「高地の黒い庭」を意味するナゴルノ・カラバフ地方は、ソ連崩壊後の アルメニアとアゼルバイジャンによる領土紛争(ナゴルノ・カラバフ戦争、死者2万人)を経て、1994年からの休戦によって、ナゴルノ・カラバフ共和国という独立国家ということになったが、これを国際的に承認しているのは、アルメニアのみである。入域するには、イェレヴァンのナゴルノ・カラバフ大使館で ヴィザをとる必要がある。首都は ステパナケルトで、ソ連時代に 建築家のアレクサンドル・タマニアンによって都市計画が行われた(現在の人口約5万人)。
シャフミアン県 SHAHUMIAN PROVINCE |
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ダディ・ヴァンク DADI VANK **
ダディ修道院(ヴァンク)**
DADI VANK

( PC.245, AA.511, MH.198, RAA.3 p.74 )
ダディ修道院の平面図
(From "Armenian Art" Jean-Michel Thiery, Patrick Donabedian, 1987)

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カルミール KARMIR *
カルミール修道院(ヴァンク)
KARMIR VANK

ダディ・ヴァンクの帰途に寄った カルミール修道院の遺跡。かつては規模の大きかったヴァンクのようだが、今は わずかしか残らない。
マルタケルト県 MARTAKERT PROVINCE |
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ガンザサール GANDZASAR ***
ガンザサール修道院(ヴァンク)***
GANDZASAR VANK, 13c.

13世紀の ガンザサール修道院 (ヴァンク) 。 聖ヨブハネス聖堂とガヴィットの遠望。周囲には墓地が広がり、大きなアーチは かつての正門だった。 ( PC.240, AA.526, MH.192, DOC.17 )
ガンザサ-ル修道院の平面図
(From "Documenti di Architettura Armena 17. Gandzasar" Adriano Alpago-Novello)


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ステパナケルト STEPANAKERT **
首都ステパナケルト *
STEPANAKERT, 20c.
ステパナケルトは首都といっても、人口約5万人の のどかな小都市である。北部にはムロヴダグ山脈(最高 3724m)があり、緑ゆたかな山あいの町である。かつてはハンケンドゥという名であったが、1923年に 革命家ステパン・シャフミヤンの名をとって、改名されたという。建築家 アレクサンドル・タマニアンが都市計画をしたということだが、詳細不明。
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シュシ SHUSHI **
聖アメナプルキチュ聖堂 *
SURP AMENAPRKICH, 19c.

かつてナゴルノ・カラバフの中心地だったシュシの町は、ナゴルノ・カラバフ戦争によって灰燼に帰した。聖アメナプルキチュ・カトリケー(カテドラル)は、モダンな要素を加えながら 見事に修復された。 ( PC.238, MH.234 )
大半のモスクは消滅してしまったが、アグ・マスジドは市心に残る。

カシャタフ県 KASHATAGH PROVINCE |
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ツィツェルナ・ヴァンク TZITZERNA VANK **
ツィツェルナ修道院(ヴァンク)**
TZITZERNA VANK BASILICA, 4c.

5世紀と7世紀に改装されたバシリカの ツィツェルナ修道院(ヴァンク)。( PC.239, AA.509, MH.37, EC.114dr, 240-1, RAA.3 p.137 )
内側のバシリカは 4世紀にさかのぼる。北側の壁付き柱と、内側のアーケードとの柱位置のずれ。壁に、壁画の跡がわずかに残る。
ツィツェルナ修道院の平面図
(From "Architettura Armena" Paolo Cuneo, 1988)
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