HIMACHAL PRADESH, 1998/11/15 -29
ヒマーチャル・プラデシュの旅 '98

神谷武夫


サングラーの木造寺院

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デリー

 今回はヒマーチャル・プラデシュ州だけの2週間の旅だったので、初めも終わりもデリーに泊まりました。『 インド建築案内 』の 20ページ、旅の情報 [ 北インド編 ] でデリーの小規模なホテルとして HOTEL CENTRE POINT を紹介しておきましたが、今回泊まってみたら内容は変わらないのに料金ばかりとても高くなっていました。これでは高すぎるので、今ではあまりお勧めできません。
 とはいえ、デリーの物価の上昇は著しく、ホテルもレストランも数年前に比べると驚くほど高くなっています。おまけに大気汚染がすすんで、空はスモッグに覆われていました。若い人には早めに地方に行くことをお勧めします。
 デリーからヒマーチャル・プラデシュ州のクルへは、18人乗りのプロペラ機で飛ぶ予定をしていました。かつては国営のヴァーユドゥート航空が運行していましたが、経済自由化以後ヴァーユドゥート航空はなくなり、各地に私営の航空会社が小型飛行機を飛ばすようになりました。
 クルへはジャグソン・エアラインズが毎朝往復しているので、デリーへ着いた翌朝、コノート・プレイスの近くのオフィスで航空券を買い、翌日の便を予約しました。ところがパイロットがいなくなってしまったとかでその日の便がキャンセルされてしまい、やむなくバスでチャンディーガルまで行き、すぐにタクシーを雇ってクルまで行きました。 途中、マンディの町の古いラージマハル・ホテルで あわただしく 夕食をとり、クルのホテル・サルヴァリに着いたのは夜中の 11時でした。

クル渓谷

 ビアス川に沿ったクル渓谷は北のマナーリまで美しい風景が続き、道路も整備されています。カシュミール地方が紛争のために観光客や避暑客が激減してしまい、それがクル渓谷へ流れてきているので、特にマナーリの町は近年大発展をし、ホテルの数もおびただしく増えています。
 しかしクルの町は今も のどかなたたずまいで、この近辺の木造寺院を訪ねるには 最良の基地となります。マイダーン(公園広場)に面してタクシー・ユニオンのオフィスがあり、ここで素早く協定料金のタクシーをやとえます。

  
パラ-シャル・リシ寺院の遠望と細部

 今回の目玉のひとつは 海抜 2,700メートルのパラーシャル湖のほとりに建つ パラーシャル・リシ寺院で、前回は豪雨のために 途中の道が不通になって行けず、涙をのんだ所です。今回は晴天のもと、車で4時間近くかかって行き着くことができました。
 素晴らしい眺めの山頂の窪地に、予想よりも ずっと大きな木造三重塔の寺院が 小さな湖に面してそびえ、壁面や柱にはプリミティヴな彫刻が くまなく施されています。創建は 14世紀と伝えられ、ディヤルの三重の塔や コカンの四重の塔よりも ずっと行くのが大変ですが、その価値は十分にあります。


木造の五重の塔

 クルの古名はクランタピータといい、それは "THE END OF THE HABITABLE WORLD" (人の住む最果ての地)という意味です。それを題名とする紀行を書いたペネロープ・チェトウォドというヨーロッパの女性研究者は、今よりも もっと交通不便だった時代に クル渓谷の貴重な写真を撮り残しています。
 その中に木造の五重の塔の写真があり、それはシェンシャルという地名になっていましたが、その所在が なかなかわからず、行くことができませんでした。それが 今回やっとセンジの先のニューリという村の近くであることがわかり、喜び勇んで車で訪ねました。
 村人にチェトウォドの写真を見せて 場所をたずねると、あそこだと 山の上を指差されました。眼をこらすと、何と村から 600メートルほどの高さにそびえる 山の頂上はるかに、小さく五重の塔が 見えるではありませんか。

シェンシャルの五重塔

 そこへ行くには 崖の道と坂の道の2本があり、崖の道では2キロメートル、坂の道では5キロメートルあり、村人でも2時間かかるので あんたは3時間かかるだろうと言われました。それでは寺院に着く前に日が暮れてしまうと、ついに泣く泣くあきらめて クルに戻りました。


