王侯の廟(クッバ、グンバト) |
廟は アラビア語で「クッバ」と呼ばれる。これはドームを意味し、木材の不足する中東において、墓の上に屋根をかけるには ドームが用いられたことを示している。その原型は ペルシアにおけるゾロアスター教の 拝火神殿に求められよう。4つのアーチの上にドームをかけ渡したもので、「チャハル・ターク」(四アーチ)形式という。クッバはペルシア語では「グンバド」、トルコ語では「キュンベット」という。インドでは庭園の中に配されることが多いので、ペルシア語の庭(ラウダ)に由来する「ラウザ」と呼ばれ、あるいはサンスクリット語の傘(チャトラ)に由来する「チャトリ」とも呼ばれる(屋上の小塔 チャトリと同じ原理である)。
現存最古の廟は サーマッラーのスライビーヤ廟で、八角形の墓室を周歩廊が取り巻き、墓室の上にドーム屋根がかけられていた。この形式の起源がキリスト教の殉教者廟(マルチリウム)であることを思えば、用途は記念堂であっても、同じ影響関係にある『 岩のドーム 』が、イスラーム最初のクッバだと言えよう。その内部の華々しいモザイク装飾は、後の豪華な廟建築を予告しているかのようである。しかし本格的な廟建築が建設されるのは、10世紀まで待たねばならなかった。
12世紀になると いっそう廟建築が盛んになるが、同時に、廟を モスクやマドラサに併設することが行われた。前述のように、廟建築というのは 本来のイスラームの教義に反している。しかし トルコ系やモンゴル系の民族は 死者を敬い顕彰する欲求が強く、これを少しでも正当化するために 宗教施設と組み合わせ、王侯の廟を 聖者廟のように見せた。壁にはカリグラフィでクルアーンから引用をし、さらには 廟の中にミフラーブをしつらえ、モスクとの同一化を図ったのである。
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