『 ジヨージアの 美術と建築 』 |
『ジョージアの美術と建築』 英語版、 1979年
今回採りあげる古書は、今から 42年前の 1977年にスイスで出版された、ルスダン・メピサシュヴィリとヴァフタン・ツィンツァゼ(Russudan Mepisashwili & Wachtang Zinzdze)というジョージアの建築家と建築史家の夫妻がドイツ語で書き、写真家のロルフ・シュラーデ(Rolf Schrade)が撮影した『ジョージアの美術と建築』("Die Kunst des Alten Georgien")の英語版です。三段組の詳しい本文、大型のカラーおよびモノクロ写真、それに大量の図面と、ぎっしりと内容のつまった、ジョージア美術の 理想的な一巻本の概説書と言えます。アリサ・ヤッファによる英訳版("The Arts of Ancient Georgia")は2年後の 1979年に、ロンドンの老舗出版社 テムズ・アンド・ハドスン社から 同じ体裁で出版されました(ジャケットのデザインのみが異なっています)。 ジョージアというのはアルメニアの北隣りの国で、以前はロシア語風にグルジアと呼ばれましたが、当事国からの要望もあり、今は日本の外務省でも 英語風にジョージアと呼んでいます。原著のタイトルは "Die Kunst des alten Georgien" であり、英語版のタイトルも "The Arts of Ancient Georgia" ですが、Ancient というのは時代的な「古代」を意味しているわけではなく、本書は古代から中世、近世までを扱っています。全310ページの内 258ページが中世の美術を扱い、古代は30ページにすぎません。『古きジョージアの美術』といったところでしょうか。また中世の美術の7割は建築を扱っています。 建築は美術に含まれますが、 'Art and Architecture' という語もよく使われるので、建築を主とする本書の内容からいって『ジョージアの美術と建築』という邦題にするのが適当と判断しました。
さて ジョージアといっても、どこにあるのか知らない日本人が大半ではないかと思います。アメリカに親しんでいる人は、アメリカ南部の ジョージア州を思い浮かべるかもしれません。『風と共に去りぬ』や マーティン・ルーサー・キングで知られる ジョージア州の名は かつてのイギリス国王 ジョージ2世に由来しますが、中東の「ジョージア国」は 名前の由来が 明らかではありません。4世紀にアルメニアに次いで キリスト教を国教にした国なので、その名前を、ドラゴンを退治する絵で名高い 聖ゲオルギウス(英語では聖ジョージ)に結びつける向きもあるようです。
では その位置を知るために、『アルメニアの建築』で用いた地図を援用して、ジョージアを黄色く塗ってみましょう。トルコとアルメニアの北隣りで、さらに北のロシアとは大カフカース山脈で仕切られ、西は黒海に面し、東はアゼルバイジャンに隣接している、ということがわかります。首都はトビリシ(かつての ティフリス)です。
ロシア語のカフカースは、英語ではコーカサス Caucasus と言います。大国ロシアとトルコ、イランに はさまれる三つの小国 ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンは 「コーカサス三国」と呼ばれ、アゼルバイジャンがイスラーム国であるのに対して ジョージアとアルメニアはキリスト教国で、建築的にも兄弟関係にあります。このコーカサス三国をヨーロッパに含めるか、あるいは西アジアに含めるかは議論のあるところで、正式な取り決めはなく、あいまいになっています。 ソ連の崩壊による独立後、アルメニアはロシアとは友好的ですが、ジョージアはロシアと国境を接しているために、 国境紛争やチェチェン紛争などを通じて やや敵対的です。上述のように どちらかというとアルメニア人のほうが建築的民族なので、私はアルメニアの方をより重視してきたわけですが、『アルメニアの建築』のサイトで『アルメニア建築ドキュメント』の本のシリーズを紹介しましたので、今回の「古書の愉しみ」では『ジョージアの美術と建築』を採りあげることにしたわけです。
といっても両者は切り離せないので、まず、アルメニアとジョージアの美術と建築が、どのようにヨーロッパや諸外国に知られてきたのかを、この 100年間の欧米における出版活動を通して 見てみましょう。以下は それぞれの美術や建築を全般的に紹介、ないし研究した本の 年代順の配列です。
●『アルメニアとヨーロッパの建築芸術 』上下2巻、独語版、1918年
