ポール・ヴァレリイ
「エウパリノス」
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言ってくれたまえ、君はこの町を散歩するとき、町にむらがる建物の中で、あるものは黙し、あるものは語り、またあるものは、これが一番稀なのだが、歌う、ということに気づきはしなかったか。
... 建物をこれほどまでに躍動させ、また沈黙させるものは、建物の用途でもなく、その全貌でさえもない。 それは建築家の才能か、あるいはミューズたちの恩寵に由来するのだ。
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ポール・ヴァレリイ
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自分の感動を、愚劣、弱点、無用、愚昧、欠陥と見なすこと ... 船酔いとか、高所でおこす目まいのように 屈辱的なことがらと見なすこと ... 我々の中の、あるいは私の中の何かが、精神に対して魂がふるう創造力に反撥する。
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ポール・ヴァレリイ
「エミリー・テスト夫人」
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抽象的なこととか、私には あまり高級なこととか聞かされていても、私は退屈しません。 ほとんど音楽を聴いているような喜びが感じられるのです。 魂の中には、理解しなくても楽しめる 美しい場所が かなり大きいのです。
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ポール・ヴェルレーヌ
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どうしたのか、おお そこで
たえず涙をこぼしているお前よ
言え、そこにいるお前よ
自分の青春を お前はどうしたのか
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ウンベルト・エーコ
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なぜなら、あらゆる芸術のなかでも建築は、太古の人びとがコスモスと名づけた宇宙の秩序を、最も果敢に おのれのリズムのうちに取り入れて再創造することを めざすものであり、いわば おのれの四肢の完璧な均衡の上に 燦然と輝いて立ち上がる巨大な生き物にも似せて、それが造られることを めざすものであったからだ。
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フリードリヒ・エンゲルス
「フォイエルバハ論」
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認識と同じように歴史も、人間の完全な理想状態の中に 完結点を見出し得るものではない。 完全な社会、完全な国家とは、空想の中にしか存在し得ない。
反対に、次々に続く歴史状態は すべて、低いものから高いものへと進む 人間社会の無限の発展の中の 一時的な段階にすぎない。
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ジョージ・オーウェル
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おそらく、聖者となりうるか、もしくは聖者にあこがれる少数の人々は、人間らしくありたいという気持を あまり感じたことがないのだろう。
かりに それを心理的根源まで追求することができるとすれば、「無執着」 の主たる動因は、生きることの苦痛から逃れたいという欲求、とりわけ、性的であろうとなかろうと、苦痛にほかならぬ 愛の営みから逃れたいという欲求であることが、きっと明らかになるだろうと私は思う。
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ジョージ・オーウェル
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人間的であることの本質とは、完全さを求めないことであり、誠実たらんがために 時には実際に進んで罪を犯そうとすることであり、親しい交友を不可能にしてしまうほど 禁欲主義を推し進めたりしないことであり、他の個々の人間に対して 愛情を注いだ当然の代償として、ついには人生に、敗れて破滅する覚悟をもっていることなのだ。
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エンリコ・カスティリオーニ
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自分の自然、自分の歴史、自分の言葉をもった民族は、そのまま一つの詩も胎んでおり、それ故に一つの建築を胎んでいるのです。 一篇の歴史もなく、一つの伝統もないのでは、建築は胎外に出ることなく、そして存在することもなく、もちろん創意も存在しません。
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キェルケゴール
「あれかこれか」
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結婚するがいい、そうすれば 君は後悔するだろう。
結婚しないがいい、そうすれば 君は やはり後悔するだろう。
結婚するかしないか、いずれにしても 君は後悔するだろう。
君は結婚するか、それとも結婚しないかの どちらかだが、いずれにしても 君は後悔するのだ。
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キェルケゴール
「あれかこれか」
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だから、絶望を選ぶがいい! 絶望はそれ自体 ひとつの選択なのだから。 疑うことは、それを選ばないでもできるが、絶望することは、それを選ばないでは できないからである。
そして絶望することによって、人は再び選ぶのであり、その時 何を選ぶのかといえば、自己自身を選ぶのであるが、その直接性においてではなく、この偶然的な個人としてではなく、自己の永遠の妥当性における 自己自身を選ぶのである。
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ミラン・クンデラ
「冗談」
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私もルツィエも 荒廃した世界に生きていた。 そして私たちは荒廃した事物や自分たち自身を傷つけながら、それから目をそらしていたのだ、と。
ルツィエよ、かくも深く愛され、かくもみじめな愛され方をしたお前は、何年もたった今、このことを私に言いにきたのか? お前は 荒れ果てた世界を代弁するために やってきたのか?
