所在地:名古屋市名東区にじが丘 / 設計: 神谷武夫建築研究所 / 設計期間:1986年9月〜1987年3月 / 構造: 須賀設計事務所 / 設備: 内山技術士事務所 / 電気: 田中設備設計事務所 / 家具: 駿河意匠 / 工事期間:1987年4月〜12月 / 施工: 藤木工務店 / 鉄筋コンクリート造2階建 / 敷地面積:427u / 延床面積:229u / 1987年 SD レビュー入選、1990年 GID コンペ入賞 / 掲載誌: 「日経アーキテクチュア」1988年2月22日号 / 写真撮影: 斎部功
ロマネスク修道院へのオマージュ
心を癒やす "回廊プラン" の家
山本恵久
(『 日経アーキテクチュア』1988年2月22日号)
水盤(噴泉)から溢れ落ちる水の音が回廊の巡る中庭に反響する。「人生には辛いこと、寂しいことがたくさんある。外界から切り離された中庭のベンチに腰掛け、ひとり静かに水音に耳を傾けていれば、落ち込んだ心も癒されるのではないだろうか」。
「住まいには、人間として成長していく中で深く記憶に刻み込まれるような豊かな空間が必要だ」と説く設計者、神谷武夫氏(神谷武夫設計事務所)は、「感覚的な満足だけでなく精神的な満足も与えてくれるロマネスクの修道院に大きな魅力を感じており、中庭を回廊が囲むその空間構成をかねてより自分の設計に生かしたいと思っていた」。
建主が、さんさんと南の光が注ぐような家を好まず、穏やかで均質な光を要求したこと、また夫人が、台所仕事などの家事が孤立することなく、絶えず子供たちと接していられるようなプランを希望したことで、今回のクロイスター(=修道院の回廊中庭)は実現した。
中庭見下ろし 中庭の夕景
名古屋市名東区の高台に位置する敷地は、間口 10m、奥行き 38mと、南北に細長い。 そのため住宅平面としては南北の諸室を西の棟がつなぐコの字形に収められている。 東の隣地境界には、すりガラスのスクリーンをバックに列柱を置くことで中庭を回廊が囲んだかのごとく装った。
台所は、中庭を眺めながらの炊事が行えるレイアウトとされている。 北ウィングの子供室の様子をうかがうこともでき、食堂の吹き抜けを介して 2階の雰囲気も伝わってくる。家の “核” とも言うべき位置を家事空間が占めるプランは、「建主は会社経営者だが、来客重視ではなく家族の生活を第一に考えていた」(神谷氏)ことから生み出された。
また、子育てを重視する建主の 「初めから個室を与えるようなことはしたくない。育っていく過程で自分たちの領域を作るべきだ」 との考えから、3人の子供は 1室での生活からスタートし、成長に伴って余剰のスペースを奪い取るか、あるいは増築部分への独立を選ぶことになる。 将来は建主の母親が同居する予定もあり、北の道路側には増築のためのスペースが十分に取られている。
玄関 居間
中庭については、ロマネスクの修道院のみならず、モロッコのパティオの要素も融合されている。「各国の中庭の写真を見せたところ、土と緑を残さずに石だけを用いたモロッコのパティオが、建主は大変気に入ったようだった。食事をしたりお茶を飲んだりといった使い方を期待して人工的な環境の中庭をデザインした(神谷氏)。
思い入れが強く反映しているだけに、設計者自身、「こちらの最初のイメージがすんなり受入られるとは思っていなかった」。だが、実施案に至るまでには、北ウィングのスパンを広げ、半地下のスペースを削った以外、ほとんど手を加えていない。「回廊などは無駄として切り捨てられるのが普通だが、空間に遊びのある家が欲しいと願う建主は拍子抜けするぐらいあっさりと承認してくれた」。
常日頃から具体的なディテールにまで思いを至らせていたという神谷氏は、「土地事情が悪いだけに難しいことかもしれないが、今後もシリーズとしてクロイスターを展開させ、豊かな空間を提案していきたい」と結んだ。
( 「日経アーキテクチュア」編集部、山本恵久 )

設計完了時の 模型写真
● 1987年の 第6回「SDレビュー」で、『 クロイスター(小川邸)』の計画案が 入選した時の、説明文を 再録しておきます。
かつて "International Style" と名付けられた建築様式は、実は "Cosmopolitan Architecture" と呼ばれるのが ふさわしかった。なぜなら、そのスタイルは 世界中のすべての伝統や風土の差異を 捨象して、西欧で発展した形態をもって 一律に埋め尽くそうと したからである。"Cosmopolitn" に対する "International" とは、各地域の "Nationality" を認めた上での 相互関係を言う。従って、世界各地の建築の 固有性を尊重し、その上で それらの原理や様式が ぶつかりあ合ったところに生まれる建築を真の "International Architecture" と呼ぶなら、それこそが 私の建築の目ざす地点である。
この住宅は 日本の生活様式と、ロマネスクの修道院、モロッコの パティオ形式とが 切り結ぶことによって成立した。それを可能にさせたのは、この家の主婦が 家事(特に台所仕事)を孤立させず、子供たちの活動(遊びと学習)に 絶えず接していたいという 機能的な要求、および この家の主人が 全面 南面採光の部屋を好まず、柔らかい落ち着いた光線の室内を好む、という心理的な要求であった。
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