楽園のデザイン

― イスラムの庭園文化 ―
GARDENS OF PARADISE

『 楽園のデザイン 』

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ジョン・ブルックス著、 神谷武夫訳、 1989年、 鹿島出版会
( A5判−280pp、上製本、5,500円、ISBN 4-306-09310-7
イスラム以前の中東における庭園から始めて、
楽園としてのイスラム庭園の概念を明らかにしながら、イスラム圏全体の庭園史を、
主にスペイン、ペルシア、インドの実例を通じて明らかにする。 図版多数。


名訳の評価をもらい、4刷りを重ねています。
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【 訳者あとがき 】 より

 古代ペルシャでは、壁や塀で「囲われた庭園」のことを、パイリダエーザ(Pairidaêza)と呼んだ。――なぜ壁や塀で囲ったのか。中東地域はその大部分が砂漠的風土に属し、灼熱の陽ざしと砂ぼこり、延々と続く荒蕪地や砂漠、といったもので構成される「自然」そのものは、人間を優しく包み込むものではなく、むしろ敵対するものであった。
 それだから、人々が快適な環境を得ようと思うなら、周囲の自然から隔離され、保護された「避難所」を作らねばならなかったのである。熱風や砂塵、陽ざしや獣をさえぎるべく壁や塀で囲いとられ、涼しい日陰と水をたっぷり備えた場所、それが中東の人々にとっての庭園であり、英語のパラダイス(Paradise)の語源となったパイリダエーザなのであった。

 この<楽園>の概念は7世紀に中東に起こったイスラム教に受けつがれ、ムハンマドは『コーラン』の中で、選ばれた者に約束された来世の楽園について 繰り返し語っている。来世の(天上の)楽園のイメージのもとになったのは このパイリダエーザであり、そしてこの楽園のイメージを 現実のものとしようとした<パラダイス・ガーデン>こそが イスラム庭園の理念であり理想であった。
 この「楽園としての庭園」、すなわち「地上の楽園」を実現しようとした王侯や庶民、造園家や建築家たちの営為の歴史が イスラム庭園の歴史であり、現代のランドスケープ・デザイナーであるジョン・ブルックスが 本書で描こうとし、そして見事に成し遂げたところの世界である。

 本書は John Brookes : GARDENS OF PARADISE, The History and Design of the Great Islamic Gardens, 1987, Weidenfeld and Nicolson, London の全訳である。 著者のジョン・ブルックスは英国の第一線で活躍するランドスケープ・デザイナーであり、世界をまたにかけているが、その本拠はウェスト・サセックスに置いて、自ら造園の学校も開いているとのことである。また実務家であるばかりでなく、学級肌の人でもあって、既に著作が 10冊ほどある。その主なものとしては、
"Room Outside", "Garden Design and Layout", "The Small Garden", "The Garden Book", "A Place in the Country", "The Indoor Garden Book" 等がある。

 1978年から 79年にかけて、ちょうど革命をはさむ2年間、イランに滞在して テヘランのデザイン学校でランドスケープ・デザインを教えたことが、本書を著すきっかけとなったらしい。その他のイスラム地域の庭園も調査し、歴史的文献にも広く眼を通しているが、歴史的な記述だけでなく、現代のイスラム庭園の問題をも深く論じ、更にイスラム諸国で造園を行う人に対するアドバイスまでも添えているところは、現役の造園家ならではのことと言えよう。

 ただし、もともと文筆家ではないので、その文体は必ずしも整然としたものとは言えないので、直訳調ではわかりにくい訳文となってしまうことを恐れ、その意味をくみとりながら、極力論理的な文脈の文章となるよう、翻訳を心がけた。しかしそのために 原文のもつポエジーがそこなわれてしまったとすれば、著者に対して申し訳ない気もする。

