GALLERY of WORLD ARCHITECTURE
プティア(バングラデシュ)
テラコッタ寺院群
神谷武夫
プティア
ゴーヴィンダ寺院 西面、プティア

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ベンガル地方

 ベンガラ色といえば、日本にも おなじみの赤茶色で、酸化鉄を主とする顔料によって得られる。オランダ語から入った呼称で、漢字では弁柄、あるいは紅殻(べにがら)と書くが、もとを正せば 東インドのベンガル地方によく産出したことから、この名がついた。
 ベンガルはまさに赤茶色の地であって、それはこの地方が、西からのガンジス河と東からのブラフマプトラ河が合流してベンガル湾にそそぐ 巨大な三角州の沖積平野を形成したことに起因する。年間雨量が多く、湿潤な地盤は 鉄分を多く含む土壌からなるので、これがラテライト(紅土)化したこと、また石材があまり得られないので、主たる建設材料としては このラテライトと土、および土を焼いたレンガを用いたために、この地方の建物は古来、両者の赤茶色を基本とするようになったからである。

ゴーヴィンダ寺院の壁面テラコッタ・パネルの1枚

 ベンガル地方では 古代に仏教文化が栄えたが、中世のヒンドゥ時代には 南どなりのオリッサ地方に文化中心が移った。オリッサには中世の偉大な石造寺院が数々あるが、ベンガルにはほとんど無い。
 13世紀からはイスラーム政権が支配して 赤茶色のイスラーム建築を建てたが、17世紀中葉以降 ヨーロッパ諸国がこの地に進出するにつれて、イスラーム勢力は弱体化する。それにともなってヒンドゥ教が復興し、ベンガル独自の 赤茶色のヒンドゥ寺院を 各地に建てるのである。

 ムスリムとヒンドゥは共存していたのだが、インドが英国から独立すると、ベンガル地方はヒンドゥを主体とする インドの西ベンガル州と、ムスリムを主体とする 東パキスタン(現在のバングラデシュ)とに真っ二つに分割されてしまった。そのために バングラデシュ側に残るヒンドゥ寺院の多くは、現在は使われていない。

  
ゴーヴィンダ寺院の南面ファサードと、廃墟となったテラコッタ寺院


テラコッタ寺院

 そうした近世の赤茶色の寺院が、多数残されている村が バングラデシュにある。プティアという、その村の寺院群は すべてレンガ造で、その表面は 赤茶色のテラコッタ・パネルで覆われている。これは粘土にレリーフ彫刻をほどこして、釉(うわぐすり)をかけずに焼いた素焼きの陶板で、そこには素朴ながら、「ラーマーヤナ」や「マハーバーラタ」の説話、そして神々や動物のほかに 民衆の日常生活などが、まろやかなタッチで描かれている。

 宗教建築は 普通の民家よりも モニュメンタルに作られるのを常とするが、ベンガルには良質の石材が採れなかったので、古代の仏教時代にも、中世のイスラーム時代にも、そしてまた近世のヒンドゥ時代にも、外壁は テラコッタ・パネルで飾られてきた。こうした赤茶色のテラコッタ寺院は、ベンガル以外の地では見ることがない。それらは小規模なものが多いので、偉大な寺院建築とはいえないが、水と緑の多いこの地方に しっくりと調和する、愛すべき建築文化である。


ゴーヴィンダ寺院 平面図
(From "Brick Temples of Bengal" by George Michell, 1983)

 その建築的な特徴は、ヒンドゥ寺院でありながらイスラーム建築の影響を受けていて、正方形を基本とする 幾何学的プランをしていることと、アーチやドームの構造を用いていることにある。
 ゴーヴィンダ寺院はその典型であって、正方形の点対称のプランをしていて、四面に同形のファサードを見せている。寺院というよりはイスラームの廟建築のような作りである。中央部には主塔が立ち、その対角上の四方に小塔が立って、全体として五塔式(パンチャ・ラトナ型) となっている。四方の外壁面の中央には、ほとんどすべてのベンガル寺院と同じように 三連アーチの開口があり、それぞれの2本の柱は彫刻的な姿をしている。

ゴパル寺院の柱

 屋根の軒線が水平でな くカーブを描き、四隅が垂れ下がっているのが 目を引くが、これは雨の多いこの地方において 雨を早く地上に流れ落とさせるための、農家の草葺き屋根の形からきている。このベンガル風の曲面屋根(バンガルダール屋根)が、ムガル朝によってデリーや アーグラにもたらされ、さらに それが西インドのラージプート諸国に伝えられたので、前々回紹介した ジャイサルメルの石造ハヴェリーでも、それが極端な形で 出窓などに用いられていたのである。

(2004年2月 "EURASIA NEWS")


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