ヒマーチャル・プラデシュの旅 '98 |
神谷武夫
今回はヒマーチャル・プラデシュ州だけの2週間の旅だったので、初めも終わりもデリーに泊まりました。『 インド建築案内 』の 20ページ、旅の情報 [ 北インド編 ] でデリーの小規模なホテルとして HOTEL CENTRE POINT を紹介しておきましたが、今回泊まってみたら内容は変わらないのに料金ばかり とても高くなっていました。これでは高すぎるので、今では あまりお勧めできません。
ビアス川に沿ったクル渓谷は北のマナーリまで美しい風景が続き、道路も整備されています。カシュミール地方が紛争のために観光客や避暑客が激減してしまい、それがクル渓谷へ流れてきているので、特にマナーリの町は近年大発展をし、ホテルの数もおびただしく増えています。
パラ-シャル・リシ寺院の遠望と細部
今回の目玉のひとつは 海抜 2,700メートルのパラーシャル湖のほとりに建つ パラーシャル・リシ寺院で、前回は豪雨のために 途中の道が不通になって行けず、涙をのんだ所です。今回は晴天のもと、車で4時間近くかかって行き着くことができました。
クルの古名はクランタピータといい、それは "THE END OF THE HABITABLE WORLD" (人の住む最果ての地)という意味です。それを題名とする紀行を書いたペネロープ・チェトウォドというヨーロッパの女性研究者は、今よりも もっと交通不便だった時代に クル渓谷の貴重な写真を撮り残しています。
そこへ行くには 崖の道と坂の道の2本があり、崖の道では2キロメートル、坂の道では5キロメートルあり、村人でも2時間かかるので あんたは3時間かかるだろうと言われました。それでは寺院に着く前に日が暮れてしまうと、ついに泣く泣くあきらめて クルに戻りました。
シムラからレコンピオに至るサトレジ渓谷には、このホームページの『インドの木造建築』で紹介した 角塔型の寺院塔が多く建っています。その原形はマナーリの北の ロータン峠(海抜 4,000メートル)の先にある ゴンドラーの要塞 ではないかと考えましたが、両者はいささか距離が離れすぎていました。
寺院塔の最たるものは チニのヨーギニー寺院で、かつて O・C・ハンダが旅をしてその スケッチを残しています。それが あまりにも極端なプロポーションであり、しかも どんな本にも写真が載せられていません。そして 中国寄りのキンノール地方の古都、チニ(現在のカルパ)に行っても そんな寺院は誰も知らないので、これは すでに失われてしまったか、あるいは ハンダのスケッチが誇張に満ちていたのか、どちらかに違いないと思っていました。
ところが今回の旅で、その寺院が キンノール地方ではなく、まったく別の地方の チャイニ(チェニとも発音する)という村に現存しているのを 発見しました。それは O・C・ハンダのスケッチのとおりに建っていて、全体の高さは 30メートルにもなります(ハンダは 45メートル以上と見積もりましたが、そんなに高いわけはなく、写真測量的に測ると 約 30メートルです)。
チャイニの ヨ-ギニ-寺院
<参考> ジョージア(グルジア)の塔状住居
マナーリから さらに北のゴンドラーやウダイプルまで 行ってくるつもりでいましたが、標高 4,000メートルのロータン峠は すでに雪で閉ざされて越えることができない とわかり、急遽、夜行バスでシムラに向かうことにしました。ところが このバスが途中で故障してしまい、人里離れた所でバスの中の一夜を過ごしました。
多くの木造寺院をたずね、また いくつかの寺院を再訪しました。その中で一番驚いたのは スングラのマヘーシュワラ寺院 です。屋根板まで すべて木でつくられた素晴らしい寺院が、雨風にさらされていた5年の間に すっかり黒ずんでしまいました。
壁面が彩色されつつある マヘ-シュワラ寺院、スングラ
ヒマラヤのプリミティブな木彫部分が 赤、青、黄色と塗り分けられている姿は、キッチュを通り越して マンガチックになってしまいます。どうやら 南インドの影響のようですが、ヒマラヤの文化財保護行政は いったいどうなっているのかと、情けない気持ちになります。
( 1998 /12/ 20 ) |
ヒマーチャル地方の 寺院建築の分類 |
(『インド考古研究』No. 21, 1999 - 2000 にて発表 )