『 楽園のデザイン 』
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 訳者にとって本書は、前回訳出した『イスラムの建築文化』(アンリ・スチールラン著、原書房、1987)の姉妹編というべきものである。日本の建築界が明治以後ひたすら欧米の建築に学び、追いついてきた現在もなお欧米にばかり顔を向けていて、インドやイスラム、その他第三世界の建築文化を無視している状態の改善に少しでも役立てばと、一介の建築家の身でありながら イスラム建築史の書物を翻訳し、出版にこぎつけたのが『イスラムの建築文化』であった。
 幸い好意的な評価を受けることができたので、更に不遜にも、今度は<イスラムの庭園文化>の書物までも 翻訳出版する役割を担うこととなった。著者のブルックス氏が英国人であるにもかかわらず、かつてのヨーロッパ人のような「文化的帝国主義者」としてではなく、謙虚にイスラムの庭園文化に学ぼうとしている姿勢に 共感をしたからである。
 イスラムの人々にとって その環境を形成する三大要素は、都市と建築と庭園であろう。我が国のイスラム関係の研究者たちが総力をあげて「イスラムの都市性」という大がかりな合同研究を進めている現在、それを補完するように、イスラムの建築文化と庭園文化の本を出版することができたのは、時宜にかなったことと言えるのではないかと思う。

 さて周知のように、我が国は諸外国に比べて 都市内の人口当たりの公園面積が極端に小さい。ストレスの多い現代にあって、これからの都市開発は商業施設ばかりでなく、むしろ公園の整備拡大にこそ 意を用いねばならない。その時に、日本庭園の方法や西洋庭園の方法と並んで、イスラム庭園の方法もまた 大いに参考にすべきではないかと思われる。そしてまた、ますます過密化する都会生活において、イスラムの「囲われた庭園」、パラダイス・ガーデンの考え方は、これからの住宅の庭に対しても示唆するところ大きい。我が国における新たな人間環境を作って行く上で、本書が多少とも役立つならば幸いである。



< 書評 >  有村桂子 (建築家、チームZOO いるか設計集団代表)

時を超えて生きる イスラム庭園文化の本質を探る

 訳者の神谷武夫氏にとって、本書は、『イスラムの建築文化』(アンリ・スチールラン著、神谷武夫訳、原書房)の姉妹編であると、後書きで述べている。訳者の問題意識は「日本の建築界が、明治以後 ひたすら欧米の建築にばかり顔を向けていて、インドやイスラム、第三世界の建築文化を無視している状態の改善に、少しでも役立てば」という考えから出発している。また、「著者のブルックス氏が 英国人であるにもかかわらず、”文化的帝国主義者” としてではなく 謙虚にイスラムの庭園文化に学ぼうとしている姿勢に共感」し、美しい言葉を選びながら 訳を進めている。
 本書を読みながら、同じような視点で、故・吉坂隆正先生も スレイマン1世の主任建築家 シナン・アブドル・メナンのことについて 言及されているのを思い出した。

 著者のジョン・ブルックスは 英国の第一線で、現在活躍中の ランドスケープ・デザイナーであるという。 著者は イスラムの庭園の源流と本質を ペルシア、スペイン、インド、マグリブ、エジプト、シチリア、トルコと、その広範囲なイスラム文化圏を かけめぐりつつ、流麗な筆使い(訳者による美しい表現)によって 私たちの目の前に展開しようとしている。デザイナーである著者の分析と視点は、同じ もの作りとして 興味深く感じるところが多い。

『 楽園のデザイン 』
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 本書で紹介されている イスラムの庭園群は、歴史的建造物であると同時に アルハンブラの庭園のように、現代に生きているものも多い。まして庭園の場合は 植物や水が中心であるから、現代まで手を入れ、様々な変貌を遂げながらも 生き続けてきたものである。何世紀にも わたって守り続けられた、この地上の楽園をイメージした庭園と その建築を後世に伝え続ける義務が 我々にあると思う。

