デリー
今回はヒマーチャル・プラデシュ州だけの 2週間の旅だったので、初めも終わりもデリーに泊まりました。 『 インド建築案内 』 の 20ページ、旅の情報 [ 北インド編 ] でデリーの小規模なホテルとして HOTEL CENTRE POINT を紹介しておきましたが、今回泊まってみたら内容は変わらないのに料金ばかりとても高くなっていました。 これでは高すぎるので、今ではあまりお勧めできません。
とはいえ、デリーの物価の上昇は著しく、ホテルもレストランも数年前に比べると驚くほど高くなっています。 おまけに大気汚染がすすんで、空はスモッグに覆われていました。 若い人には早めに地方に行くことをお勧めします。
デリーからヒマーチャル・プラデシュ州のクルへは、18人乗りのプロペラ機で飛ぶ予定をしていました。 かつては国営のヴァーユドゥート航空が運行していましたが、経済自由化以後ヴァーユドゥート航空はなくなり、各地に私営の航空会社が小型飛行機を飛ばすようになりました。
クルへはジャグソン・エアラインズが毎朝往復しているので、デリーへ着いた翌朝、コノート・プレイスの近くのオフィスで航空券を買い、翌日の便を予約しました。 ところがパイロットがいなくなってしまったとかでその日の便がキャンセルされてしまい、やむなくバスでチャンディーガルまで行き、すぐにタクシーを雇ってクルまで行きました。 途中、マンディの町の古いラージマハル・ホテルで夕食をとり、クルのホテル・サルヴァリに着いたのは夜の 11時でした。
クル渓谷
ビアス川に沿ったクル渓谷は北のマナーリまで美しい風景が続き、道路も整備されています。 カシュミール地方が紛争のために観光客や避暑客が激減してしまい、それがクル渓谷へ流れてきているので、特にマナーリの町は近年大発展をし、ホテルの数もおびただしく増えています。
しかしクルの町は今も のどかなたたずまいで、この近辺の木造寺院を訪ねるには 最良の基地となります。 マイダーン (公園広場) に面してタクシー・ユニオンのオフィスがあり、ここで素早く協定料金のタクシーをやとえます。
今回の目玉のひとつは 海抜 2,700メートルのパラーシャル湖のほとりに建つパラーシャル・リシ寺院で、前回は豪雨のために途中の道が不通になって行けず、涙をのんだ所です。 今回は晴天のもと、車で 4時間近くかかって行き着くことができました。
素晴らしい眺めの山頂の窪地に、予想よりも ずっと大きな木造三重塔の寺院が 小さな湖に面してそびえ、壁面や柱にはプリミティヴな彫刻が くまなく施されています。 創建は 14世紀と伝えられ、ディヤルの三重の塔や コカンの四重の塔よりも ずっと行くのが大変ですが、その価値は十分にあります。
パラーシャル・リシ寺院の遠望と細部
木造の五重の塔
クルの古名はクランタピータといい、それは "THE END OF THE HABITABLE WORLD" (人の住む最果ての地) という意味です。 それを題名とする紀行を書いたペネロープ・チェトウォドというヨーロッパの女性研究者は、今よりももっと交通不便だった時代にクル渓谷の貴重な写真を撮り残しています。
その中に木造の五重の塔の写真があり、それはシェンシャルという地名になっていましたが、その所在がなかなかわからず、行くことができませんでした。 それが今回やっとセンジの先のニューリという村の近くであることがわかり、喜び勇んで車で訪ねました。
村人にチェトウォドの写真を見せて場所をたずねると、あそこだと山の上を指差されました。眼をこらすと、何と村から 600メートルほどの高さにそびえる山の頂上はるかに、小さく五重の塔が見えるではありませんか。
そこへ行くには崖の道と坂の道の 2本があり、崖の道では 2キロメートル、坂の道では 5キロメートルあり、村人でも 2時間かかるのであんたは 3時間かかるだろうと言われました。 それでは寺院に着く前に日が暮れてしまうと、ついに泣く泣くあきらめてクルに戻りました。
