JEWELED BOOK "FORGET-ME-NOT"

宝石本 わすれなぐさ

神谷武夫

わすれなぐさ    わすれなぐさ
  ● 北原白秋 著 『 わすれなぐさ 抒情小詩選 』 1922年(大正11)
通常版、三方金、15cm, 165pp. アルス (ARS)、扉
● 小寺謙吉 著 『 宝石本 わすれなぐさ 』 1980年(昭和55)
三角函入り、赤い背革装、19.5cm, 233pp. 西澤書店


北原白秋の 詩集『 わすれなぐさ 』

 詩人の 北原白秋 (1885-1942) こと 北原隆吉と その弟の 北原鉄雄 (1887-1957) とは 1915年に「芸術書店」を興し「阿蘭陀(オランダ)書房」と名付けました。最初に出版した白秋の『抒情小詩選 わすれなぐさ』は売れ行きが良かったのですが、じきに社運が傾き、1917年に社名を債権者に譲り渡し、弟の鉄雄が単独で始めたのが アルス (ARS) という出版社で、『 ARS 』という詩誌を出すとともに、『わすれなぐさ』の出版も 引き継ぎました。

 詩集のタイトルの『 わすれなぐさ 』は、上田敏の 訳詩集『海潮音』(明治38年、本郷書院)の 108 ページにある ヴィルヘルム・アレンの詩「わすれなぐさ」から採りました。

  海潮音   わすれなぐさ
     ながれの きしの ひともとは、
     みそらの いろの みづあさぎ、
     なみ、ことごとく、くちづけし
     はた、ことごとく、わすれゆく。

  白秋の「はしがき」には、次のように 書かれています。

「少年老い易し、麗人は 刻(とき)を千金の春夜に惜む。われらが わかき日の小詩は まさに涙を流して歌ふべし。瑠璃いろ空のかわたれに わすれなぐさの花咲かば また、過ぎし夜の はかなき恋も忍ぶべし。ここに選び出でたるは わが幼きより今にいたる あらゆる詩集の中より、ことに歌ひ易く 調(しらべ)やさしき 断章小曲のかずかず、すべてみな見果てぬ夢の現なかりし ささやきばかり、とりあつむれば あはれなること かぎりなし。かの西の国の詩人(うたびと)

         ( 上記の 上田敏の訳詩 )

と歌ひけむ。なにごとも ながれゆく水のながれの ひとふれのみ。忘れえぬ人びとよ、われらが若さは 過ぎなむとす。嘆かば嘆け。羊の皮の手ざはりに 金の箔押す わがこころ、思ひあがれば ある時は、赤玉(ルビ)、サフアイヤ、緑玉(エメラルド)、金剛石(ダイヤモンド)をも鏤(ちりば)めむとする、何といふ哀(かな)しさぞや、るりいろ空に花咲かば 忘れなぐさ と思ふべし。
                        大正4年 4月 白秋 識

 『 わすれなぐさ 』の最初の 阿蘭陀書房版は 贅(ぜい)を凝らしたもので、フル レザーの羊皮紙の表紙の半分を緑色に染め、木版の唐草模様と金文字箔押しのタイトルを入れたもので、きらびやかな詩心の「白秋好み」を 本の形にしたものでした。しかも その函の形が 前代未聞のもので、表側を三角形に切って、本体を半分見せる というものでした。白秋は常に、自著の造本や装幀に 意を凝らしました。
 この小型本の定価が 95銭というのは 高価だったのでしょうが、白秋ファンと愛書家にとっては 宝物のような 書です。しかし 関東大震災や東京大空襲で多くが失われ、今に残る きれいなものは めったに無く、傷んだものであっても、古書市場で高価な「稀覯書(きこうしょ)」です。今や 入手困難な「珍本稀書」の類(たぐい)と言ってもよいでしょう。当時の 宣伝文には、

「最も懐かしく 愛誦すべき抒情小詩選 日本出版界を驚倒せしめたる 空前の美本にして 表紙は柔軟なる羊の皮に 高華を極めし わすれなぐさの模様を描きたるもの。手触の なつかしさ ゆかしさ 限りしられず」
「装丁美術の極致、華麗を尽くせる 羊皮製の詩集」

