ANTIQUE BOOKS on ARCHITECTURE - IV
ジェイムズファーガスン

『 図説建築ハンドブック 』

James Fergusson :
" The Illustrated Handbook of Architecture "
First Edition, 1855, John Murray, London, 2 vols.
Second Edition, 1859, John Murray, London, 2 vols.


神谷武夫

『図説建築ハンドブック』2巻本の初版と、革製本の第2版

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 前回まで ファーガスンとフレッチャーの「世界建築史」を紹介してきましたが、今回採りあげるのは、そのファーガスンの『世界建築史』の前身となった『 図説・建築ハンドブック 』です。これも このサイトの「ジェイムズ・ファーガスンとインド建築」に かなり詳しく書きましたので、その内容については、ここでは簡単に述べるに とどめます。
 インド建築で出発したジェイムズ・ファーガスン(1808-86)は、その建築史研究の対象領域を次第に全世界に拡大し、ロンドンに居を構えながら 世界の建築に関する情報と資料を収集し続けました。それを 本にまとめようとしましたが、ファーガスンに注目してくれた出版社の社主、ジョン・マリー(John Murray)が ファーガスンに、歴史的序列よりは、地理的序列で 世界の建築を叙述する本の執筆を薦めたのです。そのようにして書かれ、ジョン・マリー社から出版されたのが、今回の『図説・建築ハンドブック』です

 当時は、書物の内容を できるだけ伝えるべく 長い題名をつけながら、通常は その主要部分で呼ばれる、という習慣がありました。この本の題名も、正規には『すべての時代と国を代表する 様々な建築様式の、簡明にして平易な叙述からなる 図説・建築ハンドブック (The Illustrated Handbook of Architecture: Being a Concise and Popular Account of the Different Styles of Architecture Prevailing in All Ages and Countries) 』というものですが、通常は『図説・建築ハンドブック』と呼ばれました。
 この本が 2巻本として出版されたのは、19世紀半ばの 1855年で、ファーガスンが 47歳の時です。その「地理的順序 」というのは 興味深いもので、東洋、それもインド建築で出発した人らしく、インドを真っ先にもってきて、「インド、中国、西アジア、エジプト、ギリシア、ローマ、ペルシア、イスラムの順に上巻で扱い、下巻では ヨーロッパの中世の建築を フランス、ベルギー、ドイツ、イタリア、ポルトガル、イギリス、北欧と叙述し、最後に ビザンチンを加えている」というものです。

 この出版は大成功をおさめ、イギリスばかりでなく、世界各地に輸出されたようです。発行部数や増刷の回数は わかりませんが、4年後の 1859年には第2版が出ました。私は その初版と第2版を ともに所有しています。初版は版元装幀で、第2版は モロッコ革による自家装幀です。 両者をつき合わせて調べたところ、違いは 扉と口絵(フロンティスピース)だけであって、他はまったく同一の内容であることがわかりました。つまり、この第2版というのは 改訂版ではなく、初版の増刷に過ぎなかったのです。『インドと東方の建築史』の時のように、初版の「ニュー・インプレッション版」と銘打ったほうが 適当だったでしょう。

  
『図説建築ハンドブック』版元製本の 初版、1855年

 版元装幀の初版は、焦げ茶色の布装で、植物図案の型押しはあるものの、やや地味で グルーミーな印象があります。それに対して 第2版の革装本は、すべてを赤で統一した 派手やかな装幀です。これには、実は わけがありました。上巻の扉の前の遊び紙に、手書きで 次のような書き込みがあります。
      Presented from the Archirtectural Institute of Scotland
      to Mr. John Laurie in a Geometric Drawing        19 April 1859
 つまり、スコットランド建築家協会が、ジョン・ローリーという美術家 (?) の幾何学的絵画に対して賞を与え、(その正賞としてか、副賞としてか)スコットランド出身の建築史家 ファーガスンの近著(出たばかりの第2版)を、特別に モロッコ革で製本し直させて贈ったのでした。それが巡り巡って、日本の建築家である 私のもとにやって来た というわけです。

