推薦文−板垣雄三 (東京大学、東洋文化研究所教授)
イスラム文化の粋は 建築にあるといってよい。そこには、あらゆる芸術的表現の総合があり、そのようにして実現される空間にこそ、人びとの信仰と知力と感性が凝集しているからだ。金曜の集団礼拝がおこなわれる大モスクは「共同体」の象徴であり、学院(マドラサ )は「知識」と「学的努力」の容れ物なのである。そして、家屋は家族の、都市は文明の発現の場だということが、強烈に意識されている。
間違いだらけの先入観と 好き勝手な異国趣味でしか イスラムを見てこなかった日本社会も、ようやくそれが 巨大で精巧な都市文明の体系だということに 気付きはじめたようだ。
このようなとき、絢爛たるイスラム建築の展開の道筋を 文明史の流れに沿って 太く 力強く描き出した本書が、われわれに身近なものとなったことは、まことに喜ばしい。専門的立場からも 学ぶべきところの多い仕事であるが、イスラム文明の厚みと深みに心を寄せる旅人に 充足感を与えてくれる書物だ。
推薦文−鈴木博之 (東京大学、工学部教授)
われわれ日本人は、インド、中国、そして日本へと及ぶ 仏教建築の流れをイメージしたり、世界各地に散在する 木造建築圏を概観しようとしたり、西欧建築に淵源をもつ 近代建築の伝統を実感したりすることはあっても、イスラム世界の建築を 全体として把握することには 難しさを感ずる。
それにもかかわらず、厳として存在する イスラム建築の広がりを私が感じたのは、『図集世界の建築』という二巻の図面集を訳出したときであった。
イベリア半島から地中海沿岸、トルコからインド、そして東南アジアにまで その範囲は及んでいる。だが、その豊かな建築文化(イスラム世界では建築は最も重要な文化表現のひとつだ)は 十分に理解されていないと、そのとき感じ、反省した。
今回、その同じ著者による『イスラムの建築文化』が訳出されることになり、この広大な建築文化圏が さらに詳しく紹介される。わが国における異文化理解、建築理解のために これほど刺激的なできごとはあるまい。本書が広く読まれることを期待したい。
推薦文−茂木計一郎 (東京芸術大学、美術学部教授)
絢爛たるアラベスク模様を張りめぐらした イスラム寺院を訪れた時、まず覚えた虚無感、しかし やがてその背後に隠された、極力 物質性を排除して 無限に複雑な幾何学模様を刻みこんだ豊穣さに圧倒された。一点の瑕瑕も許さぬ整然たる配列に 軽いめまいを覚え、やがて 空間の恐怖ともいうべき感動に打たれた。イスラム世界は 私にとって全く異質の空間体験であった。
旅から戻って、その感動を蘇らせてくれる書物に飢えていた。中東諸国に関心が高まっているにもかかわらず、イスラム建築の紹介については ほとんど空白に等しい。
ところがここに、該博な美術史家であり、活動的な企画者である アンリ・スチールランによって著わされ、博識強靭な建築家、神谷武夫によって訳された本書を 手にすることができた。これは 単なるイスラム建築の羅列的な紹介書ではない。個々の建築作品を超えて、その歴史的、文化的骨格までが 明解に叙述されている。 美麗な写真と精緻な図面に導かれて イスラム世界を遍歴し、その畏怖的な空間に感応することができる。
われわれの長い空白を埋めて、本書と共に 再びイスラム建築への旅に出られることを 楽しみにしている。
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< 書評 > 石山修武 (建築家、早稲田大学教授)
出色のイスラム建築入門書
率直に言って、この本『イスラムの建築文化』を批評することは、私には とてもできない。批評するに必要な素養も知識も、全く欠いているからだ。それは、しかるべき人が当たるであろう。冒頭から 兜をぬいでしまっているわけで、まことに情けないこと おびただしいが、仕方ない。このような書物には 誰でも謙虚にならざるをえないだろう。
書評はできない、しかし 紹介ならしたい。イイゾ、イイゾ、凄いぞと、誰かれとなく勧めたい。それが 本書に対する嘘のない実感である。なぜならば、数多いであろう イスラム建築同好の士と同じく、私も その建築のファンであるからだ。それも かなり強烈な マニアであるかも知れないからだ。実は マニアなんて枠を踏み越えて、もう 病気みたいなものに なっているのかな、なんて恐ろしい自覚だってある。