と あります。 今から 110年前の(あまり堅牢でない)古書なので、美本は非常に高価になっているので、私が架蔵するのは「普及版」と言うべきか、大正11年のアルス (ARS) 版で、第16版です。ところが 定価が1円80銭となっていて、豪華版たる 阿蘭陀書房版の2倍になっているのは 不思議です。それでも これも 絹布装に三方金の豪華版であり、洋画家・山本鼎(かなえ)の 装幀です。大きさは 同じ文庫サイズですが、函に入っていたのかどうか 分かりません。表紙は、忘れな草は 五つ葉なのに、三つ葉の花を並べたデザインになっているのは 少々奇妙です。ページ数も 17ページ少なくなっています。

初版    通常版

 ● 北原白秋 著 『 わすれなぐさ 抒情小詩選 』豪華版 (ウェブサイトより)
    著者自装、帙入り、耳付き 総羊革装、天金、17 x 13 cm, 182 pp.
 1915年(大正4)阿蘭陀書房、発売は東京堂書店、定価 95銭
● 北原白秋 著 『 抒情小詩選 わすれなぐさ 』大正11年、通常版 表紙
  1920年(大正9)アルス、絹布装、三方金、165 pp. 1円 80銭

 収録された 138編もの 詩は、ほとんどが 北原白秋の 先行詩集から採られた 短詩ですが、白秋の「自選 愛唱歌集」ともいうべきものなので、大いに人々の人気を博し、「アルス」版も 版を重ねました。
 作曲家の 團伊玖磨(だん いくま)は、敗戦の年の 1945年に東京音楽学校を卒業し、その翌年に この詩集から5編の詩を選んで、歌曲集『五つの断章』を作曲しました。

1「野辺」       p.62  (詩集『思い出』より
2「舟歌」       p.127  (詩集『東京景物詩』より
3「あかき木の実」   p.3    (詩集『邪宗門』より
4「朝明」       p.42  (詩集『思い出』より
5「希望」       p.69  (詩集『思い出』より

特に 第2曲の「舟歌」(原題は 「片恋」)は、まことに美しいロマンティックな詩と曲です。

   あかしやの 金(きん)と赤とが ちるぞえな。
   かはたれの 秋の光に ちるぞえな。
   片恋(かたこひ)の薄着(うすぎ)の ねるの わがうれひ。
   「曳舟(ひきふね)」の 水のほとりを ゆくころを。
   やはらかな 君が吐息(といき)の ちるぞえな。
   あかしやの 金と赤とが ちるぞえな。

 北原白秋 作詞、団伊玖麿 作曲 『五つの断章』の全曲が、ユーチューブで、なつかしい
伊藤京子(ソプラノ)の歌で 聴けるようになりました( ここをクリック)。
終曲の「希望」の詩も 載せておきましょう。

   明日こそは
   面(かほ)も紅めず
   うちいでて
   あまりりす 眩ゆき園を
   明日こそは
   手とり行かまし

宝石入りの特製本

 ところで 驚くべきは、 初版の豪華本に 追い打ちをかけるように、阿蘭陀書房は『 わすれなぐさ 』の、さらに珍奇な、超特製 豪華版を作ろうと したのです。それが「宝石本」です。上記の「はしがき」に 「思ひあがれば ある時は、赤玉(ルビ)、サフアイヤ、緑玉(エメラルド)、金剛石(ダイヤモンド)をも鏤(ちりば)めむとする、何といふ哀(かな)しさぞや」 と 書いたことを、本当に実践しようとしたのです。北原隆吉(白秋)編集の 詩誌『 ARS 』創刊号(大正4年)の巻末に、次のような広告を出しました。『 わすれなぐさ 』の、

 極めて 少部数を限り、燦然たる 宝石入の特製を 刊行 到します。
 御希望の方は、定価の半額を添へて 御申込 下さいまし。
 残額は、製本出来の節 御送金の事。
 A 緑玉(エメラルド)入      (100部)  定価 金5円也
 B 真珠及 緑玉(エメラルド)入   (50部)   定価 金 10円也
 C 金剛石(ダイヤモンド)及 緑玉入  (10部)   定価 金 80円也
 特製は きはめて 少部数なれば、至急 御申込下さいまし。