今から 100年前にオーストリアの美術史家 ヨーゼフ・ストルジゴフスキ (1862-1941, Josef Strzygowski) が、西欧人で初めてアルメニア建築に興味をもち、現地調査の上 じっくり研究して、第一次大戦直後の1918年に出版した『アルメニアの建築芸術とヨーロッパ 』 上下2巻です。これはアルメニア建築を深く研究し 丹念に著述した最初の本であり、記念碑的出版ですが、その時期というのは、チャールズ・フェローズ(1799 -1860)が初めてリュキアの文化史跡を探求して『小アジア紀行』に纏めたよりも 80年後にあたり、ジェイムズ・ファーガスン(1808-86)が『インドと東方の建築史』の初版を出版したよりも半世紀後になりますから、考古学的には 比較的新しい、20世紀の本ではあります。
しかし この本はドイツ語で書かれていて、ついに英訳されなかったために、私は読めません。そういう人たちにとって 大いに益になるのが 、20世紀の掉尾に書かれた 次の本です。
●『中世のアルメニア建築、人種と民族の構築』 英語版、2001年 アルメニア系アメリカ人の女流美術史家、新進気鋭のクリスティーナ・マランツィが 2001年にイスラエルのヘブライ大学・アルメニア研究叢書('Hebrew University Armenian Studies )の第2冊として出版した『中世のアルメニア建築』です。これは建築史というよりは「建築史史」の学術書で、カラー写真などは無い代りに、その幅広い語学力を駆使して ストルジゴフスキの業績と その著作『アルメニアの建築芸術とヨーロッパ 』について特に詳しく解説し、論じています(勿論 トラマニアンやバルトルシャイティスについても 書かれています)。ペーパーバックの軽装本ながら、大変優れた本です(図版 15で、ジョージアのサムタヴィシの聖堂を アルメニアのハフパトの聖堂と取り違えるようなことは あるにしても)。
以下に ほぼ年代順に配列する書籍群は、その両者(ストルジゴフスキの本と マランツィの本)の間の一世紀近くの間に出版されたものです。アルメニアやジョージアの美術や建築を 全体的に扱った本を選んでいます。
●『アルメニア建築史探究 』アルメニア語、第1巻 1942年、第2巻 1948年
アルメニア建築史の父は、アルメニア人のトロス・トラマニヤンです。ストルジゴフスキより2歳若いだけの、全くの同時代人ですが、生前に大きな本を書かず、その没後に(ストルジゴフスキの本の24年後に)出版された この本も 全編アルメニア語なので、欧米では ほとんど知られませんでした。アルメニア建築の研究ではストルジゴフスキよりも先行し、彼をアルメニア建築に導いたのもトラマニヤンでしたが、ドイツ語で書かれたストルジゴフスキの本が有名になってしまったので その陰に隠れ、トラマニヤンはストルジゴフスキの補助的役割を果たしたものと みなされがちでした。私もアルメニア語はまったく読めず、せっかくアルメニアの古書店で入手したこの大型本2巻も、昔の悪い印刷の図版を見るのみです(アルメニア語を読める人がいたとしても、今は きわめて入手困難の本です)。その内容と意義を知るには、上掲のクリスティーナ・マランツィ の本に頼るほかありません。
●『ジョージアとアルメニアの 中世美術の研究』仏語版、1929年
『ジョージアとアルメニアにおける中世美術の研究』は、アンリ・フォションの弟子であり、娘婿でもある ユルギス・バルトルシャイティスの最初の本です。彼はフォション門下生としてヨーロッパ中世の美術について研究し、フォションのオーソドックスな方向に対して、もっと異端的な美術、あるいは独自の観点からの細部を探究して、『幻想の中世』その他、浩瀚な著作を多数発表して、日本でもよく知られています。この本でも装飾に興味が向っていたようです。
●『アルメニアの建築 モニュメント』小冊子、英語版、1968年頃
恐らく誰も持っていないであろう、戦後の最初期の本、というか 24ページの軽い小冊子の英語版。28 × 13.5cm、G・アヴァキアン(G. Avakian)の手書き線画による、アルメニア各地の建築モニュメント案内です。首都イェレヴァンの始まりとされるエレブニ(Erebuni)の要塞が紀元前782年に建設されたという記録から、"Yerevan is 2750 Years Old" と 表紙の見返しに大きく書かれています。この冊子がその年に発行されたとすれば1968年、あるいはその前年か前々年あたりに制作されたと思われます。
●『アルメニア建築 ドキュメント 』第1巻(ハフパト)1968年
