ENJOIMENT in ANTIQUE BOOKS - XXXIII
アンリ・ド・レニエ著、ジョルジュ・バルビエ画
『 二重の愛人 』
Henri de Régnier + George Barbier :
"La Double Maitresse"
A. & G. Mornay, Paris, 1928
Edition illustrée, Exemplaire No. 113

神谷武夫
『二重の愛人』
モロッコ革で製本された『 二重の愛人』 

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 前に「お知らせ」欄で、書籍『GEORGE BARBIER, The Birth of Art Deco(ジョルジュ・バルビエ、アール・デコの誕生)』を紹介した時に、次のように書きました。

「ヨーロッパにおける 中世の細密画入り写本の伝統を受け継いでいるのは、文学者と画家の組み合わせによる、近代の「挿絵本」です。オーブリー・ビアズリーの絵で飾られた ワイルドの『サロメ』や、ウィリアム・モリスのケルムスコット本で バーン・ジョーンズが挿絵を描いた『チョーサー作品集』は、19世紀末の最高傑作に数えられます。しかし それらは いずれもモノクロの絵であって、カラーの挿絵が普及するのは アール・デコ(1925年に展覧会)の時代です。それを代表するのが、日本の浮世絵版画の影響を強く受けたフランスの画家、ジョルジュ・バルビエ(1882-1932)です。 彼は ファッション画で名をなしましたが、私は むしろ彼の挿絵本に魅了されます。 ゲランの『散文詩』、ピエール・ルイスの『ビリチスの歌』、ラクロの『危険な関係』、アンリ・ド・レニエの『ラ・ドゥーブル・メートレス』など、約 30冊の挿絵本を制作しました。これらは一種の「写本」と言うこともでき、いずれも 半ば手製なので、小部数の出版でした。

バルビエ

 荒俣宏氏や鹿島茂氏は、こうした 19世紀末から 20世紀初めのフランスの挿絵画家たちを 著書で紹介していますが、その最高の画家であると 誰もが認めるバルビエについて、あまり詳しくは書いていません。その原因は、バルビエに関する評伝や研究書が1冊も出版されていなかったからです。 挿絵画家やファッション画家は 二流の芸術家と見なされていたのでしょう。近年 彼らの再評価が進み、特にバルビエは 2008年から 2009年にかけて、イタリアの ヴェネチア市立美術館で回顧展が行われ、その記念に出版されたのが、この本です。バルビエについての 最初のまとまった本で、『ジョルジュ・バルビエ、アール・デコの誕生』(GEORGE BARBIER, The Birth of Art Deco : Barbara Martorelli (ed.), 2009, Marsilio, Musei Civici Venezian)と題され、10人の研究者が執筆し、多くの作品がカラーで掲載されています。優雅で、ちょっとエロティックな現代の「細密画」(ミニアチュール)の作品集として、お勧めです」   (2010/05/01)


ジョルジュ・バルビエの挿絵本

『二重の愛人』
『二重の愛人』第1部、14ページの挿絵、
オール・テクスト、13×10cm、ジョルジュ・バルビエ
ポシュワール技法の細密画(ミニアチュール)

 今回の「古書の愉しみ」は、いよいよ そのバルビエ(1882-1932)の挿絵本を紹介します。いわば、真打登場といったところです。できるだけ多くの挿絵ページを用いながら、愛書家のための典型的なフランスの「挿絵本」とはどんなものかを お伝えしようと思います。
 といっても、挿絵本というのは、先に絵があるわけではありません。まず詩集なり小説なりがあり、それに感興を得た画家が挿絵を描く、あるいは出版社が画家に挿絵を依頼するわけです。バルビエが活躍した20世紀初めのフランスの流行作家の一人に、アンリ・フランスワ・ジョセフ・ド・レニエ(Henri-François-Joseph de Régnier, 1864-1936)が いました。日本の夏目漱石と同世代の人で、3年早く生まれましたが、短命だった漱石よりも25年 長生きをしたので、多くの作品を残しています。

 バルビエはレニエの本を4冊も 挿絵本にしています。『罪の女』(1924)、『二重の愛人』(1928)、『ブレオ氏の色懺悔』(1930)、そして『逃避行』(1931)です。これらはいずれもA.&G.モルネー書房の「美麗本」叢書(La Collection "Les Beaux Livres")として出版されましたから、出版社からバルビエに挿絵を依頼したものだと思われますが、バルビエはレニエの小説を好んだらしく、どれも じっくりと読み込んで、きわめて内容に忠実な挿絵群を制作しています。

