GALLERY of WORLD ARCHITECTURE
サーンチーとティガワー(中インド)
仏教寺院と ヒンドゥ寺院
神谷武夫
サーンチー
サーンチーの仏教寺院群

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グプタ朝の建築

 インドに石造建築が建てられ始めるのは、5世紀の グプタ朝の時代である。それまで古代のインド建築は ほとんどが木造であり、一部が レンガ造であったと考えられ、その滅びやすい材質のゆえに、5世紀以前のものは すべて消失し、まったく残っていない。
 また宗教的にも それまで主流であった仏教に対抗して、古代に栄えながら 仏教に押されて下火になっていたバラモン教が、雌伏の時代に高度な理論武装をし、かつ各地の土俗宗教を吸収して インド中に浸透し、ヒンドゥ教として社会の前面に躍り出た時代である。したがって5世紀に始まる インドの石造建築は、なお存続していた仏教よりも、むしろヒンドゥ寺院がリードして 発展させていくことになる。

寺院 17、サンチー

 こうしてグプタ朝は インド建築史における エポックメイキングな時代となるが、しかし その実作品は ごくわずかしか残っていず、また遺構の規模も ごく小さい。仏教が誕生してからすでに千年も経過して 諸王朝の保護を受けたのであるから、木造やレンガ造であったとしても、国家的造営物としての 大規模な宗教建築が建てられていたはずである。そうした木造建築に匹敵する規模の 石造建築を建てるには、5世紀は まだ石造の技術が十分に発達していなかった、というのが通説である。
 しかし 私は常々これを疑問に思ってきた。古代の石窟寺院には 石造のプロポーションによる柱や梁が彫り残されていて、当時すでに そうした石造建築がモデルとして存在したに違いない と思えるからである。ただし大きなスパンの屋根だけは 石材で架け渡すことができず、木造としたであろうから、石造と木造の 混構造が大半だったのだろう。そして木部が腐朽や火災によって失われてしまえば、石材は新しい建物のための 部材として利用されてしまったはずである。

ヒンドゥ寺院、ティガワー

 したがって 現在見ることのできるグプタ朝の石造建築というのは、偶然のようにして残された 小規模なものにすぎない。おそらく、それらは小規模であるがゆえに 屋根まで石で造られた 完全な石造建築であることも、残存した理由なのだろう。それを代表するのが 5世紀前半に建てられたとされる サーンチーの仏教寺院と、ティガワーのヒンドゥ教寺院である。


宗教と建築の関係

 中部インドのサーンチーは 古代の一大仏教センターで、有名な大ストゥーパをはじめとして 多くの僧院や祠堂が建ち並んでいた。ここに ほぼ完全な形で残る小寺院 No.17は単室寺院で、約 3.8m角の立方体のような聖室(ガルバグリハ)の前面に4本柱で支えられた ポーチの屋根が架かる。壁面には何の装飾もなく、ただポーチの柱のみが 上部にクッション飾りをもち、柱頭に 横たわる獅子たちの彫刻がある。
 一方、ティガワーに残る5世紀のカンカーリー・デヴィー寺院は ヒンドゥ教の寺院であるが、サーンチーの仏教寺院と 規模も形もそっくりである。ポーチの柱頭に獅子群が彫刻されているのも同様であるが、ポーチの側面に壁があるのは 後世の付加で、当初はサーンチーと同じように開放されていた。



サーンチー(左)とティガワー(右)の寺院 平面図
(From "Encyclopaedia of Indian Temple Architecture" U-1
Foundations of North Indian Style, 1988)

 これが示しているのは、異なった宗教の建築が、必ずしも 異なった形態を見せるわけではない、ということである。同じ地方、同一の風土のもとに発展した建築は、宗教の別なく適用される。
 インドのイスラム建築が 仏教やヒンドゥ教の建築と異なっているのは、異なった地方(中東)の 異なった風土(砂漠地帯)で育ったものが 移入されたからであるに過ぎない。日本の神社建築と寺院建築が異なっているのも それと同じことで、もしも 仏教が日本で生まれた宗教ならば、仏教建築は 神社建築と同じような形に作られたはずである。

ティガワーの寺院の柱

 それにしても、なぜフラットルーフなのだろうか。インドの石造建築は 当時の木造建築を模して出発した というのが定説である。そうであるなら、サーンチーやティガワーの初期石造寺院も 当時の木造の主流であったはずの 三角切妻屋根にするのが順当だったのではあるまいか。
 サーンチーには もっと大きな寺院 No.18があり、これは前方後円形をしていて、石窟寺院のチャイティヤ窟と同じように 外壁の内側に柱が立ち並んでいる。これはずいぶんと背も高いので、チャイティヤ窟そのままのような 半円筒形屋根がかかっていたとは考えられず、やはり 木造のフラットルーフであった可能性が高い。
 インドの石造建築が 木造的軸組み構造で建てられているのは確かだが、だからといって木造建築を そっくりそのまま石に置き換えたわけではないだろう。とすれば インドの石造建築には、もっと別のモデルもあったのかもしれず、それはゾロアスター教・ペルシアの石造建築ではなかったろうか。

(2004年 9月「中外日報」)



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