最も早い時期にスタートした、アルメニア建築の個別の本格的なドキュメント・シリーズ。イタリアのミラノ工科大学建築学部 とアルメニア共和国科学アカデミーによる公的な共同調査報告書で、第2巻(ハチュカル)は 1969年、以下 1、2年に1冊づつ出していって、1998年の 第23巻まで継続しました。中心人物はイタリアの建築家でミラノ工科大学教授の アドリアーノ・アルパーゴ・ノヴェッロ (1932-2005, Adriano Alpago Novello)です。アルメニアの建築作品を一つ選んでは じっくり調査して、豊富なカラー写真と実測図面を盛り込んで紹介する このシリーズは、アルメニア建築についての 最も重要な資料集となりました。規模は小さいですが、インドの『考古調査局報告書 A.S.I. REPORT』シリーズに相当します。全巻イタリア語と英語とアルメニア語で書かれています。美術・建築書 輸入店の東光堂の田口さんに このシリーズを教えられて(1980年頃)、当時 のめりこんでいたロマネスク建築との相似に驚き、新刊が出るごとに購入していきました。『アルメニアの建築』のサイトの「アルメニア建築の本」の章で 全巻を紹介してあります。
●『アルメニアの美術』("L'Art Armenian")仏語版、1977年
西欧向けの 最初の アルメニア美術の大型カラー美術書(36.5 × 28cm)。アルメニア美術史のパイオニアというべき シラルピ・デル・ネルセシアンが書いた アルメニア美術の概論です。彼女はストルジゴフスキより34年も若く、教職時代の教え子には アンリ・フォション(後のフランス中世美術史の大家)もいたそうです。この本は彼女の晩年(81歳)の書で、ストルジゴフスキの本の 40年後ですから、写真や印刷は はるかに優れています。上掲の『アルメニア建築ドキュメント 』は まだ数冊しか出ていなかったし、しかも私はまだ知らなかった頃なので、この本で アルメニア建築の全体像が解るかと 大いに期待して、英語版の発行時に 丸善に注文しました。私にとって初めての 本格的なアルメニアの美術・建築の本だったので、届いて わくわくして見てみると、値段の高い大型本のわりには 資料的価値は それほど高くなく、十分に内容豊富でもないので、少々落胆しました。しかし 美術書として、見開きの大きな建築写真には 大いに魅せられました。これで決定的に、アルメニア建築に嵌りこむことになります。(仏語版と英語版は、ジャケットに至るまで まったく同じ体裁です)
●『ジョージアの美術と建築』("Die Kunst des alten Georgien")独語版、1977年
ここでやっとジョージア建築の本の登場で、上掲の シラルピ・デル・ネルセシアンの『アルメニアの美術』と同年の出版ですが、内容的には、こちらの方が はるかに詳しく、資料的価値も高い、非常に優れた一巻本です。 584点もの図版を用いて、ジョージア建築の全体像と歴史が示されました。ソ連内の不自由な時代に これほど詳細な調査・研究・出版ができたのは、二人の著者が ジョージアの実力者だったからでしょう。デル・ネルセシアンの本がフランス語で書かれたのに対して こちらはドイツ語で書かれましたが、どちらもすぐに(1、2年後に)ロンドンのテムズ・アンド・ハドスン社から英訳版が出ました。この英語版刊行の1、2年後に 神田の一誠堂で見出し、アルメニア建築と似たジョージア建築の存在を知って驚き、喜んで買ったと記憶しています。この『ジョージアの美術と建築』の英訳版が、今回採りあげた「古書」です。
●『アルメニアの建築アンサンブル集』 ロシア語+英語版、1980年
ソ連邦の一自治共和国だったアルメニアの古典建築について モスクワから出版された、おそらく唯一の 内容豊かな本です。著者の オガネス・ハチャトゥロヴィチ・ハルパフチアン(1907- , Oganes Khachaturovich Khalpakhchian)はアルメニア人で、タマニアンのアトリエなどで働いた建築家であり、トロス・トラマニヤン賞を受賞した建築学者です。本書の写真は全部モノクロですが 良く撮られていて、主要な史跡や修道院を「建物群(アンサンブル)」として捉え、詳しく紹介し 論じた、480ページの優れた本です。横使いの上下開きという変わった造本ですが、本文もキャプションも すべてロシア語と英語の両文併記なので、ソ連邦内だけでなく、欧米にも輸出したのでしょう。私は最初のアルメニア旅行時に、イェレヴァンの書店で購入しました。
●『中世ジョージアの美術と建築』 英語版、1980年
上述のアドリアーノ・アルパゴ・ノヴェッロをはじめとする6人のメンバーが 主にイタリア語で分担執筆しましたが、英訳して 出版されました。(イタリア語版も出たのかどうか不明)。本の後半はアルパゴ・ノヴェッロによる 地名のアルファベット順による 詳細な「ジョージア聖堂建築案内」('Catalogue of Churches')となっています。アルメニアから手を広げて、今度はジョージアというわけです。学術的にも資料的にも立派な本ですが、大きくて重いせいか (?) あまり世の中に 出回っていないような気がします。ネットで探して、オランダの古書店から入手しました。