 小寺謙吉によると、問い合わせの手紙は 100通ぐらい来たそうですが、半金を添えた 正式の申し込みは、A に 13部、B に4部、C に1部だったそうです。しかし、果たして これらの 珍奇にして高額な「哀しいまでの宝石本」の『 わすれなぐさ 』は、本当に 造られたのでしょうか?


小寺謙吉の著書『 宝石本わすれなぐさ 』

 この宝石本が本当に出版されたのかどうかは、多くの古書籍商や ビブリオマーヌ、書誌研究者たちが探求しましたが、実物は見い出されません。その中で 長年にわたって 最も熱心に調べた「古書探求家」(愛書狂)が、小寺謙吉です。その長い 徹底的な探求結果を、詳細に書いたのが 『 宝石本 わすれなぐさ 書物奇譚 』という本で、東京の西澤書店から出版されました。人を驚かせるのは その函で、阿蘭陀(オランダ)書房版の『抒情小詩選 わすれなぐさ』と そっくりの、前面を三角に切った形にしたのです。

わすれな)さ   わすれなぐさ
さ

● 小寺謙吉 著 『 書物奇譚 宝石本 わすれなぐさ 』 三角函
19.8 x 14 x 2.2 cm、1980年 (昭和55)、西澤書店

 本体は背革装(クーターレザー)で、背表紙にタイトルを金文字箔押しし、赤く染めた革と おもて紙の境界にも金線をいれた、上品で きれいな本です。中味は、『抒情小詩選 わすれなぐさ』の探求の他に、他の2冊の稀覯図書、児玉花外の伝説的な『社会主義詩集』と、東郷青児と古賀春江が描いた「薔薇絵」を挿入したという、堀辰雄の『ルウベンスの偽画』の探求結果と合わせた3編になっていますが、一番面白いのは『わすれなぐさ』の探求過程なので、それを本全体の表題として、『 宝石本 わすれなぐさ 』と名付けました。

わすれなぐさ   わすれなぐさ   わすれなぐさ

● 小寺謙吉 著『 宝石本 わすれなぐさ 書物奇譚 』 表紙と 扉
19.5cm、233pp、1980年 (昭和55)、西澤書店、3,500円
背革装(クーター レザー)、題字 金文字箔押し

 著者の 小寺謙吉については 、近代日本の詩人たちと その詩集について研究、探索して、約1万冊の詩集の 初版本を収集したそうですが、自身も何冊か 本を出した人だ という以外、経歴などは 何も解りません。特に知られている著書は『宝石本わすれなぐさ』(1980) と、『発禁詩集、評論と書誌』 (1977) で、どちらも西澤書店から出版されていますが、後者は限定 200部ということですから、自費出版に近かったのでしょう。 政府によって発行禁止、発売禁止にされた 日本近代の詩集を発掘しては収集し、一冊ずつ詳しく解説した、貴重な著作です。ほかに、『現代日本詩書 綜覧』(1971, 名著刊行会)という立派な本も 編集・出版しています。

*   *   *

 『 宝石本 わすれなぐさ』は、文学古書好きの人には とても面白い本ですが、私が 特に興をそそられたのは、この高価な宝石本を予約した人に、公家(華族)の名門「坊城家」の令嬢で 女子学習院に在学中だった 女学生がいた、という話からです。彼女が、この本のストーリーの 重要な役回りをします(まあ、どこまでが事実で、どこからがフィクションなのか 分かりませんが)。 小寺謙吉は この本の中に、「本を愛することは、多少とも 本に淫することである」と 意味深に書いています。
 詳しいことは「読んでの お楽しみ」ということで、話の内容は ここには書きませんが(図書館で借りて 読んでください)、私が興をそそられた訳(わけ)は、名門 坊城家の末裔の 坊城俊民 (としたみ 1917-1990) さんと私が、多少親しくしていたからです。その女学生より一世代 後になる方ですが、私の通った 都立北園高校(旧 府立九中)の 国語の先生を されていたのです。生徒に人望のある先生でした。


