CLASSIFICATION of ISLAMIC ARCHITECTURE
イスラーム建築の種別ー18

都市 (マディーナ、ミスル)

神谷武夫

ヤズド
ヤズドの市街地と金曜モスク(イラン)

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イスラーム都市とは 何か

 イスラーム圏の都市の特徴は何か と言えば、モスクをはじめ、この章で 採りあげてきた 種々の建築種別を 多くかかえていること、としか 言いようがない。古い都市であれば 歴史遺産を多く蔵しているから、「イスラーム都市」といった趣がある。しかし ムハンマドの時代に ムスリムが住んでいたのは、イスラムが誕生する以前から 連綿と続く都市(マディーナ)だったのであり、イスラーム軍が征服した地に 新たに建設した軍営都市(ミスル)も、それら既存の都市に倣(なら)って作るほか なかった。以前の都市と 異なっていたのは、唯一神 アッラーフを礼拝するためのモスクが 市内の主要位置を占める、ということしかない。したがって『クルアーン』にも、ムスリムのための都市の あるべき姿の記述は無い。

 インドに「ヒンドゥ都市」というものが 無いように、イスラーム圏にも「イスラーム都市」というものは 無い。さらに インドの建築を例にとれば、意外に思われるかもしれないが、仏教寺院と ヒンドゥ教寺院と ジャイナ教寺院のあいだに、建築的に 大きな違いはない。なぜなら、建築の形を 大きく規定するのは 気候風土や 社会の生産体制、古来の 伝統的な美意識なのであって、宗教の教義では ないからだ。同じインドに生まれた 土着の宗教の建築は、必然的に 似たような形態となる。
 ところが インドにイスラーム建築が移入すると、それは 異なった風土で発展した建築形式 であるがゆえに、インドの土着的な建築とは 決定的に異質のものであった。日本に渡来した 仏教建築も、外来の建築であるからこそ、神道の神社とは 異なった形式をもっていた。もしも 仏教が日本で生まれていれば、神社と同じような形の建築と なったはずである。宗教建築でさえも そうなのだから、都市というような 巨大で錯綜した「複合建造物」が、特定の宗教によって 定義されることはない。中東において、ムスリムが大多数を占める都市は、ユダヤ教徒を主とする都市や キリスト教徒を主とする都市と、基本的な違いはない。そしてイスラーム圏は あまりに広く、また長い歴史をもっているので、イスラーム圏の都市の 一般的特質を抽出するのは 困難である。

 それでも 外部の人は、イスラーム建築に見られるような 形態的特徴が、都市という物的環境にも表れることを 期待する。つまり、すべてが 幾何学で構成された、整然とした都市形態への期待である。しかし、その期待は 完全に裏切られる。碁盤目状の道路パターンをもつ 幾何学的な都市を計画したのは ギリシアやローマである。イスラーム初期の ウマイヤ朝時代においては、カルドとデクマヌスという 直交する大通りをローマ都市から受け継いで、アンジャール(レバノン)の町や それに近い城郭宮殿を作った。ところが そうした幾何学都市への執着は じきに薄れ、曲折する細街路が クモの巣状に広がる 迷路状の都市が 圧倒的に多くなるのである。


バグダードと イスファハーン

バグダード園
バグダードの円形都市のマスタープラン
762年建設開始(イラク)

 そうした中で 異彩を放つのは、アッバース朝の ハリーファ・マンスールが計画した新首都、マディーナ・アッサラーム(平安の都)と呼ばれた円形都市、バグダードである。円形都市の伝統は アッシリア文明の時代からあったとはいえ、これほど完璧な正円形の大都市は空前絶後であった。直径約2.5 キロメートルの円形に 市壁をめぐらせ、正確な四方にのみ 市門を設けた。残念ながら 都市のほとんどが 日乾しレンガで建造されていたので、13世紀に モンゴル軍の襲撃を受けてからは 次第に荒廃し、すべては 大地に還ってしまった。

イスファハーン   王の広場
イスファハーンの都市図と、王の広場の平面図(イラン)

 それ以後 計画都市というものが少なかったイスラーム圏で、ペルシアのサファヴィー朝の首都、イスファハーンには、シャー・アッバース王による新市が 建設された。6世紀まで遡(さかのぼ)る古都 イスファハーンは、やはり ル・コルビュジエの言う「ロバの道」の都市であったが、その南側に 幾何学的な緑陰都市、新イスファハーンを「製図板上の」都市として計画したのである。170メートル × 500メートルの 王の広場と、1.6 キロメートルの長さの 直線状の並木道、チャハルバーグ大通りを基幹として 数々の庭園、宮殿、モスク、マドラサ、キャラヴァンサライを造営し、完全に 直角的秩序の都市とした。この 新旧市街の対比の中に、イスラーム圏の都市の 両極端を見るのである。幾何学都市が復活するのは、20世紀にイスラーム圏の国々が 植民地支配から脱して新都市の建設をする時であったが、それらは 多く欧米の建築家や都市計画家によって なされたのである。

イスラマーバード
パキスタンの新首都、イスラマーバードの中心部、1984年

( 2006年『イスラーム建築』第4章「イスラ-ム建築の建築種別」)



イスファハーン の王のモスク(イラン)については、
「イスラーム建築の名作」のサイトの「 王のモスク」を参照。


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