 イスラム庭園は 水が重要なテーマとなっている。水の不足するところで作られた地下水路 カナートについて、本書で詳しく言及されている。古代の灌漑技術が イスラムにおける格子状の幾何学的パターンを生み出し、階段池や圧力噴水の泉により 美しい庭園を作り出すと同時に、田畑を潤し、水を人々に配分した水利技術には たいそう感動させられる。本書には触れられていないが カナートは現代でも作られており、バムという都市で イスラム革命後 50本も市当局の手で建設されている。 古代の水利技術が 今もなお生きている。

 著者の分析による イスラム文化の紹介は、ヨーロッパ文化との比較を意識しながら 展開されている。例えば「砂漠の遊民にとって、生活の領域間には何の区別もなく、住居レベルの移動は食堂から寝室 ではなく、冬の間から夏の間 である。」また、イスラム界の造園は「豪華な絨毯の上に足を組んで座りこんだ時の視覚である。」当然のことながら、我々も彼らと同じ床座の視点であり、興味はつきない。

 また、ペルシアの庭園の「外側の 乾燥しきった世界と、内側の 緑に満ちた静けさとの対照」や「光と影の対比」のデザインや、「絶えざる水の噴出と その水音の中」にある美しい「園亭」の配置などの見事なデザインは、都市化、砂漠化している現代社会の中で、都市計画上の一つの 平凡だが重要な答えを与えてくれそうだ。また、イスラム庭園は 同じ根を持ちながら、地域によって少しずつ変貌をとげており、その変容に対する分析も面白い。インドにおけるイスラム庭園は ヒンドゥ文化と融合し、エジプトにおけるイスラム庭園も 独自の展開を見せているという。

*        *        *

 著者の ディテールにおよぶ豊かな筆使いは、訳者の 素晴らしい感受性と表現力を通して、読む者を楽しませてくれる。高度に情報伝達手段が発達した現代では、世界各地のできごとが リアルタイムで認識できる状況にある。イスラム庭園の麗しさと ニューヨークのスカイスクレーパーの軽快さを同時に感じとることができる現代において、本書はその分野の入門書として意義深い。

( 『日経アーキテクチュア』 1989年 9月4日号 )



< 読売新聞−書評 >

 建築物だけでなく 造景や造園も、その時代その社会の人々の「心のかたち」と切り離して眺めることはできない。それはちょうど服装というものが、個人の趣味だけでなく、時代の流行に どうしても制約されてしまうことと似ている。本書は風土や生活様式を念頭に置きながら、イスラム地域の庭園のデザインに焦点をあて、その理念を具象的に探ろうとしている。
 パラダイスという英語は、古代ペルシャの「囲われた庭園」(パイリダエーザ)に由来するというから、イスラム庭園には もともと「地上の楽園」を実現しようとする願いがこめられていたといえる。

 偶像崇拝を厳禁したイスラム世界では、人間をふくめ生きとし生けるものの姿を石の上に描くことはできなかった。そのかわり、ヨーロッパ世界には類を見ないような抽象度の高い幾何学模様が、建築デザインにおける美的表現として発達した。本書の特色は 建築史において従来あまり注目されなかったイスラムの造景と造園を、正面から本格的に取り上げた点であろう。それは建築物で仕切られることによって はじめて生み出される不思議な空間なのである。

 砂漠世界で希少価値をもつ植物の位置、壁で囲むことの意味、水利技術との関係、園亭、柱廊や回廊の構造とリズム。こうした点を、ペルシャ、スペイン、インド、エジプト、シチリア、トルコ、そして現代のイスラム諸国に足をはこび読み解いてゆく。歴史書としても十分読みごたえがあるだけでなく、説明がおしつけがましくないのがいい。著者自身が造園家でもあるためだろう。
 ページを繰っていると、十字軍時代のキリスト教徒の驚きが伝わってくるようだ。ヨーロッパ人は当時のサラセン文化の洗練された高度さを発見し、ヨーロッパが半野蛮状態にあることを知らされた。西欧以外のところに ひとつの自己完結的な文明が存在することを視覚的に学べる意味でも 大変良い本だ。