 その中でも最も長編の小説で、また最も多くの挿絵が挿入されているのが、今回とりあげる『二重の愛人』(La Deuble Maitresse)です。モルネー書房は、当時の愛書家のための、ポシュワール技法によるカラフルな挿絵をたっぷり入れた本を「美麗本」(Les Beax Livres)と呼んでシリーズ化したのでしょう。『二重の愛人』は、その 44冊目でした。ただ、何度も書いてきたとおり、出版社はそれらを 簡易表紙の「仮綴じ本」として出版し、それを購入した人が、製本(ルリュール)工房に持ち込んで、それぞれに好みの革装幀と製本をしたわけですから、出版社は 表紙を飾り立てて「美麗本」にしたわけではありません。あまり豊かでない読者は、ずっと仮綴じ本のままで所有していたことでしょう。幸い、私の所有するのは、まことに豪華に革製本されたものですから、名実ともに「美麗本」だと言えます。
 また、レニエの小説には「現代物」と「時代物」の2種がありますが、これは18世紀を舞台とした「時代物」なので、装幀もそれにふさわしく 古典的なデザインになっています。

『二重の愛人』
アンリ・ド・レニエ『二重の愛人』の革製本の表紙


アンリ・ド・レニエ

 アンリ・ド・レニエは 詩人として出発しました。マラルメの弟子なので、ポール・ヴァレリーとも親しく、毎週火曜日のマラルメの家の詩会に ヴァレリーとともに出席したようです。その一方では 詩人 ホセ・マリア・ド・エレディアの影響も受け、その娘のマリーと結婚しました。マリーもまた詩人・小説家となり、筆名としてジェラール・ドゥヴィルという男性名を使っていました。今回の『二重の愛人』は、前扉と本扉のあいだのページに 'A Marie de Régnier'(マリー・ド・レニエ に)と妻への献辞が書かれています。
 よほど しっくり行っていた夫婦なのかと思うと、実はマリーは 結婚数年にして、『ビリチスの歌』や『アフロディテ』の著者として名高いピエール・ルイスと恋仲になり、ずっと愛人関係を続け、夫のアンリ・ド・レニエも公認していたようです。こうしたことがよくあったらしいことが、世界に冠たるフランス恋愛心理小説の土台だったのかもしれません。(バルビエは『ビリチスの歌』の挿絵本も作っていて、彼の代表作の一つに数えられています。)

二重の愛人
『二重の愛人』の仮綴じ本の時の表紙

 アンリ・ド・レニエは若くして詩人として名をなし、26歳のときの 1885年に 処女詩集『Les Lendemains』(挙句の果て)を出して以来、19世紀のうちに7冊もの詩集を出版しましたが、世紀末から小説も書き始めます。詩人と小説家の両輪を生涯貫いて、出版した小説の数は 20数冊と言われます。1911年にはアカデミー・フランセーズ(フランス学士院)の会員に迎えられました。
 その盛大な作品の量にもかかわらず、日本で翻訳出版されたのは ほんの数冊にとどまったので、今では 日本で その名を知る人は 多くないことでしょう。日本の文人では、永井荷風(1879-1959)が レニエに ぞっこん惚れ込んだことが知られ、33歳の時(1912年)の随想「文芸読むがまゝ」には次のように書いています。

「仏蘭西象徴詩家の中にて われは最も アンリイ・ド・レニエーを愛誦す。詩人として又 小説家としてのレニエーの作品は、久しく高踏派の詩と写実派の小説のみ親しみしわれに向ひて 其の時までは心付かざりし 新しき感興の源泉と、異なりたる制作の方法とを示したる のみならず、又其の作品中には われの正に感じて云はんとせし処のものを、彼は すでに二十年前に於て、一層深き思想の根底に立ちて、最も完全なる形式中に これを表現せるが故なり。」
「レニエーは想ひを澄す観念の泉に 憂愁の微光の漂ひて、其の映ずる影の はかなくも又清く美しく穏やかなるさまを歌ひて 恍惚自失の境に人を導かんとす。」

それらはレニエの詩について語っていますが、彼の小説については、次のように記しています。

「レニエーの小説に現れし哀愁を帯びたる滑稽趣味は、夏目先生と森先生の小説に於ても 同じくこれを味わひ得べし。老練なる作家の円熟したる観察と穏健なる筆致の赴く処は、皆それ かくの如きか。」
「レニエーは常に過去を夢みて独り淋し気に微笑める詩人なり。科学と民衆主義の時代的特産物とも云ふべき 成金党の跋扈(ばっこ)は到底 其の堪ふる処にあらず。」

