第7章 ジョ-ジア・トルコ・イラン
ARMENIAN CHURCHES in NEIGHBORING COUNTRIES

周辺国アルメニア聖堂

神谷武夫


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地図
ジョージア (グルジア) GEORGIA

ジョージア(グルジア)はアルメニアの北側に位置し、国土面積はアルメニアの約2倍、人口は約1.5倍だが、両国の首都 トビリシとイェレヴァンは、ほぼ同規模である。ジョージアは 歴史的にはアルメニアと良く似た境涯をたどり、兄弟国家と言ってもよいほどだが、民族的にも言語的にも別系統で、隣りあった小国どうしながら、決して一体化することがなかった。日本ではロシア語風にグルジアと呼んできたが、近年は英語風に ジョージアと呼ぶようになってきた。ジョージア人自身は、サカルトベロと称する。 アルメニアに次いで4世紀に、世界で二番目にキリスト教を国教とし、5世紀には アルメニア文字のあとを追って、ジョージア文字が創られた。ジョージア聖堂もアルメニア聖堂とよく似ていて、相互影響関係にあったが、ジョージア人は 建築よりも絵画に、より多く才能を発揮した感がある。アルメニア聖堂には 壁画が稀なのに対して、ジョージア聖堂は 基本的に壁画、天井画で満ちている。そのせいで、ジョージアにあるアルメニア聖堂にも、壁画が多い。
本サイトの当初の予定では、ジョージア共和国内のジョージア聖堂を 詳しく紹介する章を設けるつもりだったが、そこまでの時間は とれそうにないことがわかり、やめにした。せめて アルメニア建築との対比のための 典型的なジョージア聖堂の ほんのいくつかを、ここで採りあげる。地図上に青字で書いてある地名がそうである。 この章では、東から西へ、すなわち首都のトビリシから 第二の都クタイシへ向かう順序で配列している。


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トビリシ(ティフリス) TBILISI (TIFLIS) ***

聖グリゴール・カテドラル *
SURP GRIGOR, 13c. 17-19c.

トビリシ  トビリシ

 かつてティフリスと呼ばれた グルジアの首都 トビリシは、アルメニアの首都 イェレヴァンと ほぼ同規模で、人口は約 120万人である。都が5〜6世紀に造られた当時からアルメニア人が居住し、特にアニの滅亡以後は多くのアルメニア人が流入した。18,19世紀には人口の多数派はアルメニア人だったようで、多くのアルメニア聖堂が建てられ、その数は24に達したと伝えるが、現在残るのは 14聖堂である。
 聖グリゴール・カテドラルは、富裕な商人のウメク・カリアン Umek Karian の寄進で1251年に創建されたが、17世紀に再建された。さらに1832年と1881年に改修されて現在の姿となった。躯体はレンガ造で、内部にはヨヴナタン・ヨヴァンタヴェアン Yovnatan Yovantavean の壁画で飾られている。ドラムが長い塔状部のデザインはグルジア風で、十二角形シャフトの頂部が外に広がっている。( AA.586, Brd.115 )


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(ジョージア) ムツヘタ MTSKHETA ***

ジュヴァリ(聖十字架)聖堂 ***
JVARI (Holy Cross) CHURCH, 586-605

ムツヘタ  ムツヘタ

 トビリシの中心から北へ25kmの地に、5世紀までイヴェリア Iveria(カルトリ Kartli)王国の首都であった 古都ムツヘタがある。日本で言えば奈良のような聖都で、多くの古寺がある(アルメニアにとっての ヴァガルシャパトに相当すると言えよう)。なかでもアラグヴィ Aragvi 川とムトゥクヴァリ Mtkvari(クラ Kura)川の合流点に面する丘の上に建つジュヴァリ聖堂は、ジョージア建築にとってもアルメニア建築にとっても 先祖と見なされ、古拙ながらも 歴史的に最も重要な聖堂である。アルメニア建築に特徴的な四アプス型の聖堂の原型をなしている(ヴァガルシャパトの聖フリプシメ聖堂や アテニの聖シオニ聖堂の平面図と比較すれば一目瞭然)。ビザンティン建築としては、コンスタンチノープルの聖ソフィア大聖堂や、ラヴェンナの聖ヴィターレ聖堂に半世紀くらい遅れる建立であるが、ここには モザイク装飾はない。
「ムツヘタの歴史的建造物群」として、スヴェティツホヴェリ・カテドラルおよびサムタヴロ聖堂とともに、1994年にユネスコ世界遺産に登録された(しかし 2009年には危機遺産に指定)。( AG.31, 64, 80-87, 151, MG.386, AMG.50, Brd.139, Book )