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アレクサンドル・ゲルツェン
「向こう岸より」
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私は、世界と喧嘩しろなどとは言わぬ。
我々をとりまく全世界が たとえ滅びようと、その中に救いを見いだし得るような、独立した 自主的な生活を始めるように忠告しているのだ。
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アレクサンドル・ゲルツェン
「過去と思索」
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私は 明日死にたいとも思わないし、非常に長く生きたいとも思わない。 終わりは、始まりと同じように、偶然に、無意味に訪れるがいい。
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ジャン・ポール・サルトル
「実存主義とは何か」
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というのは、われわれは 人間がまず先に実存するものだということ、すなわち 人間はまず、未来にむかって みずからを投げるものであり、未来のなかに みずからを投企することを意識するものであることを 言おうとするのだからである。
人間は 苔や腐蝕物や花キャベツではなく、まず第一に、主体的にみずからを生きる 投企なのである。 この投企に先立っては何物も存在しない。
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詠み人知らず
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愛なく、芸術なくして、何の人生ぞや。
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マックス・シュティルナー
「唯一者とその所有」
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神のものは神の事柄であり、人間のものは 「人間の」 事柄である。
私の事柄は 神のものでもなく人間のものでもなく、真なるもの、善なるもの、正義なるもの、自由なるもの等々ではなく、ただひとり 「私のもの」 である。 それは 不変なるものではなく、ただ ―― 私が唯一であるごとくに、「唯一」 である。
私にとって、私を超え出る何物もないのだ。
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ショーロホフ
「静かなるドン」
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と、涙の眼で花を見つめ、うら淋しいその香りを吸いこんでいた この短い一刹那、何故か アクシーニャには、若き日や喜びの少なかった これまでの長い生活が、すっかり思い返された .... きっと アクシーニャは年をとったのだろう ....
女というものは、思いがけない回想が心を捉えるために 若い頃から涙を流すようになるのだろうか。
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アンリ・ダヴァンソン
「トゥルバドゥール」
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さんざしもなしに! さんざしとは ロシアでは愛の花である。 春になると、それは庭や生垣に生えひろがり、小川沿いに 芳香を放つ茂みをなして開花し、若草を 春の瑞々しさで染めあげる ....
ああ、ニーナ・ラザーレヴナ、それはロシアだけのことではない。
わたしたちの愛も同じこと
あの さんざしの細い枝のように ...
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ウニカ・チュルン
「ジャスミン男」
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皆から離れて、ただ目に見えない相手と小声で話をするだけの 一人の女の患者が座っている。 今、夏か冬か気がつかない。 食事に呼んでも聞こえない。 彼女は平和の象徴で、この 「カップル」 は 和合の中に睦まじく暮らしている。
こういう病気になっても、侮辱もせず、攻撃もしない、品のある 「話し相手」 があるとは、何という幸せであろう。
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テンニェス
「ゲマインシャフトと
ゲゼルシャフト」
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人類文化は 変化する存在であり、変化するものとして、それは現存の形態の発展であると同時に その解体であるから、あらゆる変化は、流動的概念の相互転入によってのみ 把握することができるからである。
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ドストエフスキイ
「カラマーゾフの兄弟」
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― 今仮にだね、他ならぬお前が 究極において人間を幸福にし、ついには平和と安らぎを与える目的をもって、人類の運命の建築物を築いているとするよ。
しかしその為には、どうしても ほんの取るに足りない ちっぽけな人間、つまり例の、小さなこぶしで胸を叩いた あの女の子を責め殺すことが必要であり、
それはどうにも避けられない、その子供の、恨みをはらすことのない涙を土台にしなければ 建築ができないという場合に直面したら、お前はこうした条件で その建築家になることを承諾するかい?
