ENJOIMENT in ANTIQUE BOOKS -XLVII
アルヒーフレコード

ヨハンセバスチ「管弦楽組曲」

Johann Sebastian Bach + Karl Lichter :
" 4 OUVERTÜREN (Orchestersuiten) "
1961, Archiv Produktion


神谷武夫

バッハ
バッハの肖像(ライプツィヒ時代)

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絵画から音楽へ

 この「古書の愉しみ」のサイトでは、古い本一点(またはシリーズ)を採りあげて、その内容と造本を紹介してきましたが、たまには、本と並んで 私の愛してきた 音楽レコードと そのジャケットを採りあげようと思い、私の最も思い入れの深い、アルヒーフ・レコードについて書くことにしました。大学生の時に 私が生まれて初めて買ったレコードは バッハの『 管弦楽組曲 』、それも カール・リヒター指揮のアルヒーフ盤で、『 堀辰雄全集 』の装幀と同じように 私の心を深く捉えた、抑制のきいた 美しい装幀のカートンボックスに入った2枚組です。
 それを毎日聴きながら レコードについて調べるうちに、アルヒーフというのは ドイツ・グラモフォン社が出していた音楽史レコードだと知って興味が いや増し、そのカタログを取り寄せて、バロック音楽、ルネサンス音楽の面白そうなものを選んでは 買っていきました。とりわけ カール・リヒターのバッハ演奏に のめり込んでいきました。それ以来 100枚 くらい買ったアルヒーフ・レコードでしたが、CD時代になって 全て処分してしまいました。私の愛聴盤だった ほとんどは CD化されたものを買い直しましたが、 CD化されなかったものも何枚か あります。そんなこんなを、ジャケットのデザインを中心に書きとめておこうと思います。


 私は子供の時から絵が好きで、いつも絵を描いていましたから、中学時代には美術部をつくって部長になったりしていました。高校に入ると すぐに美術室に行って、背が高かったので種々のスポーツ部から勧誘があったのを すべて蹴って、 美術の先生に「僕は美術部にはいります」と宣言しました。その先生は芸大の油絵出身だったので、大いに薫陶をうけました。広い美術室の後部には石膏像が並んでいて、自由な気風の学校だったので、放課後ばかりでなく、昼休みや、休講などで空いた時間はいつでも(他のクラスの授業中でも)立てっぱなしにしてあるイーゼルに向かって石膏デッサンを続けることができました。(私の高校時代(1962−1965)の美術活動については こちら をクリック)

 昼はそんな具合に 美術室に入り浸っていましたが、夜は自宅で、小説を読むのと 画集を見るのを最大の楽しみにしていました。小説は安い文庫本を買うか 図書館で借りていましたが(長編小説が好きだったので、一冊読むのに数日から数週間かかります)、画集のほうは、家に美術全集や画集があったわけではなく、しかも美術書は高価です。ところが 私が高校に入る2年くらい前に、ちょうど平凡社が『世界名画全集』という、廉価な画集のシリーズの出版を始めていたのです。それは月に一冊ぐらいの刊行で(あるいは 隔月だったか?)、高校生にも買える廉価なものだったので(1冊 380~480円)、新刊を買っては 毎日見ていました。それは 同じ全集の中に西洋絵画の巻と日本絵画の巻を 同等に並べていました。また西洋や日本以外の地域を採りあげていたのも嬉しいことでした(すでに全29巻の『世界美術全集』を1950年から5年がかりで出版していた平凡社が、その編集委員の多くを引き継いだ出版だっだったので、内容も優れていました)

世界名画全集
『世界名画全集』別巻、広重「東海道五十三次」1960、平凡社

 A4判とB5判の中間の大きさの『世界名画全集』は 評判も売れ行きも 大変によかったので、「別巻」として広重の『東海道五十三次』や、北斎の『富岳三十六景』、さらには『源氏物語絵巻』なども一冊の巻で出ました(5冊)。美術史をたどるような本巻 25冊が完結すると、その翌年には「続刊」として現代の内外の有名画家(セザンヌから梅原龍三郎まで)の(それまでの白い函に対して黒い函の)画集を全 16巻で出していきました。私はこの全集と、やはり平凡社の分厚い『家庭美術館』(西洋篇と日本編)によって、たいていの世界の有名画と有名画家の名前は 頭に記憶されたものです。

 このように 私は高校時代まで「美術」にばかり親しんでいて「音楽」とは無縁でした。ところが 大学に入って「建築」の勉強を始めたら、何故か 絵画とは次第に疎遠になっていき、逆に、むしょうに「音楽」を聴きたくなったのです。
 大学での専攻は建築でしたが、それは絵を描くことに近い領域だと感じたせいか、それ以外の諸芸術に触れてみたいと思い、金を工面しては、(美術展には相変わらずよく行っていましたが)歌舞伎や能、新劇、アングラ、映画、音楽会、バレーやオペラ等、種々の「文化・芸術」に接して、自分の好みに合うのは何だろうかと探っていったところ、どうやら映画と音楽が最も私の興味をそそったのでした。




FM実験放送と「ステレオ」

 しかしオーディオ装置も レコードの一枚もない家で、どうすれば「音楽」が聴けるのか? 最も手っ取り早い道は「FM放送」を受信できるラジオを買うことだと気がつきました。当時、音楽の放送に適した「FM実験放送」というものが行われていて、東京では NHKと東海大学が行っていました。音楽の放送に適したというのは、音質がよいことのほかに ステレオ放送ができたからです(モノラル放送もありましたが)。私の子供のころ、たまにラジオでステレオ放送を行っていましたが、それを聴くにはラジオを2台用意し、1台はNHK第1放送、もう1台をNHK第2放送に合わせると 音楽が立体的に聞こえるというので、「立体放送」と呼ばれていたような気がします。それがFM放送では1台のラジオでステレオ放送が受信できるというので、主にクラシック音楽向きとされ、当時の FM実験放送の半分は クラシック音楽番組でした。

