『 インド建築案内 』の反響

● 『 インド建築案内 』が1996年の秋に TOTO出版から刊行されると、
大評判になり、多くの新聞や雑誌に 書評や新刊案内が載りました。
その反響のいくつかを紹介します。(本の詳細は、「神谷武夫の著訳書」の
サイトに掲載してありますので、ここをクリック してください。)

まず『朝日新聞』には 写真家の藤原新也さんが、とても良い書評を書いてくれました。


 
朝日新聞 『 インド建築案内 』の書評 藤原新也 1996年11月3日

想像広げる宗教空間 全土を踏破した労作

 私たちはガイドブックのようなものを はじめから作品ではないと決めてかかっていて、このような欄で取り上げられることも あまりない。しかしミシュランのガイドブックを例にあげるまでもなく、すぐれて巧緻(こうち)に、そして時間の犠牲を伴って仕立てられたガイドブックというものは、なまじの文芸作品などを軽やかに凌駕(りょうが)することがあるものだ。この『インド建築案内』という平易なタイトルの本を なにげなくめくってみた時、それと同種の感慨をもたらされると同時に、このような本が同じアジア人である日本人の手によって編まれたということに、ある種の冥利(みょうり)を感じざるを得なかった。

 B5変型の 600ページ弱の分厚い本には、インド全土にわたる二千点の有名無名の建築写真が収められており、それぞれの写真に 400字 900枚に及ぶテキスト、そして地図、建築図面が付されている。インドの建築本といえば、かつてこの国を植民地としたイギリス人の共著になる『モニュメント・オブ・インディア』が古典と言われているが、この著作には写真もあまり載っていず、必ずしも全地域を踏破しているわけではなく、文献によって書かれているケースが多い。

 そのような意味からすると、本書はインド全土を踏破してインド建築を網羅した、おそらく世界ではじめての著作ではないかと思う。そしてなによりも特筆すべきことは、この膨大な作業が一人の手によってなされたということだ。著者は建築家だが、この 20年にわたるインド建築への行脚は、本作りという矮小(わいしょう)な目的ではなく、建築家としての個人的興味に貫かれていたからこそ 成された技だと思う。

 本書に収められた建築は インドのものであるから、当然 宗教空間を表現したものが圧倒的に多い。思うに 18世紀以降今日に至るまで、私たちの生きた世紀は「経済の世紀」だった。しかし人類はそれ以前の大部分を「宗教の世紀」の中で生きてきたという事実がある。本書に展開される宗教空間は、経済の世紀の破綻(はたん)の兆候の見られる 20世紀末において、あらためて 人間が本来住まうべき空間とはなにか、ということを 図らずも提示しているように思う。        (評者・藤原新也)





● 『毎日新聞』では、10月16日のお昼に 経済部の、インドに3回ばかり行ったことがあるという 梶原(かじわら)さんという 男性記者から電話があり、興奮した声で 15分、

「すごい本を出しましたね。誌面で大きく報道しますよ。」

ということでした。しかし これを電話盗聴したマフィアは、毎日新聞の上層部に圧力をかけたようです。 こちらは そんなことは知らないので、いつまでたっても載らないのを不審に思っていたら、2週間後の 10月29日の夕方になって 梶原さんから電話があり、

『 インド建築案内 』の紹介は、木曜日の朝刊の 12面、住宅のページに
 チョロッと載せます」

と言うのです。あっけにとられましたが、実際、送ってきた その日(10月31日)の新聞を見ると(下に掲げてある、12面ではなく 19面の上半分のスキャンですが)、この一番下の4行分に載っています。これは まさに「チョロ」っと、できるだけ 目立たないように、できるだけ わからないようにと 工夫して載せた、としか見えません。


 
すぐれもの「インド建築案内」

 「庶民の家とは、結び付けられないが、TOTO出版の「インド建築案内」(2800円)は、すぐれもの。インド全土の建築といっても7,寺院やお城が多いが、カラー1800枚。r旅行案内」とは比べものにならないほど、網羅されている。 これは、著者の建築家、神谷武夫さん自らが撮影した。神谷さんは20年間にインドに12回行き、それぞれ1ヵ月から1ヵ月半、回っているそうだ、持っているネガは2万枚。めったにお目にかかれない写真が多い。自身が設計した建築の中には、イスラム建築の影響を受けたものもあるそうだ。」


 紙面の半ページぐらいを使って『 インド建築案内 』の出版を記事にしようとしていた 梶原氏は、たぶん上層部からの圧力と半月 戦った挙句、結局 写真1枚載せることも許されずに、こんな子供みたいな記事しか 許可されなかったので、自己嫌悪に陥ったのではないでしょうか。おそらく 圧力の 理由もわからずに。
 朝日新聞社は 竹中工務店と深く結んでいますから、建築家よりも ゼネコン業界寄りの記事を書くことで 知られていますが、毎日新聞もまた、マフィアの圧力に弱い体質のようです。