チャイニの ヨーギニー寺院

 シムラからレコンピオに至るサトレジ渓谷には、このホームページの『インドの木造建築』で紹介した 角塔型の寺院塔が多く建っています。その原形はマナーリの北の ロータン峠(海抜 4,000メートル)の先にある ゴンドラーの要塞 ではないかと考えましたが、両者はいささか距離が離れすぎていました。

A sktch of the Yogini temple at Chaini by O.C. Handa

 寺院塔の最たるものは チニのヨーギニー寺院で、かつて O・C・ハンダが旅をしてその スケッチを残しています。それが あまりにも極端なプロポーションであり、しかも どんな本にも写真が載せられていません。そして 中国寄りのキンノール地方の古都、チニ(現在のカルパ)に行っても そんな寺院は誰も知らないので、これは すでに失われてしまったか、あるいは ハンダのスケッチが誇張に満ちていたのか、どちらかに違いないと思っていました。
 ところが今回の旅で、その寺院が キンノール地方ではなく、まったく別の地方の チャイニという村に現存しているのを 発見しました。それはハンダのスケッチのとおりに建っていて、全体の高さは 30メートルにもなります。
 ハンダが チャイニをどのように表記したのかわかりませんが、後の研究者は これを東部のチニと混同し、現物を見ることなく キンノール地方のチニの寺院として、ハンダのスケッチを紹介したのでした。

  
チャイニの ヨ-ギニ-寺院

 チャイニの村は ゴンドラーとサトレジ渓谷を結ぶ中間点にありますので、角塔型の城塞と寺院塔とのミッシング・リンクは これで埋められることになりました。しかしそれが、遠くグルジアの塔状住居と つながるのかどうかは、これから調べるべき課題です。


サトレジ渓谷

 マナーリから さらに北のゴンドラーやウダイプルまで 行ってくるつもりでいましたが、標高 4,000メートルのロータン峠は すでに雪で閉ざされて越えることができない とわかり、急遽、夜行バスでシムラに向かうことにしました。ところが このバスが途中で故障してしまい、人里離れた所でバスの中の一夜を過ごしました。
 明け方に 代わりのバスがやってきて、シムラへは朝の5時に着く予定が、10時となってしまいました。シムラからは バンのタクシーを5日間やとい、ナルカンダやサラハンに泊まりながら あちこち寄り道をしつつ、中国寄りのレコンピオまで往復する旅です。走行距離は全部で約 600キロメートルでしたが、山の道なので 時速は平均 25キロメートルです。

 多くの木造寺院をたずね、また いくつかの寺院を再訪しました。その中で一番驚いたのは スングラのマヘーシュワラ寺院 です。屋根板まで すべて木でつくられた素晴らしい寺院が、雨風にさらされていた5年の間に すっかり黒ずんでしまいました。
 板屋根がスレートに葺き替えられ、近年はトタンに変えられる寺院が多くなっているのも、村人にとっては やむをえない処置なのでしょう。しかし もっと残念なことは、古びた木部に極彩色の塗装をほどこすことが 流行していることです。

  
壁面が彩色されつつある マヘ-シュワラ寺院、スングラ

 ヒマラヤのプリミティブな木彫部分が 赤、青、黄色と塗り分けられている姿は、キッチュを通り越して マンガチックになってしまいます。どうやら 南インドの影響のようですが、ヒマラヤの文化財保護行政は いったいどうなっているのかと、情けない気持ちになります。
 交通が次第に便利になり、人や情報が行き来するにつれて、その地にふさわしい伝統的なものが 破壊されていくのを見るのは つらいことです。雪山とヒマラヤ杉に囲まれた雄大な自然景観に 調和して建っている木造の寺院建築に、どうか彩色することだけは やめてほしいと祈るこのごろです。



CLASSIFICATION OF TEMPLE TYPES
ヒマーチャル地方の 寺院建築の分類

(『インド考古研究』No. 21, 1999 - 2000 にて発表 )

 ヒマーチャル地方の木造建築の分類については、ハーコート(A.F.P. Harcourt)、チェトウォド(Penelope Chetwode)、ゴヴェルダン・シング(Mian Goverdhan Singh)、ベルニエ"(Ronald M. Bernier)などがさまざまに試み、また命名をしてきた。筆者も一時はハーコートの「シャーレ型」、「パゴダ型」などといった名称を採用していたが、こうした名称は適切とは言いがたい。また分類に関しても、いずれも明快でなく不適切と思われる場合も多い。そこで筆者の試みた分類と命名を以下に示し、その代表的な実例を記す。