坊城俊民 の 遺稿・書簡集

 その坊城さんの没後に、その「遺稿」と「書簡」を集めて本にした『 にほへわがうた わがふみのあと 』(坊城俊民先生を偲ぶ会 編、1992, 不識書院)の 74〜77ページに、「 神谷武夫宛 39年2月19日 書簡 」が 載っています。それを 編集部に 提供した時に、私が そこに 「説明文」として書いたのは:

 北園の二年生の時に、美術評論集『 ルノワールの涙 』(La Larme de Renoir) と題する 手製の本を作りました。自分の進路を思いあぐねた末に、建築家になろうと心を決めた時、それを 記念するように 自分の過去をふりかえり、あちこちに書きちらした文章を 集めたものでした。担任の内田先生から いつのまにか坊城先生の手に渡り、戻ってきたときには 先生の感想文と共に、当時 先生が自費出版された『京の翳(かげり)』とを贈られたものでした。 

 坊城先生の、私の『 ルノワールの涙 』を見て、読んでの、その「感想文」も、少々長いですが、以下に書き写しておきます(「書簡」とされています)。

神谷武夫宛  昭和 39年2月19日 書簡

 神谷君、内田先生から『ルノワールの涙』を見せられたのは、一昨日だった。パラパラと めくりながら、僕は 甚だしく感動した。そうして、ゆっくり後日 見せていただきたいと言った。今日 僕の手に、『ルノワールの涙』は 渡された。感想を書くべき用紙が入っているとは 知っている。でも ここに書くのは、この方が 気楽だからだ。どうしても あの紙にということなら、また あらためて書くよ。

 僕は あの本を読み、読みというのは 正確ではない、見て、見るほうが多いもの、そうして、何とも言えない 感銘を抱いた。今探せばあるが、「意匠」という題で、僕が 若いころの作品をまとめて、二部限定で作った本がある。その後も 時どき、そういう試みをした。そういう本の何冊かは、今もあるので、見せることは 出来るけれども、はからずも、北園の生徒の中に、こういう本を作った人の いるのを見て、本当に 驚いた。そうして 僕の本は、詩や文を集めたもの だけれども、絵が沢山入っている点、大変ちがっている。ただ、一つ一つの画の前に用いた色紙、また 扉に用いた紙、紙の大きさ、書体、すべて すみずみまで 意を用いている点、そういう点に 心を用いるのは、似ている。君のほうが ずっと緻密のように思われるけれども。僕は君に 近作の本を贈るけれども、活字の組み方、上下のあけ方、題字の大きさ、その活字のつめ方、すべて、とても 大切なのだと思う。ただ金の関係から、思う通りに出来ないことが 多いけれども、これこそと思って 君に見せられる本のないことが 残念だが、いつの日か、君に装幀を たのむことが出来たらと思うよ。

 君が あと書きでかいていたような、人の攻撃に対する 弁護などは 一切すべきでない。議論は いらない。他人を 意識し過ぎてはいけない。
 ただ、僕が言いたい、根本的なことが 一つある。僕は昔、十八、九のころ、こういうことを 書いた。それが、ともかく十八、九才ということが 大切なのだが。「疲れた腕が 夕映えている」とか、「僕には 過去がある」とか、僕は書いた。過去を過去として 葬るのはよい。誰でも それをやる。でも、そこに 立派な墓をつくることは 多くの人はしない。立派な墓を創ること、それがまた、実は、新しい第一歩なのだが。その墓こそが、新しい唯一のもの なのだが。―― 多分 君は それが わかると思う。我々の出発は、当然 そこからと思うのだが。然し、こういうやり方は、必ずしも多くの人は しない。
 しかしぼくは、それが 出発の唯一の「場」だと 確信しているし、僕の場合は もう 後悔はない。ただ、君が それを行う場合、余程の カクゴかいるということを 敢えて言いたい。僕は それが言いたいのだ。

