TEMPLES at KHAJURAHO
カジュラーホ
カジュラーホの寺院群
神谷武夫
カジュラーホ
中インド、マディヤ・プラデシュ州北部、デリーの南東約500km
1986年 ユネスコ世界遺産の文化遺産に登録

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インド中部、今は小さな村にすぎない古都カジュラーホには、10世紀から 12世紀にかけてチャンデッラ朝の最盛期に建立された 85にのぼる石造寺院のうち、25の寺院が現存している。砂岩に刻まれたみごとな装飾彫刻は、当時の他の地の追随を許さない。 とりわけ、壁面を埋めつくす彫像群はその官能性で世界に知られている。 ここでは無名の彫刻家たちが清々しい無邪気さをもって、古代インドの性愛論書『カーマスートラ』の教えを不朽のものとしたのである。



チャンデッラ朝の栄光

 5世紀以降、中央アジアから進出してきた種族と、西インドの土着の民とが融合して、ラージプートとよばれる尚武の氏族が形成された。彼らはヒンドゥ化して、古代クシャトリヤ(王族、武士階級)の子孫と称し、西インド各地に王国を打ち立てた。このなかには中部インドのブンデルカンド地方まで進出して、10世紀に強力な王国を打ち立てたラージプート族がいた。これがカジュラーホの壮大な寺院群を造営したチャンデッラ朝である。
 東西約 2キロメートル、南北約3キロメートルのおよそ6平方キロメートルの平地に散在するヒンドゥ教とジャイナ教の寺院群は 10世紀初めから 200年間に建造されたもので、建築様式はみごとに統一されており完成の域に達している。チャンデッラ朝の支配するあいだに、ここには 85にのぼる寺院が建造されたという。

    
ヴィシュワナータ寺院の壁面彫刻と、内部の周歩廊

 イスラム教徒によるブンデルカンド地方の征服後 100年以上もたった 1335年に、モロッコのタンジール出身の有名な旅行家イブン・バトゥータがカジュラーホを訪れたときには、まだ燦然(さんぜん)と輝いていた寺院群を目の当たりにしたことだろう。しかしその後この地は忘れ去られ、鬱蒼(うっそう)と茂る植物に埋もれ、今世紀に再発見されるまで深い眠りについていたのである。
 現在残る 25の寺院は、大きく西群、東群、南群の3つのグループに分けられている。すべてヒンドゥ寺院である西群にいちばん多くが残り、主要な寺院群は塀で囲まれて公園のように整備され、政府考古局の手で管理されている。東群にはジャイナ寺院が多く、今もジャイナ教徒による寄進がある。 南群には、ただふたつのヒンドゥ寺院が残るのみである。


カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院・平面図 11世紀半ば


北方型の最高峰

 西群の奥にそびえるのは、11世紀半ばに建立された、カジュラーホで最大のカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院である。高さ 31メートルにも達する砂岩の塔はシカラとよばれ、その全体と相似形の小シカラが 84も積み重なった形をしていて、天を突くようにのび上がっている。インドの中世寺院は大きく北方型と南方型に分けられるが、カジュラーホの大寺院群は北方型の完成された姿を見せている。
 プランは、ポーチ、マンダパ(拝堂)、マハー・マンダパ(大拝堂)、そして最も高い塔の下にあるガルバグリハ(聖室)から成り、聖室のまわりには繞道(にょうどう)(礼拝対象のまわりを右まわりに巡る道筋)があって、周囲には採光のためのバルコニーがある。こうして奥へ行くにつれて高くなる塔状部が連なる寺院形は、山の峰の連なり、つまりは聖なるヒマラヤ山脈を象徴しているのである。
 カジュラーホの多くのヒンドゥ寺院はヴィシュヌ派の寺院であるが、このカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院はシヴァ神に献じられているので、これはヒマラヤのシヴァ神のすみかとされるカイラーサ山になぞらえたものであるともいえる。寺院の外壁にはおびただしい数の男女の彫像や装飾彫刻が並び、花冠で飾られた入り口上部には、マカラ(海の怪獣)の彫刻が両側に控えている。

