ENJOIMENT in ANTIQUE BOOKS -XLVI
アルベールサマン著、アドルフジラルドン
王女の庭園にて
『 王女の庭園にて 』

Albert Samain + Adolphe Giraldon :
" Au JARDIN de l'INFANTE "
1920, F. Ferroud, Paris


神谷武夫
王女の庭園にて
アルベール・サマン『王女の庭園にて』革装本

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秋と黄昏の詩人

 今回の「古書の愉しみ」では、私の秘蔵の挿絵本の一冊を紹介します。今から約 100年前に出版された詩集の革装本ですが、通常のハーフ・レザーの外装はともかく、内部の全編にわたって これほど美しく装飾された詩集は、他に見たことがありません。それは19世紀フランスの「秋と黄昏(たそがれ)の詩人」と謳(うた)われた アルベール・サマン (1858〜1900) の第一詩集、『王女の庭園にて』という詩集で、同世代の挿絵画家 アドルフ・ジラルドン (1855−1933) が、サマンと ぴったり息の合った(といっても サマンの没後ですが)挿絵 および装飾全般を制作しました。ジラルドンは 前々回の「古書の愉しみ」第44回『ケンタウロス、バッカスの巫女』の挿絵、装飾をした人でもありますが、そのときに評したように、「挿絵そのものよりも、その周囲の装飾、そして扉や章頭ページ、さらには各ページごとの装飾、そうしたものに より多く力を注いで成功した 稀有の挿絵画家」です。
 原題は "Au Jardin de l'Infante"(オ・ジャルダン・ド・ランファント)で、ジャルダンは英語のガーデンですが、アンファントは英語のインファントではなく、スペインやポルトガルで 王女を指す言葉です。

 今回の 木版画による挿絵本『 王女の庭園にて 』は、アール・ヌヴォの美術家 ジラルドンによる 会心の「書物芸術」と言えましょう。『ケンタウロス、バッカスの巫女』よりも遥かに入念な、そして優美な 挿絵本で、彼の最高傑作です。本の形式としては、『ケンタウロス、バッカスの巫女』や、前回の バルビエによる『 モーリス・ド・ゲランの散文詩 』のような 大きめの「無綴じ本」ではなく、通常の文芸書の大きさの「仮綴じ本」を、購入者が 製本(ルリュール)工房で 革製本させたものです。 

 まず、挿絵の入った数ページを見ていただきたい。どの挿絵にも四角い、同じ大きさの額縁がつけられ、そのまわりを 花や葉の茂った枝が囲んでいます。それぞれ数ページにわたる詩編の冒頭部の下には、やはり花の枝の キュ・ド・ランプがあります。どれもジラルドンの原画による 多色刷り木版画ですが、花々とはいえ、けばけばしさとは無縁の ごく淡い色で彩色されているので、実に「典雅」で美しい。 ここで典雅というのは、映画で言えば『 ローマの休日 』のオードリー・ヘプバーンのような佇(たたず)まい ということです。まさに「王女」というわけですね。とすれば、ジョルジュ・バルビエの『 モーリス・ド・ゲランの散文詩 』は、 さしずめ 挿絵本の「女王」と言えるかもしれません。

王女の庭園にて

『 王女の庭園にて 』「夏の時 I 」(p.15)
「夏の時」はIから VI まであり、全部で9ページに及ぶ。
ジラルドンによる 挿絵を囲む装飾は、絵ごとに異なった花を描いている。
挿絵の正方形の枠取りや キュ・ド・ランプの幾何学的な扱いなど、
全編にわたって「花」をモチーフにしているにもかかわらず、
建築的な構成感で貫かれている。

 フランスの詩人 アルベール・ヴィクトール・サマン(Albert-Victor Samain 1858〜1900)は、前に紹介したアンリ・ド・レニエ(『二重の愛人』と『古代神話 情景集』)より6年早い 1858年に フランスのリールで生まれました。フラマン人の両親は 酒店を構えていたましたが、サマンの14歳の時に父が死去したので学業をあきらめ、仕事につきます。1880年頃にパリに出て、市役所の事務員として働きながら詩作に没頭していき、それが認められて文壇の先進的な人たちと交際するようになります。とりわけボードレールやヴェルレーヌの影響を受け、モンマルトルの有名な文芸キャバレー「黒猫」で自作の朗読もしました。文芸雑誌『メルキュール・ド・フランス』の復刊にたずさわり、大雑誌『両世界評論』にも寄稿することになります。詩の作風は繊細、内向的で、象徴派に属し、レニエやピエール・ルイスとも親しく交わりました。1893年に 哀愁と耽美の第一詩集『 王女の庭園にて』が出版されるや 大きな評判をとり、小部数の初版は たちまち売り切れ、詩人としての名声を確立しました。

