住居(ダール、バイト) |
すべての建築種別のなかで最も基本となるのは住居であり、住居の形式に手を加えることによって 宗教や政治や経済の建築が発展してきた。イスラーム建築を代表するモスクが、マディーナのムハンマドの家から出発したというのは、そのことを よく示している。しかし 現在のイスラーム圏は広大なので、住居の形式は それぞれの土地の気候風土に応じていて一様でない。その中で 最もイスラームらしい住居といえば、中東地域における中庭式住宅ということになる。しかし カイロのスハイミー邸(名作07)の項において述べたように、それはイスラームが誕生するよりも はるか昔から続いている住居形式を受け継いだに過ぎないのであって、イスラームが 中庭式住居を生んだわけではない。
![]() イスラーム圏には 中庭式ではない住居も 各地にある。たとえば 最も原始的なタイプでは 穴居住宅。カッパドキアの洞窟住居に見られるように、軟らかい岩山に横穴を穿って部屋を並べ、住居とする。現在でも なお住み続けているのは、エアコンのような電化製品に頼ることなく、夏涼しく 冬暖かな生活が得られるからである。チュニジア南部には ローマ時代からの伝統を受けついだ 地下の横穴住居があるが、これは 掘り下げられた中庭を囲んでいる。室内は 通常ホワイト・ウォッシュされて、壁面には食器が 装飾のように並べられていることが多い。またトルコの大部分は 寒冷な高原地帯なので、中庭式ではなく、瓦屋根の載った 木造の多層住居となる。室内は暖炉が中心となるので、むしろ ヨーロッパの住居に近い。
![]() ![]() ヤズドとアレッポの住居 中庭
とはいえ、種々のイスラーム建築の 原型になったという意味では、亜熱帯の中庭式住居が 最も重要である。砂漠的住居のつくり方は、まずもって 敷地を囲む塀を建て、その内側に必要な諸室をつくり、家族の成長とともに部屋の数を増やして、中庭を完成させる。都市において彼らが求めたのは、プライベートな生活の 最大限の静かさであって、そのためには しばしば、街路から中庭までの 長いアプローチ通路を介在させた。
こうした 内向きの住居は、外部に対しては 無表情な塀で閉じ、内部の中庭に、生活を快適にする しつらいと 美的な配慮を集約させ、各部屋への出入りや採光・通風も 中庭を通して行う。ペルシアやシリアの住居では 北向きのイーワーンが中庭に設けられ、このイーワーンが なまってアイワーンやエイヴァーンと呼ばれるのは、アーチではなく 木造の柱のある半戸外スペースで、宮殿のターラールに近くなる。大邸宅では 公的な中庭と私的な中庭、それに家畜を入れる中庭を備え、それぞれにイーワーンやエイヴァーンを備える。
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中庭には 水盤や噴水を設置し、さらに植物も植えれば、中東の人びとにとっては 楽園のイメージに近くなる。フジャーエフ邸のような邸宅では、高低差のある中庭に面して2層分の 大エイヴァーンが伸び広がって、まるで宮殿のような たたずまいである。都市内では 多層の中庭式住宅が密集することになり、それぞれのプライバシーを尊重して、隣の中庭を覗きこむような窓は 設けない決まりなので、外周壁は いっそう無表情となる。
![]() スファックスの ジャウリ邸の寝室 イスラーム住居の独特な点は、男子用の空間(サラムリク)と 女子用の空間(ハラムリク)とが分離していることで、敬虔なムスリマ(女子イスラーム教徒)は よその男性に 顔や体をさらけ出してはならない、とする慣習からきている。イスラーム以前は よほど ふしだら だったのだろうか。 "ハラムリク" と同根で トルコ語になった "ハーレム" は 後宮と訳されることが多く、日本の江戸時代の大奥になぞらえられるが、実際は 普通の住居においても 女子用の部分、すなわち家族用の部分をさす呼称である。つまり、住居のパブリックな部分は 来客を迎える接客スペースであって 男性用、よその男性が入りこめない 家族用のスペースが "ハーレム" である。大邸宅においては 別々の進入路であったり、別々の階段で それぞれの上階に上がる造りになっていることもある。 ( 2006年『イスラーム建築』第4章「イスラ-ム建築の建築種別」)
● カイロの住宅、スハイミー邸(エジプト)については、 |