― イスラムの庭園文化 ―
( A5判−280pp、上製本、5,500円、ISBN 4-306-09310-7 イスラム以前の中東における庭園から始めて、 楽園としてのイスラム庭園の概念を明らかにしながら、イスラム圏全体の庭園史を、 主にスペイン、ペルシア、インドの実例を通じて明らかにする。 図版多数。
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古代ペルシャでは、壁や塀で「囲われた庭園」のことを、パイリダエーザ(Pairidaêza)と呼んだ。――なぜ壁や塀で囲ったのか。中東地域はその大部分が砂漠的風土に属し、灼熱の陽ざしと砂ぼこり、延々と続く荒蕪地や砂漠、といったもので構成される「自然」そのものは、人間を優しく包み込むものではなく、むしろ敵対するものであった。
この<楽園>の概念は7世紀に中東に起こったイスラム教に受けつがれ、ムハンマドは『コーラン』の中で、選ばれた者に約束された来世の楽園について 繰り返し語っている。来世の(天上の)楽園のイメージのもとになったのは このパイリダエーザであり、そしてこの楽園のイメージを 現実のものとしようとした<パラダイス・ガーデン>こそが イスラム庭園の理念であり理想であった。
本書は John Brookes : GARDENS OF PARADISE, The History and Design of the Great Islamic Gardens, 1987, Weidenfeld and Nicolson, London の全訳である。 著者のジョン・ブルックスは英国の第一線で活躍するランドスケープ・デザイナーであり、世界をまたにかけているが、その本拠はウェスト・サセックスに置いて、自ら造園の学校も開いているとのことである。また実務家であるばかりでなく、学級肌の人でもあって、既に著作が 10冊ほどある。その主なものとしては、 1978年から 79年にかけて、ちょうど革命をはさむ2年間、イランに滞在して テヘランのデザイン学校でランドスケープ・デザインを教えたことが、本書を著すきっかけとなったらしい。その他のイスラム地域の庭園も調査し、歴史的文献にも広く眼を通しているが、歴史的な記述だけでなく、現代のイスラム庭園の問題をも深く論じ、更にイスラム諸国で造園を行う人に対するアドバイスまでも添えているところは、現役の造園家ならではのことと言えよう。 ただし、もともと文筆家ではないので、その文体は必ずしも整然としたものとは言えないので、直訳調ではわかりにくい訳文となってしまうことを恐れ、その意味をくみとりながら、極力論理的な文脈の文章となるよう、翻訳を心がけた。しかしそのために 原文のもつポエジーがそこなわれてしまったとすれば、著者に対して申し訳ない気もする。
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訳者にとって本書は、前回訳出した『イスラムの建築文化』(アンリ・スチールラン著、原書房、1987)の姉妹編というべきものである。日本の建築界が明治以後ひたすら欧米の建築に学び、追いついてきた現在もなお欧米にばかり顔を向けていて、インドやイスラム、その他第三世界の建築文化を無視している状態の改善に少しでも役立てばと、一介の建築家の身でありながら イスラム建築史の書物を翻訳し、出版にこぎつけたのが『イスラムの建築文化』であった。 さて周知のように、我が国は諸外国に比べて 都市内の人口当たりの公園面積が極端に小さい。ストレスの多い現代にあって、これからの都市開発は商業施設ばかりでなく、むしろ公園の整備拡大にこそ 意を用いねばならない。その時に、日本庭園の方法や西洋庭園の方法と並んで、イスラム庭園の方法もまた 大いに参考にすべきではないかと思われる。そしてまた、ますます過密化する都会生活において、イスラムの「囲われた庭園」、パラダイス・ガーデンの考え方は、これからの住宅の庭に対しても示唆するところ大きい。我が国における新たな人間環境を作って行く上で、本書が多少とも役立つならば幸いである。