『 楽園のデザイン 』
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< 新刊紹介 >  羽田正 (東京大学・東洋文化研究所教授)

『史学雑誌』1989年8月号

(同時期に出版された 岡崎文彬著『イスラムの造景文化』同朋社 と
併せての紹介なので、『楽園のデザイン』に関する部分を再録する)

 文部省科研の重点領域研究「イスラムの都市性」プロジェクトが始まって1年余り、最近大いに活気づいている我が国のイスラム世界研究だが、その中で 文化史、とりわけ美術史、建築史などの分野は、その重要性にもかかわらず、これまで 研究の蓄積が十分とは言えず、最も充実が望まれる研究領域であった。その意味で、イスラムの庭園を扱った この二つの書は、それが出版されたこと自体画期的であり、価値あることと言えよう。
 我が国 庭園学の大家である岡崎氏の書は、 (中略) ただし、イスラムの庭園の特徴が あらかじめ まとめて述べてある訳ではないので、読者は 本書全部を読了し 自らこの問題について考えねばならない。また本書は現存するイスラム庭園や その遺跡の解説なので、庭園史をたどることは ほとんど不可能である。

 もう一方の書の著者 ブルックス氏は、訳者によれば、英国人のランドスケープ・デザイナーであり、すでに庭園関係の著書を 10冊ほどものしているという。また訳者の 神谷武夫氏は、建築家として活躍する一方、2年前にスチールランの『イスラムの建築文化』を訳出したことで知られている。
 著者は 最初の3章で、楽園としての庭園の概念、イスラム庭園の源流について まとめたあと、地域別に 今日に残る庭園や その遺跡を紹介し(ただし網羅的ではない)、庭園の発展史、地域による差異を説明する。スペイン、ペルシア、ムガル朝のインドは それぞれ1章ずつ与えられているのに対して、マグリブ、エジプト、シチリア、トルコは まとめて短い1章となっている。そして最後に、今日のイスラム庭園と その将来の章、中東における庭園設計のノオトが 付されている。

 著者によれば、『コーラン』に描かれた楽園(パラダイス)のイメージこそ、ムスリムが庭園に求めたものであり、その源流は 古代ペルシアに遡る。 形態的には、壁に囲われた空間を 水路が四つに分けるチャハル・バーグを特色とし、これが各地域、各時代によって 特徴的に発展したという。岡崎氏の書と同じく 本書にも随所に写真や図版が入れられ、読者は楽しみながら イスラム庭園史をたどれる仕組みになっている
 訳文は よくこなれており、読みやすい。建築家ならではの訳語も見られ(例えば ヴォリュームを<空間の量>、マッスを<彫刻的表現>)若干の誤植はあるものの、全体として 名訳と言えるのではないだろうか。

 ただ、幾つかの細かい歴史事実の誤り(ヘラートのジャハーン・アーラー庭園を造ったのは バーブルではなく、スルターン・フサインであり、サファヴィー朝が タブリーズを攻略して政権を樹立したのは 1501年であるなど)は別としても、巻末に文献目録を欠いているのは 何としても惜しまれる。なぜなら、本文中には 何度も欧米の研究書からの引用がなされているのに(例えば ドナルド・ウィルバーの『ペルシアの庭園と園亭』)読者は その原典についての詳しい情報を知ることが出来ないからである。岡崎氏の文献目録で この点を補うことができるのは幸いである。
 扱っている庭園の数は 岡崎氏の書の方が多いのに対して、庭園史を ある程度理解しようとすれば、ブルックス氏の書を参照せざるをえない。このように、この二つの書は重複するところはあるものの、お互いに相補う形になっており、あわせて読むことによって 読者のイスラム庭園に関する知識は一定の水準に達することになるだろう。

