ANTIQUE BOOKS on ARCHITECTURE - I
ジェイムズ・ファーガスン

『インドと東方の建築史』

James Fergusson :
" History of Indian and Eastern Architecture "
First Edition, 1876, John Murray, London
Revised Edition, 1910, John Murray, London, 2 vols.


神谷武夫
『インドと東方の建築史』
『インドと東方の建築史』1巻本の初版, 1876 と 2巻本の改訂版, 1910


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 インド建築の歴史を 最初に体系的に記述し 単行本として出版したのは、イギリスの建築史家 ジェイムズ・ファーガスンです。彼は 1808年にスコットランドで生まれ、1886年にロンドンで 77歳で亡くなりましたから、まったくの 19世紀人でした。 同じく 19世紀人で、インド考古学の父と言うべき アレクサンダー・カニンガムより6歳年長で、同じだけ長生きしましたから、終生 よきライバルであったと言えましょう(というのは、日本と違って 欧米では、考古学は 古代ばかりではなく、近代までの遺物や建築を扱うからです)。
 建築以外の分野では、同じロンドンに住んでいた、やはり 19世紀人の カール・マルクスが ファーガスンよりも ちょうど10歳若く、彼が『資本論』の第1巻を刊行した 1867年の ちょうど10年後に出版されたのが、今回 採り上げる ファーガスンの『インドと東方の建築史』です。

 このサイトの「ジェイムズ・ファーガスンとインド建築」に書いたように、この書物は、彼の大部の『世界建築史』の中の インドとその以東部分を大幅に拡大して書き直し、独立させたものです。『世界建築史』の一部だった時には、インド部分(226ページ)と東方部分(62ページ)を合わせて 288ページだったものが、その約3倍の 774ページの大冊となりました。未だ 誰もなしえなかった快挙ですが、その内容については「ファーガスンとインド建築」に書きましたので、ここでは「もの」としての本を 見ていくことにしましょう。
 大きさは 23センチ×15.5センチで、今でいう B5判と A5判の ちょうど中間ですが、ヨーロッパでは この大きさを「オクターヴォ」(八つ折本)と言います。つまり、一枚の全紙の両側に8ページ分づつを印刷し、それを8つに折って、16ページ分を一折とした大きさです。 これに厚表紙をつけるので 本全体の厚みは5センチもあり、普通の文学書などに比べれば はるかにヴォリュームがあり、重さが 1.6キロもある 堂々たる書物です。

ジェイムズ・ファーガスン  『インドと東方の建築史』
『インドと東方の建築史』初版本の革製本

 初版は 1876年ですが、私が所蔵しているのは 1899年の ニュー・インプレッション版です。 第2版と言わないのは、初版と内容が全く同じだからです。 ファーガスンの没後、1891年に初版の第2刷りを出していますから、これは第3刷りということになります。おそらく、いったん解版(組んだ活字をバラバラにして別の本に用いる)したあと、8年経ってから再び需要が高まり、活字をひろい直して製版したのが ニュー・インプレッション版だと思います。 内容的には まったく同じなので、これも初版です(改訂版に対して)。

 この初版の 版元装幀が どのようなデザインであったのかは、わかりません。昔は 本を買った人が製本(ルリュール)工房に依頼して、自分好みの再製本をする ということが よくありました。特にフランスでは、当初 出版社が仮綴本(かりとじぼん)として、現在のペーパーバックのような姿で出版し、それを買った人が自家装幀をする というのが一般的でした(その仮綴本の装幀のことを、日本では「フランス装」と呼びます)。中でも 裕福な人たちは、革を用いて製本したのです。
 日本では 書物に革を使うという伝統がないので、見たことのない人も いるでしょうが、書物の最高の姿というのは 革製本です。欧米の映画で、よく貴族の家の書斎や 修道院の図書室の棚に並んでいるのが、そうした革製本の書物です。その製本技術(フランス語で「ルリュール」(Relieur) と言います)を学んできた 栃折久美子さんの『モロッコ革の本』(1975、筑摩書房)が評判になってから、日本でも 一般の人に知られるようになりました。

『インドと東方の建築史』
『インドと東方の建築史』 初版の本文ページ

 革にも 羊皮、山羊皮、子牛皮、豚皮と いろいろありますが、山羊の皮をなめして、きめの細かい独特の「しぼ」をつけたモロッコ革が、最高に美しく 手触りのよい装幀用の革と見なされています(かつては モロッコ産が最も尊重されたので その名が残っていますが、現在では 産地ではなく、単に革の種類の名称として用いられています)。
 装幀家であり、文化史の研究者でもある 貴田庄氏は『西洋の書物工房』(2000、芳賀書店)の中で、こう書いています。

「モロッコ革の本。それは 本の好きな人にとって なんと優雅な響きを持つ言葉であろう。一冊でもよいから モロッコ革の本を持ってみたい と思わないだろうか。おそらく モロッコ革の本は、ヨーロッパの書物が 長い年月をかけて辿りついた 究極の本の姿である。欧米の愛書家ならずとも、一度、モロッコ革で製本された本を手にすると、その美しい「しぼ」や モロッコ革独特の肌触りに 魅了されるにちがいない。」