1.合掌型 (いわゆる シャーレ型) 切妻、または入母屋の山形屋根の寺院
 ・ バルモールのラクシャナー・デヴィー寺院、700年頃創建
 ・ チャトラーリのシャクティ・デヴィー寺院、8〜9世紀創建
 ・ ジャガツクのサンドヤー・ガーヤトリー寺院、17世紀、 近年改修
 ・ ガザンのドチャモチャ・デヴィー寺院、18世紀 (?) 近年改修
 ・ ゴシャルのガウタム・リシ寺院、年代不明
 ・ ジャノッグのバンティア・デヴター寺院、年代不明

合掌型のアンビカ-・デヴィ-寺院、ニルマンド

2.層塔型 (いわゆる パゴダ型) 日本やネパールの層塔に近い形式
 ・ パラーシャル湖のほとりのパラーシャル・リシ寺院、14世紀創
 ・ ディヤルのトリユギナラヤン寺院、17〜18世紀
 ・ コカンのアーディ・ブラフマー寺院、1753年
 ・ マナーリのヒディンバー・デヴィー寺院、1553年以降
 ・ ナガルのトリプラスンダリー寺院、1990年改修
 ・ ティーリのアーディ・プルカ寺院、14〜15世紀創建

層塔型のア-ディ・ブラフマ-寺院、コカン

3.複合型 (合掌型+層塔型) <ガルバグリハ+マンダパ>の木造版
 ・ ベーナのマハーデーヴァ寺院、16〜17世紀
 ・ ダラシュのジャゲーシュワラ・マハーデーヴァ寺院、年代不明
 ・ スングラ (チェルガオン) のマヘーシュワラ寺院、年代不明
 ・ マナンのドゥルガー寺院、年代不明
 ・ ニタールのダネーシュワリー・デヴィー寺院、年代不明
 ・ ビハールのビジャタ・デヴター寺院、年代不明

複合型のジャゲ-シュワラ・マハ-デ-ヴァ寺院、ダラシュ

4.角塔型 (寺院塔) 原型はヒマラヤの民家 ( 1F家畜小屋、2F納屋、3F住居)
 ・ カダランのライレムール・デヴィー寺院、年代不明
 ・ カムルのバドリナータ寺院、年代不明 (もとは城砦を兼ねる)
 ・ 北のサラハンのビーマカーリー寺院 (もとは城砦を兼ねる) 18〜19世紀
 ・ 南のサラハンのビジャト寺院、年代不明
 ・ チャイニのヨーギニー寺院 (もとは城砦を兼ねる) 17〜18世紀
 ・ ジュッバルのピーリー・デヴィー寺院、17世紀頃

角塔型の小寺院、ガズタ

 寺院の建設年代については O・C・ハンダの記述などをもとにしているが、実際のところ、木造建築は絶えず手をいれられるものであり、まして屋根板まで木で造られていれば傷みは激しく、建て直されることもたびたびであるから、正確に記すことはむずかしい。各寺院の文書記録がどこまで残されているのかも明らかでないが、それらは郷土史家の調査と報告を待つしかないだろう。近年は装飾化が進み、棟木の上に複雑な形の小屋根を載せるのが流行している。

 これらの寺院形のうち、寺院塔(角塔型の寺院)が一番問題をはらんでいる。大規模なものは大体において城の天守閣と兼用されていて、インドの独立後に小国群が消滅して寺院機能のみ残すことになったり、放棄されて崩落してしまったりしたものと思われる。しかし一方では合掌型または複合型の寺院と組み合わされてバンダール(祭器庫)として用いられている場合も多く、形態と機能とは必ずしも明確に一致するものではないようである。

チャイニの村と寺院塔

 寺院に転用されずに残った角塔型の建物としては、北方のロータン峠を越えたラホール地方のゴンドラーの要塞がある。記録によれば、ここではチベット仏教の諸尊が祀られていたというから、仏教とヒンドゥ教との宗教混交も行われていた。東のキンノール地方でも宗教混交が見られるが、ラブランを超えるとその北には角塔型の建物が見られなくなるので、角塔型の起源がチベット仏教圏ではないことは明らかである。解明すべきは、やはり西方との影響関係であろう。


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