石造と木造の融合 |
神谷武夫
前回紹介したラダック地方はインドの最北部で、標高 3,000〜4,000メートルもの高地であったが、そこから南へ下ってくると ヒマラヤの中腹部から裾にかけて広がるヒマーチャル・プラデシュ州となる。ここは 山また山の山岳地帯であって、平野はない。ラダック地方が ほとんど雨の降らない砂漠のような風土であるのに対して、ここは一年を通じて雨が多く、いたる所 ヒマラヤ杉や松に覆われていることが 下界のインド平原とも大いに違う。
歴史的には 紀元前 3世紀にマウリヤ朝のアショーカ王がインドの大部分を征服した時、ヒマラヤ地方も その支配下に入った。カシュミール地方には 仏教文化が栄えたが、しかし交通不便なヒマーチャル・プラデシュまでは 十分な支配が行き届かずに、各地の部族が 山地民族として暮らしていた。
ヒマーチャル・プラデシュは深い森に覆われていて 木材が豊富なので、インド平原部から石造の寺院様式が伝えられる以前から 木造の宗教建築(ヒンドゥ教であるにせよ、ないにせよ)が多く建てられてきたはずだが、古い木造寺院は ほとんど残っていない。火事や地震、落雷や腐朽によって失われてしまったのである。
次いで 9世紀初期に ジャガツクの小さなガウリー・シャンカラ寺院と バージャウラーのヴィシュヴェーシュワラ寺院が、本格的な石造建築の技法と美学をもたらした。バージャウラーの寺院は マンダパ(拝堂)のない単室型の寺院であるが、ガルバグリハ(聖室)の上に 高くシカラ(塔状部)を立ち上げ、頂部にアーマラカと呼ばれる 溝付き円盤をいただき、北方型のヒンドゥ寺院のスタイルを あますところなく伝えている。聖室内に祀られているのは、シヴァ神を象徴するリンガ(男根)である。 バージャウラーとウダイプルの寺院 これ以後、大小のシカラ型ヒンドゥ寺院が 各地に建てられるようになる。最も規模の大きいのはバイジュナートのヴァイディヤナータ寺院で、後世に至るまで ヒマラヤにおけるシヴァ信仰の拠点として崇められた。 ところで石造寺院がもたらされる以前から ヒマーチャル地方には木造建築の伝統があり、多くの木造寺院が建てられていたわけであるが、現在に残る中世の木造寺院は わずか3寺院のみである。バルモール(ブラフモール)の ラクシャナー・デヴィー寺院、チャトラーリの シャクティ・デヴィー寺院、そしてウダイプルの マルクラー・デヴィー寺院で、いずれも女神(デヴィー)に捧げられている。バルモールの寺院が最も古く、その内部は 700年頃にさかのぼる。しかし創建当時のままとみられる内部の彫刻は、やはりグプタ美術の影響の残るプラティハーラ様式からなり、石造建築が到来する以前に そうした様式や技法が伝えられていたことがわかる。
ヒマーチャル・プラデシュ地方においては、インド平原から伝えられた古典的な石造寺院と 土着の木造寺院とが共存することになる。それは次第に融合していくことになるのだが、純粋な木造寺院と石造寺院の細部を比較してみると、意外にも きわめてよく似ていることがわかる。
ここに示すのは チャンバ渓谷のバルモール(ブラフモール)に残る最古の木造寺院である ラクシャナー・デヴィー寺院と、カングラ渓谷のバイジュナートにある 石造のヴァイディヤナータ寺院である。前者の外周部は 後世のものであるが、内部は 700年頃に創建されたままの姿を保っている。後者の創建は9世紀とも 12世紀ともいわれるが、この写真は 13世紀頃に増築されたマンダパ(拝堂)の内部である。
ヒマラヤ地方には雨や雪が多く 木材が豊富であるので、建物が原則として木造であり、勾配屋根が架けられてきたのは 日本と同じである。屋根材には、これもまた豊富に産出する片岩のスレートが 瓦のように用いられてきた。そしてまた多雨地域では 庇で保護されていないと壁が傷むのは 石造も例外ではない。 こうして石と木とが結合されるようになると、もっと積極的に混用されるようになる。 ハトコティのシヴァ寺院では すでに菅笠型をこえて、初めから 聖室を石造とし、屋根を木造とする設計であったように見える。その深い軒の出と反りをもった屋根造形は 魅力的である。一方、バラッグのシヴァ寺院では、菅笠のついた石造のシカラの手前に 木造のマンダパが増築されて、ユニークな構成をしている。
ヒマラヤ地方では 地震が少なくないので、建物には 耐震性をもたせなければならない。その意味もあって、この地方では石造と木造が 意外な形で融合することとなった。それは 木材を水平材として用い、石と交互に積んで壁をつくるのである。コンクリートの中に鉄筋をいれて補強するように、木の横材と石とを組み合わせることによって、単なる組積造よりも ずっと強度の高い壁面を得ることができる。
W・シンプスンによる木の枠組みのスケッチ 上図の ウィリアム・シンプスンのスケッチが示すように、まず木を井桁のように組み、その中に石材を詰めていく。コーナー部では木が重なり合うために、遠目には柱のように見えるが、実際には 垂直材は無い。ナガルの領主の館が 今はホテルになっているが、これは その古い実例である。その後この形式は 民家から城塞、そして寺院塔へと 広く利用されるようになり、そのストライプ状の壁面が ヒマーチャル地方の建物の基本的な要素となった。その高層化した寺院塔の実例は、回を改めて紹介する予定である。
センジのテオッグ国王宮と、内部吹き抜け見上げ もう一つの融合のしかたは、センジのテオッグ国王宮に見られるような、建物の下層を堅固な石造とし、上層を軽い木造とする方法である。これも耐震性には有効であるが、こうした大きな建物は あまり残っていない。この王宮は 本来祭礼のための施設であったというが、内部の吹き抜け大ホールを囲む空間構成は なかなか魅力的である。 |