私のパソコン年代記 |
「思い出」シリーズの一つとして、今度は「パソコンの思い出」を書いておくことにしました。パソコンは 現在も毎日 朝から夜まで使っているわけですから、「思い出」というのも変かと思い「私のパソコン年代記」というタイトルにしましたが、これは パソコンついての、何ら専門的知見でもなく、資料的価値もない、単なる、私とパソコンとの つきあいの「パースナル・ヒストリー」ですので、読むに値するほどのものではありません。パソコン歴が 30年になる私自身が、今まで買って使ってきた 過去のパソコンについての記憶が あいまいになってきましたので、それらを全部 きちんと、正確に整理して、いつでも見返せる記録にしておきたいと 思うようになったのです。
1 1994年12月 IBM ホームパソコン PS/V ヴィジョン 2408-NTC 秋葉原で 24.5万円
私のパソコン年代記を語る前に、「ワープロ専用機」というものについて 触れておかねばなりません。ところが 1988年以前の「手帳」が 全然残っていないので、はっきりしない部分もありますが 記憶を頼りに 関連のネット記事を調べながら、推測しつつ書きます。
マリオ・ベリ-ニのデザイン Lettera DL, 1965年 1973年1月15日に購入、3万5千円 形の美しさと 指の感触の良さ、音の静かさに満足 私が初めてパソコンを買ったのは、上の表にあるように、今を去る 30年の昔、1994年の末のことでした。それまでは「ワープロ専用機」の時代で、1980年代の半ばに「ワープロ」を買って 文字を打っていましたので、それ以外の使い方のコンピュータに手を出す必要は 何も感じていませんでした。1980年代には、単に「ワープロ」と言えば「ワープロ・ソフト」ではなく、文章を作ることに特化したコンピュータである「ワープロ専用機」のことを指していました。90年代になって、パソコンにインストールされる「文章作成ソフト」を指すようになるのです。
私は 20代半ばに 英語の勉強のために、「オリベッティ」のタイプライター(イタリアの建築家で プロダクト・デザイナーだった マリオ・ベリーニ がデザインした名器「レッテラ・ブラック」)を買って 英文タイプを自習したので、キーボードは5本指で(ローマ字のブラインド・タッチで)楽に打つことができました。それだから、一世を風靡した富士通の「親指シフト」の打ち方などには 興味を持たなかったし、「かなキー」でキーボードを打ったこともありません。
![]() 世界初の 日本語ワープロ(ワードプロセッサ)は 東芝の JWー10 という製品で、1978年に発売された時の売価は、何と 630万円だったそうです。もちろん個人ではなく、企業が相手です。大きな事務机のようなものでした。これを最初にコンパクト化したのは、1982年に出た シャープ WD-1000 でした。売価が最初に 100万円を切ったのは 同年、富士通の「My OASYS」でしたが、1984年にはシャープの「ミニ書院 WD-500」が 33万円と、それまでより ずっと安い製品を出して、ワープロのパーソナル化を 促進したそうです。
私が最初に買ったワープロ専用機は、当時一番売れていた(らしい) シャープの「書院」だとばかり思っていましたが、それは記憶違いで、日記の中の一節に「ブラザーの ピコワード 300」という記述を見つけました。そうです、タイプライターの 老舗メーカーである「ブラザー工業」の製品で、「ワ−プロ」と言わずに「日本語パーソナルライター」と名付けられていました。
当時のワープロのミニ画面の液晶表示は、12〜16文字1行のみで、まだタイプライターのイメージでした。だんだん 液晶画面が大きくなり、フロッピーディスク(FD)を差し込んで、打った文章を全部記録できるようになり、次第にパソコンのイメージに近くなります。世の中には 急ピッチでワープロが普及していきましたが、人々が それを最もよく使ったのは、「年賀状」の作成のためだったようです。 私がワープロ専用機を買った一番の目的は「清書用」でした。
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最初に買ったワープロ、ブラザーの「ピコワード 300」が5年も経って古くなったので、1990年8月に もっと進歩した ワープロに買い替えました。シャープの「ミニ書院」WD-A720 という機種で、価格は 14万円でした。形が のちのパソコンに似てきましたが、巾は 41cm、高さは 31.5cmと 小型です。液晶画面は 10インチになり、以前に比べれば ずっと大きく、A4の文書全体を たやすく見ることができたでしょう。それでも、ひたすら 文字を打つための機械であって、画像は扱えませんし、カラーでもありません。別売りの「類語辞書」を1万円で買ったと 手帳に書いてありますが、どんなふうに使ったのでしょうか ?
