第5章
EPILOGUE, FRANCE

エピローグ

神谷武夫


M・V・ネーステロフ『少年ヴァルフォロメーイの夢』

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 後半生をフランスで過ごした哲学者・森有正 (1911-76) は『バビロンの流れのほとりにて』(1957年, 筑摩書房刊)の中に、1956年にパリで出会った モノ・ヘルツェンという美学者のことを書いている。

 ここ 2週間ほど、モノ・ヘルツェン氏のことで、僕の精神は殆ど完全に奪われてしまった。僕の精神生活の今、この時、この偉大な学者で芸術家である氏に邂逅(かいこう)したことは、実に大きい出来ごとだった .... 氏は 80歳をすぐる老齢であるが、今なお孜々(しし)として仕事にいそしむ美学者で、金属彫刻家である。 その畢生の大著である『形態原理』は、1896年、科学学士院(アカデミ・デ・シヤンス)に その最初のエスキスが提出されて以来、思索に思索を重ねた、半世紀に及ぶ労作であり、1927年 初版が出て以来、さらに推敲に推敲を重ね、本年 1956年、ゴーチエ・ヴィラールから 改定新版があらわれた。

 この モノ・ヘルツェンこそ、アレクサンドル・ゲルツェンの孫にあたり、この時 83歳になる老学者であった(当のゲルツェンが生れたのは、今から 200年も前のことになる)。その系図をたどると、

 ドイツにおける女性運動の草分け、マルヴィーダ・フォン・マイゼンブーク (1816-1903) は、ドイツを追放されると イギリスに亡命して ゲルツェンと知り合い、その娘 オリガの家庭教師となる。彼女は翻訳で糊口をしのいだので、『過去と思索』の ドイツ語への翻訳もやっている。ゲルツェンが最愛の妻 ナターリヤに先立たれたあと、マルヴィーダは オリガの養育を引き受け、晩年は オリガとともに フィレンツェに住み、ニーチェやワグナーとともに 女性教育の施設の計画もした。
 その オリガと結婚したのは、フランスのミシュレ門下の歴史学者で、高等師範(エコール・ノルマル)の教授をつとめた ガブリエル・モノ (1844-1912) であった。二人の間にできた息子が、森有正の知己となった モノ・ヘルツェン (1873-1962) である。したがって これは姓・名ではなく、父方の姓と母方の姓を足したものである。正しくは エドワール・モノ=ヘルツェンという。さらにその息子が ガブリエル・モノ=ヘルツェン (1899- ?) で、錬金術の本から インドのシュリー・オーロビンド伝に至るまで 多彩な著書を出版している。
 ちなみに、『ジャン・クリストフ』を書いたロマン・ロラン (1866-1944) は、高等師範で ガブリエル・モノ教授の教え子であったが、その夫人のオリガに 養母のマルヴィーダ・フォン・マイゼンブークを紹介され、ローマ留学時代に この 50歳上の老婦人と親交を結んだ。二人の間の文通が、後に『マルヴィーダへの書簡集』として出版されたことは よく知られている。

 ここで ゲルツェンが ヘルツェンと書かれているのが 不思議に思われるかもしれない。ゲルツェンは ロシア語では ГЕРЦЕН で、ローマ字では GERZEN あるいは GERTSEN と綴られる。しかしゲルツェンは 父親 イワン・アレクセーエヴィッチ・ヤーコヴレフと ドイツ娘 ルイザ・ハーグとの間に生れた庶子であり、父はこの子に ドイツ語の ”HERZ”(ヘルツ、心)に由来する ゲルツェンと名づけた。そのせいであろう、ゲルツェンはイギリス時代に名前を HERZEN と綴り、ヘルツェンと読ませた。今でも、英語では ヘルツェンである。

 私が 初めてヨーロッパを旅することになった時、建築を見てまわるのとは別に、ここだけは訪ねようと 心に決めた所が2ヵ所あった。ロンドン郊外の ダリッチ・カレッジの美術ギャラリーに レンブラントの絵『窓の少女』(矢代幸雄の『太陽を慕ふ者』を読んだ方なら ご存知だろう)を訪ねるのと、パリのペール・ラシェーズ墓地に ゲルツェンの墓を訪ねることだった。パリへの一般の観光客は めったに墓地などに行かないだろうが、19世紀初めにつくられた この広大な墓地は まことに美しく整備され、古くは アベラールとエロイーズの彫像が並んで横たわる ゴチック様式の墓から、近代の芸術家、モジリアニやショパン、バルザックやプルーストの墓まで散在し、快い散策の場所である。さらに墓地の東南隅には、大仏次郎が『パリ燃ゆ』(新装版, 2008, 朝日新聞社)で書いた、パリ・コミューンの最後の市民が虐殺された場所があり、そのメモリアル・プレートが 塀にかかげられている。