 そこで「FMラジオ」を買ってきて 聴き始めると、ベートーヴェンに代表されるような西洋近代音楽以外にも さまざまな音楽があることを知り、自分の感性に一番合う音楽とはいかなるものかと、さまざまなジャンルの音楽を聴いてみようと志しましたが、まだFM放送は「実験放送」であり、放送時間も少なく、聴く人は限られていたので 新聞のラジオ番組欄には ごく小さな案内しかなかったのです。すると ちょうどうまい具合に、私がFM放送を聴き始めた頃に『FMファン』という隔週の雑誌の刊行が始まりました。2週間分のFM実験放送の全プログラム予定を、演奏家の名前まで含めて詳細に報じてくれたのです。これには便利な思いをし、毎日 番組表をチェックしては、種々さまざまな音楽に触れるよう努めました。

FMファン
隔週間雑誌『FMファン』創刊号
1966年7月1日、共同通信社

 中でも役に立った番組は、作曲家の柴田南雄(しばた みなお)氏の『私の音楽史ノート』という、FM東海の1時間番組でした。柴田氏は当時芸大の作曲科の教授で 現代音楽の作曲家ですが、音楽史への興味と造詣が深く、古代ギリシアから20 世紀の音楽まで1年間、毎週「西洋音楽史」から 時代順に ある時期の音楽を切り取っては 氏の見解や解説を述べ、その関連レコードを1時間たっぷり放送するというものです。(「FM東海」は東海大学が政府の補助金をもらってFM実験放送をしていたので、番組の1/3は高校通信講座でしたが、他の番組にも一切コマーシャルが入らない長時間番組で、クラシック音楽をはじめとして種々の音楽をたっぷり流す、NHKのような放送局でした(後に「FM東京」という 民間商業放送になりますが)。
 「私の音楽史ノート」の第1回は古代ギリシア音楽だったと思いますが(当時、そんなレコードが出ていたのでしょうか?)第4回だったか「ルネサンス時代の音楽」の時に、ジョン・ダンスタブル(英)のモテットと、ヨアンネス・オケゲム(仏)のシャンソンを採りあげ、両者の音楽をたっぷり流しました。これを聴いて(とりわけ、ダンスタブルのモテット「神の聖なるみ母」と、オケゲムのシャンソン「私の愛するひと」)を聴いて、あゝ世界にはこんなにも美しい歌があるものかと、驚嘆しました。後に、これはアルヒーフの同名のレコード(『ジョン・ダンスタブルのモテットと ヨアンネス・オケゲムの5つのシャンソン』)だと知り 買い求めましたが、今から600年も昔のヨーロッパ音楽に、今聴いても素晴らしい音楽があるのだということを、初めて知りました。

オケゲム

『ジョン・ダンスタブルのモテットと、
ヨアンネス・オケゲムの5つのシャンソン』
アルヒーフ・レコード、モノラル輸入版、旧ジャケット

 ルネサンス音楽の次のバロック音楽は さらに耳に快く、すっかりバロック音楽のファンとなりました。私がFMラジオを聴き始める数年前(1963年)に イタリアのイ・ムジチ合奏団が来日して、ヴィヴァルディの『四季』を演奏したところ、その軽快な音楽が 日本人好みの題名とも あいまって 爆発的な人気を呼び、そのレコードがベストセラーになりました。それまで、日本のクラシック音楽愛好家たちは バロック音楽というものを ほとんど知らなかったのですが、これによって第一次バロック音楽ブームが到来したのです。
 そこで NHKもFM実験放送で、毎朝6時から『バロック音楽の楽しみ』という1時間番組を始めました。猫なで声の服部幸三(芸大教授)と しわがれ声の皆川達夫(立教大教授)両氏が隔週交代で曲の選択と解説を担当し、世界中のバロック音楽のレコードをかけてゆきました。私も当時から今に至るまで、途中2年間の放送中断期間はありましたが、毎日 朝の仕度と食事の間、これを部屋に流しています。題名が「バロック音楽の楽しみ」から「朝のバロック」、「バロックの森」、今は「古楽の楽しみ」と変遷してきましたが、基本的な内容は変わらない長寿番組です。服部、皆川 両氏は 日本におけるバロック音楽普及の最大の功労者でした(それを最近まで受け継いで担当していた、バッハ研究家 礒山雅(いそやま ただし)氏が昨年亡くなりました)。
 私は当時から今に至るまでFM放送の西洋音楽の番組は BGMとして かけていることが多いですが、昔のクラシック・ファンが尊奉するベートーヴェンやモーツァルトには さっぱり興味がわかず、私の感性に合うのは バロック音楽、なかんずく バッハだということが わかりました。

 もうひとつ 私の心を捉えたのは、インド音楽でした。当時最も活躍していた演奏家は 欧米に居を構えていたシタール奏者、ラヴィ・シャンカルでした。私が初めてインドに旅行する前日に岩波ホールで見たサタジット・レイの映画『大地のうた』3部作の音楽も彼でしたし、彼の自伝『わが音楽、わが人生』も面白い本でしたが、その訳者である民族音楽学者・小泉文夫氏が、日本における、インド音楽を初めとする世界の民族音楽紹介の立役者です。彼は 1957年から2年間インドに留学し、帰国後は芸大の楽理科に勤めました。最初に彼の名を高からしめたのは『世界の民族音楽』という NHK FM実験放送以来の1時間番組で、1曲 30分も40分もかかるインド音楽を 延々と放送してくれました。サントゥール奏者の名人 シヴクマール・シャルマを初めて日本に紹介したのも、この番組でした。小泉さんはガンによって 56歳の若さで世を去ってしまい、インド音楽 はアルヒーフ・レコードとは関係がないので、これ以上書きません。




アルヒーフ・レコード

 ともかく このように 私の気質に合った音楽というものが 次第にわかってきましたが(フランスのシャンソンや ケルトの音楽、スペインのファドなどもそうです)、FMラジオと『FMファン』をもってしても、私の好きな音楽を十分に聴くことはできません。これは どうしてもステレオとレコードを買っていかねばならぬと 心に決めました。当時は レコード・プレーヤー、アンプ、チューナー、スピーカーが一体となった大きな家具調のオーディオ装置を 単に「ステレオ」と呼んでいました。そこで ついに大学2年の時に借金をして東芝ステレオ「ウィーン」を買ったのでした。買値は 5.5万円だったと記録があります。当時の 5.5万円は学生にとっては大金でしたから、せっせとアルバイトをしては 借金の返済をしていきました。幸い私には建築のパース(透視図)を描くという特技があったので、その仕事さえあれば 実入りはよかったのです。それでも 真面目に借金返済をしていくつもりだったので、買うレコードは月に1枚と制限しました。