    
カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院のシカラと ミトゥナ彫刻


壁面を飾る彫刻群

 カジュラーホに現存する 25の寺院にほどこされたみごとな装飾彫刻は、中世を代表する傑出した一群の彫刻家たちの作品である。寺院の内外の壁面を埋めつくす男神や女神、あでやかな天女たち、空想上の動物、そして「ミトゥナ」とよばれる抱擁する男女を描いた官能的な彫像は、彫刻家たちの尽きることのない豊かな想像力の発露である。建築と彫刻の境界はしだいに失われ、寺院は複雑をきわめる彫刻の巨大な集合体となっていったのである。
 西群にあるほかの大寺院、シヴァ神に捧げられたラクシュマナ寺院(954年)やヴィシュワナータ寺院(1002年)も、ポーチから聖室に至るまでシカラ状の高い屋根が並び、壁面はおびただしい彫刻で埋めつくされ、この地が、消え去った首都の中心地であったことを示している。 この2寺院は高い基壇の四隅に小祠堂をそなえ、寺院本体と合わせてパンチャーヤタナ(五堂形式)をなす。壁面は、弟子たちと車座になって教えを説くグル(師)、あるいは『カーマスートラ』の教えを無心に描くエロティックな彫刻などで豊富に飾られている。
 今日のインドでは、少なくとも公共の場ではエロティックなものが注意深く排除されているが、インドの作家クシュワント・シングは、古い寺院の宗教彫刻にのみ、そうした描写が許されるのだと言っている。

ラクシュマナ寺院正面


さまざまな寺院型

西群で今もなお礼拝されて賑わうマータンゲシュワラ寺院には、シヴァ神の象徴である、高さが 2.5メートルもの石のリンガ(男根)が祀られている。この寺院は、まだ「カジュラーホ型」のスタイルが確立する以前に建てられた単室型をしていて、壁面彫刻は失われてしまった。その向かいにあるヴァラーハ寺院は、ヴィシュヌ神の化身であるヴァラーハ(野猪)を祀っている。
 カジュラーホで最も古いチャウンサト・ヨギニー寺院は、カーリー女神に捧げる寺院として 900年ごろに花崗岩で建てられた。この寺院は広い中庭を囲む 64の小祠堂で構成され、各祠堂にはカーリー女神の従者である魔女のヨギニーたちの像が置かれていたが、現在では半数ほどの祠堂しか残っていない。

チャウンサト・ヨギニー寺院

 一方、東群には ジャイナ教の寺院群 の区画があり、3つの寺院と多くの小祠堂が建ち並んでいる。最大のものは第 23代ティールタンカラ(ジャイナ教の祖師)に献じられた パールシュヴァナータ寺院 で、西群の大寺院群よりも早い 10世紀半ばに建立された。ここにはバルコニーがないが、壁面を埋めつくす彫像は逸品ぞろいで、ある女性は手紙を書き、別の女性は服を着たり、花で自分を飾っている。チャンデッラ朝の盛期を代表する傑作のひとつに挙げられよう。
 しかし建築や彫刻のスタイルにおいては、ヒンドゥ教とジャイナ教のあいだにほとんど差はない。ただ、ジャイナ教の修行僧にはきわめて厳格な戒律が与えられていた。彼らは、いかなる生き物も殺してはならないという厳しい戒律のゆえに、空中を飛ぶ虫さえ誤って飲み込まないよう、つねにマスクをしていたという。
 南群のドゥーラーデオ寺院はシヴァ神に捧げられた寺院で、みごとな彫刻で飾られているが、この寺院は 12世紀、チャンデッラ朝の建築にかげりが見えはじめ、その絶頂期を過ぎた時期に建立された。おそらくこれは王朝最後の建造物であろう。

    
   南群のチャトルブジャ寺院   東群のジャヴァーリー寺院の扉口


空港のある村

 近代の観光旅行の始まりとともに、当局はカジュラーホが外貨をもたらす重要性に気づき、寺院群の修復を始めた。カジュラーホは、村自身の名がついた空港をもつインド唯一の村である。1910年に設立された博物館は、もう何年も前から手狭であると指摘されている。たえず発掘される彫刻や建築断片を収納するスペースは、もはや無い。一方、西群の大規模な寺院は保存状態がきわめて良好で、毎年3月には寺院を舞台にして伝統的な舞踊祭が催される。
 けれども東群のヴァーマナ寺院やブラフマー寺院 、そしてジャヴァーリー寺院といった小規模な寺院の損傷はかなり進行している。これらの寺院の運命は、荒廃して瓦礫(がれき)の山と化してしまったジャイナ教のガンタイ寺院が暗示しているといえよう。


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