ENJOIMENT in ANTIQUE BOOKS - XI
ピエールロチ 著、モーリスラロ

『 アンコール詣で 』

Pierre Loti + Maurice Lalau :
" Un Pèlerin d'Angkor "
1937, Calmann-Lévy, Paris.


神谷武夫

『アンコール詣で』, アンコール写真集, アンコール・ワット図面集


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 2月に カンボジア に取材旅行に行ってきて、その撮影の成果を「アンコール王朝の建築」として、先月 公開しましたので、今回の「古書の愉しみ」第 11回は、それと関連をもたせて、カンボジアのアンコール関係、とりわけ アンコール・ワットに関する古書を 採りあげることにしました。
 カンボジアの歴史的建築を代表し、国のシンボルともいうべきアンコール・ワット寺院は、日本人にも人気が高く、日本からの旅行者は きわめて多いようです。アンコール・ワットに関する本の出版は さらに盛んで、今までに日本で出版された本は、ガイドブックなどまで含めれば、おそらく 百冊を下らないでしょう。そこで、ここには アンコール好きの人も あまり目にしないであろうような 洋古書を、3冊紹介することにしました。といっても、前回までの本ほど古い本ではありませんが。

 まずは、フランス文学の挿絵本です。ピエール・ロチ (1850 -1923) が書いた『アンコール詣で』という短編小説ですが、かつて日本で人気の高かったピエール・ロチの名も、今では知る人も少ないことでしょう。

『アンコール詣で』 の表紙

ロチは 本名を ルイ・マリー・ジュリアン・ヴィオー(Louis Marie Julien Viaud )といい、1891年に 41歳の若さで学士院(アカデミー・フランセーズ)会員となり、1923年に 73歳で没した時には 国葬になったほど 令名の高い文人でしたが、本職は海軍士官でした。そのおかげで世界中を遠洋航海し、各地に寄港しては 数か月、あるいは数年間滞在し、その漂白流転の体験を小説に書いては 人気を博したのでした。

 彼が生きた 19世紀後半と 20世紀最初の四半世紀は、ヨーロッパが世界中に植民地を拡大していった時代ですから、彼の 異国趣味というべき、東洋の国々での体験記は、当時のヨーロッパ人の興味を 大いに そそったのでした。中でもロチが愛した イスタンブル(トルコ)には、彼がいつも お茶を飲みながら小説を書いたという、金角湾を見下ろす チャイハネ(茶店)が、今では「ピエール・ロチのチャイハネ」と呼ばれて、旅行者の訪れる場所になっています。

 日本にも 3回寄港し、長崎を舞台にした『マダム・クリザンテム』(邦訳題名は『お菊さん』)などを書いたので、日本人にも馴染みが深く、戦前には 多くの著書が翻訳出版されたものです。ここに紹介する『アンコール詣で』は、1901(明治34)年、ロチが 51歳の時、当時の 仏領インドシナに 巡洋艦ルドゥータブル号で航海し、子供の時から夢見ていた アンコール・ワットを訪ねた時の旅行記、および心的印象記です。

『アンコール詣で』 の扉

 余談ですが、アンコール・ワット訪問が記載された小説というと、実は まず、原田康子の小説『晩歌』(1956)を思い出して しまいます。ヒロインの怜子と知り合った 建築家の「桂木さん」が、一緒に食事をしながら、軍隊での体験を語ります、愉しいこともあったよ、と。

「そうだな、一番いい思い出は カンボジアにいたとき、こっそり アンコール・ワットを見に行った ことだ。」
「むかしクメールという国があってね、そこの王様が建てた伽藍だ。古い東洋建築の代表的な建物さ。日本人で アンコール・ワットを見た者は、そういない筈だよ。」