 「一定の水準」と書いたのは 故ないことではない。紹介者は この両書を読んで大変勉強にはなったものの、なお幾つかの根本的な問題を 解決することが出来なかったからである。その中で 最も重要だと思われる点を挙げておこう。それは 両書ともに「イスラムの」庭園文化を扱っているにもかかわらず、イスラムを生み出し育ててきた アラブ地域の庭園に関する記述が ほとんど見当たらないことである。もしイスラム世界の中心にいるアラブ人の間に 庭園文化が発達しなかったとしたら、そのことの意味こそが まず問われねばなるまい。また逆に なぜスペインやインドのような 当時のイスラム世界の辺境で素晴らしい庭園が造られたのかも 考えてみる必要があろう。

 専門家ではない紹介者が判断するのは 些か早計ではあるが、この両書は イスラム庭園史研究の今日の水準を示しているのではなかろうか。広大なイスラム世界における庭園の共通性が漠然と追い求められてはいるが、未だ各庭園の持つ地域性、時代性が はっきりと認識、把握されたうえでの議論には至っていない。ヨーロッパや中国の庭園史研究に比べて 立ち遅れていたこの分野の実状を考えれば、致し方のないことである。我々は この両書を土台にして、これから密度の濃い研究を進めていかねばならない。今後研究すべき問題を知る意味でも、このような入門書兼概説書が出版されたことの意義は大きい。

『 楽園のデザイン 』
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< 書評 >  松枝到 (文化史研究)

豊穣なイスラム文化の伝統

 ぼくがイスラム式の庭園に はじめて踏みいったのは、スペインのバルセロナ、とある教会の内庭だった。泉の噴水のかもしだす虹がみずみずしく、暑い空気を忘れさせる風を生みだして、苔が眼にすずしい。そこから逆に ぼくは、まだ見ぬイスラム世界の砂漠を想像したりしたのだが、果たして 中東の空間に にじりよってみると、その風土のなかで どれほど庭園が重要な意味をもっているのかが実感できた。 周囲の風土がきびしいほど、かすかな人工のせせらぎの音さえ、精神を回復させる力をもつことになるのだ。本書に引用されている サックヴィル=ウェストの記述のように、ただの日陰が 無上の楽園と思えるのである。

 イスラムの庭園には 多くの呼び名があり、本書の中心概念になる ペルシア語のバーグ(庭園)もそのひとつである。いくらか歴史をさかのぼれば、このことばは 芳香をあらわすブーと、場所をしめす後置詞 エスターンを組みあわせたブースターン(庭園、果樹園)とか、フィルドースなどの語にゆきあたり、その多様さ そのものがイスラム庭園の深い伝統を教えてくれることに気づくだろう。また 楽園の概念と結びついた中近東の庭園は、ながく東西の園丁術のモデルとなり、たとえば紀元前4世紀のクセノフォンに ペルシアの庭園に関する記述がすでにあることからも、その影響力の大きさが想像できるだろう。

 本書は イギリスのランドスケープ・デザイナーである ジョン・ブルックスが、イラン、スペインなどの実地調査にもとづいて イスラム庭園の歩みを述べ、その構造と意味を 現代の建築空間に再生させようとする試みである。それは同時に、イスラム建築論、イスラム空間論としての意義をもっているが、なにより 庭園という小さな拡がりのなかに ミクロコスモスを封じこめ、豊かな精神世界を醸成した古代人の智恵をとらえていて 興味深い。一例を引こう。

「囲われた庭園は、それ自体の内に 宇宙の姿を余すところなく反映する くっきりとした空間、つまり楽園となる。この概念は、庭園の内部に秩序と調和を生み出し、数理や幾何学、色彩、そして もちろん材質を通じて、人間の感覚器官に働きかけることができる。長い夏の酷暑の風土では、日々の生活は 多く戸外でなされるので、建物内部から外界へと移行する領域は、その連結部を用意するものとして重要である。したがって そこは霊界と地上界との間の 移行空間でもある」(第1章)。