 では、最初に何のレコードを買うか、これが大きな悩みであり、毎日のようにあちこちのレコード店をまわっては、これにしようか、あれにしようか、迷うのでした。それでも曲目は バッハの『管弦楽組曲』と、きっぱり決めました。バッハの作品の中では、初心者に 最も取っつきやすかったのでしょう。しかし、どの演奏家にすべきかが わかりません。FMラジオで1年ばかり 種々の音楽を聴いてきただけで、音楽の素養も演奏家の知識もなく、相談相手もいなかったので 途方に暮れました。
 となると、「古書の愉しみ」で散々書いてきたように、造本や装幀など、「もの」としての 本の美しさで書物を評価するように、レコードも ジャケットのデザインで選ぶほかは ありません。レコードは 30cm LP(Long Play の略、昔のSP (Standard Play) に比べて録音時間が長く、A面、B面(盤の表・裏をこう呼んでいました)とも各 15分から30分)でしたから、ジャケットは 31cm x 31cm と大きく、デザイナーにとっては デザインのしがいがあるというものです。しかし個性的なデザインというのは 滅多になく、ほとんどのレコードは 演奏家の(特に顔の)写真を大きく載せて、タイトルや演奏家名を入れるというものでした。私には それらの けばけばしいデザインが気に入りません。その中で ただ1レーベル、アルヒーフ・レコードのみが 演奏家の写真などを使わず、文字だけで構成した 端正なデザインで、私の好みに合うものでした。

管弦楽組曲

バッハの『 管弦楽組曲・全曲 』 アルヒーフ・レコード
私が惹きつけられた カートン・ボックスのデザイン。
タイトルの「4 ウヴェルチューレン」は、英語では
「4 オーヴァーチュアズ」で、「四つの序曲」の意。管弦楽組曲には
最初に長い「フランス風序曲」が置かれるので、全曲は こう呼ばれる。


 バッハの『管弦楽組曲』は全4曲で、それぞれがレコードの片面に ちょうど収まる長さでした。特に人気があるのは「G線上のアリア」としても知られる 美しいエール(アリア)を含む第2番と、フルート協奏曲のような第3番だったので、この2曲をA面とB面に組み合わせたレコードが各社から発売されていました。アルヒーフでも そうだったのですが、全曲を収録した2枚組は、普通のジャケットを見開きにして左右に それぞれ1枚ずつ差し込むのではなく、カートン・ボックスに入っていました。カートンというのは仏語のカルトン Carton で、ボール紙、厚紙の意なので、本でいえば ソフト・カバーに対するハード・カバーというわけです。そしてアルヒーフの『管弦楽組曲』のカートン・ボックスのデザインは、この「古書の愉しみ」の『堀辰雄全集』で書いたような、シトー会の修道院を思わせるような 禁欲的で、バッハの音楽自体のような 清冽なデザインなので、すっかり心を奪われてしまったのです。
 演奏家の良し悪しは 解らないのに ジャケット・デザインでクラシック音楽のレコードを選ぶというのは 邪道だ、と言われそうですが、また レコードを買うのは月に1枚と決めていたのに2枚組を買うというのは気が咎めましたが、やむをえません。意を決して 最初だけ アルヒーフ版2枚組を買うことにしたのですが、これが演奏の面からも、以後の音楽遍歴からも、最良の選択であったことは、のちに知ることになります。

アルヒーフ・レコードの盤面、直径 30cm
中央に銀のラベル(アルミ箔)

 この『管弦楽組曲』のレコードは 1960年という、今から見れば 古い録音ですが(私が買ったのは その6年後)、フランスでレコードのグランプリをとり、以来60年にわたって バッハの『管弦楽組曲』の最高の演奏として、今もCDになってプレスされ続けています。『マタイ受難曲』と並んで、指揮者カール・リヒター(1926-81)の名声を 世界にとどろかせた名演奏です。これを録音した時、リヒターはまだ34歳でした。『マタイ』の録音は その2年前ですから32歳の時です。しかしこの天才的指揮者は、1981年に54歳の若さで急逝してしまいました。バッハのカンタータ全集の録音は 約1/3をもって中断してしまいました。惜しみても余りある死です。

アルヒ-フ・レコ-ドの盤面、中央の銀のラベル(アルミ箔)
『管弦楽組曲』第2, 3番のA面 直径 10cm

 このレコードでフルートを吹いているのはオーレル・ニコレです。彼は、当時すでに巨匠になっていたジャン・ピエール・ランパルよりは4歳若いフルーティストでしたが、偶然にもリヒターと同い年で、リヒターは彼の清潔な音色を愛したようです。ニコレは、私が このレコードを買った翌年に初来日し、私は後述の「アルヒーヴ友の会」で抽選に当たって ニコレの独奏会の券をもらったので、神奈川県立音楽堂まで聴きにいった覚えがあります。その2年後にはリヒターがミュンヘン・バッハ管弦楽団と合唱団を率いて来日し、東京文化会館で『マタイ受難曲』を演奏しましたが、金のない私は聴きに行けませんでした。
 コンサートに行く余裕はなかったので レコードばかり聴いていたわけですが、最初の1ヵ月間は『管弦楽組曲』しか持っていなかったので、毎日 朝から晩まで(というのは大袈裟にしても)こればかり繰り返し聴いていたので、耳にタコができるほどでした。レコードというのは傷がつきやすいので、1箇所「プツ」という小さい雑音が入ってしまいましたが、その位置まで完全に(曲の一部でもあるかのように)頭に入ってしまいました。

 『アルヒーフ』レーベルというのは、ドイツ・グラモフォンの社内に、1947年に 音楽史研究部門として 設立されました。プロデューサーは ハンス・ヒックマンという著名な音楽学者で、1968年に60歳で亡くなるまで、現役の所長だったそうです。アルヒーフは今年で創立72年になります。日本版を発売したのは 日本ポリドール社で、その挨拶の言葉が残っています。