 私の所蔵する『インドと東方の建築史』が、この「モロッコ革の本」で、その深い緑色に染色された 革の色合いと肌触りはすばらしく、私のお気に入りの本です。といっても この本の場合、表紙が まるごとモロッコ革なのではなく、背表紙と、そこから前後に3センチばかり伸びた範囲のみが モロッコ革です。モロッコ革は高価なので、本の最も傷みやすい部分にのみ用いるわけです。表紙の角(コーナー)4ヵ所にも革を用いた場合に「ハーフ・レザー」と言いますが、背まわりだけの場合には「クォーター・レザー」と言います。表紙全部が革で覆われていれば「フル・レザー」というわけです。

 日本では、昔は 辞典の出版時に、並装のほかに 革装本を作ることが よく行われていました。私の手許(てもと)にあるのは、研究社の『新英和大辞典』がクォーター・レザーです。あんなに大きな辞書だと、革の使用量を 限定せざるを得ません。小型辞典は フル・レザーが多く、かつての『岩波英和辞典』(使いつぶしてしまいましたが)、現在もあるのは三省堂の『新コンサイス英和辞典』、それに大修館の『新スタンダード仏和辞典』と『新スタンダード和仏辞典』です。特に『仏和辞典』のオーカー色の革は 高雅で しなやかで、最高の辞典装幀です。辞典には 通常、羊の革が使われるようです。ビニール表紙の辞典が嫌いなので、辞典は なるべく革装を求めてきましたが、今は パソコンにインストールする時代になって、紙の辞典の使用頻度は減るばかりです。

『インドと東方の建築史』
『インドと東方の建築史』2巻本の改訂版

 しかしながら、私の『インドと東方の建築史』初版は、この本が出版された 19世紀に、モロッコ革で再製本された わけではありません。これを古書店で求めたのは 今から 20年ほど前ですが、おそらくは 流通過程のどこかの(ヨーロッパの)古書店が、古書の価値を高めるためにか、あるいは 表紙が壊れていたのを修復するために、革で製本し直したのだと思います。ですから、クラシックな装幀であるのに 表紙は真新しく、まったく 傷んでいない古書です。

 また再製本する時に 本体を全然カットしていないので、本の大きさは 小さくなっていません。本のトップには 天金をほどこしてあるので 全然汚れていませんが、他の2面の小口には だいぶ 黄色いシミがついています。中はきれいなので、端部だけ3ミリぐらい、再製本時に カットしてもらったほうが良かった ような気もしますが。
 背の天地の端部(ノド)の裏には、正統的な本には「花切れ(はなぎれ)」が 付きます。壊れやすい端部を保護するためと、装飾の用を兼ねます。そのオリジンは、本体を綴じ合わせた糸を ここに くくりつけたのでしょうが、今では 単に帯を貼り付けるだけになっています。飾りとしては、色ちがいの糸を交互に編んで 華やかな帯にしたりします。革装の場合には、背表紙の上端を内側に曲げて、花切れを保護するかのように かぶせる形にするのが重要です。こうすると 革の水平部分ができ、つい 背に指をかけて引き出しがちな習慣にも、かなり抵抗して、背の上下が壊れるのを防いでくれます。革製本の技術レベルを見るための ポイントになる部分です。

 この本では 表紙が厚く、3.5ミリも あります。これは 芯がボール紙ではなく、木の合板を使っているのかもしれません。非常に丈夫で、机などにぶつかっても 曲がったり折れたりするおそれがないために、コーナーの角革(かどかわ)を省略したのでしょうか。私としては、たいへん気に入っている革装本ですが、あえて難を言えば、背のタイトルが 直かの箔押しではなく、別革のプレートを貼っていることと、表紙の見返しが 無地のクリーム色の紙であること でしょうか。ここには マーブル紙か、グレーの模様紙を使ってほしかった。

ジェイムズ・ファーガスン   『インドと東方の建築史』
『インドと東方の建築史』 改訂版の本文ページ (上巻と下巻)

 さて、『インドと東方の建築史』は 記念碑的な著作でしたが、建築史研究が誕生したばかりで 大発展していく時代でしたから、次々と新しい事実や作品が発見され、書き直される必要が出てきました。出版社のジョン・マリーは ファーガスンの死後に、考古学者で建築史家の ジェイムズ・バージェス(1832-1917)にインド編(全体の4分の3)、建築家の リチャード・フネ・スパイアズ(1838-1916)に 東方部分(全体の4分の1)の改訂を依頼しました。バージェスは ファーガスンより一世代若かったのですが ファーガスンと親しく、共著で『インドの石窟寺院』(1880)という 大部の書を出版しています。カニンガムに次いで インド政府考古調査局の第2代長官を務めたので 改訂の仕事が遅れ、20世紀の 1910年になって やっと改訂版(第2版)を出版しました。大幅に増補したので、初版の 756ページから 971ページへと3割近くも増大し、上下2巻本となりました。

