1991年10月 22〜24日号、 第1回「明るい神性、アムリトサルの黄金寺院」 神谷武夫
『建設通信新聞』の神子さんから、インド建築について何か書かないかと
石造と木造の融合 サラハンのビーマカーリー寺院(ヒンドゥ教)
モニュメンタルな寺院建築は、早くから下界の シカラ形式の石造建築が伝えられた。ところが気候条件を反映して、これらシカラ(塔)の頂部には、すげ笠のような木造の屋根が かぶせられるようになった。もともと山国では 寺院も民家と同じように切り妻の木造で建てられていたから、次第に木造と石造とが融合するようになっていく。地面に近い部分は 石造で造られ、この地方に産出するスレートで葺かれた木造屋根が その上に乗るのである。ところが その壁面は石と木でできていながら、組積造とも言えないし、軸組工法とも言えない。水平に木材を並べて 枠組みを作り、そこに切石を何段か積むと、また木材を並べて、といった繰り返しで 壁面を作るので、木骨的ではあっても、木の柱というものは 無い。ただ コーナー部は水平の木材が井桁状に組まれて その間に切り石が詰められるので、これは太い剛柱(ピア)の役割を果たす。外観上は 焦げ茶色の木部と白っぽい石とが層をなすので、マリオ・ボッタ風の縞模様となって 美しい。 純粋な木造の寺院としては、ナガルのトリプラスンダリー寺院が興味深かったが、石との組み合わせという点からも、また規模の大きさや屋根造形の複雑さ という点からも、サラハンのビーマカーリー寺院が圧倒的であった。この 中国に近い山奥のサラハンに行くには、英国統治時代の夏の首都であったシムラから、バスで7時間かかって 北東のラーンプルという町へ行き、そこから更に 車で1時間半、山を登って行かねばならない。今は ひっそりとした サラハンの村も、かつては サトレジ川流域国の夏の首都であった。その城の部分が 今はすべて寺の境内となり、最上段の区画に2棟の大きな寺院本堂がそびえる。写真の左側に見えるのが旧堂で、これが老朽化したために 右側の新堂を建てたのだという。しかし 旧堂は取り壊されることなく、宝蔵として 今も使われている。 この2堂も 周囲の建物も、壁面は 先ほどの 石造と木造の融合した作りであり、その高さは 旧堂では五層に及ぶ。新堂では3層目から木造部分が迫り出し、木部に 細かい彫刻が施されて、より装飾的になっている。カーリー女神を祭る祭壇に行くには、3階まで階段を登らねばならない。これほどまでに 寺院を高層化したのは、城の物見台の機能をも 持たせたのであろう。とりわけ目を引くのは スレートで葺かれた屋根の造形で、反りのついた入母屋を2つ並べたり 交差させたりして、更にその上に 小屋根を乗せた姿は、まるで日本の神社建築のヴァリエーションを見るようで、実に魅力的であった。
密教の僧院 ラダックのティクセ・ゴンパ(チベット仏教)
この高度になると、ヒマラヤの山々には一木一草も生えず、その麓は 砂漠のようで、実に荒涼たる風景である。しかし その谷間には一筋の堂々たる川が流れ、これが インダス川の上流なのであった。その流域には 諸所に水が涌き、小川となってインダスに注ぐ。そうした所には 村ができ、田畑が作られ、細長い緑地にヒマラヤ杉がそびえ立つ。周囲の荒涼たる自然と この緑地との対比が あまりにも鮮やかなので、そこは まさに楽園のように見える。晴れれば 空気はあくまで澄んで、遥かな雪山までが くっきりと見え、小川のせせらぎには 羊や牛が草を食んでいる。そして岩山の上に、あたりを睥睨してそびえ立つ チベット仏教の僧院の、なんと幻想的な姿をしていることか。 仏教は 中世のインドから姿を消してしまったが、チベット圏では 密教の形で今に続き、俗に「ラマ教」とも呼ばれる。その生きた姿は 中国領となったチベットよりも、この西チベットのラダック地方に よく伝えられているので、ここは チベットよりもチベット的であると言われる。寺院(ゴンパ)は僧院となり、礼堂や仏堂の周囲に僧たちが住んで 修行生活を送るので、いくつもの建物が連なる丘の上の僧院は、イタリアの山岳都市のミニチュア版のような おもむきを呈する。 中でも威容を誇るのは、レーの町から 17キロの地にある ティクセ・ゴンパである。丘の頂上から斜面にかけて建ち並ぶ 数多くの建物は、石積みの外壁に 黒く縁どられた窓がうがたれ、内部と屋根は木造で作られている。外壁は白く塗られるが、丘の頂にある仏堂や礼堂は 前庭から堂内にかけて 極彩色で塗装され、壁面の多くは 曼陀羅を初めとする密教教義の壁画で 埋めつくされる。堂内には たいてい、中央部の吹き抜けの上からトップライトの光が落ちてくるが、その陰となった暗部に ヒンドゥ教のタントリズムの影響を強く受けた チベット密教の、男女神が交合する壁画や彫刻が 浮かびあがると、これは日本の仏教寺院とは ずいぶん異なった、おどろおどろしい雰囲気である。シク教の グルドワーラー(礼拝堂)が「明るい神性」をもっていたとするなら、これら 密教のゴンパは「暗い想念」とでもいったものの上に 建てられているような気がしたのであった。
|