アルヒーヴ・レコードとは、ドイツ・グラモフォン社の音楽史研究所で製作される 音楽史レコードであります。弊社では このたびドイツ・グラモフォ ン・レコードと並行して、アルヒーヴ盤を発売することとなりましたが、こ れは、このレコードを通して 音楽研究家、好楽家諸賢に、貴重にして有意義な音楽史的資料を提供し、もって我国音楽文化の深化、向上に資せんとするものであります。以下、この事業の概要をご紹介申し上げて 各位の御参考に供したく存じます。
1、7世紀から前期古典派の 10世紀間に及ぶ期間の音楽を研究対象としております。
2、この研究のために 現代の名指揮者、名演奏家、音楽史家、学者を動員し て考証を行い、古代楽器に対する習熟をアレンジしております。
3、従つて 斯くして録音される曲目は 未だ嘗て企てられたことのなかつた程 完璧なものであり、その演奏は 古代音楽を何等の変更も代置もなく、あり のままを聴かせてくれるものであります。
4、レコードには吹込場所、録音技師、日時、曲目、作曲家等を明示し LP, EP, VG, SP の各種を使用しております。
 ドイツでは現在まで、300数十枚のレコードが録音されておりますが、 弊社でも一般的なものから高度なものへと 逐次発売していく予定であります。
                昭和30年11月 日本ポリドール株式会社

日本ポリドール社は1953年に設立され、ドイツ・グラモフォンのレコードの国内生産をしていましたが、1956年に日本グラモフォン社に改組されました。アルヒーフ・レーベルは 世界初の古楽レーベルとして 古楽振興のために発足し、当初はバッハ作品の全曲録音を目標としてスタートしましたが、その後、グレゴリオ聖歌からウィーン古典派まで その領域を拡げました。最初のリリースは ヘルムート・ヴァルヒャの演奏による、バッハのオルガン音楽だったそうです。

 アルヒーフ・レコードの「学術性」をよく示していたのは「カルテ Kartei」でした。どのレコードにも 病院の診療カルテ、あるいは図書館の図書カードのような「カルテ」が挿入されていて、そこには曲名、作曲者名から演奏者、録音日時、技術者、典拠楽譜などが 詳細にタイプ打ちで記録されているのです。ドイツ語ということもあり、我々一般愛好者には それほど必要なものではなかったので、新ジャケットになった頃に廃止されましたが、ずっと集めていた人は、図書カードのように 検索用に用いたのでしょうか。

カルテ
アルヒーフの『管弦楽組曲』のカルテ




音楽への開眼と音楽史

 音楽的環境に育ったわけではない私は、大学1年生の時に 全く白紙の状態で「音楽」というものを聴き始め、上述のとおり、バロック音楽とインド音楽によって音楽に開眼しました。多くの若者が聴いていた ジャズやロックとは 肌が合いませんでした。瞑想的なインド音楽に触れる機会は多くなかったのですが、そのかわり 後にインドに行って、インド建築の研究に たずさわるようになりました。
 音楽的には アルヒーフ・レコードの存在により、ルネサンス音楽やバロック音楽には どんどん嵌っていきました。とりわけバッハは 以後50年にわたって聴き続け、決して飽きるということがありません。絵画や建築、演劇や文学など、ジャンルの如何に関わらず、最高の芸術家は誰かと問われれば、私は ためらうことなく バッハだと答えるでしょう。彼があれほど多作であったことには感謝しきれません。『太陽を慕ふ者』を書いた矢代幸雄は、

 「私はレオナルドに どの位頼って居るだろう。レオナルドが居なかったならば、
  私は人生の苦闘を防ぎきれなかったかも知れない。」

と書いていますが、そこまで 大袈裟でないにしても、私は50年の半生の芸術的感興を 大きくバッハに負っています。また その半分以上は リヒターの演奏に負っているので、アルヒーフ・レコードの存在にも 深く感謝しているわけです。そのアルヒーフ・レコードが、私の最も嘆賞するジャケットとカートンボックスに入っていたことも、大いに徳とするところです。
 ところで、そのアルヒーフ・レコードを歴史的に分類していた「研究部門」というのは どういうものかと言うと、

  アルヒーフ・レコードの分類(研究部門)

  第1研究部門: グレゴリアン音楽          (3区分)
  第2研究部門: 中世中期(1100−1350)      (4区分)
  第3研究部門: 初期ルネサンス時代         (5区分)
  第4研究部門: 盛期ルネサンス時代(16世紀)     (13区分)
  第5研究部門: イタリアの 1600年代        (5区分)
  第6研究部門: ドイツのバロック音楽(17世紀)   (6区分)
  第7研究部門: バロックからロココまでの西欧    (4区分)
  第8研究部門: イタリアの 1700年代        (4区分)
  第9研究部門 : J・S・バッハの創作活動 (1685-1750) (12区分)
  第10研究部門: G・F・ヘンデルの作品         (6区分)
  第11研究部門: ドイツ前古典派            (3区分)
  第12研究部門: マンハイム楽派及びウィーン楽派   (3区分)

区分というのは、各研究部門をさらに細分した分類で、それぞれの研究部門は3から13のシリーズに区分されています。どのレコードのジャケットにも、タイトルの下、ないしは右上に、その曲が属する研究部門とシリーズ名が書いてありました。こうして西洋音楽史を 全部で 12の研究部門、68のシリーズに区分して、それぞれを代表するような音楽作品を 演奏・録音して、レコードとして頒布していこうという、実に壮大な企画だったのです。しかし レコードの企画によっては、いくつかのシリーズに またがるものもあり、どうも この細分化したシリーズ名は あまり使われなかったとみえ、ご存知ない方も多いでしょう。そこで、全シリーズ名を別ページに写しておきますので、興味のある方は下の項目をクリックして、ご覧ください。

