COVERED BRIDGES in SOUTHERN CHINA
三江 近辺(中国)
中国南部風雨橋
神谷武夫
程陽の風雨橋
程陽(チェンヤン)の風雨橋

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屋根付きの橋、廊橋

日本では あまり お目にかからないが、世界には、屋根のかかった橋 (Covered Bridge) が諸所にある。ヨーロッパ好きな人なら、まずイタリアの フィレンツェにあるポンテ・ヴェッキオ(Ponte Vecchio)を思い浮かべるかもしれない。石造の橋なので古く、現在のものは 1345年に再建されたものである。これは、単に屋根が架かっているというのではなく、橋の両側に宝飾店が立ち並ぶ、いわば商業橋である。
 中東で最も魅力的な橋は、『世界のイスラーム建築』のサイトで紹介した、イスファハーン (イラン) ハージュ橋 であるが、屋根が架かっているのは両側の歩道部分であって、車道部分には架かっていない。この橋を魅力的にしているのは、中央に屋根つきの見晴らし台が設けられていることだろう。これと同類のものは、インドにも見られる。ジャウンプルにある石造のアクバル橋(1568)である。これは 見晴らし台としての小亭が いくつも並び、それらは 今では売店に用いられている。

程陽の風雨橋  程陽の風雨橋
程陽(チェンヤン)の風雨橋

 屋根付きの橋を広く人々に認知させたのは、アメリカ映画の『マディソン郡の橋』(1995)だと思われる(建築的には、やや 不細工な橋だったが)。ロマンスの舞台となった ローズマン・ブリッジだけでなく、アイオア州の マディソン郡には、屋根付きの木造橋が6ヵ所もあるという。世界最長の屋根付き橋は、カナダの ニューブランズウィックにある ハートランド橋(1921)で、全長 391mというから、相当な長さである。
 しかしながら、屋根付きで、しかも造型的に美しい橋が 最も多く存在するのは、中国である。その形式は 地方によって異なるが、それらを総称して「廊橋」と呼ぶ。その中でも建築的に 最も魅力があるのは、中国南部の 侗(トン)族による「風雨橋」(フェンユー・チャオ)であろう。トン族というのは、中国の 55の少数民族のひとつで、貴州省の南部、湖南省の南部、そして広西省(現在は 広西チワン族自治区)の北部に居住し、総人口は 250万とも 300万とも言われる。


程陽の風雨橋 中部亭閣の断面図と立面図
(『侗族建築芸術』湖南美術出版社 2004 より)


風雨橋の構造

 彼らは建築的民族として知られるので、立派な寺院建築があるかと思うと大違いで、どこの村にも宗教建築はなく、代わりに、必ず「鼓楼」と呼ばれる木造の塔が建ち、その下が村民の集会施設となっている。そして、川には「風雨橋」(Wind-and-Rain Bridge) と呼ばれる、屋根付きの木造橋が架けられるのである。もちろん、いずれも 木造民家建築の技術の 発展の上に成り立っているのだが、釘を一切用いずに、「貫(ぬき)」と「枘(ほぞ)」だけで大規模な建物を組み立て、しかも建築芸術的にも高く評価されているのは、驚くべきことである。

 中国には紀元前からアーチの技術が伝わったらしいので、石造のアーチ橋もたくさんある。しかし 当然ながら 山村においては、材料が豊富にある木造技術が主となるので、ほとんどの橋は 木造である。そして多くの地方で、これに屋根を架けて 廊橋(ランチャオ)としたのである。

平流の風雨橋

平流の風雨橋  平流の風雨橋
平流(ピンリウ)の風雨橋

 なぜ屋根を架けたのかというと、まず第一には、木部の保護である。木は腐りやすいので、木造橋というのは、あまり長持ちしないし、腐りかけた状態では、たいへんに危険である。そこで、最初から これに屋根を架けて保護しておけば、100年近くも もつのである。
 第二には、雨の多い地域では、村人や旅人を 雨や風から守ってくれる(そこから 風雨橋の名がついた)。そればかりでなく、屋根の下にベンチが造りつけられていれば、暑い日や雨の日の、村人の慰安の場所にもなる。さらには恋人たちの逢引きの場所にも なるだろう。つまり、コミュニティ施設でもあるわけである。