『図説建築ハンドブック』自家装幀の第2版、1859年

 さて、この第2版にはありませんが、初版の上巻の巻末には、ジョン・マリー社の 32ページにおよぶ出版図書目録が付いています。これをじっくり見ていくと、当時のイギリスの出版状況の一面がわかって 興味をそそられます。ファーガスンは この本の成功によって、以後の ほとんどの著作をジョン・マリー社から出版することになりますので、ここで ジョン・マリーについて書いておきましょう。というのも、この「古書の愉しみ」シリーズで おいおいに紹介していくことになる本を含め、多くの重要な本が ここから出版されているからです。たとえば、インド美術史家 E・B・ハヴェルの大部分の著作、チャールズ・フェローズの『小アジア紀行』と『リュキアにおける発見の報告』、さらにはダーウィンの『種の起源』、岡倉天心の英文著作『東洋の理想』および『日本の目覚め』も そうです。

ジョン・マリー出版目録

← 上巻末に付された、ジョン・マリーの 出版図書目録

 この付録の出版図書目録(1856年1月)のタイトルは "Mr. Murray’s General List of Works."(マリー氏の出版目録)と、個人名で書いてあります。つまり ジョン・マリーというのは社名ですが、社主の名前でもあります。
 日本でも、本の奥付には たいてい著者名と並んで、発行者として 個人名が書いてあるのが普通です。たとえば、前回の邦訳版『フレッチャア建築史』は、「発行者・岩波茂雄」とあります。
 そう、当時のジョン・マリー社は、ちょうど日本の岩波書店のような出版社でした。ファーガスンの本を出したのは 三代目のジョン・マリー(1808-92)だったので、岩波でいえば、二代目の岩波雄二郎(1919-2007)というところでしょうか(時代的には1世紀のずれが ありますが)。奇しくもファーガスンは、この三代目ジョン・マリーと 同年の生まれだったので、同じスコットランド人のよしみもあって、親しい友人になったのでしょう。(社主のジョン・マリーは代々引き継がれて、第7世まで続きました。)
 ジェイン・オースティンや サー・ウォルター・スコット、ワシントン・アーヴィングなどの著書を出して出版社の地位を確立した、二代目ジョン・マリーが居を構えたのが ロンドンの中心部、王立美術院(Royal Academy of Arts) の近くの アルベマール街 50番地でしたので、ファーガスンの本をはじめ、ジョン・マリーの本には必ず、扉ページの下に LONDON: JOHN MURRAY, ALBEMARLE STREET と書いてあるので、ご記憶の方もいるでしょう。ここから1キロほど北に、ファーガスンが居を構えた ランガム・プレイス街があります。

ジョン・マリー 3世

 ジョン・マリー3世は二代目から出版の仕事を引き継いだ ばかりでなく、自ら本も書きました。大学時代から 地理学や地質学に大きな興味をもち、その調査のために しばしば大陸を旅行したので、それをもとに ヨーロッパ大陸(1836)、ドイツ、スイス(1838)、フランス(1843)などの 正確で文化的なガイドブックを出版しました。これを「ハンドブック・フォー・トラベラーズ」というシリーズにして 多くの著者による本を続刊しましたので、ジョン・マリー社の出版物の 看板商品ともなりました。
 世の中では このシリーズを指して単に「マリー」と呼んだくらいに信頼され、売れたようです(特に、インド編や日本編は 評価が高い)。さらには、観光的なガイドだけでなく、美術などの独立したテーマも このハンドブック・シリーズに加えたので、その一環として ファーガスンに「世界の建築ハンドブック」の執筆を依頼したのです。そうした場合には 通常のサイズ(ドゥオデシモ、十二折本、18×12cm)よりも大きい版型(オクターヴォ、八つ折り本、23×15cm)としたのです。

 この『図説・建築ハンドブック』が大きな評判をとった理由のひとつは、その図版にあります。上下巻合わせて約 850点もの図版を挿入したので、世界の建築を理解するのに、またとない画期的な視覚的資料となったからです。19世紀には まだ写真製版の技術がなかったので、すべてを木口木版(Woodcut)にしました。木口木版といっても ピンとこない人が多いでしょうから、今回は それを 多少詳しく説明しておきましょう。

木口木版の図版(スペイン、ウマネホスの聖堂)