時を超えて生きる イスラム庭園文化の本質を探る
訳者の神谷武夫氏にとって、本書は、『イスラムの建築文化』(アンリ・スチールラン著、神谷武夫訳、原書房)の姉妹編であると、後書きで述べている。訳者の問題意識は「日本の建築界が、明治以後 ひたすら欧米の建築にばかり顔を向けていて、インドやイスラム、第三世界の建築文化を無視している状態の改善に、少しでも役立てば」という考えから出発している。また、「著者のブルックス氏が 英国人であるにもかかわらず、”文化的帝国主義者” としてではなく 謙虚にイスラムの庭園文化に学ぼうとしている姿勢に共感」し、美しい言葉を選びながら 訳を進めている。 著者のジョン・ブルックスは 英国の第一線で、現在活躍中の ランドスケープ・デザイナーであるという。 著者は イスラムの庭園の源流と本質を ペルシア、スペイン、インド、マグリブ、エジプト、シチリア、トルコと、その広範囲なイスラム文化圏を かけめぐりつつ、流麗な筆使い(訳者による美しい表現)によって 私たちの目の前に展開しようとしている。デザイナーである著者の分析と視点は、同じ もの作りとして 興味深く感じるところが多い。
Page Sample 本書で紹介されている イスラムの庭園群は、歴史的建造物であると同時に アルハンブラの庭園のように、現代に生きているものも多い。まして庭園の場合は 植物や水が中心であるから、現代まで手を入れ、様々な変貌を遂げながらも 生き続けてきたものである。何世紀にも わたって守り続けられた、この地上の楽園をイメージした庭園と その建築を後世に伝え続ける義務が 我々にあると思う。 イスラム庭園は 水が重要なテーマとなっている。水の不足するところで作られた地下水路 カナートについて、本書で詳しく言及されている。古代の灌漑技術が イスラムにおける格子状の幾何学的パターンを生み出し、階段池や圧力噴水の泉により 美しい庭園を作り出すと同時に、田畑を潤し、水を人々に配分した水利技術には たいそう感動させられる。本書には触れられていないが カナートは現代でも作られており、バムという都市で イスラム革命後 50本も市当局の手で建設されている。 古代の水利技術が 今もなお生きている。 著者の分析による イスラム文化の紹介は、ヨーロッパ文化との比較を意識しながら 展開されている。例えば「砂漠の遊民にとって、生活の領域間には何の区別もなく、住居レベルの移動は食堂から寝室 ではなく、冬の間から夏の間 である。」また、イスラム界の造園は「豪華な絨毯の上に足を組んで座りこんだ時の視覚である。」当然のことながら、我々も彼らと同じ床座の視点であり、興味はつきない。 また、ペルシアの庭園の「外側の 乾燥しきった世界と、内側の 緑に満ちた静けさとの対照」や「光と影の対比」のデザインや、「絶えざる水の噴出と その水音の中」にある美しい「園亭」の配置などの見事なデザインは、都市化、砂漠化している現代社会の中で、都市計画上の一つの 平凡だが重要な答えを与えてくれそうだ。また、イスラム庭園は 同じ根を持ちながら、地域によって少しずつ変貌をとげており、その変容に対する分析も面白い。インドにおけるイスラム庭園は ヒンドゥ文化と融合し、エジプトにおけるイスラム庭園も 独自の展開を見せているという。
著者の ディテールにおよぶ豊かな筆使いは、訳者の 素晴らしい感受性と表現力を通して、読む者を楽しませてくれる。高度に情報伝達手段が発達した現代では、世界各地のできごとが リアルタイムで認識できる状況にある。イスラム庭園の麗しさと ニューヨークのスカイスクレーパーの軽快さを同時に感じとることができる現代において、本書はその分野の入門書として意義深い。 ( 『日経アーキテクチュア』 1989年 9月4日号 )