●『アルメニアの美術』 ("Les Arts Arméniens")パリ、仏語版、1987年 フランス文化省の援助を受けた出版で、分厚い「世界の大文明の美術」シリーズの一冊。これはシリーズの他の巻と異なって アルメニアという小さなエリアの美術を扱った巻なので 大変に詳しい。大判のカラー写真群も見事な、贅沢な本で、重すぎるのが難。じきに英語版が出ると知りながら 待ちきれずに仏語版を買い、2年後に出た英語版も買い求めました。本巻でアルメニア美術の詳細な通史を書いている フランスのジャン・ミシェル・チエリーの師にあたる、デル・ネルセシアンが 序文を書いています。仏語からの英訳は セレスチーヌ・ダール (Célestine Dars)。
この出版の4年後の 1991年12月にソ連が崩壊して、アルメニアやジョージアを含む全ての連邦構成共和国が主権国家として独立しました。これで自由にアルメニアとジョージアを旅行できるかと思ったら、アルメニアは ナゴルノ・カラバフ地方をめぐってアゼルバイジャンと全面戦争状態になり(ナゴルノ・カラバフ戦争)、私が最初のアルメニア本土の旅行をしたのは 休戦後の復興が進んだ 2004年のことです。その時には 本書中の 134ページ分もある、パトリック・ドナベディアン (Patrick Donabédian) による、地名のアルファベット順の「アルメニアの主要な建築作品」('Principaux Sites Arméniens') の章が 大いに役立ちました(全部コピーをとって持参)。
●『アルメニア建築案内』2分冊、ローマ、イタリア語版 1988年
上掲書の「アルメニアの主要な建築作品」の章より はるかに詳しく 悉皆調査し カタログ化した 素晴らしい本で、周辺国も含めたアルメニアの建築作品のすべてが地理的順序でわかる本です。折り畳みの詳細地図も きわめて有用。ただし 初心者には詳しすぎて(イタリア語でもあるし)上述の「アルメニアの主要な建築作品」の章の方が 便利かもしれません。
●『ジョージアの中世美術、他』 モスクワ、ロシア語版、1990年
アルメニア美術史の シラルピ・デル・ネルセシアンに相当する ジョージア美術史の大家が ほぼ同世代の ギオルギ・チュビナシュヴィリで、彼は 1947年に "Monuments of Georgian architecture" というロシア語のシリーズを編纂して モスクワから出版したらしいですが、詳細不明。本書『ジョージアの中世美術、他』は、彼の没後に編纂された9編の論文集です。ロシア語なので、これも私は 本文を読めません(内容を確かめられず、うっかり ネットで買ってしまいました)。図版は巻末にまとめられ、チュビナシュヴィリが写っている写真も 10枚ほど。
●『アルメニア建築史』 イェレヴァン、アルメニア語版、1992年
この『アルメニア建築史』は、薄手の用紙に 小さな活字で2段組 540ページにおよぶ大著で、写真が 90ページ付されています。アルメニアの建築家で建築史家のヴァラザト・ハルチュニヤンが それまでの仕事を集大成した、最晩年(83歳)の本で、イェレヴァンで出版されました。巻末の写真集よりも 本文中に挿入された大量の図面がすばらしく、アルメニア語の本文は読めませんが、「アルメニア建築史図集」としても 大いに価値があります。イェレヴァンの書店で、えらく廉価で購入しました(国外で入手するのは困難でしょう)。これの英語版が出ていたら、どんなによかったことか。
●『不可視の鏡、ジョージアの壁画と建築(6-15世紀) 』 仏語版、1996年 『不可視の鏡』と『中世のアルメニア』は、ロマネスク美術の出版で名高い、フランスのゾディアック出版所が 20世紀の終りに、遅ればせながら ジョージアとアルメニアの美術の大型本を「レ・フォルム・ド・ラ・ニュイ叢書」の2冊として出しました。それぞれA4判、296ページと345ページです。ジョージア(フランス語では ジェオルジ Géorgie)の巻は壁画に重点を置いていますが、出版意図がやや不鮮明。アルメニア(フランス語では アルメニ Armenie)の巻は 上述のジャン・ミシェル・チエリーが、13年前の本では扱わなかった地域や聖堂を織りこみながら 新しい通史を書いています。
●『ジョージアの歴史建築』
