COURTYARD HOUSES in ALEPPO
アレッポ(シリア)
イーワーンのある 中庭住居群

神谷武夫

アレッポ
アチクバシュ邸(伝統文化博物館)の中庭

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アレッポのジュダイダ地区

 シリアの第2の都、アレッポの城塞の北の、大通りを超えた向こう側に ジュダイダ (Jdeide Quarter) と呼ばれる地区があり、ここはアレッポの最も古い地区のひとつで、伝統的な中庭式の 石造の住宅(バイト)が多く残っている。というのは、この地区に 裕福なアルメニア人が定住して、それらの古い住宅に住みついて 守ってきたからである。大邸宅は、今では小学校や博物館に転用されているが、古くからの、イーワーンを備えた伝統的な中規模の中庭住居も 多数残っている。ここはムスリム都市 アレッポの中のキリスト教徒地区になっているので、アルメニア正教のほかにも シリア正教や ギリシャ正教の聖堂もある。

    
アレッポ、木造民家とジュダイダ地区の路地とコーヒーハウス

 上のジュダイダ地区の街路の写真に見られるように、街路の両側には石の壁や塀が立ち並んでいて、住宅の内部は うかがい知れず、これらの中を訪ねるのは困難である。そこで、地区の 非常に古いコーヒーハウスで コーヒーを飲みながら待っていると、話を聞きつけた博物館の人が 案内を買って出てくれた。その人の「顔」で、主要な5軒の家を訪ねて、主に中庭まわりだが、見せてもらえた。
 トルコの伝統的住居は木造であるが、ジュダイダ地区には オスマン朝時代の石造住居が 多く残っている。ただし、これらは イーワーンが示すように、「アルメニア建築」ではなく、「ペルシア的なオスマン建築」と呼ぶのが適切であろう。

 
ガザラー邸の中庭と窓詳細


アレッポの石の家 ( "STONETERIOR" 7.)

 一つの都市の中の、ある一画が独特な性格を持っていて、「町の中の町」といった姿を見せることがある。日本では、寺院ばかりが集まった「寺町」というのが その例であるが、世界の都市の中には「人種的マイノリティ」の住む地区が、そうした「町の中の町」を形成していることがある。華やかなヴェネツィアの町の中のゲットー(ユダヤ人コミュニティ)が 厳しい表情の街並みを作っていて、そこだけ別世界のような印象を与えたり、東南アジア各地のチャイナタウンが 常に独特な「町の中の町」を形成したりするようなケースである。

 シリアの第2の都、アレッポにも そうした地区がある。ジュダイダ(ジュデイデ)地区と呼ばれる一画がそれで、ここには 主にアルメニア人が住んでいる。アルメニア人は 祖国を追われた悲劇の民でありながら、ユダヤ人にも似た 商業や手工業の才によって 世界各地にその地位を築きあげてきた。このジュダイダ地区の表通りには 彼らの金銀細工や宝石の店が並んで、まばゆいばかりである。さらに印象深いのは、アレッポ市民の大部分がイスラム教徒なので、女性たちは 黒ずくめのヒジャーブ(チャドル)を着て 顔を隠し 肌を見せないのに対し、この地区に来ると アルメニア人はキリスト教徒であるので、顔を露わにした 白人のアルメニア人女性たちが町を闊歩していて、一層 その対比感が強まるのである。けれど それは6年前に見た姿であって、今回再訪したシリアでは チャドルを着る女性が めっきり少なくなり、この地区の風俗的対比は ずいぶんと薄れてきた。

アレッポ市内、ジュダイダ地区の位置図
(From "ALEP" by Gérard Degeorge, 2002, Flammarion)
この地図外になるが、ジュダイダ地区のすぐ左下に、
私が定宿とした、古い格式の バロン・ホテルがある。

 この店舗街から一歩 裏通りに入ると、そこは石造アーチが架かる ひっそりした石畳の道で、両側の家々は2〜3階分の高い石壁を立ち上げていて、その内部に どんな生活があるのか 窺(うかが)い知ることもできない。実は このジュダイダ地区は、古都アレッポの中でも 最も古い作りの 石造りの家々が建ち並ぶ地区なのである。古くからこの地に住み着いたアルメニア人は 商業的に成功して、その豊かな生活を これら石造の住宅内に繰り広げてきた。それらの住宅の多くは 16〜17世紀に遡(さかのぼ)るという。

 シリアは 中東でも有数の 石造文化の伝統をもった国である。古くは 紀元前のパルミラの都市遺跡から、ビザンチンの教会堂、十字軍の城、イスラムのモスクや キャラバンサライ、すべてが 見事な切石で造られている。そしてまた アルメニア人も、コンスタンチノープルの聖ソフィア大聖堂が崩壊した時には その再建のためにアルメニアの建築家が はるばる招聘されたという程に 石造建築の技術に秀でた民なのである。従って このジュダイダ地区の古い住宅群も、塗り物も 貼りものもしない 石灰石の精巧な切石で組み上げられている。