● 『日本経済新聞』では、11月27日に 文化部の 稲垣さんという女性記者から電話があり、『 インド建築案内 』を 朝刊の「文化面」で採りあげたいと言って、11月29日の朝、事務所にインタビューに来ました。これを彼女が「代筆記事」として書き、神谷の名で載せるので、すぐに その原稿を書いて FAX するので 校正してほしい と言います。ところが、電話盗聴したマフィアが日経の上層部に圧力をかけたらしく、稲垣さんは原稿を なかなか送ってきません。12月5日から電話で催促を始めましたが、彼女は明日送るとか、今日中に送るとか、嘘ばかりついて(つかされて)、結局5回目の約束の 12月10日の夜に FAX してきました。すぐに校正をして入稿し、13日の朝刊に載りました。稲垣さんには気の毒なことをしました。上司が出てこないので、本来は誠実そうな 彼女を怒ることしか できなかったからす。

『 日本経済新聞 』 1996年12月13日号、文化欄記事
「インド建築 撮った2万枚」 神谷武夫
(インタビューをもとに、実際に文を書いたのは 稲垣さんです)

この記事は、この「プロフィール」のページの 上のほうに 載せてあります。




● TOTO出版は 毎月1回、朝日新聞や読売新聞などには 第1面の一番下に、他の出版社群と並んで、小さな広告を出していました。下のスキャンでわかるように、その月のメインの書籍で半分使うのが常でした。 これは前の年の、『建築MAP東京』と同じ判型シリーズの1冊『世界の建築家581人』が出た時の、朝日新聞への広告です。
( 右側は、この本の「奥付」の前ページで、「制作・協力者」の一覧 )

    


次は『インド建築案内』が出た時、1996年10月4日の 読売新聞への広告です。
( 右側は、『建築MAP東京』の「奥付」の前ページで、「制作・協力者一覧」)

    


次は その6日後、1996年10月4日の 朝日新聞への広告です。
読売への広告で『インド建築案内』を多少詳しく書いたことに
マフィアからクレームがついたらしく、6日後の 朝日への
広告では、目立たないように、まったく既刊本の扱いにされました。
( 右側は、『インド建築案内』の「奥付」の前ページで、「著者略歴」)

    


同じ判型のシリーズの3冊の本(『建築MAP東京』、『世界の建築家581人』、『インド建築案内』)の「奥付」の前ページを見比べると、前2者は、他の TOTO出版の本と同じく、本を作った関係者の一覧(制作・協力者一覧)を載せているのに、『インド建築案内』だけは、著者(神谷)の略歴のみを書き、協力スタッフの名前を まったく載せていません。これは TOTO出版が、神谷の本を出したことへの マフィアの報復を恐れて(スタッフ個人に 危害が及ぶのも恐れて)一切の関係者の名前を 伏せたのです。 ここに こんなことを書くのは、 TOTO出版を非難するのではなく、マフィアの圧力に耐えながら この本を出版に こぎつけた TOTO出版の 苦衷 を示すためです。





新潮社『芸術新潮』12月号での紹介
机上旅行も楽し! 労作ガイドブックで辿る インド仰天建築の旅

『芸術新潮』 1996年12月号 p.143

 インドの建築といえばイスラムの白亜の霊廟タージ・マハルか、妖艶なヒンドゥ彫刻で名高いカジュラーホの寺院か?そんな代表的遺跡は、実はこの国の豊穣な建築史のほんの一端に過ぎなかった! それを目の当たりにさせるのが、建築家・神谷武夫が 20年に及ぶ調査行の末に自らの写真と文とで刊行した『インド建築案内』だ。  612の重要物件を、1800点ものカラー写真と 300点余の地図・図面で紹介。日本の神社や天守閣に酷似したヒマラヤ地方の木造ヒンドゥ寺院、ピンクに統一された 18世紀の計画都市ジャイプルなどなど、ページをめくるごとに「インド文化とはかくも多種多彩だったか!」と驚かされる。実体験に基づく旅行ガイドも添え、門外漢も思わず机上の仰天建築旅行へ引き込まれる一冊なのだ。





東京・神田の 三省堂書店 本店 での売れ行き

国際地学協会 『旅のネタ本 アジア編』 p.11
「どんな本が売れているの? 書店が勧めるアジアの本は コレ」
ブックタウン 神保町の ナンバー・ワン書店・三省堂書店本店では、
『インド建築案内』は、アジア関係で 第4位の売れ行き。

「『インド建築案内』の人気には 驚いているんですよ。
いい本ですが、建築関係って それほど売れるジャンル じゃ
なかったので」と、担当の 奥さんと鎌田さん。




● 東京駅の近くに、8階建ての大きな書店、八重洲ブックセンターがありますが、96年の10月に行くと、建築書を売っている5階だったかでは、レジ・カウンターの前に『 インド建築案内 』が山積みになっていて、天井からは その題名を大きく書いた垂れ幕が下がっていて、大いに売れているようでした。ところが 半月後に寄ってみると、平積みや 垂れ幕どころか、建築書の普通の棚にも、『 インド建築案内 』は一冊もなく、すべて撤去されていました。マフィアは 本の出版を妨害しただけでなく 販売をも妨害し、売れ筋であるにもかかわらず、本を売らせまいと していたようです。