パリ・コミューンの碑

 墓地は たいへんに広く、7世紀にもわたる墓群が立ち並んでいるので、目当ての墓をさがすには ビュロー(事務所)で調べてもらわねばならない。2階建ての こじんまりした家が ビュローであった。ところが ”ゲルツェンの墓” と言っても 通じないのである。埋葬されたのは 何年か、と問われて、そこまでの用意はなかったので、その日は他の人たちの墓をまわって 引きさがった。
 言われてみれば、100年以上も前の墓である。外国人の名前を聞いただけで わかるはずもないだろう。翌日 カルチエ・ラタンの書店をまわると 大きな「思想家辞典」があったので、これで没年を控えることができたが、その時 ゲルツェンのつづりは HERZEN であることに気がついた。フランス語読みをすれば エルザン である。

 そこで パリの最終日に 再びペール・ラシェーズ墓地の ビュローへ行き、「アレクサンドル・エルザン、1870年に埋葬」と伝えると、白髪の老官吏が うなずいて調べ始めた。こちらの古い机の引き出しのカードを調べていたかと思うと、あちらの本棚に はしごをかけて大きな 製本した古文書のほこりを払ってめくり、次はむこうの棚の書類を調べと、えらく時間がかかる。どうしたのかと思っていると、老人が 唖然としたような面持ちで こちらに来て、「エルザンの墓は 移設されている、ニースへ」と告げるのである。
 そうだったのか、これだけ苦労したが、南仏のニースでは もう行くことができないな、と ゲルツェンの墓参りはあきらめた。あとで わかったことだが、ゲルツェンの墓は 埋葬の翌年に、妻・ナターリヤの墓のある ニースのシャトー墓地に、子供たちが改葬したのだそうである。

 私があきらめた年の3年後の 1977年、まだ党地方委員会の第一書記だった ソ連のゴルバチョフは、ニースのゲルツェンの墓を訪ね、花束を捧げたという。彼がおこなった ”ペレストロイカ” や ”グラスノスチ” には、ゲルツェンの『コロコル』や『過去と思索』が 念頭にあったのかもしれない。



 イギリスの思想史家・アイザイア・バーリン (1888-1989) は、早くから ゲルツェンの研究・紹介をしているが、1993年に翻訳された『ある思想史家の回想 (アイザイア・バーリンとの対話)』(I・バーリン, R・ジャハンベグロー,河合秀和訳,1993,みすず書房)でも、現在 ゲルツェンの『過去と思索』が広く読まれるべきであることを力説している。この訳書においては タイトルが『私の過去と思想』となっているのは、どうやら訳者は これが日本語に翻訳されていたことを知らなかったらしく、英訳書の題名が “My Past and Thoughts” とされていることから、こう訳したらしい。
バーリンはその中で、『過去と思索』について 次のように語っている。

 『過去と思索』は、天才の著作です。そこには 19世紀全体を通じて もっとも素晴らしい回想が含まれています ---- ルソー以来、最良の自伝であることは確実です。むしろ私は、いくつかの点では ルソーよりも優れていると思います。比類のない傑作です。

 私もまた、ゲルツェンの回想録が 大いに読まれてほしいと思っているので、ここでは その訳書と、このサイトで取り上げた本や DVD の 紹介をしておきたいと思う。若い人たちに広く読まれることを願って。

● 『過去と思索』アレクサンドル・ゲルツェン,金子幸彦訳,「世界文学大系」第 82, 83巻,筑摩書房,1964, 1966年発行。 鮮やかな朱色の表紙で知られた文学全集で、この巻は ロシア文学者・金子幸彦 (1912-94) の名訳である。古い本だが、最も定評のある世界文学全集だったから、古くからの図書館には 今でもこれを備えているところが多いので、目録を検索してみるとよい。古書店には時々、上下巻あわせて4〜6千円で出ている。文学全集に収める制約があったので、全訳ではなく、第6部まで(全体の約 85%)の訳である。上巻の巻末に、バーリンの「アレクサンドル・ゲルツェン」論が収録されている。