というセリフが、まだ大学に入って 建築の勉強を 始めたばかりの私には、妙に記憶に残りました。私が アジアの建築を研究するように なるよりも、ずっと前のことです。

 ピエール・ロチはというと、『アンコール詣で』の冒頭に 次のように書いています。

「アンコールの廃墟、それが幻となって 私の眼前に現れた あの薄ら雲の蔽った4月のある日の夕方のことを、私は本当によく覚えている。それは私の子供<博物館>、あの家(自宅の旧居のこと)の3階にあって・・・死んだ長兄の荷物と一緒に インドシナから渡来してきた・・・ある植民地雑誌の一冊・・・の中には、私の心をぎゅっと引っつかんで、目を吸い付けずには置かぬ数枚の絵、異国情調たっぷりな叉角が 八方で交錯した異様な巨塔、あの神秘的なアンコールの寺院の絵があった。それからというもの、どんなにしてでも、どんなことを 押し切ってでも、無理を押しても、禁を犯しても、いつかは これを見物してやろう という念願を、一瞬時といえども、私は疑ってみたことはなかった。」(佐藤輝夫訳、中公文庫)

 この子供時代の体験以来、彼は「旅と冒険との生涯」世界漂泊の夢を持ち続け、それを 海軍士官となって実現したのでした。イスタンブールや長崎をはじめ、世界各地に滞在して風物を観察するほかに、現地の女性たちとの 親密な交流も 数多くありました。

 アンコールを実際に訪れたのは、その子供時代の体験の およそ 35年の後になる 1901年でした。11月23日にサイゴン(今のヴェトナムのホーチミン市)を出発するところから 旅行記は始まり、11月27日に一行はシェム・リアプに着き、現地の人の案内で、ジャングルの中に アンコール・ワットや アンコール・トムを訪ねます。プノンペンに帰り着いたのは 12月2日のことでした。その翌日には 当時のカンボジア国王ノロドロムによる 歓迎の宴にも出席します。

  
モーリス・ラロによる『アンコール詣で』の挿絵ーI

 その旅行の 約 10年後の 1910年、ということは ロチが 60歳の時の感慨を、この小説の最終章として 書き加えています。あの子供時代を過ごした旧家の 子供<博物館>で、

「その魔力が なおも働きかけているように思われる。棚の上に並べてある こうした つまらないものが、遠い見知らぬ国への不安と戦慄とを私に与え、その国々の方へ向って、ここを脱出してゆきたい、冒険をやってみたい、そうした気持を そそのかす・・・。何という子供っぽい感動であろう! けれども、そうしたことは 万事 終ったのだ。見知らぬものは、もはや存在しないのだ。冒険の盃は、すっかり 飲み干してしまったのだ・・・。」

 そして 世界を冒険漂泊した後の思いとして、

「世界とは、実に、こんな所に過ぎなく、人生とは畢竟、こんなものに過ぎなかったのであろうか。・・・<われ一切を試みぬ、われ一切を味わいぬ・・・シャムの森の奥地に、夕べの星の、かの神秘なる アンコールの遺跡の上に登るを 眺めたりき> と。」

 ここには、老境に入った著者の、人生と世界に対する 深い慨嘆と諦観があります。私などには 少々 身につまされるものがある 慨嘆です。そして最後に、彼は 次のように書きます。

「われわれが 絶望の腕を差し伸ばす その至高の大慈は、それに与えられる 名辞の如何を問わず、必ず 存在しなければならない。死という別離の瞬間において、われわれの 限りなき不幸の叫びを聞いてくれる この至高大慈は、必ずや そこに在らねばならぬ。そうでなければ、この《造化》というものが、・・・あまりにもそれが醜く、あまりにも 卑怯未練な故をもって、到底許すべからざる 残忍なる存在となってしまう からである。」(佐藤輝夫訳)

      
モーリス・ラロによる 『アンコール詣で』の挿絵ーII

 さて、この『アンコール詣で』の挿絵本は、3種が知られています。
フランスワ・マルリアヴ(1874 -1953)の挿絵による 1930年版、ポール・ジューヴ(1878 -1973)とフランスワ・ルイ・シュミード(1873 -1941)による 1930年版、そしてモーリス・ラロ(1881 -1951)による 1937年版です。

