トダ族の寺院 |
仏教やキリスト教など、いわゆる「世界宗教」は、それぞれ数億から十数億の信者をかかえる巨大宗教である。しかしどんな宗教も、その出発時には わずかな信者しかもたない弱小宗教だったのであって、当初の宗教形態は「原始仏教」とか「原始キリスト教」とか呼ばれたりする。 宗教のそうした始原的状態を今も見せてくれるのは、いわゆる「部族宗教」であるが、それらは宗教学よりも 文化人類学の研究対象となることが多い。
インドには多くの山地部族がいて、ヒンドゥ教ともイスラム教とも異なった アニミズム的な固有の宗教伝統を守っていることがある。それらは人口数千規模の 小コミュニティによる宗教であるから、大宗教のような成文化された教義体系は持たない。しかし独立した宗教として、固有の神(々)を信仰し、独特の礼拝習慣を 日々の暮らしと不可分に構成しているので、それらは 確かに宗教の原初的状態を表しているように見える。
ニールギリ山系には 主に 4部族が共存してきたが、その中でもトダ族の習俗は 早くからヨーロッパ人の関心を引き、15世紀以来さまざまな報告がなされた。とりわけ今から 100年ほど前に、イギリスの文化人類学者 W.H.S.リヴァースが現地に住み込んで 詳細な調査をし 出版した『トダ族』は、文化人類学史における金字塔の一つと謳われ、トダ族の何たるかを世界に知らせるとともに、その後の半世紀における 人類学調査の手本ともなった。
トダ族は農耕民ではなく、水牛の放牧による酪農を基本にしていたことが、その宗教や生活を独特のものにした根幹であった と言える。ヒンドゥ教徒が牛を敬うのに対して、トダ族では なぜ水牛であったのかは分明でない。その水牛の中に聖なる水牛群がいて、それを扱い、乳搾りをするのが僧侶であり、その聖なる乳から乳製品を作るのが宗教行為であり、その行為の場が寺院である。
William A. Noble による寺院平面図と断面図 (From "The Toda of South India" by Anthony R. Walker, 1986)
この建築形態が、古代インドの 仏教石窟寺院におけるチャイティヤ窟(ストゥーパを礼拝する堂)を連想させることから、両者の間に何らかの関連があるのではないか と推測されたりもした。とりわけ両妻部に架け渡された半円形の大きなアーチは、仏教窟の チャイティヤ・アーチ を思わせる。
住居型寺院の頂部と前面側柱
しかし現地調査をした結果は、その否定であった。端部のアーチは、藁や草を束ねて 籐でぐるぐる巻きにしたもので(だからこそ アーチ状に曲げることができる)、これは主構造ではなく、造形的な飾りに過ぎない。主構造は妻壁であって、これはきわめて厚い木の板を 掘っ立て柱のように地面に差し込んで立てる。
こうした建築形式を、石窟寺院と結びつける根拠は 何もないと思われる。とはいえ、わずか 1,300人ぐらいの人口しかもたない 一山地部族が、よそでは見られない 個性的な建築形式と宗教形態を生み出したのは 驚くべきことである。 (2004年 8月「中外日報」)
トダ族の寺院には、上記の「住居型」寺院のほかに、もうひとつの寺院型がある。 それは円錐形の寺院で、数が少なく、リヴァースの調査時には 3つの村にあったものが、現在では2つの村にしか残っていない。
円錐形をしたトダ寺院 |