『過去と思索』世界文学大系版の函

● 『過去と思索』完訳版,アレクサンドル・ゲルツェン,金子幸彦+長縄光男訳,全3巻、1998〜99年,筑摩書房,各 9,800円。1999年の翻訳出版文化賞を受賞したにもかかわらず、すでに絶版になってしまったので、古書店で買うか、図書館で借りるほかない。
 金子幸彦なきあと、長縄光男によって第 7部と第8部が翻訳されて全訳となったが、正直言うと、この最後の2部はそれほど面白くなかった。しかし長縄光男 (1941- ) の 28ページにわたる解説「ゲルツェン― 時代・人・思想」は素晴らしい。最良のゲルツェン論として 一読をおすすめしたい。 このサイトの第2章「アレクサンドル・ゲルツェン」をあまり詳しく書かなかったのは、この長縄光男の解説を読めば 足りるからである。また、世界文学大系版にはなかった 詳細な索引がついているのは、非常に便利である。


『過去と思索』完訳版 第1巻

● ゲルツェンの他の著作としては、かつて現代思潮社から『向こう岸から』が出ていた(外川継男訳,1970年,現代思潮社・古典文庫)。これは、当時のヨーロッパの社会情勢を知らなければ、それほど読みやすくは ないだろう。しかし彼の代表的著作に数えられている。

● 岩波文庫からは『19世紀におけるロシアの革命思想の発達』 (金子幸彦訳,1971年) が出ていたが、私は、なぜ岩波文庫に『過去と思索』をいれないのかを、昔から いぶかしく思っている。「いやしくも万人の必読すべき 真に古典的価値ある書」として、これほどふさわしい書物は ないであろうに。

● 私が ロシア文学とは縁遠くなってしまったあと、森宏一の個人訳で『ゲルツェン著作選集』全3巻が 同時代社 から出版された。しかし 私はまったく見ていないので、申し訳ないが よく知らない。収録内容だけを書き写しておく。 第1巻(モスクワの若い世代、学問におけるディレタンティズム、自然研究についての手紙)、第2巻(続・自然研究についての手紙、向う岸から)、第3巻(ロシア、ロシアにおける革命思想の発展について、ロシア国民と社会主義、エヌ・オガリョーフへの手紙、古い同志への手紙),1985〜86年,各 3,600円。

● 一橋大学の 社会科学古典資料センターには「ベルンシュタイン・スヴァーリン文庫」というのがあり、そこには『コロコル』誌のバックナンバーが ほとんど完全にそろっている ということである。この文庫の内容については 当時の担当教授の細谷新治が 大学図書館(伊東忠太設計の ロマネスク様式の建物)の広報誌『鐘』(!) に書いていて、それはウェブ上で読める。

< ベルンシュタイン=スヴァーリン文書 (1) >

● 『ロシア建築案内』リシャット・ムラギルディン,2002年,TOTO出版,3,333円。近代の建築に重点が置かれているので、古典建築の紹介は やや もの足りないが、オールカラーの充実した内容が この定価というのは、まことに安い。ロシアの建築文化について知るには必携。


リシャット・ムラギルディン『ロシア建築案内』

● アレクサンドル・ヴィトベルクと「救世主聖堂」のコンペについては ロシア語のウェブ・サイトがいつくかあり、そこに掲載されている図面を 今回 使用させてもらった。

< КАФЕДРАЛЬНЫЙ СОБОР ПАТРИАРХА МОСКОВСКОГО >
< Витберг Александр Лаврентьевич >
< ХРАМ ХРИСТА СПАСИТЕЛЯ >

● 『林達夫著作集』1971〜72年,平凡社。芸術・哲学から政治に至るまで 幅広く論じた、ルネサンス的文化人の著作集。読書の楽しみを満喫させてくれる。 第1巻「芸術へのチチェローネ」、第2巻「精神史への探求」、第3巻「無神論としての唯物論」、第4巻「批評の弁証法」、第5巻「政治のフォークロア」、第6巻「書籍の周囲」。すでに絶版となっているが、抜粋版が「平凡社ライブラリー」で出ている。『林達夫セレクション』第1巻「反語的精神」、第2巻「文芸復興」、第 3巻「精神史」,2000年,各 1,300円。 岩波文庫には『林達夫評論集』1982年, 700円があり、中公文庫には『歴史の暮方』1976年, 650円 がある。