王女の庭園にて

『 王女の庭園にて 』「幸福な島」(p.57)
詩はアントニー・マルスに献じられた、7ページにわたる長詩の冒頭部。
下部のキュ・ド・ランプも、章によって異なった花が描かれている。

 この アドルフ・ジラルドンによる挿絵本は 実に美しい本で、私の所有する小型の挿絵本の中では、「古書の愉しみ」の第34回で紹介した アンドレ・マルチの『古代神話情景集』と並ぶ、珠玉の本です。『古代神話情景集』が黒だけの銅版画集だったのに対して、こちらは多色刷り木版画ですが、すべての色が淡く抑えられているので、派手な感じはまったくなく、ジラルドンのアール・ヌヴォの装飾が しっとりと納まっていて、私のお気に入りの一冊です。
 この『 王女の庭園にて 』の成功によって、サマンは ある意味では時代の寵児にもなりましたが、生来 内向的で謙遜な性格のゆえと 病弱のために、生前には あと一冊の詩集と散文の小品集を出したのみで、1900年(明治33年)に、42歳の若さで、結核で死去しました。

王女の庭園にて

『 王女の庭園にて 』「菫(すみれ)色の歌」(p.143)
詩は、4ページにわたる「菫色の歌 (シャンソン・ヴィオレット) 」の冒頭部
ページの大きさは、通常の文芸書の大きさの 18.5 × 12 cm

 アルベール・サマンの3冊の詩集(『王女の庭園にて』1893 、『甕の脇に』Aux Flancs du Vase, 1898、遺稿としての『黄金の車』Le Chariot d'Or , 1901)は、いずれもメルキュール・ド・フランス社から出版されました。『王女の庭園にて』(オ・ジャルダン・ド・ランファント)の初版は 今から 125年前(1893年)の出版ですが、アドルフ・ジラルドン による挿絵本は その 27年後の 1920年の制作なので、今から ほぼ百年前のことです。私の所蔵本が 仮綴じ本から 革製本された時期は、保存して綴じ込まれている仮綴じ本だった時の表紙が 汚れても 傷んでもいないことから、出版後 それほど時が経たない内だったろうと思われます。付録の図版集(カラー一式)も一緒に綴じ込まれているのは、所有者が絵の散失を案じたからでしょう。

 『メルキュール・ド・フランス』という文芸誌は17世紀の創刊ですが、休刊、再刊、廃刊と紆余曲折をたどり、19世紀末の1890年に、象徴主義芸術を支持する文芸批評誌として復刊されました。アルベール・サマンはその復刊メンバーの一人だったので、彼の本はすべてメルキュール・ド・フランス社から出版されています。メルキュールというのは 英語のマーキュリーで、ギリシア神話のヘルメスのことです。『メルキュール・ド・フランス』は 後の20世紀半ばに、ガリマール出版社に吸収されました。

  サマンの散文の小品(幻想物語)「クサンチス」は、森鴎外の訳で読めます(『森鴎外全集』第8巻、1972、岩波書店、図書館で探してください)。サマンの詩は 戦前には 鴎外や堀口大学、大手拓次らに翻訳されて、日本の詩人たちにも影響を与えました。また、サマンが書いた台本に ジャン・クラが作曲した歌劇「ポリフェーム」があり、ガフリエル・フォーレの「アルぺージュ」など、いくつかの詩が歌曲になってもいます。

『王女の庭園にて』
アルベール・サマン『王女の庭園にて』の革製本の表紙と扉

 『王女の庭園にて』が出版された翌年の3月に、詩人で小説家の重鎮フランスワ・コペ (François Coppée) は、新聞紙上で サマンを次のように絶賛しました(堀口大学訳)。

「アルベール・サマン氏は、秋と黄昏(たそがれ)の詩人であり、且つは やさしく繊麗な悩みと、高尚な さびしさとの詩人である。読者は 氏の詩集の全篇を通じて、果敢(はか)なくもメランコリックな匂い、晩秋の日の菊の花の いまわの香いをかぐであろう。」 