平面図
ジュヴァリ聖堂の平面図
(From "Art and Architecture in Medieval Georgia" 1980, Louvain-la Neuve)


ムツヘタ  ムツヘタ  ムツヘタ


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(ジョージア) サムタヴィシ SAMTAVISI **

カテドラル **
CATHEDRAL, 1030-68

サムタヴィシ  サムタヴィシ

 トビリシとクタイシを結ぶ幹線道路の近く、レフリ Lekhuri 川のほとりのサムタヴィシ村に、ヨーロッパのロマネスク前期と同時代の11世紀の聖堂が残る。東壁面の碑文は、この聖堂がイラリオン・サムタヴネリ Ilarion Samtavneli (Hillarion Kanchaeli とも)司教によって 1030年に建設されたと伝えている。一説によれば、彼は建築家でもあったという。オリジナルのドーム屋根は ムツヘタのスヴェティ・ツホヴェリ Svetitskhoveli 聖堂と同じく ティムール軍によって破壊され、現在のものは15世紀の再建である。西面の碑文は、ここを一家の聖堂と墓地にしたアミラホリ家 Amilakhori の王族によると伝える。
 ドラムの長い、典型的なジョージア聖堂で、アルメニア聖堂との違いがよくわかる。12角形のドラムに12の極長縦長窓があるのは、スヴェティツホヴェリ聖堂などと同じである。外壁は各面の扱いが違い、入口側の西面は平滑な壁であり、南北面は縦長の めくらアーチ列が並んで垂直性を強調し、東面にはアプスの両側に深いニッチ設けている。内部には4本の独立柱が立ち、ドームを支持する。アプスとドームには17世紀の壁画、天井画がある。( AG.116, 158-9, MG.113, 429, AMG.209, Brd.141 )

サムタヴィシ  サムタヴィシ


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アテニ ATENI **

聖シオニ聖堂 **
SURP SIONI, 7c.

アテニ  アテニ  アテニ

 スターリンの生地として知られるゴリの南 12kmのアテニにあるアルメニア聖堂。風光明媚なタナ Tana 渓谷に建つ。1080年に制作された多くの壁画、天井画が残ることでも知られるが、それらの画工はジョージア人だった。聖堂のプランはムツヘタのジュヴァリ聖堂(6世紀末)と ほとんど同じ形状の四アプス式で、その他の類似点からも、建設年代は7世紀と考えられている。台座にあるアルメニア語の碑文は、建築家の名をトドス Todos(Todosak とも)と伝えている。10世紀および16世紀に修築された。
 外壁の石材は下部が赤い砂岩で、上部は緑がかった黄灰色の凝灰岩。建設が一時中断したのかもしれない。塔状部のドラムは八角形で、屋根も瓦葺きの八角錐である。ジョージア聖堂と違ってドラムが短く、ヴァガルシャパトの聖フリプシメ聖堂と似た、やや ずんぐりした印象を与える。ソ連時代の1976年から1982年にかけて すっかり修復された。( AG.88, 169-71, 224, MG.109, 288, AMG.67, 169, Brd.146 )

平面図
アテニ・シオニ聖堂の平面図
(From "Armenian Art" Jean-Michel Thierry, 1987, Harry N. Abrams)


アテニ  アテニ


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(ジョージア) アハルツィヘ AKHALTSIKHE **

サファラ修道院(聖サバス聖堂) **
SAFARA MONASTERY (Saint Sabas) 13-14c.

サファラ

アハルツィヘのサファラ修道院は、9年前に『世界建築ギャラリー』の中で紹介したので、そちらを参照( AG.178, 218, 225, AMG.314, Brd.175 )


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(ジョージア) ゲラティ GELATI ***

ゲラティ修道院(聖母聖堂) ***
GELATI MONASTERY (The Church of the Virgin) 12c.