シェンシャルの五重塔
チャイニのヨーギニー寺院
シムラからレコンピオに至るサトレジ渓谷には、このホームページの 『インドの木造建築』 で紹介した角塔型の寺院塔が多く建っています。 その原形はマナーリの北のロータン峠 (海抜 4,000メートル) の先にある ゴンドラーの要塞 ではないかと考えましたが、両者はいささか距離が離れすぎていました。
寺院塔の最たるものはチニのヨーギニー寺院で、かつて O・C・ハンダが旅をしてその スケッチ を残しています。 それがあまりにも極端なプロポーションであり、しかもどんな本にも写真が載せられていません。 そして中国寄りのキンノール地方の古都、チニ (現在のカルパ) に行ってもそんな寺院は誰も知らないので、これはすでに失われてしまったか、あるいはハンダのスケッチが誇張に満ちていたのか、どちらかに違いないと思っていました。
ところが今回の旅で、その寺院がキンノール地方ではなく、まったく別の地方のチャイニという村に現存しているのを発見しました。 それはハンダのスケッチのとおりに建っていて、全体の高さは 30メートルにもなります。
ハンダがチャイニをどのように表記したのかわかりませんが、後の研究者はこれを東部のチニと混同し、現物を見ることなくキンノール地方のチニの寺院として、ハンダのスケッチを紹介したのでした。
チャイニの村はゴンドラーとサトレジ渓谷を結ぶ中間点にありますので、角塔型の城塞と寺院塔とのミッシング・リンクはこれで埋められることになりました。 しかしそれが、遠くグルジアの塔状住居とつながるのかどうかは、これから調べるべき課題です。
チャイニの ヨーギニー寺院
サトレジ渓谷
マナーリからさらに北のゴンドラーやウダイプルまで行ってくるつもりでいましたが、標高 4,000メートルのロータン峠はすでに雪で閉ざされて越えることができないとわかり、急遽、夜行バスでシムラに向かうことにしました。 ところがこのバスが途中で故障してしまい、人里離れた所でバスの中の一夜を過ごしました。
明け方に代わりのバスがやってきて、シムラへは朝の 5時に着く予定が、10時となってしまいました。 シムラからはバンのタクシーを 5日間やとい、ナルカンダやサラハンに泊まりながらあちこち寄り道をしつつ、中国寄りのレコンピオまで往復する旅です。 走行距離は全部で約 600キロメートルでしたが、山の道なので時速は平均 25キロメートルです。
多くの木造寺院をたずね、またいくつかの寺院を再訪しました。 その中で一番驚いたのは スングラのマヘーシュワラ寺院 です。 屋根板まですべて木でつくられた素晴らしい寺院が、雨風にさらされていた 5年の間にすっかり黒ずんでしまいました。
板屋根がスレートに葺き替えられ、近年はトタンに変えられる寺院が多くなっているのも、村人にとってはやむをえない処置なのでしょう。 しかしもっと残念なことは、古びた木部に極彩色の塗装をほどこすことが流行していることです。
壁面が彩色されつつある マヘーシュワラ寺院、スングラ
ヒマラヤのプリミティブな木彫部分が赤、青、黄色と塗り分けられている姿は、キッチュを通り越してマンガチックになってしまいます。 どうやら南インドの影響のようですが、ヒマラヤの文化財保護行政はいったいどうなっているのかと、情けない気持ちになります。
交通が次第に便利になり、人や情報が行き来するにつれて、その地にふさわしい伝統的なものが破壊されていくのを見るのはつらいことです。 雪山とヒマラヤ杉に囲まれた雄大な自然景観に調和して建っている木造の寺院建築に、どうか彩色することだけはやめてほしいと祈るこのごろです。
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