この自覚を吐露してしまうことは、あんまり したくはない。私のイスラム病は まだまだ進行の最中であって、どこまで症状が進んでしまうのかも、定かでないところが あるからだ。
エッ、お前の建築の何処に イスラムが在るの! と 驚かれるかもしれない。驚くほうが 当たり前だ。本の紹介も そっちのけで言ってしまえば、イスラム建築の病気というのは、スグにミナレットを建てたり、ドームを並べたり、あるいは タイルを装飾的に使ったり という底の浅いモノから、もっと深く ジンジンとするくらいに、建築という形式への想いを 揺り動かしてしまうものまで 幅のあるものだ。私の病気は 自分でよく知っているくらいに重病で、だから 簡単にタイル装飾やら ドームの形なんかは やらない。抑えても抑えても、きっと何時かは吹き出るのが判っている、建築的観念の震源地になってしまている。そして、これぞといった機会に恵まれた時に、私のイスラム病は 全面的に表面化してしまうのだろう と、恐れてもいる。恐いのだ。
この本を通読しながら 考え続けていたのは、そんな類のことである。 イスラム建築は、建築家にとって 恐ろしい形式だ。
もう少し、ほんの少しだけでも その恐ろしいイスラム病に免疫になってから、つまり、こんなふうに手際の良い概説書を読んでから、アノ、今想っても めくるめくようなイスラム体験をすればよかったと、後悔すること しきりだ。イスラム文化圏の建築は、言ってみれば 壮大な観念の体系である。私のように 何の知識もなく、それに巡り会うことになってしまうと、それこそ 取り返しのつかないことに なってしまうだろう。クドクドしく 自分の後悔先に立たずを述べているが、要するに、この本は イスラム建築入門の書としては出色のものである。
私も、イスラム建築に徹底的に ブチのめされて 追い返されてきてから、遅ればせながら、幾つかのイスラム建築の書の頁を繰った。本書よりも 細部にこだわった専門の書は、少なくない。しかし、イスラム建築を 歴史的な、より以上に 地理的に、広大な視点から俯瞰した書物は 稀なのだ。イスラム建築研究の 最初の一歩として、あるいは イスラムへの旅の前後に、必読の書であろう。
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本書はまた、イスラム建築と同様に きわめて構成的、構築的な書物であり、歴史的叙述と地理的なそれが 驚くべき巧みさで融合されている。書物の入口とも呼ぶべき、第1章「イスラム文明の基層」、第2章「イスラム古典期」は、歴史的な叙述をもって、イスラム建築の基盤をよく示している。よく知られる ティグリス河右岸のサーマッラーの大モスクから コルドバの大モスクまで 広く概説しながら、私たちに イスラム建築の起源と変遷を教示してくれる。これは第3章「ペルシア」において その特質が最大限に発揮されるのだが、著者 アンリ・スチールランは、乾涸びた文献学的考察だけのアカデミストではなく、むしろ 建築家マインドを十二分にもち合わせた、そう、日本で言えば伊東忠太みたいな人物のようだ。その叙述は 実に生き生きと、そのイスラム建築が どのように考えられ、建てられたのかを 説き起こす。その点に関しては 訳者である神谷武夫さんが、「訳者あとがき」で述べているので 譲る。その面白さ、決して軟弱ではない書物でありながら、推理小説を読むような楽しさの中に 引き込まれてやまぬ魅力は、著者の現代的な、ジャーナリスティックな とも呼びたいほどの、生き生きとして 壮大な視野によって生み出されている。
第3章の「ペルシア」、なかんずく、イスファハーンに割かれた頁数 25頁。これは、この書物中の圧巻である。これまで何冊もの書物を読んでも解けなかった疑問が、実に見事に解明されている。ナルホド、ナルホドの連続だ。 実証されるだけではなく、建築家マインドの最大限の行使、想像力の飛躍が発揮されているのが 手に取るように判る。何年か前に、イギリスのAD誌が イスファハーンの特集を組んでいて、アレも見事であったが、この 25頁も凄い。
あとは誰でも、イスファハーンの王のモスクに乗って、広大な旅に出かけることができる。 第 4章「地中海」、第5章「トルコ」、第6章「インド」へと。