アルヒーフ・レコードの体系

 アルヒーフ・レコードのこうした学術性を、まだ古典派以降のクラシック音楽にしか親しんでいなかった 日本の音楽愛好家に、もっとそれ以前の音楽史の知識を普及させようと目論んだのが、日本グラモフォンのアルヒーフ部門です。音楽学者たちに呼びかけて、アルヒーフ・レコードと相乗する音楽史の本を 音楽之友社から出版したのです(翻訳ではなく)。『西洋音楽史、アルヒーヴ・レコードによる音楽史』というものですが、私は見たことがなかったので、近年になって この60年前の古書を入手しました。対になった EP レコードはありませんが、この古書だけを拾い読みするのも興味深いものです。若き日の服部幸三ほか 多数が執筆しています。まだレコード自体が十分には録音されていなかったので、音楽史を網羅するというわけにはいきませんでしたが。

西洋音楽史

『西洋音楽史、アルヒーヴ・レコードによる音楽史 (上) 』






アルヒーフレコードの 紙ジャケット

 私が最初に買ったレコードは カートンボックス入りの2枚組でしたが、翌月からは月に1枚ずつと決めていたので、ステレオの借金を返し終わるまでは、紙ジャケット入りの単品レコードを買っていきました。すっかりアルヒーフのファンになってしまったので、多くがアルヒーフ・レコードでした。以下に バッハの『管弦楽組曲』を例にとって、アルヒーフの紙ジャケットとカートンボックスの相貌・変遷を見ていきます。

ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲『管弦楽組曲』第2, 3番
輸入盤 30cm LP アルヒーフの、昔の 紙ジャケット

 旧・ジャケットの色は、その時々の印刷によって 黄色からクリーム色まで多少の巾がありましたが、写真や絵を一切用いずに 文字だけで構成した、シトー会の修道院のような 清楚で美しい、禁欲的なデザインでした。あくまでも 学術的な「音楽史レコード」という感じです。
 拡大して見るとわかるように、演奏者の名前(ミュンヘン・バッハ管弦楽団、指揮カール・リヒター)は 一番下にごく小さく書いてあるだけで、トップに大きく書いてあるのは、「第9研究部門、ヨハン・セバスチャン・バッハの創作活動」(IX. Forschungsbereich Das Shaffen Johann Sebastian Bachs)です。通常の商業レコードでは 考えられないようなデザインです。
 バッハ Bach が Bachs になっているのに驚きますが、ドイツ語では「創作活動」を意味させる時には Bachs と複数形にするようです。その下には「シリーズ L 序曲とシンフォニア」(Serie L. Ouverturen und Sinfonien)も 書かれています。

輸入盤『管弦楽組曲』第1, 4番 旧・紙ジャケット 背面 、英語版

 ARCHIV(アルヒーフ)というのは「古文書」やその「保管所」を意味するドイツ語で、英語では ARCHIVE(アーカイヴ)になります。ARCHIV PRODUKTION アルヒーフ・プロドゥクツィオーンに対して、ARCHIVE PRODUCTION アーカイヴ・プロダクションというわけです。
解説が書かれた裏面も、けばけばしさの全くない、実に高雅な、バランスのとれたデザインでした。そのバランスを崩さないよう、解説が長い時には 続きは別紙に印刷して 中に挿入していました。


これは、ポピュラーな 第2, 3番の組み合わせに対して、第1, 4番の組み合わせの『管弦楽組曲』輸入盤、独語版。まだモノラル・レコードも多かったので ステレオ録音の赤表示が入っていますが、少々目ざわりです。「グランプリ・ディスク」受賞の金ラベルも貼られています。
 日本ポリドールは、当初はアルヒーフ・レコードを輸入して 日本語の解説を挿入して販売していましたが,1955年から、日本でも売れそうな盤を選んで日本でプレスし、国内版として発売し始めます。

バッハの『管弦楽組曲』第2, 3番
日本国内盤 30cm LP、古い紙ジャケット

 国内版は、ドイツの原ジャケットに日本語を付け加えるので、どうしても デザインのバランスが崩れます。 原デザインの美学を保持しながら、 全面的に日本語にするデザイナーは いなかったのでしょうか? あるいは、購入者たちがそれを望まなかったのかもしれません。
 輸入盤にならって ステレオ録音の赤表示を、多少控えめに入れています。



バッハの『管弦楽組曲』第2, 3番
国内版 アルヒ-ヴ・レコード 、旧・紙ジャケット 裏面

日本語の解説は 丁寧で長かったこともあり、ジャケットに詰め込みすぎで、全体的に輸入盤より泥臭いデザインの印象を与えます。この旧ジャケットの時代には、独語を英語読みして「アルヒーヴ・レコード」と称していました。独語の「アルヒーフ・レコルト」でもなく、英語の「アーカイヴ・レコード」でもない「アルヒーヴ・レコード」という呼称は嫌われていき、「アルヒーフ・レコード」の名で定着することになります。

   

日本グラモフォン 初期の「アルヒーヴ友の会」会報(1962-68)と、
改称後の「アルヒーフ友の会」会報(1968-75)

 日本におけるバロック音楽の認知度が高まり、愛好者も増えてきたので、日本グラモフォンが1961年に「アルヒーヴ友の会」を発足させます。入会金などは不要で、レコードに挿入されているカードを送れば、誰でも会員になれました。ただ、継続するためには 毎年2枚買って、そのカードを送らねばなりません。会員には会誌が 毎年1回発行されて送られてくるので、古楽愛好家は これを楽しみにしました。会報には 演奏家の紹介や音楽史家のエッセイ、アルヒーフ・プロダクションについての記事、新譜案内などが掲載されていて、30ページくらいありました。1968年に「アルヒーフ友の会」と改称され、通算15年も続きましたが、バロック音楽が一般に浸透し、他社からもレコードが多く出るようになったので、その役割を終えたとして、1975年に解消しました。