私は高校時代から、大学ノートに「読書記録」と「映画記録」を 鉛筆で書いていました。本を1冊読むごとに、読んだ日付、本の題名、著者名、訳者名、本の発行年、出版社名などを1行か2行に書くのです。映画の場合は 制作国、制作年度、監督名、主演者名、原作者や脚本家などの情報です(特に良かったものには 〇印、特にダメなものには X印を 付けておきます)。そのノートを 全部 「ミニ書院」で清書して、それぞれ1枚ずつのフロッピーディスクに保存して、いつも それに書き加えていました。パソコンの時代になると「ワード」に移して ハードディスクに入れましたので、いつ どんな本を読んだか、ある映画を見たのは いつ だったか、ある著作家の本は いつ何を読んだか、というようなことを、パッと調べられます。図書館から 映画の ビデオや DVDが借りられるようになると、たくさん見るので、ネットで借り出しの予約をする時に、すでに見たものでは ないかどうかを、この記録でサッと確認します(見た映画の題名など、すぐに忘れてしまいますから)。
@ ● IBM の モニタ一体型 ホーム・パソコン、PS/V ヴィジョン 2408-NTC
当時の最大のコンピュータ・メーカー IBM の、企業向けコンピュータ PS/55 の後継 であり、 個人向けの 最初の 廉価版パソコンでもありました。本体とモニターを一体化し、様々なコストダウンを図って、パソコンの大衆化の一歩を踏み出した と言えます。同種の競争相手は「コンパック」という会社で、どちらも カラー画面のモニターと セットで 30万円以下で売り出したというのは、画期的なことでした。それまでは コンピュータを自作するには(特にカラーのモニターだと)100万円くらい かかったのではないでしょうか。 上の写真では「マウス」がついていますが、これは1年後の製品ではないかと思います。私の時には ありませんでした。当初、IBMの PCには マウスが無く、パソコン開発は アップルが先行していて、IBMは 後れを取っていたのです。アップル社のパソコンは「マッキントッシュ」という名で、「マック」と略し、後にそれが正式名称となります。操作性とグラフィックは マックが進んでいましたので、デザイナーは 大体 マックを買ったようです(そもそも この名称は、アール・ヌヴォの建築家 マッキントッシュ からきているのではないでしょうか?)。私は迷いましたが、世の中全体では PC/AT 互換機のほうがずっと優勢で、将来性も考えて IBM のパソコンを選んだのでした。マックを使っていた人からは、IBMのパソコンに マウスが付いていないことを 不思議がられたものです。どうやって作業するのか? と。 (画面のテキスト表示によってです!) 私が設計した名古屋の住宅『クロイスター』の建て主の 小川さん(パソコン・ソフトの開発に携わっていました)に、「これからは コンピュータの時代だ、パソコンを始めるべきだ、安価なものが 出始めたから 買うべきだ」と 勧められて(全然 関心が無かったのですが、小川さんからは 設計監理料をもらっていましたので、これくらいの出費は やむをえないか、と 腹をくくり)『ヒサゴ東京支社』の工事の終り頃に、「初代パソコン」、IBM の「PS/V ヴィジョン」を 買いました。1994年の 12月です。その前年に IBM と、当時競り合っていた コンパックから、似たような リーズナブルな 一体型ホーム・パソコンが 初めて売り出されていたのです。 マイクロソフトの「ウィンドウズ 95」は、まだ「シカゴ」というコード名で 開発中でした。「PS/V ヴィジョン」の基本ソフトの「DOS/V」というのは 非常に難しかったので(テキストによる「コマンド」を覚えるのも大変で)さっぱり できるようにならず、飛躍的な進歩を遂げるらしい「シカゴ」の製品化を 心待ちにしていたものです。翌年の 1995年8月に、「シカゴ」即ち「ウィンドウズ 95」がリリースされ、その日本語版が 11月に発売されると、その後 20年も 世の中で使われることになります。IBM やコンパックの ホームパソコンに搭載されたのは、翌年だったでしょう。この 使いやすい 画期的な「ウィンドウズ 95」の出現によって、これを基本ソフトとする「PC/AT 互換機」が 業界の主流となり、そうでない、それまで日本で「わが世の春」を謳っていた NEC や富士通のパソコンは 沈下して行き、次第に IBMの互換機に 変身するのを余儀なくされていきました。 