ゲラティ  ゲラティ  ゲラティ

クタイシの北東 10kmの山中、ツハルシテラ Tskhalsitela (Tskal-Tsikela とも)川のほとりに、ジョージアいちの名刹、ゲラティの大修道院がある。ダヴィッド4世建設王の命で 1106年に建設が始まり、その息子のデメトリオス王 Demetrius(1125-56)の治世に完成した。主聖堂 (Katholikon) は聖母に捧げられていて、その内部は16-17世紀の壁画・天井画で満ちている。12世紀にナルテクスが、13世紀に南側の祭室が、13世紀末あるいは14世紀初めに北側の二つの祭室が付加されて、複雑な構成の大聖堂となった。
クタイシのバグラティ・カテドラルとともに、1994年にユネスコ世界遺産に登録された(しかし 適切でない再建計画のゆえに、2010年には危機遺産に指定された)。( AG.173, 181ー88, MG.112-116, 328, AMG.228, Brd.188 )

平面図
ゲラティ修道院の平面図
(From "Art and Architecture in Medieval Georgia" 1980, Louvain-la Neuve)


ゲラティ  ゲラティ  ゲラティ



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地図
トルコ  TURKEY

アナトリア(トルコのアジア側)の東部は、かつての大アルメニアの一部で、第一次世界大戦まで、多くのアルメニア人の街や村があり、聖堂があった。しかし オスマン帝国末期のアルメニア人大虐殺(1894、1915)以後、アルメニア人は現在のアルメニア共和国および 中東全域、ヨーロッパ、さらにはアメリカにまで移住して、離散の民となった(10〜12世紀の異民族支配期に次ぐ)。トルコ国内の聖堂建築の大半は破壊され、崩壊して、上部構造が満足に残る聖堂は、わずかしかない。 政情が安定してからも、アルメニア共和国内のようには 修復が十分には なされず、まして再建などは行われない。その中では、バグラトゥニ朝の首都 アニの都市遺跡と、ヴァン湖の小島に残るアフタマール修道院(ヴァンク)が、最も見るに値する。しかしページ規模が大きくなりすぎたので、アニは独立させて、次章の第8章で扱うことにした。
また エルズルムの北の、いわゆる「ジョージア渓谷」に、アルメニア建築と密接な関係のある 中世のジョージアの大聖堂が3つ残っている(地図上の青字:イシュハン、オシュキ、ハホ)。距離的に近い アニのカテドラルとの比較の上でも重要なので、ここで紹介しておく。
この節では、カルス地方、ジョージア渓谷、ヴァン地方の順に配列し、最後にずっと西方(地図の外)、イサウリア地方のアラハン・モナスチールを添える。本サイトの当初の予定では、アナトリアの初期キリスト教(ビザンティン)建築を紹介する章を 設ける予定だったが、時間的に無理とわかり、せめて アラハンだけを残したものである。


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カルス KARS ***

聖使徒カテドラル **
CATHEDRAL OF ST APOSTLES, 930-943

カルス  カルス  カルス

飛行場のあるカルスは、トルコ最東部にある 人口10万ほどの都市で、海抜 1,750mの寒冷地である。アニをはじめとする カルス県に残るアルメニア遺跡を訪ねるための基地でもある。
バグラトゥニ朝のスンバト1世(在 890-914)の息子のアショット2世(在 914-918)は カルスを首都とした(アニの砦も取得した)。952年にアニを首都としたアショット3世(在 952-977)の弟のムシェーグ王(在 989-1020)はヴァナンド(カルス)王国を開き(バグラティド朝)、カルスを都として繁栄させた。1585年にはオスマン朝のムラト3世に奪われ、1807年にはロシア領となり、1921年にトルコ領となった。現在、カルスの人口の5%くらいがアルメニア人だが、皆ムスリムになっているので、アルメニア教会はない。
旧カテドラルは アニ(バグラティード朝)のアッバス1世(在 929-953) によって建設された。1579年にオスマン朝によってモスクに転用され、キュンベット・ジャーミイ Cümbed Camii と呼ばれてたので、カルスの南方のアルメニア聖堂、キュンベット・キリセの遺跡とまぎらわしい。トルコ領となってからは博物館として用いられている。かつてカルス近郊には多くのアルメニア聖堂があったが、大半が崩壊あるいは破壊されてしまった。国境近くのものは、地雷が埋められているために 近づけないか、訪問不可となっている。