さらに驚くべきことに、この本の結びの部分には、一部愛好家の間にのみ、その存在と面白さが ヒソヒソと語り拡げられていた、ジャイプルの天文台までが 堂々と登場させられている。しかも、広大なイスラム建築の書物の旅の後では、その建築が 実によく ハッキリと視えてくるから不思議だ。
ファテプル・シークリーからタージ・マハルまで、メッカのカーバ神殿を中心として 辺境の地のイスラム建築までもが、驚くべき壮大な観念の力で体系づけられていること、それこそがイスラムの建築文化 そのものであることを、本書はよく示している。
イスラム建築入門には、最適な一冊であろう。大部ではあるが、イスラム建築の最良のガイドブックとして お勧めしたい。 私だって、イスラムの旅の初めに この本を知っていれば、もう少し手際よ く回り道をしないで、目的地にたどり着けたかも知れぬのに と、残念でならない。図版が実に的確に挿入されていて、それも見事である。
( 『建築文化』 1988年 6月号 )
【 訳者あとがき 】 より
「建築」という言葉は本来 Architecture の訳語であるが、我が国では、もともとの芸術上、文化上の概念としての原義から外れて、物理的な「建物」や工学的な「建設」と同意義に使われてきてしまった。アンリ・スチールランが著した本書は、イスラム社会における建設技術を解説した書物ではないし、各国の有名な建物の案内書でもない。Architecture が人類の精神の営みとしての高度な文化であり 芸術であることを、イスラム圏の建築の歴史を通して語っている書物である。
「芸術の研究をするということが、その歴史の主人公であるところの過去および現在の人間存在をよりよく理解する手段でないとしたら、どんな意味があるだろうか」とは、本書の序文の一節であるが、そうした書物がなかったわけではない。しかしそれらは、もっぱら西洋建築について書かれてきたのであって、ヨーロッパ以外の建築については、あるいは建設技術的に、あるいは異国趣味的にしか、語られてこなかったのではないだろうか。本書は、今まで我々が等閑視してきたイスラム圏の建築について多くのことを教えてくれるが、それ以上に、建築というものがいかに深く人類の歴史と関わり、人間の夢や希望を表現してきたか、ということを教えてくるれるだろう。
著者のアンリ・スチールランは 1928年生れのスイスの建築史家であるが、文献学的なアカデミズムの学者ではない。大学では古典語と法律を学び、建築雑誌の編集や、建築に関する放送番組の制作に携わったという。彼の名前を高からしめたのは、60年代の "Architecture Universelle" の出版企画であった。これは国際出版で、日本でも「世界の建築」シリーズとして美術出版社から邦訳が出版されたので、記憶されている方も多いだろう。アンリ・スチールランはこの企画の中心となったばかりでなく、シリーズの最初に出版された「マヤ」、「古代メキシコ」、それに翻訳されていない「アンコール」を自ら執筆し、それらの巻の美しい写真も自身が撮影しているのである。
これらの題名を目にするだけでわかるように、彼の興味の中心は、絶えず第三世界に向けられていた。この企画自体が当時としては十分に人々を驚かせるに足るもので、ヨーロッパの「ゴチック」や「バロック」にも各 1巻を与えているが、「マヤ」にも「オスマントルコ」にも「インドのイスラム」にも1巻を与えようというものだった。つまり、それまで支配的だった西洋建築中心思想を一挙に取り払い、世界中のあらゆる建築文化を等価のものとして並列しようとしたのである。
ここには明らかに、それまでの建築史家とは異なった視点がある。地理的に局限された建築文化の単線的な歴史が(ヨーロッパを中心に)研究されていた時代は過去のものとなりつつあった。大戦後の交通手段や情報技術の大幅な進歩によって、人々は自在に世界をかけめぐるようになった以上、建築史は比較文化的に語られ得るようになったのである。
惜しいことに、このシリーズは完結することなく終わってしまったが、そうした姿勢を彼は持ち続けて、以後も たえず世界中の建築文化を調べ、写真を撮り、図面を起こし、精力的な出版活動を展開してきた。「世界の建築」シリーズの 未完だったものも含めて 図面ばかりを集めて出版したのが、邦訳もある「図集・世界の建築」全2巻(鈴木博之訳、鹿島出版会)である。