それまでも「ウィンドウズ」というのは 存在していて、私も 3.1 のヴァージョンを使っていた記述が残っています。これは「MS-DOS」に上乗せするようなものだったらしく、「PS/V ヴィジョン」にも入っていたのです。 翌年に それとは 次元が違う、完全な「オペレーティング・システム (OS) 」として、非常に使いやすい「ウィンドウズ 95」ができると 爆発的な売れ行きで、みんな すぐに買ってインストールしたようですが、初心者の私がインストールしたのは、1996年も 9月15日になってからです。ネット記事によれば、「3.1」からのアップグレード版は、通常版の半額の 13,800円だったということです。 私は、なにしろ初めてコンピュータの世界に入ったのですから、そういった用語も、「マイクロソフト」や「アップル」といった会社名も、「ソフト」や「インストール」や「ハードディスク」も、「プログラミング」や「メモリー」や「MS-DOS」というような言葉も、すべてが ゴッチャになって、チンプンカンプンでした。また、あまり熱心に勉強しようとも しなかったのですが。
今は 誰でも写真を撮りますし、レトロな「フィルムカメラ」に凝る男女も多くいるらしいですが、昔は(フィルムカメラの時代には)写真を撮るのは 男性 だったのです。その理由は「女はメカに弱い」ということで、女たちも そう口にしていました。しかし 写真を撮る人が知っているべき「メカ」のことなど たいして無いのです。それよりも「感性」が問題なのであって、写真工学について知っている必要など、ほとんど 何もなかったのです。コンピュータも同じで、私はコンピュータのアーキテクチュアについて ほとんど何も知りませんが、毎日 朝から晩までパソコンを操作し、膨大なホームページも作っています。それでも、ごく基本的な知識と訓練は 必要でした。
1994年(平成6年)も 終わろうという 12月に 初めてパソコンを買ったわけですが、何の予備知識もないままに 小川さんに勧められて買ったので、何に使おうという目的もなく、また使い方も解らなかったので、「テレビも見られるし、ゲームもできる」という、販売パンフレットの宣伝文句にあったとうりに、そうしました。ゲームといっても、ウィンドウズの「アクセサリー」についていたような、トランプ・ゲーム「ソリティア」とか、「マイン・スイーパー」のような ごく単純なものですが、それでも物珍しかったので、暇な時に よくやりました。 本来のコンピュータの使用となると、DOS/Vと言うのは難しく、色々な「命令」(コマンド)を覚えるのも煩わしく、そもそも 目的がないのですから、少しも進歩しません。それでも 図書館から 一般向けの「コンピュータ文化論」的な本を借りてきては、ポツリ ポツリと 読んだりしていました。「読書記録」を調べると、読んだのは次のような本です。日付順に並べると、
941214 コンピュータ文化の使い方:室謙二、津野海太郎編著,1994,思想の科学社 しかし、パソコンに対する 私の受け身の 態度、思考が一変したのは、そのころ 急速に人々の話題になり始めていた「インターネット」について 知り始めたことによって でした。その旗振り人は、慶応大学の 村井純さんとか、東大の 西垣通さんたちだったと思います。インターネットとは 一体何なのか、ということを知るために 彼らの本などを読んでいるうちに、どうも これは大変なシステムなのだ と解ってきて、「産業革命に次ぐ 情報革命」という言葉は 何十年も前から しきりに使われてきても 実感が薄かったけれど、これこそ本当の「情報革命」なのだと 悟りました。
960115 マルチメディア:西垣通,1994,岩波新書 私はマフィアに迫害されていて、雑誌に原稿を書くのも、本を出すのも、妨害され始めていましたから、今に、世の中に 私の言説は、本とか 新聞とか 雑誌とかいう「既成のメディア」では 発表できなくなるかもしれない、であってみれば、これから先は インターネットという手段を 最大限 利用していくのが 良いのではないか、と 思い至りました。 そこで 心を入れ替えて、これから当分の間は「パソコン」と「ウィンドウズ」と「インターネット」について熱心に 勉強し、1年後には 自分の「ウェブサイト」(ホームページ)を作ろう、と 決心しました。そのためには、IBM の初心者向けの「モニター一体型」ホーム・パソコン「PS/V ヴィジョン」では 能力不足だ と判断し、上級パソコンに買い替えることにしました。 パソコンの進歩のスピードは まことに激しく、製品の性能は「日進日歩」で、買ってから「一年たてば、ただの箱」と 言われたものです。パソコンをやる人は 新しい性能に追いつくために、2年ごとぐらいに買い替えることを 強いられました。私も、大して使ってもいなかった「初代パソコン」を2年少しで買い替えることにしたので、まだ使用可能な それは、これからパソコンを習ってみよう という姉夫婦が 欲しいと言うので、あげました。