ここから、象徴派詩人アルベール・サマンは、「秋と黄昏の詩人」と形容されるのを常とします。日本人の好みにあう詩人だと言えましょう。サマンの処女詩集『王女の庭園にて』(1893) は、日本の詩歌で言えば 北原白秋 (1887 -1942) の処女詩集『邪宗門』(1909) に近いと言えましょうか。

章扉

『 王女の庭園にて 』第4章「孤独な散歩道」の扉
ジラルドンによる アール・ヌヴォの装飾。 各章の扉の構図は 皆 同じだが、
章によって花の種類が異なり、小鳥が向きを変える。

 詩集『 王女の庭園にて 』全188ページのうち、その3分の1の62ページを今回スキャンして、このサイトに一挙掲載することにしました。これが どのような「書物芸術」であるかということが、よくわかることでしょう。その中から 詩を一編選んで、全文を掲げます。詩集のタイトルにふさわしい 「湖畔の散歩」(Promenade à l'Étang)という詩編で、第1章の5番目に掲載されています。
 下に見られるとおり、挿絵のないページも すべて、アドルフ・ジラルドンの ヴィニェット(上端)と キュ・ド・ランプ(下端)で飾られています(章ごとに 花の種類が異なります)。

湖畔の散歩

『王女の庭園にて』より「湖畔の散歩」(pp.26-27)

 堀口大学 (1892 -1981) の名高い訳詩集『月下の一群』(1925, 第一書房) には、サマンの詩が 17編も訳されていて、そのうち7編が この詩集「王女の園生(そのふ)」から採られています。
 この詩編 "Promenade à l'Étang" (プロムナード・ア・レタン) も「池畔逍遥 (ちはん しょうよう) 」という訳題で入っていますので、以下に1スタンザ づつ 原文と堀口訳を併記しておきます。韻文詩ですから、韻の踏み方などを見て楽しみ、そして古語を用いた文語調の 堀口訳を 味わってください。  ( 堀口大学訳 『月下の一群』より、アルベール・サマン「王女の園生」中の一編 )

月下の一群



Promenade à l'Étang

Le calme des jardins profonds s'idéalise.
L'âme du soir s'annonce à la tour de l'église;
Écoute, l'heure est bleue et le ciel s'angélise.

池畔逍遥

奥深き庭の静寂(じょうじゃく)は果てしなく
夕暮れの霊は 御寺の鐘楼に響きいず
聴け、時は今 青ざめて空天使に似たり。

A voir ce lac mystique où l'âzur s'est fondu,
Dirait-on pas, ma soeur, qu'un grand coeur éperdu
En longs ruisseaux d'amour, là-haut, s'est répandu?

紺青を溶きて湛(たた)えし 神秘なるこの湖を見ては
吾妹子(わぎもこ)よ、恋の泉 大なる心の底より湧きいでて
かの空に漲(みなぎ)りしなりと 人言わざらましか?

L'ombre lente a noyé la vallée indistincte.
La cloche, au loin, note par note, s'est éteinte,
Emportant comme l'âme frêle d'une sainte.

もの影は 夕闇の谷を溺れしめ、
遠方(おちかた)に響く鐘の音は 一声ずつに消え行きて、
聖女の清き魂を 運び去るに似たり。

L'heure est à nous; voici que, d'instant en instant,
Sur les bois voiolets au mystère invitant
Le grand manteau de la Solitude s'étend.

今、時は 我らが有なり、見よかし、一瞬ごとに
寂寥の大なる衣は、
不可思議を招きつつ 紫色の森の上に広がる。

L'étang moiré d'argent, sous la ramure brune,
Comme un coeur affligé que le jour importune,
Rêve a l'ascension suave de la lune ・・・・・

褐色の木の葉の影に 銀色の木目(もくめ)織り出せる池水は、
つれなかりし一日を 悩む心か?
爽やかなる月の出を 夢想するに似たり。

ジラルドン

Je veux, enveloppé de tes yeux caressants,
Je veux cueillir, parmi les roseaux frémissants,
La grise fleur des crépuscules pâlissants.

われは希う、愛慕に満ちたる 汝が眼差しに包まれて
打ち戦(わなな)ける芦のあいだに
青ざめし黄昏の ほの白き花を摘まんことを。

Je veux au bord de l'eau pensive, ô bien-aimée,
A ta lèvre d'amour et d'ombre parfumée
Boire un peu de ton âme, à tout soleil fermée.