平面図
カルスの聖使徒カテドラル、平面図
(From "La Cathédrale des Saints-Apôtres de Kars (930-943)"
by J.M. Thierry, 1978, Paris)

堂は四アプス式だが、正方形の本体から四方に半円形のアプスが突き出るプランは、これより一回り大きい マスターラの 聖ホヴハネス聖堂(7世紀)と 良く似ている。どちらもアプスの外側を半八角形にしていて、中央ドームの屋根は円錐形である。メイン・アプスの両脇が マスターラでは小祭室になっているの対して、こちらは規模が小さいせいか 祭具室になっている。メイン・アプス以外の三方のアプスは入口になっているが、カルスでは19世紀のロシア領時代に ポーチが付加された。内部にも、ロシア正教の聖堂として メイン・アプス前に内陣障壁(イコノスタシス)が加えられ、荘厳なたたずまいを見せている。( PC.441, AA.544, MH.98, ET.I-350-1, Phai.340, Book )

カルス"  カルス  カルス


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オーウズル OGUZLU *

三アプス聖堂
THREE-APSED CHURCH, 9, 11c.

オーウズル  オーウズル  オーウズル

カルスの東40kmのオーウズル村に、巨大な聖堂の遺跡がある。半壊する前の写真が残っているので、往時の姿がよくわかる。長方形の外郭の中に三アプス式の聖堂を埋め込み、西側は矩形のエントランス・ホールとしている。メイン・アプスの両側は小祭室で、大小三つのアプスが並ぶことから、三アプス聖堂と呼んでいるが、この形式の聖堂はたくさんある。その中では最も規模が大きく、幅が16mに 奥行きが21mもある。いずれのアプスも、その両側の壁にV字形の切り込み(ニッチ)があり、外形に立体感を与えている。
碑文に、ハサン・グトゥニ Hasan Gutuni の建立とあるから、建設は895年以前と推定されている。別の碑文は、1001年にアショット・パフラヴィドが修復したと伝えている。(PC.436, AA.562, EA.I-424 )


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クズル・キリセ KIZIL KILISE *

ドゥプレ・ヴァンク *
DPRE VANK, 13c.

クズル・キリセ  クズル・キリセ  クズル・キリセ

オーウズルからさらに東、アルメニアの国境近く。クズル・キリセとは「赤い聖堂」の意。カルス近郊のアルメニア聖堂では最も保存が良い。構内に住む農家が管理。現在は倉庫に用いられ、周囲に猛犬がたくさんいて、吠え立てる。( PC.439, EA.I-424 )


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アニ ANI ***

アニ遠望

中世アルメニアの バグラトゥニ朝の首都 アニ は 16世紀には放棄され、都市遺跡となってしまった。 現在はトルコ領であるが 多くの聖堂やモスクの遺構が残されているので、独立した章で扱う。
第8章の「アニの遺跡」 (The Medieval Capital, Ani) のページを参照。


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(ジョージア) イシュハン ISHHAN **

イシュハン・カテドラル **
ISHHAN CATHEDDRAL, 1032, 15c.

イシュハン  イシュハン  イシュハン

アナトリア地方、エルズルムの北方の、いわゆるジョージア渓谷に、ジョージアの大聖堂が3つ残っている。イシュハンのカテドラルは1032年竣工。創建時の遺構は東の柱廊つきアプス。サバン司教が828年に修復したという。ジョージア語でイシュカニ Ishkani 村。( ET.II-8, AG.98, 114, 148, Phai.97 )

平面図
イシュハン修道院聖堂、平面図
(From "The Armenians" Adriano Alpago Novello, 1986, Rizzoli )


イシュハン  イシュハン


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(ジョージア) オシュク(オシュキ) OSHK (OSHKI) **

オシュク・カテドラル **
OSHK CATHEDRAL, 10c.