 私が所有するのは、カルマン・レヴィ社から出版された、モーリス・ラロによる挿絵本で、一番普及しているものです(他の2点は少々高価、特にフランスワ・ルイ・シュミードのものは 値が張ります)。そして 前に紹介したアンドレ・マルチの挿絵による『青い鳥』と同じく、革製本する前の 仮綴じ本(ブロシェ)、日本で言う「フランス装」の本で、今から 75年前に出版された 古書です。モーリス・ラロについて 詳しいことは わかりませんが、フランスの画家で、多くの挿絵本を残しています。最高の画家とは言い難いですが、どんなテーマでも 種々の画風でこなす才覚を もっていたようです。

 この『アンコール詣で』は 短編小説なのに、古書店から届いた時に包みをあけてみたら、『青い鳥』の2倍ちかいヴォリュームがあるのに 驚いたのを 覚えています。『アンコール詣で』の 1.5倍の長さがある『死と哀憐の書』(ピエール・ロチ著、初版は1890年、カルマン・レヴィ社)と合わせた一巻だからです。しかし表紙のタイトルには、『アンコール詣で』しか書いてありません。

 挿絵は どちらも モーリス・ラロが ポシュワールの技法で描いていて、1ページ大のものは『アンコール詣で』に7点、『死と哀憐の書』に6点で、計 13点のほかに、各短編の冒頭に 小挿絵(ヴィニェット)が添えられています(全部で 11点)。ポシュワールの挿絵は2色刷りと多色刷りがあり、多色刷りのものには、パラフィン紙のカバーが かけられています。私が一番好きなのは、『アンコール詣で』の最後の挿絵で、石の尊顔彫刻が ジャングルの中の沼のほとりで、現地人を眺めているようなシーンです。




アンコール写真集

『アンコール、都と寺院』の表紙

 私は、自身が 建築写真家でもあるので、他の写真家の写真集を褒める ということは 滅多にないのですが、この『アンコール、都と寺院』("Angkor Cities and Temples")だけは 別です。この 約 28cm角の 正方形にちかい 大型の本に収められた、アンコールの 建築とレリーフ彫刻の オール・カラーの写真群は、実に素晴らしい。出版されたのは、今から 15年前の 1997年なので、「古書」というほどではないのに、敢えてここに紹介する所以です。

 撮影したのはマイケル・フリーマン(Michael Freeman)という英国の写真家で、1945年生まれといいますから、この本を出した時は、油の乗り切った 52歳ということになります。もともとは ロンドンの広告会社に勤務していたようですが、1978年にタイム・ライフ社から『アテネ』を出して 写真家としてデビュー、またアマゾン河流域地方の写真集を きかっけに 勤めをやめて独立しました。次第に遺跡や建築の写真を撮るようになり、タイをベースに、東南アジアの考古遺跡を 集中的に撮影しました。その成果が、彼の代表作となる3部作の写真集です。

 第1作は 1992年出版の『神の宮殿群』 ("Palaces of the God") で、タイ領内にあるクメール遺跡の美術と建築を みごとに まとめました。第2作は 1996年の『タイの旧都』("Ancient Capitals of Thailand") で、タイの歴史上の首都、スコータイからアユタヤまでの 遺跡と建築を撮り上げました。いずれもバンコクの出版社 リバー・ブックス社から出版されましたが、そのヨーロッパ版が ロンドンの テムズ・アンド・ハドスン社からも出ています。

   
マイケル・フリーマンによる、アンコール建築の写真ーI

 この間、彼が最も撮影したかったのは アンコール遺跡群だったでしょうが、前に書いたように、カンボジアの内戦が長く続いたために、なかなか 可能とならず、彼が初めてアンコールに入ったのは、内戦末期の 1989年のことです。それから何年もかけて、戦場から文化遺産へと転換されていく中で、撮影していったようです。こうして、第3作の『アンコール、都と寺院』が 1997年に出版されました。