他の著作としては、その後の研究成果をとりいれた大型本「マヤの美術」、「アステカの美術」、「インカの美術」の3部作。「イラン」、「イスファハーン」、「ムガル朝のインド」、世界の偉大な文明シリーズの「アラブ文明」 その他。 最近では「大建設者たちの軌跡」というシリーズを企画し、「ハドリアヌス帝と古代ローマの建築」および「スレイマン帝とオスマントルコの建築」を出版している。
これらはすべてスイスのオフィス・デュ・リーヴル社から出版しているが、英訳、独訳の出ているものも少なくない。全体を貫く特徴は、自身の撮影したカラー写真と、新たに作図された図面、それに大胆な切り口の本文が密接にからみあって、理解しやすい内容、美しい造本となっていることである。こうした著作活動によって、1972年にパリの建築アカデミーから金メダルを授与されている。
これだけの著作群に対して、邦訳は少なく淋しいことであるが、本書の刊行によって、建築史家というよりは文明史家に近いアンリ・スチールランの真面目が、我が国でも十分に評価されるのではないかと思う。
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次に、建築史書としての本書の特色を述べておきたい。通常の「建築史」の書物と比べるなら、本書は少々型破りである。建築史上の有名な建築作品を、平等主義的にまんべんなく取り上げて 順次解説したような「教科書風」の記述とは、まるで違っている。ここでは きっぱりと不平等主義を貫き、重要な作品には多くのページ数を振り当てるかわりに、それほどと思われない地域や時代は、ばっさりと切って捨てている。中央アジアやマグレブのイスラム建築がほんの数ページしか扱われていないのに対して、イスファハーンの王のモスクは、これ一つの作品のために 12ページも費やしているのである。
著者の建築に対する興味の持ち方は、歴史家的であるよりは ずっと建築家的であるように見える。訳者自身が建築家であることから言えば、私たち建築家が建築の歴史を学ぶのは、個々の建物に関する網羅的な知識を得たいわけではなく、歴史の上で傑出した建築作品や、あるいは一つの時代を貫く様式といったものが、何故そうした形態をとるに至ったのか、を知るためなのである。それに対して、通常の教科書的「建築史」の書物は、やや無味乾燥で退屈なものが多く、本当に知りたいことを教えてはくれない。
本書においては、たとえば上記の「王のモスク」は、さまざまな面から照明が当てられて その原理や意味性が探求されるが、とりわけその造形や中庭の比例関係が シーア派の神秘思想と深く結びついていることを知らされて、目をみはる思いがする。あるいはダマスクスの大モスクが、何故あのような不思議なプランと空間を得たのかを、大胆な仮説を交えて9ページにわたって解明している部分は圧巻である。さらに、セルジューク・トルコのキャラバンサライの建築がアルメニア建築、ひいてはヨーロッパのロマネスク建築と密接な関連を持っていることを読めば、国家の興亡に伴う文化の興隆と影響関係の壮大さに、深く思いを致さざるを得ない。
こうして常に写真と図面に助けられながら、その広大で多様なイスラム建築の歴史を通して、イスラム文化というものが、どれほど豊かで奥深いものかを知ることができるのである。
それにしても、時代的にも地理的にも、あれほど広範なイスラム圏の建築文化の全体像と本質が、文明史の流れに沿って、これほど的確に一書の内に記述されているのは、みごとと言うほかはない。本書によって一人でも多くの方が イスラムの建築文化に興味を持たれ、そしてイスラム諸国に旅して、その華麗な建築遺産の数々を 直接眼のあたりにして来られることを、心から願うものである。
< 書評論文 > 木島安史 (建築家、熊本大学教授)
『AJAMES』(日本中東学会年報)1988年
(10ページにおよぶ長大なものなので、最初の2ページ弱のみを再録する)
1. はじめに
日本中東学会の発足は イスラム研究の速度を加速させ、多くの成果をもたらしているが、年報に表れているように、経済、社会、人文等、文系の人々による活動が盛んで、理工系の発表は あまり目に付かない現状である。建築は世界的にみれば 美術の一端を担っているのであるが、日本では文系の学部ではなく 理工系の学部に属し、現代建築に関しては 技術中心に考えられている。そのため、イスラムの現代建築に関しても 十分な紹介が なされていない。専門の研究分野に限らず 一般の書物を一瞥しても、日本語での イスラムの建築に関するものは あまり見当たらない。日本建築学会では 東京都立大学の石井研究室の研究成果が 長年にわたって発表されてきた。それらも含め、イスラム建築に関するものは、いわば歴史 あるいは歴史的な視点に立った研究 ということができる。ここに紹介し、その内容を検討したいと考えている本も、やはり イスラムの建築を歴史的な遺産について述べたものである。