オシュク  オシュク  オシュク

エルズルムの北東 90km、ジョージア語でオシュキ Oshki 村。小さな村には不釣り合いに大きなカテドラル聖堂(修道院聖堂ともいう)が、村の斜面地に堂々と聳える。ジョージア渓谷の3聖堂のうちでは最大。竣工は 961年とも 970年とも。ジョージアのバグラト朝のダヴィド・タイク王による。ラテン十字に近いプランだが、トランセプトの端部がアプスになっている3アプス式で、交差部の4本柱の上にドーム屋根が架かる。グリゴール・イシュケリの工事という。南側の柱廊部が入口となっている。( ET.II-7, AG.111, 138-41, 223, AMG.119, Phai.210 )

平面図
オシュク修道院聖堂、平面図
(From "The Armenians" Adriano Alpago Novello, 1986, Rizzoli)


オシュク  オシュク  オシュク


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(ジョージア) ハホ HAHO **

ハホ修道院(ヴァンク)**
HAHO MONASTERY, 976-1001

ハホ  ハホ  ハホ

エルズルムの北北東 90km。 ジョージア語でハフリ Khakhuli 村(チャチュリ Chachuli 村とも)。エルズルムからジョージア渓谷を北上すると、最初に現れるのがハホの修道院で、主聖堂がモスクに転用されたおかげで 現在まで生き延びた。これもラテン十字のプランにドーム屋根を架けた聖堂で、タイク・バグラト朝のダヴィッド2世クロパラト王によって10世紀に建立された。( ET.II-10, MG.70-73, Phai.208 )

平面図
ハホ修道院聖堂、平面図
(From "The Armenians" Adriano Alpago Novello, 1986, Rizzoli)


ハホ  ハホ


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タトヴァン TATVAN *

クズヴァク聖堂
KIZVAK KILISE, 13c. 17c.

タトヴァン  タトヴァン  タトヴァン

タトヴァンから 6kmのクズヴァク村に残る聖堂。外観は農家の納屋の趣で、実際、今は倉庫に用いられている。( PC.391 )


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アフタマール AGHTAMAR ***

アフタマール修道院(ヴァンク)***
AGHTAMAR VANK (聖十字架聖堂 Surp Khach) 10c.

アフタマール  アフタマール

アフタマール  アフタマール  アフタマール

ヴァン湖は日本の琵琶湖の約5倍の面積をもつ。南のほとりのゲヴァシュ村からフェリー・ボートで 3kmのアフタマール島に聖十字架聖堂が残る。現代のトルコ語では アクダマール と発音する。
バグラトゥニ朝の最盛期を築いたアルトゥルニ家のガギク1世(在989-1020)はその首都をヴァンからアフタマール島に移し、建築家マヌエル Manuel に聖堂をはじめとする種々の施設を建てさせた(His p.110)。 915-921年、建築家は Mnuêl (Imprints p.64)。聖堂はアルツルニ家のガギグ王が 915〜921年に建立。宮殿および宝庫、官衙や学校、店舗や倉庫、兵器廠や監獄など、首都としての建物はすべて消失し、聖十字架聖堂のみが残存している。小さな島に取り残されていたために破壊を免れ、修復を受けながら生き延びた。外壁にほどこされた数多くのレリーフ彫刻が、アルメニア美術の貴重な宝庫となっている。 ( PC.331, AA.534, ET.I-192-200, DOC.8, Book )

平面図
アフタマール修道院の平面図
(From "Documenti di Architettura Armena 8. Aght'amar", 1974 )


アフタマール  アフタマール  アフタマール  アフタマール

聖堂のプランは バガルシャパトの聖フリプシメ聖堂の流れをくむが、全体を矩形の枠取りには納めなかった。、

アフタマール  アフタマール  アフタマール

アフタマール  アフタマール  アフタマール

* さらに対岸近くのクチュック島(チャルパナック島)にも、7世紀の聖ヨブハネス聖堂があるが、 未訪。 ( PC.332, AA.549 )


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オールド・ヴァン OLD VAN *

城址と聖堂遺跡群
CITADEL and VANKS, 10c. 15-17c.

ヴァン  ヴァン  ヴァン

岩山の上に城塞があり、丘の下に市壁で囲まれた都市が広がっていた。すべてはロシアによって1917年に破壊されてしまったが、いくつかのモスクや聖堂の遺址が見られる。
聖堂 1 はトプチュオール・ジャーミイ、 聖堂 2 はウル・ジャーミイ(大モスク)( PC.326, AA.587, MH.86, ET.I-179-185, )


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イェディ・キリセ YEDI KILISE *

ヴァラガ修道院(ヴァンク)*
VARAG VANK, 10-11c. 17-19c.