― いいえ、承諾しないでしょう。
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レオン・トロツキー
「わが生涯」
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壁の上には澄みわたった青空が、そして すべてに降りそそぐ陽の光が見える。 生は美しい。 未来の世代に属する人たちが、人間の生活から、すべての悪、すべての抑圧、すべての暴力を拭い去り、そして そのすべてを享受するように。
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レオン・トロツキー
「亡命日記」
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人生は容易ではない .... もし、自分を個人的悲惨から、また弱さ、すべての裏ぎり、愚かさからふるい立たせるような、自分を超えた偉大な理想を心に抱いていなかったら、虚脱やシニスムに陥ることなく、それを生きることはできまい。
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パスカル
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わずかのことが われわれを悲しませるので
わずかのことが われわれを慰める。
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パール・バック
「母よ嘆くなかれ」
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私が自分を中心に ものごとを考えたりしたりしている限り、人生は 私にとって耐えられないものでした。
そして私がその中心を ほんの少しでも自分自身から外せることができるようになった時、悲しみは 容易に耐えられるものではないにしても、耐えられる可能性のあるものだ ということを理解できるようになったのでした。
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フェルディナント 1世
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正義をして存立せしめよ
たとえ全世界が滅びるとも
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エドムント・フッサール
「ヨーロッパ諸学の危機と
超越論的現象学」
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しかし、もし諸科学が、このように 客観的に確定しうるものだけを真理と認めるのだとしたら、また歴史の教えるのが、精神的世界のすべての形態や人間生活を支え拘束するもの、すなわち理想や規範は、つかのまの波のように形作られては また消えて行くものだということ、それは これまでも常にそうであったし、今後も常にそうであろうということ、いつも理性が無意味に転じ、善行がわざわいになる というようなことでしかないとしたら、世界と、世界に生きる人間の存在は、真に意味をもち得るであろうか。
歴史的出来ごとが、幻想にすぎない高揚と 苦い幻滅の、たえまのない連鎖以外の何物でもないような、そういう世界に 我々は生きることができるであろうか。
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プーシキン
「エウゲニ・オネーギン」
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若い頃に若々しかった者は幸せである。
よき折に大人になった者は幸せである。
人生の冷たさを、時と共に堪え通して、
世の常と異なる夢に おのが心を委ねることなく、
社交界の俗物どもを、
うとんずることもなく過ごした者は 幸いである。
けれど、おのれの青春をむなしく過ごし、
ことごとにそれを裏切り続け、
またそれに欺かれたと考えるのは悲しいことだ。
青春のこよなき願い、汚れなき夢の数々が、
さながら秋に木の葉の朽ちるように、
次々に朽ち果てたと思うのは悲しいことだ。
人生を儀式のように思いなし、
礼儀正しい俗物どもと、思いも望みも異にしながら、
その後ろからついて行くのは、味気ない限りだろう。
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アナトール・フランス
「ペンギンの島」
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余の興味を惹きそうに思われる娯楽が いろいろあることは明らかであるが、しかし余の畢生の目的に至っては、唯の一つしかない。 余の生涯は、これを挙げて、ある大計画の完成に向けられている。
余は ペンギン人の歴史を書くのだ。 余は しばしば起こる、そして時には 打ち勝ち難くさえ見える困難にも屈することなく、孜々(しし) としてこの業にいそしむ。
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アンリ・ベルグソン
「創造的進化」
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意識を持つ存在者にとって 存在するとは変化することであり、変化するとは成熟することであり、成熟するとは 限りなく自分で自分を創造することである。