表題が『イスラムの建築文化』となっていることに関しては、訳者が述べているので 後で紹介するが、最も注目すべき点は、こと『イスラムの建築文化』に関するならば、歴史を過去のものとしてだけ扱うわけに いかないことだろう。歴史的な建築は 十分に現代的な課題を背負っていると考えるべきである。訳者はあとがきで、原著の表題が ARCHITECTURE DE L'ISRAM となっているものを、わざわざ「建築文化」とした点について、物理的な「建物」や工学的な「建設」を解説した書物ではなく、「建築」とは人類の精神の営みとしての文化であり、芸術であることを、イスラム圏の建築の歴史を通して語っている書物でるからだ と明記している。その意味で、この本は建築の専門家だけではなく、むしろ日頃、建築を 堅くて取っ付きにくいものと 敬遠している文科系の人々に勧めたい。
結論を先に述べるならば、非常に秀れた書と言うべきである。内容の選択範囲については 著者の意図が強力に働いているとはいえ、全体を通じると、相当の数の建築物が挙げられているため、広いイスラム世界全体をカバーした結果となっている。
まず 一般の人々が見ることのできるイスラム建築関係の書物を一瞥してみると、世界文化史跡シリーズの中の『イスラムの世界』や『世界の建築3イスラム』 あるいは『大系世界の美術8イスラム美術』等となる。これら大部な書物に紹介されている建築物の数と比較しても、本書の事例数は決してひけをとらないばかりか、むしろ凌駕しているといってよい。数多くの写真は美しいカラーで、建築の雰囲気をよく再現しているし、モノクロームの写真も大きく、細部について十分に検討できる。さらには 明瞭な図面が ふんだんに挿入されている。その全てにスケールがついていることは、図の利用を考えたとき、計り知れない価値があるといえよう。 日本ではあまり馴染みがないが、外国の観光案内書には 建物の平面図がよく掲載されている。それらは かなりの程度 詳細なもので、一般の人々に親しまれている。その点、日本の読者は 始めから図面を敬遠しているように思われる。
訳は よくこなれていて、読みやすい。本文と図版の関係も よく考慮されていて、随時見ることができる。勿論 このような配慮は原著において なされていたものであるが、その特徴を誠実に踏襲していることは特筆すべきであろう。これらが可能となった理由は、原著者のアンリ・スチールランが すでに "ARCHITECTURE UNIVERSELLE" で 正確な図版を用意していただけではなく、写真をみずから撮っていたことにある。さらに言及するならば、単なる史家ではなく 総合的に事物を把握していく表現者であるからだろう。さもなければ、細かな事実の判定にこだわって、美しいとさえいえる明瞭な図面を おこすことはできない。 また翻訳者も、建築史家ではなくて 設計者であることが、本書を生き生きとしたものに保ったといえる。
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2. アンリ・スチールランの捉えた『イスラムの建築文化』のコンテクスト
本文の構成を見ると、第1章の「イスラム文明の基層」に始まり、第6章まで ペルシア、地中海、トルコ、インドと、大きく地域別に組み立てている。もちろん イスラム発祥の地から ダマスクス、サーマッラー、フスタート、カイラワーン、コルドバまでに見られる 初期の建築について、第2章で論じている。地域に分けた関係から 時代的には それぞれの中で歴史的に順を追っても、章のあいだでは 相前後せざるをえない。著者が主張していることを一言で示すなら、イスラム建築は 異種空間の融合ということになる。しかも 全体を通して強く印象に残るのは、ペルシア建築、おおきくは ペルシア文化の浸透を背骨として考えているようである。もちろん イスラムの根本となるモスクについて、預言者の家にはじまる空間があり、しかも イスラムの教えが平等な礼拝を約束する、間口が広く奥行きの浅いモスクを完成させたとしている。
