第4章
WOODEN ARCHITECTURE IN THE HIMALAYA
ヒマラヤの木造建築

神谷武夫

ヒディンバー・デヴィー寺院、マナーリ

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「シャーレ型」の木造寺院

 ヒマーチャル・プラデシュ州とは「雪山の州」を意味する。すべては山の中であり、深い峡谷や標高数千メートルの峠で分断されていて交通不便なので、州の中でも各地方ごとに文化の相違が見られる。今も車では行くことのできない村々がたくさんあるので、まだ外界に知られていない寺院建築もあることだろう。
 前回は下界のインド平原からもたらされた石造寺院のヒマラヤ化について述べたが、今回は山国の土着の木造建築を紹介することにしたい。これらは十分に研究されているとはいえず、実測もされていないので、残念ながら図面を掲載することができない。

 バルモールの村に典型的に見られるように家々は木造で、雨や雪が多いことから屋根は勾配をもち、切妻屋根がスレートで葺かれている。石のスレートと瓦という違いはあるものの、昔の日本の山村の姿を髣髴 (ほうふつ)とさせる。
 寺院建築は民家の形式から次第に発展していくものであるから、小規模な木造寺院の形は民家とあまり区別がない。したがって最も単純で古い寺院形式は平屋に切妻屋根を架けたもので、スイスの山小屋に似ていることから「シャーレ型」と呼ばれるようになった。これは最初にヒマラヤの木造寺院を分類したハーコートの命名である。前回述べた最古の バルモール、チャトラーリ、ウダイプルの3寺院はいずれもこの型であるが、千年以上たつうちに外観は当初の姿を失ってしまった。

   
バルモール村と、ジャガツクの サンドヤー・ガーヤトリー寺院

 「シャーレ型」の外観を見せてくれる古い寺院はジャガツクにあるサンドヤー・ガーヤトリー寺院で、1428年の銘がある。聖室とマンダパ(拝堂)は石造の壁で囲われているが、その周囲に開放的な繞道(にょうどう)がまわり、木造の列柱の上に「入り母屋造り」の木造屋根が架けられている。
 柱にほどこされた繊細な彫刻はナイーブで、人や動物はオセアニアの、抽象的パターンはケルトの意匠を連想させよう。こうした彫刻スタイルはヒマーチャル・プラデシュの基本的なフォーク・アートである。柱頭の上に左右に大きく広げた腕木が目を引くが、両側に渦状部分をもつのは、カシュミール地方から伝わったイオニア式柱頭の名残であろうか。
 このサンドヤー・ガーヤトリー寺院はサンドヤー・デヴィー寺院とも呼ばれ、女神(デヴィー)に捧げられている。ヒマラヤのヒンドゥ寺院は女神を本尊とすることが多く、ヒンドゥ教というのは各地の民間信仰や土俗宗教を吸収同化しながら発展してインド全土を制覇したのであるから、ここの女神もまた土着の郷土神がヒンドゥ化したものであろう。それは土着の宗教建築がヒンドゥ化していったプロセスと同じである。


W・シンプソンのスケッチによるチェルガオンの木造寺院
(From "Architecture in the Himalaya" by William Simpson)


ウィリアム・シンプソンによるスケッチ紀行

 ヒマラヤの木造建築を最も早く調べ始めたのは、イギリス人のハーコートとウィリアム・シンプソンである。シンプソン(1823〜99)は水彩画家であり、1860年と 1861年にヒマラヤを旅して多くのスケッチを残し、後に王立英国建築家協会の会報に報告を載せている。それは今から 100年以上も前の 1883年のことである。
 インド建築史を初めて体系化したジェイムズ・ファーガソンは、その著書の中でシンプソンの報告を引用し、彼のスケッチを掲載して、実に「ピクチャレスク」だと書いている。それが上図の有名なチェルガオンの寺院のスケッチである。
 ヒマラヤの建築を知らない人には、これがインドの建築だと言われてもにわかには信じがたいだろう。そしてヨーロッパの建築に詳しい人ならば、これが北欧に分布する木造のキリスト教の教会堂を髣髴とさせることに驚くことになる。しかし地理的に遠く離れた北欧とヒマラヤとの間には直接的な影響関係などあるはずがない。雨が多いことによる勾配屋根、樹木が豊富なことによる木造、宗教建築であることによる象徴的な尖塔屋根をいただく造形、といったことが、両者のあいだに共通性を生んだのである。
 ところで、この有名なチェルガオンの寺院というのは、どんな本にもシンプソンのスケッチが載せられているばかりで、写真がない。その後誰も訪ねていないか、あるいは消失してしまったかのごとくである。それもそのはずで、実はこれは、サラハンの東方にあるスングラの上方の山中にあるマヘーシュワラ寺院のことなのである。

マヘーシュワラ寺院、スングラ

 サトレジ川の深い峡谷を背にしたこの寺院の印象は忘れがたい。写真から想像するよりも規模が大きく、堂々として建つこの寺院の複雑な形をした屋根が、すべて白木で造られていることが驚きだった。
 異教徒は内部に入ることが許されないが、聖室にはシヴァ神を象徴するリンガが祀られているという。壁面の木製パネルにはレリーフ彫刻がほどこされていて、これもまた下界の古典的なインド彫刻とは大いに異なり、プリミティヴな印象を与える。つまりこれはインド平原から古典様式が伝えられる以前から存在する、もう一つのヒマラヤ土着の建築様式なのである。ハーコートはこれを「パゴダ型」と名づけた。
 パゴダという言葉は主にビルマでストゥーパを指して英国人によって用いられ、さらに意味が広げられて、日本の五重の塔やインドのヒンドゥ寺院のシカラまでそう呼ばれることがある。語源も明らかでなく不適切な用語ではあるが、ヒマラヤの層塔型の寺院の呼び名としては便利なので、次第に広く用いられるようになった。「シャーレ型」の寺院が一般民家とあまり変わらないので、宗教建築としての象徴性を求めて、屋根を層塔化したものである。