 はじめの方に ロオランサンがあるね。ロオランサンは、僕の大好きだった画家で、友人の父が それを知っていて、わざわざ 外遊の時、その複製を おみやげに くれた位だった。そうして、僕が もし フランスへ行ったら、ロオランサンこそ、はとばに出迎えてくれるべき 唯一の人だ という意味のことを、やはり 20歳位のとき、詩に書いたことを 思い出す。その詩も 探せば、今 あると思う。
 それから 二条城のことも、ほかの仲間より、何と深く、よく見てくれた とは思うが、そうして 庭を見てくれたことは 嬉しいけれども、実は あの庭園のもとは、九百何十年か前の、「冷泉院」のあとだった。いわゆる 冷泉院は、おそらく 冷泉天皇が 上皇になってから 構われていたところ だろうが、その以前を たずねることも 出来るかも知れない。ともあれ、冷泉天皇は 枕草子や源氏物語の 生れたころの上皇だったし、京都は、そういう目で見直すと、実に おどろくべきものと わかる。朱雀大路は 二十八丈の 道ハバというから、三尺三寸が一米として、九十米の 道ハバがあったわけだし、一条、二条を例外としても、横の大路は 十丈、三十三米ハバであった。家は 平屋が多く、電柱も なかったから、空は 広かったに ちがいないし、全く、立派な市街だった ように思う。冷静院の そのころの広さも わかっている。二条城に重ねて もう一つ 既往をうかべれば、一層 それは 奥深い感想となるだろう。
 汲んでも 汲んでも 汲みつくせぬほど 我々の過去は 豊kかである。が、豊か という意味は、僕らが それを種として 新世界を創造出来る という意味で。創造という意味もまた 無限に 広い。が、どういうことにせよ、生きるということは 創造以外にない。無から有は創れない。無限の有のうえに、より無限の有を創ることこそ、僕らの 生き甲斐ではあるまいか。

 神谷君、甘い考えは 禁物である。一歩、一歩こそ 大切なのだ。「深き歩み」という 校歌のせりふは、僕としては、軽々しい気持ちで 吐いたのではない。僕自身に 言いきかせる言葉だった。今も、君の「深き歩み」を 心から期待し、筆をおく。 僕の近作『京の翳』と、「知己」という雑誌を 贈る。

 もう一度 くり返すが、自分と他人を くらべ、他人を意識しすぎては いけない。他人が 馬鹿に見えたら、それは 一層 困ったことになる。他人も 人間である。人間というものは、はかり知れぬほど 深い。それぞれの考えのある 人間と、畏敬しなければいけない。たまには 馬鹿者がいても、そういう人を 軽蔑しては いけない。それも やはり 人間なのだ。


 私の担任の 内田先生が (東京帝国大学の 文学部 国文科における)坊城さんの先輩で、やはり 国語の先生だったので、私は 坊城さんの授業は 受けたことが無いのですが、上記の、書簡のような 長文の感想文をもらって以来、親しくなって、会えば お話しするように なりました。

 ところで「堂上華族」の坊城さんは 学習院高等科の生徒だった時に、中等科の生徒だった 平岡公威(きみたけ)すなわち 三島由紀夫と 文芸部で非常に親しく付き合い、切磋琢磨しあった仲なので、三島由紀夫は 坊城俊民の自伝的短篇集『 末裔(まつえい)』(1949, 草美社) に寄せた「跋文(ばつぶん)」の中に、

「少年期における 私の最初の 芸術的衝動の萌生えは、これを悉(ことごと)
坊城氏に負ふと言つても 過言ではない」

とまで書いています。三島の 自伝的な短編小説『詩を書く少年』で、三島少年に影響を与える先輩「R」のモデルは、坊城俊民でした。
 三島の死後、坊城さんは『焔(ほのお)の幻影 回想 三島由紀夫』と題する本を書いています(1971, 角川書店)。

わすれなぐさ

● 坊城俊民 著『 焔の幻影 回想 三島由紀夫 』
19.5cm、230pp、1971年 (昭和46)、角川書店

( 2025 /04/ 01 )




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