PARASHAL RISHI TEMPLE at LAKE PARASHAL
パラーシャル湖(北インド)
パラーシリシ寺院
神谷武夫
パラーシャル・リシ

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木造のヒンドゥ寺院

 唐の僧、玄奘がインドに仏典を求めて留学した7 世紀、彼の記した『大唐西域記』には、当時すでにヒンドゥ教が仏教よりも 優勢になりつつあったことが記されているが、カシュミールとチベットに はさまれたヒマーチャル地方は すべてがヒマラヤ山中の交通不便な地なので、仏教の布教も十分になされなかったのか、そもそも 古代の仏教遺跡がほとんどなく、もっぱらヒンドゥ寺院が分布している。そしてインド平原とちがって ヒマラヤ杉や松の木でおおわれた山々に囲まれているので、住居も寺院も 基本的に木造建築である。
 現存する最古のものは、玄奘が帰唐した半世紀後の 700年頃とされる、バルモールの ラクシャナー・デヴィー寺院である。これは小規模な合掌型であったが、ヒマーチャル地方には 木造の層塔型寺院もまた多く建てられた。一見、日本やネパールの塔と似ているものの、直接の関係はない。

パラ-シャル・リシ寺院の全景

 代表的なパラーシャル・リシ寺院は 標高 2730mの山頂にあり、ここからの周囲の景観は まことに神秘的で、人里から はるか離れた聖地とされている。ここが聖地となったのは、山頂が少し陥没して 小さな湖となっているからで、この地を司るパラーシャル・リシ神の名をとって パラーシャル湖と呼ばれている。
 この神を祀って湖のほとりに建つパラーシャル・リシ寺院は 木造の三重塔で、胴部が細く くびれた、きわめてスレンダーな塔である。ただ、この地の風と寒さを防ぐためか、後に寺院の周囲に 壁と差しかけ屋根をめぐらせて「裳層(もこし)」のようにしたので、1階が奇妙なプロポーションとなってしまった。

土着信仰のヒンドゥ化

パラーシャル・リシ寺院の 概念的平面図
(From "Temple Architecture of the Western Himalaya"
by O.C. Handa, 2001)

 ヒンドゥ教は 各地の土着信仰を吸収しながら インド中に浸透していった宗教なので、ヒマーチャル地方でも ヒンドゥ教以前の地母神信仰や ナーガ(蛇神)信仰と融合した。このパラーシャル湖の寺院も、本来は水辺のナーガ神を祀る寺院であったが、それがヒンドゥ神話に組み込まれると人格化して、リシ(聖者)に仕立てられるようになった。堂内にパラーシャル・リシの聖像はあるものの、この地の人々が本当に礼拝するのは、黒いナーガ像であるらしい。

  
三重塔の上層部の木造架構と、遠望

 寺院を現在の形で建立したのは 14世紀のバン・セン王で、車のない時代、歩いて登山すれば1日か2日かかる山頂に、当時の木造建築と彫刻の粋をもたらしたのである。寺院のくびれた胴部から大きく屋根を張り出すのに、中国や日本のような斗木共(ときょう)ではなく、何段も重ねた持ち出し梁と方杖で作っているのも興味深いが、私にとって何よりも不思議なのは、頂部の屋根が円錐形をしていることである。
 ヒマーチャル地方の層塔型寺院は ほとんどがそうなっていて、下階の屋根がスレート葺きに置き換えられている場合でも、頂部の円錐屋根だけは 昔ながらに木の板で葺かれていて、特に強い伝統を守っていることがうかがえる。


円錐形屋根の起源

 下層がすべて寄棟型の屋根なのだから、頂部も寄棟の方形屋根とするのが最も合理的であり、工事もしやすい。事実、日本の塔では すべてそうなっていて、下が半球形をしている多宝塔でさえも、頂部の屋根は方形である。それなのにヒマーチャル地方では、木造では作りにくい 円錐形にしているのは何故だろうか。

1階の壁面と周囲の柱廊

 インドには 最南端のケーララ地方に円形プランの寺院形があって、その場合には 緩い勾配の円錐形の木造屋根が架けられている。古代のインドでは木造が主流であったから、今はすべて失われてしまったものの、円形プランに円錐屋根の仏教寺院があった可能性もある。

 しかし、もしも この矩形プランの上の尖った円錐屋根が 外来の影響によるものだとしたら、それはアルメニアの聖堂建築からではないかと思う。宗教はキリスト教であり、材料も石造であるが、アルメニアの聖堂は内部をドーム天井としながら、その外形はイスラム建築のような球面とはせずに、円錐形の石屋根とするのを原則とした。石造建築では かなり珍しい方法であって、木造の円錐屋根という ヒマーチャル地方の珍しい寺院形と対をなす。

テゲールの聖堂(アルメニア)

 両者に何らかの関係がありそうだと思えるのは、今まで中東とインドの間に、いくつものそうした事例を見出してきたからである。ギリシア彫刻と ガンダーラの仏像、リュキアの石窟や石棺と 仏教のチャイティヤ窟、ギリシア神殿と パンギ地方の合掌型寺院、リュキアの木造的石窟墓と チトクルの木造穀物倉、ジョージア(グルジア)の塔状住居と ヒマーチャル地方の角塔型寺院、これらと並んで、アルメニアの円錐屋根形態が ヒマーチャル地方までもたらされたような気がしてならないのである。

( 2004年 11月「中外日報」)



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