イェディ・キリセ  イェディ・キリセ  イェディ・キリセ

イェディ・キリセとは、トルコ語で7つの聖堂の意だが、今は断片的にしか残っていない。( PC.322, AA.587, MH.224, ET.I-190-2, 418)

平面図
イェディ・キリセの平面図
(From "Armenian Art" Jean-Michel Thierry, 1987, Harry N. Abrams)

イェディ・キリセ  イェディ・キリセ  イェディ・キリセ  イェディ・キリセ


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アルバイラク ALBAYRAK *

聖バルドゥギメオス修道院(ヴァンク)*
BARDUGHIMEOS VANK, 13c. 17-18c.

アルバイラク  アルバイラク  アルバイラク

ヴァンの東方、イラン国境の近く。アルバイラク村の丘の上に、アクロポリスのパルテノンのように屹立している。軍のキャンプ内にあるので撮影は困難だが、キャンプの司令官から特別許可をとった。軍関係者以外でこの構内に入ったのは、私が初めてだという。なぜキャンプ内にしているかというと、この聖堂の地下には金銀が埋まっているという伝説があるので、放っておくと人々がこの聖堂を破壊してしまうので、軍がプロテクトしているのだという。
AAではアグバク。バシリカ形式の 聖バルドゥギメオス修道院聖堂。聖バルドゥギメオスとは、12使徒の一人、聖バルトロマイのこと。 1715年の地震で屋根崩壊。プランの外形は完全な矩形をしている。( PC.315, AA.472, ET.I-215-7, DOC.13, Phai.236 )

アルバイラク    平面図
               聖バルドゥギメオス聖堂、平面図
               (From "Eastern Turkey, vol.1, T.A. Sinclair. 1987)


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ソラディール SORADIR ***

聖エチミアジン修道院(ヴァンク)**
SURP EJMIACIN VANK, 6c. 17c.

ソラディール  ソラディール  ソラディール

アルバイラクの北 20km、車で悪路を30分。イラン国境の近く 。標高2,300m。6世紀の四アプス聖堂。かつてはカルミール・ヴァンク(赤修道院)の一部だったという。現在、内部は保存がよいのに、床は汚物でまみれている。
プランはアフタマールの聖十字架聖堂ときわめて良く似ているが、天井の構成はユニークである。普通の聖堂よりもガヴィットに近い。二組の直行横断アーチの交差部にムカルナス型スキンチの小ドーム天井が架かり、トップサイド・ライトを設けている。角を丸くした方形の胴部(ドラム)は非常に珍しい。現在の形になったのは17世紀。( PC.314, AA.577, ET.I-250, Phai.230 )

   ソラディール  ソラディール  ソラディール  ソラディール


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(ビザンティン) アラハン ALAHAN ***

アラハン修道院 **
ALAHAN MONASTERY, 5c.

アラハン  アラハン  アラハン

かつて南アナトリアにアルメニア人がつくったキリキア王国の西隣がイサウリア Isauria 地方で、ここに残るアラハン・モナスチールは、シリアの 聖シメオン聖堂 と並ぶ、最も重要な初期ビザンティン建築の遺構である。(イスタンブルの聖ソフィア大聖堂は別として)。イサウリア出身の、ビザンティン帝国の皇帝ゼノ Zeno (在位 474-491) が建立したと考えられている。
ここには石窟に始まり、西のバシリカ遺跡と東の聖堂、洗礼堂、それらを連結する長い列柱廊があった。なかでも重要なのは東聖堂で、三廊式バシリカに中央ドーム屋根という、アルメニア建築の一タイプの原型を、2世紀も早く示している(ただし、木造屋根だったという説もあるが)。ゼノの死後、国の内乱によって、イサウリアの高度な技能の建築家や石工たちは、新しい仕事を求めて離散の民(ディアスポラ)になったというから、アルメニアに移住した者たちもいたことだろう。( Phai-52, Stierlin 45-47, Book )

平面図
アラハン修道院・東聖堂、平面図
(From "ALAHAN, An Early Christian Monastery in Southern Turkey"
by Mary Gough, 1985)

