店から 私が購入して、今は日本にある というわけです。 これが「古書の来歴」で、よく製本された優れた本というのは、こうして 所有者を変えながら、何百年も生き続けるわけです。なんだか 離散の民のユダヤ人や アルメニア人の運命を見ているような気になります。 ところで、19世紀の本の題名というのは、できるだけ内容を 十分に表現しようとする傾向があったので、しばしば 長いものとなりました。しかし それでは 本を呼ぶのに不便でもあったので、表紙には タイトルを行分けし、重要な部分を大きな字で、補足的な部分を小さな字で書くことが行われました。このファーガスンの本も、正しい題名は『古代から現代に至る すべての国の建築の歴史』という長いものです。通常は 大きな字の重要な部分のみをとって、『世界建築史』 とも、あるいは単に『建築史』と呼ばれるので、他の本において この本が引用される場合にも、3通りの書き方があったわけです。
さて ファーガスンの死後、前回書いたように、出版社のジョン・マリー社は ファーガスンの3部作の改訂版出版に乗り出しました。『世界建築史』の第3版になるわけで、改訂を委託されたのは、建築家で建築史家でもあった、リチャード・フネ・スパイアズ(1838-1916)で、彼は『インドと東方の建築史』の東方部分の改訂もしています。ただし『インドと東方』では、扉に Revised and Edited by と書いてありますが、こちらには単に Edited by とあります。改訂の度合いが少なかったせいでしょうか。
スパイアズのセカンド・ネームが Phené というのは、たぶん 母方がフランス系だったのでしょう。彼は英国王立建築家協会の会員建築家で、ヴィクトリアン・ゴチックの名高い建築家、ウィリアム・バージェスの助手を務めたことがあるので、同門の ジョサイア・コンドル および辰野金吾の先輩にあたります。東洋の建築にも造詣が深く、コンドルに影響を与えたものと思われます。
第3版の本文ページ(上巻と下巻)
私の所蔵する第3版は 20世紀半ば過ぎの再製本なので、 オリジナルの版元装幀がどいういうものだったのかは わかりません。この「古書の来歴」は、やはり表紙の見返しに貼られた、サンダーランド美術学校の蔵書票(エクスリブリス)から、ある程度わかります。サンダーランドというのは イングランド北東部の都市で、そこの 19世紀に創立されたカレッジです。
個人の蔵書ではなかったので、再製本も きわめてドライで、よくある 図書館の雑誌合本のような、バックラム布による装幀です。(バックラムというのは、のり・にかわなどで固くした亜麻布。バックラムという名称は、布が輸出されたトルキスタンの地名である ブハラ(Bukhara)からきている という説がありますが、定説ではありません。主に図書館用として、多数の人が接する本の装幀に用いられた丈夫な布です。) ( 2011 /03/ 01 )
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