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ヨハン・ホイジンガ
「中世の秋」
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いつの時代も 美しい世界にあこがれる。 昏迷の生活に打ちのめされ、現在に深く絶望すればするほど、そのあこがれは深まる。 中世末葉、生活の主調音は、きびしいメランコリーであった。
それでは、この時代の人びとの生活は、他の時代にくらべて、事実、より不幸だったのであろうか。 おそらく、ひとは そう信じるにちがいない。 この時代が のちに伝えた言葉をたどってみれば、ただもう、争い、憎しみ、悪意、貪欲、野蛮、悲惨の記憶ばかりである。
しかし、いつの時代とて、たしかに、幸福の跡を少なく、悲しみの跡を多く、のちに伝えている。 書きつづられるのは、大いなる不幸の歴史なのだ。
また、はなはだ説明には こまるのだが、こう確信してもかまわないと思うのだ、人間に わりあてられている生の幸福、のびやかな喜び、甘い憩いの総量は、時代によって そう差があるわけではない、と。
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ヨハン・ホイジンガ
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このように、倦怠した貴族たちは、彼ら自身の求める理想を、自ら嘲笑う。
空想をつくし、技巧を凝らし、金の力にものを言わせて、美しい生活という情熱の夢を飾りあげ、多彩にいろどり、肉づき豊かに、夢に現実の形を与えた。
その時、彼らは気づくのであった。 生活は もともとそんなに美しくはないと。 そして笑うのであった。
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グスタフ・マーラー
「さすらう若人の歌」
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いとしい人がとついでゆくと しあわせそうにとついでゆくと
かなしい毎日がやってきた!
小部屋の中にとじこもって 小暗い部屋にとじこもって
いとしい人を思って泣いた 恋しい人を思って泣いた!
青い花よ しおれるな 青い花よ しおれるな
小鳥はやさしく甘い声で 緑の野原に歌いやまない
「あヽこの世の美しさよ ピイチク、ピイチク、ピイチク」 と
鳥よ歌うな、花よ咲くな 春はすでに過ぎ去った
すべての歌声も今はやんだ 日がくれ 眠りにつこうとする時
胸に浮かぶのは 苦しみばかりだ
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ミケランジェロ
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われに慕わしきは 眠ること
さらに慕わしきは 石となること
迫害と屈辱との 続く限りは
見ず、聞かず、なべて感ぜず
それにも まさる幸いは
今のわれには あらじ
されば、われを揺り起こすなかれ
物言うなら、声低く語れ!
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ローザ・ルクセンブルク
「手紙」
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水しぶきが朝の陽光を受けて きらきら輝き、水玉は半開の ばら色や青色の水仙のうえに留まって、なお暫くふるえています。 それなのに なぜわたしの心は悲しいのでしょうか。
私は今 こう思いかけています。 わたしは 空にかかる太陽と その力とを過信していた。 太陽がどんなに光をそそごうとも、私自身の心がそれに熱を添えなければ、それは さっぱり私を暖めてはくれない場合が多いのだと。
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ロープシン
「蒼ざめた馬」
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何を信じ、誰に祈ればいいのか。 私は奴隷たちの祈りを欲しない。 たとえキリストが ことばによって灯をともしたとしても、私に静かな灯はいらない。 たとえ愛が世界を救おうと、私に愛はいらない。
私はひとりだ。 私は退屈な見世物小屋から去って行く。 そして天上に聖殿が開かれるであろう その時にも、私は言うであろう。 ものみな 空虚であり、虚偽であると。
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エテル・ローゼンベルク
「私たちが死んだら」
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いつの日にか 息子たちよ おまえたちにも
わかるでしょう なぜ私たちが
地下にひそむのか 読みさしの本を残し 歌も
歌いやめ 仕事も終えないままに
泣かないで 息子たちよ もうおまえたちは
泣きはしない この世界にも必ず やって来るのだから
すべてを知る時が 人々の嘘や 偽りのわけを そして
私たちの涙や 私たちの苦しみを
喜びと緑にみち 息子たちよ 新しい世界が
きっとやって来るでしょう 私たちを埋めた墓の上に
人々が傷つけあうことをやめ 平和と
慈しみとが 地に満てる日が
学びなさい 息子たちよ 築くのです
美しい建築を 愛の上に 喜びの上に
人間の貴さの上に そして おまえたちに伝えようと
守り続けた 私たちの信仰の上に
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