アチクバシュ邸(Bayt Ajikbash)

 
アチクバシュ邸(現・伝統文化博物館)

 こうした住宅の中でも 名高いアチクバシュ邸が、最近(1967) アレッポ市の「伝統文化博物館」 (Museum of Popular Tradition) に転用されたので、その住宅形式を 誰でも自由に見られるようになったのは有難い。創建は1757年で、プランは 中庭を諸室が囲む 典型的なアラブ式で、こうした住まいを「ダール」と呼ぶ。中庭には樹が植えられ、中央には 噴水のある水盤が造られる。周囲を町から隔離されて 静かな水音を響かせるこの小庭園は、アラブ世界における「ミニ楽園」とも言うことができよう。

 住宅の中庭に面して2層分または3層分の大きなアーチが架け渡され、この奥は 常に日陰を提供する 半戸外の空間となっている。これは「イーワーン」と呼ばれ、ペルシアに源を発して イスラム世界全域に広まった 建築構成要素である。ペルシアのモスクは 広い中庭の四面にイーワーンを備えるのを常としていて、これを「四イーワーン型モスク」と呼ぶが、モスク以外にも マドラサ(学院)、ビマリスタン(病院)、宮殿、その他 あらゆる建物に用いられて、礼拝室や講義室、謁見室等の 役割を果たしてきた。アレッポの住宅の場合では ここが家の中のサロンとなり、半戸外の居間、接客、夏季の食堂、その他 様々な用途に用いられる。めったに雨の降らないこの町では、寒い冬以外は ここが家の中で 最も気持ちの良い場所であろう。

 その他の部屋の内装は 主に 木で仕上げられ、天井はカラフルに彩色されている。このアチクバシュ邸は 伝統文化博物館として、古い家具調度や民族衣装の人形を並べて 当時の生活のあり様を伝えているが、しかし ここには やはり生活の匂いが無い。もっと生き生きとした姿に接しようと思うなら、今なお 住宅として住まわれている家々を 訪ねなければならない。今回見ることのできた家は ワキール邸とバシール邸で、ジュンブラット邸とガザラー邸、ダラール邸は 学校に転用されていた。

ワキール邸(Bayt Wakil)

アレッポ   アレッポ
ワキール邸のイーワーンと、噴水中庭

ワキール邸、アレッポ、17世紀、平面図 ( From the website
"The Destruction and Reconstruction of Aleppine 'Ajami" )

アレッポ  アレッポ
ワキール邸の壁面装飾と、中庭の床舗装

 その中でも ワキール邸は保存が良く、その適切なスケール感は 一番快適そうな印象を与えた。中庭を囲む軒蛇腹、屋根の雨落し、窓の上の日除けスクリーン等、すべてが石の彫刻で作られていて、とりわけ そのレース細工のスクリーンは目を奪う。ガザラー邸の窓周りの装飾は一層 繊細で、その下には色石を象嵌した飾り帯も見らる。

バシール邸(Bayt Basil)

バシール邸の中庭、サッシュが嵌められたイーワーン

 
バシール邸のイーワーン天井とキャンティレバー階段

 一方 バシール邸のイーワーンは 木製サッシュが嵌められて、礼拝室に変えられてしまった。その内部の 祭壇側の壁には モロッコ風の美麗なスタッコ彫刻が施されている。ここの屋外階段が 石造のキャンティレバー(片持ち)階段であるのも見事だが、長い間には 部分的に鉄骨で補強しないと 無理のようでもあった。現在は カトリックの孤児院に用いられている。

 アレッポのこうした古い家々を、案内書では「エピキュリアン的」と評している。ワキール邸のイーワーンで 夏の乾いた暑い日射しから遮られ、噴水と緑と石の彫刻で囲まれ、そして中庭で遊ぶ子供たちを眺めながらソファに座っていると、確かにそう感じられた。そこの若い娘さんが持ってきてくれたトルコ・コーヒーと 冷たい水とがまた、格別においしかったのである。

学校に転用された 邸宅

 他に ダラール邸と ジュンブラット邸に案内されたが、これらと、上のほうに 中庭と窓まわりの写真を載せた ガザラー邸は 規模が大きいので、市立小学校や アルメニア人学校に転用されていた。いずれも、中庭に面した大きなイーワーンがある。
 他に住宅のまま使っているものも あるのだろうが、住宅の内部を見せてもらうのは むずかしい。

(ワキール邸は、その後 ホテルに改装されたらしい。それよりも、長年のシリア内戦で、これらの住宅も、アレッポの古都全体も、相当に破壊されたことだろう。)

市立小学校に転用された ジュンブラット邸 (Bayt Junblatt)


アルメニア人学校に転用された ガザラー邸 (Bayt Gazala)


アルメニア人学校に転用された ダラール邸 (Bayt Dallal)


( 1986年9月「ストーンテリア」7号 )


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