マヘーシュワラ寺院の壁面彫刻、スングラ


「パゴダ型」 の木造寺院

 このスングラの寺院の原型とも見られる 14世紀の寺院が標高 2,600メートルの山中のパラーシャル湖のほとりにあるのだが、ちょうど予定の前日に豪雨が降って途中の山道が崩れてしまい、訪ねることができなかったのは残念であった。しかし同様の3層構成の屋根をいただく寺院が、クル渓谷にはいくつも散在している。

 ビアス川流域の一番奥にあるマナーリの町から山へ分け入ると、ドゥーングリ村の森厳なヒマラヤ杉の森の中に ヒディンバー・デヴィー寺院 がある。これはバハドゥール・シング王による 1533年の建立と伝えられ、高さ 24メートルの木造の屋根が架けられている。3層の方形屋根の上に円錐形の屋根が頂部に載っているが、今はトタンに替えられてしまったこの円錐屋根は、後世に加えられたものではなかろうか。
 ここで見ごたえのあるのは 1階の木造のファサードで、扉口と窓廻りがびっしりと神像や動物の彫刻で飾られている。大きな守門神の像がなく、すべてが几帳面に分割されて細かく彫刻されている。本尊のヒディンバーとは『マハーバーラタ』に出てくる「羅刹(らせつ)」 である。

   
トリプラスンダリー寺院の屋根と彫刻、ナガル

 ナガルの町のトリプラスンダリー寺院はこれをやや小規模にしたもので、15世紀に現在の形になったという。ヒマラヤ杉は耐久性が高いとはいえ、雨風にさらされて腐朽するので、何度も葺き替えられたり建て替えられたりしてきた。近年では 1960年、そして 1990年に建て替えられているので、常に細部まで白木の姿を見せているのは伊勢神宮のごとくである。
 筆者が訪ねたのは 1991年であったから、屋根板も、その四隅の動物(1層めはライオン、2層めは猿)の木彫もまったく傷んでいなかった。寺院全体も、山に囲まれた周囲の風景に溶け込んで見事な調和を見せている。

 ディヤル村の三重の塔であるトリユギナラヤン寺院はスレートで葺かれているが、本来は木製の屋根板であったろう。1階の外壁は石と木を交互に積んだもので、ごく小さな窓しかないので、内部は暗い。本尊を祀る聖室の手前がマンダパとなっていて、祭礼のときに運ぶ御輿(みこし)が据えられている。

   
ディヤルのトリユギナラヤン寺院と、コカンのアーディ・ブラフマー寺院

 一方、コカン村には四重の塔の形をしたアーディ・ブラフマー寺院があり、内部に納められている 仮面(モフラ) にテディ・シング王の治世の 1746年とあるので、寺院の建設もその頃と考えられる。しかし、ここにはもっと古く 11世紀頃の石造寺院があったらしく、その断片の彫刻が多く発掘されている。おそらくプラティハーラ朝のシカラ様式の寺院を、土着の木造寺院様式に建て直したのであろう。 四重の塔というのも珍しいが、頂部の屋根が円錐形ではなく「シャーレ型」の入り母屋造りであるのも異例である。
 こうしたパゴダ型の層塔形式の寺院がネパールから伝えられたのか、あるいは 5〜7世紀にインド平原のグプタ朝からネパールおよびヒマーチャル・プラデシュ(特にクル渓谷)に同時期に伝えられたのかは諸説あり、下界には古い木造寺院が残っていないだけに今も解明されていない。

マハーデーヴァ寺院、ベーナ


シャーレとパゴダの「結合型」寺院

 ヒマーチャル・プラデシュ州の州都であるシムラから東側のサトレジ渓谷には「シャーレ型」と「パゴダ型」が結合した寺院が多く見られる。インド平原の石造のヒンドゥ寺院は基本的に<ガルバグリハ(聖室)+ マンダパ(拝堂)>から成り、神像を祀る聖室の上に塔状の「シカラ」が立ち上る。この石造のシカラを木造の「パゴダ」に置き換え、マンダパをシャーレ型にしたのが、この「結合型」の寺院である。 先ほどのスングラの寺院もこの一種であったが、マンダパが2層になっていたのが異例である。
 古くから知られているベーナのマハーデーヴァ寺院が「結合型」の代表であるが、筆者が訪ねた時にはやや荒廃していて失望した。古い写真では屋根がすべて木製であったのに、今は下2層がスレート葺き、円錐屋根がトタンに置き換えられ、赤く塗装されてしまっていた。内部は聖室のみが壁で囲まれ、マンダパがオープンになっているのがスングラとは異なっている。

   
ドゥルガー寺院、マナン    同寺院のマンダパ内部

 マナンにあるドゥルガー寺院はベーナの寺院と同じ構成であるが、「シャーレ」の屋根がこの地方の民家と同じく反っている。この「反り」については、次回の寺院塔において詳しく見ていくことにする。内部のマンダパはベーナと同様、極彩色で塗装されていて、プリミティブな木彫にキッチュな迫力を与えている。
 ところで「パゴダ型」においても「結合型」においても、上層には部屋があるように見えて実は入り口がなく、窓も単なる飾りである。上層に上る階段さえもないのは、この塔状部分が飾りに過ぎないということである。インド人が彫刻を好み、建築さえも彫刻的につくったという傾向は、ヒマラヤの山中においても顕著だったのである。


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