パソコンにインストールする「ワープロ・ソフト」としては、マイクロソフトの「ワード」が標準になります。日本語のソフトとしては、ジャストシステムが開発した「一太郎」が かなり用いられていましたが、「ワ−ド」の日本語版ができてからは、次第に姿を消したようです。私も最初に「一太郎」と「ワード」の両方を インストールしましたが(前者は 95年2月4日に ver 6 で 1.8万円、後者はその4日後に「マイクロソフト・オフィス乗換えキャンペーン」で 41,200円)、「一太郎」は 400字詰めの原稿用紙に文字を埋めて行くような感じなので、日本語と英文を共存させて打つなら、「ワード」の方が圧倒的に使いやすいので、すぐに「一太郎」は 捨ててしまいました。
A ● IBM のパソコン、アプティバ 2159-B65、ビックP館で 33.7万円
今度は単なる「格安」ではなく、「本格的」パソコンにしようと、池袋の ビックカメラに行くと、同じ IBM の「アプティバ」を勧められました。高級 (?) パソコンとして、IBM ダイレクトでの価格は 40万円だったらしい。前の 13インチから 17インチに大きくなった画面は「ブラウン管」なので(当時の テレビと同じように)、奥行きが 44cmもあり、パソコン用の机などが売られていたものです。私の机は大きかったので大丈夫でしたが、パソコンは まだ使いこなせなかったので、月に何回も「初期化(リカバリー)」したこともあります。メモリーは 32MB という、今から見れば ほんのわずかであって、4月に 32MB 増設して 64MBにしました。 その年(1997年)3月には インターネット接続と Eメールの「プロバイダー」に申し込んで ID番号を取得し、ネット利用を始めましたが、まだ 見るに足るようなサイトやホームページは あまり無かった時代です(「ゴミ」みたいな HP ばかりだと、揶揄されていました)。前年の、森田芳光監督の映画『(ハル)』(1996) に見られるように、まだ「パソコン通信」のほうが盛んでした。まことに、インターネットの「草創期」だったのです。
私は、2代目パソコンの「アプティバ」によって パソコンの使い方も 何とかマスターし、ウィンドウズという OS のことも理解し、インターネットの理解も進むと、いよいよ ホームページ作りに入りますが、それまでに「ワード」と、PC に初めからインストールされていた簡易版・無料ソフトの「フォトショップ LE 」(という名前だったか)を使って、画像処理の初歩を学び、画像と文章の入り混じったページを 作れるようになりました。私が撮っていた写真は ポジ・フィルムのスライドでしたから、それをスキャンして ウェブ用の 「ジェイペグ」( JPG ) 画像にするために、ニコンの「フィルム・スキャナー」を6月に7万円で、また それをハード ディスクに接続するための「スカジーボード」を3万円で買いました。「フラット ベッド」のスキャナーは「ヒューレット・パッカード」製の Scan Jet 5Pで、これも T-Zone ミナミ で4万円でした。 ![]()
当時の「ワード」には、写真や図表やリンクを含めて、ワードで自分が書き、作ったページを「HTML」のソース表示に変換してくれる機能がありました(名称は忘れましたが)。これによって、カラーの 疑似ホームページを、ハードディスク上に作成することができたのです。これを基本にしながら HTML の「タグ」を少しずつ覚えてゆき、修正しながら 次第に きれいなページにしてゆきましたので、私は「パソコン教室」に通ったことも無ければ、「ホームページ作成ソフト」を使ったこともありません。すべて 本による自習と、モニター画面上の試行錯誤によって習得していきました。一番よく使った参考書は『 HTML タグ辞典』(アンク著、翔泳社)でしょうか。