建築物だけでなく 造景や造園も、その時代その社会の人々の「心のかたち」と切り離して眺めることはできない。それはちょうど服装というものが、個人の趣味だけでなく、時代の流行に どうしても制約されてしまうことと似ている。本書は風土や生活様式を念頭に置きながら、イスラム地域の庭園のデザインに焦点をあて、その理念を具象的に探ろうとしている。 偶像崇拝を厳禁したイスラム世界では、人間をふくめ生きとし生けるものの姿を石の上に描くことはできなかった。そのかわり、ヨーロッパ世界には類を見ないような抽象度の高い幾何学模様が、建築デザインにおける美的表現として発達した。本書の特色は 建築史において従来あまり注目されなかったイスラムの造景と造園を、正面から本格的に取り上げた点であろう。それは建築物で仕切られることによって はじめて生み出される不思議な空間なのである。
砂漠世界で希少価値をもつ植物の位置、壁で囲むことの意味、水利技術との関係、園亭、柱廊や回廊の構造とリズム。こうした点を、ペルシャ、スペイン、インド、エジプト、シチリア、トルコ、そして現代のイスラム諸国に足をはこび読み解いてゆく。歴史書としても十分読みごたえがあるだけでなく、説明がおしつけがましくないのがいい。著者自身が造園家でもあるためだろう。
Page Sample 『史学雑誌』1989年8月号
(同時期に出版された 岡崎文彬著『イスラムの造景文化』同朋社 と
文部省科研の重点領域研究「イスラムの都市性」プロジェクトが始まって1年余り、最近大いに活気づいている我が国のイスラム世界研究だが、その中で 文化史、とりわけ美術史、建築史などの分野は、その重要性にもかかわらず、これまで 研究の蓄積が十分とは言えず、最も充実が望まれる研究領域であった。その意味で、イスラムの庭園を扱った この二つの書は、それが出版されたこと自体画期的であり、価値あることと言えよう。
もう一方の書の著者 ブルックス氏は、訳者によれば、英国人のランドスケープ・デザイナーであり、すでに庭園関係の著書を 10冊ほどものしているという。また訳者の 神谷武夫氏は、建築家として活躍する一方、2年前にスチールランの『イスラムの建築文化』を訳出したことで知られている。
著者によれば、『コーラン』に描かれた楽園(パラダイス)のイメージこそ、ムスリムが庭園に求めたものであり、その源流は 古代ペルシアに遡る。 形態的には、壁に囲われた空間を 水路が四つに分けるチャハル・バーグを特色とし、これが各地域、各時代によって 特徴的に発展したという。岡崎氏の書と同じく 本書にも随所に写真や図版が入れられ、読者は楽しみながら イスラム庭園史をたどれる仕組みになっている
ただ、幾つかの細かい歴史事実の誤り(ヘラートのジャハーン・アーラー庭園を造ったのは バーブルではなく、スルターン・フサインであり、サファヴィー朝が タブリーズを攻略して政権を樹立したのは 1501年であるなど)は別としても、巻末に文献目録を欠いているのは 何としても惜しまれる。なぜなら、本文中には 何度も欧米の研究書からの引用がなされているのに(例えば ドナルド・ウィルバーの『ペルシアの庭園と園亭』)読者は その原典についての詳しい情報を知ることが出来ないからである。岡崎氏の文献目録で この点を補うことができるのは幸いである。 「一定の水準」と書いたのは 故ないことではない。紹介者は この両書を読んで大変勉強にはなったものの、なお幾つかの根本的な問題を 解決することが出来なかったからである。その中で 最も重要だと思われる点を挙げておこう。それは 両書ともに「イスラムの」庭園文化を扱っているにもかかわらず、イスラムを生み出し育ててきた アラブ地域の庭園に関する記述が ほとんど見当たらないことである。もしイスラム世界の中心にいるアラブ人の間に 庭園文化が発達しなかったとしたら、そのことの意味こそが まず問われねばなるまい。また逆に なぜスペインやインドのような 当時のイスラム世界の辺境で素晴らしい庭園が造られたのかも 考えてみる必要があろう。 専門家ではない紹介者が判断するのは 些か早計ではあるが、この両書は イスラム庭園史研究の今日の水準を示しているのではなかろうか。広大なイスラム世界における庭園の共通性が漠然と追い求められてはいるが、未だ各庭園の持つ地域性、時代性が はっきりと認識、把握されたうえでの議論には至っていない。ヨーロッパや中国の庭園史研究に比べて 立ち遅れていたこの分野の実状を考えれば、致し方のないことである。我々は この両書を土台にして、これから密度の濃い研究を進めていかねばならない。今後研究すべき問題を知る意味でも、このような入門書兼概説書が出版されたことの意義は大きい。
