ケーララ地方の木造建築 |
神谷武夫
アラビア海に面して雨の多いケーララ地方の木造建築のスタイルを「西海岸様式」と呼ぶ。その北限は ケーララ州を少し超えたカルナータカ州のマンガロールに達する。つまり西ガーツ山脈が終わるあたりで、ここから先は雨量が少なく、デカン高原の石造寺院のスタイルへと変化していくのである。ちょうどその境いめに位置するのが ムーダビドリの チャンドラナータ寺院 で、この地方に今も生き続けるジャイナ教に属している。15世紀に建立されたこの大寺院は 石造の1階の上に木造の2階が載り、その勾配屋根も1階は石の板で葺かれているが 2階は木造に銅板葺きと、まさに二つの建築様式の橋渡しをする寺院である。
1階は石造ではあるが その構造形式はまったく 木造的 で、木造の柱・梁構造を 石に置き換えたものである。2階の木造屋根の庇には神像彫刻の方杖が並んで ネパールの木造寺院を思い起こさせることから、これを設計したのはネパールの建築家ではないかという説もあったが、これは疑わしい。ジャイナ教の存在しないネパールから わざわざ建築家を呼んだとも思えないし、前回述べたように装飾的な切妻の強調は ネパール的でないからである。
もっと大規模な木造宮殿を見せてくれるのは、ムーダビドリとは反対に ケーララ州を南側に少し超えた パドマナーバプラムにおいてである。「蓮の花から生まれた都」を意味するこの町は かつてのトラヴァンコール藩王国の首都であり、マールタンダ・ヴァルマ王による 18世紀の木造宮殿が そっくり そのまま残されている。現在はタミル語地域なので タミルナードゥ州に編入されているが、石造の宮廷礼拝堂以外は すべてケーララの西海岸様式で建てられた木造建築である。ケーララ州のヒンドゥ寺院は内境内に入ることも簡単ではなく、まして写真撮影は ほとんどできないだけに、それを埋め合わせるように公開されていて 細部までじっくりと観察させてくれるこの宮殿は、まことに貴重な文化財である。
パドマナーバプラムの宮殿の平面図、18世紀 まず門をくぐって前庭に出ると 白壁に茶色の瓦屋根という、まるで日本建築のようなたたずまいに 驚くことになる。その奥に続く建物のほとんどは 入り母屋造りの屋根をいただき、木部はチークの白木である。謁見ホールのマントラ・シャーラとプームカムが上下に重なった棟は とりわけ見ごたえがあり、その切妻部の木彫装飾は寺院とは異なったパターンをしている。
2階のプームカムの内部は、基本的に4本柱に梁をかけて格天井をつくり、そこから周囲に向けて垂木を架けわたした姿を そのまま見せている。熱帯の直射日光を遮るために 屋根は低い位置まで伸び、壁は風を通すように格子状になっているのがわかる。この奥にあるタイコッタラムと呼ばれる王母の館では ホールに独立柱があり、その木彫装飾は とりわけ繊細である。またウッピリッカと呼ばれる王の館に残る 17〜18世紀の多数の壁画も名高い。
この宮殿は平面図に示されるように、比較的小規模な建物が庭をはさみながら 数多く連なっている。しかしここには、ムガル朝の宮廷におけるような 全体を貫く軸線というものもなければ 幾何学的な四分庭園もなく、マンダラ的な配置構成もない。建物が間を置いて建て増されていったという建設経過もあるのだろうが、ここで追求されているのは モニュメンタルな威容の誇示ではなく 住宅的な快適さなのであって、それはトルコのイスタンブルにあるトプカプ宮殿を思い起こさせずにはいない。 王母の館の柱頭と、マントラ・シャ-ラ内部の吊りランプ
ケーララ州は海洋貿易によって 早くから西方と結ばれていた。1世紀頃にはユダヤ教が伝えられ、キリスト教やイスラム教が その後に続いた。コーチンにはユダヤ教のシナゴーグや キリスト教の聖フランシス聖堂が残り、そこにはヴァスコ・ダ・ガマの墓もある。どこの町にも石造やラテライト造の教会堂の尖塔がそびえているが、残念ながら建築的に高度なものはない。 一方、インドで最も早く建てられたイスラム教のモスクは コドゥンガルールの木造モスクであるという。創建は 629年だと現地に書かれているが、それが本当であるなら デリーの最初のモスクである 12世紀のクトゥブ・モスクよりもずっと早く、イスラム教が成立してからすぐ ということになるので、眉唾ものである。現在建っているものは ごく新しいもので、そのような古さは まったくない。それでもケーララのムスリムは 北のデリーから南下してきたのではなく、早くにアラブ商人によって海路でもたらされたのだろうと考えられる。
ケーララ州に現存するモスクで 最も堂々たる姿をしているのは カリカット(コーリコード)のミスカール・モスクで、17世紀の創建である。次章で紹介するカシュミール地方の木造モスクほどには 完成度が高くないが、切妻屋根をもった多層の木造モスクというのは イスラム圏広しといえども、きわめて珍しい。この町にはケーララ州で最も多くのムスリムが住み、木造モスクがいくつもある。モスクの天井はしばしば木彫で飾られ、壁はヒンドゥ寺院や宮殿と同じように 格子状になっていて、直射日光を避けるとともに 通風をはかっている。
ケーララ州の木造建築のなかでも、とりわけ興味をそそられるのは クータンバラムである。クータンバラムとは 大寺院の境内にあって、祭礼の時のクーティヤッタムと呼ばれる宗教劇や、おりにふれての伝統音楽や舞踊を演ずる劇場である。これは ケーララ地方に独特のもので、トリチュール、イリンジャラクダ、グルヴァーユール、ティルヴェガップラ、ハリパードなど、多くの大寺院に設けられている。 けれども現存するクータンバラムは すべて 18世紀から 19世紀にかけて建てられ、あるいは再建されたものであって、それ以前のクータンバラムが どのような姿をしていたのかは明らかでない。というのも、これら現存するクータンバラムの大屋根架構が 伝統的なインド建築とは きわめて異なった独特なもので、近世に発達した形態であろう と考えられるからである。それは 三角形を基本にした トラス構造のような小屋組みで、ヒンドゥ建築に珍しい 大きなスパンを架けわたしている。こうした構造が パドマナーバプラムの宮殿群には まったく見られないのも不思議である。
ヴァダックンナ-タ寺院のク-タンバラム・断面図、トリチュール、19世紀再建
トリチュールやイリンジャラクダの寺院におけるように、クータンバラムの外観を決定づけるのは まるで大仏殿のような印象の大屋根で、銅板、もしくは瓦で葺かれる。堂内の大空間には 日本の能舞台のように定型舞台が設けられ、それ自体の屋根を チーク材の円柱が支えて「建物の中の建物」を形成しているのが 実に興味深い。
ところで こうした大屋根の構造形式が クータンバラム以外の建物で用いられているのは、筆者の知る限り、タミルナードゥ州南部の ティルネルヴェリにある、ネライヤッパル大寺院のエントランス・マンダパのみである。この木造架構の起源は、いったいどこにあるのだろうか。 |