私の HP の主テーマは「インド建築」だったので、写真はいくらでもありましたが、「LE」を卒業して購入した 本番の「フォトショップ」を使いこなすのは 大変でした。特に色の調整というのは、色を決める6桁の各数字が「16進法」なのでむづかしく、現在のような「中間色」が作れるようになるのは、ずっと先のことです(いや、これはフォトショップではなく、HTML の「カラーコード」の話ですね)。
1997年の10月22日に、ついに最初のホームページ『神谷武夫とインドの建築』をアップロードして、ネットで公開することができました。「2代目のパソコン」は、よく期待に応えて 働いてくれたと思います。そのトップページを、現在のものと比較すると、 ![]() ![]()
当初は 彩度の高い色しか 出せませんでした。これを たえず改良して、現在のような「中間色」を使った スマートなデザインに していったのです。
B ● ソニーのパソコン Vaio PCV-R51V7D、ビックP館で 21.8万円。
前述のように、当時は パソコンは2、3年で買い替えるもの という「常識」があったので、2年半使った「アプティバ」も、「最初のホームページを作る という役割を終えた」というわけで、新しいものに買い替えることにしました。ビックカメラに見に行くと、ソニーの「バイオ」が 脚光を浴びていました。1990年代前半に ソニーの経営陣が パソコンの大発展を見透せずに、その開発競争に参加しなかったのですが、このままでは大変なことになると分かり、パソコン市場に 遅ればせの参加をしました。大幅な遅れをとっていたために、後発のソニーが 既成のパソコン市場に食い込むためには、得意の 画質(トリニトロン)と 音響に力を入れて それを売り物にしましたが、何よりも 低価格にせざるを えませんでした。
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ソニーのパソコン Vaio の付属のスピーカーは 小型ながら高品質で、単独で売られていた多くの小型スピーカーよりも ずっと音質が良いものでした。次のソニーのPCにも同じスピーカーがついていましたので、一組を10年くらい使い、もう一組を 現在に至るまで8年以上 愛用しています。
C ● ソニーのパソコン Vaio PCV-RX53、ビックP館で 22.2万円
バイオを買ってから2年足らずの 2001年7月に、パソコンがしばしばフリーズしたり、立ち上がらなくなったりしたので、ビックカメラで メモリー128MG(11,340円)を買い足して256MGにしましたが、改善されません。ソニーに問い合わせると、人によって 違うことを言い(システム・リソースの問題で、それはマイクロソフトが決めている、とか、インストールしているソフトが多すぎるのではないか、とか)らちがあきません。また、この PC にウィンドウズ 2000を入れると、ドライバーが用意されていないので 不具合が起きるだろうと言いいます。百科事典の「ブリタニカ」をインストールしたのも原因かもしれない。7月30日にリカバリーしました。 私はずうっと自宅を仕事場にしていたので、ノート・パソコンの必要性を感じたことは あまりなく(海外撮影旅行の時も、重いカメラ機材を抱えるので、パソコンまで持っていこうとは思いませんでした(今だったら 小さなスマホで済むでしょうが)。それだから、私が買ったパソコンは 全て デスク・トップのパソコンで、タワー型本体と、なるべく大きな画面のモニターでした。それでも モニターが液晶になって 薄くなり、机の上の占有率が小さくて済むようになったのは 大歓迎でした。しかし このソニーのパソコンも初期不良で、モニターのみ 11月9日に取り替えたと思ったら、本体も初期不良で、11月28日に取り替えになりました。どうも 私が買うパソコンは、なぜか「初期不良」が多いのです。
この頃までのパソコンには、テレビチューナーが組み込まれているのが普通でした。前述のように、私はニュース番組以外は あまり見ませんでしたが、このパソコンで見ていた連続ドラマを二つ覚えています。NHKで放送していたアメリカのドラマの日本語 字幕版(だったような気がします)で、たまに見た日本のドラマとは まったく レベルが違い、ほとんど 映画に近いと感じました。それは『 ER 緊急救命室』と『 Xファイル』で、特に前者は 心に訴えるようなストーリーと 描き方が多く、本当に感心してしまいました。長く続いたので全100話以上になるようですが、それを全部収録した DVD のボックスセットがあるということなので、いつか買って、全部見てみようかと思っています(かつて私が見たのは、その 1/3 くらいでしょうか)。 ![]()
