イスラームの浴場(ハンマーム)
イスラームの都市や建築に欠かせない要素に、浴場がある。身体の清潔を重んじたイスラームでは、とりわけ 礼拝の前に体を浄めるべきことを『クルアーン』は繰り返し説いていて、それは モスクの中庭の浄めの泉となった。浴場の施設は、ムスリムが征服していった 古代ローマ領地の各地に見出し、その方式を採り入れたと考えられる。
クサイル・アムラの 砂漠の宮殿(ヨルダン)
ヨルダンの砂漠には「砂漠の宮殿」と呼ばれる ウマイヤ朝時代の一連の建物が残っていて、その中の クサイル・アムラが、イスラームの現存最古の 浴場建築である。今は砂漠となっている この地方も、当時は 肥沃な「三日月地帯」であって、その農業経営のための諸施設の ひとつであった。内部には 謁見ホールと熱浴室、炉室があり、かたわらに井戸がある。内部空間を そのまま表したような半円筒形ヴォールトと ドーム屋根が並ぶ外観は、飾り気のない謹厳な姿をしているが、内部には 浴婦などの壁画 が描かれている。この 20年後には ヒルバト・アルマフジャール宮殿に、床暖房を施した ローマ的な大規模な浴場も建てられた。
アルハンブラ宮殿内の「王の浴場」(スペイン)
浴場はハンマームと呼ばれ、宮殿建築には不可欠の設備となる。通常は 冷浴室、温浴室、熱浴室(蒸し風呂)から成り、それぞれ 小さなトップライトを星座のようにちりばめたドーム屋根で覆われる。華麗なものとしては 近世のアルハンブラ宮殿や トプカプ宮殿のものが名高く、とりわけ前者は、白大理石の円柱やタイルとスタッコの装飾によって、イスラーム圏における 最も優雅な浴場となった。
カイロのスハイミー邸で見たように、個人の邸宅にも ハンマームはつくられたが、庶民の家に それは無く、かわりに 日本の湯屋のような公衆浴場が 都市のいたる所に設けられた。民衆の日常生活に欠かせない公共施設なので、後述のワクフ(寄進財産)として設立されることが多く、モスクやマドラサと並んで イスラーム都市に必須のアイテムとなり、建築形式も確立する。そして単に体を洗うための場というだけでなく、湯屋と同じように 市民の社交場となり、娯楽場ともなった。
とくに 社会的自由度の少ないムスリマにとっては、1〜2週間に1度行くハンマームは 大きな楽しみで、着替えのほかに 弁当まで持参して、おしゃべりをしに行った。したがって、公衆ハンマームでは、浴室の手前のホールが 建築上の主空間となる。番台があり、タオルを洗う泉がある このメイン・ホールで脱衣をし、コーヒーを飲み、水煙草を吸いながら 人々と社交をしたのである。
各地のハンマーム
イスタンブルの ハセキ・ヒュッレム浴場(トルコ)
ハセキ・ヒュッレム浴場の 断面図と平面図
(From Godfrey Goodwin, A History of Ottoman Architecture,
1971, Thames and Hudson)
イスタンブルには 王妃の寄進のもとにシナンが設計した、大規模なハセキ・ヒュッレム浴場がある。ハンマームは通常 同じ建物を曜日により、あるいは時間帯によって 男性と女性の使用を分離しているのだが、ここでは 初めから男湯と女湯を 背中合わせに並列させている。男湯は 堂々たる柱廊のポーチを備え、ここから直径 15mの大ドームが 高さ 20mにかかる大ホールへと入る。ここが社交と娯楽の場であり、この奥に3連小ドームの冷浴室があり、さらに 中ドームの熱浴室がある。周囲には個室もあり、すべての床やベンチは 大理石でつくられた。中央の壇は 特別豪華に色石のモザイクで飾られ、この上に横たわって湯夫に 垢すりやマッサージをしてもらうのである。このハンマームは、現在は商業施設に転用されている。
ケルマーンの イブラヒーム・ハーン浴場(イラン)
イランでは ケルマーンにイブラヒーム・ハーン浴場があり、当時の完全なハンマームの姿を伝えている。シナンのものが 独立建築型であったのに対し、こちらは屋根つきバーザールに面した 小入口だけがファサードで、あとは すべて周囲の建物に囲まれて、外観というものがない。いわば 町並みの中に穿たれた 洞窟のようなハンマームであり、トップライトのみで採光している。
これら両者が 今は使われていない保存建築であるのに対して、アレッポの ナースリ浴場 は 14世紀の創建で、1985年に修復されてからは 現役のハンマームとして機能している。シリアにおける最大のハンマームで、ペンデンティヴで支えられたドームをはじめとした シリア石造建築の粋とともに、社交場としてのメイン・ホールの 生き生きとした使われ方を見せてくれる。
アレッポの ナースリ浴場のメイン・ホール、14世紀(シリア)
そうした大規模なもののほかに、色ガラスを嵌めたトップライトが ちりばめられた小規模なドーム屋根の並ぶハンマームは、スペインからインドまで、ハンガリーから中国まで いたる所にあり、イスラーム諸国では 今も銭湯として使われているのである。
( 2006年『イスラーム建築』第4章「イスラ-ム建築の建築種別」)
● カイロの『スハイミー邸』(エジプト) については、
「イスラーム建築の名作」のサイトの「カイロの スハイミー邸 」を参照。
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