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豊穣なイスラム文化の伝統 ぼくがイスラム式の庭園に はじめて踏みいったのは、スペインのバルセロナ、とある教会の内庭だった。泉の噴水のかもしだす虹がみずみずしく、暑い空気を忘れさせる風を生みだして、苔が眼にすずしい。そこから逆に ぼくは、まだ見ぬイスラム世界の砂漠を想像したりしたのだが、果たして 中東の空間に にじりよってみると、その風土のなかで どれほど庭園が重要な意味をもっているのかが実感できた。 周囲の風土がきびしいほど、かすかな人工のせせらぎの音さえ、精神を回復させる力をもつことになるのだ。本書に引用されている サックヴィル=ウェストの記述のように、ただの日陰が 無上の楽園と思えるのである。 イスラムの庭園には 多くの呼び名があり、本書の中心概念になる ペルシア語のバーグ(庭園)もそのひとつである。いくらか歴史をさかのぼれば、このことばは 芳香をあらわすブーと、場所をしめす後置詞 エスターンを組みあわせたブースターン(庭園、果樹園)とか、フィルドースなどの語にゆきあたり、その多様さ そのものがイスラム庭園の深い伝統を教えてくれることに気づくだろう。また 楽園の概念と結びついた中近東の庭園は、ながく東西の園丁術のモデルとなり、たとえば紀元前4世紀のクセノフォンに ペルシアの庭園に関する記述がすでにあることからも、その影響力の大きさが想像できるだろう。 本書は イギリスのランドスケープ・デザイナーである ジョン・ブルックスが、イラン、スペインなどの実地調査にもとづいて イスラム庭園の歩みを述べ、その構造と意味を 現代の建築空間に再生させようとする試みである。それは同時に、イスラム建築論、イスラム空間論としての意義をもっているが、なにより 庭園という小さな拡がりのなかに ミクロコスモスを封じこめ、豊かな精神世界を醸成した古代人の智恵をとらえていて 興味深い。一例を引こう。
こうした庭園の理解は、イスラム教の登場と その伝播にしたがって広範な世界に広まり、西はスペインから北アフリカ、東はインド中部から東南アジアに至っている。本書では それを大きく スペイン、ペルシア、インド、地中海世界に分けて記述しているけれど、とりわけ グラナダのアルハンブラ宮殿、庭園都市としてのイスファハーン、あるいはインドのタージ・マハル、イスタンブールのトプカプ宮殿など、すでに親しみのあるイスラム建築を 庭園の分析から見た各節は、おおいに刺激的である。そこには 複雑なイスラム世界の王朝史があるが、残された庭園は、みごとに その底流をなすイスラムの伝統を語っているからである。 さらに本書は、イスラム独特の給水システムである 一種の地下水道のカナートやファラージュに触れ、その機能から 装飾としての水の意味へと論を進めている。じっさい、水はイスラム庭園を楽園のイメージに近づける最大要素であったのみならず、古代の灌漑技術の水準の高さを証明するものでもある。その技術に支えられて、はじめて イスラムはすぐれた植物学と園丁術の伝統を保ちえたのだ。 著者は最後に イスラム庭園の今後について提言をおこなっているが、そこには複雑な中東情勢と政治問題が横たわっているため、簡単な論評は さしひかえるほかないけれど、イスラムが その豊饒な庭園技術を持続してゆくためには、その歴史と現在を有機的に理解する必要がある。だからこそ、本書のように 空間デザインをとおしてイスラムの伝統の深みへと 実践的に接近する試みは、なにより貴重な姿勢と いわなくてはなるまい。 ( 『建築知識』 1989年 10月号 )
● 「毎日新聞」 (1989/7/17 )
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