おお愛人よ、われは希う、もの思わしげなる池水の傍らにありて
日の暮れたる後の 香わしき影漂う中にて
汝が愛慕の唇より 汝が魂を吸わんことを。

Les ténèbres sont comme un lourd tapis soyeux,
Et nos deux coeurs, l'un près de l'autre, parlent mieux
Dans un enchantement d'amour silencieux.

夕闇は やわらかく重き幔幕に似たり
われらが心は互いに寄りそいて
しめやかなる愛慕の 心うれしげに睦言(むつごと)す。

Comme pour saluer les étoiles premières,
Nos voix de confidence, au calme des clairières,
Montent, pures dans l'ombre, ainsi que des prières.

静かなる林間にて 新生の星に礼するごとく
心の秘密を語り合う われらが声は
夕闇の中に 清らかに 祈りのごとく昇り行くなり。

Et je baise ta chair angélique aux paupières.

かくてわれ、今 天使めく汝が肉体を 瞼(まぶた)の上に接吻す。



ジラルドン

 このように、寂しげな心を嫋々(じょうじょう)と歌うサマンの詩は、与謝野晶子の門人たる堀口大学にとっても親しいものであったことでしょう。
 さきほど、サマンの『王女の庭園にて』に 北原白秋の『邪宗門』を類比させましたので、その『邪宗門』の中からも「陰影の瞳」という一編を引いておきます。サマンの詩との情感の同質性を見てください。どちらも「秋と黄昏の詩人」であって、 フランス語の押韻の代りが 日本語の七五調と言えます。耳に聞いて快い韻文詩 というわけですね。



陰影の瞳 (北原白秋『邪宗門』より

(ゆうべ)とならば かの思い、 曇硝子(くもりがらす)を ぬけいでて、
(すた)れし園の なお甘き ときめきの香に癲(ふる)えつつ、
はや饐 (す) え萎 (な) ゆる芙容花 (ふようか) の 腐れの紅 (あか) き ものかげと、
(もつ) れてやまぬ秦皮 (とねりこ) の 陰影にこそ ひそみしか。

如何に呼べども静まらぬ 瞳に絶えず涙して、
帰るともせず 密(ひそ)やかに、 はた、果てしなく見入りぬる。
そことも わかぬ森かげの 憂鬱(メランコリア)の薄闇 (うすやみ) に、
ほのかにのこる噴水(ふきあげ)の 青きひとすじ ・・・・・



ジラルドン

 『王女の庭園にて』は5つの章から成ります。実際は、それぞれにタイトルのついた5つの韻文詩群なのですが、このサイトでは 便宜上、それぞれに 章番号をつけておきました。
 この詩集の原題は、『 詩編群が付された「王女の庭園にて」』(Au Jardin de l'Infante, Suivi de Plusieurs Poèmes)となっていて、本編の「王女の庭園にて」が第1章ということになります。以下の、第2章「霊現」、第3章の短い「悲しみの脈管」、第4章「孤独な散歩道」が、初版時 (1893年) における「他の詩編群」ということになります。
 最後の第5章は「傾いだ骨壺」で、この 46ページ分が 1897年に付け加えられ、「増補決定版」として出版されました。サマンが世を去ったのは、その3年後のことです。ジラルドンが挿絵本を制作したのはさらに 20年後の 1920年ですから、サマンは この挿絵本を見ていません(サマンは短命で、ジラルドンは長命でした)。

各章の初めにはジラルドンによる扉があり、鳥の止まった不思議な樹木が描かれています。それぞれの章ごとに、挿絵のはいったページを たっぷりスキャンしておきますので、ご覧ください。


王女の庭園
『王女の庭園にて』第1章 本編

王女の庭園
第2章「霊現」、第3章「悲しみの脈管」

 アール・ヌヴォの挿絵画家を代表するのは、25歳で夭折した イギリスのオーブリー・ビアズリー(1872 -98)と、チェコ生まれでフランスで活躍したアルフォンス・ミュシャ(1860-1939)だと言えます。今回の アドルフ・ポール・ジラルドン (Adolphe-Paul Giraldon, 1855−1933) は ミュシャ派と言ってもよいでしょうが、歳はむしろミュシャの5歳上ですから、ミュシャの影響下にあったというわけではありません。画風が パリの美術学校(エコル・デ・ボザール)の古典的テクニシャンであり、装飾技法に凝ったという点、および 細密画の彩色が淡くて 非常に上品な点が、ミュシャと似ています。

『王女の庭園にて 』
『王女の庭園にて』第4章
詩編「色欲」の、ジラルドンの挿絵 (p.131)