● 『ロラン=マルヴィーダ往復書簡 1890-1891』南大路振一訳,1988年,みすず書房,2,600円。マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークとロマン・ロランは 700通にのぼる手紙を交わしたというが、そのうち初期の、ロランがローマに留学していた時代の 140通で、諸芸術やイタリアの諸都市が語られている。マイゼンブークの自伝『一理想主義者の回想』は翻訳されていないが、この書簡集の編者でもあった シュライヘアによる伝記が出版されたことがある。『マルヴィーダ・フォン・マイゼンブーク』ベルタ・シュライヘア,片山敏彦訳,1957年,みすず書房。だいぶ古い本なので入手困難、図書館でさがしてほしい。

● 『ロシア美術史』A・F・ゾートフ著,石黒寛, 濱田靖子訳,1976年,美術出版社,12,000円。 これも日本翻訳出版文化賞を受賞したが、今は絶版となっているので、図書館で借りて読んでいただきたい。 日本語で読める 唯一のロシア美術史である。中世から近世にかけては建築を多く扱っているが、近代になると大幅に建築の記述が減ってしまうのが難。このサイトに たびたび図版を転載させていただいた。

● 『丹下健三』 丹下健三+藤森照信,2002年,新建築社,28,500円。これも値段の高い本であるが、現在までに書かれた ”昭和建築史” の最も優れた成果であり、また日本における最も質の高い建築作家論であるので、図書館で借りるなどして、ぜひ読んでいただきたい。 唯一 腑に落ちないのは、丹下健三が代々木の体育館という最高傑作を作り上げたにもかかわらず、その直後から国内の仕事がパッタリ途絶えてしまったということで、その原因が何であったのかが解明されていれば、さらに充実していたろう。ついでに言うなら、この浩瀚な本は 後世、昭和建築史を研究する人たちが 大いに利用するであろうのに、なぜ索引を付けなかったのだろうか? 不思議。


丹下健三+藤森照信『丹下健三』

● 『タルコフスキーとルブリョフ』落合東朗,1994年,論創社,2,500円。 タルコフスキーに関する本は多く出版されているが、私は映画論や映画批評の本は ほとんど読まないので、どの本がよいのか わからない。ただ 今回のテーマとの関連で この本だけを読んだ。感想は、もっと面白く書ける主題だったろうにと、少し残念な気もしたが、しかし映画の『アンドレイ・ルブリョフ』について知るには最も詳しい本だろう。著者がこの映画を見たのは 1974年 12月 8日、アート・シアターの新宿文化においてだったというが、私はその翌日、日劇文化においてだった。もう、40年近くも昔のことに なってしまったのだなあ。

● 『アンドレイ・ルブリョフ』アンドレイ・タルコフスキー監督,DVD,183分,アイ・ヴィー・シー,3,800円。3時間もの長編映画だが、すべての芸術家と芸術愛好家に、そして人間の運命に関心のある人に 見てほしい。しかし、もちろん DVDよりも 映画館の大スクリーンで見たほうが 圧倒的に感動するだろう。 このほかに タルコフスキーの映画の DVDは、『ノスタルジア』、『惑星ソラリス』、『ストーカー』、『僕の村は戦場だった』などが発売されているが、最高作は、遺作となった『サクリファイス』であろう。これも 是非見ていただきたい。

アンドレイ・ルブリョフ
アンドレイ・ルブリョフ』の DVD ジャケット

● イエジー・カワレロウィッチ監督の『戦争の真の終り』(The Real End of the Great War) は、日本では ビデオも DVDも出ていない。私が見たのは 大学生の時に一度だけ、『アンドレイ・ルブリョフ』よりも数年前、紀伊国屋ホールで ”ポーランド映画特集” の時ではなかったかと思う。

● ゲルツェンを主人公として、ロシア帝政期の革命家群像を描くドラマ、『コースト・オブ・ユートピア(ユートピアの岸へ)が、蜷川幸雄氏の演出によって、渋谷の Bunkamura、シアター・コクーンで 2009年に上演されました。それは、私の好きな映画「恋に落ちたシェイクスピア」の脚本を書いた トム・ストッパードの原作・台本によるもので、2002年にロンドンで上演されるや 大ヒットし、ニューヨークでも公演をして、数々の受賞をしたそうです。その日本語版、上演時間が9時間におよぶ超大作が、ついに日本初演となりました。
これを機会に、筑摩書房が ゲルツェンの 『過去と思索 』 を文庫本で出版し、広く若者たちに読まれるように してほしいものです。

