ファーガソンとインド建築  「 注 」

神谷武夫

 
(*1) デイヴィド・ワトキン著、桐敷真次郎訳『建築史学の興隆』1993、中央公論美術出版、p.164 には 「英語で書かれた最初の本格的な世界建築史は ジェームズ・ファーガソンの『建築史(A History of Architecture)』で ...」とある。
 
(*2) James Stevens Curl, Oxford Dictionary of Architecture, 1999 や、Adolf K. Placzek (ed.), Macmillan Encyclopedia of Architects, 1982 など。
 
(*3) 岸田日出刀著『建築學者・伊東忠太』1945、乾元社、28頁。1874年とあるのは 第 2版を用いていたからで、それは 東大の建築学科図書室に残っている。
 
(*4) Banister Fletcher, A History of Architecture, 1896 が最初に邦訳されたのは 1919 (大正 8) 年、古宇多實、齋藤茂三郎訳。新版は 1996年『世界建築の歴史』飯田喜四郎、小寺武久監訳、西村書店。
 
(*5) 泉田英雄氏は論文「東洋建築史学史の研究」(1997年、文部省科研費報告書)においてファーガソンを扱っていて、それは氏のホームページ http://gamac.tutrp.tut.ac.jp/labhp/resFergu.html で 読むことができる。(現在は 消されてしまって読めない。 これで2回目。)
『新潮世界美術辞典』(1985年) には「ファーガスン、ジェームズ」の項目がある。
 
(*6) ファーガソンに関するまとまった紹介としては、彼の死後に出版された『近世様式』の第 3版、第 1巻 (John Murray, 1891) に付された、William H. White, "James Fergusson : A Sketch of his Life", p. xxvii -xxxviii があり、もっと短いものでは『インドと東方』第 2版、第 1巻のインドにおけるずっと後のリプリント版 (Munshiram Manoharlal, 1972) に "James Fergusson (1808 -1886)", p. v -ix がある。その他、インド建築史関係の書物における断片的な記述と、自著の中でのファーガソン自身による記載があるが、それらはお互いに食い違っていることが多く、出版以外の活動の年号は断定できないことが多い。
 
(*7) Benoy K. Behl, The Ajanta Caves, 1998, London, p. 52
 
(*8) 1825年の第3版からページが倍増し、次のように題名が変更された。An Attempt to Discriminate the Styles of Architecture in England, from the Conquest to the Reformation。ファーガソンが用いたのは、この改訂版と考えられる。
 
(*9) James Fergusson, revised by James Burgess, History of Indian and Eastern Architecture, 2nd ed. vol. 1, 1910, John Murray, p. xiv
 
(*10) エドワード・R・デ・ザーコ著、山本学治、稲葉武司訳『機能主義理論の系譜』1972、鹿島出版会、p.136 -140 でファーガソンを論じているが、もっぱら『歴史的探求』を対象にしていて、機能主義理論よりも美学的理論を扱っているのが 少々腑に落ちない。
 
(*11) ピュージンについては、鈴木博之『建築家たちのヴィクトリア朝』1991、平凡社、pp. 41 -68 参照。
 
(*12) 『建築史学の興隆』は第 3章、第 4節においてファーガソンを扱っている。きわめて有用な本であるが、ファーガソンの著書については各所に誤記がある。また各引用文は原文対照をされていないようなので、多くの場合、その注の記述から原文を見つけるのは困難である。この引用文は訳書の 165ページに部分訳があるが、全文を『世界建築史』初版、第 1巻、pp. xii -xiii から新たに翻訳した。この序文は原著の第2版、第3版にも載せられている。<
 
