ABBEY de SAINT MARTIN DU CANIGOU
カニグ山(フランス)
サンマルタン修道院
神谷武夫
サン・マルタン・デュ・カニグ
サン・マルタン・デュ・カニグ修道院

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ピレネー山脈の プレ・ロマン

 西ヨーロッパの中世の美術・建築は、大きく二つの時期に分けられる。11、12世紀のロマネスク期と、13、14世紀のゴチック期である。ゴチックの時代には都市が発展し、大都市にはカテドラルがそびえ、学問の場としての大学が設立される。そうした「都市の文化」に対して、ロマネスクの時代を担ったのは「修道院の文化」であった。聖書の研究によって学問、聖像によって彫刻、写本によって絵画、典礼によって音楽、そして聖堂と居住の施設によって建築、それらすべての文化が 修道院の中で発展させられたのである。

 もともと それらは世俗生活を捨てて成立したものであるから、ロマネスクの修道院は、多く僻遠の地や山奥に存在する。そうした 初期ロマネスクの修道院の姿を 最も雄弁に語ってくれるのは、フランスとスペインの境のピレネー山中にある サン・マルタン・デュ・カニグ修道院である。ここは今でも車で行くことができないので、カニグ山のふもとの村から、徒歩で 40分ばかり山登りをしなければならない。晴れてさえいれば、それは澄んだ空気の下、山も樹々も美しく、快適なピクニックとなる。私は日曜日の朝、一泊したプラドの町からバスで ヴェルネ・デ・バンに行き、そこから一人 山道をたどった。

谷間に面したクロイスターの回廊

 意外だったのは、そんな山奥の聖堂でも、日曜日にはミサがあげられ、近在の人々が列席することだった。しかし考えてみれば当たり前のことで、生きているキリスト教聖堂である限り、安息日である日曜日には ミサがあげられるはずだろう。しかし、この修道院は、一時は完全に放棄され、廃墟のようになった時代もあった。


サン・マルタン・デュ・カニグ聖堂のアクソメ 図
(From "Carolingian and Romanesque Architecture"
by Kenneth John Conant, 1959)

 建立は 1001年に始まり、上下二重の聖堂のうち、下の聖堂は 1007年に献堂され、1026年に上の聖堂が完成した。聖ベネディクトゥスが定めた会則に準拠する ベネディクト会の修道院で、下の聖堂は聖母に、上の聖堂はフランスの守護聖人である 聖マルタンに献じられた。堂の設計と建設には、サン・ミシェル・ド・キュクサ修道院から、スクリュアという名の 修道士・建築家が招かれたという。時代が下ると、この修道院は戦争や地震をへて荒廃し、18世紀末には無人の廃墟となった。それが復興されたのは 20世紀になってからで、細々と続けられた工事によって、今から 50年ほど前に 完全な姿を取り戻したのである。

サン・マルタン・デュ・カニグの下の聖堂(クリプト)


この上なく簡素な聖堂

 紀元 1000年以前の西欧の建築は「ロマネスクの前」という意味で「プレロマン」という奇妙な名で呼ばれることが多い。11世紀初めの この修道院もプレロマン、あるいは初期ロマネスクの アルカイック(古拙)な姿をとどめている。とりわけ下の聖堂は クリプト(地下祭室)ともみなされ、まるで洞窟のような姿をしている。それでも当初は、その柱は 上の聖堂と同じような細い円柱であったのだが、上の聖堂を建てる際に、その荷重に耐えられるよう、円柱のまわりに石を積んで、太い剛柱としたのである。円柱が 柱頭とともに埋め込まれている。

上の聖堂のナルテクスから内陣を見る

 私は回廊の屋上に出て、そこから上の聖堂の内部へと入った。その時、この単純素朴な、ただ ミサのために祭壇と照明が整えられただけの内部空間の、あまりの美しさに 息を呑んだのである。盛期ロマネスクの聖堂に比べて、ここにはほとんど何の装飾もなく、石も精巧な切石ではなく、野石や、せいぜい割り石にすぎない粗い石をモルタルによって積み重ねたにすぎず、刳形ひとつない、まことに簡素な建物である。ただ アーケードを支える柱だけが、ラフに磨かれた単岩の円柱で、その柱頭には まるで線描のような、申しわけ程度の彫刻があるにすぎない。それにもかかわらず、私がそれまで見た いかなるキリスト教聖堂よりも ここは美しく、私の魂を震撼させたのである。

 ここには建築の原点がある。どんなに粗末な材料を用いようと、あらゆる挟雑物を排し、みごとなプロポーションで堅固に作られ、何の余分な付加物もなしに 大事に使われ続けるなら、その数十倍の費用をかけた 装飾過剰の建物よりも、はるかに美しいのだと。
 「修道院は、修道士が 精神の芸術に没頭する 工房である」と聖ベネディクトゥスは語ったが、それを、サン・マルタン・デュ・カニグ以上に よく示す聖堂はない。

上の聖堂の内陣

( 2004年5月 "EURASIA NEWS" )



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