 ほとんどの写真は「シノゴ」(4インチ × 5インチのフィルム)の大判カメラで、十分に「あおり」をつけ、できるだけ絞り込んで 長時間露光で撮るという、建築写真の王道を行ったものです。これら 細部まで鮮明に撮られた写真は、発色も実によく、アンコール遺跡の 最高の写真集となりました。
 出版社は、やはりバンコクのリバー・ブックス社ですが、その前の 同形の2冊の写真集の経験を生かして、図面作成から本の編集、レイアウトに至るまで、はるかに良い出来の本となりました。主要寺院の平面図は、私の『アンコール建築・写真ギャラリー』に転載させてもらったので、きれいな図面だということが わかるでしょう。カラー印刷も、同時期のインドの本など比較にならない精緻なもので、タイの出版文化は あなどれません。

マイケル・フリーマンによる、アンコール建築の写真ーII

 さて、この本を、写真集、写真集、と呼んできましたが、これは単なる、カラフルな「コーヒー・テーブル・ブック」ではありません。テキストを書いているのが クロード・ジャック(Claude Jacques)という、フランス極東学院や プノンペン王立大学、パリ高等研究院などで 長くアンコール遺跡の、主に碑文解読・研究を行ってきた碩学です。その研究成果に基づいて、アンコール王朝の歴史をたどりながら、ひとつひとつの遺跡、建築をていねいに解説しています。

もともとは この本のためではなく、1990年に パリのボルダス社から出版した『アンコール』という、フランス語の本です。それをマイケル・フリーマンの写真と合体させるために、アメリカ人のトム・ホワイトが 平易な英語に翻訳しました。実に読みやすいテキストなので、英語で読むことをお勧めしますが、しかし日本の大手出版社は、どうして これほど素晴らしい本の 日本語版を、リバー・ブックス社と提携して 出版してこなかったのだろうかと、不審に思います。
 クロード・ジャックは 1929年生まれですから、もう 80歳を超えていますが、なお活動中とのことです。




アンコール・ワット図面集

『アンコール・ワット図面集』の表紙と扉

 最後は、フランス極東学院による 『アンコール・ワット図面集』です。18、19世紀に 植民地獲得競争をしたヨーロッパ諸国の東インド会社は 軍隊を引き連れ、ヨーロッパ本国どおしで戦争をしたばかりでなく、アジアでも 領土戦争をしました。インドでイギリスに敗れたフランスは、わずかに 南インドのポンディシェリーのみを残して インドを去り、主力を東南アジアに向けて、今のヴェトナム、ラオス、カンボジアを 植民地としてゆき、それを一括して「仏領インドシナ」と呼びました。インドシナとは、インドとシナ(中国)の中間部ということです。

 植民地経営は、軍事や経済ばかりでなく、文化面での関与も 必要になっていきます。インドでは イギリスが 1860年に、アレクサンダー・カニンガムを初代長官とする「考古調査局」(A.S.I.:Archaeological Survey of India)を設立して、インドの古遺跡や建築の調査に 大きな役割を果たしました。その組織は インド独立後も 新政府に引き継がれ、現在も活動しています。

 一方フランスは 1898年に「インドシナ考古調査協会」を ヴェトナムのサイゴンに設立し、1900年に「フランス極東学院」(EFEO:l'École Française d'Extrême-Orient) と改称して、翌年 ハノイに移転しました。インドの考古学や建築の研究資料として A.S.I. の出版物が欠かせないように、東南アジアの考古研究には E.F.E.O. の調査報告書が、最も重要な資料を提供します。