よく知られているように、モスクは、列柱を並べたものと、大きなドームをかぶせたものとに二分される。しかし、列柱、アーチ、大小のドームは様々に組合されて、豊かなイスラム建築を生み出してきた。また著者は、イスラム建築に いくつかの発想源があることも指摘している。メソポタミア、ギリシア、ローマ、ペルシア、さらにはアルメニアなど 数多い。しかし、随所で強調しているが、イスラムは それらを剽窃したのではなくて、むしろ 思いもしない全体像をえがきだしている、としている。いくつかの具体例をあげているが、建築材料の扱い方の変化などでは、建てさせた権力者の思想や民族的背景だけではなく、むしろ 実際に建設に携わった建築家や芸術家がもたらした技術による 文化の交流や伝承を記述している。
イスラムの空間は 求心的で共生の思想を示し、混在を厭わない。一方、イスラム内部の対立や抗争から イランのシーア派の神秘化と、それによる モスクの象徴体系での構成と装飾も生まれたことを指摘している。イスファハーンには相当のページをさいているが、その理由は おそらく、既存施設を組み込んだ全体計画の魅力にあったのだろうし、混沌としたなかの秩序を発見していたからである。と同時に、そこでは幾何学のもつ不思議な法則性と象徴性との絡み合いが 巧みに利用されてきたからである。図像上での一致は、神秘的なものだといえよう。
< その他の新聞、雑誌における紹介文 >
● 「日本経済新聞」 (1987/12/13 )
イスラム世界では、偶像崇拝を否定する教義のため、どちらかと言えば、絵画、彫刻などより 建築、文学が発展をとげた。
本書は、東はインド、西はスペインまで 多様な広がりを見せたイスラム建築の魅力を探ったもので、取り上げられている建築は約 100点。全体、部分の 230点を超える写真と平面、断面、立面図などを 詳しく紹介している。
例えば インドのタージ・マハルは、廟の配置図、カラー写真などとともに、どうしてこのような空間構成、あるいは造形表現がなされたかが解説される。 このほか エジプト、シリア、ペルシア、トルコなどの代表的な建築物にも触れている。また、参考文献のリスト、年表もつく。 神谷武夫訳。
『日経新聞』1987年12月13日(日)読書欄のトップ
● 「朝日ジャーナル」 (1987年12月25日号 )
イイスラム教は 純粋な遊牧社会から生まれたものだと 一般的には信じられている。だが、イスラムは、メッカとメディナに定住する 富裕な商人階級の中から生まれた、いかにも都市的な宗教なのだ。
本書は、このことを、モスクを中心とした イスラムの建築様式と都市構造の生成発展から 跡づけようとする試みである。ウマイヤ朝アラブ人たちが 都市の造成に当たって、ローマの都市計画原理をも手本とし、すべての辺境地帯においても カーバ神殿を中心とした 強烈な一神教的世界観による町づくりを進めていた。
定価は高いが、多数のカラー図版と見取り図で 丁寧につくられた本である。(契)
● 「學鐙」 (丸善) (1987年12月号 )
7世紀 アラビアに興ったイスラム教は、ガンジス河流域から大西洋に及ぶ 広大な土地をその教圏に収めた。それは 今日、モスク、廟の外構や学校・浴場・病院・隊商宿などのアラベスク装飾に見られる 多様な ”建築” を核とするものだが、本図集は、その文化史的意味あいを捉えるべく、100例を選び、豊富な写図(写真 237、図面 123)で ビジュアルに紹介するもの。この<イスラム建築への誘い>の書が、今後 研究愛好家各位の 好伴侶となることを 期待したい。
● 「新建築」 (1988年2月号 )
東は インド・ガンジス河流域、西は スペインのイベリア半島の西端、南は アラビア半島全域から 北アフリカのマラケシュに至るまで、広大な地域を席巻したイスラム文化は、特に建築の領域で 大きな足跡を残している。
イスラム文化圏と一括りにしてみても、そこには 発達した土壌の違い、生成の過程において かなりの差異がある。ペルシア(現イラン)、トルコ、インドといった地域が イスラム文化圏の円環の中心的地域であるが、民族性とか その土地固有の文化的洗礼を受ければ 差異が生じてくるのは当然といえるかも知れない。あえて本書が『イスラムの建築文化』と題しているのも、この辺に起因しているように思える。