D ● デルのパソコン DELL Dimension 8400、ビックP館で 31万円
またまた3年でパソコンを買い替えることになりましたが、ソニーのバイオは すでに市場で安定した地位と人気を得て、価格が えらく高くなってしまったので、それならと、ビックカメラに勧められて(黒いデザインを 望んでもいたので)、「デル」の PC にしました。デルというのは 私は知りませんでしたが、アメリカの コンピュータを主とする、世界最大級のテクノロジー企業です。
D ● NECのパソコン VALUE STAR、秋葉原ラオックスで 15.5万円
今回からは、タワー型デスクトップ本体と モニターを 別メーカーにして、それぞれ 私の要望にかなうものを選ぶことにしました。タワー型本体は 数社が出していましたが、なぜか 白っぽいものが多く、私の部屋には合いません。NEC の「ヴァリュースター」だけが、前面が黒で 側面がグレーという、私の好みに かなうものでした。モニターとセットでも、本体だけでも 販売していたので、注文仕様ができる 本体だけを買いました。なぜか、池袋ではなく、秋葉原に買いに行きました(池袋では セット販売しか していなかったのかも しれません)。
モニターは デルの時と同じように、ウェブ・ページや ワードの作業面が A4で2面並ぶような大きさにしようと思ったら、えらく高価なので驚きました。今、ネットで調べると、当時の新聞記事には、ベンキューが 23インチ・モニターを「7月下旬より発売、価格はオープンプライスで、店頭予想価格は 238,000円前後の見込み」 とあるのには 驚きます。秋葉原で NEC の本体を買ったのと同じ 12月21日に、池袋に戻って価格を確認し、ビックP館に ベンキューのモニターを 14万円で注文して、28日に入荷したのを 自分で持ち帰りましたが、なんで そんなに高価に なっていたのでしょうか? 当時は まだ 大型モニターの製造は 難しかったのでしょうか?
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NECのパソコン VALUE STAR 付属キーボード: PS/2 小型キーボード この NECのパソコンに付属していたキーボードは、使い勝手もデザインも 満点でした。巾が小さめなのが、扱いやすくて 非常に良く、普通は テン・キーがついてなくても、このくらいの巾になります。今は役に立たないボタンが いくつも付いていますが 邪魔になるわけでもなく、何度か 他のキーボードを使ってみましたが、いずれも きゃしゃで キー・タッチが悪く、色なども気に入らないものが多く、これに勝るものは無かったので、20年近くになる 今も 愛用している、堅固なキーボードです。要するに 私は、最初に タイプライターでフィンガリングを覚えたので、キー・タッチが フニャフニャした キーボードは 好きになれないのです。
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最初に何度も 不具合、取替えがありましたが、その後 この NEC の本体は とても優秀で、それまで2、3年ごとに買い替えていたのに、このパソコンは 2005年2月から 2011年7月まで、修理不能になるまで6年半も使えました。
その後 NEC は次第に業績不振となり、その本社ビルを不動産会社に売却してしまい、 それを一括賃借して 現在も使っていますが、NEC は 現在では 富士通とともに 中国の ITメーカー Lenovo(レノボ)の傘下に入っています。日本の PC産業は 壊滅的になってしまいました。 ![]() ![]()
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E ● エプソンのパソコン、ENDEAVOR MR6900、ビックP館で 17.5万円
