GALLERY of WORLD ARCHITECTURE
シャトルンジャヤ山(西インド)
ジャイナ教の山岳寺院都市
神谷武夫
シャトルンジャヤ
シャトルンジャヤ山の山岳寺院都市

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究極の平和宗教

 紀元前 5〜6世紀、インドで支配的であったバラモン教に反旗をひるがえして、新しい哲学や宗教が澎湃(ほうはい)として起こった。それらの自由思想家が中心テーマとして掲げたのは 階級制度の否定であり、殺生による供犠の祭式の否定であり、苦しみに満ちた生を送る人類の救済であったろう。そして救済は神々の力によるのでなく、人間自身の修行や瞑想によって真理に至り、正しい行いによって業(カルマ)を減じ、輪廻の鎖を断ち切ることであったから、それらは基本的に無神論の宗教であった。

谷部のモティシャー・トゥークの寺院群

 そうした新興宗教の中で最も力を得たのは ゴータマが説いた教えとしての仏教であり、後にそれは日本にまで伝えられたが、同時代のヴァルダマーナが説いた教えとしてのジャイナ教は、仏教の兄弟宗教と見做されるにもかかわらず、日本人はほとんどその存在に関心を払わない。しかし、日本が世界に誇るべき平和憲法を改変して、再び暴力の論理による世界を肯定する道を選ぼうとしているような現在、究極の平和の宗教であるジャイナ教は、もっと深く知られるべきではないかと思う。


ジャイナ教の建築

 建築的にもジャイナ教は、中世において ヒンドゥ教寺院とは異なった「四面(チャトルムカ)堂」という建築形式を生み出し、仏教建築にも影響を与え、ラーナクプルのアーディナータ寺院という インド建築の最高傑作を生み出した。ではその形式が ジャイナ教の根本教義である絶対的非暴力、非殺生(アヒンサー)の論理から 直接派生したのだろうかというと、そうは言えない。宗教においては、しばしば その建築的形式が すべて宗教的教義の結果であるように説く人たちがいるものだが、その多くは 証明なしの こじつけ的解釈であるにすぎない。宗教と建築とは、それぞれ固有の論理をもっているのである。

アーディシュワラ寺院の上階の 四面像

 それでもなお宗教建築は、それぞれの形が唯一のあり方ではなかったとしても、その宗教に内在する性格を反映しているのも確かである。たとえば、ヒンドゥ教ではその聖地(ティールタ)のほとんどが水辺にあるのに対して、ジャイナ教ではその多くが山上にある。それは現世離脱の願望の反映なのだろう。
 古来、純粋な宗教性を求める聖職者が 世俗の世界を離れ、僻遠の地に 修行や瞑想の場を求めたことは多い。初期キリスト教の隠修者が エジプトの砂漠へ、シリアの山奥へと分け入ったのも、シトー会の修道院が 人里離れた僻地にその場所を求めたのも、そうした顕われである。



ヴィマラヴァシー・トゥークの平面図 シャトルンジャヤ
(From " Somnatha and other Mediaeval Temples" by H. Cousens, A.S.I. 1931)


山岳寺院都市

 だがジャイナ教が他の宗教と異なるのは、登るのも困難な僻遠の山上に寺院を建てながら、それを孤立させず、次々と寺院の数を増して「寺院都市」というべきものを好んで作った特異性にある。 これは一体、どのようなメンタリティーに基づくものであったろうか。

 西インドのパーリターナの町の近くのシャトルンジャヤの山上には、何と 960もの堂塔が建ち並び、しかも寺院以外には 住居も店舗も何一つないという、完全な 「山岳寺院都市」 を現前させている。個々の寺院の形態は、四方に開かれた四面堂が散在することの他には、中世の北方型ヒンドゥ寺院の 西インド型とほとんど変わらないが、それらが密集して建ち並ぶ中を歩いていくと、寺院ばかりのゴースト・タウンにいるような、不思議な感覚に捉えられる。事実、夜はこの山に人々がとどまることは許されず、山登りが危険となる雨季には 寺院都市全体が閉鎖されるのである。

ヴィマラヴァシー・トゥークのアーディシュワラ寺院

 これらの寺院群は初めから計画的に建てられたわけではなく、殺生を禁じる教義から ほとんどが商人となったジャイナ教徒が、その利益を宗教的功徳に還元しようとして 寺院を寄進していった結果としてできたものなので、寺院「都市」とは言っても、そこに都市計画があったわけではない。
 それでも、寺院が密集する二つの峰と一つの谷のうち、ヴィマラヴァシー・トゥークと呼ばれる峰では、両側に寺院群の建ち並ぶメイン・ストリートを登っていくと、山の頂部で最大最美のアーディシュワラ寺院に迎えられ、はるばると登ってきたジャイナ教徒の巡礼者にとっては、穢土(えど)を離れた浄土の 終局的な目的地に到達したような 充足感に捉えられるのであろう。これもまた、宗教的高揚感をもたらすための、世にも稀な 建築的方法のひとつである。

(2004年 10月「中外日報」)



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