輸入盤 『管弦楽組曲』2番、3番 最初の新ジャケット

 かつては音楽史レコードの代名詞だったアルヒーフ・レコードも、バロック音楽やルネサンス音楽の分野で 他社のレーベルと競合するようになると、「孤高の」風貌を維持することもむずかしくなります。時代の趨勢によって、あまりにも学術的な印象の黄色いジャケット・デザインは廃止となり、高雅さは残しながら、一般大衆にもアピールするような新・ジャケットのデザインへと切り替えを図りました。
 31cm角の 新・ジャケットの周囲には 建築の刳形装飾のような帯をまわし、研究部門やシリーズ名は右上に小さく載せ、演奏家の写真ではないけれど、小型の図版まで掲げることになります。しかし決して他社のレコードのような けばけばしいものにはせず、グレーで統一されたジャケットは、上品で雅(みやび)な印象でした。
 バッハの『管弦楽組曲』も、よく売れる第2番、3番の組み合わせが新ジャケットで出ました。しかし この最初のデザインは中途半端で、あまり魅力的でありません。リヒターの演奏は定番レコードなので長くプレスされ、何種類かのジャケット・デザインが出ました。

輸入盤『管弦楽組曲』全曲 見開き2枚組 紙ジャケットの最終版

 シックなグレーの新しいデザインの紙ジャケットには 図版も加えられ、「学術レコード」から「商品レコード」への転換とも言えますが、建築の刳形を思わせる縁取り装飾は抑制的で、グレーの地ともども 気品があります。この装飾パターンは、CD時代にも 縮小して受け継がれることになります。

国内版『管弦楽組曲』新ジャケット 背面

 国内版のおもて面には日本語をいれず、裏面に日本語の解説を載せました。優雅な装幀ではありますが、文字を詰め込みすぎの感があります。解説は 別紙挿入とする場合も多かったようです。(特に声楽の場合には 訳詩と合わせて)


カタログ   カタログ

アルヒーフレコ-ド・カタログ、1965-6年 英語版と、1967-8年 独語版。

 「アルヒーフ友の会」の会員には、1年おきぐらいに 欧文カタログが送られてきました。レコードが「研究部門」ごとに歴史順に配列されているので、初心者には大いに役立ちました。1967年版からは新ジャケットのデザインに合わせて、周囲に刳形装飾の帯がまわされて 優美な装幀になりました。




アルヒーフレコードの カートンボックス

ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲『管弦楽組曲』全曲
アルヒ-フレコード2枚組、布装カートン・ボックス

 アルヒーフのカートン・ボックスは、目の細かい 上品な キャンバス(帆布)の風合い をした布装で、文字だけで構成した、シトー会の修道院のような 禁欲的なデザインでした。カール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管弦楽団による『管弦楽組曲』の演奏は 1960年と1961年にミュンヘンで録音されました。今から半世紀以上前の演奏ですが、今もなおCDで聴ける最高の演奏であると思います。私が 生まれて初めて購入したレコードです。リヒターは 35歳と若く、まだ巨匠と見なされる前なので、カ-トン・ボックスには名前が書いてありません。「リヒター版」というよりは「音楽史レコード」だったのです。私が最初に買うレコードとして これを選んだのも、演奏の良し悪しなど全く知らず、このカートンボックスのデザインに惹かれた からでした。演奏家のカラー写真を大きく載せた けばけばしいデザインは、どうにも 私の好みに合わなかったのです。

バッハ『管弦楽組曲』全曲2組 改装版(中身は上と まったく同じ)

 カール・リヒターは この演奏によって一躍、世界の称賛を浴びました。リヒターが有名になったので、改装版では 彼の名が おもてに記され、「音楽史レコード」というよりは「リヒター版」になっていきます。ステレオ録音が当然となったので、その表示は なくなりました。全体として、旧版のデザインのほうが良かった、と思います。

布装カートン・ボックスの 裏面 改装版
中央に アルヒーフのマーク(ロゴ)が入いった。



バッハ『管弦楽組曲』全曲2枚組(内容は上と同じ)
新しい装幀のカートンボックス

 カートンボックスの第1段階の大きな変化は、レコードの盤面の中央と同じように、 銀紙(アルミ箔)に青で印刷したタイトルを 布装の上に貼るようになったことです。この「装幀」も実によく、私は このシリーズの高雅なデザインも好みました。


カートンボックスの内側

「マタイ受難曲」のカートンボックス

バッハ『マタイ受難曲』全曲4枚組
1958年録音版 『管弦楽組曲』同様、最初の装幀は
文字だけのデザインで 演奏家名も書いてなかったが、
ヒリターの 生涯最高の 崇高な演奏を、十全に表現している。


バッハ『マタイ受難曲』全曲4枚組
1969年、カール・リヒターとミュンヘン・バッハ
管弦楽団・合唱団の来日公演のライブ盤、日本製
カール・リヒターの名前が、バッハよりも大きく印字された。


バッハ『マタイ受難曲』全曲4枚組のカートンボックス 改装版
「最後の晩餐」の絵のはいった銀ラベルを貼った装幀

「カンタータ選集」のカートンボックス

 カール・リヒターは バッハのカンタータを 2, 3曲ずつ録音した 単発のレコードを 10数枚 出していました(新旧の紙ジャケット)。 第106番「神の時は いとよき時なり」、 第51番「いずこの地にても 神を歓呼せよ」、 第147番「心と口と 行いと生活をもって」、 第78番「私の魂であるイエスよ」、 第4番「キリストは 死の絆につきたまえり」、 第56番「われ歓びて 十字架を担わん」、 第82番「われは 足れり」、 第202番「今ぞ去れ 悲しみの影よ」などが 私の愛聴盤でした。
 しかし それでは まだるこしいと考えたのか、あるいは 早い死の予感があったのか、リヒターは 約 200曲あるバッハのカンタータの全曲録音を早く遂行することを志し、1970年頃から1年の教会歴順に、10数曲を録音しては6枚組のボックス・セットとして出していきました。初めは銀のラベルを貼ったカートンボックスで、ラベルには 宗教画が載せられました。

カール・リヒター指揮、『バッハ・カンタータ選集 第1集』
アルヒーフ・レコード、6枚組 カートンボックス

 ところが 第2段階の変化は、極彩色の古画を大きくとりいれて、きわめて派手になります。しかも 布装だったカートン・ボックスが、紙に布目を印刷した 偽物となるのです。こうなると アルヒーフらしさが薄れ、他社の普通のレーベルと それほど変わりません。カンタータ選集は 第5集まで出たところで、リヒターが わずか 54歳で急逝して、念願の全曲録音は達成できませんでした。それでも 選集は それぞれ6枚組で、歌詞・解説書とあわせて ずしりと重かったものです。でも、6枚もいっぺんに出されると、1曲ずつの印象は薄くなり、次集がでるまでに 全曲は聴けなくなりました。