 
『二重の愛人』
『二重の愛人』第3部 285ページの挿絵


『 二重の愛人 』

 荷風はレニエの小説に 夏目漱石と 森鴎外を引き合いに出していますが、私が『二重の愛人』を読んだ印象では、むしろ レニエより一世代若い 谷崎潤一郎や 石川淳を思い起こしました。フランス文学者の 志村信英氏も 次のように書いています(『碧玉の杖』の「訳者後記」1984、国書刊行会)

「二十世紀になってからの長短編集の主題は、不能者もしくはそれに近い男性を主人公としての倒錯的な愛欲、女の絵や彫刻を愛して、じかの女体を避ける性向・心理、また愛によって女に支配される男の隷従やプライドによる葛藤などであるが、これらはまだこの世紀末の初期散文には現れていない。これは前触れなしに『二重の情婦』(1900)で突然、そして決定的に現れることになる。」

 そう、この小説の第3部は、谷崎潤一郎の『痴人の愛』に似ていると言えないこともありません。また、枝葉のエピソードを次々と発展させて含蓄深く語るのは、アナトール・フランスや 石川淳の同類です。
 『二重の愛人』は、レニエの最初の長編小説で、1900年に、当時の代表的文芸出版社であるメルキュール・ド・フランス社から出版されました。レニエ 36歳の時です。私が所有するのは、前述のように 1928年に A.&G.モルネー書房から「美麗本」叢書の一冊として出版されたもので、18世紀を舞台とする 堂々 400ページの ぶ厚い小説で、上記の人々が語っていたような「人生の悲哀と憂愁」を感じさせるロマンであり、またペシミズムと滑稽さが全編を支配する物語です。

二重の愛人
『二重の愛人』第1部の内容

  『二重の愛人』を紹介するにあたり、挿絵本としての魅力を伝えるのを主目的として、小説の内容は ざっと要所に目を通すだけで、書き上げるつもりでいました。ところが、気になったのが書名です。この小説は翻訳されていないので、たやすく全編を読むことができません。題名だけは、何人かの人が レニエについて語った折に、 “La Double Maitresse” という原題を日本語にしているのですが、それらは「二重の愛人」、「二重の恋人」、「二重の情婦」と さまざまです。一体どれがこの小説に一番ふさわしいのか、あるいはもっと適訳があるのか、あちこちを拾い読みするだけでは わかりません。そこで、小説を読む面白さもあって、全3部のうちの第1部全体を通読したのですが、やはり わかりません。そこで第2部も読みましたが、未だしの感です。ついに第3部まで全巻を読み通してしまいました。さすがに400ページもの大冊をフランス語で読むのは 時間がかかり、先月「古書の愉しみ」に載せる予定だったのが、1ヵ月も遅れてしまいました。

 これが レニエの最初の長編小説だったがゆえに 構想が十分に固まらなかったのか、あるいは この少々変わった形式が狙いだったのかは 不明ですが、第1部、第2部、第3部が それぞれ別の物語のようにも見えます。最後の「エピローグ」を読むと、各部の関連性は 解るようになってはいるのですが、読んでいる途中は、奇妙な印象がありました(誰が主人公なのか、なかなか わからないのです)。主人公(といえるのかどうか)は、ニコラ・ド・ガランドという、地方の小貴族が、第1部ではその幼年から青年時代を、むしろ その母を中心に描かれ、また従妹のジュリーへの恋心が語られますが、第2部には登場せず、そのニコラの遺産を受け継いだ遠縁の甥のフランスワ・ド・ポルトビーズと、かつてニコラの家庭教師だった ユベルテ神父 および、彼が養育する清純な孤児のファンションが 主要人物です。第3部は時間を さかのぼり、ローマに住むニコラの晩年の みじめな人生が語られ、逆にフランスワは出てきません。