 こうした庭園の理解は、イスラム教の登場と その伝播にしたがって広範な世界に広まり、西はスペインから北アフリカ、東はインド中部から東南アジアに至っている。本書では それを大きく スペイン、ペルシア、インド、地中海世界に分けて記述しているけれど、とりわけ グラナダのアルハンブラ宮殿、庭園都市としてのイスファハーン、あるいはインドのタージ・マハル、イスタンブールのトプカプ宮殿など、すでに親しみのあるイスラム建築を 庭園の分析から見た各節は、おおいに刺激的である。そこには 複雑なイスラム世界の王朝史があるが、残された庭園は、みごとに その底流をなすイスラムの伝統を語っているからである。

 さらに本書は、イスラム独特の給水システムである 一種の地下水道のカナートやファラージュに触れ、その機能から 装飾としての水の意味へと論を進めている。じっさい、水はイスラム庭園を楽園のイメージに近づける最大要素であったのみならず、古代の灌漑技術の水準の高さを証明するものでもある。その技術に支えられて、はじめて イスラムはすぐれた植物学と園丁術の伝統を保ちえたのだ。

 著者は最後に イスラム庭園の今後について提言をおこなっているが、そこには複雑な中東情勢と政治問題が横たわっているため、簡単な論評は さしひかえるほかないけれど、イスラムが その豊饒な庭園技術を持続してゆくためには、その歴史と現在を有機的に理解する必要がある。だからこそ、本書のように 空間デザインをとおしてイスラムの伝統の深みへと 実践的に接近する試みは、なにより貴重な姿勢と いわなくてはなるまい。

( 『建築知識』 1989年 10月号 )




< その他の新聞、雑誌における紹介文 >

● 「毎日新聞」 (1989/7/17
 おさめられた写真、図版が、えもいえず美しい。 スペイン、ペルシア(イラン)、インド、各地に うみおとされた「イスラムの庭園文化」(副題でもある)が、総覧されている。 水と植物、そして甘美な休息と戯れ。「エデンの園」とも先祖をおなじくするが、イスラムがつくりだした 最も偉大な作品ともいえよう。造園デザイナーの著作だけあって、審美上の独特な見解が ちりばめられている。 神谷武夫訳。


● 「月刊 ASAHI」 (1989年8月号
 西欧崇拝症への確かな解毒剤
 パラダイスの語源は、古代ペルシアにあるのだと 訳者は記している。塀や壁が囲う中庭を「パイリダエーザ」と呼びならわしたのが、英語のパラダイスとなったのだそうだ。イスラムの庭園とは、コーランで謳われる来世の楽園の具現した姿なのであった。
 乾燥地帯でありながら、水と植物がオアシスを形作る。地中の水路から 生命の綱である水を汲み上げる 優れた灌漑の技術が、地上の楽園をもたらした。果樹の林とあずまや。周囲の自然が猛威をふるえば ふるうほど庭園の安寧の空間は、美しい来世のアナロジーとして昇華されていったのである。
 著者の解析の対象は、広く イスラム文化圏全体の庭園に及ぶ。日本人にも比較的近しい存在と思われる スペイン・グラナダのアルハンブラ宮殿、ムガル朝インドから ペルシア、エジプト、シチリアへと関心は拡大し、豊富な図面と写真が 論稿を支えている。
 紙面から ほとばしり出てくるのでは と思われるほどの豊かな水量と緑の量感、そして建築の装飾性の高さはどうだ。これは異郷への誘いなのだ。
   20世紀の都市と建築の担い手たちは、最初の 70年は、西欧中心の都市観に何ら疑いを抱かず、残りの 30年は そうした凝り固まった思考に痛撃を与えんがために、西欧以外の文脈の発見に躍起となっている。西欧崇拝症への確かな解毒剤が、本書にはある。  (松葉一清)