 初版では、図版はすべて木版画(ウッドカット)でしたが、20世紀になると もう写真製版が普及していたので、ファーガスンの本としては初めて、各所に写真ページが加えられました(全 65ページ)。本のサイズは初版と同じでしたが、2冊合わせた厚みは 10センチとなり、総重量は 2.8 キロもあります。バージェスとスパイアズによる改訂の意味については「ファーガスンとインド建築」にも若干書きましたが、またいつか 詳述する予定です。ここではまた、「もの」としての書物を見ていきましょう。

『インドと東方の建築史』
製本の細部

 私が所蔵する改訂版は オリジナルの 版元装幀本です。革装ではなく 布装ですが、背の金文字箔押し、トラナをモチーフにした表紙の図案と 周囲の枠の型押し、そして天金と、それなりに 立派な造りです。ただし 花ぎれはありません。布装といっても、柔らかい布ではなく、バックラムに近い 一種の模造革(レザレット)で、やや硬質です。厚さは2ミリ程度ですが丈夫で、角もまったく曲がったり傷んだりしていません。かなり保存のよい古書ですが、背の頂部と底部が、やや ヘナっています。ここが、花ぎれも、背からの水平なかぶせもない 布装本の、最大のウィーク・ポイントです。背には 飾りのバンドがなく、すでに モダーンな扱いです。

 この古書の前所有者は、英国、ウェールズの モンマスシャー州、ニューポート市の中央図書館です。本のところどころに 図書館のスタンプが押してありますが、ごく小さなサイズで 薄いインクなので、あまり気になりません。古書には、図書館から排出された本というのが よくありますが、この本は 利用者が少なかったらしく、かなり きれいです。背は堅固なままで、シミもほとんどなく、100年前の書物としては 上々と言えましょう。

( 2011 /02/ 01 )


< 本の仕様 >
"HISTORY OF INDIAN AND EASTERN ARCHITECTURE" by James Fergusson
 初版、1876年、ロンドン、ジョン・マリー社
   23.2cmH x 15.5cmW x 5.1cmD、1.6kg、xviii + 756ページ、木口木版の図版 394点
   ニュー・インプレッション版、1899年、近年のモロッコ革製本(クォーター・レザー)、深緑色
 改訂版、2 vols、1910年、ロンドン、ジョン・マリー社
     (ジェイムズ・バージェスと リチャード・フネ・スパイアズによる改訂増補版)
  上巻 23.2cmH x 15.5cmW x 4.5cmD、1.3kg、xxiii + 450ページ
     木口木版の図版 263点、写真 17葉、版元による布製本(レザレット)、赤茶色
  下巻 23.2cmH x 15.5cmW x 5.4cmD、1.5kg、xvi + 521ページ
     木口木版の図版 249点、写真 48葉、版元による布製本(レザレット)、赤茶色




● 本の題名 "History of Indian and Eastern Ardhitedcture" を、私は『インドと東方の建築史』と訳しているのですが、『インドと東洋の建築史』とする人もいます。「東洋」というのは 普通、Orient の訳で、ヨーロッパより東の地域、トルコからペルシア、インド、中国圏までをさします。ですから、「インドと東洋」というのは変で、この本の Eastern というのは インドよりも東の地域(ビルマから日本)をさしているのですから、「インドと東方」と訳すのが妥当と思います。

● 出版者のジョン・マリーについては、「古書の愉しみ」第4回の『 図説・建築ハンドブック 』のページを参照してください。 以前は慣例に従って John Murray を「ジョン・マレー」と表記していましたが、誤った発音で書くことに耐えきれなくなったので、すべて 正しい発音の「ジョン・マリー」に直しました。 ブリティッシュ英語の「エイ」の発音が オーストラリア英語では「アイ」になることは 比較的よく知られていますが、スコットランド英語では「イー」になるということは、あまり知られていません。 地名や人名などの固有名詞にも多く見られます。
・参照『イギリス文化への招待』簗田憲之 編著, 1998, 北星堂書店, p.37-38

James Fergusson もそうで、かつて「お知らせ」欄に 次のように書きました。 「ファーガソンの発音は、正しくはファーガスンですが、日本における慣例で(たぶん 綴りが -son なので)、ファーガソンと書くことになっています。シンプスンが シンプソンと書かれるのと同様です。しかしながら、かつてジェームズと綴られたのが、今ではジェイムズと正しく書かれるようになったように、スンというのが日本人にとって発音しにくいわけではないので、今に ファーガスンと表記される ように なるかもしれません。」
 その後 世の中では、人名の Ferguson や Fergusson の読みは 次第に 原音に忠実に「ファーガスン」という日本語表記が標準になってきました。そこで、このウェブサイトでも すべて「ファーガスン」の表記に切り替えました。 また それに合わせて、画家 ウィリアム・シンプソンは ウィリアム・シンプスン、建築家 ウィリアム・エマーソンも ウィリアム・エマースンに書き換えます。    ( 2019 /09/ 01 )



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