隊商宿(キャラバンサライ、ハーン) |
かつて シルクロードに代表される交易路が、イスラーム圏各地を 網の目のように結んでいた。鉄道のできる以前、大量の荷を積んで長途の旅に耐える動物は、まずラクダ、そしてラバ、馬であった。盗賊団から身を守るために、護衛つきの 数十頭から数百頭の隊伍を組んだ隊商は 一日に平均 30キロを行進する。町と町の間には、彼らが安全に宿泊できるよう、30キロおきに 隊商宿が必要となる。
こうした施設は もちろんイスラーム文明以前からあり、とくに広大な領土をかかえていた ローマ帝国やペルシア帝国には 必須のものであった。隊商を ペルシア語で「カールヴァーン」と言うことから、隊商宿は英語発音で「キャラヴァンサライ」という。近世に これを最も発達させたオスマン帝国では ケルヴァンサライ、あるいは ハーンとよんだが、どちらかというと「ハーン」は 都市内の施設をさして用いられることが多い。それは 鉄道でいえば 終着駅にあたるもので、荒野の中の通過点としての隊商宿とは やや性格を異にする。アラビア語では 隊商宿を「フンドゥク」といい、この呼称は 主に北アフリカで用いられた(エジプトではホテルのことを 今でもフンドゥクという)。
キャラヴァンサライ、1560年(トルコ)
近代になって 鉄道や自動車が発達するにつれて、キャラヴァンサライの多くは廃れ、放棄され、崩壊してしまったが、アナトリア地方には 保存のよいものが 各地の街道に残っている。とりわけ カイセリの近くと アクサライの近くの 王立スルタンハーンは、みごとなアルメニア風石造建築の姿を見せている。
交易路におけるキャラヴァンサライに対して、都市内のハーンは すでに安全な地にあるので、砦のような造りを 必要としない。また ラクダや馬の厩舎の機能よりも 物資の倉庫および、それを都市内で売りさばくための事務所、取引所としての機能が 重要となる。カイロでは そうしたハーンを「ワカーラ」あるいは「ウィカーラ」と呼び、交易型の多くが平屋であるのに対して、3階建てあるいは4階建て、ときには5階建てとし、上部は 商人の家族のための住居に充てた。通常、廊下は2階までが中庭を取り囲んでいて、その上部は 各住居の内部階段が結ぶメゾネット、あるいはトリプネットである。 特異なのは ダマスクスの ハーン・アッサード・パシャで、約 55メートル角の正方形の 中庭に4本の柱を立て、22mの高さに9面のドーム屋根をかけて 室内化してしまった。トップライトから光の落ちる この壮大な空間は、単に荷降ろしのためだけでなく、商品の展示場や 市場としても用いられたのであろう。白い石と黒い石を交互に積む、シリアに特有のストライプ状の石造建築が、このハーンに いっそうの彩りを与えた。1833年に ここを訪れたフランスの詩人ラマルチーヌは、これを オリエントにおける最もすばらしいハーンだとして 絶賛している。
( 2006年『イスラーム建築』第4章「イスラ-ム建築の建築種別」)
● アクサライの近くのスルタンハヌの『王立スルタンハーン』 |