(*13) こうした経緯は、彼の『世界建築史』初版、第 1巻、p. iv に書かれている。この『歴史的探求』は第1巻しか刊行されなかったので、全体の約3分の1の分量 (174ページ分) をしめる「序論」としての浩瀚な建築論のみが採り上げられるが、本来は、おそらく世界で最初の 詳細な「世界建築史」を意図した書物である。第1巻では序論のあとに 古代エジプト、西アジア、ギリシア、エトルリア、ローマの建築を叙述している。インドは イスラム、ビザンチン、ゴチックと共に第2巻で扱い、第3巻に近世と、やはり長大な「結論」を書く予定だった。彼が本文よりも重要と考えた「序論」の部分は、もっと簡潔な形で、後の諸著作の序章に順次発展させながら 繰り返し書いていったので、彼の建築思想は広く世に知られることになった。
 世界建築史としては、この第 1巻が出版されたのと同年の 1849年に、エドワード・フリーマン (Edward A. Freeman, 1823 -82) が『建築史 (A History of Architecture) 』 1巻本を自費出版しているが、ファーガソンの本とちがって 図版がまったくなく、インド部分の記述は ほとんどファーガソンの著作に基づいている。
 
(*14) Thomas R. Metcalf, An Imperial Vision, 1989, London, p. 35
 
(*15) 日本建築学会編『近代日本建築学発達史』1972、丸善、p. 1688。このすぐあとには「参考書として学生の座右にあったファーガソンのハンドブックが、諸様式を通史的に叙述している ...」とある。
 
(*16) この本の 41年後に出版されたフレッチャーの『建築史』初版は 西洋のみを扱っていて、東洋を含むのは第 4版からである。
 
(*17) これはドイツのベデカーと並ぶ 世界で最も早い旅行ガイドブック・シリーズであり、単に「マリー」と言うだけで、このシリーズの本を指すことも多かった。
 
(*18) James Fergusson, The Illustrated Handbook of Architecture, vol. 1, 1855, John Murray, p. xxv -xxvi
 
(*19) Ibid., p. lv -lvii
 
(*20) 生田勉、樋口清訳『伽藍が白かったとき』1957、岩波書店、p. 16 には、「修復は危険なことだ! そんなことをするよりも、なぜ新しい伽藍を建てようとしないのか? 頑迷に意気地なく後退りして、死んだ事物の評価や観照にだけこもることをせず、なぜ精神を前に進めないのか?」とある。
 
(*21) ファーガソンの『近世様式』を論じたものとしては、Nicholaus Pevsner, Some Architectural Writers of the Nineteenth Century, 1972, Oxford の中に "James Fergusson," pp. 238 -251 がある。
 
(*22) James Fergusson, History of Modern Styles of Architecture, 1st ed., 1862, John Murray, p. x
 
(*23) Ibid., p. 408 -422
 
(*24) James Fergusson, The Illustrated Handbook of Architecture, vol. 1, 1855, p. 2, p. 84。 現代ではアーリヤというのは言語学上の概念であって、人種とは無関係であるが、19世紀には人種、あるいは民族と考えられた。もともとは彼らの自称で「高貴な」を意味する。アーリヤ人という概念の成立過程については、レオン・ポリアコフ著、アーリア主義研究会訳、『アーリア神話』1985、法政大学出版局、参照。
 
(*25) Ibid., p. lii
 
(*26) James Fergusson, History of Modern Styles of Architecture, 1st ed., pp. 494 -528。 最初のページの注には、これはもともと『ハンドブック』の序章のために意図されたとあるが、実際に書かれたのは『近世様式』の時であろう。
 
(*27) 『世界建築史』初版、第 1巻、p. vi では、下巻において「ケルト建築」の章を新設することを約すが、実際には実現せず、第 2版においても書かれなかった。
 
(*28) James Fergusson, A History of Architecture in All Countries, 1st ed. vol. 2, 1867, John Murray, p. vii
 
(*29) James Fergusson, The Illustrated Handbook of Architecture, vol. 1, p. 2
 
(*30) James Fergusson, A History of Architecture in All Countries, 1st ed. vol. 2, p. 447
 
(*31) James Fergusson, History of Indian and Eastern Architecture, 1st ed., pp. 9 -16
 
(*32) ファーガソンはヒンドゥ教の世界観による世界周期から、カリ・ユガ期の初めにアーリヤ人がインドに来住したとされているが、『世界建築史』の 1st ed. vol.2, p. 447 では、実際には 少なくともその 1,000年後であろう と書いていた。現在では前 1,500年頃とされている。
 
(*33) James Fergusson, Tree and Serpent Worship, or Illustrations of Mythology and Art in India 1868, India Museum, London, p. 224
 
(*34) James Fergusson, History of Indian and Eastern Architecture, 1st ed., p. 13

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