三江近辺の 風雨橋

 広西チワン族自治区の北部には、人口 35万人の三江トン族自治県があり、その中心都市が三江(サンジャン)である。トン族だけが住んでいるわけではなく、ミャオ族や ヤオ族、チワン族なども住んでいるが、この三江近辺の村々に、トン族による 風雨橋の名作が散在している。風雨橋の総数は明らかでないが、自治県内だけで 100を数えるともいう。

八協の風雨橋

八協の風雨橋  八協の風雨橋
八協(バーシエ)の風雨橋

 最も有名なのは、三江の北方約 18kmの、林渓(リンシー)川にかかる 程陽(チェンヤン)橋、正確には程陽・永済(ヨンジー)橋である。トン族の風雨橋としては最大、最美で、1916年の建造になる。1983年に大洪水があり、多くの風雨橋が流され、程陽橋も被害を受けたが、すっかり修復された。1982年には全国重点文物保護単位(国指定の重要文化財)に指定され、現在は ユネスコ世界遺産に 登録申請中である。
 全長で 78mもあるので、川中に3基の 石造橋脚を建て、その上に 太い丸太をキャンティレヴァー(片持ち梁)にして、4段に組んで 順々に持ち出し、各橋脚間の 7~8mのスパンを架け渡している。橋脚は 切り石を正確に積み上げたもので、平面的には 2.5m× 8.2mの大きさである。この地方の橋脚は、どれも同じ形をしている。木材はすべて樅(モミ)の木が用いられる。長くてまっすぐな材が得られるからである。

巴団の風雨橋  巴団の風雨橋

巴団の風雨橋  巴団の風雨橋
巴団(バトゥアン)の風雨橋

 訪問者が なによりも驚くのは、その城郭の天守閣のような 屋根であろう。3層の瓦屋根で、頂部は入母屋、方形、六角屋根と変化をつけている。下部の木材を保護するために、裳階(もこし)のように 庇を2段にわたって差し掛けている。各橋脚の上に立ち上がる 亭閣(宝塔式楼閣)は、キャンティレヴァーの梁を、その塔の重量で橋脚に押さえつけて安定させる 構造的役割を果たしている。
別の地方では、この丸太を大量に使って組み立てて、木造アーチを作っている例もある。北宋の『清明上河図』には、木造アーチ橋の姿が 精細に描かれている。橋脚を石造アーチにしている例も多く、近年は 鉄筋コンクリートによるアーチが多くなってきたが、上部の橋自体は、木造で作られる。

 単なる実用を超えて、これだけの豪華な橋を架けるには、たいへんに費用と労力が かかるから、村民あげて取り組むことになる。そのモニュメンタルな姿の風雨橋は、村の守護者とも みなされるのである。

華練の風雨橋

独?の風雨橋  独?の風雨橋
華練(フアリアン)と独同(ドゥトン)の風雨橋

 柱も梁も すべての木部が釘を用いずに、貫で連結されているのは甚だ見事で、トン族の大工の技術水準は非常に高い。中国の風雨橋を見ていて 私の脳裏に浮かぶのは、インドの 階段井戸(Step Well)である。 どちらも水利施設であり、井戸の機能、橋の機能を超えた建築的構成をとっていて、その柱・梁構造のパースペクティヴが 魅力的な景観を作っている。ベンチが造りけられていて、そこで村民が涼んでおしゃべりをしているのも、よく似ている。ただ、両者の建築文化の相違で、インドの階段井戸では各部材に施された彫刻が 重要な造型要素となっているのに対し、中国の風雨橋では 構造部材に彫刻はなく、屋根の造型が 最大のポイントになっていることである。

 村民のたむろしている度合いは、橋の位置にもよる。川に架ける場所は 「風水」によって決められる。村の中心近くなら 常に村人が座っているが、村から少し離れた位置の橋は、ひっそりしている。

 多くの橋に小祠堂が設けられていて、道教や仏教の神格が祀られているのも、インドの階段井戸と似ている。トン族は アニミズムに近い土俗信仰をもっているが、風雨橋の神祠で最も多いのは、財神としての関羽を祀った 関帝廟である。トン族は文字を持たない民族なので、歴史文書がない。したがって、風雨橋の歴史も、残念ながら つまびらかでない。

( 2012 / 06/ 01 )


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