 挿絵画家 アドルフ・ジラルドンは 1855年にマルセイユで生まれ、78歳でパリで死去しました。重要なアール・ヌヴォ様式の挿絵画家ですが、「古書の愉しみ」の第43回『 ケンタウロス、バッカスの巫女 』で多少書いて以来、特に新しい資料も見つかりませんので、その時の文を下に再録しておきます。


王女の庭園 』
『王女の庭園にて』 第4章「孤独な散歩道」

王女の庭園
『王女の庭園にて』 第5章「傾いだ骨壺」

 アドルフ・ジラルドンは典型的なアール・ヌヴォ様式の挿絵画家と言えます。 当時有力な古典主義の画家であった リュック・オリヴィエ・メルソン (Luc-Olivier Merson, 1846−1920)の弟子であり、協働者であり、友人でしたが、次第に古典主義からアール・ヌヴォへと転じていきました。アール・ヌヴォ様式としては、グラスゴー派の影響が見られ、その装飾形態は、建築家の ギマールやオルタ、あるいは マッキントッシュやオルブリヒの造形を思い起こさせます。

 アール・ヌヴォというのは、きわめて広範囲の、19世紀後半(末)のヨーロッパ諸国における美術的活動をさしますが、我々がアール・ヌヴォという言葉を聞いてまず思い浮かべるのは、「自由な曲線を使った繊細な植物紋的装飾」ということではないでしょうか。それまでのヨーロッパにおける、古代ギリシア・ローマの美術・建築に範をとった「新古典主義」に反旗をひるがえして、それとは全く異なった新しい美術・工芸・建築を生み出そうとしました。それは モダニズムのような「装飾の拒否」というわけではありません。「新古典主義」とは異なった、新しい(ヌヴォ)装飾を探求したのです。

 ギリシア神殿のような新古典主義とはちがった感覚として 彼らが発見したのは、「曲線と植物紋様」だったのです。それらは 諸国で同時多発的に現れました。パリのエクトール・ギマールによるメトロ入口や、バルセロナのガウディによる曲線状にうねった壁面、ウィーンのヴィクトル・オルタによる住宅など。それを挿絵本の上で最も典型的に行ったのが、アドルフ・ジラルドンです。

 「古書の愉しみ」の第14回で紹介したジェシー・M・キング(1875 -1949)の絵と装飾も同じように優美でしたが、ジェシーがフリーハンドの描画だったのに対して、ジラルドンは もっと幾何学的な正確さによる装飾を追求しました。ジラルドンの他の挿絵本としては、次のようなものがあります。

ウェルギリウスの『田園詩』1906、プロン・ヌリ社
メーテルリンクの『蜜蜂の生活』1914-18, フェルー社

   

 アルベール・サマンの『王女の庭園にて』は、アドルフ・ジラルドンによるもののほかにも 何種かの挿絵本があります。ここでは筆者が架蔵する アントワーヌ・カルベ (Antoine Calbet 1860-1944) によるもの だけを紹介しておきましょう。アカデミズムの画家・カルベの手になる挿絵本のなかでは、ピエール・ルイスの『アフロディテ』が最も有名で、いつか この「古書の愉しみ」でも紹介したいと思っています。ほかに、 ポール・エミール・ベカ (1885-1960) による ポルノまがいの挿絵本もあります。

カルベ
『王女の庭園にて』アントワーヌ・カルベによる挿絵本の扉


(2018 /10/ 01)
章扉



< 本の仕様 >
  『 王女の庭園にて』"AU JARDIN DE L'INFANTE" (Petite Bibliothèque Andrea)
  アルベール・サマン Albert Samain (1858〜1900) の第一詩集
  初版は1893年 メルキュール・ド・フランス社、1897年に最終章増補版
  挿絵本は アドルフ・ジラルドン Adolphe Giraldon (1855-1933) の挿絵・装飾で、
  パリ、A・フェルー & F・フェルー社、A. Ferroud, F. Ferroud & UC, Paris , 1920年
  19cm x 13cm x 2.6cm、188ページ、重量:550g、
  アドルフ・ジラルドンによる多色刷り木版画の挿絵と全ページ装飾の美麗本
  焦げ茶色モロッコ革装(ハーフ・レザー)平はマーブル紙、区画金線、天金、花ぎれ
  別刷り多色挿絵一式付録(仮綴じの表紙と共に 革装本に綴じ込まれた)  

キュドランプ
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