  
『アンコール・ワット図面集』の 図面

 今回採りあげる『アンコール・ワット図面集』は、大戦後にパリに移ってからの 極東学院の出版物ですが、通常の本とは 著しく内容が異なります。テキストはなく、アンコール・ワット寺院を実測して 製図した 大量の図面を、製本せずに、一枚一枚 折りたたんで 箱に収めたものです。箱といっても、これもまた 折りたたみ式のものなので、中国や日本の 伝統的な「帙」(ちつ)の形式を借りて作ったもののようです。奥の閉じ方は 爪を挿す方式ではなく、紐結び式に なっています。
 出版は、今から 43年前の 1969年ですから、製図は 今の時代のコンピュータによる CAD ではなく、製図版とT定規、それに烏口による 手描きのインキング方式の時代のものです。

 第一回廊までの全体平面図を 1/250 で印刷していますが、一辺が1メートル以上もあり、あまりに大きいので、北半分と南半分の2枚に分けていて、他のすべての図面と同じように、26cm × 36cm の大きさに 折りたたんでいます。もともとの平面図は 1/100 で作成されたということなので、多くの分割された図面を 印刷にあたって合成したものです。1/250図面でも大きすぎるので、1/500 に縮小した平面図も ありますが、これで4っ折、すなわち 52cm × 72cm の大きさです。
 4万分の一の「アンコール遺跡地図」は『アンコール建築・写真ギャラリー』に転載してありますが、あれが3っ折り、すなわち 36cm × 78cmの大きさです。ほとんどの図面は 1/50 で作図されたそうですが、この「本」では 1/100 や 1/200 に縮小して 収載しています。中には 1/50 のままで印刷した図面もありますが、細かいディテールまで描きこんであるわけでもないので、何の役に立つのかなと、不思議な気もします。

  
『アンコール・ワット図面集』の 図面

 私の印象から言えば、これほど大きな 折りたたみ図面集よりは、ガンガイコンダチョーラプラムの報告書ぐらいに 縮小した図面を製本してもらった方が、見やすく、使いやすいのではないか、ということでした。(Publications de l’École Francaise d’Extreme-Orient, Mémoires Archéologiques 20, GANGAIKONDACHOLAPURAM, Pierre Pichard, 1994)
 とはいえ、建築を理解する上で、写真に次いで必要なのは図面ですから、こうした図面集が出版されるのは、大変 ありがたいことです。

 フランスの出版物ですから、極東学院の本は、基本的には「フランス装」の製本だったのですが、こうした学術書を革製本する人というのは あまり いないので、近年は 初めからハードカバーにした本も 出版するようになりました。厚い紙表紙に、背まわりだけ 紺色の布を貼る クォーター・クロス装が一般的なようで、この『アンコール図面集』の帙も、それに倣った装幀をしています。本棚に立てられるのは、大きな利点です。

( 2012 /04/ 01 )


< 本の仕様 >
 "アンコール詣で UN PÉLERIN D'ANGKOR" ピエール・ロチ著、モーリス・ラロ画
 ”死と哀憐の書 LE LIVRE DE LA PITIÉ ET DE LA MORT" を併載
   written by Pierre Loti, illustrated by Maurice Lalau.
   1937年、パリ、カルマン・レヴィ社, Calmann-Lévy, Paris.
   八つ折り本(オクターヴォ)、23cm x 18cm x 3cm、仏語、260ページ
   ポシュワールによる挿絵 24点、 版元装幀の仮綴じ本(フランス装)


 "アンコール、都と寺院 ANGKOR CITIES AND TEMPLES" 
   クロード・ジャック著、マイケル・フリーマン写真、トム・ホワイト英訳
   written by Claude Jacques, photographed by Michael Freeman,
   translated into English by Tom White.
   1997年、バンコク、リヴァー・ブックス社、River Books, Bangkok
   ハード・カバー、28cm x 29cm x 3cm、英語、320ページ


 "アンコール・ワット図面集 ANGKOR VAT DESCRIPTION GRAPHIQUE DU TEMPLE"
   1969年、パリ、フランス極東学院、École Française d'Extrême-Orient, Paris.
   概要書 26cm × 36cm、32ページ、仏語、ギイ・ナフィリヤン編 Guy Nafilyan
   帙の大きさ 27cm × 38cm × 7.5cm 折りたたみみ図面 113枚収容。


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