ジェイムズ・ファーガスンの『インドと東方の建築史』改訂版の下巻 (1910) 。
フロンティス・ピースの写真は、カジュラーホのパールシュヴァナータ寺院(10世紀)。
写真ページは 1枚ごとに別紙に印刷して糊でとめているので、ノドまで開けない。


ジェイムズ・ファーガスンの『インドと東方の建築史』改訂版の下巻 p.224-5。
第7部「インドのイスラーム建築」の第9章から、木口木版による ジャウンプルの金曜モスク。


ジェイムズ・ファーガスンの『インドと東方の建築史』改訂版の下巻 p.314-5。
第7部「インドのイスラーム建築」の第 10章から、木口木版による
タージ・マハル廟の絵と図面。この木版の図面は、もともとは 1855年に出版された、
ファーガスンの『ハンドブック』のために制作されたもの。


工部大学校から受けついだ 東大建築学科図書室所蔵の『インドと東方の建築史』改訂版には、
伊東忠太のペンによる書き込みがある。自分の著作でタージ・マハル廟を扱う時に 転載するため。
このように忠太は、常にファーガスンの著作を利用しながら、ファーガスンの悪口を言い続けた。


  

ジェイムズ・ファーガスンの『インドと東方の建築史』改訂版の下巻。
左は「東方の建築史」の扉(R・フネ・スパイアズによる改訂とある)。右は日本建築の章の 法隆寺。
伊東忠太による五重塔の断面図が載せられているが、出典は 忠太ではなく バルツァーと書いてある。
スパイアズは忠太の『法隆寺建築論』は知らず、バルツァーの本から引用したのだから当然だが、
これで腹を立てたことが、忠太のファーガスンに対する反感の原因か。