昨年、日本ではじめてジョージア建築 (史) の本が出版されました。これは、篠野氏がジョージア語から直接翻訳した という労作ですが、半世紀前に出版された原書の写真図版は捨てて、すべて編者(藤田氏)の写真に置き換えたそうです。 私は原書を見ていませんが、モノクロの劣悪な写真印刷だったのでしょうか。それにしては 訳書のカラー写真の印刷が いまいちです。 出版社や印刷所が 写真集に慣れていれば(あるいは デザイン事務所が かんでいれば)、写真の色や明るさの調整をしてくれるでしょうが、そうでない場合は、撮影者が 自ら行わねばなりません。 "フォトショップ" などで 色と明るさの調整をしていれば、ずっと魅力的な本になったことでしょう。
" THE ARTS OF ANCIENT GEORGIA"
さて今回の『ジョージアの美術と建築』が チューリヒで出版されたのは1977年ですから、大戦後 30年以上が経っています。この英訳版がロンドンのテムズ・アンド・ハドスン社から出たのは2年後の 1979年なので、今から ちょうど 40年前の古書です。しかし ジョージア建築の定番の本としてよく売れたらしいので、今も古書店で入手するのは容易です。私がジョージアに撮影旅行をした時も、もっぱら この本のお世話になりました。ヨーロッパでそれまで出版されていた種々の建築、美術の本と比べて特別優れた書物というわけではないにせよ、なにしろ それまで未知の領域だったジョージアの美術と建築の全貌を、はじめて一巻本で世界に知らしめた、重要かつ 有用な本でした。 1977年というのは、日本では、いわゆる「戦後」が終わって「高度成長期」が一段落し、世界の経済大国になった時代であり、山下事務所で私が担当したフロム・ファースト・ビルが建築学会賞をもらった年です。そんな頃になって、やっとジョージア建築の全貌を伝える本が出版されたのかと、今となっては奇異な感じもしますが、それほど ジョージアやアルメニアは 辺境国と見做されていて、その地域の建築史などに、欧米の建築界は ほとんど関心を払ってこなかった というわけです。(わずかに バーナード・ルドフスキーの『建築家なしの建築 』("Architecture without Architects", 1964) によって スワネティ地方の塔状住居の集落群が知られましたが、そこには ジョージアという国名すら 書いてありませんでした。(といっても ソ連邦内の自治共和国の時代でしたが。)
もちろん それぞれの国内では建築史の研究も行われていましたし、古典建築作品の保存活動も 戦後は少しずつ行われていました。ジョージア美術史の泰斗とされるのが 前述のギオルギ・チュビナシュヴィリですが、本書が出る前に世を去っています。本書の共著者 ルスダン・メピサシュヴィリ(1913-2002, Rusudan Mepisashvili)と ヴァフタン・ツィンツァゼ(1915-1993, Vakhtang Tsintsadze)は その衣鉢を継ぐ人で、チュビナシュヴィリの名を冠した美術史研究所の設立メンバーでもあります。2人は夫婦でもあり、妻の建築史家 ルスダンは この出版時に64歳、夫の 建築家 ヴァフタンは66歳でした。この出版によって国際的に知られるようになるまでには、長い研鑽期間があったわけですが、ヴァフタンは建築の分野だけでなく、ジョージア国の「経済と持続的発展省」の大臣なども努めた、国内の有名人だったようです。 この浩瀚な本の構成はというと、全体の目次は、次の通りです。
西ヨーロッパの建築・美術の様式変遷の歴史が 世界の建築・美術史の標準と思い込んでいる我々にとって、5世紀から18世紀までを、全部「中世」で一括していることに奇異な感がするのを否めません。しかし、ヨーロッパ以外の世界のどの地域も 大体そうだったのです、中国しかり、日本しかりです(インドだけは、中心となる宗教の変遷によって 大きく時代区分がなされますが)。ヨーロッパの場合には ルネサンス以降、あらゆる分野で大きな展開をし、世紀ごとにその様相を変えていきましたが、ジョージアでは長い時代にわたって、美術・建築のスタイルに、それほど大きな変化はなかったのです。
本書は写真家の撮影になるだけあって、建築写真も優れています。建物や遺跡の図版は歴史順に配列し、 同一ページ あるいは見開きページに 写真と図面を組み合わせ、長めのキャプションを添える というレイアウトも、便利で好ましい。すべての図面は、本書のために 統一した図法で 新規にインキング制作されたようです。ジョージアの建築については これ一冊あれば用が足りる、といった趣の本と言えましょう。もっと わかりやすく詳しい地図が付いていれば、申し分なかったですが。
( 2019 /11/ 01 )
< 本の仕様 >
メールはこちらへ kamiya@t.email.ne.jp
|