● 「室内」 (1989年7月号
 イスラム建築に関する本は それほど珍しくないけれども、これは イスラム文化のなかの庭園を取上げて、その歴史やデザインを解説した 貴重な一冊である。
 地球上、最も不毛な地域のひとつに暮らすイスラム世界の人々にとって、庭園は 常に楽園(パラダイス)の象徴であった。「せんせんと河川の流れる庭園」は、イスラム教徒たちの至福を示す表現として、コーランの中では 30回以上も繰り返して登場するという。西洋のように 伝統的に外から眺めるための庭園とは その成立からして異なっているのである。こうしたイスラム庭園の歴史を イスラム期のスペインからペルシア、インド、現代とたどり、その時代の代表的な庭園を紹介している。
 著者のブルックス氏は、英国で 自ら造園の学校を開くかたわら、第一線で活躍しているランドスケープ・デザイナー。訳者は『イスラムの建築文化』(原書房刊)などの訳書もある 建築家の 神谷武夫さんである。 (青)


● 「アート トップ」 (1989年8/9月号
 イスラム芸術の中で、これまで あまり注意が払われてこなかった 造景と造園を、著者の実地調査に基づいて紹介したのが本書。乾燥地帯の厳しい自然にさらされた中東世界では、周囲の自然から保護された「避難所」を作らねばならならず、またイスラムの聖典『コーラン』には 楽園としての庭園の光景が繰り返して語られる。英語のパラダイスの語源も 古代ペルシアで 壁や塀で「囲まれた庭園」のことを パイリダエーザと呼んだことに由来しているという。単に 造型芸術という側面だけでなく、イスラムの世界観をうかがい知ることができる好著。


● 「」 (1989年9月号
 一般に 世界の庭園というとき、われわれが まず思い浮かべるのは、イタリア、フランス、イギリスに代表される 西欧各国の庭園であり、あるいは、日本庭園に大きな影響を及ぼした 中国庭園であろう。イスラム庭園は、スペインのアルハンブラ庭園に関連して、まったく付録的に登場するのが常であった。
 同じイスラム芸術の中でも、壮麗なモスクや精緻な幾何学模様などに代表される 建築と美術の分野は、すでに高い評価を受けているにもかかわらずである。その理由は、本書序文の言葉を借りれば、これまでの研究者の感受能力の偏りにあるという。イギリスのランドスケープ・デザイナーである著者は、この本において、イスラム文化の中で軽視されてきた 造景と造園の分野に光を当て、この庭園文化の魅力を探っている。
   (長いので、中略)
 今日のイランの造園の実態を このように説き、風土を無視した庭園づくりへの警告を発した最終章で、われわれは 伝統的庭園から学ぶべきものがいかに多いか、そしてそれは 単にイスラムの庭園についてだけの結論ではない、ということに思い至るのである。イスラム庭園の理想であった「地上の楽園」は、現代社会にもまた 求められているような気がする。




< 目次 >

序文 (M・A・ザキー)

002

序 章

庭園の伝統

006


第1章 

楽園としての庭園の概念

018


第2章 イスラム庭園の源流028
  ペルシア034

第3章 イスラム期のスペイン042
  コルドバ043
  セビーリャ051
  グラナダ054
  中庭としての庭園074

第4章 イスラム期のペルシア089
  ティムール朝帝国089
  サファヴィー朝とそれ以後098
    イスファハーン098
    シーラーズ113
    その他のペルシア庭園121

第5章 ムガル朝のインド134
  バーブル (1483〜1530)144
  フマユーン (1508〜56)151
  アクバル (1542〜1605)154
  ジャハンギール (1569〜1627)160
  シャー・ジャハーン (1592〜1666)176
  アウラングゼーブ (1618〜1707)185

第6章 マグリブ、エジプト、シチリア、トルコ197
  マグリブ197
  エジプト202
  シチリア島212
  オスマン帝国213

第7章 イスラムの景観における水と植物222
  伝統的な給水システム222
  装飾要素としての水226

第8章 今日のイスラム庭園とその将来236
  今日のイラン240
  その将来246

付 録 中東における庭園設計のためのノオト249
  砂漠の風土による制約249
  床面254
  庭園構成256

イスラム世界の地図266
訳者あとがき268
年表274
索引278


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