コースト・オブ・ユートピア
『コースト・オブ・ユ-トピア』の上演ポスター


最後に、出版妨害されている 私の本 について。

 現在、21世紀の世界の動向を決定する上で 最重要な要素の一つとなっているのが「イスラーム」であるということは、誰もが認めるところでしょう。ところが日本では、そのイスラームが 政治や経済やテロの側面からばかり捉えられていて、文化への理解 がおろそかになっているのは、日本人にとってもイスラーム諸国にとっても、大きな不幸です。世界の平和をつくるのは、政治や経済面からの敵対意識ではなく、文化を通じての相互理解や共感からであるはずです。そして、偶像崇拝を否定することから 絵画や彫刻や舞台芸術を十分に発達させてこなかったイスラームの文化を代表するのは、建築と庭園 にほかなりません。
 こうした欠を補うべく、私はイスラーム諸国の建築の撮影を続け、『イスラーム建築』 という ビジュアルな概説書を書きましたが、執筆を依頼した彰国社は、最終段階になって 出版を拒否し、それは5年近く続いています。これは日本の建築界のみならず、あらゆる領域に影響力をふるうマフィアの圧力に、後藤社長とそのスタッフが屈してしまったからです。

『イスラーム建築』

 こうした言論の封殺が行われているのに、それを ジャーナリズムも学会も無視しているというのは、たいへんに 恐ろしい社会 です。どうぞ、このホームページを見た方は、このことを友人や知人、特に出版人やジャーナリストに この事実 を お知らせください。そして出版社の 彰国社 に 強く抗議の電話、FAX、メールをお送りください。ホームページや ブログを お持ちの方は、このことを お書きください。この HP へのリンクをお張りください。大学の教授や講師の方々は、学生たちに、このページを読むように勧めてください。
 こうした闇の構図が何十年も続いているのに、学者も評論家も出版人もジャーナリストも、マフィアを恐れて それに目をつぶっているこの国では、「建築家のプロフェッションの確立」など できるわけもありません。 建築家を志している若い学生諸君は、こうした日本の腐った建築界の現実を認識して、できれば外国へ出て行ったほうが良いでしょう。私の若い頃に比べれば、それはまったく自由で容易になりましたから。

● こうした状況について 詳しくお知りになりたい方、何とかしたい と思っている方、また 建築家のプロフェッションの確立について考えている方、どうぞ 私の事務所をお訪ねください。じっくりと お話をしましょう。ジャーナリストの方は特に歓迎ですが、学生さんでも 遠慮なく どうぞ。
神谷武夫建築研究所 〒114-0023 東京都北区滝野川 3-1-8-506 Tel : 03-3949-9409 



 さて、若き日に フランスのル・コルビュジエに学んだ 建築家の前川国男 (1905-86) は、「真に民主的な社会が実現しなければ、真に すぐれた建築も実現しない」と、常に語っていたように思う。だとすれば、真に すぐれた建築は 永遠に実現しないのかもしれない。しかし、前川国男が言おうとしたのは、その理想に向かって、一歩でも二歩でも進みえた 建築家と建築作品こそが優れている、ということだったろう。
 現代日本では、むしろ後退していく建築家ばかりが 多いのではあるまいか。言論に対して言論で戦わず、組織の力によって 言論の自由を封殺するマフィアの勢力に脅かされ、それに従属してしまうのは 大政翼賛会的社会というべきである。ゲルツェンが読まれねばならない という バーリンの主張は、そうした状況を指している。

 「良心」という言葉が死語になったこの国でも、自分や人をあざむいて生きていくのは やましいことだろう。会社の命令で嘘をついている人間の顔を見るのは、私も つらい。
 しかし、私も次第に ペシミスティックになってきた。この国には 人間の自由と尊厳を守ろうという意識が まことに薄いのではあるまいか。その苦い思いとともに、最後に プーシキンの 『エウゲニ・オネーギン』(金子幸彦 訳)の一節を引用して、このエッセイを終りにしたい。

若い頃に若々しかった者は 幸せである。
よき折に大人になった者は 幸せである。
人生の冷たさを、時と共に堪え通して、
世の常と異なる夢に おのが心を委ねることなく、
社交界の俗物どもを、
うとんずることもなく過ごした者は 幸せである。

けれど、おのれの青春を むなしく過ごし、
ことごとに それを裏切り続け、
またそれに欺かれたと考えるのは 悲しいことだ。
青春のこよなき願い、汚れなき夢の数々が、
さながら 秋に木の葉の朽ちるように、
次々に朽ち果てたと思うのは 悲しいことだ。

人生を儀式のように思いなし、
礼儀正しい俗物どもと、思いも望みも異にしながら、
その後ろからついて行くのは、味気ない限りだろう。



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