 まず、初版の下巻の扉に載せられた、上の絵をご覧ください。写真かと見まごうような絵ですが、これを クリックして拡大すると、絵だということが わかります。しかし一見したところ、ペン画か 銅版画(エッチング)のように見えます。
 木版画というと、我々は 江戸時代の 広重や北斎による 浮世絵版画を思い浮かべるので、これは木版画には見えません。ワトキンの『建築史学の興隆』を訳した建築史家の 桐敷真次郎氏も その あとがきの解説で、

「ファーガソンは 建築史家として まことに不思議な人物で、どう見ても 木版画とは まったく見えない 精密精巧な図版を多数入れた 建築史の労作を完成し・・・・」

と書いているほどです。
 日本の浮世絵版画は 平(ひら)に彫版する 板目木版(いため もくはん)なので、面としての彩色面で構成されます。ヨーロッパでも そうだったのですが、19世紀のイギリスでは 木材の年輪が見える木口面に線刻をした 木口木版(こぐち もくはん)が発展しました。 その立役者が トマス・ビューイック (1753-1828)で、黄楊(ツゲ)や椿(ツバキ)、楓(カエデ)のような 硬い木材を用いて、その木口に、銅版画にも劣らない 精巧な線を刻む 版画技法を確立し、普及させたのです。


トマス・ビューイックの木口木版画
(From "Thomas Bewick, Selected Work" 1989, Carcanet)

 この木片を 活字の棒の長さと同じ厚みにすると、活字と一緒に製版することができ、文字と絵を一度に印刷することができました(銅版画や石版画では、そう できません)。当時、すでに写真は ありましたから、写真を もとに木口木版を制作すれば、写真のような絵入り新聞や雑誌が作れたので、新聞社や出版社は こぞって これを採用しました。その需要に従って、高度なテクニックを持った彫り師が 輩出したのでした。
 ファーガスンは これを利用して、自身が撮影してきた写真や手書きスケッチ、さらには 収集した資料をもとに 大量の木口木版画を制作させて、自分の本に挿入したのです(おそらく、ジョン・マリーが 費用を負担したのでしょう)。この『 図説・建築ハンドブック 』で作成した 約 850点もの図版は、ほとんどが『世界建築史』でも用いられ、インド関係のもの はさらに『インドと東方の建築史』でも用いられました。従って、現在の写真製版とは違いますから、図版の大きさを 自由に変えることはできず、何度用いても、大きさは原寸のままです。

 これが 活字と一緒に印刷された ということは、これが凸版であることを 意味します。しかし、先の絵の拡大図を見れば、銅版画のように線を刻んだ 凹版画のように見えます。これが、私にとっても 不思議な点でしたが、そこで、上の ビューイックの彫版した リスの絵を見てみましょう。リスの体や尾の毛が1本1本刻まれているさまは、まさにエッチングのようですが、木の枝の幹の部分を見ると、白い部分が ビュラン(彫刻刀)でカットした部分であり、残された部分が 黒くプリントされているのだということが わかります。つまり、1本 1本の黒い線は、すべて彫り残された木口面なのです。
 この高度なテクニックによって、19世紀末には 絵入り新聞や 絵入り本が 大々的に普及したのです(本によっては、銅版画や 石版画と併用されましたが)。

『図説建築ハンドブック』 の中の、見事な木口木版画

( 2011 /06/ 12 )


< 本の仕様 >
"The Illustrated Handbook of Architecture" 初版、2 vols、ロンドン、ジョン・マリー社
   上巻 1855年、22.8cmH x 15.5cmW x 5.1cmD、850g、lvii + 470ページ
       木口木版の図版 364点、版元装幀による布装本、焦茶色
   下巻 1855年、23cmH x 15.5cmW x 5.1cmD、850g、534ページ
       木口木版の図版 473点、版元装幀による布装本、焦茶色
    (初版では、上巻の巻末に、ジョン・マリー社の出版目録 32ページが付いている。)

"The Illustrated Handbook of Architecture" 第2版、2 vols、ロンドン、ジョン・マリー社
   上巻 1859年、22cmH x 14.5cmW x 3.4cmD、940g、lvii + 470ページ
       木口木版の図版 364点、上下巻とも モロッコ革による自家製本(ハーフ・レザー)
       赤茶色、三方カットして赤橙色に染色
   下巻 1859年、22cmH x 14.5cmW x 3.4cmD、940g、534ページ
       木口木版の図版 473点、



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