6年半も使えたNEC パソコンが故障を起こし、修理に出すと「修理不能」で戻ってきたので、もう寿命だなと思い、新しいものに買い替えることにしました。また NEC にしようと思ったら、その頃のものは 本体もキーボードも 真っ白になっていたので ヤメました。それが流行だったのか、ほかのメーカーも 真っ白が多く、店に相談すると、「エプソン」を勧められました。エプソンというブランドは、後に プリンター(スキャナー)で ひどい目にあうのですが( 2014年に『私家版 イスラーム建築』の印刷時に)、同じ「時計の精工舎」を母体にするとはいえ、コンピュータ部門とプリンター部門の両社は まったく別物らしく、コンピュータのほうのエプソンは 優秀で誠実な企業のようです。(またまた 初期不良で8月4日に取り替えましたが)。
モニターは 前回と同じ23インチなのに、各社とも 非常に安くなっていたので 驚きました。前回 14万円だったのが、4万円前後です。評判の良い三菱にしました。本体と同日に、展示品が多かった 池袋ヤマダ電機で 選んで購入。でも、これも初期不良で2日後に交換になりましたが。 ![]() ![]()
前のパソコンを使っていた 2008年に「アルメニア建築・写真ギャラリー」というページを作って、120枚のアルメニア建築の写真を公開しましたが、その4年後に このパソコンを使っていた 2012年には、それを大巾に拡大して 写真の数を 600枚に大倍増し、アルメニア中の建築遺構を網羅する『アルメニアの建築』という 独立したウェブ・サイトにしました。私のウェブサイトは、基本的に インドと イスラームと アルメニアの3本立てとなったわけです。
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F ● エプソンのパソコン Endeavor MR7400、ビックP館で 16万円
パソコンは もう買い替えの時期だなと思って 2016年の8月にビックカメラに行きましたが、特にこれは という 新しい機種はなく、5年使ったエプソンに 不満もなかったので、今回もエプソンにしました。メモリーを8GBにした以外は、私のほうからの特別な注文はありませんでしたが、「ハイスペック・キャンペーン」で 2.5万円値引きしてくれ、しかも 旧 PCが ビックP館の地下の「ソフマップ」で 2.1万円で売れましたので、これだけ高性能のパソコンと大型モニターが 合計 18万円ほどで手に入いり、しかも6年3ヵ月も使うことになります。2代目の PC「アプティバ」に比べれば、半額以下の費用で、2倍以上の年月を使えたわけです。パソコンの開発と製造の技術的進歩には、驚きと敬服を禁じえません。 モニターは、三菱が モニターの製造を やめてしまっていたので アマゾンで調べたら、27インチの大型モニターが わずか2万円ぐらいになっていたのには、またしても驚きました。台湾の世界企業「エイサー」 (Aser Inc.) の 27インチ モニターを選び、2017年 11月に アマゾンでネット注文しました。
NEC の付属品だった キーボードと 、ソニーの付属品だった スピーカーは、この代にも使い、今もなお 使い続けています。
G ● エプソンのパソコン Endeavor MR8400、エプソン直販 22万円
これは 現在使っているパソコンです。今回もエプソンのタワー型 デスクトップパソコンで、2022年11月、エプソン・テクニカル・センターで電話注文しました。 DVDドライブは BD(ブルーレイ・ディスク)も見られるようにしておきましたが、これは値段が高いばかりでなく、しばらくBDを見ないでいると すぐに調子が悪くなるので、DVDとBDドライブは、次からは USB接続による 外付けのものを 別に買ったほうが良さそうです。 27インチの モニターは、本体より1年遅れの 2023年 10月に買い直しましたが、今度は「富士通」にしました。このモニターは左右に 90度回転できると宣伝文句にありましたが、これはウソで、左右合わせて90度でした。毎日 食事の時に食卓に向けて動かしていると、本体と結ぶケーブルが 緩んで はずれてきます。画質には 満足しています。
世の中は すっかり「スマホ」の時代になっているので、私のように 何でもデスクトップのパソコンでやるという人間は 次第に希少種になりつつあるようです。パソコンは長持ちするようになりましたし、果たして9代目のパソコンを買うことがあるかどうか わかりません。 ( 2025 /02/ 01 )
![]() メールはこちらへ kamiya@t.email.ne.jp
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