今までも イスラム建築を紹介した書物はあるが、「イスラム文化圏」として 全域を大きくひとまとめとし、それらを文化的文脈の中で捉えて 関連性、類似性を再構築して 比較文明論として論述したものはなかった。また、本書は建築史的位置付けと広がりの中から、各国のイスラム建築を検証し、その重要度、核的存在のものを重点に据え、むしろ ジャーナリスティックな視点で仮設を含めて記述している点に 著者の強い意志が感じられる。奥深く厚みのあるイスラム文化は、われわれの文化と まったく異質であるがゆえに、また一層 好奇と興味にかきたてられる。
本書は6章から構成されている。 第1章:イスラム文明の基層、第2章:イスラム古典期、第3章:ペルシア、第4章:地中海、第5章:トルコ、第6章:インドと、大きな章分けがされているが、それらは いずれも点のつながりとして捉えているのでなく、イスラム文化、文明圏の面的拡がりの中で 位置付けしながら論述しているところが、この本の大きな特徴である。
翻訳書にありがちな難解さ、たいくつさを感じさせない 訳者の適切で平易な訳文と、写真、図版は、イスラム建築に はじめてトライする者にとっては、予備知識としての訳者序言と共に、イスラム建築のガイドとしても 貴重な資料といえる。 (K)
● 「日経アーキテクチュア」 (1988年2月22日号 )
イスラム文化は 我々にとって 少々馴染みが薄い。華麗なモザイクやアラベスクの美しさも、珍しい異文化程度の理解から、もう一歩踏み込むことができない向きも 多いことと思う。
本書は、スイスの建築史家 Henri Stierlin による "Architecture de l'Islam", Office du Livre, Fribourg, 1979 の全訳。彼はかつての『世界の建築』シリーズ(美術出版社)で、日本でも お馴染みの人である。
著者は アカデミズムを振りかざす「建築史」でなく、建築を それを取り巻く文化の中で捉えようとしている。重要な建築には たっぷりページを割き、なぜそのような空間構成や表現が実現したのかという本質に迫っており、謎解きの面白さを味あわせてくれる。
章立ては 6章構成。 イスラム古典期、ペルシア、地中海、トルコ、インドなど、イスラム教という共通の教えを受け入れながら、その地の先行文化とミックスし 独自の文化を創出した 各地からの報告という形でまとめられている。
巻頭の訳者序言の中で 宗教や建築空間に関する予備知識を 整理しているのは有難い。イスラム文化に興味を持つ人に、あるいは建築愛好家のための一般書として おすすめしたい。(iwk)
『イスラムの建築文化』のパンフレット
< 目次 >
| 訳者序言 | 001 |
| イスラム世界の地図 | 006 |
| イスラム王朝交代表 | 008 |
| 序文 | 009 |
|
|
第1章 | イスラム文明の基層 | 013 |
| 1 イスラム以前のアラビア | 013 |
| 2 ムハンマドの事績 | 015 |
| 3 征服以前のビザンチンとササン朝 | 017 |
| 4 アラブの征服時代 | 017 |
| 5 非征服地域の建築 | 019 |
|
|
第2章 | イスラム古典期 | 023 |
| 1 最初のモスクとその構成要素 | 023 |
| 2 ミフラーブの役割 | 024 |
| 3 ウマイヤ朝時代の開始 | 026 |
| 4 政教建築・岩のドーム | 028 |
| 5 アクサー・モスクとメディナのモスク | 036 |
| 6 ダマスクスの大モスク | 039 |
| 7 幅広矩形の空間 | 048 |
| 8 ウマイヤ朝の都市設計と 「砂漠の宮殿」 | 050 |
| 9 アッバース朝の樹立 | 056 |
| 10 マンスールのバグダード | 058 |
| 11 ウハイディルの宮殿 | 059 |
| 12 サーマッラーの造営 | 061 |
| 13 サーマッラーのモスク | 064 |
| 14 最初のイスラム聖廟 | 066 |
| 15 フスタートのイブン・トゥールーンのモスク | 068 |
| 16 ローダ島のナイロ・メーター | 072 |
| 17 列柱ホールのモスク | 072 |
| 18 フスタート (カイロ) のアムルのモスク | 072 |