カール・リヒター指揮、『バッハ・カンタータ選集 第3集』
アルヒーフ・レコード、6枚組 カートンボックス
新しい装幀の派手なデザイン

 CD 時代になって レコードを全部廃棄して、順次 CD で買い直していきましたが、カンタータは レコードのリヒター盤を 飽きるほど聴いてきたので、CD では別の指揮者のものにしてみようと思いました。全曲録音していたのはアーノンクールとヘルムート・リリングでした。前者の田舎臭い演奏は聴くに耐えず、好感を抱いていた後者による「カンタータ全集」全 62枚組を買ったのでした。ところが、数枚を聴いただけで、リヒター盤との感動の差に はっきりと気付きました。そこで 数年後にはこれを売り払い、アルヒーフのリヒター盤 CD を一枚ずつ買い直していくことになったのです。リヒター盤の劇的な表現の素晴らしさ、いつもアルトのアリアは実にゆっくりと、こちらの胸をしめつけるように、切々と歌いあげます。バッハのカンタータは、リヒター盤でなければいけません。



ブロックフレーテ(リコーダー)

ブロックフレーテ

ドイツの メック社製 ブロックフレーテ(リコーダー)
テナー、アルト、ソプラニーノ( ピッコロ・ブロックフレーテ )
( 1960年代前半の製品 )

 大学2年生のときに借金をして「ステレオ」を買い、レコードを聴き始めると、自分でも何か楽器をやりたくなりました。バロック音楽が好きな者にとって、習うのがやさしそうで音色も気に入ったものといったら、ブロックフレーテです。英語ではリコーダーですが、「リコーダー」と言うと 小学生の吹くプラスチック製の安物の印象があるので、バロック・ファンは もっぱらドイツ語で「ブロックフレーテ」と言ったものです(フランス語の「フリュト・ドゥース」とは言いませんでしたが)。銀座のヤマハは ドイツのメック社製の木製ブロックフレーテをたくさん輸入して並べていたので、アルトから始めて何本か買いました。
 当時は ドイツ留学から戻った 多田逸郎(ただ いちろう)氏がレコードを出し、教室を開いていましたが、習いにいく金は なかったので、音楽の友社から出版されたばかりの 教則本『リコーダーのテクニック』(A・R・ジョーンズ著、1967)などによって自学自習しました。幸い これは音を出すのがやさしい楽器だったので、メキメキと腕を上げ (?)、バッハの『管弦楽組曲』第3番や『フルート・ソナタ』各曲などを主に練習しました(『無伴奏フルート・ソナタ』にさえ挑戦しました)。ヤコブ・ファン・エイクの『笛の楽園』は手頃であり、リヒター版 カンタータのレコードで気に入った曲があると、ヤマハで小型スコアを買ってきて、ブロックフレーテの音域で演奏できるように移調して吹いたものです。
 ところが 十数年後に独立して 設計が忙しくなると 全くやめてしまい、楽器は部屋の飾りになってしまいました(インド建築の研究にのめり込んで、楽器に費やす時間がなくなってしまった とも言えますが)。ブロックフレーテ奏者としては、一番有名なのが フランス・ブリュッヘンですが 私は好まず、ハンス・マルティン・リンデのレコードを 好んで聴きました。

楽譜

バッハの『無伴奏フルートソナタ』ブロックフレーテ用の楽譜
イタリア語では「フラウト・ドルチェ」と言う
(フランス語と同じく「優しい笛」の意)




アルヒーフレコードの CDジャケット

 レコードから CD の時代になると、30cm LP の紙ジャケットのデザインを5分の2に縮小してジュエル・ケース内の CD のジャケットとし、アルヒーフ・レコードのイメージを維持しました。このサイトでは 30cm LP のジャケットと同じ大きさで載せるので、違いが まったくわからないかもしれませんが、レコード時代と同じように 、アルヒーフらしく 品のある 好ましいデザインです。つまり、CD というのは レコードのイメージを引きずっているのであって、両者の違いは レコード針を使うかどうかということだけのような気がします。もちろん、曲の頭出しができるとか、CDには便利なことがいろいろありますが、このサイトが問題とする「ものとしての魅力」ということに関しては、大きな変化ではありません。これが全く変わってしまうのは、書籍の場合と同じく、音源をディジタル・ソースとしてダウンロードするようになって、「もの」としての視覚的効果が完全に消失してしまうであろうことです。私が「美しい本」や「美しいジャケット」に惚れ込んだことなど、今に 理解しがたい 遠い過去の話になってしまうことでしょう。

国内盤 CD2枚組 LEGEND版 「管弦楽組曲全集」
アルヒーフ創立50周年記念 1997年

LEGEND版「管弦楽組曲全集」CD2枚組の裏面


アルヒ-フ CD の盤面、銀のレーベルに青で印刷
『管弦楽組曲』第1, 2番 直径 12cm

 次の2枚は輸入盤で、CD用にデザインしたのではなく、単品のレコード・ジャケットをそのまま5分の2に縮小して用いています。もともと、えらく字が大きかったようです。

アルヒーフ輸入盤 CD 『管弦楽組曲』単品 第 2, 3番


アルヒーフ輸入盤 CD 「管弦楽組曲」 単品 第 1, 4番


アルヒーフ輸入盤 CD 『管弦楽組曲』 単品 第2, 3番、
ジャケット 裏面、アルヒーフらしくて きれい。



アルヒーフらしさの終焉

 CDになっても「伝統的な」アルヒーフのデザインを踏襲している間は 違和感がありませんでしたが、「アルヒーフ・レーベル」という 純粋で孤高のオーラを放って 愛好者から称賛されていた時代は去り、人々からも そう認識されなくなると、商業レーベルとして生き残るために、一般受けするであろうデザインになっていきます。私とは次第に 縁が遠くなっていきました。