二重の愛人
『二重の愛人』第2部の内容

 それでは「ラ・ドゥーブル・メートレス」という題名はどう訳すべきなのか、一体全体誰をさしているのか、ということが、最後までよくわからないのです。本文中にこの語が出てくるのはただ1ヵ所、ニコラが奴隷のように仕える、悪党アンジョリーノの愛人のオランピアを指しています。しかし、全体の主人公とも言えないオランピアを形容する語を 本の題名とするのも いかがなものか。
 あるいは、ニコラが若き日に想いを寄せた従妹のジュリー(その息子がフランスワ)と、晩年にニコラを翻弄する娼婦のようなオランピアの二人を、一つの人格の二つの顕れとして La Double Maitresse と呼んだのだろうか、とも考えましたが、メートレスは単数形の Maitresse なので、それも奇妙かなという気がします。「二重」の意味も はっきりしないまま、とりあえず 日本語の題名は『二重の愛人』としておくことにしました。
 ともかく これは勧善懲悪の物語ではなく、20世紀的な「悪の華」のような物語だとも言えるでしょう。レニエは 若い頃にボードレールを愛読したようですが、レニエの詩は どちらかというと高踏的、抒情的な形式美を探究していたようですから、それとは異なった一面、人間の持つ狂的な要素は 小説で表現したかったのかもしれません。

二重の愛人
『二重の愛人』第3部の内容

 この物語を、ジョルジュ・バルビエは たいへん魅力的に挿絵にしました。バルビエの挿絵には ユーモアがあり、エロティシズムがあり、描写の巧みがあります。それらは「古書の愉しみ」の第7回「青い鳥」で説明した、版画の一種である ポシュワールの技法で 直接彩色されていて、今も鮮やかな発色が保持されています。34点の挿絵のほかにも、全 40章の各章の章頭の 飾り文字(レトリーヌ)の絵が楽しく、「挿絵本」の愉しみを十分に味わえる読書でした。私の書架を飾る 重要な一冊です。

レトリーヌ
『二重の愛人』レトリーヌ集


発行部数と番号

 本の最後のページには、日本の奥付にも似て、本の発行部数や仕上げなどが詳しく書かれています。それによると、『二重の愛人』の発行部数は 1,000部で、用紙の種類によって等級が分かれていました(当然、本の値段がちがっていたのでしょう)。本には通し番号が振られていて(私の本は No. 113)、その No.1は日本の古代紙(つまり手漉き和紙ということ?)に印刷され、すべての挿絵のオリジナルの水彩画を組み込んだとありますから、レニエかバルビエの保存用だったのでしょう。

 従って、市販用は 999冊でした。No.2から No.66の 65冊は日本の帝国紙を使ったとあります。多くの挿絵本は数冊、あるいは数十冊を特別製としてジャポン紙を使うことがよく行われました。しかし、「古代紙」とか「帝国紙」とか「局紙」とかが 実際にどのような紙質だったのか、私は見たことがないので、わかりません。局紙というのは、紙幣の印刷用の、造幣局の紙だと読んだ記憶があります。要するに、最も発色がよく、腰の強い手漉き紙だったのでしょう。
 No.67から No.111の 45冊はオランダの Van Gelde 紙を用い、モノクロの挿絵が一式付いていたそうです。No.112から No.161の 50冊がモンヴァル紙で、私のものが ここに入る No.113 です。No.162 から No.1000の 839冊(つまり 大多数)は、リーヴ紙(ポシュワールに用いられる 最もポピュラーな紙)が使われました。
 このほかに番号のない 75部が 関係者用として作られました。これも 紙種によって4段階に分かれ、日本紙が10部、オランダ紙が5部、モンバル紙が5部、リーヴ紙が 55部だったそうです。

『二重の愛人』
『二重の愛人』第2部、285ペ−ジ、日本趣味(ジャポニスム)の挿絵

 ところで、私のものを含む No.112から No.161の 50冊は、ブエノスアイレス(アルジェンチン)の VIAU Y ZONA 書店用だと書かれています。実は、10年くらい前に私の本を購入したのは、ブエノスアイレスの古書店からでした。「南米のパリ」とも称された ブエノスアイレスには、「愛書家」が多く存在したのかもしれません。私の本の革製本をしたのも、ブエノスアイレスの 製本(ルリユール)工房だったのでしょう。




挿絵の呼称

 最後に、フランス語での 挿絵の呼び方について、少し解説しておきましょう。『二重の愛人』の、上述の最終ページは、次のようになっています。

 珍しいレイアウトの一番下に、小さなキュ・ド・ランプ の挿絵が付けられています。このページは 本全体の終わりとして、印刷部数などを伝える文が 逆三角形に組まれています。その一番下に 小挿絵がありますが、これが 本来の「キュ・ド・ランプ」Cul-de-lampe の 作り方です。キュ・ド・ランプ というのは 建築用語からの転用で、下図のように、アーチを壁で受けるときに、アーチの下端を逆三角錐状にして 装飾をほどこすことから、本の最後の部分も この形をまねて 逆三角形に活字を組み、小挿絵で締めくくったので、これをも キュ・ド・ランプ と呼ぶようになりました。