アラハン  アラハン



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地図
イラン  IRAN

イラン最北部は アゼルバイジャン地方と呼ばれ、アゼリー人が多く住む。アルメニア人も多く、北側のアルメニア共和国に隣接するので、イランのアルメニア人は タブリーズの北の国境の町、メグリを経由して 自由にアルメニアに行き来している。
アゼルバイジャン地方には、マークーの近くの 聖タデウス修道院(ヴァンク)と、国境の町 ジュルファ(ジョルファ)の近くの 聖ステファノス修道院(ヴァンク)があるが、1979年のイスラーム革命時に無人となってしまい、今は文化財として保存されている。2008年に聖タデウス修道院と聖ステファノス修道院が、マークーの近くの ジョルジョル(コルコル)二再建された聖母(スルプ・アストヴァツァツィン)聖堂(筆者未訪)と合わせて、イランにおけるアルメニア修道院建築群として、ユネスコ世界遺産に登録された。
また、南の古都 イスファハーンには、サファヴィー朝の シャー・アッバース大王が ジュルファのアルメニア人を移住させて商業活動を託した、ニュー・ジュルファ(ニュー・ジョルファ)地区がある。

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マークー MAKU ***

聖タデウス修道院(ヴァンク)***
SURP THADDAEUS VANK (Qareh Kalisa), 14, 17, 19c.

マークー  マークー  マークー

マークーの町はトルコ国境から22km。聖タデウス修道院聖堂は、現地ではカレー・カリーサー(黒聖堂)と呼ばれてきた。マークーの南、直線で 20kmの距離だが、道路が大きく迂回するので、車で1時間弱かかる。トルコ国境のバーザールガーンへも、車で1時間半弱。要塞修道院。最初にここに礼拝堂が建てられたのは 371年と言われるが、拡大されて聖堂になったのは7世紀という。14世紀はじめに大地震で倒壊し(1319年)、それから 10年間で再建された。古聖堂の祭壇まわりは10世紀という。14世紀の古聖堂が黒い石で建てられていることから、黒聖堂と呼ばれるようになった。西側の より大きな聖堂は 19世紀の増築である。
聖タデウス(タダイ)はキリスト十二使徒のひとりで、聖バルトロマイと共にアルメニアに宣教したと伝えられることから、アルメニアでは重要な聖人とされる。毎年6月19日頃が聖タデウスの祝日で、多くのアルメニア人巡礼者がここに集まって祝う(周囲にテントを張って宿泊キャンプを張る。)筆者が再訪した 2004年は 内部の修復工事中であった(ユネスコ世界遺産への登録をめざしたもの)。( PC.297, AA.589, DOC.4, 20-102 )

平面図
聖タデウス修道院の平面図
(From "Documenti di Architetture Armena 4. S.THADEI' VANK", 1971)

マークー  マークー  マークー

マークー  マークー  マークー


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ダラシャンブ DARASHAMB ***

聖ステファノス修道院(ヴァンク)***
SURP STEPHANOS VANK, 14, 16-17c.

ダラシャンブ  ダラシャンブ  ダラシャンブ

イランとアゼルバイジャンの国境近くの町 ジュルファ(ジョルファ)から、ナヒチェバンとの国境をなすアラス川沿いの道を車で20分、ダラシャンブ村の近くに 1979年のイスラーム革命まで活動していた聖ステファノス修道院(ヴァンク)がある。かつてはタブリーズで訪問許可をとり、猛烈な悪路をタクシーで行ったものだが、今では許可もいらず、道路も舗装されて、楽に行ってこられる。筆者が再訪した 2004年は 大々的な修復工事中であった(ユネスコ世界遺産への登録をめざしたもの)。
聖バルトロマイによって創建されたという伝説がある。
14世紀以降数度の地震で倒壊したのち、1814年にペルシアのガージャール朝の王子であったアッバース・ミールザーによって再建されたという。 ( PC.293, AA.547, DOC.10, 20-102 )

平面図
聖ステファノス修道院の平面図
(From "Documenti di Architetture Armena 10. S.STEPHANOS", 1980)

ダラシャンブ  ダラシャンブ  ダラシャンブ  ダラシャンブ

ダラシャンブ  ダラシャンブ  ダラシャンブ  ダラシャンブ




聖母(アストヴァツァツィン)聖堂
SURP ASTVATSATSIN, 1518.