アルヒーフ国内盤 CD 2枚組「管弦楽組曲全集」
ごく普通のジャケット・デザインになってしまった。


アルヒーフ国内盤 CD 2枚組「管弦楽組曲全集」

写真はリヒターですが、かつてのアルヒーフらしさの 全くないデザインで、これだったら ドイツ・グラモフォン版とした方がよさそう。





CD化されなかった名盤のことなど


グレゴリオ聖歌

『 童貞聖マリア被昇天大祝日のミサ 』
(第1研究部門:グレゴリオ聖歌)8月15日のミサ
アルヒーフ・レコード、ステレオ 国内版、旧ジャケット
エネネスティ師、レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊

 一時、グレゴリオ聖歌に凝っていたことがありました。これは最初に買ったグレゴリオ聖歌のレコードで、何度も繰り返し聴いたので、想い出の盤です。この他にも多くのグレゴリオ聖歌がありましたが、どれも CD化されませんでした。昔は このようにグレゴリオ聖歌のミサを全曲録音したものが いくつも出ていました。その後の、ミサ全曲ではなく、オムニバスの『グレゴリオ聖歌集』は、あまり心に残りません。 奇しくも日本の終戦記念日の8月15日のミサ、『童貞聖マリア被昇天大祝日のミサ』が CD で復刻されることを期待していましたが、とうとう出ませんでした。


『オケゲム』

『 ジョン・ダンスタブルのモテットと、
ヨアンネス・オケゲムの5つのシャンソン』
(第3研究部門:初期ルネサンス時代)、新ジャケット
アルヒーフ・レコード、モノラル、輸入版(国内版も)

 このページの一番上のほうに 旧ジャケットを掲げたレコードの、新ジャケット版。 アルヒーフ・レコード、モノラル 国内版、1971年、2,300円、サフォード・ケープ指揮、プロ・ムジカ・アンティクヮの演奏。新ジャケットにも 右上に、「第3研究部門:初期ルネサンス時代、シリーズ C:ダンスタブルをめぐるイギリス、シリーズ D:オケゲムに至るまでのネーデルランド楽人」と、書かれています。サフォード・ケープ(1906-1973)は アメリカの指揮者で、プロ・ムジカ・アンティクヮという合奏・合唱団を率いて 中世・ルネサンスの古楽を演奏して、初期のアルヒーフへの大きな貢献者でした。
 このレコードが CD化されるのを 首を長くして待っていましたが、古い モノラル録音だったせいか、ついに CD化されませんでした。そこで、中古レコード屋で これを求め(新ジャケットになっていました)それを ある工房で CD化してもらいました。昔のように ダンスタブルのモテット「神の聖なるみ母」と、オケゲムのシャンソン「私の愛する人」に魂を震撼させられるわけではありませんが、ルネサンス時代の歌曲の演奏としては、このレコードに優るものはないと 今も思っているので、その記念です。なお、歌詞を翻訳しているのは 音楽史の神谷聡子さんという方ですが、私の親戚ではありません。


ダンス音楽

『 プレトリウス時代の舞踊音楽 』
(第4研究部門:盛期ルネサンス)、新ジャケット
アルヒーフ・レコード、ステレオ、輸入版(国内版も)

 ルネサンス時代の舞踊音楽も好きでした。映画『恋に落ちたシェイクスピア』や『ロミオとジュリエット』などの舞踏会シーンでは そうした ゆったりしたテンポの舞曲が流れ、いい気分にさせてくれます。レコードも買い集めましたが、最も優れた演奏が このレコードで、私の愛聴盤でした。A面に、ミハエル・プレトリウスの『テルプシコーレ曲集』から6曲と、エラスムス・ヴィートマンの『ダンツとガリアルド』5曲、B面にはヨハン・ヘルマン・シャインの『音楽の饗宴』から3つの組曲が、フリッツ・ノイマイヤー指揮、テルプシコーレ合奏団の演奏で録音されていました。素晴らしい演奏です。ブロックフレーテはハンス・マルティン・リンデでした。
 その昔、NHKの普通のクラシック音楽番組で1年間、番組の始まりに、このレコードから シャインの 「音楽の饗宴」第3組曲の第2曲「ガイヤルド」が かけられていました。あれは音楽評論家の村田武雄だったか 志鳥栄八郎だったか、ベートーヴェンなどの近代音楽の番組には不釣り合いでしたが、彼はよほどこのレコードが気にいったのでしょう、番組の聞き手にとっては、この和やかで静かな曲がながれてくると、何かホッとするものを感じたものでした。
 これも ついに CD化されなかったと思っていたら、ある時 偶然に、他の2枚のルネサンス時代の舞踊音楽のレコードと合わせて2枚組の CDになっているのを見つけました(輸入盤)。アルヒーフではなく ドイツ・グラモフォン盤で、合計収録時間は(レコード3枚分の)2時間18分なので お得用ではあるけれど、昔のアルヒーフのジャケットで 原盤どおりに1枚で CD復刻してほしかったものです。

ダンス音楽

『 ルネサンス時代の舞踊音楽 』CD2枚組
ドイツ・グラモフォン、PANORAMA シリーズ


 アルヒーフは本来の使命を終え、その後は 過去の遺産を、特にリヒターの演奏を くいつぶして(再利用、復刻して)生きているような印象です。ある時、『バッハの宗教大作集 』として CD 10枚組のボックス・セットを見つけました。カール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団の演奏で、「マタイ受難曲」3枚、「ヨハネ受難曲」2枚、「ロ短調ミサ」2枚、「クリスマス・オラトリオ」2.5枚、「マニフィカト」0.5枚、合計収録時間は 10時間42分です。 古い録音の再プレスとはいえ、これが何と 3,500円くらいで輸入できたのには 驚愕しました。

バッハ宗教大作集

『バッハの宗教大作集 』輸入版
アルヒーフ CD 10枚組 ボックス・セット、1994

( 2019 /06/ 01 )




 ところで、上野の東京文化会館の4階に「音楽資料室」というのがあるのを ご存知でしょうか。ここには音楽関係の図書や資料、楽譜があるのはもちろん、古いレコードも CDもあり、誰でも 無料で聴かせてもらえます(アルヒーフ・レコードも)。


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