| 19 カイラワーンの大モスク | 074 |
| 20 コルドバの大モスク | 075 |
| 21 列柱ホールの空間特性 | 080 |
| 22 アッバース朝の分裂 | 082 |
|
|
第3章 | ペルシア | 083 |
| 1 イーワーンとドーム | 083 |
| 2 イラン建築の構成 | 086 |
| 3 イスファハーンの金曜モスクの建設 | 086 |
| 4 四イーワーンの中庭 | 094 |
| 5 モンゴル時代 | 099 |
| 6 墓廟 | 100 |
| 7 ティムール朝時代の黄金時代 | 105 |
| 8 建築用彩釉タイルの発展 | 110 |
| 9 サファヴィー朝の勃興 | 111 |
| 10 シーアの 12イマーム派 | 111 |
| 11 新イスファハーンの建設 | 113 |
| 12 サファヴィー朝の主要な建築 | 122 |
| 13 王のモスク | 122 |
| a. ヴォールトとドームの構造 | 124 |
| b. 中庭の比例と象徴作用 | 124 |
| c. 二重殻のドーム | 128 |
| d. 楽園のイメージとしての建築 | 130 |
| e. 「カーシー」 タイル | 133 |
| 14 宮殿と世俗建築 | 135 |
| 15 サファヴィー朝晩期の様式発展 | 143 |
|
|
第4章 | 地中海 | 149 |
| 1 エジプトのファーティマ朝 | 149 |
| 2 アズハル・モスク、イスラムの大学 | 149 |
| 3 カイロの市壁と門 | 152 |
| 4 新しいモスク型 | 154 |
| 5 シリアのアイユーブ朝の建築 | 154 |
| 6 カイロのマムルーク朝 | 161 |
| 7 マムルーク朝の建築 | 161 |
| 8 カラーウーン廟 | 163 |
| 9 バイバルス 2世廟 | 028 |
| 10 ムハンマド・アンナーシルの建築 | 165 |
| 11 スルタン・ハサン学院 | 171 |
| 12 バルクーク学院と廟 | 177 |
| 13 マムルーク朝の最終段階 | 182 |
| 14 北アフリカとスペイン | 183 |
| 15 世俗建築の発展 | 165 |
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第5章 | トルコ | 191 |
| 1 アナトリア地方への侵入 | 191 |
| 2 セルジューク朝建築の性格 | 194 |
| 3 セルジューク朝のキャラバンサライ | 199 |
| 4 オスマン帝国の成立 | 209 |
| 5 初期のオスマン建築 | 209 |
| 6 最盛期のオスマン帝国 | 215 |
| 7 オスマン建築の黄金時代 | 216 |
| 8 シナンの作品 | 218 |
| 9 世俗建築と公共建築 | 228 |
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第6章 | インド | 235 |
| 1 ムスリムの侵入の波 | 235 |
| 2 デリーの最初のモスク | 236 |
| 3 束の間の首都・ダウラターバード | 239 |
| 4 ティムールの襲来とバーブルの帝国 | 241 |
| 5 フマユーン廟 | 242 |
| 6 建設者にして預言者たるアクバル | 244 |
| 7 ファテプル・シークリーの造営 | 248 |
| 8 シカンドラのアクバル廟 | 253 |
| 9 イティマード・アッダウラ廟 | 254 |
| 10 シャー・ジャハーンの治世 | 256 |
| 11 傑作・タージ・マハル | 258 |
| 12 アーグラの真珠モスク | 264 |
| 13 デリーの赤い城の都市設計 | 264 |
| 14 デリーの王室礼拝堂 | 265 |
| 15 白鳥の歌、ラージャスターンの諸藩王 | 267 |
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| 結語 | 272 |
| 書誌 | 275 |
| 年表 | 276 |
| 訳者あとがき | 286 |
| 索引 | 288 |
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