『燎』 第22号、INAX、1994年 6月、文献再録、32〜48ページ
『燎』の表紙と、「文化の翻訳、伊東忠太の失敗」再録1ページ目



RYOU or KAGARIBI

『 燎 』

第22号, 1994年6月, 「 文献再録」(『 at 』誌の懸賞論文 '92 入選作)
文化の翻訳ー伊東忠太の失敗

神谷武夫

建築評論家で編集者の 宮内嘉久さんから、「文化の翻訳」を『 燎 』に再録したいという、好意的な申し出がありました。 INAX 発行の『 燎 』は「りょう」または「かがりび」と読み、A6判 約 70ページの不定期刊行のミニコミ誌でしたが、建築界の主要な人たちには 良く知られていました。発表されてから わずか1年しか経っていない 私のエッセイを「文献再録」するというのは、異例のことでした。また、既出の原稿の再録に過ぎないというのに、高額の原稿料を戴いたのにも 驚きました。

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しかし、おそらく この「文献再録」が、宮内嘉久氏に 災いをもたらしたのだった。それまで INAX の伊奈社長は『 燎 』の編集に一切口出しをせず、どれほど建築界に対して 批判的な記事を載せても、寛容に眺めていたという。そのことが逆に、宮内氏の誤算の因ともなったろう。このエッセイには、翻訳論を超えた、建築家の制度の問題が含まれていて、頭のある人が読めば、その延長上に何があるか 見てとれたからである。それが、マフィアに それほどまでに危険視されるとは、書いた私も 宮内氏も、気がつかなかったのである。

私のエッセイが再録された『 燎 』22号は、奥付では 1994年6月 20日刊であるが、発行が遅れたらしく、私のもとに届いたのは6月 29日だった。そして、のちの『 燎 』25号の末尾に掲げられた 告知板「読者の皆さんへ」の回想によれば、22号発行の すぐあとの7月7日に、『 燎 』の事務局と INAX との懇談の席で、『 燎 』は 10年をもって廃刊、と告げられたのだという。すなわち、この 1年後の廃刊である。
宮内氏にとっては、寝耳に水の話であった。しかも そのしばらくあとで、伊奈輝三社長の INAX からの勇退(1996年1月)が、予告の形で公表されたのだという。このとき伊奈氏は、まだ 57歳である。会社の業績も好調であり、各方面から名社長とうたわれた氏が、いったい 何に責任をとったのだろうか。

『 燎 』を廃刊に追い込むような力を持つ組織があったとすれば、それはマフィア以外に ありえない。そして 伊奈社長の退陣は、INAX の責任で発行する雑誌に、マフィアと真っ向から対立するような論文を 無検閲で再録するにまかせたことで、詰め腹を切らされたのでは なかろうか。すべての建築雑誌が、マフィアによる ブラック・リスト上の建築家や学者の 作品やエッセイを載せないのは、まさに こういう事態を恐れているからに ほかならない。