       

 Cul-de-lampe とは、文字通りには「灯りの底部」の意で、燭台(シャンドゥリエ)のことですから、もともとは 逆三角錐状の「ローソク立て」の形からの類想で こう呼ばれたのでしょう。(3枚の写真は ウェブ・ページからの借用)。下の写真は、暗い家(館)の中を歩く時の 手持ちローソク立てです(人差し指で持ち運ぶ)。ここから転じて 書物においては、形が逆三角形状でなくとも、本の 章や節の 最後に添えられた小挿絵を そう呼ぶようになりました。さらには 挿絵本における、ページ大のもの以外の すべての中小挿絵を 「キュ・ド・ランプ」 と呼ぶこともあります。


 このキュ・ド・ランプ に対して、章や節の冒頭、天端にある挿絵は「ヴィニェット」Vignette と呼びます。(下の図は、ランボー『全詩編』より)


 本来は単純な唐草模様の飾りで、葡萄(ぶどう)の蔓と葉をあしらった図案が多かったことから、そう名付けられました。(葡萄の木は ヴィーニュ Vigne なので、葡萄の一枝を ヴィニェットということから。)( -エット -ette というのは「小さい」という意味の接尾辞です。歌はシャンソン Chanson で 小唄を シャンソネット Chansonnette、葉巻はシガール Cigare で 紙巻たばこを シガレット Cigarette というごときです。)
 ここから転じて、ページの冒頭にある 小型彩色挿絵も ヴィニェットと呼ぶようになり、さらには、ページ大ではない中小挿絵を すべて「ヴィニェット」と呼ぶこともあります。また、ページの頂部にある挿絵を、わざわざ Vignette en-tête(頭部のヴィニェット)として、単に「アン・テット」と略して呼んだりもします。
 ややこしいですが、要するに 本文ページに組み込まれた 中小の挿絵は、「キュ・ド・ランプ」とも「ヴィニェット」とも 呼ばれるわけです。

 それら 文字ページの中の中小挿絵に対して、本文の活字とは組み合わせずに、1ページ分の大きな独立的な挿絵としたものは、「オール・テクスト」(hors-texte 本文の外)と呼びます。『二重の愛人』には、「フロンティスピス」(frontispice 巻頭の口絵)を含めて、5点があります。この場合は、裏が印刷されない白紙のままのことが多いのですが、この『二重の愛人』の場合には、フロンティスピス以外はすべて裏も印刷されています。
 活字印刷と、手作業によるポシュワール画を組み合わせるのは、同じページであれ、裏表であれ、ずいぶんと手の込んだ、複雑な工程を経たことでしょう。「古書の愉しみ」の第8回で紹介した『七日物語』の場合には、挿絵はすべて大型のオール・テクストで、裏は印刷なしでしたから、作業はずっと単純だったと言えます。もっとも、より画集に近くなりますから、彩色も高度化し、各挿絵に 薄紙の保護紙をつけたりもしますが。


『二重の愛人』
『二重の愛人』「エピローグ」、388ペ−ジの挿絵
オール・テクスト、13×10cm、ジョルジュ・バルビエ
ポシュワール技法の細密画(ミニアチュール)


● 今日の日本で、大人向きの文学書(小説)に、このような 手彩色の挿絵や版画を たくさん添えた豪華本をつくるということは あまり ありませんが、100年前のフランスでは、そのようなことが行われ、またそうした高価な挿絵本を買う人たちが多く いました。それこそが、愛書家の時代、ベル・エポック(Bell Epoque よき時代)だったのです。(世界大恐慌によって瓦解するすることになるのですが。)

(2015/12/01)



< 本の仕様 >
 アンリ・ド・レニエ著、ジョルジュ・バルビエ画  Henri de Régnier + George Barbier :
   『二重の愛人』 "LA DOUBLE MAITRESSE"
   A. & G. Mornay Éditeurs, Paris, 1928 , パリ、A. & G. モルネー書房、1928年
   「美麗本」叢書(La Collection "Les Beaux Livres")の第 44冊目として刊行。
   (文字本の初版は 1900年 メルキュール・ド・フランス社、再刊は1945年 アルカン・シェル社
   20.5cm x 15.5cm x 4.5cm、418ページ、ポシュワール画 ページ大4葉、
    ビニェット 30点、キュ・ド・ランプ 6点、レトリーヌ 40点挿入
   モロッコ革製本(ハーフ・レザー)、濃紺色、天金、他はアンカット、
   平と見返しは 濃紺マーブル紙、重量:920g

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