GALLERY of WORLD ARCHITECTURE
アッシジ(イタリア)
世界の宗教建築
神谷武夫
サン・フランチェスコ修道院
サン・フランチェスコ修道院聖堂、アッシジ

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連載にあたって(中外日報 2004年)

 異なった宗教の建物は 視覚的に区別されうる。寺院と神社とモスクとでは 異なった形式をもっているだろう。それは 建物が機能的に作られるばかりでなく、あるシンボリズムをも まとうからである。ひとつの宗教が社会に根をおろし確立していく過程では、その建築形態は その土地の風土や社会構造、技術水準に基づいて作られていく。
 ところが一つのスタイルが確立してしまうと、時代が移り、社会基盤が変化しても、それは一つのシンボリズムとして伝承されるようになる。さらにその宗教が他の地域に伝播すると、そのシンボリズムは 別の土地の風土と齟齬をきたすことにもなる。それでもなお、そうした歴史的シンボリズムを保ち続けようとする性格が、すべての建築の中でも、宗教建築に際立った特色であるといえよう。

サン・ダミアーノ修道院聖堂、アッシジ

 一方、建築史上に残る有名な宗教建築には、国家の財力や権力を基盤として作られたものが少なくない。それらは偉大ではあっても、本来の宗教的情熱とは遠いものであることが多い。では、本来の宗教建築とは どのようなものであったかと考えると、教団の初期において、その信者や聖職者たちが セルフビルドで建てたような施設であったろう。どんなにみすぼらしく見えようと、そこには純粋な宗教心の発露があったにちがいない。しかし、そうした建物は 建築的な成熟度が低いので、建築作品とは見なしにくいし、後世に残ることも少ない。そして財や物質性を徹底的に否定すれば、究極的には 建物は不要ということにもなる。

サン・フランチェスコ聖堂 と サン・ダミアーノ聖堂

  
サン・フランチェスコ聖堂とサン・ダミアーノ 聖堂の内部の比較

 宗教と建築とのこうした相克は、たとえばイタリアのアッシジに見ることができる。西欧キリスト教の歴史の中でも、とりわけ純粋無垢な宗教心をもった聖人と見なされる 聖フランチェスコは、13世紀に新しい托鉢修道会としての フランシスコ会を創設した。その「清貧」の思想が 最もよくあらわれているのは、彼が自ら石を積んで建てたとされる、簡素この上ない サン・ダミアーノ聖堂である。
 ところが彼の死後に町の西端に建てられた大修道院の サン・フランチェスコ聖堂は、ゴチック様式の豪華な建物として建てられ、内部はジョットーの壁画で飾られた。これは前者よりも はるかにすばらしい建築作品なのであるが、しかし フランチェスコの清貧の思想に忠実とは言いがたいだろう。

 宗教建築が こうしたあやういバランスの上に成り立つものであるからには、この連載は 国家的な建造物よりも、宗教の初心を保持しているような建築作品を選びながら、宗教建築とは いかなるものであるかを探っていきたいと思う。

聖ダミアーノの声を聞く フランチェスコ、ジョットー画

( 2004年 1月「中外日報」連載 第1回 )




< 付言 >

 姉崎潮風(あねさき とうふう)こと、宗教学者・姉崎正治(まさはる、1873ー1949) が明治43年に、38歳の時に書いた「聖者(しょうじゃ)の故郷(ふるさと)アッシジ」と題する、聖フランシスコの跡を訪ねた紀行文が なかなか面白いですが(『花つみ日記』1909 博文館 p.166-258 に収載)、これを載せているのは、改造社の『現代日本文学全集』第13巻「樗牛・潮風・臨風集」で、今から百年ほど前の 昭和3年 (1928) の本です。国会図書館のデジタル・コレクションでも読めます。



聖フランチェスコ聖堂と アッシジの町の遠望



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