ダラシャンブ

聖ステファノスからさらに奥に行ったところにある 16世紀の小聖堂 (PC.294, DOC.20-88 )


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ムズンバル MUZUMBAR *

聖フリプシメ聖堂
SURP HRIPSIME, 17c.

ムズンバル  ムズンバル  ムズンバル

ムズンバル村の中央に建つ3廊式のバシリカ型聖堂。( PC.303, AA.589, DOC.20-42 )



聖アネレヴイト聖堂
SURP ANEREVOYT, 1810

ムズンバル  ムズンバル

ムズンバル村の東の丘の上に建つ聖堂。( PC.302, AA.589, DOC.20-46 )


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ソルフル SORHUL **

聖ホヴハネス聖堂 *
SURP HOVHANNES, 19c.

ソルフル  ソルフル  ソルフル

ソルフル村はタブリーズの北。岡の上に孤立して建つ。( PC.304, AA.589, DOC.20 )
聖ホヴハネスとは聖ヨハネのこと。

アクソメ図
聖ホヴハネス聖堂の断面アクソメ図
(From "Documenti di Architetture Armena 20. SORHUL", 1989)


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イスファハーン(エスパハーン)
ISFAHAN (ESPAHAN)
***

古図
ニュー・ジュルファ地区の古図

イスファハーン南部のニュー・ジュルファ地区は サファヴィー朝のシャー・アッバース 1世が 17世紀につくったアルメニア人地域で、多くのペルシア型アルメニア聖堂がある。 シャー・アッバースはペルシア北部のジュルファ(ジョルファ)から多くのアルメニア人の商人や職人を移住させ、信仰の自由を与えるとともに、新イスファハーンの商工業の発展に寄与させた。それが現在にまで続くアルメニア人コミュニティとなり、13のペルシア型アルメニア聖堂を残している。( AA.561, DOC.21 )

地図

ニュー・ジュルファ地区の 聖堂群地図
(From "Documenti di Architetture Armena 21. NOR DJULFA", 1991)
1:ヴァンク・カテドラル  2:聖母聖堂  3:ベツレヘム聖堂
4:聖ゲヴォルグ聖堂  5:聖グリゴール聖堂
6:聖ステファノス聖堂  7:聖サルギス聖堂  8:聖ミナス聖堂
9:聖ニコラヨス聖堂  10:聖ネルセス聖堂  12:聖カタリネ聖堂




ヴァンク・カテドラル **
VANK CATHEDRAL (Surp Amenaperkitch), 1108-12


イスファハーン  イスファハーン  イスファハーン

ニュー・ジュルファ地区の中心となるのがヴァンク・カテドラルで、1108〜1112年の建立という(1655〜64年とも)。DOCでは 1664年。境内には図書館やアルメニアの文化を展示する博物館もある。入口の事務所脇には売店があり、アルメニアの工芸品や書籍、音楽CDなどを販売している。
聖堂の内部は近代の壁画、天井画で満ち、ペルシアのイスラーム建築のような印象を与える。ただし壁画は19世紀のもので、レベルはあまり高くない。中央ドームは、ペルシア式の二重殻。( AA.561, DOC.21-22, Book )

平面図      本
ヴァンク・カテドラルの平面図と、ニュー・ジュルファの建築の本
(From "Documenti di Architetture Armena 21. NOR DJULFA", 1991)


イスファハーン  イスファハーン  イスファハーン  イスファハーン



聖母聖堂 *
KHUCHAP VANK (Surp Astuvatsatsin), 1062

イスファハーン  イスファハーン  イスファハーン

カテドラルの東方にあるペルシア型のアルメニア聖堂。道路をはさんだ向こうに ベツレヘム聖堂のドームが見える。DOCでは 1613年。( DOC.21-37, Book )



ベツレヘム聖堂 **
BET VANK (Meydani Betghahem), 1077

イスファハーン  イスファハーン  イスファハーン

聖母聖堂の向かいにあるペルシア型のアルメニア聖堂。一番古い。DOCでは 1628年。( DOC.21-45, Book )

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