旧市街 (メディナ、イチャン・カラ) |
イスラーム圏の大部分の国は、19世紀後半から20世紀にかけて西欧列強の植民地にされた。それはちょうど都市化の時代と重なっていたので、農村から都市への人口流入が行われ、都市域は急速に拡大していった。それは古くからの都市域の拡大ばかりでなく、西欧近代の方法による改造や開発が行われたので、都市の構成や形態も変化した。
フランスの植民的保護領にされた北アフリカのマグリブ地方では、伝統的な都市はインドとちがって堅固なレンガ造の市壁で囲われていた。市壁には数ヵ所に壮麗な市門が築かれていて、都市を完全に閉じることもできた。都市の外枠が固定されていれば、内部は高密度の市街地となるので、これを改造するのは容易でない。したがって碁盤目状のフランス風市街地は市壁の外側に発展することとなった。市壁で囲われた旧市街は、都市を意味するマディーナがなまってメディナとよばれ、生きた都市でありながら、改造の手が加わらない伝統的な街並みや、イスラーム都市を構成する諸要素が保存されている。
モロッコのフェス、マラケシュ、メクネス、サレ、タンジールなどのメディナを歩けば、生活に根ざしたイスラーム都市の概念を得ることができよう。通常メディナには車両が入れず、曲がりくねった狭い道を人やロバ、馬、荷車などがにぎやかに行きかう。メイン・ストリートはおおむねスークであり、そこにモスクやマドラサ、ワカーラ、聖者廟、給水所、ハンマームなどのネットワークが重なりあう。その活気ある道筋を離れると住居地区である。中庭型の家が連なるので、道路空間は無表情な高い塀で囲まれることになり、緑を見ることはまず無い。 こうしたイスラーム都市の旧市街がマグリブ地方以外で保存されていることは少なく、わずかにウズベキスタンのヒヴァやブハラで中世的な町並みを見ることができる。とくに、市壁で囲われたヒヴァのコンパクトな旧市街では、マドラサや宮殿をはじめとするレンガ造のさまざまな建築種別がタイル装飾とともに見られて興味深い。
旧市街には、ヨーロッパのような整形で美的な広場というものがあまり無いが、例外はサマルカンドのレギスターン広場と、イスファハーンの王の広場 である。広場はアラビア語でマイダーン、ペルシア語でメイダーンと呼ばれる。王のモスクの項で述べたように、王の広場は他に例を見ない巨大なもので、ヴェネツィアのサン・マルコ広場の5倍以上の広さがある。2階建ての連続店舗で周囲を囲まれているので、広場自体が巨大なバーザールでもあった。一方、レギスターン広場はよりモニュメンタルで、公的な儀式のほかに 罪人の処刑まで行われた。脇にチャルスがあるのは、ここが道路の交差点のマーケットだったからである。
モロッコのメディナには直線状の大通りや整形の広場というものがないので、見通しのきかない曲がりくねった道路網が、全体として迷路都市のような印象を与える。住宅地には袋小路が多く、これは通り抜けの通行を排除して、住区に安全と静穏を保持するためである。住宅地は街区(マハッラ、ハーラ)に分かれ、それぞれが専用の小モスクやスーク、ハンマームを備える。街区の入口には門が設けられていて、夜は閉じるのが慣わしだった。西インドでは、小さな袋小路の住区をポルとよぶが、その原義は門である。ここには木造の2階建てや3階建ての住居が並び、路地を共有するコミュニティを形成している。
( 2006年『イスラーム建築』第4章「イスラ-ム建築の建築種別」) |
● サマルカンドのレギスターン広場(イラン)については、
「イスラーム建築の名作」のサイトの「 レギスターン広場 複合体」を参照。
● チュニスのメディナ(チュニジア)を描いた立体絵本については、
「古書の愉しみ」のサイトの「 La Medina de Tunis 」を参照。